新装ではないけれど本日開店

まだお客が少ないな |

干し芋と干しりんご |

干し柿は冷凍庫へ |
今朝の気温はマイナス5℃
庭に来る鳥たちも、羽を膨らませていて寒そうだ。
スーパーからもらってくる牛脂と、道の駅で収穫してきたひまわりの種と、なけなしの小遣いをはたいて買ってきたピーナッツと。えさ場に出してやった。
動物も人間も食べ物を前にして嬉しそうにしているのを見るのが好き。誰かが喜んでいるのを見ていると心が弾む。
きたきた、シジュウカラが来た。アオゲラが来た。カワラヒワが来た。
ヤマガラは相変わらずボケ顔だ。ガビチョウがきた。-----なんだスズメか。
大掃除もいい加減にして、窓越しに野鳥を見ているのは、山住みならではの楽しみ。
里山の暮らし483 2019.12.26
空の高さを
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朝、寝起きのコーヒーカップを手に、クリスマスの飾りをひとつだけ、小さいクリップでツリーに止めていく。
今日は12月16日。飾りの残りは八つ、そう八つ。
アドベントカレンダー (Advent
calendar)は、待降節の期間、24個用意されている窓を一つずつ開け、イエスキリストの降誕までの日を数えるカレンダー。窓を開けるのが正式らしいが、私の持っているのは、ポケットにその日の飾りが入った友人作のもの、それも遺作となった作品なのだ。
サンタさんだけは私の手作り |
紀美子さん。那須は冬を迎えようとしています。
あなたがプレゼントして下さったこのカレンダー、広葉樹はすべて葉を落とし、針葉樹の深い緑に覆われた那須野の上に広がる天の国から見えていますか。
アンデスの山々に囲まれた街に住んでいたころのことでしたね。
師走に入ったある晴れた日、お連れ合いとテニスで遊び、ホテルでの昼食を楽しみ、午後は友人のためにお茶会を開き----絵に描いたような喜びのあふれる一日のゆうべ、早めのお風呂にはいり、お手伝いさんの手を煩わさないようにと自分の下着を手洗いし、立ち上がったとたん貧血で倒れ、タイル張りのお風呂の角で頭を打ち、頸骨を損傷した------あの日からもう30年以上経ちました。
ひとつひとつ、アドベントカレンダーの飾りを付ける朝ごとに、5千メートルを超す白い山に息を切らせながら登ったあの一日や、今も民族に伝わる衣装を身に着け、インカ時代そのままの暮らしを送っている人たちと一緒に、収穫の祭りで踊ったことを思い出します。
私は元気。紀美子さんと同い年の相棒も老いたとはいえ元気です。今日も空を見て生きています。
里山の暮らし482 2019.12.16
やはりめでたいクリスマス

今年のクリスマスリース。
藤のつるを輪にし、庭のヒバの樹の枝先を巻き付けた。
ブルーベリーの赤い葉を飾り、南天の実を挿す。山茶花を間に置いて、クリスマスの鐘と小さい模型を飾り、定番のリボンを結んだ。
年々簡素になっていくのが、今の心持ちを表しているのかもしれない。
25日を過ぎるとクリスマスの飾りを取り去り、お正月のあれこれに代えて「おめでとう」に変換する。
里山の暮らし481 2019.12.13
百点取ったよ! 玄関が開くのを待ちきれないほどの勢いで帰宅した相棒、小鼻をぷくぷく膨らませて報告してきた。
「百点取ったよ!」
さすがに「ぼくちゃん、偉いでしょう」とは言わなかったけど。
高齢者認知機能検査を受けるために出かけた相棒は、数日前から緊張気味だった。、太い神経をしているわりに気がかりだったのだろう。
何が気に障るのか、何でもないことにイライラしていた。
何しろテストだから、ほんと久しぶりのテストだから。
後学のため内容を詳しく聞いておく。
1) まず、開始の挨拶。
2) 今日の年号月日を書いてください。
3) 開始から今何分ぐらい経ちましたか?(これなかなか微妙な質問だ)
4) 白い大きな紙を出されて、「時計を大きく書いてください。時刻表示を入れて、11時10分を時計の針で表してください。
5) 16枚のジャンルの違った絵を見せられ、一枚一枚その名前を確認させる。
6) ずらっと並んだ数字のなかの、ある特定の数字2個を/(スラッシュ)で消してください。
7) 次は特定の数字が3個に増えます。
8) では(5)で見た16枚の絵の名前をすべて書いてください。
こんな様子だったようだ。
めでたく100点取った相棒は、気分がウキウキしてきたらしい。やたら饒舌になってウルサイことだ。次回は実地運転のテスト。
ああ、こんな田舎に住んでいて、車なしでは生きてはいけない。どうぞ合格しますように。
しかし、今日の年月日を書く時点ですでに怪しい人が何人かいたらしい。
その人たちだって車がないと暮らしが成り立たない場所に住んでいるのに。
地域限定免許などというシステムを作れないものか。
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今年は冬鳥が来るのがいつもの年に比べて時期が早く、その種類も多いようだ。
今日やってきた新顔は「シメ」。(スズメ目アトリ科)
雌雄よく似ていて見分けが付きにくいが、
頭の上と耳羽が茶褐色で頸の後ろがグレーであることから、この個体は雄の成鳥だろう。しかし、その太い腹やのそのそした動きから、我が家では「大阪のおばちゃん」と呼んでいる。男のおばさんよ。 飴ちゃん、持ってるか? |
里山の暮らし480 2019.12.10

秋の終わりに
下ばかり向いて庭仕事をしているうちに、あたりの樹々はすっかり葉を落としていた。
低い位置から太陽が部屋に入り込むので、家の中に取り込んだゼラニュームが驚くほどのスピードで成長している。
このピンクの花をそばに置くと部屋は暖かい雰囲気に包まれて、今日という一日もなかなかいいものではないかと思えてくる。
9月に始めた庭仕事もいよいよ大団円を迎える。
珍しく気温が上がり風もない小春日和の今日、バラの剪定と肥料やり、アメジストセージを掘り上げて発泡スチロールの箱にしまい込む、それを家の中で一番涼しい場所に移動させる----といった仕事を済ませた。
残すは温室で育てているアイスランドポピーの苗を、一回り大きいポットに植え替える仕事だけなのだが、去年の半分に減らしても100本もある。
楽しみが次第に負担になり、やがて苦労と化し、いつか作業を諦める日がくるのだろうか。
考えるのをよそう。
今できることをいま行う、これしかない。
里山の暮らし479 2019.12.3
帰りは怖い
先週のこと。新聞にこんな記事が載っていた。
「1970年代から1980年代にかけて、日本で購入された「ダイヤモンド」がいま、東南アジアで高く買い取られている。品質に優れていて、財産を身近に持つ習慣のあるインドなどで特に歓迎されている」と。
あれやこれやと断捨離を始めてみたが、最後に残りそうなのは和服と婚約指輪のダイヤモンドだ。
結婚した当時は、月給の何倍かの値段のものを贈るのが常識だ、などと巷間言われていたのを真に受けた世間に疎い相棒(当時はまだ婚約者だけどね)は、わざわざ京都の宝石専門店に私を連れていき、(デートの場所が京都だったのだ)
京都四条 宝石店 寺内(てらうち)<http://www.kyoto-terauchi.com/>
ここでそれなりの値段のダイヤの指輪をプレゼントしてくれた。もちろん相棒が宝石店に詳しいわけがない。私の二人の姉がこの店で求めた婚約指輪を贈ってもらったと聞いたからだった。
あれから星の数ほど日にちが過ぎた。
結婚当時、上司とウルサイ親戚の伯母さんたちへ挨拶にお邪魔する時に何回か指にはめたかなぁ-----。
あとはすでに記憶はおぼろ。以後ずっと金庫の中で眠っていた。白い箱は擦り切れてしまい、薄汚れてしまっている。
指輪でもう一つ覚えていることがある。結婚式には「結婚指輪の交換」が付き物のようだが、そんなものを指にはめて仕事などできない相棒にはワタシ、腕時計をプレゼントしましたね。
さて、式の日を迎えました。仕事を辞めてのんびりしていた3ケ月の間に、少し(いやたっぷりかもしれないが)太ってしまった私の薬指に半年前
にあつらえた指輪が入らない!そこで取った対策?はと言えば「式次第から指輪のプレゼントを略す」だった。
その結婚指輪もやはりおぼろのかなたへ。子育てに指輪は邪魔だよね。
さて、那須の11月です。
たまたま行きつけのホームセンターのチラシに「宝石、時計、宝飾品など高く買い取ります」とあったのを見つけたのが運の尽き。
そうだね、このダイヤを引き取ってもらえるのならどのくらいの値段になるのか、鑑定してもらおうか。
な、相棒よ、そのお金でどこか遊びに行くのもいいんじゃない? あげる人が誰もいないしね。
雨の中、出かけました。
鑑定人はこう言いました。
「ダイヤは周囲を削り取って新しいデザインに変えるのです。ですからよほど大きなダイヤモンドでないと購入した時の値段に折り合いませんよ。そうですね、周囲のプラチナの金額になりますかねぇ」「品質はとてもいいので、これ高かったでしょう。」そして「こんなホームセンターなどに持ってこないで、きちんとした宝石店で加工し直すなり等価交換するなりした方が、賢いですよ」。
とぼとぼ。帰り道の雨が冷たかったこと!
「そのお金でどこか遊びに行くのもいいんじゃない?」-----罰あたりめ!
おまけ:
金庫に入れる前にこの婚約指輪をはめてみた。30年ぶりだ。結婚したころには押し込めばなんとか入ったのに、なんとねぇ第一関節までしか入らない------。
こちらにきて持つのはスコップに鍬、一輪車のハンドル、包丁に不用品の入った大きなごみ袋。すっかり指が太くなってしまっていたのだ。
まあね、庭の花のために働いた結果こうなったのだから仕方ない、だれに見せるわけでもない。
人目に付く場所では、猫のように爪を隠して指を丸めていようか。
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秋の実のいろいろ
3時の方向はカラタチ・枳殻 独特の香りがする
真上は烏瓜・カラスウリ しもやけの薬
2時は烏羽玉・ウバタマ・ヌバタマとも
http://kemanso.sakura.ne.jp/nubatama.htm
その下のイガイガは アメリカフウ・あめりか楓
5時は 椿の実 (やぶつばき)椿油はこれから採る
真ん中は栃の実 加工が面倒だが食べられる
6時の小さいのは、山芋のむかご むかごご飯に |
里山の暮らし478 2019.11.23
増えるのです、厚かましい勢いで。
タカサゴユリ(高砂百合、台湾百合とも)ユリ科ユリ属 台湾原産の帰化植物
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生命力が強く、球根と花後の刮ハにびっしりとつける種で恐ろしいほど増える植物。
なまじ姿がきれいなだけに抜き取られることもなく、あたりにはびこる。残念ながら香りはない。
現にこの花は門柱の真ん中に芽を出し、うっかり情けをかけて抜き取らずにいたら、7月に一度花を咲かせ、その後種を熟させようとしている
ている最中の、立冬も過ぎたこの時期に新しい花をつけた。
葉が細く密に生えていて、花弁の裏側に赤い筋が入るので、容易に見分けることができる。
日本の在来種と競合、あるいは交雑して,ウイルスを媒介することから、外来生物法に抵触すると指定されるのが近いかもしれない。
⇔ 種の袋の中には千個近い種が実っている。
「増える」という目的に忠実だ。
花の命は短くて-----たった3日しか花は持たないけれど、きれいだよね。 |
外来生物法:
外国から持ち込まれたり、他の地域からの移入種が、日本国内の生態系を破壊するのを防ぐため2004年5月に成立、05年6月施行された。
更に被害が想定される場合には、「特定外来生物法」に則って駆除とその管理をせよとの命令が下されるが、そもそも日本の自然に適応した植物はちっとやそっとの駆除では追いつかない。
特定外来生物法:
動物では アライグマ、カミツキガメ、オオクチバス、アカゲザル、ガビチョウ、ソウシチョウ、カダヤシ、セアカゴケグモ、ウチダリガニなど。植物ではアレチウリ、黄色くて派手な花オオキンケイギク、オオハンゴンソウなどが指定されている。
里山の暮らし477 2019.11.14
林の中に家を建てたばかりに
落葉を始めた林のなかに「ピップシューン」と大きな音が響いた。ああ、また。
居間の大きなガラス窓に野鳥がぶつかり、デッキの上で気を失っている。
口を薄く開け、尾を立て脚をけいれんさせて-----。初めて見る鳥だ。色合いから鶯だろうか?
南面の大きなガラス窓に林が映り込み、それを見た野鳥が飛び込んでくる事故がたびたびある。
そのたび申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
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この時点で決して野鳥に手を出してはいけない。
感染症の危険があることと、そもそも人間の匂いが付いた野鳥が自然のなかでどういう扱いを受けるかがよくわからないからだ。
動物の場合など、極端に言えば人間の匂いを嫌って親が飼育を放棄することもある。
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じっと見守ること10分。
よろよろ。
ようやく立ち上がったこの鳥は、デッキにおいてあるサンダルの陰に隠れるように身を寄せた。
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好奇心旺盛(アホとも言いますが)な家主は、サンダルを持ち上げてみる。
尾を垂らし体のバランスを取ろうとしているから、これはなんとか元気になりそうだ。
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おっと。飛んだ。
トレリスにつかまって心を落ち着かせようとしているかのようだ。
一時間後、林に消えた。 |
この鳥は鶯・ウグイス。雌雄同色で違いは体の大きさだけなので、どちらか判別できない。
いままで鳴き声は聞いていたが、こんな身近で観察できたのは、初めてのこと。
あの「ほ〜ほけきょ」の鳴き声はオスのそれ。縄張り宣言をしつつ雌を求めて鳴くので時期は3月から5月のカップリングとその後の育雛のころに限られる。雌は?「ちっち」と聞こえるかすかな声で鳴く。(笹鳴きという)
暑い夏の盛りにも大きな響く声で「ほ〜ほけきょ」と聞こえてくることがあるが、あれは「あぶれオス」の鳴き声なのだ。つまり、モテなかった可哀そうなオスの声だ。
あの声を聞くと涼しさが舞い降りてきたようななんとも言えない気分になるが、実は「ボク、モテなかったよぅ。可愛い女の子がいないか」と鳴いているらしい。
鶯 ウグイス(学名: Horornis diphone)スズメ目ウグイス科ウグイス属。
里山の暮らし476 2019.11.7
女房だって新しい畳がいいな
中途半端に器用で、動くものがあれば分解してみたい相棒。
築十数年になる家の中の電気製品が壊れはじめた。 なぜか嬉しいらしい。
故障場所を分解し壊れた理由をさぐり、なんとかそのトラブルを自分で解決しようとする----工学系理系男の面目躍如だ。
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床にぶつけたのが悪いのか、掃除機の手元のスイッチが壊れてしまった。
仕事が終わった時点で無意識に手を放しているからかもしれない。お行儀悪いぞ、ワタシ。
ばらばらにし、外部に新しいスイッチを取り付けて
「どうだ!」「動くようになっただろ!」 |
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これもやはりスイッチが壊れた「ウォータージェット(圧力をかけた細い水流で歯間を掃除する器械)」。
水を扱うのでこういうことも起きがちだ。
新しいスイッチ----とんでもなくアナログだけど----を取り付け、直接それを触らなくてもいいように更に木製のスイッチを上にかぶせた。まぁ便利は便利だけどね。 |
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「うちのシャワー、奥まっていて遠いよね、床の真ん中あたりに温水がかかればいいのに」と呟いたのを耳にし、シャワーヘッドにエクステンション・アームを取り付けた。
それも大事にしている輸入材のレッドウッドを使って。
たしかに体をひねらなくてもまっすぐ温水が当たるようになった。気持ちがいい。 |
こんなに何かを直すことにやる気満々なのは、困ったものだ。そうでなければ今頃最新式の機械・器械を使えたのに。
お風呂にはピカピカのステンレスのアームが付いていただろうし、サイクロン掃除機で床ダンスを踊れただろうに、プシュっと押すと歯間を温水が気持ちよく流れていただろうに。
「なんでも修理してくれていいご主人ね」とおっしゃるが、女房だって新しい畳のほうがうれしい------。
でも、「天変地異が起きた時、何とかその事態を改善しようとする力」をもつ相棒は、案外頼りになる存在なのかもしれないな。
里山の暮らし475 2019.10.29
いくつもいくつも名前を持って Salvia leucantha (サルビア・レウカンサ) シソ科

秋菊が咲き始めるころ、長い花穂を伸ばし唇の形の花をたくさん付け、遠目にも鮮やかな花がこの時期の庭を彩ってくれる。(総状花序、唇形花と呼ぶ)(基本種の花色は白。レウカンサとはギリシャ語で白を意味する。)
園芸用として改良されるうちにいろいろな名前を付けられて、今やこの花は「アメジストセージ」「メキシカン・ブッシュセージ」「ベルベットセージ」「ビロードセージ」といった名前を持っている。
林の中にこんもりと咲くこの花を見て驚く客に、
「名前はなに?」と聞かれると、一瞬どれを選ぶかで悩むが、まず「アメジストセージ」と説明し、「ほかにこんな名前も持っているのよ」と続けることが多い。
そうすると普通は「そんなに覚えられないな」との返事が返ってくる。そうかな?
中央アメリカ原産の花、と言えば日当たりが良くやや乾燥気味の土地が好きで、耐寒性はやや劣る。これが定番。
12月に入ると地上部を切り取り、根っこを大きく堀りあげて耐熱性のある大きな箱----あの魚などが入っている白い箱の中に仕舞いこんで家の中の一番寒い場所に、たとえば客間のトイレの側などで冬越しをさせる。
南大阪の元の家だとそのまま庭で冬越しできたけど、マイナス15℃にまで下がることもある那須ではそれは無理だ。
本当に好きな花だからこんな手間など大歓迎。
*アメジストは2月の誕生石なのに、宝石などに縁のない私は持っていない。
ま、この花のほうが長く楽しめていいよね。
里山の暮らし474 2019.10.19
葉知らず、花知らず コルチカム (ユリ科)別名イヌサフラン

この時期に花を咲かせ、来年の夏にかけて葉を茂らすのは、曼殊沙華(彼岸花)と一緒。
庭の椿の木の下で、日当たりの悪さをかこちながらようやく花を咲かせた。
花言葉は「My best days are past」。------ううむ身につまされる思いだ。
球根やタネに含まれるアルカロイドの一種であるコルヒチンは劇物で、鎮痛・神経痛に効用があるとされるが、それよりも知られていたのは倍数体植物種の生産や作出にも用いられていたことか。例えば種なしスイカの作出などに。
今は市場でほとんど見かけないが、30年ほど前になるか「種なしスイカ」がもてはやされた時期があった。
包丁を入れても種がない。
どこから食べても果肉だけ。
確かに便利で楽だったが、同時にあの「ピッ、プッ」と種を豪快に飛ばす楽しみもなくなった。そのせいということもないだろうが、最近種なしスイカを見たことがない。
未曽有の被害をもたらすか?台風が来ている。
里山の暮らし473 2019.10.11
I wanted to ask if you are the author of the page about plants
in books about Anne Shirley?
前回のテーマ「森のピアノ」の続き
森に捨て置かれたピアノを弾き、幼いころから音楽に親しんできた主人公のカイは、阿字野の指導のもと困難な状況にも負けず努力を続け、5年に一回開かれる「ショパン・コンクール」で優勝する。カイは、自分の将来には、恩師である阿字野壮介がピアニストとして存在することが不可欠だといい、世界的なミュージシャン・ハンドドクターに阿字野の左手の手術を依頼する。
カイと共にリハビリに励むこと約二年。阿字野は、若い時の演奏を上回る印象的なカムバック・コンサートを成功させる。
阿字野とカイの「2台のピアノのための協奏曲 ラヴェル作曲・ラ・ヴァルズ」の場面が、演奏の導入部分で終わっているので、よけいに印象が深
まる。(漫画を読んで涙が転げ落ちそうになったのはおそらく初めて。)
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作品にある、ショパン・コンクール(正確にはフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール)が開催されるのは、ポーランド。
ポーランド生まれの作曲家でありピアニストの「ピアノの詩人」とも呼ばれるフレデリック・ショパンの音楽の神髄を謳う後継者を発掘するコンクール。したがってコンクールで演奏されるのはピアノのみ。
課題曲は全てショパン作品で占められている。
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前置きが長くなりましたね。
ポーランド --- ワルシャワ --- ワジェンキ公園----と思いを巡らしていた私の元へ、ポーランドから一通のメールが届いた。
なんという同時性だろうか。メールの内容は掲題の通りで私のWeb Pageを見て連絡してきたのだった。
”I am from Poland and I run a similar website. I would like to
exchange experiences.”
おお喜んで!しかし英語が心もとない。そう書き送ったら、
”Thank you for your answer. Unfortunately, I don't know
Japanese, but Google Translate currently allows me to read Your
texts.Your work is really impressive.”
こうきたね。
はは、嬉しいぞ。英語の専門用語など分からないから挨拶程度で始め、本論は翻訳しやすい単純な日本語の文章を積み重ねればいいわけだな。「あなたが英語が不得意なように、私は日本語ができない」。このスタンスがいいな。植物が好きなのだから、関係はイーブンであると。
新しくできたポーランドの友人のWeb Pageのアドレスは
<
https://zielnikmontgomery.blogspot.com/search/label/gatunki
>
植物学者の彼の名前は「Stanisław Kucharzyk」.。発音が難しいので、「ポーランドの人」というフォルダにこれまでのデータを仕舞ってある。
追記
上のページを試しに「ポーランド語→日本語」へ変換すると、構文の作り方に大きな違いがあるのか、はちゃめちゃなってしまう。そこで「ポーランド語→英語」へと翻訳してみた。-----よし!これでこの「難しい名前」氏が言いたいことが伝わってくる。仲介語としての英語の力を再認識した。
里山の暮らし472 2019.10.4
どっぷりと

いつから漫画に熱中することを忘れていたのだろうか。1980年代の『銀河鉄道999』、『キャンディキャンディ』、少し後の雑誌『なかよし』に連載されていた『ちびまる子ちゃん』以来だからもう30年になるかもしれない。
図書館から漫画を(今はアニメというらしい)を借りてくるのは初めてのことだ。
『ピアノの森 -The perfect world of KAI-』(一色まこと作)
今はこのアニメの原作とNHKで放映されるドラマにどっぷりと浸っている。
私生児として生まれ劣悪な環境で育つ主人公の一ノ瀬海は、小学5年生の時、ピアニストを目指す雨宮に出会い、前後して交通事故で手を痛めた元天才ピアニスト・阿字野壮介にその才能を見出されピアノの世界に引き込まれていく。
この漫画を読んでいると(漫画は見る、なのか?)酸化しうす茶色に変色した本から、ラフマニノフやショパンの音が聞こえてくるような気さえしてくるから、不思議だ。
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青しその穂ののしょうゆ漬けを一年分こしらえている。
生えている場所によって収穫する時期が違うので、朝ごとに伸びた穂を触っては感触を確かめ、扱いて家の中で乾燥させしょうゆ漬けにする。それも一年分!
この時ばかりは、減塩醤油ではなくて普通の醤油を使う、それも奮発して有機丸大豆特級の醤油を。
今日もクルミを45個拾ってきた。これで160個になった。可愛い鳥のためなので適正在庫などない。多ければ多いほど良いのだ。。 |
里山の暮らし471 2019.9.30
上を向いて歩いていたら、落ちてきた
鬼くるみ
台風の余波が吹き荒れた今朝、近くの樹まで野鳥のためのクルミを探しに行った。
ヒマワリの種が、この冬の鳥たちの餌にはすこし足りない。
頭を悩ましていたところのこの落果さかん状態は、まるで天から「マナ」が降ってきてようだ。
違うのは、毎朝ではないこと。おそらく明日の収穫が今年最後のものになるだろう。
緑の皮をむき、中身を乾燥させてこの冬に備えよう------なんであれ収穫があると、今日はいい日だったと思えてくるから。そうそう、クルミの皮を乾燥させたものは、草木染の材料になるらしい。
林に山栗も落ち始めている。忙しくなりそう。
白花ホトトギス
里山の暮らし470 2019.9.25
聖性の象徴なのに---- 「蓮っ葉」という言葉があった
映画やテレビで「蓮っ葉」なる言葉を聞いていたのは、もう何十年も前になるだろうか。
最後にこの「蓮っ葉」を聞いたのはいつか、もう思い出せないほどだ。
蓮っ葉とは、「女性の態度や動作が下品で慎みのないこと。転じて、思慮の浅い軽はずみなこと、言動の慎みがなく、浮薄なことをいうようにもなる。」と日本大百科全書にあった。
思慮が浅いかぁ、そうかもしれないとわが身を振り返ってみる。
「はすっぱ」の由来には諸説あるようだ。
春、最初に出る二枚のハスの葉は水面に浮き、地中の根と繋がり錘の役目をさせている。ところがこの小ぶりの葉は、スイレンの葉のように水面に浮き、漂っているように見えることから、思慮が浅い女性と結びつき「蓮っ葉」と言うと。
もう一つは、江戸時代の大坂(大阪)の問屋が、接客婦を蓮葉女というようになったというもの。お盆飾りに使うハスの葉は、短期の需要がある---臨時にお客の相手をする---だから蓮っ葉。
ハスの花も葉も女性名詞ではあるが、ちょっとね、引っかかるものがあるな。
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那須高原の秋の味、地元洞島産の津軽リンゴが産直のお店に出てきた。
ひとつ50円。
出始めの珍しさもあってサクサクおいしい。
秋イチジクがでてくるのももうすぐだろう。
ジャムづくりに忙しくなる。 |
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トマトの袋にカタカナで「キズ」とで書かれてあった。5個100円
哀れなり、このトマト。
作った人は泣きたい気分だろうに。キズだって!
天水が多いとこのように尻割れしてしまうが、味には変わりがないのに。 |
・ 初りんご積まれてあればその隙の矩形の空のほのか明るむ
里山の暮らし468 2019.9.6
泥の中から咲く花は ハス (スイレン科の多年生水草)
ヨーグルトの蓋を開けて、裏に付いているヨーグルトを舐めますか?
人目がないときは、嬉しがって蓋を舐める----後ろめたさなんてほっとけ!
他人の目があるときは、スプーンでこそげ取ってからやっぱり舐める。
これが長年の習慣だったが、最近はこの隠れた楽しみが無くなってしまった。
「ロータス・効果」が日常の暮らしに浸透してきて、ヨーグルトの蓋に撥水性アルミニウムが使われるようになったからなのだ。
ロータスとは蓮・ハス。ハスの地下茎が肥大したものがレンコン。
大きな葉は水の上に立ち上がり、花を咲かせ栄養を蓄え、秋の終わりには蓮根・レンコンにと生長する。
ハスはこんな仕組みを持っている。
水中の泥の中にある地下茎(レンコン)から長い葉柄を伸ばし、水面の上に突き出しその先に葉をつける。
ハスの葉の中央部には小さな穴が開いていて長い葉柄につながり、その葉柄にも空洞があってそのまま地下にあるレンコンの穴に連結している−−−連絡通路みたいに。
この空洞や穴の役割は、呼吸すること。レンコンは葉と葉柄を通して酸素を得ているのだ。
ハスの葉が汚れて、葉柄から地下茎であるレンコンまでの酸素供給のラインが絶たれると、おおいにハスは困ることになるのだろう。
その困った事態を避けるために、ハスはワックス成分を葉の表面に分泌し、表面には微細な毛に似た突起物をつけている----このワックス+目に見えない細かい突起物の働きで、ハスの葉は水を弾き、玉となった水は表面張力によって水銀の玉のよう丸まり、泥や昆虫や葉にとって邪魔な異物を絡めとりながら転がり落ちるというるというのが、あのコロコロした水玉の正体なのだ。
これがロータス効果(Lotus effect) (「Lotus-Effect」と「ロータスエフェクト」は登録商標)
材料工学において、ハス科の植物に見られる自浄性を指す用語で、最近は塗料、屋根材、布などの表面にロータス効果を与え表面を処理していると聞いている。
蜘蛛や蟹の脚の動き方が、ロボットの動作に応用され、トンボの体の構成が、飛行機の設計に参考になるように、脳を持たない動植物の生き方が人間社会に役に立つ例の一つだろうか。
いやいや、人間社会に役に立つとは、傲慢な言い方だろう。繁殖と子孫繁栄に全力を上げていることを尊重すべきなのではと、ころころ転がる水玉を観ながら考える。
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ハスの花 右下は花が散った後のハスの実
如雨露の口を「ハスグチ・蓮口」と呼ぶのはこの様子から。 |
ハスによく似ているがこれはサトイモの葉 |
またサトイモ(里芋)の葉でも同じような効果が見られるようだ。
『万葉集』にはこうある。 http://kemanso.sakura.ne.jp/umo.htm
・蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし 長忌寸意吉麻呂 巻16-3826
(戯れに自分の妻を芋の葉と表現している!)
主にインドやネパールで信じられているヒンドゥー教では、ハスの花は純粋さや善性の象徴とされている。また中国や日本では「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言い慣わされ、花は仏教で蓮華(れんげ)」と呼ばれ
る極楽浄土を象徴する花。東大寺の大仏様が座っているのが蓮華座。
里山の暮らし467 2019.9.1
那須科学歴史館 開館記念講演を聴いてきた
講演のテーマは「蓄音機の歴史とSPレコード鑑賞会」
副題は、蓄音機の発明からデジタル・オーディオまでの概略史
 |
まず、エジソンの円筒型蓄音機についての説明があり、次いでベルリナーの円盤式蓄音機が発明され、現在の世界的企業ビクターが成立過するまでの過程が語られた。
講演の中で一番印象的だったのは、エジソンの発明した蝋管式蓄音機を発展させた
Edison Standard Phonograph 1905
が再生する音を聴けたことだ。
ややかすれる部分があるものの、音そのものがある形となって飛び出し、周囲の空気を切り裂く、と言ったら想像
できますか。
左写真がそれ。明るい窓を背に置いてあるので、こんな写真しか撮れなかった。
もちろん、またとない貴重品なのでを配置を変えることなどできない。
エジソン(Thomas Alva Edison
1847〜1931)が初めて蓄音機を製作したのは1877年。
電話用送話器の振動板を利用して、蝋を塗った紙製のリボンに声の波形を刻み込み、その音を再生する実験に成功した。
その後、この録音再生装置の発想を展開させ、円筒形のドラムを備えた蓄音機を完成させたのが、JohnKruesi。1877年のことだった。
ちなみに初めて録音されたのは、童謡のあの
"Mary had a Little
lamb" メリーさんのひつじ、ひつじ----だった。マザーグースから採られたのが面白い。
|
http://www.tzwrd.co.jp/index.html
那須科学歴史館 館長・田澤 勇夫氏 有限会社 田澤R&D技術士事務所
博物館ではなくて、歴史館として-----動態保存されていることに感謝の思いが湧いてくる。
里山の暮らし466 2019.8.27

Quena 風の音
 |
居間の目につく場所に、らせん状に編まれた皮のケースに入ったケーナ
が置いてある。
ケーナは南米で広く用いられている竹の笛。
長く素直に成長した竹の節と節のあいだをスポンと切り取って磨き、吹き口を切り、音階用の穴を七つ空けてある。
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ただそれだけ。この笛がケーナ。あの名曲『コンドルは飛んでいく』に響いている笛なのだ。
時おり唇に当ててみる。
舌を丸め細い空気の筒を、ケーナの中に吹き込んでみる。
ケーナの内側に当たった空気は中で響きあい、あの風にも似た音が出てくる。1980年代初めの3年間、相棒は南米アンデスの山の中にある会社で、製管法に関する技術指導を行っていた。
その後めでたく社業は発展し、20周年記念日に招待されたおり、かつて製造技術を教えた現場の人たちが、お金を出し合ってこの二本のケーナをプレゼントしてくれた。
現場作業員代表のペドロがまず一曲、そして次の曲と続けて目の前で吹いてくれたあと、手渡してもらった時は、若き日のあの努力が実った喜びに思わず涙がこぼれそうだった、と今も言う。
その日、エクアドル国の発展に貢献したお礼にと、大統領から感謝状も贈られたが、それよりもこの二本のケーナの方がずっと心に沁み込む思い出となったようだ
。

地元を中心に活動し、遠くはアルゼンチンまで遠征している南米民族楽器演奏家・高山直敏さんの総監修による、南米フォルクローレ音楽の祭典「音魂祭」が今年も開催され、暑い一日お弁当を持って出かけてきた。
< https://www.pentagrama.jp/音魂祭/
>
音楽は音を楽しむもの、詞も詩もその言葉そのものの響きを感じるもの、共に演じ感じることで今の時間を共有し、喜びを共にするもの----演奏者と観客が一体となって音を作り出した晩夏の一日だった。
付近にはすでにススキの穂が出そろっていた。
はるけくもアンデスの風の笑ふ時ひとつなるべし愛しと哀しは
里山の暮らし465 2019.8.20

敗戦記念日に蓮の花が咲いた
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レンゲショウマ
裏庭で蓮華升麻が台風の風に揺れている。
キンポウゲ科、レンゲショウマ属の多年草で日本固有の1属1種の植物。
俯いて咲く花が蓮に、葉がサラシナショウマ(晒菜升麻)に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がある。
蓮の花の咲くお盆に初花をつけたのもなにかの引き合わせなのだろうか。
那須の板室温泉の奥にある深山湖と、その上部にある沼原湿原の間の斜面の、湿ったやや薄暗い林床に大群落を作っているという噂がある
。
そこはツキノワグマとスズメバチに対峙する勇気のある人に許されている花の極楽らしい。
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キツネノマゴ
キツネノマゴ科キツネノマゴ属
雑草だけど、憎めない顔をしている。
沖縄以南の熱帯には「キツネノマゴ」ならぬ「キツネノヒマゴ」が生育している。
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シソ科シソ属の植物、ですね。
朝夕、葉先をちぎってきて、浅漬けにもみ込み素麺の薬味に使い、9月に入ると穂を採取してシソの実のしょうゆ漬けにする。
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里山の暮らし464 2019.8.15

さくらもみじに ピアノが響く
例年、夏休みの一日、近所に別荘をお持ちのピアニストが「ホームコンサート」を開いてくださる。
ピアニストご本人と、シャンソン歌手、テナーの歌い手さんたち6人揃ってのコンサートは、今年で9回目。音楽関係のご友人が遠くは千葉県からもおいでになるようだ。
今年の演目は
ピアノ連弾 |
動物の謝肉祭より「白鳥・終曲」 サンサーンス
死の舞踏 サンサーンス |
ピアノ独奏 |
ロンドイ短調 KV511 モーツアルト |
シャンソン |
さくらんぼの実る頃 詞 クレモン 曲ルナール
私の欲しいもの 詞・曲 バルバラ
リヨン駅 詞・曲 バルバラ
私の神様 詞 ミシェル・ヴィオケール 曲シャルル・デュモン
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独唱 |
ああ愛する人の 曲ドナウディ |
二重唱 |
ウェストサイド物語より トゥナイト 曲 レナード・バードスタイン |
独唱とピアノ |
悲しみ 可愛い口もと 曲トスティ |
ピアノ二重奏 |
くるみ割り人形より 中国の踊り・花のワルツ チャイコフスキー |
30人も入ればいっぱいの居間なので、ぎゅうぎゅう詰め。互いの身体が触れ合って同じ時間を共にしている----という非日常の感慨がある。
独唱するとき、螺旋階段の3段目に立って歌ってくださった主催者のOさん。
おしゃれなサンダルから覗いている足のペディキュアの色が、5本の指それぞれ違っていた。
都会の人はこんなにおシャレなんだと、田舎に住む私はふかく感じ入った。
生の音楽は心にも身体にも響く。
来週は南米音楽のお祭りに出かける予定だし、来月は地元の音楽家による「リコーダー、オーボエ、チェンバロの演奏とお話し」と続く。
来月の曲目は、「たいまつのブランル」「最愛のイエスよ、われらはここに集いて」「少年時代」エーデルワイス」私を泣かせてください」「天使のナイチンゲール」などとあった。
庭木の剪定の時期だが、これは無理をしてでも出かけなくては。
名前それは---Every Vegetables has a beautiful name. A
beautiful name, a beautiful name -----
じつはゴダイゴが好きだった。
今日も猛暑日。あんまり暑くて胸が悪くなる。友人知人は口を揃えて
「そちらは涼しくていいわねぇ」とおっしゃるがなんの。
ためしにこの1週間の最高気温を平均してみると、35.05℃だった。
これでは那須高原の名前がすたる。高原を名乗るなんて詐欺だ!観光課の陰謀だ!
とエクスクラメーションマークを並べて騒いでみても、涼しくなるわけではないし、ここは家にこもって読書三昧といこうか。
しかし、読書にも体力がいる。目に入った字面は頭の中に入らずに、頭の上を滑ってばかり。
そこで思いついたのが、種苗会社のカタログだった。
あのね、野菜の名前って面白いのよ。
蕪・かぶには、スワン わらべ ひかり もちばな ゆきばな 福小町があり、
牛蒡・ごぼうには、サラダ娘なんていうのもあるし、
ほうれん草には、サラダあかり なぜか強力オーライがあって
大根には、総太り 三太郎 桜風 つや風 おしん 春神楽 白肌美人 いいなずけ でん太がある。
おしんはあのドラマから、でん太はきっとおでんに使うのだろう。
ネギには、小春 ホワイトスター 冬わらべ。
辛み大根はその名のとおり辛之助が。
キャベツには、夢舞妓 夢舞台 おきな あさは があり、
人参はやはり馬か。優馬 翔馬 恋ごころ 恋むすめ Dr.カロテン くれない ピッコロ
白菜を忘れていた。きらぼし 黄ごころ ほまれ だって。
野菜の種のネーミングは単刀直入タイプと、なぜか夢見るタイプがあるようだ。
地元の農家の皆さんは、このカタログを見て、毎年新種の野菜を栽培して顧客の反応を見ている。
フラクタル図形を描くカリフラワーの「ロマネスク」は何年か道の駅に出てきていたが、最近は見かけない。トウモロコシは毎年新しい名前でデビューしていて、いまはゴールドラッシュやピュアホワイト、味来がはやり。採りたてのトウモロコシの美味しさときたら、この1本で35℃を許せるくらい。さて、今日も野菜から元気をもらおう。
種苗会社には、西のタキイ、東のサカタ種苗、野菜の種の東北シードなどさまざまある。一番気になるのは「アタリヤの種」。このアタリヤの種はまだ蒔いたことはないが、なんだか「当たるも八卦当たらぬも八卦」を思い出す。名前って面白い。

槿・ムクゲが咲きそろった。
大阪に住んでいた時の隣人から、10センチほどの差し木苗をいただいたのが、こんなに大きくなった。
里山の暮らし462 2019.8.6

実るほど頭を垂れるひまわり
野鳥のえさ場からこぼれ落ちた西洋ひまわりの種が、そのまま発芽して大きな花をつけたのが、この7月中旬のことだった。
ある朝のこと、昨日まで3メートルの高さで立っていたひまわりの花が、すっかりうなだれてしまっているのに出会って、(毎年のことなのに)びっくりした。
花首の重さは約2キロ。重い。重いから下を向いたのか?
こんなに大きくなったのも、重たいほどの花をつけ、種が熟すまで生長できたのも、みんなお日様のおかげです。
と感謝の気持ちを表している、のではもちろんない。
うなだれる理由はいくつか考えられる。
うなだれうつむくことで鳥たちの餌になるのを防ぐため------かもしれない。
一番有力なのは、雨を避け夜露を防ぐために下を向くのではないか。
ひたすら種を充実させるために、うなだれて身(実)をひそめるひまわりの姿を見るたび、なんとか自分の命をつなごうとするひまわりの意思を感じる。
「えらいよ、みんな。種を残して増えたいんだよね」。
と声をかけてやる。
このあと、花首を切り取り手で脱穀し乾燥させ、冬の間の野鳥のえさにする仕事が待っている。
長雨で道の駅のひまわりが不作らしい。この秋はクルミ拾いに出かけよう。
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すでに→の場所の種が鳥に食べられてしまっている。
犯人はカワラヒワ。
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*
今日は八朔。
栃木県の那須地方にはこんな風習が残ります。
この地方では8月1日を釜蓋朔日(かまぶたのついたち)と呼
び、地獄の釜の蓋が開くとされる日。ご先祖様が、蓋の開いた釜を順々に飛び出し、精霊となっておのおのの家に帰ろうとする日だと言い慣わされています。
地獄からの生家までの道は遥かに遠く、一日(朔日)に出発しなければお盆には間に合いません。
暑いさなか、ひたすら魂の還る場所を目指して急ぐご先祖様の疲れを癒すために、用意するのがこの
「地獄の釜の蓋饅頭」 (今年穫れた小麦粉の皮に炭酸と黒糖を混ぜ、中に小豆餡を詰めて蒸したもの)
本来は、毎日一つずつ食べれらるように、お盆までの13日間のぶんの饅頭をお供えするようです。
茄子や芋の畑 で耳を澄ませると、ご先祖様が歩みを進める音が聞こえると、土地の古老は言います。
ご先祖様はこのお饅頭のほかに、茄子をかじったり凝りつつある里芋を掘り出してし食べているのかもしれません。
(*これは2017年8月1日の日記から抜粋したもの。
この「地獄の釜の蓋饅頭」について詳しくお知りになりたい方は当日の日記を開いてください)
里山の暮らし461 2019.8.1

おまめちゃん 茄子デビュー

いつもよくしてくださるお隣の別荘の方から、「おまめちゃん」をいただいた。
「煮豆のツヤだしに、漬物の色出しに」と効用が書かれてある。
小さい箱の中には、鉄のはずなのにシルバーに近い色の「おまめちゃん」が一つ。
お豆を煮る、形がそら豆に似ている。この二つの意味をかけてある「おまめちゃん」。
こんなにニッチなプレゼントは、本当にうれしい!
* ああ、愚かだった。さびていない鉄は銀白色なんだって。もっと濃い色を想像していたのに。
ならば、漬物の色出しに使った後は、水と反応して黒くなるわけだな。
里山の暮らし460 2019.7.26

あんまり長い梅雨なので
梅雨の長雨にしても、これではあんまり長すぎる。なにしろ照り付けるお日様の顔をひと月近くも見ていないのだから。
チカチカと細く小さく降り続く雨を見ていると、なかなか上を向いては歩けなくなる、ここは気合の欲しいところだ。
ようやく乾いたタイプの「ちりめんじゃご」が手に入ったので、冷凍してある「山椒の実」を使ってちりめん山椒を作ることにしよう。(あのぐんにゃりした「シラス干し」はあまり好きではないので)
いつものように作り方は適当。
「大きいプライパンに水、酒、みりん、しょうゆを少々入れて温め、湧いてきたらちりめんを加えてかき回す。煮汁が無くなりそうになったら冷凍のままの山椒の実を
加えて混ぜ、水気が無くなるまで煮つめて仕上げる」-----このとおり。
この作り方だと、ピリピリの度合いは最大だ。
山椒の実は収穫後茹でて水に晒すとあの独特の辛みはやわらぐ。
しかし、いっとう辛いのが好きな我が家では、青いままで---そのまま使うことにしている。
さあ、お昼は冷ややっこ。
里山の暮らし459 2019.7.20

ラジエーター式水冷システム ---- 副産物はちいさいキノコの列
今朝の新聞にこんな記事が載っていた。
「気化熱を利用した小さくて持ち運びのできるウォータークーラー、7980円」
「家中どこでもひんやり快適に!」「涼しさ持ち運べる小型クーラー」 重さは1.1Kg,卓上型。
平たく言えば、大きな皿に水をいれ後ろから扇風機を回して周囲を冷やす、という仕組みらしい。もちろん、内部にはフィルターがあって、ごみや塵を取っているらしいが。
はるかはるか昔のこと。
初めての子供を宿し、ぷくぷくに膨らんだおなかで過ごす羽目になり、すっかり体調を狂わせた夏のことだった。なにしろ夏も普通の布団で休んでいた田舎で少女時代を過ごした私、暑さにはめっぽう弱く
、都会の喧騒と体がひしゃげるような灼熱の日々に疲労困憊していた。
見かねた相棒 (まだ20代だった、おそろしく若い。いまや想像できないほどだ) が言った。
「よし、僕がクーラーを作ってあげるから」と。
「誰かさんが嫁入り道具に電子レンジを持ってきたらしい、20万円だって。」 こんなうわさが飛び交っていた時代だった。
20万円といえば当時の男性の初任給の約3倍!まして家庭用のクーラーなど夢のゆめ。ゆめまぼろしの話だ。
手順はこうだ。
まず手に入れるもの----自動車のラジエーターのお古、枠組みを作る材木、扇風機、水用のゴムホース。
中古のラジエーターは懇意にしている関連会社の人からもらい受け、近所の建築現場から廃材を引っ張ってきた。扇風機は何とか持っているし、ゴムホースは買ってくればいい。
すべて材料は手に入った。ラジエーターをはめ込む枠を廃材で作り、ラジエーターの中に不凍液ならぬ水をゴムホースで流しいれ循環させる。そのあと排水を風呂場まで誘導するホースを設置した。
それから、扇風機の出番だ。水を流し入れ無骨なこのラジエーターセットの後ろから風を送ると、ややや。ほのかに涼しい風が部屋の中に流れるではないか。
嬉しいことに、住んでいたのは一軒家の社宅で使っているのは井戸水だった。使い放題で夏でも冷たい井戸水だった。
ちょろちょろ。一日中井戸からの水が流れる音が聞こえてくる。気分だけでも涼しくなる。---実際涼しかったが。
こうやって夏を乗り切ったあの年を、貧しく始めた新婚時代を今朝の新聞記事で思い出した。ああ、あのオカシナ形の水冷式クーラーの写真を残しておけばよかったのにな。にっこり笑った写真よりもずっと暮らしの記録になったのに---。
さて、その社宅を出る時が来た。あの水冷式システムを取り去った後、いつの間にか漏水していたのだろう。畳が膨らみ小さいキノコがびっしり生えているのに驚いた。
なに、住民が出るとすべての畳を新しくすることになっていた社宅なので、これもいい思い出だけど。
でも、その畳の下の根太が腐っていたかどうか --- これは記憶にありません。
いま、全部の部屋にエアコンを設置し、暑い日寒い日をしのぐことができる生活を送っている。
あのころの若さは失ったが、貧しさは根づよく残っている---どうかな、これは考え方次第だろうか。暮らしへの満足度は心の持ち方に影響されるようだ、ブータンの例を見るとね。
思えば、このころから相棒の性格が日々の暮らしの中で顕著に現れてくるようになったようだ。
問題が起きると、なんとか解決しようとあの手この手を探ってみる。そして、それを無理やり実践する。
次第に過剰な自信を持つようになり、根拠に乏しい方法論をかざすようになった。したがって否定されることが大嫌い。
だからちっとやそっとで神経を病むことがない。
でも、その性格で修羅場をいくつかくぐり抜けてきたのだから、良しとすべきか。
(*
この「建築現場の廃材」には後日談がありまして、体調の回復した私、大きなおなかで廃材をもらってきては風呂場の焚口にしゃがみこみ、夜な夜なお風呂を沸かしたのでした。なんという昭和な日々よ。)
里山の暮らし458 2019.7.15

「やませ」が吹いている
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寒さの夏は
涼しい日が続いている。
今朝の気温は16℃。林にはうっすら霧がかかり、深い緑色に変わりつつある樹々に、突っ伏して鳴く蝉の姿がまだ見られない。静かだ。
学生時代の社会の時間に「東北では夏にやませが吹く。冷害をもたらすこともある」と習ったのを思い出した。
その東北に自分が住んでいるのがいまだに信じられない。
(那須は東北ではないけれど。
関東の北で東北の南 ---- 関東の尾で、東北の頭 --- 近くにその名前を取った尾頭トンネルがある)
7月というのに、昨夜は毛布をかぶってテレビを観ていた。しまい込んでいた厚地のパジャマを出してきて快適だった。
そのせいか、ブルーベリーに甘味が乗ってこない。
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今年の蝉の初鳴きは7月4日だった。
いつもなら朝と夕べ、時雨が降るかのように鳴きわめくヒグラシが、その朝の一時だけ声を聴かせてくれた。
その後なんの音沙汰もない。
抜け殻が一つ。
アメリカシオンのつぼみにぶら下がっていた。
蜩 (ヒグラシ カナカナと鳴く) |
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おいおい。
そんなにじっと見つめられると、なにか悪いことをしたような気になるじゃないか。
アマガエルよ。
狭いところが好きかい。
こいつ太っているなぁ。
コルチカムの緑の葉の間に挟まって、昼寝をしている。
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里山の暮らし457 2019.7.10

ひと月早い七夕様

子供のころは、旧盆と同じようにたなばた様は8月7日にお祝いしていたが、大人になってからは、もっぱら新暦の7月7日にお祭りすることにしている。
昨日の夕方、隣の土地から笹を切ってきて慌ててお飾りを作った。
なにしろ貰い物の折り紙を利用するので、出来上がったものに「市内循環バス」などという言葉が読み取れるのが、今年のやっつけ仕事を象徴するようでおもわゆい。
年中行事を滞りなく行うと、気分がよい。
いままでうっかりしたり、面倒だったりしてスルーした年は、家族になにやら良からぬことが起きたような気がする。
家内安全。とも書かずに単に飾るだけのお祝いだ。今夜は晴れるのを祈っていよう。
なんとか元気に暮らしていて、今日が明日に続きますように、との思いから、なにも願い事を書かないでいる。
本当に神様のご加護をお願いするときまで、それは封印しておこう。
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百合が咲き始めた。
園芸上は「マルコ・ポーロ」という名前を持つ百合。
いい香りが立ち込める。
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これは珍しい。
白花のフシグロセンノウ。 |
里山の暮らし456 2019.7.7

今年もまたアンズのジャムづくり ---- 梅雨の合間にしていること
長野市の善光寺の鐘の音が聞こえる場所に育つアンズは、特別な味がする。
こんなコピーに乗せられて、毎年この時期に出回るアンズをジャムにしている。
今年は出回りが順調で、おのおの果糖15%、18%、20%で仕上げて味くらべをしているところ。
今日でその仕事もおしまい。
400g入りのパックを10個冷凍庫に並べて入れ、おおいに満足している梅雨の晴れ間の午後であります。

おっと。早生のブルーベリーの収穫を忘れていた。
湿気と暑さを我慢し、スズメバチやイラガの恐ろしさに目をつぶり、今日までの収穫は約5キログラム。
初物を友人にお分けし、残りは400g単位でこれもまた冷凍庫へ。
去年のブルーベリーがまだ冷凍庫に残ったままある。それも8キロも。
この分では、今年産のブルーベリーが朝食のヨーグルトを飾るのは、そうだな---10月くらいになるかなぁ。
里山の暮らし455 2019.7.3

ああ、いなくなっていく子供たち ----- 猫は夜中に
、カラスは朝夕会議する
幸いにも今日はいつも来る野良猫が顔を見せなかった。
それを知っていたのかどうか、今朝、隣の家の屋根の上で開かれているカラス会議を横目に、南庭のシジュウカラたちが巣立っていった。(前回の日記、右側の写真)
7時半。朝食を摂っていると相棒が、「シジュウカラが飛んでいく!」と叫んだ。
箸を投げ捨てカメラ片手に庭に飛び出す。
狭い穴から小さい頭をのぞかせたかと思うと、ひょいと空中に羽ばたいていく雛たち。 規則正しく30秒ごとに。
頭の上では親鳥が---あれはきっと叱咤激励しているのだろう、巣立ちの朝特有のかん高い声で騒いでいる。
「おおお、そんなに早く出ていかないでよ」「あわぁ、まただ」「お願いもっとゆっくり旅立って」。
カメラを持つ手が揺れる。 うまく撮れない
そしてもぬけの殻となりました。
「ああ、良かった、今年も何事もなく巣立っていった」。 無事に旅立って良かった!に残念な気持ちを押し込める。
ガビチョウのつがいが巣立った雛たちの後を追い、雛と一団になって、さも嬉しそうにあたりをぐるぐる飛び回る。幼い雛を守ってカラスを見張っているのかもしれない。
すぐ上の山桜の木の枝に7羽が集まり、ひとしきりささめき声を聴かせてくれたかと思うと、母鳥の指示でもあったのか、林の中を集団で飛び去って行った。
 |
出入り口に足をかけ、勢いよく飛び出していく雛。
まだ幼いので、腹が黄色い。
巣穴の直径は25ミリ。
これ以上大きくするとスズメに巣を乗っ取られる。
しかし、太ったシジュウカラあり、痩せたスズメあり。
ままならない。 |
そしてそのあと。 (前回の日記、左側の写真)
東庭の巣箱の下で草取りに励んでいると、シジュウカラの雛たちの鳴き声が頭の上から降ってくる。まるで「明日は僕たちの番だ〜」とでも言っているかのように。
雛たちが足腰を鍛えるために、狭い巣の中を交代で歩き回っている音が聞こえてくる。
このぶんでは、どうも明日あたりに巣立つようだ。
さみしいな、とつぶやきながらしゃがみ込み、巣箱に背を向けたていたら、バサッと音がして後ろから背中に頭突きをしてきた鳥がいた。ヒヨドリだった。
シジュウカラの子育てを応援していたのか、巣箱の下で怪しい行動をする私を脅そうとしている。
なんということか! 鳥の分際で(笑)
ガビチョウといい、ヒヨドリといい、庭を縄張りとしている仲間だから?共同でシジュウカラの雛を育てている気分でいたのかもしれない。
明日、もう一つの巣箱が空になる。
ああ、来年までまだ一年もある。
里山の暮らし454 2019.6.26

先に生まれたのはどっち?
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左は東庭に、右は南庭に掛けた巣箱の中。
シジュウカラが今年も営巣を始めたようなので、待ちかねていた今朝はこっそり「ピーピング・トム」をした。
足元がおぼつかない場所なのに、脚立を持ってきてこっそり覗く。
巣箱ははじめから、ノゾキができるように作ってあるのがミソ。
親鳥が餌を持って帰ってきたかと、黄色い口を大きく開けてねだる雛が左に一羽いる。
ほかの子たちは、すわカラスの来襲かと慌てふためいているようだ。
ぐじゃぐじゃの団子状態なのが面白い。
右の雛たちは、危険を察知してみんな死んだふりをしている。
放射状に並んでいるのには笑える。
可愛いなぁ。
早く生まれたのは、右の雛たち。二日ほど早く生まれ、そのぶん知恵がついているといわけ。
みんなみんなうちの子、我が家の子。あと10日あまりで巣立ちを迎える。 |
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だんだん大きくなってきたな。
巣の中から「ぴよぴよ、ぴー」。雛が鳴く声が聞こえてくるぞ。
巣の上にオーバーハングしている利休梅を登って、思い切り巣箱の上に
ジャンプしてやろうか。
蓋をこじ開けてヤツらを食べる日が待ち遠しい。
いや、もう少し大きくなってからの方が食べ応えあるかな。
カラスのヤツがそうしているように、
待てば海路の日和あり----ここは我慢のしどころだ。
東屋に居座って巣の気配をうかがっている野良猫。
不敵なつらだましいだ。 |
里山の暮らし453 2019.6.20

いちご摘み
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ウェッジウッド社の定番、
ワイルドストロベリー
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雨を縫ってワイルドストロベリーの赤い実を摘みにでる。
触るとホロリと落ちてしまうので、下からすくい上げるように手を伸ばす。
何しろ小さい。 隣で熟し始めたブルーベリーよりも小さい。
ヨーグルトの飾りにさえも心もとなく、何回分かを集めてジャムにする。
ひたすら殖えたいのだろう、種がいつまでも残り、野の出自を言いつのる。
花言葉:日本では「尊重と愛情」「清浄」「無邪気」「幸せな家庭」。
ヨーロッパでは、「Lucky&Love」 アメリカでは、「Miracle」。
キリスト教では「正義の象徴」。 |
里山の暮らし452 2019.6.16

気になることを後回し
5月中旬から出かけた「シルクロードの旅」は、とても興味深い内容だった。
これはきちんとまとめておきたい、と考えてはいたが。
帰国して春花壇の整理と、夏への準備に思ったよりも手間取り、おまけにあの熱波襲来に今はすっかり意気阻喪してしまっている。
庭の花は季節を忘れず咲いているので、昨日今日は「花外交」の日だった。
写真は庭の花。姿がオカシイのは、私が腕に抱いたものを撮っているから。
こんな花束をいくつもいくつも配って歩いた。
デルフィニュームと、シャクヤクと。
どちらも水揚げが良くないので、ほんの二日ほどの命なのだが、この蛍光色を見せびらかしたいのだ。
旅の記録は今、ペンディング。
ただし、興味が膨らんでこの秋には大連と203高地の見学に出かけたいなと考えているくらい。
(とりあえず二人とも元気)

里山の暮らし449 2019.5.30

豊作の予感

デッキから手を伸ばすと採れる近さに。
庭をマルハナバチが飛び交い、下向きに白い花をつけたブルーベリーの受粉に忙しくしている。
窓越しにいつもの嬉しい景色が広がる。
ところがヒヨドリのヤツめ、椿の花の蜜を吸っていれば庭中平和なのに、わざわざブルーベリーの花をつつきに来ていた。
蜂のように身が軽く、ホバリングしながら蜜を吸えるのなら許してやるけど、ぶざまにも枝にぶら下がったり足でつぼみを蹴散らしていたり
しているではないか。
やおら窓を開けてヒヨドリに脅しをかける、元大阪人のワタシ。
「〜〜〜」、「〇〇〇〜」 と怒鳴る、それも大阪弁で。
(「 」かっこの中にどんな言葉が入るかは、個人のののしり言葉の豊かさによります。)
これを数回続けるとヒヨドリがどうなるかと言えば、
「あそこへ行くと大阪弁をしゃべる怖〜いおばちゃんに怒られる」と刷り込まれるようだ。
以後夏から秋にかけての収穫の時期に、いたずらされることは少なくなる。
毎朝50粒ずつ消費し続けてきたが、冷凍庫に去年のブルーベリーが残っていて・・・それも10キロ近くも。
この分では、6月の早生から始まる今年の収穫を口に出来るのは、おそらく9月を過ぎるだろう。冷凍庫の満杯状態はまだまだ解消できないようだ。困るような困らないような。
▽ 大阪弁で思い出した。ここ那須は関東地方から移住してくる人が多く、われわれのように大阪から、というのは珍しい存在らしい。
ある日のこと、図書館の読書会に初めて参加した朝にこんな出来事があった。
古参のメンバーは、関西から来た私をまるで珍しい動物でも見るように舐めまわし、次々に口を開いた。
「大阪の人はいつも飴を持って歩いているの?」
大阪のおばちゃんはいつも飴を持って歩いている、というイメージが定着しているようだ。その朝私はのど飴を持っていたが・・・。
「大阪の人は服装が派手でおしゃべりなのはなぜ?」
はぁ。私は派手ではないけれど、お喋りではあるなぁ。
「大阪のひとのなかには、いやになれなれしい人が居ますよね」
栃木には海がない・・・・よそ者との間に隔たりを作りがちな栃木人には、あのテレビの大阪人の喋りは気に障ることがあるらしい。
もっとも自己紹介で「大阪人は人間距離が短いのです。私もそうかもしれません。ですから失礼があったらお許しくださいね。」なんて謙虚な挨拶をしてしまったからか。
「でも人情に厚く正義感の強い人が多いですよ。思い出すと懐かしくてホームシックに罹りそう」とかわす。
「とても言葉の汚い地域があるって聞いたけど。」と元編集者のAさん。
「ああ、そうですね。」、「どの地方もそうですが、そういう場所もありますね」
「ちょっとしゃべって下さいな、聞きたいゎ」 Aさん食い下がってくる。
困った私、「すぐに忘れてくださるのならOK,やってみましょう」と悪乗りし、大きな声で河内弁を話したのだった。
(私は河内の出身ではリありません。抽出した河内弁・・・これがいかに凄いか!)
皆さん、唖然!
きっと、みんなあれからあのショックを忘れていないような気がするなぁ。
さらに元編集者Aさん、
「大阪には鼻濁音があるのですか?」 追究の手を緩めない。
(おお自己紹介の場面でそれを訊くか。)(そんなことは後で話しましょうよ。)
「生まれ育った町にも大阪にも鼻濁音はありませんでした。がぁがぁうるさいかもしれませんね、私の発音は」と逃げた。
実はこちらに来てひと月ほどは、地元の中年以上のひとが話す内容が、聞き取れないことがあった。
フレーズの語尾をツルっと上げる独特の話し方や、ここでしか遣われない単語が出てきて困惑することもあった。
でも、今は栃木弁も大好き。というよりも栃木弁を話す友人を大事にしたいと考えている。
方言を貶める気はまったくない。その地域で育まれた文化が育てた言葉は、生活を背負った言葉。生きているのに必要だった言葉。子供のころは私もそうやって育ってきたのだから。
方言を話し、地元に根付いた暮らしをしているだれかれを思って、その人生の豊かさを想像してみる。
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牡丹が咲いてきた。 満開を観られないので、あちこち切り花にして届けた |
里山の暮らし450 2019.5.14

木の芽の佃煮

うかうかと甘い考えで近づき、返り討ちにあった。敵は若芽が伸びてきた山椒の木。
裏庭の山椒の木の芽(葉)を摘みに行き、こういうことには手練れだったはずの私なのに、鋭く生えているトゲに引っかかれ、手の平や甲に赤い筋が付いてしまっている。
ちくちく痛い。
棘は茎に直角につき、身のまわりにぐるりと張りめぐらせているので、どうにも防ぎようがない。
もっとゆっくり採取すればいいのだが、生来せっかち。
せっせっせと集め、せっせと傷を付けられてしまった。
成果がこれ。↑
早速佃煮にして味わってみた。湯豆腐によく合う。
ご飯のお供にぴったりだ。
山椒の葉 500g
醤油 100cc
酒 50cc
これを鍋に入れ、中火で煮込み、仕上げに酢を30cc加えて出来あがり。
おなじみのジップロックに入れて冷凍した。
庭の面に花ひるがへり巡りくる春のひと日を恩寵と思ふ
さくらまだ咲き残りゐる林より春ぜみの声そらに響めり
里山の暮らし449 2019.5.9

歯磨きは大事よ ハシブトガラスは言う

毎朝と夕、台所から出た生ごみを裏庭に掘ってある「ゴミ穴」に捨てている。
二年後には立派な堆肥になり、花壇に鋤きこめるようにと。
ガラリと音を立て裏口を出ると、それを松の木のてっぺんで見ていたカラスがすぐさま近くへ飛んできて、じっと私の行動を見ている。どうも奴はうちの庭を縄張りにしているようだ。
「カラスぅーー。今日はなんにもないよ」「野菜の屑だけだよ」と話しかけてやってもそのカラス、どうしても自分の目で確認したいらしい。私との距離が10メートルまで離れると、すかざずゴミ穴に頭を突っ込んで食べ物を探している。
カラスは賢い。人間の顔をよく覚えていて、一説にはその記憶は一生続くとも言われている。
だから、思わぬ逆襲があるので庭のカラスはいじめない。
後ろ頭をその鋭いくちばしで突かれる。
被っている帽子を持って行ってしまう。
うっかり置いたバッグを口にくわえて飛んでいく。
東屋でお茶したお客を見送っている隙に、残されたお茶菓子をさらっていく。
これは許せるが足の爪で食器類を蹴散らしていくのは困る。 ああ、ウェッジウッドが壊された---。
よく聞く話だ。
だから、庭のカラスには付かず離れず、適当な敬意を持って接することにしているが、肝心のカラスに伝わっているかどうか---きっと大丈夫だろうな。なにせ賢いのだからね。
カラスは情報交換をしているらしい。朝早い時間と夕方には、空の一画に集まり騒いでいるのをよく見る。
「あそこで土竜を捕まえた。」「明日はどこへ食料探しへ行こうか」
きっとこんなことを話しているのではないかと、(ヒマなワタシは)高い空を見ながら考える。
カラスの死骸が落ちている場所にカラスが群れているのを見かけることもある。あれは「なぜこの仲間は死んだのか」と分析しているのだという説もあるらしい。
原因は伝染病なのか、うっかり事故なのか、特定の動物に襲われたのか。こんなことを話し合い、日々仲間うちの情報を上書きし、よりよい明日
のために----将来の危険を回避するために学習しているらしい。
明日の予定を立て、仲間の間のコミュニケーションを図り、身近な人間に対しては個体認識をして行動を予知し危険を避ける。そんな能力もあるカラス。侮りがたい。
普通に見られるカラスは、ハシブトガラスとハシボソガラスの2種で、上の画像はハシブトガラス。
ぽっくりしたオデコが特徴で、鳴き声は高く鋭い。「かぁ、かぁ」
対して町中で見かけるハシボソガラスの鳴き声は濁音が強く「がぁ、がぁ」。厚かましい声だ。
このハシブトガラスは、ゴミの穴から食べ物を見つけたあとなのか、野鳥用に用意してある水飲み場でなんと、くちばしを漱いでいた!
里山の暮らし448 2019.5.4

ヤブレガサ 破れ傘 キク科ヤブレガサ属

まだ寒さの残る春のはじめ、裏庭の隅からふっくらした芽を出してくるのがこのヤブレガサ。発芽する音は----たとえれば「スポッ、ポン」か。
綿毛に覆われた若芽の姿は名前のとおりヤブレガサそのもの。
見るからに滑稽で毎年、「よく出てきたね」と声を掛けてやる。
中国では「兎児傘」---ウサギの子供がさす傘という名前がついていて、いかにもそれらしい。
「山でうまいはオケラにトトキ」、そうしてこの「ヤブレガサ」。
山菜として天ぷらや和え物に利用できるらしいが、可哀相で食べる勇気がない。ただ、見かけるとひとしきり笑うだけ。
大きい傘は大きく、小さい傘はそれなりに。破れた姿は可愛らしい。
ヤブレガサなどと言う名前を付けられてこのまま生長し、夏の盛りに地味な花をつけ、裏庭の隅っこで生を全うしている。
いいなぁ。
他人を気にせず恨まず羨まず侮らず絶望することなく迷惑をかけず暮らし、お日様の光を使って水を分解し酸素を発生させ、二酸化炭素を有機物に固定して----ひそかに地球の空気をきれいにする----光合成をして静かに暮らすのも良いかもしれない。
里山の暮らし448 2019.4.30

半径50メートルを歩きまわると
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山菜ことはじめ

今年の春の植物の現れ方はおかしい。
順番を狂わすことなく咲かせたり、新芽を出したりしていた身のめぐりが、なにかいつもの年と違っているような気がする。
生長する順番のカードをシャッフルしたら、ついつい手元が狂ってしまったのか。
シャッフルしたのは誰だろう。
この二日続いた、気温23度に刺激されたのか、もう山菜が出てきた。番狂わせもはなはだしい----。
今朝、半径50メートルを歩き回って収穫してきたのが上の写真。
一番上が「山菜の王様・タラの芽」、その下のぷっくりしているのが「山菜の女王と言われるシラキ・白木」。
それに自然木に生えてきた「椎茸」が左に。
獺の祭りのように、皿に並べてまず目で楽しもう。
今夜は収穫祭。山菜の天ぷら祭り。
里山の暮らし447 2019.4.24

勝手にサマータイム
今朝の東庭 もうすぐハナカイドウとリンゴが咲く

早起きしてしまうようになった。
それもそうだ。
関東最北部の、東北の入り口にあるわが家では、今の季節の日の出は午前5時。
まだ薄暗い3時ごろから野鳥が騒ぎはじめ、4時には明るさが窓の隙間から入り込んでくる。
とても寝てはいられない。
大阪との日の出時間の差は、約20分。東に位置するぶん朝が早く夕方も早い。
枕元に置いてある本など読んで時間をつぶしているが、身体がもう起きたがって起きたがって仕方がない。
だれだったか。春眠暁を覚えずって言ったのは。せっせと草取りなどした一日が終わり、夕食を済ませたあとの眠気と来たらもうどうしようもないほどだ。
「ああ、前世はきっと布団だったのだ」
「母の胎内にいるように暖かくて眠くて気持ちがいい」
「布団って正義だ!」
しだいに夏仕様になっていく----- セルフサマータイムのはじまり。
里山の暮らし446 2019.4.21

『妻のトリセツ』を読む夫のトリセツ
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ブームになっている『妻のトリセツ』を相棒が借りてきてこの数日読んでいる。
あるいはこの日常に閉塞感でもあるのだろうか。(誰だってあるはずだな)
本を読んで彼なりに、何か感じるところがあるのかもしれない。
この数日やけにこまごまと話しかけてきたり「そうだな」という返事があったりする-----これは大いなる変化だ。
「てきをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず」。
私もこっそり読んでみよう。
画像はアマゾンから
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この本は、夫婦間のコミュニケーションの難しさを「男女脳の違い」で説明している。
この単純な割り切りかたが読者に受けたポイントなのもしれない。
初めはげらげら、笑ってしまった。
・男はシングルタスクしかこなせない。
したがって現在手に持っている問題は一つだけにしておきたい。
・妻は夫に問題解決を求めているわけではない。「すべきだ」と相手の言葉をはじき返すことは妻に取って不愉快だ。まず理解を示したのちにやおら解決方法を
口にすべきだ。
共感できたのはここら辺までで、そのあとは「共感するふりをしよう」「記念日を大事にしよう」に始まる、いわゆるハウツウの羅列がほとんどだった。
ふむ、だから「トリセツ・取説」なのか。
「家庭に平穏を取り戻すために必読の一冊でもある」ってなんだろ。著者自身も女なのに、女脳を軽んじている態度に引っかかるものがある。かといって夫の男脳を尊重しているわけでもない。
双方の脳の表面を撫でて終わり。関係性の築き方に欺瞞を感じる。誰だったかな、「家庭の幸福は妻への降伏」といったのは。
次第にステレオタイプの物言いに疑問を持つようになってきた。そもそもこの本はインタビューした内容を文章に起こしたものらしい。話者の気持ちが高揚するにしたがって、先鋭的な物言いになってきているのが読み取れる。
ひたすら「対応に励む」ことは、肝心のコミュニケーションを無用にしていくような気がする。
もし、夫族がこの本の内容をそのまま実践するなら、精神が卑屈になるのを覚悟すべきだろう。表面だけの人間関係を築くことに終始し、
妻側の自制、自省を求めずに片方の努力に期待するのは、本来あるべき人間関係の基の問題から目を反らすことになるかもしれない。
たしかに、何年たっても互いの考えを理解するのは難しい。しかし、この違いを単に「脳の性差」に求めることは、「これは解決できない問題なのだ」との結果にやすやすと結びつき、対応に明け暮れる恐れがあるような気がしてきた。
わが夫のように、人生を割り算で乗り切りたい人間にとって、この本は何かを切り捨てて生きていこう、という指針になる恐れがある。さらに人間の性格を単純化する危険がありそうにも思える。
人間の感情はトリセツでは語れないもの。互いに影響しながら形づくっていくもの。
言葉にして伝えること。感情的にならないこと。
それは大事だけど----。
今日も相棒に
「〇〇を××してね。その後二階に上がったら、○○にある▲▲を持って降りてきてね」と頼んだら、「今、二つのことを一緒に言ったよね」という言葉が返ってきた。
ここで私がどう返事をしたか、これは内緒。
やれやれ。相手を変えることも相手に添うこともなかなか難しいことだな。
追記:
『母親に向かない人の子育て術』 川口オマーン惠美著 文春新書
『植物の不思議な生き方』 稲垣栄洋著 朝日新聞社
二冊の本を同時に読み始めた。人も植物も生き続けるためにさまざま戦略を巡らすものだ。
『妻のトリセツ』に対して何か意見を言える立場にないな、私も。
日々明るくゆったりと、冗談でもいいながら暮らす方がずっとずっと幸せなのよね。
ハウツウを手に入れ、ロバにでも乗ってゆっくりぽくぽくと生きるのが良いんだろうな。
さて、外は輝くような春の日だ。
これからお弁当を持ってお花見に行こう!
帰り道で日本百名水のひとつ、「尚仁沢の水」を汲もう。
里山の暮らし445 2019.4.16

昨日今日と雪が降る
春が足踏みしている。
町の桜は五分咲きで、ピンクの花色が美しい。標高が上がるにしたがってつぼみは固くなり、私の住む標高425m地点はまだ二分咲き。
今日の雪と寒さで、これから30日間は追っかけができる。
北へ、高みへ。
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数へつつ見るかたくりに雪ふるを
種から育てて15年、今年は40本あまり咲きそうだ。
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ここは、芭蕉が『奥の細道』を歩いたおり、長逗留をした黒羽藩の城跡。
山からの伏流水が地表にあふれ出ている。
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1998年の那須水害で被害があった那珂川河畔に植えられた枝垂桜。
昨日は小雪のなか出かけてみたが、まだ3分咲きだった。
楽しみが長く続くのでこれは嬉しい。
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里山の暮らし444 2019.4.10 (ぞろ目だ)

手が勝手に動くんです。
これからの季節、
那須は観光客に溢れかえる。しかし一歩街の中心地を離れると、自然は豊かだが子供の声は聞こえてこない・・・・・高齢化社会をそのまま体現したような、「田舎」が広がっている。
それも限界集落がほとんど。
数少ない子供に取って問題なのは、小学校の学区がとてつもなく広いこと。それに加え現在は、次々に小学校が統合されてしまい、あちこちに廃校となった校舎が残っている状況なのだ。
町おこしの目的で跡地を利用する案はさまざま考えられている。たとえば平成26年度に閉校となった那須町の田中小学校の跡地には現在、那須町田中複合施設(愛称:りぼーる・たなか)が2年近く前にオープンしている。
「子育て支援施設」「体育支援施設」「高齢者活動支援施設」「地域コミュニティ活動支援施設」「中小企業等育成支援施設」と題目は豊かだが、なかなか運営が難しそうな内容だ。そもそもそれを運営する「人資源」をどう調達するのか。
人里離れた場所にある施設に人を集めるには、それ相応の工夫が必要だろう。
その那須町田中複合施設で開かれた「那須まちづくり広場」を訪問してきた。
目的は「針金アート」作品を見ること。作者は那須町在住の白澤安男さん
10年前に頸椎捻挫の事故に遭って以来両手足が動かなくなった白澤さんは、リハビリの一環として針金細工に挑戦してきている。
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「図面も何もありません。手が自然に動きはじめて形が現れてくるのです。まるでその形に自分の心が呼ばれるかのように」。
すっかり元気になった白澤さん。
目を輝かせてこう語る。
「次は何をつくろうかと考えている時が一番楽しい。」とも。
初めての作品は左の、「ガラパゴスのゾウガメ」。
ロンサム・ジョージ(Lonesome George
2012年6月24日死去)
(ガラパゴスゾウガメの亜種、ピンタゾウガメ)「写真を見たとたんに、これを作ろう!と思ったんです。」
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ロンサム・ジョージは、1971年にガラパゴス諸島のピンタ島で発見されたピンタゾウガメの最後の個体。このジョージの死によってピンタゾウガメは絶滅したと考えられている。
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1982年4月。
当時70歳のロンサム・ジョージ。
「亀にまたがる」。
こんなことが許されていた時代だった。
作者の白澤さんに、37年前に撮影したゾウガメや海・陸イグアナの写真を差し上げた。
次の作品への刺激になりますように。
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最新の研究によると、このピンタゾウガメの仲間が生き残っている可能性があるらしい。ガラパゴス諸島の各地で、ピンタゾウガメのDNAを受け継いでいる個体が見つかったという。
さらに、2019.2.22の日本経済新聞の記事によると、「同諸島のフェルナンディナ島で、100年以上も生息が確認されていなかったゾウガメの一種が発見された」とのこと。
ガラパゴス島のゾウガメの個体数が急激に減少した原因は、島に侵入した人間が食用に捕獲したこと、ヤギやブタを外から持ち込んで、島の自然環境を破壊したことなどだ。
いまや島はすっかり観光地化し、リゾートホテルが立ち並んでいるらしい。
(なお白澤さんから、実名を公表することについて積極的な了解を得ています。) |
里山の暮らし443 2019.4.6

R 1.2 の軌跡

試しにツルハシを持ってきて力任せに掘ってみても、刃がたたない。
スコップだって、はね返されるほど固い土なのに、モグラがやすやすとトンネルを掘っていた。
半径1.2mの軌跡。
今日は仲春の初めの日。
土竜の精勤さを見習って私もガンバロ! なんて思わない。
4月はのんびりするぞ、と心に決めた日。
令和元年5月1日 こう記すまであと29日。
令和の出典は。
『萬葉集』巻5 梅花の歌32首 (815から846) 序文より
天平二年正月十三日、師の老の宅に萃まるは、宴会を申ぶるなり。時に初春の令き月にして、気淑く風和み、梅は披く、鏡の前の粉を、蘭は薫らす、珮の後の香を。
しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松羅を掛けて、蓋を傾け、夕の岫に霧結び、鳥穀に封められて林に迷ふ。庭には新しき蝶舞ひ、空には故つ雁帰る。ここに天を蓋にし、地を座にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一宝の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然としてみづから足る。もし翰苑にあらずは、何を以ちてか情に擄べむ。詩に落梅の篇を紀せり。古と今とそれ何ぞ異ならむ。うべ園の梅を賦みていささか短詠をなすべし。
「師の老」とは、大宰府の帥・大伴旅人 この文は大伴旅人の作とされている。
『万葉集全講』 武田祐吉著 明治書院版より (昭和30年3月5日発行)
ただし序文の「時に初春の令き月にして、気淑く風和み」の部分は、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集『文選』からの引用か。
ほかに後漢の文学者・張衡による「帰田賦」に依拠、あるいは王羲之の「蘭亭序」にある「天朗氣清、惠風和暢」を踏まえているという説もあるらしい。
(「令」は王の下に人が跪いている姿を意味する。
また、「霊」の字は、神々しい、すばらしい、優れているなどの意味を持つ。
この霊と同じ発音の「令」が当て字として使われたという経緯もある。)
里山の暮らし442 2019.4.1

与作は穴を掘る
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右の山は去年の秋の落ち葉。中央には、すっかり堆肥になった一昨年の落ち葉があった。
その堆肥を掘り上げて左に投げているところ。
ハチマキして勇ましい? |
掘り上げた穴に、右の山の落ち葉を積み上げ、石灰を撒いて上から水をかける。
そうすると一年後には、有機質タップリの堆肥ができあがる。
作業は順繰りなのだ。 |
さて与作の妻には、「スコップで堆肥をすくい上げ一輪車に積む」という仕事があてがわれた。
次は積み上げた堆肥を、庭のあちこちにある花壇にばらまいていった。この動作を20回もやったので今日はヘトヘト。
一輪車に堆肥を一杯にするには、スコップで20回もすくう=すなわち400回もスコップを振り回したことになるのだから。
四角形の庭のおのおのの辺は約40メートルあり、花壇まで往復すると相当数歩くことになる。
那須の山の扇状地の中央あたりに位置するわが家の庭の土地は、火山灰土の影響で酸性度が強い。その上に酸性雨が降り続くわけだから、酸度調整のため堆肥を撒くのと同時に木灰を混ぜていく。
腰を据えて両手でハンドルを持ち、地面の植物を踏まないようにするすると移動していく。
ちょっとしたコツがある・・・腰、腰。しっかり腰を落とし重心を低くし、よそ見せずに歩く。
ようやく完了した。
ところが昼から相棒が「散髪をして」と言ってくるではないか。
おいおい。段取りっていうものがあるでしょ。なにもこんなに疲れた午後にそんな頼みをしなくてもね。
まぁしかたない。虎刈りになったけど、これでいいか。どうせ夜にはコップ一杯で虎になるのだから。
里山の暮らし441 2019.3.28

コスミレが咲いてきた。 今年も地獄の門が開いたようだ。
コスミレは、春一番に咲くスミレ。
枯れ葉のなかから顔を出す。 |
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コスミレ |
日本に自生するスミレ科スミレ属は約60種類(多年生草本)。ただし、交雑種や亜種、変種、新たに作出された園芸用品種もありその数は確定できない。
尊敬する植物写真家・いがりまさし氏の図鑑『日本のスミレ』(山と渓谷社)に、日本で見られるスミレの種類は200種以上とある。相当な数だ。
植物の「絶対弁別感」に恵まれない私には、その弁別、同定は難しく、春になるのは嬉しいけれども弁別に頭を悩ます季節がきた・・・そういう時はただうなだれるばかり。
植物仲間がスミレを見て言うことに、「あ・・・ぁ。スミレか・・・・。」
一瞬のうちにスミレの弁別=ややこしく、まるで地獄をさまよっている気分になることを想像するらしい。
この状態を「スミレ地獄に墜ちた」と呼ぶ。 同感できる。
観察し弁別するのは今の季節しかできないのに、種の同定をするのはまことに難しい。
地上茎の有無、花びらの様子や色、その他のこまごまとした特徴を総合して見分けようとするのだが、独学の悲しさ、進みは春の入り日のように遅く、反して時の流れはいたずらに早い。 あっという間に季節は進んでいく。
なんとか努力し続け、身近に咲いているスミレの名前を同定できるようになったものの、その数はわずかに20種たらず。
それが以下のスミレたち。 正しいと信じたいが、正直自信がない。
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アカネスミレ |
アケボノスミレ |
アオイスミレ |
アリアケスミレ |
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フモトスミレ |
ヒナスミレ |
エイザンスミレ |
ヒカゲスミレ |
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マルバスミレ |
コスミレ |
マルバスミレ |
ナガハシスミレ |
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ニオイタチツボスミレ |
ノジスミレ |
スミレ |
サクラスミレ |
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タチツボスミレ |
スミレ |
ツボスミレ |
ウスバスミレ |
ちなみに、上の写真はすべてコンパクトデジカメを使って撮ったもの。
写真家たちが使う一眼レフカメラが欲しいと思いつつも手が出ず、ここまで来てしまった。
もっとも写真のプロたちは、交換レンズが次々に欲しくなるらしい。
その病状を「カメラ沼にはまった」と言うから、地獄を撮るのには沼に落ちないといけないということだろう。
里山の暮らし440 2019.3.24

家来とその弟子
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この大きな袋は、剪定した木の枝や引き抜いた草などを入れる袋としていつも使っているもの。
本格的な春がくる前に、今朝は伸び始めた雑草や、冬の間に庭に溜まった松の葉などを集めて捨ててきた。大きな袋にふさわしい名前を付けた。「家来」と。
問題はこの家来。もちろん自分で働かない。ただ地面にじっと這いつくばっているだけ。
中味が一杯になると、やおらご主人様のワタシがずるずると引きずって歩く、その姿は滑稽そのもの。
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♪ 大きな袋を肩にかけ
大黒さまが来かかると
ここに因幡の白うさぎ
皮をむかれて赤裸
大黒さまはあわれがり
「きれいな水に身を洗いがまの穂綿にくるまれ」と よくよく教えてやりました ・・・・♪ ( 作詞:石原和三)
ああ、そうだ。私は大黒さま。植物愛好教里山寺の大黒さま。
ちなみに、めいめいの働きに応じて持つ相棒の袋はもっと大きくて、体積は4倍近く。
その名前は「家老」。やはり自分では働かず、おんぶにだっこ、というよりも主人をこき使う。
家老変じて過労の袋。
わが家の1時間は、一日を24に割った時間ではない。季節による相対時間で、伸びたり縮んだり。
日が登ると働きはじめ、日が落ちると家に入る。
残りはすなわち夜。
明け六つから暮れ六つまで。これが動物化したわれわれの生息時間なのだ。
里山の暮らし439 2019.3.21

言葉はいらない

東を向いて咲いているラッパ水仙。
ラインベルト・アーリー・センセーション(Rijnveld's Early
Sensation)の名前の通り、フクジュソウに負けないくらい早く咲く。
里山の暮らし438 2019.3.16

春が嬉しいのは野鳥も同じ
日脚が伸びてきた。 そのせいでますます早起きしてしまう。
心なしか、庭を飛び回る野鳥が、穏やかな顔をしているようにも見える。
春の庭仕事も一段落し、ようやく周囲を見まわす余裕ができてきた。
早春の庭に来る鳥たち。
(カラスもハトもスズメもヒヨドリも、またあとで。)
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アカゲラ
左は相棒が彫ったアカゲラで、右は本物。白黒赤の模様がなんともおしゃれ。 |
キジ(古語はきぎす)
ケーンケーンと悲しそうに鳴いている。長いこと裏庭にたたずんでいた。何を待っていたのだろうか。 |
これはイノシシ。
痩せこけているのが可哀相。
一度はいいが、何度も来られるのは迷惑。 |
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人間にはネオテニー戦略は通用しないようだ。エナガ。
枝にぶら下がるのが得意。 |
シメ 木の実を啄むのに適したくちばしを持っている。
わが家でのあだ名は「大阪のおばちゃん」。
まさかふところに飴ちゃんを持っていないよね。 |
アオゲラ オス
緑と赤の補色が目立ち過ぎて笑える。赤い色は戦略として、相手を威嚇する、自分を強く見せメスに気にいってもらう・・・・・・ためと考えられるけど。どうかな。 |
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いつも仲良しアトリのつがい。
上がメス、右下がオス。 |
カワラヒワ
暖かくなってきたので、雪が消えた畑に移動していった。
鳴き声は、明るくキョロキョロキョロ。 |
ツグミ
ととと、と歩いてはツンと胸を反らす。枯葉をひっくり返して虫を探している。 |
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ヤマガラ
ビャービャーと鳴きまわり、人間が近づいても怖がらない。
その昔は、祭礼でくじを引く余興をやっていたくらい人懐こい鳥。 |
シジュウカラ
窓から部屋の中を覗き込んで、
「や〜い」。
これはネクタイが立派なオス。 |
シジュウカラ
ひまわりを見つけてぴょん。
ぴょん、ぴょん。 |
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ミヤマホウジロの雄。
立派な冠羽が粋。
学名に「エレガンス」を持つお洒落な鳥。 |
ゴジュウカラ
木を駆け下りることの出来る珍しい鳥。 |
カケス だみ声で鳴く。
近所にイギリスから来たジェイさんが住んでいる。「ぼくの名前の鳥だ」と嬉しそう。
Jay には ”おしゃべり”の意味があるらしい。よく騒ぎまわる鳥。 |
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ジョウビタキ(オス)
羽に白いスポットがあることからあだ名は「紋付のジョー」。
そろそろ縄張り宣言を撤回し、恋の相手を探す時期だ。 |
珍しい。ベニマシコがやってきた。マシコ=猿のとおり、身体が赤いのが特徴。
寒い? ふくらマシコになってるね。 |
コゲラ
キツツキの仲間で一番小さい。
見つかりそうになると、つつつと木の裏側に隠れる。
その様子はセミにそっくり。 |
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メジロ
左上は本物。
下は相棒が彫ったメジロの親子。 |
デッキの上の雪解け水を、チュッチュッと飲み、尻尾をパタパタ。
みかんが大好き。 |
いつもより3週間も早く咲いてきたラッパ水仙。
花は東南を向いて咲く。
名前はアーリーセンセーション。その通りの早咲き。 |
・ わが那須はいまひたすらに春を待つ
・ 松籟の闇に伸びゆくふきのたう
・ 山川草木悉皆成仏黄金花
・ 浮力得て水仙の波およぎきる
・ 時間にも濃淡ありて震災忌
里山の暮らし437 2019.3.11

春の始まりはまず労働から --- 今日は啓蟄
8時半、朝食もそこそこに今日も庭に出る。
草取りをし、はびこった苔を集めて捨てに行く。
3月初旬という早い時期に仕事を始めるのは、このあと「暑い、虫が飛び回る、日焼けする」の三大苦が待っているから。
いそいでこの記録を書いておこう。
明日もまた仕事だ。
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集合写真を撮ってから。 |
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昨日は朝の部そして午後の部と働きづめだった。 ポピーの植え込みは終わり。
155本という数字をこなすには、結構な時間が必要だ。 |
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写真はイメージです。天候、その他の条件によって変わります。(笑) 旅行案内書の言い訳みたいだな。
正しくは2年前の写真。
3年前の花時に、黄色と白とピンクの種だけ採取したので、ご覧の通りのおとなしい色の花壇になってしまった。今年はオレンジ色基調の賑やかな色が溢れかえる予定。 |
里山の暮らし436 2019.3.6
見る前に跳べ vs 飛ぶ前に見よ
さて、懸案のアルバムデジタル化だが、40日後の今日ようやく予定の作業を終えることができた。
フィルム時代には撮影した写真そのものが「もったいなくて」、現像したすべてを貼り付けていたのが、60冊もの数になった原因だった。
デジタルカメラに変更してからは、構図や露出などを変えながら数枚撮り、そのなかから一枚選択したものをプリントしているので、以前ほど枚数は増えてきていない。
デジタル化した写真のうち、選抜したものを新たに貼り直し、結局元の物理的量の十二分の一にまで減らすことができた。残った写真は段ボールで二箱。とんでもない枚数だ。
今、ようやく作業が一段落して、どこかに穴が開いた気分でいる。
大掃除で見つけた畳の下の古新聞を座り込んでついつい読んでしまうように、その時々の出来事を思い出しては、感慨に浸ってみたり、後悔をしてみたりの40日間---これは冬の間しかできない作業だった。
これで引っ越しや、あるいは施設への入居にも耐えられる量になった。
やはり、アナログはいい。過去の時間を手ざわりで感じることができるから。
しかし、こんなに面倒で単調な作業だと初めから分かっていたら、手を出さなかっただろうなぁ。
これで過去の棚卸しはおしまい。これからゆるゆる行こう。
人生に折り返し地点など無い。ただ進んで行くのみ。それと感じないうちにある目的地に向かって日々が積み重なっていく。
私の場合の一年は、身体を約23.5度傾むけて季節に合わせ、ぐらりぐらりと大きな楕円を描きながら過ぎていく。長辺は春と秋、短辺は夏と冬。植物相手の一年は、四季のおのおのの作業を積み重ね、それを大きな螺旋状につなげていくという一年のような気がするから。
『見る前に跳べ』 大江健三郎 vs "Look before you leap." 跳ぶ前に見よ
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相棒が重い腰を上げ、エアコンのカバーを作った。
使った材料は、鉄木・てつぼくで、加工が難しいが持ちが良い。
石は流れ木は沈む。
水に浮かべると沈む木、だから鉄の木。
獰猛な犬を飼えるくらい頑丈な出来だ。
いつものように相棒は、ほどほど、ということを知らないらしい。 |
里山の暮らし435 2019.2.28

二日酔い
--- 酔いを宿すとはこういうことか
昨日はちょっとした記念日だった。道の駅の野菜愛好家の私も、夕食には奮発していつもと違うメニューを用意した。
大田原牛のステーキにオニオンソース
スープと野菜サラダ
ブランド苺のスカイベリー デザートにチョコレート
それに、白ワインの好きな夫のために「チリワインの白」を。
私は下戸なのでいつもワイングラスは夫の分だけ出すが、昨夜は特別二つ用意した。形だけでも揃って祝う形を取りたかったので。注いでもらったのをいいことに、つい飲み過ぎましたね。
グラスに2センチほど。チリワインは昔からの葡萄の品種が生産地に残っているので、特有の味がする。その2センチをまるまる飲んでしまった! かつて無かったことだ!
量は、おそらく大サジ2くらい? 30ccほどか。 いつもはほんのひとなめするだけなのに。
いい気分だ・・・。ふわふわする。食器洗いは相棒にまかせてぐたぐたする。
すっかり酔いが回ってしまって、あとはおぼろ --- 揺れいくごとし、揺れくるごとし ---。
そして朝。朝と言っても野鳥しか起きていないまだ暗い朝、頭痛と吐き気で目が覚めた。
苦しい。
う ----(・・・・・・)-----と(かっこ)の中の動作をしたとたん、しゃきっと気分が良くなっていつもの朝の仕事をこなした。
この単純さときたら。
あぁ、二日酔いってこういう感じなんだと思い知った朝。
雪の山を背景に、輝くような光に満ちた如月の朝だ。
教訓
1 私のアルコール摂取限度は、ビール1センチ、ワインひとなめのようだ。
2 やはりステーキには白よりも赤が似合う。
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お日様の光を受けて熱を集め、花芯を温めるため、放物線を描いている花びらの連なり。
先日、JAXAの宇宙探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」への着陸に成功した。
インタビューを受けるプロジェックトリーダーの誇らしげな顔がまぶしい。
「ああ、いい顔をしてるなぁ、天文学や物理を極め、そのうえ言語能力に優れている、こんな人がいるんだ」と。 |
里山の暮らし434 2019.2.23

あとは 「ちょうちょ」 を待つだけ
可愛い
朝、春めいてきた光を額に受けて味わっていたら、視野の隅になにやら薄茶色い動物が動いたのに気付いた。
あれはどうみても猪。あろうことに花壇をほじくり返しているではないか。
イノシシは見つかったのを照れているのかどうか、のそのそと逃げて行く。決して獰猛な様子ではなく、おとなしそうでどちらかと言えば内気な野良犬、と言った雰囲気を
漂わせている。
急いで庭のパトロールに出る。
あちこちに鼻でほじくり返した跡がある。チューリップの球根を狙ったらしいが、どうやらこのところの晴天続きで、地面が固くなり歯が(鼻が)立たなかったようだ。
秋には、はっと振り向くと鹿がいた。
如月には、ふと目を上げると猪がいた。
田舎の暮らしを始めたからには、こんなことも楽しまなければね。
花札の「いのしかちょう、猪鹿蝶」がそろそろ出来上がる。
啓蟄を過ぎ花がとりどりに咲くと、庭にはちょうちょがやってくる。
揃い踏みになるこの4月は、どのような春になるだろうか。
なにかいいことありますように。
------ 四月なかなか遠くもあるかな。 (パクリ )
午後はフルートのミニコンサートを聴きに行く。今年に入って2回目。
外は光の春。

里山の暮らし433 2019.2.17
まんまるでまっくろなものがいくつもいくつも
通話中に受話器と本体を繋いでいる場所をちょっとでも動かすと、通信障害の音なのか、「ビリジャリビリ」という雑音が聞こえるようになってきたわが家のファックス機。
無理もない。購入してすでに15年以上にもなるのだから。
おそらく受話器を耳に当てる時に、意識せず蛇腹線を強く引っ張って接触が悪くなっているのだろう。
そのせいか特定のスマホを使っている友人との会話ができなくなってきた。
これは二代目で、先代を購入したのは1986年。まだまだファクス機を家庭に据え付けることが珍しかった時代だった。
アメリカへ単身赴任する夫との通信手段にと、NTTの製品を購入したもので、当時25万円もした!
「なにか商売するの」と聞かれることもあったし、予め設置をNTTに登録する必要があったので、海外に赴任した先生に連絡するからと学校がわざわざ借りに来られたこともあった。
インターネットを利用できるようになったのは、その5年後のこと。
新天地が開けた思いだった。もっともこの時期はパソコン(NEC)を使わず、ワープロ機を使い、テキストしか送れなかったが。
-----「ビリジャリビリ」の解決方法は、
いつものように、だましだまし使うというもの。
わが家はいつもそうなのだ。
直すものはなんとか直して使う、というのが大ポリシー。相棒が電気や木工への知識があるのが邪魔をし、なんとか使えることは使えるが、新品の時のように完全ではない、という状態の製品が家じゅうに、ごろごろしている。
「あぁあ、これがこんな知識のない人だったら、今頃は新機種をゆうゆうと使えていたのに」と思うことしきり。台所の蛇口も掃除機のスイッチもなんだかオカシナ形に修理してしまって、「だましだまし」使っている。
ああ、切ない年金暮らしよ。
いや、そうでもなくて、まだ直せば使えるものを捨てるのはもったいない。
そもそも、機械、器械を分解して修理する。こんな楽しいことはないという理系男が生息するわが家なのだから。
(〇ぇ! あいつまた修理している! ニョウボウだって畳は新しい方が良いし、家電も最新式を使いたいにきまってる! と陰でぼやくのでした)
閑話休題。
この器械には感熱紙をセットしている。なにしろインクリボンを使うよりも、一枚の単価がとても安いので。勿論長期保存には向かないが、一年は優に持つから。
こんなことがあったのを思い出した。
相棒が現役で働いていたとき、なかなか近所で感熱紙を買えなかった時代のことだった。
丁度この寒い時期のこと、仕事帰りに駅前の電気店で感熱紙を買い、そのまま書類カバンに仕舞った。
次に見たものは、改札口を通る前に店を出している「どら焼きやさん」。ふらふらと寄り道した相棒、5個買ってこれまた書類カバンの中へ仕舞った。
(5個のうち、どうも自分が4個でオクサンには1個のつもりだったらしいが。)
その日も疲れて帰ってきましたね。嬉しそうにカバンから「お土産」と取り出したどら焼きと感熱紙を見ると、どこかの政治家の言葉のように、「きっちり、しっかり」と感熱紙には大きな丸がいくつもいくつもプリントされていた ----どら焼きが熱を発して黒く染めたのだった。
どら焼きはOKだが、感熱紙は半分使い物にならなかった。
これがあの夜の収支決算なり。
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本体を高くするために、『広辞苑』を下に敷いてある。
分からないことをすぐに調べられるから便利----ということもないが。
左側には旅行関係のパンフレットや、園芸誌、それに日本経済新聞(朝刊だけ、田舎なので夕刊は届かない、残念) |
里山の暮らし432 2019.2.12

ひとつめ、ふたつめ、みっつめ
先日のこと、相棒をちょっとした意見の行き違いがあった。
栃木県北部には、会津との境界になる標高1000mくらいの山々が、北から南に向けて並んでいる。
その山あいにある施設を目指して車を走らせていたときのことだった。
なにしろマルチタスクをこなせない相棒なので、助手席の私は、極力無駄話をせず(これは難しい!)ナビゲーターに徹することにしている。
「もうすぐよ」と声をかける。「うん」
ところがわが運転手さんは、あらかじめ調べておいた信号の場所まで来ていないのに、何も言わず右にすらりと曲がって山の方向にどんどん進んで行くではないか。
田舎のことだから、信号一つの差はおよそ500m以上で、一つ間違えるとんでもなく方向違いをすることになる。
「あれ、早すぎない?もう一つ向こうの信号を右折するのだと思うけど」
「いやぁ、さっきの信号の足元の手書きの看板に『三つ目の信号を右』って書いてあったよ」
「え、ならもう一つ先の信号じゃないの?」
この先、細い道やら田圃の畔やらを走り、結局見知らぬ山間の観音様まで車は紛れ込んでしまった。
行きはよいよい帰りはなんとやら。
よくよく問いただしてみると、相棒の考えはこうだった。
「看板があった信号が一つ目だろ。だったらあそこから二つ目が『三つ目の信号になるじゃないか』」
「え〜、普通三つ目とあれば、この先の三つ目の信号を意味しない?」
「しない」と不機嫌になる相棒。
間歇喧嘩する我々だけど、この場合はどちらも正しいようだ。
一つ目をどこに置くか、どこを起点にするか。これには二通りの考え方があるから。
新入社員を「就職一年目」と呼び、ピカピカの一年生は春に入学した子供だし、生まれたばかりの赤ちゃんはようやく一年後に一歳になる。
あなたはこの信号の場合、三つ目はいったいどこの信号になると思いますか。
自分が正しいと考え、相手を否定するのは不寛容。でもついつい自分の感性に固執してしまうよね。だよね。
ある施設とは、「山形有朋記念館」
伊藤博文と並び、明治維新期に出自が低いのにかかわらず、栄達を遂げた人物。
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50日ぶりくらいに、珍しく朝の気温がプラス1℃だった。
乾ききった庭には、1月2月の寒さがいつもの年以上に休眠打破の働きをしたようで、いちはやく水仙やチューリップの芽が出ている。
その割にフキノトウは見つからない。
昨年5月、細く短い挿し穂を採って増やしたゼラニュームが、たったの8か月でこんなに花をつけ、居間は明るくにぎやか。 |
里山の暮らし431 2019.2.6

アルバムデジタル化 その後
難しくはないが、面倒くさい。
あとは淡々と仕事をこなすだけ。思い立ったが吉日になればよいが。
オカシナことに気が付いた。
写真に残っている自分自身が、まるで自分の娘のように感じられるようになってしまった。
「あらあら、○○さん(これって私が過去の私に話しかけているのよ) そこでその態度はないでしょ。
こういう時にはこうしたらどう?
おお、よくやった! それでこそ私だ!?
もうちょっとだから、しっかりしようね」 なんてね。
今もアホだけど、若いころはもっとアホだったなぁ。というのが一番の感触だ。
さて、今日は2冊デジタル変換したから、録画してあったテニスの試合でも見るかなぁ。
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掲示板にこんなお知らせが貼ってあった。
干支は関係ないけれど、住宅地に「いのしし・猪」が出たらしい。
猪突猛進のとおり、ひたすら前へ前へと突っ走るイノシシ。
その通り道に古タイヤを立てかけておくと、その場所を嫌って来なくなる、と聞いたことがあるが、どうだろ? |
里山の暮らし430 2019.1.28

一大決心
朝の気温がマイナス5℃。こんな日が続くと庭仕事はもちろんできない。心も体も縮こまってしまいそうだ。そのうえ、暇があるとロクでもないことを考える。
そこで思い付いたことがある!
かねて考えていたことを、いよいよ実行することにしたのだ!
それはアルバムのデジタル化。
一眼レフとコンパクトカメラ時代は、撮影するとそのまま現像に出して貼り、デジタルカメラを使うようになってからは、はじめに全部をDVDに焼き付け、その中から出来のいい写真を選択して出力していた。
若いころから今までのアルバムが、溜まりに溜まって60冊以上もある。ロフトにぞろりと。
一冊に100枚と計算すると、全体で6000枚以上の画像があることになる。
DVDの中にはその10倍もの写真が眠っている。
DVDに焼いたのは、そのまま「PC読み込み → メモリに移動する」で良いが、アナログ写真は一枚一枚スキャンするしかない。
ふぅ〜。
これはね、泳げない人がプールに入るみたいに、思い切って飛び込むしかないのだ。
アニモ! 自分!

午前7時。北北西から東南東の方向に、先端が丸くてへらのような形をしている、太く長い雲がゆるゆると流れてきた。
飛行機雲ではない。
右から左へ。視野200度いっぱいに「ずずず」と、まるで何かに押されているかのようだった。
これは地震雲か?
追記
* DVDの中のデータはデジタルではないかって?
そうなのです。DVDは結構かさばるし、重い。しかも1枚は4.7GBなので、今回容量の大きいメモリに移動させて、一括管理しようと考えました。
ホントはね、フィルムをスキャンするのが早いけれど、あの大切な、日食観測にも使える黒いフィルムは、すでに断捨離したあとなのでした。
* 今夜はシュウマイ。薩摩黒豚のロースとバラを包丁でコツコツ切り刻んで自家製のミンチをつくり、干ししいたけや長ネギ、しょうがを入れて練った --- まっこと美味でした。
里山の暮らし429 2019.1.20

白鳥の沼 ハクチョウとオナガガモ

ここは那須の山塊と八溝山地の間に広がる農地の中ほどににある半田沼。
低い丘が連なり、あたりを見渡せる場所にあって敵を見つけやすく、直径は200mほどか。水深は1メートルくらいなので鳥たちは競って潜り餌を採っている。
これは北の国から白鳥や各種の鴨が飛来し、冬越しするのに理想的な条件らしい。
マイナス6℃にまで気温が下がった朝、何を思ったのか、二人で白鳥を見に出かけてきた。
なにやら金属音が聞こえてくる。
うっすら氷が張った上を鴨たちが歩き回るので、ピシピシと割れる音が響いていたのだった。
氷の広がりに沿ってマガモが集まっている。
みんな北を向き羽が風になびくようにかたまり ---これこそ鴨だまりだ。
こちらに越してきた初めての冬、「コーコー」と白鳥が空を飛びながら鳴く声に、しみじみと北の国に住む感慨を覚えたものだった。
思い返すとそれはいくばくか、ふるさとを離れて感じる悲哀に近いものだったような気がする。
那須の冬にも慣れてきた。
里山の暮らし428 2019.1.12

今日は
小寒 冬ごもりのはじまり
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この10日間というもの、朝方の冷え込みが厳しく、外気温を平均するとマイナス4℃だった。
霜柱は10センチの高さまで成長し、踏むとザクザク音を立て、樹高30メートルの楢や橡の枝を鳴らして那須山おろしが迫ってくる。
雑木林の向うには里山の白い景色が広がっている。
親代わりだった大事な兄が旅立ち、この正月は逼塞して過ごしていた。
灯油ヨシ、食料ヨシ、読む本ヨシ。
喚呼確認三方ヨシの寒中の暮らしは、これはもう楽しむしかない。
そんななか、ヤママユの蛹を見つけた。
裸木の茶色の枝が差し交わす林のなかに、薄緑の繭がぶら下がっている。
・庭樹々のいずれにありやヤママユの閉じたる繭のその浅葱色
小寒の朝にふさわしく、あいにく曇って雪が舞っている。
せっかくの部分日食が観察できない。
左←
キツツキの仲間では一番小さい「コゲラ」。愛くるしい目を見てください。 |
里山の暮らし427 2019.1.6

こんな春まであと百日 
* あかあかと茶臼の山の輝けり領巾振るごとく年あらたまる
里山の暮らし426 2019.1.1

今日の逸品 くるみ和え
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フライパンで少し炒って、すり鉢でコリコリ。 |
小松菜とほうれん草のくるみ和え
こくがあって野生の味がした。
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8月。
しめしめ。
道の駅の広場にオニグルミがなっているのを見つけた。 |
10月。
朝早く、拾われない前にバケツを持っ て出かけた。
先んずれば人を制すとはこのこと。
緑の皮を剥いて乾かした。 |
12月。
ハンマーで割ると、すんなりした脳の形がいくつもいくつも現れてくる。
アイスピックで中身を取り出す。これがひと仕事。リスはエライ! |
・ 身めぐりにありていつもの産直に花にじゃがいも子猫あげます
里山の暮らし425 2018.12.26

物づくりにこそ
理系男の相棒は、めったにテレビドラマを観ることがない。だからか、他人の人生から学び共感する姿勢に乏しく、これまで「我が道を行く」姿勢を崩さないできた。
(と感じることがある。偏見だけどね)
「作り話だろ」と文芸作品などは敬遠し、人間の感情が何をきっかけに動いていくのか、あるいは葛藤の中身は何か、といったことを理解したくないようにも
思える。
ところが、この秋に放映されている『下町ロケット』だけは熱心に観ているのが面白い。
本放送はもちろん観ているが。
さらに放映日(日)の午後の、宣伝用の過去の番組のダイジェスト版を予約録画までしていた。ダイジェストだから放映回数が多くなるにしたがってその時間が長くなっていく。
1、1+2、1+2+3、1+2+3+4、のように。これではフィボナッチ数列の数字並びよりも拡大範囲が大きくなっていく
じゃない? ビーバーの尾がどんどん膨らんで大きくなっていくみたいにね。
前回などは1時間半の番組に仕上がっていたのを、じ------っと座り込んでみていた。
「同じ内容でもう3回目じゃない?」 なんて言わないけれどね。 番組のポイントは「ものづくり」。
これに心ゆすぶられるようだ。失敗してもうまくいかなくてもあきらめない姿勢や、工場の技術者たちが寝食を忘れて実験と試作を重ね、完璧な完成品を目指
している様子に --------(そばにいて見ないフリをしているが)たまに涙を流していることもあるくらいなのだから。
ドラマが進展するのにしたがって、来し方の、そして今も持ち続けている技術者だましいが刺激されて、表面に浮き上がってきているようだ。 それがが
おかしくもカワイイ?
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テレビでは燕市になっているが、退職した殿村の圃場があるのは栃木県の中部の農村。
この本の裏表紙には、広がる田圃のむこうに那須連山が見える風景が描かれている。
(画像は、アマゾンから拝借しました。)
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里山の暮らし424 2018.12.18
モグラのおこぼれ 土竜塚の列が
二日前は木枯らしが吹きすさんだのに、一転して南からの風が吹いてきた。
これはもしかして「春一番」なのかもしれない。???
秋仕事が一段落して、気分は落ち込み気味。働かなくてよいのに、(いやそれだからこそか)がっかりしている自分が可笑しいやら可哀相やら。とことん貧乏性に出来上がっている
ようだ。
しかし、今朝は違った。
庭の隅の、とてもスコップが立たないような硬い地面の下を、モグラがトンネルを掘り進み、余った土を地表に放り投げているのを見つけた。
頂いてくる。
この土は、栄養満点で病気を持たない理想的な土。本来この土を使って種播きをすると成果が出そうなくらいなのだから。
あたりを汚さぬようにそぉっと掬ってバケツに集め、花壇に入れてやる。
そこだけ丸くふっくら膨らんだ花壇を見ていると小さな達成感を感じる。
雨や雪に次第にならされていき、春には植え込んだビオラのために働いてくれるだろう。
もし、もしかして。
馬の落し物があったらどうするか、と考えたことがある。
きっとスコップを持って行き、拾って堆肥置場に乗せてやるだろうな。
バラには最良に肥料だから。
里山の暮らし421 2018.12.5

あたまかたいよ
自分の頭の固さを確認するためもあって、クイズ番組を見るのが好き。
なかでもお気に入りは「東大王クイズ」。テンポよく番組が進んでいくので、観ていて心地よい。
オセロ難読漢字の32マスのうちひとつふたつ漢字が読めないことがあるが、あとはなんとかなる。(読めても書けないけどね)世界遺産の場所やひらめき問題もまあまあ。
楽曲の題名を当てるのは、クラシックならともかく、インディーズやJポップスと言った最近の若い人向けの曲や演奏者の名前など聞いたことも見たこともないので、まったく手が出ない。しかたない。
面白いのが回文------ タケヤブヤケタのあの回文なのだ。
ちょっとやってみよう!
この秋は、一日のうち「二時間家事に・にじかんかじに」費やして、あとの時間は庭仕事に明け暮れた。
足元を固めないとサンダル履きでは「サンダル段差・サンダルダンサ」が怖い。
草取りも「手抜きできぬ手・てぬきできぬて」なのだ。「ママがわがまま」なのか、忙しいこともあって相棒と「間歇喧嘩・かんけつけんか」することもある。
「亭主敷いて・ていしゅしいて」いるわけではないので、おやつを「ティッシュ敷いて・ティッシュしいて」置いて、一緒に食べよう。
「クロちゃんが来たよ」の声に、いつもの「猫のあの子ね・ねこのあのこね」が遊びに来たのかと仕事の手を止める。
「クロちゃん美味しいものをあげるから」 「手伝えだって・てつだえだって」。 どう?
せっかく来たのだからこの午後の「予定割いてよ・よていさいてよ」。
クロちゃんの返事は「従い難し・したがいがたし」だと。そうだよね。そういう「世の中なのよ・よのなかなのよ」ね。
友人に自分の畑で作っている大根を貰った。
いつもは「農家で買うの・のうかでかうの」だが、明日は畑から直行の大根でおでんだ。
「トナカイかなと」振り向いたら日本鹿がいた、そんな秋の一日があったことが嬉しいな。
そういえば、クリスマスの飾りつけをしなきゃね。
それにしても、ここにきて人の名前をよく忘れるようになった。「何かいかんな・なにかいかんな」。
海馬の中に現在の短期記憶がぷかぷか浮かんでいるみたいだ。若いころは「海馬二倍か・かいばにばいか」だったのか、もっとしっかりしていたように思うけど。
あはは。おしまい。
里山の暮らし420 2018.11.28

遠き山に陽は落ちて

左から梅酒、ナツハゼワイン、ゆずのお酒。
(ナツハゼワインについては昨年10月29日の記録を読んでね)
こんなふうに形に残る仕事をしていると、一日が「良かった!」で終われる気がする。

蜂屋柿と玄馬柿。 250個ならんでいて、見るのも楽しい。
酪農農家の牛小屋が近いので、ハエがたからないように青いネットを掛けてある。

私は下戸でお酒を飲めない。 干し柿のあのテクスチャーが苦手で食べない。
なのに果実酒を作り、柿をむいて干している秋。
しかし、秋の仕事の極めつけはこれ!
この簡易温室を見てください。好きでやっているだけに、見るたび楽天的になれそう。
自然を相手にしていると、最後は「よし」で終わりそうな気がする。
春の花のなかでも一番好きな「アイスランドポピー」の苗を冬越しさせるための簡易温室をセットして、一年にいくつかある区切りに、しっかり句点を打った気がする。
里山の暮らし419 2018.11.19

空のかけら、フェルメールブルー 天上の青
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なぜか理由が分からない。
この3センチ足らずのモアイ像を見つけて、惹かれるように買い求めたのは今から40年も前のことだった。
南米・エクアドルの首都キトの、「セントロ」と呼ばれる旧市街から少し外れた細い路地の角にお土産屋さんがあった。その店の、汚れて中が良く見えないショーウィンドウに飾られていたモアイ像が、私を呼んだような気がしたのだ。
たどたどしくスペイン語で「これください」と言うと、店主はこんなものは売れないだろうとでも長く思っていたのだろう、揉み手をして
歓迎してくれた。 |
当時は海外での暮らしを始めたばかりで、(今は信じられないことに)まだウブで値切ることも知らず、この像は一家4人のひと月の食費くらい?とそれなりの値段だった記憶がある。
この小像の価値が理解できたのはそれよりもっと後だった。
「これはラピスラズリ」の原石を彫ったものだったと気づいたのはそれから20年ほど経ったころ。
「これこそフェルメールブルーの色、ラピスラズリなのだ」。と気づいた
-----衝撃はゆるゆる、そしてじんわりやってくる --- 知らないということは恐ろしい。
この石から光の魔術師・フェルメールはあの聖なる青を取り出したのだ。
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オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館で、「青いターバンの少女(別名
真珠の耳飾りの少女)」を見たのが、像を手に入れてから30年後。写実的かつ計算され尽した空間の構成と、窓から差す光で対象を浮かび上がらせる手法がすばらしい。「デルフトの眺望」が右手の壁にかかり、
この「青いターバンの娘」が左の壁に飾られていた。
部屋には私がたった一人。
静謐のなかで見たフェルメールは、今も強烈な印象を放っている。
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貴石に彫られたモアイ像の実物に、太平洋の島で出会ったのが31年後。
公園を管理する人が
「やぁ、モアイって重いでしょう」
と呼びかけてくれた。 |
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古代エジプト第20王朝ラムセス3世によって建造された「ラムセス3世葬祭殿」の天井画。
このラピスラズリの鮮やかな色が残る。 |
貴石「ラピスラズリ(Lapis
lazuli)」を原材料として描かれた鮮やかな青「フェルメール・ブルー」は、別に「ウルトラマリン」という名前を持つ。
産出国・アフガニスタンから海路で運ばれたので「海を越えてきた青---ウルトラマリン」だと。
20代の終わりから南米--ヨーロッパ---アフリカと海を越えて旅をしてきた。
いま、飾り棚にある三つの像に、時空を越えてその旅と過去の時間に重なってくる。
フェルメール(Johannes Vermeer/1632-1675)は、ルーベンス、レンブラントと並び、17世紀のオランダ美術を代表する画家。
いま、東京・上野の森美術館で展覧会が開かれている。( https://www.vermeer.jp/
)
2018年10月から2019年2月3日まで 大阪では、大阪市立美術館 2019年2月16日から5月12日まで
(個人的には、「デルフトの眺望」が一番好き。
水平方向に広がる構成がのびやかで、絵の具を何層にも塗り重ねたた質感が効果的。)
* 朝から高枝切りはさみを持って、友人の畑の「蜂屋柿」を170個頂いてきた。
上をずっと見ていたので、肩がこる。
近所にお裾分けした。それもご丁寧に皮を剥いてすぐ干せる状態に仕上げた後に。
10個も100個も皮を剥くのは同じ手間だから、シブも付くしね。
* 那須の野はいずこも落ちゆく葉に満ちて風のま裏は冬にかあらむ
里山の暮らし418 2018.11.13

あらまあ。
雑木林の中の花壇にようやく朝日が入り込んできた午前9時。
頭の上から「ヒッ、ヒッ、ヒッ」という声が聞こえてきた。
北の国からやってきた百舌が、庭で縄張り宣言をしている鳴き声だった。
庭仕事の予定を順調に消化しつつあるので、気分はまことに爽やか。今日はゆっくり秋を味わえるのが嬉しい。
ビオラや水仙の定植をしていたら、なにやら生き物の気配を感じた。
振り向くと目の端に「ぴょん」と飛び跳ねるなにかがいるではないか。
日本鹿の子供だった。驚きの出来事だ!山から下りてきたのか、はぐれてしまったのかはわからない。
慌てる。胸がどきどきする。
ああ、どうぞそのままそこにいますように------急いでカメラを取ってきたら、芝生の上にまだいた!
写真、写真を、と思ってみても、思わぬ出来事に手が震えてうまく撮れない。
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ハート形のお尻をこちらに向けて、
見ているような
見ていないような
微妙な角度に頭を反らせて立っている。
(これはこちらを警戒しているしぐさ) |
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花札の鹿
10月の紅葉に鹿の模様で
「鹿+十」(しかとう)。
無視するのシカトはこの模様からきているらしい。
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「君は女の子なの男の子なの?」
「口紅を付けたの?」
「いいえ
インパチィエンスの赤い花を食べたのよ。」 |
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「こらこら、そこはチューリップの球根を植えたばかりよ」
「食べないで」
「いやぁ、なかなか美味しい匂いがするなぁ」
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「しかちゃん、花壇をほじくるんじゃない!」
「だって〜」
「これ、なんの匂いだろ。あ、モグラか。
モグラには興味ないな」
絶対触らせてくれない近所の猫よりも、ずっとひとなつこい
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「えさえさえさえさ」
「餌で釣ろうよ」
慌てふたふためく二人でした。
「奈良のシカは何を食べているかなぁ」」
「鹿せんべいなんて無い!」
「ぬか団子作ってる時間は無いよ」
「そうだそうだよ」
「ウエファースはどうかな」
「わたし、中に入っているマーガリンが苦手」
「トランス脂肪酸は摂らないことにことにしているの」
「ベジタリアンで、根っからのナチュラリストなの」
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「どう!
左側の方が自慢なのよ」 |
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相棒と二人、急ぎの仕事を抱えている朝。
さすがに30分も一緒に遊んでいると、出かける時間が気になってきた。
隣の別荘の庭に誘導しようと、
「こっちおいで、こっちよ」と声をかけると、ゆるゆるとついてくる。
「どこから来たの、帰り道はこっちかな」
「ふん、そうだよ」と、シカとされずに返事をしてくれる。 |
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やれやれ。
ようやく帰ることにしてくれたようだ。 |
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ヌカヨロコビだった。
はっと振り向くと、またまた子鹿がついて来ていた!
そこで作戦変更することに。
反対側で、別荘の人がキノコを栽培しているので
「しかちゃん、あそこになめこやら平たけなんかが生えてるよ。
あっち側を通ると、なんか美味しいものがあるかもよ〜」
「さよか、それではあっちへ行くことにするからね。
ウエファース、食べなかったけどごちそうさま。」
「またおいで」
(どうぞ、また来て) |
* 15年住みていまだに知らぬありけさわが庭に日本じかの来る
鹿の鳴き声は、「ヒュー」と「ピュー」を合体させた音のようだった。
里山の暮らし417 2018.11.5

しろばんばが飛ぶ わたむし・綿虫(ワタアブラムシ科)
秋晴れの今日、いつものように夏庭の整理をしていたら雪虫が飛んできた。
視野をふわふわと、----あるかなきかの風になびき、流れに乗ってふわふわ飛んでいる。
そのうちに、作業をしている手や足に止まりにくるようになった。
雪虫は暑さに弱く、人間の体温でさえショック死するほどなので、うっかり触ることもできない。
1センチほどの体で歩き回って、こそばゆい。
「冬の兆し」と俳句に詠まれるが、今年はまだまだ仲秋なのに----- 仲秋と思いたいのに。
冬は遠いと思いたいのに。
なぜだろう、雪虫がこんなに早くやってきた。
井上靖の自伝的小説『しろばんば』という題は、この雪虫から取られたもの。
「主人公の洪作が、ひいおじいさんのお妾さんにあたるおぬい婆さんの元へ預けられている」。これが小説のテーマ。
子供の頃のこと。
母方の実家へ遊びに行くたびに、「ばばん(義理の祖母・祖父の後妻)」と「義理の叔母(母の弟の伴侶)」との間にある、子供(私)を巡っての確執を感じ取っていた。
二人の心の行き違いが小説『しろばんば』の中に見て取れる洪作の心理状態と重なって、なぜか惹かれる小説だった。
小学生ではとても内容の濃さを感じ取ることはできなかったはずなのに。
ばばんに取っては義理の娘の子供で、義理の叔母には夫の姉の娘でもあるわたし。
祖母と叔母は、めったに訪ねてこない私を自分の領分に包みこもうとしていたのだろう。
母方の祖父は村の地主だった。早くに亡くした初めの妻(母の実母)のあと、次々に「労働力+子供を産む」という対象として仮妻を置いたらしい(足入れ婚制度がまだ残っていたのだ)。
「ばばん」は、最終的に祖父によって選ばれた7番目の妻だったらしい。
そんな背景を知ることもなく、「ばばん」のふところで眠ったあのころの、受けた無償の愛情がいま、つぶつぶと懐かしくもよみがえってくる。
庭のアオハダの葉が、朝は薄緑だったのに、夕方にはすでに黄色味をしっかり帯びている。
仲秋から晩秋へ。 駆け足だ。
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あんまり小さくて、私のヘボいデジカメでは撮影できません。
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里山の暮らし416 2018.10.29

座敷わらしよ、手伝いに来てくれ
天気予報がぴったり当たり、雨で始まった今日は、庭の仕事は休み。
これを見越して昨日は仕事を多めにしておいた甲斐があった。今朝は安楽な気持ちで過ごすことができる。
昨日の仕事は:
まず夏の花を抜き、下草の小さな草をしゃがんで取る。
抜いた草花は、「肥料になる草」と「種が落ちて来年困る雑草」とに仕分けし、片方は堆肥置場に移動して10センチくらいに切り刻む。雑草は速やかに退出願うことにする、と言っても近くの林の中に投げ捨てるだけだが。
草取りは楽しい----いろいろなことを----夕食の献立を考える、あの人ってなぜあんなことをするのだろうと一人世間話、今書きかけた短文をどう展開させるか----考えていると、経った時間の分だけ周囲がきれいになるので、満足感がある。
しかし、このあとが大変だ。
花壇に有機石灰を撒き、備中鍬でせっせと耕していく。
スパン・スパン・スパン。
リズムよく前へ前へと進めていく。不思議なことにこの作業の間は何も考えられない。
身体がリズムを感じて、ほかの感覚を拒否しているかのようだ。
このあと、石灰が水分と反応して化学変化を起こすのを待ち、耕した土に牛糞堆肥、有機肥料、鶏糞を鋤きこみ、1週間ほど置いておく。
それから春花壇用の苗を植えこむ。これがこれからの手順なのだ。
仕事を追いかけるのではなくて、仕事の先取りをするのがへこたれないコツ。
顔全体を包む帽子を被るので、髪の毛はペッチャンコになってしまう。せめてと、帽子で押される頭のてっぺんから後ろまでの髪の毛をまとめて、平たいゴムで結び後ろに垂らしてそのうえから帽子を重ねる。
帽子を取った髪型は、まるで座敷わらしのようだ。
または毛の生えた河童か。
あらら。 晴れたきた。
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林にタマゴタケが出てきた。
美味しいらしいが。
ディズニーランドからの回し者みたい。 |
これが備中ぐわ
三本の爪が集まる場所で、根っこに付いた土を
トントンと落とす時、まるでプロになった気分になる。 |
里山の暮らし415 2018.10.24

仕事は半分にすべし
朝食を摂りながらいつも
「今日は、あれとこれ。それから余力があればそれをしようね。」
その日の予定を話し合って八時半、やおら仕事に取り掛かるのが秋のこの時期の習慣(義務)になっている。
とっぽくてせっかち、忙しがりの二人なので、余力はなくても「それ」を片付けようとしてへとへとになってしまう。
紅葉を楽しむために、いま現に目の前にある庭での労働をやってしまおう!と言うには体力が付いていかない。
「あれとこれ」から「それ」を引き、その答えを2で割る---義務を半分にすると毎日達成感を得ることができるのに。
ああ、忙しい。---忙しがる私たち。
9月20日に種を蒔いてちょうどひと月。夜の冷え込みから守ってやるために、簡易温室を準備した。

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中を覗いてみると、
このとおり、ビオラがすくすく。
ピエナ・ピーチ、
ピエナ・ラベンダーピコティ、
スーパービオラ・トパーズイエロー
ソルベYTT の4種類。
ほかに、ぬくぬくしているのは、
ハイジ、ヨーゼフ、クララと名付けられたデージの苗や
デルフィニウム・キャンドルブルーの苗が32本。
アイスランドポピーが120本。
全部で450本!
正しい?ガーデナーには適正在庫という考え方はないようだ。 |
里山の暮らし414 2018.10.20

ほほ染めてようやく女になりました
こう書いた私がぎょっとした。 こんな色めかしい表現を遣うなんてYamaにしては珍しい----。
今年5月5日の記録に「雄性先熟」しているマムシグサの話を書いていたのを忘れていたが、
この個体に花が咲いていたらしい。
夏を迎えよく見てみると、今年はみごと雌性を獲得したらしくて、果実が実っているのを発見した。
そうして待つことひと月。画像にあるように、ほんのり赤く熟してきた。
まず雄性を持って生長し、周囲の同属種と交配し遺伝子を残す。個体が成熟していくと(この場合は球塊が大きくなること)雌性へと転換する植物がこのマムシグサ。
よりよい子孫を残すため、個体の成熟を待つという時間をプログラムに組み込んでいるこの賢さに感嘆する。
といっても、このままこの赤い実を周囲に振りまくとあたりがマムシグサだらけになるので、どうしたものか。
路辺のランタン。
この季節にしか見られない、道の辺の提灯。その造形の美しさと来たらない。
有毒注意!
黄色いのは メランポジューム 勝手に生えてくる
右のピンクは インパチエンス 〃
里山の暮らし413 2018.10.14

三日間の自堕落ののちに、地獄が来た
のんびりゆっくり過ごした日々は過ぎ去り、世間さまの三連休などどこ吹く風か、残ったのは労働の日々だった。
シルバー人材センターに毎年依頼している生垣の剪定の日時に合わせて、あらかじめ自分たちでできる限り庭木の剪定をしておくのが、10月初旬の決まりになっている。
昼食と夕食の段取りを済ませ、やおらほっかむりをし、冷たい飲み物を準備し、おのおの得物を手にして、この夏の暑さと9月の大雨で生長しきった枝を切り落としたり、払ったりする。
枝の切れ端が背中に入ってかゆい、痛い、暑い、疲れてくる。
-----ここはね、愚痴は言わずにガンバル。 さもないと女がスタルではないですか。
タープに切った枝葉を載せて、積み場までずるずるずるずると引きずっていく相棒の様子は、まるで大黒様だ。腰に来なければ良いが。
青いタープを地面に敷き、積み上げ、シルバー人材センターの人が来てくれる日を待つ-----この数日、台風の行方が気になっていた。
ばんざい。
台風は逸れてくれた。朝から曇り空の今日は労働びより。
例年来てくださるプロの技が光ってほれぼれする。イングリッシュホーリーや、やぶ椿を剪定するはさみが目にもとまらぬ速さで交差する。なにしろストロークが早い!
林に働いている音が響き渡るのを聞くのは、快感そのもの。
庭はさっぱり、すっきりした。
これでこの秋を十分に楽しめる。
* そこへ良い知らせがあった。
図書館にリクエストしていた『下町ロケット4 ヤタガラス』(池井戸潤著)がご用意できましたと。
9月下旬発売の本だが、新聞にお知らせが載った中旬に予約を、それも朝早く6時半に入れたのでこんなに
早く読めるようだ。
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切った枝をタープで覆う。
このまま台風が来たらどうしよう---と思っていたら天の助けか、無風、曇りの一日になった。
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なぜか、シルバー人材センターのお二人に、お土産をいただいた。
仕事をお願いしているのに、手土産持参とは、これはいったいどうしたことでしょう。
大きいのは栃木名産の梨「かおり」。
名前のとおり香りが高くて果汁がいっぱい。
当地でも貴重品。
直径15センチ、一キロもある。
それにみかんも頂いた。
お皿は大好きな「ジノリ・ホワイトベッキオ」。
うふふ。
お返しは、和歌山の平たねなし柿。
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里山の暮らし412 2018.10.6

ひとりだ、ひとりだ!
相棒が旅に出た。 ひとりだ!
今日から三日間
支離滅裂で
真っ当でなく
理路不整然で、
自堕落な暮らしをしよう。
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落ちていると拾いたくなるのが山の暮らし
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里山の暮らし412 2018.10.1

歩かされたバスストップ

「手を上げたら止まってくれるバス」で思い出したことがある。
大阪時代のことだった。
小さな町の、繁華街とも呼べない通りにいくつかのお店があって、並んだお店の中央にある停留所を利用して高校生がバス通学をしていた。
知人が開いているお店は小間物屋さん、その隣は由緒ある店構えの呉服屋さん。さてこの話に出てくるバス停はその呉服屋さんの前に置かれていたのだった。
円盤のようなコンクリート基礎が足元を固めその上にポールがあり、「ここは○○停留所」と記された平たい看板がひっそりと立ってい
る-----そんなどこにもある景色のなか。
高校生たちは呉服店などに用事があるはずもなく、さっさと乗り降りするだけの歳月が続き----。
ある時知人がひらめいた!
「あのバス停がうちの店の前にあれば、客が集まってもっと繁盛するんではないか?」 とね。
深謀遠慮を絵に描いたような知人の知恵はこうだ。
「人知れずあのバス停を、うちの店の前に引っ張ってこよう。」
「目立つと良くない、呉服屋さんから文句が出るかもしれない。」
「ここは、ゆるりとやろうぜ。じんわりじわじわ。歩みは亀のごとしだな。よし。」
今月は10センチほど。そして次の月は5センチくらい。
たまに休みの月もあって、このバス停移動大作戦が完了したのは、なんと知人がこのアイデアを思いついてから10年後のこと。移動した距離は20メートルほど。微妙〜な距離だ。
知人はこういう方法を採ったと聞いている。
バス停を抱いて左右に揺らしながら押すと、バス停はひょこひょこしながら前に移動していく。プロパンガスの太いボンベを運ぶようにといったらいいかもしれない。
この方法は昔から大きな石などを運ぶのに利用されてきた ----あのイースター島のモアイもこの方法で山から下ろして運ばれたのではないかという説もあるくらいだから。
深く静かに潜航し、密かにことを成し遂げた知人のお店には、ハーメルンの笛吹き男の吹く笛の音に誘われるように、バスから降りた学生たちが溜まってくれるようになった。
商売大繁盛、笹持ってこい。
大熊手でお客をかき集めろ。
しかし、この知人はすでにこの世のものではないかもしれない。
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モアイ像
プカオと呼ばれる赤い石が頭上に乗せられている珍しいモアイ像。
バス停が立っているように見えない?
・・・・ 見えないか。
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里山の暮らし411 2018.9.26

道端のフラッグストップ
直線道路なのでついスピードを出しそうになる。日常の買い物なのだから別に焦らなくてもよいのに、町へ行くのが久しぶりで、少しハイになっているのかもしれない。
卵の自動販売機がある、これはずっと山の方に住んでいる○○さんの地放卵。茶卵でおいしそうだが、今日はパス。
ススキの穂が出盛りだ、朝の光を受け風に揺れて輝いている、なんと美しい!これこそハダススキだ!山栗が口を開け始めたな、お、アケビが鈴生りだ。
こんなことを横目で見ながら町へと走っていく。
途中の道端にリュックを担いている人が、何百メートル置きかに立っているのを見かける。下りの人は町への買い出しに、山方向へは「高齢者は200円」の日帰り温泉へのお客なのだろう、三々五々お喋りしながら待っている雰囲気が楽しそうなので、それと分かる。
那須横断道路から山の方向の住民にサービスされているのが、「フラッグストップ」。もちろんバス停そのものは設置されているものの、お客は道まで出て立ちバスが来ると大きく手を振る---そうするとバスは止まってくれる---乗り降自由の区域なのだ。
フラッグストップ。この響きはいいなぁ。旅をしていて自分の好きな場所で乗り降りできる、こんな楽しいことはないだろう。
いままでの人生で一番のフラッグストップは、35年前だった。子供と三人で(またまた相棒は留守番=仕事)奥入瀬を目指して青森駅からバスに乗り、暮れなずむころ最後の乗客になってしまった心細さが顔に出ていたのかもしれない。
運転手さんが、 (よくわからない言葉だったが、日焼けした親切そうな顔の表情で理解できた)
「どこまで行くか、そこまで送ってあげよう」。
大型バスで貧乏旅行客向けの公営施設に乗りつけるという贅沢を味わったあの夏。
(ちなみに、その施設は素泊まりで一人800円。おまけにおねしょをしてしまった子供におばちゃんが
「いいからいいから、気を付けて行きなさいな」と声をかけてくださった。)
こんな昔話をするようでは、いかんいかん。
先を見て暮らそう。
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拾ったオニグルミを乾燥させて割ってみた。
まるで脳の断面のようだ。その通りクルミにはオレイン酸がたっぷりふくまれていて脳の血流をよくするらしい。
百均でアイスピックを買ってきてこじ開けようとしてもなかなか。
敵はしぶとい。
さて、ここは思案のしどころだ。
130個のオニグルミがいま、赤いネットの袋に入ってぶらぶら。 |
里山の暮らし410 2018.9.21

貯めこむ人です
双子のクルミがあった。
かねて目を付けていたクルミを拾いに出かけてきた。出かけたといってもつい近くの道の駅へだが。
風にあおられ、ぽた〜ん、ぽた〜んと間をおいて落ちてくる。
下はコンクリートの通路なので、
「さあ、剥いて」と言っているかのようだ。薄緑色の仮菓に割れ目が入り、処理が簡単で助かる。
仮菓はふわふわとしていて柔らかく、まるで種(核果)のおくるみの手ざわり。 (くるみのおくるみだ!)
むぎゅっと力を入れると、種(核果)が面白いように取り出せる。問題はこの実の硬さ。トンカチにもなる頭の持ち主の、相棒の硬い頭を貸してもらおう。さて冬の間の食料調達も順調だ ---- 貯食に励むリス科のわたし。
明日は出盛りの無花果と、名残りの白桃でジャムを作ろう
【クルミ科クルミ属】
身体に良いオメガ3脂肪酸、抗酸化物質(ポリフェノール、メラトニン)などを豊富に含み、ビタミン、ミネラル、たんぱく質や食物繊維がいっぱい詰まっている。

今年初めて栽培したのが、この荏胡麻(エゴマ)。
穂先の種をしごいて集め、乾燥させて醤油漬けにしてみた。
荏胡麻(エゴマ
)はシソ科の一年草。シソとは同種の変種。会津地方ではジュウネン(十年)と呼ばれていて、これは食べると十年長生きできるといういわれから来ている。
そうなのか。来年まで食べ続けるとワタシ、女メトセラになれるかもしれない。
* 菜種油が普及する中世以前、この荏胡麻(エゴマ)が明かり取りの油として、あるいは食用として利用されていた。
人体に不可欠な必須脂肪酸であるα-リノレン酸が豊富。 (聞き書き)
里山の暮らし409 2018.9.16

いよいよ始まり

種屋さんから取り寄せた種は、夏のあいだ冷蔵庫の一番温度の高いところ(野菜室の奥)にしまっておき、種に
「涼しくなってきたなぁ」と思わせることにしている。
(休眠打破------うかうかと眠り込んでいる種に、ある刺激を与えて活動状態にさせること
この場合は冷温と時間 )
一昨日、種袋を明るい所へ出してやった。
これからしっかり芽を出すんだよと、声をかけたくなる。 はやりの言葉でいえば「チェスト!」だろうか。

プラスティック・トレーに排水用の穴を開け、二重にして重ね、そのあいだに余分な水を吸い取る紙を敷いた。
種の発芽には適温(20℃前後)と、適当な湿度が必要だが、さりとて湿気が多過ぎるのも禁物なのだ。
ここら辺の兼ね合いは、ちょっと難しい。
悩みながら、「ま、こんな感じかな」で秋の種播きが走り出した。
今朝、トレーを雨模様の空に透かしてみたら、ばらばらに蒔いた種から、短い根が出てきているのを見つけた。土の上に正座した足がしびれたので、つい横にずらしてしまったかのように、斜めにちょこっと根を伸ばしている。
ビオラの種は好光性なので、種は湿らせた土の上に置くだけで覆土はしない。
今日の段階では発根した種は、根を土にもぐらせることもできず、土の上にかろうじて乗っかっているだけ。
布団からはみ出た赤ちゃんの足を包んでやるように、浮いている種を爪楊枝で土の中に少し押し込んでやった。

5月に伸びた新枝を挿し芽して裏庭で育てていたゼラニュームの苗が、9月に入ってこんなに大きくなってきた。
ゼラニュームの挿し芽ならまかせて! 99%活着させる自信がある。
10年以上前に買ってきた一株の鉢から、これまで200本以上の苗を採り、友人知人に分けてきただろうか。あれこれ作ってきたが、この種類が一番花付きが良くて横に広がり、株がコンパクトになる。
これをプランターに2株ずつ植え込み、秋の日差しのなかで大きくして12月に家の中に取り込むと、冬の間ずっと居間は花盛り
になる だろう。
里山の暮らし408 2018.9.11

丸いものは、もう見るのも嫌だ
次の日は台風がやってくるかもしれないと聞き、ひまわりの花首を刈り取りに行ったのは一昨日のこと。
これは我が家にとって、夏の終わりの暑くてかゆい風物詩なのだ。
ほっかむりをし、手には鎌を持ち、一輪車を引きずりながらおっとり刀で近くの道の駅の畑に出かけてきた。
(参考までに; 一輪車をネコと呼ぶのは関西、関東問わずおなじ。 猫は働き者なのか?)
背よりも高いひまわり畑の中を右往左往し、なるべく大きいのを探して歩くが、不思議なことに、いま手にしているこの花首よりももっともっと大きいのがこの畑の中のどこかにあるではないか-----という思いに駆られ、結局そうでもないことに気づかされることになる。
旅先で、もっといいレストランがあるかもしれない、と考えて遠くまで走り、結局初めに見たのが良かったという経験をするのと一緒だ。
風体がおかしい二人組を怪しんで、観光客の視線がバチバチ。刺さる。ちと恥ずかしい。
近づいてくる人には、
「え、あのぅ。これはね、冬の間に野鳥を庭に呼ぶための食料にするのですよ。」
言わずもがなの説明をして、よけいな汗をかく。
ひまわりの葉は大きく、荒毛が生えているのでかゆい。蜂がやってくる。
このあとの作業を思うと気が重いが、窓辺に来て(たまに愛想を振りまいてくれる)野鳥が喜ぶことを思えばなんのその。
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台風に備え、ログの軒下に並べて風よけのタープを掛ける。
丸いものがゴロンゴロン。
これを脱穀するのかと、始める前からこころはジトジトしてくる。それも座り込んで両手で、なのだから。
全部で170個あった。
大きいつづらが欲しいふたり。
欲とのふたり連れ、ということは合計四人連れか? |
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総身に知恵がまわりかねるのか、中心はなぜか熟していないので
円盤の円周部分だけ、手でこそげ落とす。ずっと昔は稲を脱穀したあと、庭先にござに広げて乾かしたものだった。
それと同じ方法で、明日から乾燥させる。
指の皮がむけ、腰が痛くなる。なんの因果か。
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「来年もこんなことができるかなぁ」とふたり同時に口にした。
できると思えばできる。
できないと思うと、足を引っ張る小僧が那須の山から降りてくる。
・ ひまわりの首それぞれを掻きいだき和語にて数ふ、ひぃ、ふぅ、みぃ、よ
里山の暮らし407 2018.9.6

嵐の前のしずけさ
やれやれ、9月だ。
酷暑の8月をようやく乗り越えて迎えた9月を、どう使うか。ここは思案のしどころだけど。
ぐーたら、のんびりする癖のついてしまった私の心を入れ替えるのが先だと思うな。
はて、心を入れ替える?
チラッと横目で相棒を見て、あの心と入れ替えたら、単に、
「ミニログに籠ってぐーたらからくりおもちゃ三昧」 と 「雑食読書のんべんだらり精神」を交換するだけなんだけど。出来の悪い生徒が集まってカンニングしても、いい点など取れない。
秋の種播き、夏庭の整理、庭木の剪定とその処理に追われる9月が、秋霖で始まった。
雨の今日はきっと「ゆっくり考えなさい」というどこかの神様の思し召しなのだろう。 (寝釈迦仏か?)
さ、ゆっくり旅の本でも読もうか。
バルト三国をバスでまわろう。
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いつまでも夢を見ていて、今日はこんな旅を思いついた。
バンクーバーから乗船し、カナダ西海岸をクルーズする。
スワードからアラスカへ上陸し、アラスカ鉄道で北上する。
列車のなかで夕食を楽しみ、
タルキートナで軽飛行機に乗り、デナリに近づく。
フェアバンクスでオーロラを見る。
こんな夢、どぉ?
T さん。 |
里山の暮らし406 2018.9.1

ちょっきりさんのお仕事は ハイイロチョッキリ (
コウチュウ目 オトシブミ科)
夏の賑わいもようやく落ち着いてきた。
観光客の姿もめっきり減ってきて、道の駅で売られているトウモロコシに、昨日はこんな看板が立てられていた。
「さようなら、トウモロコシ」。
うまいな、宣伝が。
その看板につられて3本入り300円のもぎたてを買ってきてしまった。名残おしさも手伝ってかよけいに美味しい。
ほかに買った野菜は茄子5本(100円)トマト8個(150円)ネクタリン7個(500円)。 少し値上がりしてきた。

コナラ ミズナラ クヌギ
コナラのドングリは春に受粉しその秋に熟す。
クヌギのドングリは春に受粉し、次の秋にあの「どんぐりまなこ」のドングリに姿を変える。
コナラはすんなりしたあわてんぼ。 クヌギはまん丸いゆっくりさん。

夏の終わりのこの季節には、庭や林の中の道路にブナ科の樹木の小枝がはらはらと落ちてきて、地面やアスファルトが見えなくなることがある。
小枝が降り積もった光景は怪奇現象めいて、毎年見慣れているとはいうものの驚く。
これは 「ちょっきりさん」 の仕事。 (「ハイイロチョッキリ コウチュウ目 オトシブミ科) )
♪ のぼるのぼる、楢の木に
登るのぼる、くぬぎの木
てっぺん目指して えいさほいさ
子孫繁栄、こどもは宝だ ♪
と声を掛け合っているかどうか。
体長8ミリ前後というこの小さいハイイロチョッキリが、地面から高さ15メートルの太い樹を登り、さらに枝先までひたすら
たどり着こうとしている。
人間にたとえれば、我が家から歩いて那須山に登るようなものだろう。
目も眩むような高みに到達したオスとメスは、はるばる登ってきた疲れもなんのその、まだ熟しきっていないドングリが付いている枝先で、やおら仕事に取り掛かる。
オスはメスの腰を支え身体を確保し、メスはドングリに卵を産み付け、口吻と呼ばれるのこぎり様の口を使って、写真のように小枝を切り落とす。
どんぐりの中で孵った幼虫は、中身を食べ外に這い出てすかさず土の中にもぐりこむ--。
これが 彼らの作戦なのだ。ああ、うまく土の上に落ちますように。
あと一か月もすると、樹上のドングリが熟して落ちてくるだろう。
屋根の上に落ちる音はまるで雷さまが暴れているみたなのだ。 バラバラバラと。
そうすると、地面の上に落ちたドングリには、ハイイロチョッキリより一回り大きい「ゾウムシ」が取りついていく。
地上に落ちたドングリには、待ちかねていたゾウムシが卵を産み付けるのだ。
ゾウムシと闘っては、身体の小さいハイイロチョッキリに勝ち目はない。
ハイイロチョッキリは
そうはならじとまだ木の上にあるドングリに卵を産み付け、ゾウムシよりも早く繁殖作戦を実行に移し、自分の子孫を残そうとしているのだ
。
競争と淘汰そのもの。 先んずれば人を制す。

ところが、上手をいくのは樹のほうだった。
何年かに一度、まったくと言っていいほどドングリを付けない年がある。
チョッキリさんやゾウムシたちにフェイントをかけ、彼らの攻撃をかわす。 ----ゾウムシ達は繁殖作戦がおおいに狂う。
植物の知恵も動物の知恵も、計りがたいものがある。
里山の暮らし405 2018.8.30

昆活 しようよ
日々の料理には新しい油を使いたいので、フライなどの揚げ物をするのには、深いフライパンに3センチほど油を満たして使うことが多い。
身体のために、残った油は再利用せず、裏庭の生ごみ用の大きな穴に捨てている ---- オリーブオイルも、キャノーラオイルも
、すべて植物からできているのだから、地面に埋めるとそのまま自然に還ってくれるだろうと考えて。
昨夜は肉厚の鮭に下味をつけ、薄い衣で揚げてみた。
今朝、いつものようにフライパンに残った油を穴にざぁっと流し込んだら、なにやらごそごそ動くものが目に入った。
立派な角を持ったカブトムシだった。
あらあら、ごめんね。でも何をしていたのだろう。
庭の雑草を積んである堆肥置き場のなかに、隠れようとしていたのかもしれない。
キーウィの皮に残った果肉を舐めとっていたのかもしれない。
上から油をかけられたカブトムシは、「油虫(G)」そっくりに変身してしまった。 おかしいやら気の毒なやら。
怒ったカブトムシは、角を振りたてながらのそのそと堆肥のなかに潜り込もうとしている。
やや衰えを見せ始めた夏の日差しを額に浴びながら、あたまの中にこんな音楽が流れる---。
♪ クッカラッチャ
クッカラッチャ ♪ (La cucaracha ) メキシコ民謡
La
cucaracha, la cucaracha
Ya no puede caminar
Porque le falta
Porque no tiene
La patica principal
La cucaracha contenta
Tiene ganas sin parar
Aunque le falta una pata
Nunca deja de bailar |
ゴキさん ゴキさん
もう歩けないよ
だって前足が足りないよ
それも大事な前足が
無いんだよ
ゴキさん 嬉しいんだね
止まる気なんて無いんだね
たとえ前足が一本足りなくたって
踊ることはやめないんだね、絶対に |

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お昼はプレーンオムレツ。 その上にケチャップをかけた。
のではなくて、この赤いのは、ゴーヤの種。 黄色く熟してくると、ゴーヤは先が三つに割れ、中から赤い種をのぞかせる。。
種は甘くておいしいらしいが、ちょっとね。
|
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赤つながりで。 隣組の〇井さんは、ヒコーキ乗り。
風が無く、天候が安定する日には、高い空を赤い飛行機が飛ぶのが見える。
晴れた日には、上空から富士山や磐梯山が見えるらしい。
ああ、どんな風景が見えるのだろう。 |
里山の暮らし404 2018.8.25

音魂祭
音魂祭は、那須在住の南米民族楽器演奏家、高山直敏さんが監修し県内外の南米民族音楽を愛好するグループが参加する夏のイベント。 高山さん < https://www.pentagrama.jp/ >
南米の民族楽器のケーナ、チャランゴ、サンポーニャ、ギター、それにパラグアイの楽器アルパの演奏や民族舞踊が披露された。

2018年8月18日
画像は「コンドルは飛んでいく」を総勢50人で合奏している様子。
アンデスの空を流れる風に届くように、心を込めて演奏している皆さんの顔は、今日を迎えられた喜びに溢れているようだった。
この日は、   
コンドルは飛んでいくの合同合奏
これも名曲「花祭り」
アルゼンチン舞踊 (ロス・パニュエリートス) 音楽とダンスは切れないあいだがら
エクアドル、コロンビアのリズム、バイレシートのダンス
ギターとサンポーニャの合奏
カホンと呼ばれる大太鼓の音が響く
アルパの演奏(ギター、サンポーニャ、ベース、パーカッションを従えて)
  
南米のアンデスの中の街(キト、標高2850m)に3年ほど住んだのはもう35年も前になる。
技術指導に赴いた夫に帯同した私は、まったく新しい言葉を習得するため大学の語学講座へ通い、子育てをし、近隣の国を旅して歩き、アンデスの白い山を眺めに週末ごと「四駆・8000cc」の車を駆って国中を巡ったものだった。
身体の芯から音を出す --- 空気が変わる。
一気に若いころの心が甦ってきて、誰にも見つからないように涙をぬぐった --- そんな午後だった。
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日本では数少ないアルパ奏者、塩満友紀さん。
細やかに、時にあでやかに、そして激しく弦をかき鳴らす。アルパ(arpa)とは、スペイン語でハープを指す。
ヨーロッパのハープが南米大陸に持ち込まれ、各国の音楽と互いに影響し合い、独自の発展をとげた。
彼女が着ている衣装は、パラグアイレース。
南米のパラグアイに伝わる、カラフルで繊細な手仕事によるレースで、現地では「ニャンドゥティ」と呼ばれている。
「ニャンドゥティ」とは、パラグアイの先住民族・グアラニー族の言葉で“蜘蛛の巣”の意味。
名の通り、開け放った窓から時おり流れ込む風にあおられてひらめき揺れるさまは、まるで音に絡みつく美しい蜘蛛
のようだ。
このアルパ、常に奏者の肩に寄りかかったまま、演奏される。 |
里山の暮らし403 2018.8.21

ひたすら
しゃがみ込んで草を取り始めると、すぐさまぶ〜んと音を立ててやってくるのはアシナガバチ。時にはスズメバチという、世にも恐ろしい強敵も馳せつけてくる。
蜂は遠慮なくあたりを飛び回り、羽音をこれでもかこれでもかと聞かせてくれる。楽しい音楽なのだろう、蜂に取っては。
こんな時わたしはどうふるまったらよいのでしょう。
1) 敵意まんまん、鎌を振りまわし、相手を威嚇する---直情径行の私にふさわしい。
2) じ---っと、なるべく動かずに石になる。
蜂と喧嘩できるわけがない。この場合は絶対に動かず、敵意を見せないことが大切なのだ。
耳のそばでブンブン、たまには帽子に止まったスズメバチがカリカリと布をひっかく音を聞いているのは、血も凍る?ような恐ろしさだ。
「やれ打つな 蜂が手をすり足をする」 ってこのことか。 打てませんよ、怖くて。
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なんでんなかよ。(九州)
まぁまぁ違う?(大阪)
ちぇすと!(鹿児島)
なじだね。 (新潟)
だいじ〜。 (栃木)
なんくるないさ。(沖縄)
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てげててでいこう。 (鹿児島)
つれもていこらよ。 (和歌山)
べつにいいんじゃね。 (若者)
Honey Trap にかかりたい。 (?)
ゆっつらゆ-っつと (佐賀)
Happy のいろいろでした。
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長年の経験から、蜂が飛んで来たら;
1) ひたすら石になる --- 動かないで、
2) ゆっくりしゃがみ込んで、なるべく小さくなる。
飛び回る蜂は、群れの先兵・尖兵。 こいつは怪しい奴なのかどうかを、確かめにきているだけだから。
3) 間違っても手で払いのけたり、攻撃を仕掛けたりしないこと。
4) 蜂が人間の存在に納得したらおとなしくなる。
そこを見計らってゆっくり蜂の視界から消え去る。
5) 万一を考えて、頭と首筋を守ること。そのためにタオルや帽子は必需品。
黒い服に蜂は集まってきやすい、なぜって昔から蜂の蜜を盗むのは熊と決まっているから。
黒い服=それはすなわち熊の親戚。
盗みを働く人間 --- ならば警戒しなんとかやっつけようと蜂は考える。
熊で思い出した。今年の夏は住宅地に熊が出できた話を聞かない。
そろそろトウモロコシやサツマイモの収穫時期なのに。
夏になるまで山に餌が潤沢にあったのかもしれない。
里山の暮らし402 2018.8.18
フタモンアシナガバチ
ときどき外れる天気予報が、今回はしっかり当たった。
「台風一過、晴れると気温がぐんぐん上がります。」
ありがたいご神託だ。
こんなに暑さに苦しむ夏なのに、まだぬかるみは続くの?
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手分けして |
円柱に近い六角形 |
おとといの雨のあと、牡丹の大きな葉にくっついている蜂の巣を見つけた。
フタモンアシナガバチが3匹、作りかけの巣に取りついて、わき目もふらず作業に余念がない。
六角形の部屋には黄色味を帯びた蓋がされていて、中にはすでに幼虫が産み付けられていた。
フタモンは二紋からきている。怖くて近づけないので確認できないが、腹部に黄色い斑紋が2個あるからと図鑑にあった。信州以北ではこの蜂を「ヌカバチ」と呼ぶらしい。
ヌカとはぬか喜び?額?触覚の先がくるっとカールしているのが特徴なので、やはり「額・ヌカ」なのかな。
庭の隅ならともかく、人の出入りが激しい --- といってもたったの二人だが --- 導入路に沿っているのでこれは退治しなくてはいけないだろう。
蜂よ、申し訳ない。勝手な言い分なのは分かっている。
取って返し、高枝切りのセットを組み立て、おそるおそる巣をかけている葉にアームを伸ばして、パチン。
切り取った。その距離は2メートルほど。でも怖い思いをするには十分な短さだろう。うろたえた蜂がどういう反撃に出るかはわからない、くわばらくわばら。一目散に逃げかえる。
数時間後、気になって見に行くと、地面に落ちた巣には蟻が集まって、部屋の中の幼虫を食べていた。
一夜明け、巣の部屋は蓋を食い破られてもぬけの殻で、六角柱が並んでいるばかりだった。
さらに今朝。
巣材はすっかり散らばっていて、花壇の肥料となってしまっていた。
最小の資材で最大の効果を生むハニカム構造の巣を作ったものの、心ない人間に踏みにじられてしまった蜂は、
この場所での巣作りを、すっかりあきらめてしまったようだ。蜂の幼虫は蟻の食料になり、巣材は肥料となる。
夏を謳歌していたセミが、ジジジと音を立てあおむけざまに落ちると、すぐさま小さい虫が集まってきて消化していく。
蜘蛛の子が入っている袋をうっかり破ると、「蜘蛛の子を散らすように」 蜘蛛の子が逃げまどう。
カマキリの子が孵った時の可愛さったらない。5ミリほどの鎌を振りかざして威嚇してくる。
コオロギやキリギリスはまだまだ小さくて体長1センチほど。 芝生を歩くと左右に跳ね回る。
夏。 いのちがあふれる。
里山の暮らし401 2018.8.14

夏が進む
昨日は台風13号に備え、近在の稲作や果樹農家の人達が、真っ暗になるまで対応に追われている音が、遅くまで聞こえてきていた。その努力は報われたようだ。台風は東の海へと逸れていった。
これで皆さんひと安心しただろうと、農家出身の私も他人事ながら胸を撫で下ろした朝だった。
風の音を聞いていると、子供のころ川が氾濫し、我が家の田んぼが冠水した時の何とも言えない思いがよみがえってくる。
水に浮かぶ稲の苗が、いまにも流されそうになる---それを面白半分で見に来るやからもいて、子供心にもやるせなく腹立たしい思いをした。
さて、どうやら雨はおさまったらしい。
早起きして、ブルーベリーの収穫をするとしよう。
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ヒマワリ 向日葵
(学名は Helianthus annuus キク科
Heli」とは「太陽の」の意味)
名前の通り、お日様を求めて回る植物だと信じる人が多いが、実は回らない。
幼苗の時期には、日差しをなるべく受けようと背伸びしたり
首を伸ばしたりするが、咲く時期になると花首は
(よほど変わり者でない限り)
朝一番の光を浴びるためもあって、必ず東を向く。
花茎の上部の葉は、太陽に正対し太陽の動きを追うことからこの誤解が生まれたのかもしれない。
向日葵畑の迷路に入って方角に迷ったら、花首の向く方向が東、と思い出そう。 |
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反省なら向日葵にもできる。
というわけでもなくて、種が熟してきたら、
夜露や雨を避けるために--- うなだれる。
あたまの重みを均等に受けるため、茎をねじりながら。
直角に折れると、まるでストローを折ったように茎が断裂してしまう。そこでストローの蛇腹部分のように捻りながらうなだれる。
賢い!この姿勢を取ると、種をかすめ取るシジュウカラやカワラヒワの攻撃をかわすことができる ようだ。種は、限られた面積になるべく多くの種を実らせるために、フィボナッチ数列そのものの並び方をしている。みごとな自然の知恵だ。 |
左(シジュウカラ) 右(カワラヒワ) |
この夏のブルーベリー採りも、いよいよピークを過ぎた。
今朝は風交じりの薄い太陽がのぼる前に、ブッシュ状になった木に取りついて汗を流した。
うっかりすると、まだ熟していない青い実まで落としてしまうので、気を付けてはいる。がやはりポロポロ落としてしまう。しかたないな。落ちた実は、ウサギにあげることにしよう。今朝の収穫は、約3キロで、一日の量としては最大だった。今日で今年の収穫量は33キロになった。
冷凍庫は満杯。子ヤギを食べたオオカミみたいにパンパンだ。
明日からの収穫はぜんぶおすそ分けにしよう。
里山の暮らし400 2018.8.9

かわうそのまつり
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寝っ転がって、
頭をぐるりと右に回すと、
サイドテーブルに置いてある本が
目に入るように、並べて置いておく。
うふうふ。
たくさんあって嬉しい。
あ、しかし。
発作性頭位めまい症をおこしそう。
特に右回りに弱いしね。
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午前5時半に(さまざまな)作業開始。
朝食のあとは夕方まで勝手気ままな時間ではあるものの、家事には終わりがない。
ひとりちょこまかと走り回る。 暑いなぁ。
昼食後、足腰を緩めるためにベッドにごろりと横になった、いつものことだけど。
カーテンは引いてあるし誰も見ていないよね。 ああ、極楽極楽。
幼いころ父が昼寝の前に、
「寝るより楽はなかりけり。 浮世の馬鹿は起きて働く」と、煙草を咥えながらうそぶいていたのを思い出す。
当時は「なんか横着者みたいでいやだぁ」と思っていたけれど、当時の父の年齢をとうに過ぎて、その思いを十分すぎるほど理解できるようになった。 あのセリフは ----
たしか都都逸だったようだ。
蛇足:
この都都逸のあとは「京のみやこのまんまん中で、ヒョウタン酒をかついで」だった。
あれもやっぱり都都逸か、 あるいは昼寝の前の呪文だったのか。
サイドテーブルに本を積み上げて、横目で積んだ本を眺めることにしよう。いっぱいあって、幸せだ。
食料ヨシ読む本ヨシ、の夏の午後はこれから。やおらどれかを手に取って読み始めるが、ふぅぅっと眠気が差してくる。
きっと前世は布団だったのだ、わたし。 布団にくるまれていると、ふわふわした雲に抱かれているようだ。
一休みしてからベッドに腰かけ、久しぶりに椎名誠の昭和軽薄体を駆使した『さらば国分寺書店のオババ』でクスクス笑い、最近作の『ぼくがいま、死について思うこと』で、いろいろな国の葬式の形態について知る ---
葬儀をどう行うかは、その国の宗教や自然のありかた --- 死生観で変わってくる。人々の暮らしの背景を理解することが大切なのだろう。
短歌についての雑誌をパラパラ。
ついで皇后さまの御歌集に目を通す。あ、こんな姿勢で読んでいてはいけないかもしれない。昔なら不敬罪だな。
宗教がらみで『イスラエル』を読む。宗教を知らずして歴史を理解することは難しい。
次は『ドアの向うのカルト』エホバの証人に洗脳された家族の物語。どうやって洗脳から抜け出たか、この部分をもう少し詳しく書いてほしかった。
入信するところまでは理解できるが、そこから抜け出すのにはどういう努力がなされたのかを知りたい。
宗教を持たない我々には理解できない精神活動だ。
宗教を持つということは、人生を豊かに生きることに繋がるはずなのに。
『失われた世界、そして追憶』 曽野綾子と家族が、マヤとアステカの遺跡を旅するお話。
達意の文章に惹かれる。
メキシコには3回旅し、特にこの本に出てくる遺跡へは相棒を残してのひとり旅だったから、興味もひとしお。
最後に残ったのは『団塊絶壁』。
団塊の世代が老いてゆく。医療、介護などの大問題を説いてある本。読むのが恐ろしい。
晴耕雨読って言っても、こう晴れては庭仕事もできやしない。
ひたすら図書館の本を読み漁る8月のはじまり。
獺祭(だっさい):
獺(カワウソ)には捕らえた魚を岸に並べる習性がある。それがまるで祭祀を行うように見えることから、参考資料等を広げちらす事をさすらしい。
ついでに。日本カワウソは絶滅したらしいが、西洋カワウソは各地の水族館でさまざまな芸を見せてくれている。とても賢い動物だ。
獺祭:
日本酒「獺祭」の蔵元・旭酒造株式会社製造の、世評が高いお酒の名前でもある。
< https://www.asahishuzo.ne.jp
>
この7月の西日本豪雨で大きな被害を受けたが、現在再興されつつあるらしい。
里山の暮らし399 2018.8.5

レトロな? 昭和の風物詩、「くろんぼ大会」
あれはいつのことだったのだろう。
2学期が始まってすぐだったけれど、始業式ではなかったから、おそらく9月2週目の全校集会での行事だったように思う。
先生の合図をきっかけに、全学年から選出された男女12人の代表が壇上にズラリと並んでいる。
自慢げな。 恥ずかしい。 おもわゆい。 得意げな。 きまり悪い。上気した。 こそばゆい。 どこかに逃げ出したい。いたたまれない。 照れくさい-----。
見ている自分自身、その子たちの思いを感じ取ることができたのかどうか、今となっては思い出せないが、「なんとなくみんな、心が揺れているな」ということは分かった。
頃合いを見計らって、先生が声をかける。
「さぁてみんな。背中を見せてあげよう。」
それを合図に12人の子供たちは後ろを向いて服をまくり上げ、大きい背中やほそぼそとした背中を全校生徒にさらす。
歓声があがった。
夏休みの間に日焼けし、一番黒い子供が優勝する。--- これが「くろんぼ大会」だった。
「勉強とお手伝いは午前中に。」
「宿題は計画を立ててやりましょう。」
「夏休みは外で元気に遊びましょう。そうすると冬に風邪をひかないよ。」
この延長にあるのが、「くろんぼ大会」だった。
「元気に遊ぶ」これはOK、守れる。しかし「「宿題は計画的に」なんて、明日も明後日も休みだ!という喜びに、どこかへ飛んで行ってしまうのが例年のことだった。
今どきは、日焼け止めを塗れだの水分補給せよだのと言われるが、当時は「運動するときに水を飲むんじゃない」などと、精神論を振りかざす体育系先生がいて、それをおとなしくきいていた子供たちばかりだった。
それに「くろんぼ」などと言った言葉は、いまや禁句。口にするとバッシングを受けそうだ。差別は心からにじみ出るもの、言葉から差別が始まるわけではないのに。
それはさておき、一番思い出に残っているのは、4年生のくろんぼ大会だった。
その年一番になって表彰状をもらったのは、親戚筋の電気屋さんの娘で、当時の私よりも2歳上。
黒かった。
驚くほど黒かった!
うらやましかった。
何十年も前の出来事を思い出すのは、暑さのあまり脳が融けてしまったからか。
この7月は酷暑、猛暑、炎暑、激暑といくつも言葉を並べて表現したくなるほどの記録的暑さが続き、ついに7月23日、熊谷市で史上最高値の気温、41.1℃を記録した。
初旬の集中豪雨による西日本広域災害の被害の大きさ、オウム真理教の死刑囚が13人、同じ月に全員の刑の執行を受けた、下旬には今まで経験したことのないコースをたどる台風12号の来襲と激烈な月だった。
今日、その7月の晦日。8月はどのような月になるだろうか。

百合・カサブランカ と フロックスが咲く盛夏
明日は8月朔日。那須では8月1日を釜蓋朔日(かまぶたのついたち)と呼ぶ。
その由来は昨年の日記に。
里山の暮らし398 2018.7.31
脱兎のごとく ---- これこそ脱兎だ !
何かの気配を感じたわけではないが、寝室の窓からふと裏庭を見下ろすと、壁に沿って日本野ウサギが、ぽんぽんと弾むように歩いているのを見つけてしまった。顔が、にまにまと嬉しそうだったけど、気のせいか。
相手はもちろん上から見られているとは気づいていない。
野ウサギの向かった先は、家の角を曲がった所にある「ブルーべリーの畑」。
畑といっても、窓から手を伸ばせば熟した実を直接取れるくらいの距離に、5本ほど植えてあるだけなのだが。
カメラを手に、そぉっとそぉっと窓に近づき、しゃがみ込む。そうするといた!
野ウサギがいた!
風に揺られて落ちた実を、拾って食べているようだ。
写真を撮ろうとして、ついカーテンを揺らしてしまったらしい。野ウサギは「脱兎のごとく」デッキの下を潜り抜け、一目散に飛び去ってしまった。
ああ残念だった。
こんな近くで野ウサギを見られるなんて、夏の朝に思いがけない楽しみが転がり込んできたのにな。
この状況ってまるで「ピーター・ラビット」の世界じゃない?
私は野ウサギがブルーベリーを食べたって、マグレガーさんのように、怒ったりしないけど。
後ろ足で立って、前足でブルーベリーをつまんで食べている----という理想的な姿ではなかったが、なかなか面白い。
畑の木の下は、野ウサギが舐めたのか?と思えるくらいすっきりとしていて、まるで掃除をした後のように、まっさらな地面が広がっていた。
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→ は左の後ろ足。
この姿勢はまさにクラウチング・スタートを切るところ。
逃げ足の早さときたら、まるで瞬間移動。
筋肉質の体をししてるなぁ。
→ いち早く危険を察知するために、長い耳を持っている。
目が赤いかどうかは、わからなかった。
(撮影はガラス越し) |
正確に言えばこのウサギは、ピーターラビット(Rabbit) と同じウサギではなくて、野ウサギ(Hare)。
夏なので体毛は茶褐色だった。
野ウサギは群れを作らず単独で生活するようだ。決まった巣を持たず、その時にねぐらとしている場所を中心に半径400mを行動範囲としているらしい。
夜行性なのになぜ午前9時という明るい時間にやってきたのか。よほどブルーベリーの美味しさに惹かれたのか。
子供を年に数回産み増えるらしいが、林のなかであまりその姿を見たことはない。
・ 魂(たま)ふふみ我より出でし者たちよ降りそそぐ陽にむくげの開く
里山の暮らし397 2018.7.26

野菜を食べる日
今朝は5時半起き。すぐさま洗濯を始めて6時には外に干した。
そのあと気になっていた裏庭のブルーベリーの収穫に取り掛かる。すでに気温は上がり始め湿気の多さとあいまって、とにかく暑い。嬉しいことに、今日までで収穫量は18キロになった。目標は25キロ!

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山百合が1本の茎から、こんなにた くさん咲いた。 |

マッターホルン |
毎朝50粒ずつ食べ続けてきたのに、冷凍庫にまだ去年のブルーベリーが、2キロ残っている。
今朝は、去年の7月10日に収穫した分だった。 |
汗が流れる。汗は流れるままにまかせて掃除をし、必要な家事はさっさと済ませてしまおう、と考える。こういうところは相棒も一緒なので家事は同時進行。船頭が二人いても山には登らない。
ふ〜、終わった。今日の最低限の家事は終わった。
それから朝食、ここで7時半。夕方までは自由時間なり。 何とものんびりした一日の始まり。
タンパク質と野菜をとりまぜた朝食を摂りながら、「猛暑に効くのは野菜だよね。」と話していて、ふいに思い出したことがあった。

マッターホルンの見える町、ツェルマットに連泊していたあの夏 --- 2012年の7月のことだった。
朝から標高4000メートル地点近くまで登り、イタリア領をのぞき込み、マッターホルンの尖った白い山を遠望し、雪をばくばく踏みながら散歩して、思いがけな
く夏のさなかの冬を経験した1日。
疲れ果ててホテルに帰ってきて、さて夕食だ。 野菜をどっさり食べたい---。
ホテルのレストランでアテンドしてくれるお嬢さんに、
「前菜のこの野菜バーを、メインを無しにして2回食べたいのよ。」
「え?そんなことしたら身体に良くないでしょ。お肉も食べてください。」
「だってね、今朝からずっとハイキングして、少し疲れたみたいなの。だから野菜を2回ね。Twiceよ。」
こんな頼みごとをするお客はほかにいないのかもしれない。ほっぺがプクッと赤くふくらんだ、夏だけのアルバイトらしい地元の娘さんは、びっくりしそれから少し困った顔で奥に引っ込んで行った。
数分後、厨房の責任者なのだろうか、中年の女性がお皿を2枚持って我々のテーブルに近づき、ニコヤカナ顔でこう言った。
「この小さいお皿は前菜用で、こっちの大きい方がメインディッシュ用のお皿です。この大きい方で2回分の野菜が載ると思うのですね、これでいかが?」
「おお、サンキュー、これで結構です。」
私は大きいお皿一杯に野菜のあれこれを取ってきて、相棒が前菜+メインを食すあいだ、心ゆくまで疲れた身体に野菜を補給することができた。満足満足。
内心はくすくす笑いで溢れていたのだが。
だってね、お皿にてんこ盛りにした野菜の山の体積を、皿の半径をぐるぐる廻した球体の半分とすると、
その半球の体積は、
「3分の4かけるπ(パイ・3.14)かける半径の3乗」の半分になるはずだなぁ。
この場合「半径の3乗」がミソ。ここで比較できる---。
前菜用のお皿とメイン用のお皿の大きさをざっと目測してみた。紙ナプキンにこそこそと計算してみると、大きいお皿の方が、小さい前菜用のお皿の7倍近くの野菜を載せることができるのだ。つまり、前菜の費用2回分で7回分の野菜を食べることができる---と。
ついふらふらと計算してしまったが、お金ではなかった。
疲れた日には野菜をタップリ食べたい、という望みが叶ったあの夜の、純朴そうなお嬢さんの顔を思い出す。
「分かりますよ。私も昨日夜更かしして疲れているのです。」
「そういう時もありますね。」
「どうぞ、ゆっくり召し上がれ、エンジョイ!」と言ってくれた娘さんの顔を。
里山の暮らし396 2018.7.22

猛暑なので、亀になろう

このところ、気温が34℃から35℃の日が続き、うんざり。
せっかく咲いた山百合が、あっという間に衰えてきて残念な7月だ。
こう書いたところへ、相棒がお茶を淹れて持ってきてくれた。
それも、熱い煎茶を。
煎茶は大好きだけど、熱い、暑い。
頭の中が融けそうになっているので、日記はこの画像でお茶を濁すことにしましょ。
猛暑です。
みなさん。
ゆっくりゆっくり。
行動はゆっくり。
「♪ もぅしょもぅしょ亀よ、亀さんよ---♪」
こう書いてある新聞記事を見つけた。
でも、毎朝5時起き、気力を振り絞って草取りに精出す7月だ。
里山の暮らし395 2018.7.16

サーチング・イメージの形成
なぜ私はこんなに上手なのか ----- わらび採りが。

最近とても興味深い本を読んだ。
それは『カラス屋の双眼鏡』 京都大学理学博士 松原始著 角川春樹事務所刊
著者は生物学者で、主にカラスの生態を調査・研究している「行動派」動物行動学の学者さん。
奈良出身の著者の、思考のおもむき方や表現方法がいかにも大阪人のそれで、読んでいて関西に一時帰国したような感覚に襲われる。懐かしくうれしい。
サーチング・イメージとは。
眼前にある、溢れかえっている情報から、自分が目指しているものや探している特定の形や色に素早く反応すること、あるいはその状態だとあった。
必要とするものに焦点を当て、望むものに自ら寄り添うように探し出すということらしい。
集合写真のなかの自分の姿を、ためらいもなく探し出す。
名簿の中の名前の羅列から、よく知っている特定の人物のものを探し出す。
こう言った時を「サーチング・イメージが形成されている」というらしい。
例えば、ミニログを建てているとする。
大事な、ほかに代えようがないネジが下の地面に飛んでしまって、どう探しても見つからない。
こういう場合は、探しているネジと同じものを下の地面に落とし、それをじぃ---と見て脳にネジの色や形を覚えさせる。
そうすると無くしたネジを、あたかもあちらが呼んだかのように簡単に見つけることができる。---と こんなふうに考えた。
そうすると、私の脳の中には「ワラビ」や「雑草」の色かたちや姿がしっかり記憶されていて、いざという場面には自由に引き出して使い、ワラビや雑草に寄り添うことができる、ということだな。
ワラビは嬉しいけれど、なんだ寄り添う相手が雑草なのか ----- という複雑な気分。
考えれば恐ろしいことかもしれない。
自分の精神に「なにかに引き寄せられたい」「願いを叶えたい」「実現すれば」というものを持ち合わせていると、ひょっとして詐欺、宗教などにこちらから寄り添
ってしまうかもしれないから。
しかし、正しい目的に向かって努力し願い続けていると、いつかその願いが叶う、ということもあるよね。
それから、プレゼンテーションや競争競技などで、予め成功するイメージを作っておく。
これらのことにも、サーチング・イメージの形成が手助けをしていると思えるが。どうだろうか。
里山の暮らし394 2018.7.10

初の ----- いろいろな花が梅雨明けを待っていたのか、一斉に咲いてきた

マツモトセンノウ 松本仙翁
初めて白花が咲いた。
周囲の濃い緑のなか、そこだけ浮き上がって見える。 |

ハイブリッド・リリー マルコポーロ
オリエンタルリリーと在来の山ユリが交雑したらしく、 とても背が高くなった。 |

ハイブリッド・リリー トライアンフ
オリエンタルリリーと在来の鉄砲ユリの交雑種。
鉄砲ユリの面影がある。 |

日本の在来種 ヤマユリ 山百合
関西の山百合は笹百合のこと。
これから庭中に咲き乱れる。
その数200本くらい。 |

ニッコウキスゲ 日光黄菅
標高が低い我が家の庭では、こんなに色が濃くて
オバさんっぽい花が咲く。(標高425m)
後ろは紫つゆ草。 |

ひまわり 向日葵
野鳥が食べ残した餌場の種から、庭中に芽を出して
いち早く花を咲かせた。
ピンクはムシトリナデシコ(小町草)。 |
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いつものように、庭の隅から笹を切ってきて、七夕飾りをこしらえた。
よ〜く見て。裏面に願い事を書いていないのが分かります?
この年までそこそこ元気に生きてきたのだから、これ以上のお願いは、----これは贅沢というもの。人生なるようになる。なるようになった時には、さまざまな選択があって、その一つに
「あきらめる」
という強力な手があるのだから。
----- 無我 無心 無欲 無念無想 無私無心
無為徒食のわれわれ。 あ、無芸大食もある!
六無斎よりましか。
那須だって35度まで上がるのだ。
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・ 星まつり寂しささえも言祝ぐとゆるゆるもたぐ若き日のゆめ
前回の答え---わたしなりに。
・おらほの先生は栃左衛門。
栃太の先生はおらだ、栃次郎だ。
栃太の苺が一番うまいなら、栃太の先生のおらが一番偉い。
里山の暮らし393 2018.7.6

暑いから あたまの たいそう
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とちおとめ 最近は夏にも出回る |
(おまけ) 栃の実 横向きに熟す |
なんと、6月のうちに梅雨明けした那須です。
現在の気温は34℃。高原という名はきっと観光課の陰謀だ!と言いたくなる朝。
あんまり暑いので、今日はクイズです。
栃木名産の「とちおとめ」の名前を借りて:
栃左衛門さんが、刻苦勉励苦心惨憺臥薪嘗胆四苦八苦辛労辛苦して(いっぱい苦労したのね)
「とちおとめ」を作出した。
栃左衛門の弟子の栃次郎がその技術を受け継ぎ、改良を重ねた。
栃次郎の弟子の栃太がさらに工夫を重ねた。
さて、ある人がこう言いました。
「栃太のいちごのほうが、栃次郎のいちごよりも美味しいぞ」。
それを聞いた栃次郎、プライドをかけてこう答えたとさ。
「○○〇-----〇〇〇〇〇-----○○○○〇----」
この〇〇〇で始まる文章を完成させてください。(あなたなりに)
里山の暮らし392 2018.7.2

今日の手仕事
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6月10日の記録にある、「回るブルーベりー」が、めでたく熟してきた。
珈琲豆と同じように、一斉には熟さず、「これが熟したら、今度はあれ、そしてそれ」というように規則正しく果実人生を全うしているようだ。
手前の三つは採りごろ、右の紫色は明日。そして残りはまたまた次の日に。気ままなわけではない。これは種を残すという繁殖作戦に乗っ取ったもので、生き延びる作戦らしい。 |
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イラガ、あしなが蜂、暑さと闘いながら、本年初めての収穫。
まず一番採りをお隣さんへお裾分け。
「初物だから長生きするよ---」。
追熟を一日。そのあと洗って400グラムずつパックし冷凍した。
困った。冷凍庫がいっぱい。
この一年間、毎朝30粒食べ続けてきたのに、
去年のブルーベリーがまだ3キロも残っている---。
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わが家の山椒の木はまだまだ若い。
花が咲いても実にならない。
近くの道の駅で、いつもの小母さんから買い求めた山椒の実を、水に漬けあく抜きをして茹で、少し柔らかくなったところを冷凍しておいた。ちりめん山椒に、中華料理に。小粒でもピリリと辛いとはまさに。触った手で、うっかり目をこすったりすると
---おおおぉぉ!と叫ぶ羽目におちいる。
「家の中にも山椒の実みたいなのがいるよ」と外野が言う。
どこに?
|
里山の暮らし391 2018.6.26

畑で
花菖蒲が 花ざかり

は るか遠く、那須岳が見える林に住み
な つかしい田舎言葉の語尾は、母音で揺れている
縄 文の人が佇ち並ぶかのように白い花が咲き
よ ろこびに溢れる日々が幾日か、この六月
浮 子(うき)を付けるとなおさらに
深 草の庭も風情があるものだ
* しかし、
浮 き 立つ日々は つかのまで
無 聊をかこつばかりなり ----- こういう並びもあるなぁ。
今日のお客さま
里山の暮らし390 2018.6.21

これがカップラーメンの味だった! 15年振りだ!
 |
まず、取説を読もうよ」
「やっぱり3分待つらしい」
---じっと待つ---
「もういいんじゃないの」
「そうだな-----では」 と手を伸ばす。
「う—む、こんな味だったか、ずいぶん濃いな」
「私にも、5本でいいから」
|
コンビニで買い物をしたら、くじを引かされた。
不思議と当てる気まんまんの日にははずれ、今日みたいに店員さんと「どうせ当たらないよね」と無駄口を叩いた時には当たる!
当たったのは「トムヤンクン味のカップラーメン」。味がしっかり付いていて、おいしい。いつも減塩味噌だの醤油だのを使い、野菜などはレモン果汁を振りそのまま食べている生活に、こんな味が突然入
ってきたので胃がびっくりしているようだ。
しかし、高血圧が怖いわれわれにはこの味は無理かもしれない---無理しないでおこう、コンビニさん、ごめんね。
炭水化物と砂糖と油と。この3点セットは
あまりに魅力的すぎる。相棒は10本、私は5本食べ、
残りは生ごみを発酵させる裏庭の穴に流し込んだ。庭をパトロール中のいつものカラス、それを見ていたらしい、急いでやってきてツルリツルリと吸い込んでいる。
強い塩気は腎臓に良くないよ---、と叫んでみても届かない。カップラーメンを食べたのは、15年振りだ
った。
そういえば、コンビニやスーパーで売られているあのペコペコした袋に入っている「三角おにぎり」とやらは、いままで一度も食べたことない。
変かなぁ。
手にすると、不器用な私は慣れなくて、ポロリと落としてしまいそうだ。
* 今日は父の日。ライン河畔産の安くておいしいモーゼル白ワインと、赤身の牛ステーキを用意した。
(私も甘いな、ま、お相伴にあずかろう)
里山の暮らし389 2018.6.17

接吻 Kiss ----- クリムト
アイスランドポピー |
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昨年の秋に種を播き、丹精込めて世話をして春早くから楽しませてくれていたポピーを、思い切ってすべて抜くことにした。可哀相なのでその前に 、残ったつぼみだけ集めてみた。
その数は約200本。花びんに溢れかえっている。次つぎに花びらを広げるポピーがびっしり。 湯気が立つようにゆらゆら揺れている。
そしてくずおれていく。
それを見て
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「クリムトみたいだね」
珍しい。
照れもあろうが、不器用で抒情的な会話はまず避けて通る、理系直情男の相棒がこう言った。
ここは長い付き合いだから、この場合のクリムトとはあの豪奢な作品を意味することは
、おのずと知れるのだった。
周囲に輪郭線を象づくって二人の身体を浮き立たせ、覆い布には長方形と円形の模様が捺染したかのように描かれ、
その中で抱擁しあう男女の姿は、この世から抜け出ていく魂を写し取るかのように美しい。
足元には花畑が広がっている。
女性の覆い布からじゅずつなぎになって何かがこぼれ落ちている。黄色、きいろ、黄色い珠。
そこは崖っぷちなのかもしれない。ひざまずいている女性の足先は、身体を支えきれずに
今にも崩れ落ちそうだ。
法悦と退廃、直情と陶酔、その後に来るものは何か。
アンバランスに、不安をかき立てられる。 |
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ウィーンに今も残る路面電車を乗り継ぎ、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア・ギャラリーへ行く日は、朝からふわふわと落ち着かない気分だった。宮殿の中をおずおずと進む。目当ての部屋に近づくのが楽しみなような、あるいは怖いような。-----小さいざわめきが胸に湧いてくる。じっと透かしてみると、これは精神が震えているのかもしれない、と思えてきた。
潮が引くように、満ちるように、人々が群れ、ひとりひとりが背負っている感情と共に去っていくのを感じながら、
絵の前に立ちすくんだあの日は、2012年7月15日。生涯の特別な日。
『Kiss』「接吻」で知られている。
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt,)作 油彩だが金箔が散りばめられている。
ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館(オーストリア・ギャラリー)所蔵。
1907年から1908年ごろ制作
里山の暮らし388 2018.6.15

動くもの 動かないもの
動物は動くもの。では植物は動かないのか。不動物という言葉は無いのかな。
いやいやこんな例もあるようだ。
回る 回るよ --- Blueberryの場合は。
ブルーベリー
(左)
ツツジ科の植物にふさわししく、花はぽつぽつとした壺型で、夜間の霜や露を防ぐために下向きに咲いている。
受粉媒介者のマルハナバチには、足元が定まって止まりやすく蜜を吸いやすい。その反面、隙あらば蜜を吸おうと狙っているヒヨドリに取っては、足場が悪くて
不安定。
(右)
そうして、受粉成功!
一つ一つの花を支えている短い花茎は、陽を求めておもむろに枝の上部へと回りながら動いていく。
これで完璧。日差しをしっかり受けて熟すのを待っている。
潜るよ もぐるよ----- スクワットするのだ --- Bluebell のひとり言。
スパニッシュ・ブルーベル
せっかく深さ10センチという理想的な場所に陣取っているのに、このところ雨ばかり。
ほら見ろ。土が流されてしまったじゃないか。晴れた今日なんか、太陽の熱がじかに伝わってくる。
しかたない。新しい根を伸ばして慣れない屈伸運動を始めるか。スクワット、スクワット。
やれやれ、もぐった。もうこれでいいだろう。ん?今度は隣のヤツが潜ってきて腹と腹がぶつかる始末だ。
今度は斜めに移動するしかないな。 スクワット、スクワット。
画像にある短く細い根は、普通の根。土の栄養を吸収したり、身体を支えたりしている。右に長く伸びているのが、新生の牽引根(収縮根)。不定根だ。
これを使ってスクワットするんだ。
収縮によってできた横縞がある---ちょっと見えにくいか。この根を縮めて球根を土の中に引っ張り込む---簡単に掘り起こされないように地中深く潜伏するんだよ。
ほらな。人参を見てみろ!横に縞が何本も見えるだろう。あれもそうだよ、スクワットしているんだ。
しゃくに障るのは、カタクリのヤツだ。
地面に落ちた種が、芽を出し根を収縮させて40Cmの深さまで潜り込むこともあるんだ。人間さまで言うなら、地面を100メートル
を越えた深さまで自力で潜ることになるか。
はたらき者だ!
もっともあの球根はずいぶん美味しいらしい、そうでもしないと掘り起こされてしまうからな。
まわる まわる、で思い出した。
いまだに記憶に生き残っている事件がある。
幼ないころ、つまりいたずら者のガキ・チビの頃のことだ。確か6歳くらいだったと思う。
初めて一人で「五右衛門風呂」に入り、浮き板をうまく沈めることができずに、溺れかけたことがあるのだ。
手掛かりがなくてするする滑る熱い鉄の風呂の湯の中で、ぐるぐる身体が回転していった-----あの身を絞られるような恐怖を思い出す。
ぐるぐる。ぐるぐる。
あの夜、どうやって体勢を立て直したのか、思い出せない。
何しろチビの私は体重も少なくて、1メートルくらいしか背丈がなかったはずだから。
・ 五右衛門風呂の浮きし底板にたばかれてよもつひらさか往きて戻りぬ
←Bluebell
の名誉のために。こんなに可愛らしい花。
里山の暮らし387 2018.6.10

ヒマラヤの蒼いケシ 天上の妖精 メコノプシス・グランディス
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こちらに来て、自然の中に咲く花のしなやかさにますます目覚め、季節ごとに会いに出かけている。
自然の中にある強くたおやかな野の花、木の花に魅了される日々---辛いことや悲しいことがないわけではないが----しあわせなことだ
。
春はまず水芭蕉、山桜に峰桜、ズミ、初夏のシロヤシオツツジ、エゴノキそしてこの「ヒマラヤの蒼いケシ」。
この花を見ないことには夏を迎えられない。
春と夏をつなげる、糊しろの部分に咲く花。
それは空の色、ヒマラヤの空の色。
仰がなければ見られない色。
ヒマラヤの、標高3000m以上の高地に咲く
「ヒマラヤの蒼いケシ」。
上三依水生植物園 http://www.yamasyokubutu.co.jp/ |
この植物園には、ライブカメラが2台置かれていて、居ながらにして花の咲き具合を確認することができる。
昨日、こんなことがあった。ライブカメラの前に立ち、皆でカメラに向かって手を振る。
それをスマホで確認し、大喜びする男女のグループが次々に現れてきた。
きゃあきゃあ。わぁわぁ。「世界中の人が見てるぞ〜」
みな、「高齢者割引」で入園した人たちなのに、うれしさに溢れた顔は、ほとんど新入園児のそれ。
あ、入園と言っても植物園ではなくて幼稚園だけどね。
で? 私もその真似をしたかって?
あははぁ〜。 であります。
里山の暮らし386 2018.6.5

今日の花遊び
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今日の花遊びは。
デルフィニューム (白と青紫)
ニゲラ (これはモンゴメリが大好きだった花)
レースフラワー
クレマチス (藤娘)
シャーリーポピー (赤 ピンク)
夏藤
芍薬(一重が美しい)
バラ (ピエール・ド・ロンサール)
お隣さんに頂いた「バカラ」に活けてみた。
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「私は嘘をついている」。
・「もし私は嘘をついている」のなら「私は嘘をついている」が「嘘」になり、本当のことを言っていることになる。
・「私は本当のことを言っている」のなら、「私は嘘をついている」が本当になる。
このパラドックス!
闇の中、じっと考えていると、おとなしかった羊の群れが、ごそごそ。
起きて草を食み始める・・・。
里山の暮らし385 2018.6.2

聞きなしの楽しさ
今年のホトトギスは、声を聴かせてくれるのがずいぶん遅かった。
毎年、「初ホトトギスの声」の日時を記録しているが、今年ほどあの賑やかな声が待ち遠しい年はなかったような気がする。ずんぐりした、鳩より大きいくらいの身体に持てあますほどの長い羽を背負い、高さ20メートルほどの
楢の木の樹冠すれすれの低空を東へ西へと飛び回る。飛び方はまったくサマになっていない。羽の大きさが邪魔しているのか、ドタドタドスドス。鳥の面目まるつぶれ。
この羽の大きさは、身体を大きく見せ托卵相手を威嚇するためのものなのかもしれない。
あの声の大きさは地声のようだ。
ウグイスに托卵するホトトギスの厚かましい行動は、おそらくほとんどが失敗しているのだろう。
さもないとウグイスが全滅してしまっているはず。支配と被支配のこの絶妙なバランス!
何羽かのウグイスの縄張りを占拠し、自分の勢力範囲として保つには、あのよく通る大きな声が必要なようだ。
朝まだき。
まだ周囲は暗いままなのに、突然聞こえてくる声は
たったんたたた たったんたたた (たたたと3拍続く) ここで勢いを付けたホトトギス、
たったんたたたた たったんたたたた (たたたた とようやく4拍の声に)(リフレイン)
ここで疲れたホトトギス、たたたた---たたたた----たたた----たた---と口をつぐむ
この声をどう「聞きなし」するかには、いろいろあって、
「てっぺん 欠けたか」と聞こえる説や、
「東京特許許可局」と、早口ことばそのものの聞きなしをする人もいるらしい。
私にはてっぺん欠けたかと聞こえてくるけどな。
---ただ、
朝の4時というのに、大きな声で目を覚まされるのには閉口するが。
もう一つある。 それは「弟切った」という声
庭のオトギリソウ
この弟切草には、こんないわれがある。
むかし兄弟の鷹匠が、鷹の切り傷の治療のためにこの弟切草を使っていた。あまりの薬効に門外不出---仲間の鷹匠にはこの薬効を明かしていない。ある日、弟が仲間の言葉に乗せられて、うっかり薬草の秘密を明かしてししまった。怒髪天を衝かんばかり。兄は弟を怒りのあまり、切り殺してしまった。
弟の恋人は遺体に泣きすがり、そのままあとを追い命を絶ってしまった。怒りにまかせて弟を切り殺した兄は、我に返って後悔に身をさいなみ、そのままホトトギスに身を変えてしまったという。
兄は今も空を、「弟切った、弟切った、おとうときった」と飛び回っている。葉っぱや花に見られる黒い点は、この時の弟の血が飛び散ったものだ。 |
画像は「オトギリソウ・弟切草」。 オトギリソウ科
オトギリソウ属 多年草 止痛、鎮静効果がある。
野山に自生し、薬草として民間療法に利用されてきた歴史を持つ。特に切り傷には薬効あらたか。
全草をアルコール度の高い酒(焼酎など)に漬け込むと、蚊に刺された痛みやかゆみに効果がある。
今も友人に頼まれて、自家製のかゆみ止めを作ってあげているくらいだ。
弟切草の花言葉は「恨み」「秘密」「迷信」「敵意」など。
なるほど、秘密めいたこの花にこそふさわしい。
薬効のある弟切草、鳴いて血を吐く不如帰、正岡子規のホトトギス。
これらの由緒を想うと、空飛ぶホトトギスの声に聞き入ってしまう。
・ふいに飛び忘れゐしことを告げくるるほととぎす鳴く真昼の静けさ
* 思い付いたことがある。あの甲高い声に、やはりドップラー効果が観測されるのだろうか。
答えはイエス。
近づく時には大きな高い声で鳴き、頭の上を飛び越えて遠のくにつれ、やや鳴き声が低くなり、
音のピッチが緩やかに間伸びしていく。
なぁるほど、音速の嵐だ。
ああ、面白いホトトギスの声---って、われながら暇人だなぁ。
里山の暮らし384 2018.5.30

イルカ か ツバメか
--- 見なしの面白さ
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デルフィニューム Delphinium
(キンポウゲ科ヒエンソウ属)
原産地はヨーロッパ各地の山地
デルフィニュームの名前はドルフィン(dolphin ・
イルカ)
より 。
つぼみを横向きに見ると、イルカが飛び跳ねているように見えるから。
東を向くイルカ
日本での名前は、オオヒエンソウ(大飛燕草)
田んぼには水が張られ、幼い稲の苗が風にそよいでいる。
ツバメが飛び交う初夏の空 --- そんなイメージだろうか、蒼色の花がうれしい。
ヨーロッパではこの花をイルカとみなし、日本ではツバメだと想像する。
いずれも躍動感があり柔らかい雰囲気を持ちながらも、しっかり存在を主張していることからの発想か。
直立しつつも漂うように揺れて咲く、この花にふさわしい名前だ。白花タイプは、一体どこまで伸びるのだろう、と心配しているうちに「すくすく」生長し、今や私の背丈を越えて、2メートル近くにまでになった。
珍しい花なので、本音を言えば自慢したい
--- 友人の間を切り花外交に走った昨日とおととい。
このデルフィニュームに、咲き始めた芍薬と薔薇を取り合わせ、レースフラワーと名残りのポピーを組み合わせてみる。
「まぁ。まるでスターになった気分よ」
美容師さんの友人が、感激してくださる。心はつばめのように空を飛んだ?
こんな花束を、あなたも欲しい?
わたし、あげたい病のなのだ。(と相棒が言う) |
里山の暮らし383 2018.5.26

おだまき おだまき おだまき
種を蒔いた記憶がないのに、自然に生えてきた庭の苧環・おだまき・オダマキ。

西洋オダマキ |

珍しい西洋オダマキの白 |

西洋オダマキの交雑種 |

西洋オダマキ |

西洋オダマキ |

風鈴オダマキ |

深山オダマキ |

西洋オダマキ |

日本の自生種 山オダマキ |
簡単に交雑するらしく、見たこともない種類が増えてきておだまきが庭中に咲いている。
そうしてデージーも満開に。
左からハイジ、クララ、ヨーゼフ (チロリアン・デージー)
里山の暮らし382 2018.5.22

お菓子を頂くということ 低糖質の暮らし
相棒の父親がお菓子好きだった、といっても昔の田舎のことだから、お菓子を買う余裕などない時代の話だが。
炭水化物を主に摂るのは、ご飯、うどん、手作りの饅頭、笹団子、餅などだったが、珍しくお菓子が手に入ると義父は
子供のように大事に大事にして食していたらしい。
(ここだけの話、自分用に戸棚に隠し持っていた、という逸話を聞いたことがあるくらい)
(たばこ、お酒をたしなまなかったのだから、お菓子に執着する気持ちが分からなくもないが)
(高齢になると、手っ取り早く糖質でカロリーを補給したくなるらしい。代謝が落ちるのか?)
結果、亡くなるまで、高血糖に苦しむようになってしまった。
半年前のことになるが、義兄から「血糖値が高くなってきたのでお菓子を食べない」と電話がかかってきた。
したがって「そちらから時々届く荷物の中にお菓子を入れないで欲しい」とのことだった。
これを真に受けて、一度まったく甘い物を入れない荷物を送ったら、義理の姉が (あ、私たちとっても仲良しです)
「夫(=義兄)が楽しみにしていたのに、お菓子がなかったでしょ、ちょっと可哀そうだった・・・」と。
う〜ん、喜んで欲しいし、身体に悪いし・・・。悩む。
そういえば、「お菓子を食べない」宣言が、いやに心もとなかったのを今にして思い出す。
本心と口に出すことの違いを想像できなかった子供っぽさ?愚かさ?を思い知らされた。
さて、これからが本題なのだ。
いつもお菓子をくださる方に、相棒が思い切ってこう言ってみた。
「何時もありがたく頂いています。今は問題無いのですが、血統から言って私も糖質の摂り過ぎに気を付けようと思います。ついては、お菓子はご遠慮いただきたく・・・うんぬん。」
義兄に倣って宣言したということか。
相棒にとっては、これはずいぶん思い切りが必要だったらしい。
せっかくの、それも大好きなお菓子をお断りするのもさることながら、なにより相手の気持ちを傷つけたかもしれないのだから。
もうすこし大人の対応ができなかったかのかと後悔している。
自分も含め友人知人が身体のどこかに変調を覚える年齢になってきた。
糖質制限をしてる、胆嚢を取ったので油は困る、肝臓が悪いのでお酒は遠慮したい、薬を飲んでいるのでバナナもグレープフルーツも食べられない、腎臓がちょっとね、などさまざま。
それに加えてめいめいの好き嫌いを考えると、本当に誰かに何かを、たとえ好意からとしても差し上げるのは難しい。
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いつも朝の1時間、表敬訪問してくれる「クロちゃん」。いい年の雄猫だからか頑固極まりなく、そのうえけんかっぱやい。
わが家への訪問が数日空いたな、と思うと血みどろになり脚を引きずりながらやってくる。
そのせいで「箱すわり」ができなくなったらしい。左前脚を折りたためなくて斜めに座っている。
箱すわりの猫って、なかなか魅力的だった のに・・・。 |
里山の暮らし381 2018.5.19

『誰も知らない小さな国』
佐藤さとる著 コロポックルの隠れ住むのは
この本の題名を見て、「ああ、私も読んだことがある」と思ったあなた。
手を伸ばして繋ぎましょ・・・同じ年代を生きてきたんだ、きっと。
大きな赤い椿の花が咲き、すずやかな泉がわき出てきて、鳥もちも取れる小さな山は、昔から小人伝説のある場所だった。ある日小川に靴が流れてきた。その中にいたのは小さな人たち。ぼくに向かって手を振っていた・・・その山が戦後の宅地開発の波に呑み込まれそうになる。小人たちを守らなきゃ!
そこで主人公のセイタカさん (子供の頃だから背高ではないが) は一計をめぐらす・・・。 |
小学生のある日、この本を10歳年長の姉からプレゼントしてもらった私は、
本のなかの「小川に靴が流れ来て、その上で小人たちが手を振っている」というシーンに、いまだ柔らかかった心臓を一打ちされてしまった。
この小人は「コロポックル」。
アイヌの伝承に登場する小人で、「蕗の葉の下の人」という意味。動きがすばやく漁(すなどり)にすぐれ、蕗の葉を葺いた小屋に住んでいた、とされている。今も蕗の葉を見るたび、あの子供のころの衝撃を思い出す。ひょっとしたらという思いもあって、蕗を収穫するときは、ゆっくり、丁寧に切り取る。
作者佐藤さとるさんは2017年2月9日、心不全のためお亡くなりになりました。(合掌)
***** ワラビのあとはフキ ***** そのあとはきっとウドとミョウガだな *****
いつからか、植えた記憶は無いのに、裏庭の片隅に蕗が生えてくるようになった。
新葉が開き緑の茎が伸びきったこの時期が収穫の時期。
今朝は、面白さとうれしさに、うふうふ笑いながら切り取ってきた。
さっそく茹でてあく抜きをし、しっかり出しを取り煮物をこしらえた。
一日干した原木椎茸や人参、油揚げなどと炊き合わせ、醤油色の懐かしいおかずの出来上がり。
関西で言う「蕗の炊いたん・ふきのたいたん」。
こちらで「ふきのたいたん」と言っても通じない。
「たいたん」って何?「タイタンって土星の衛星じゃない?」と言われるのがオチだ。
そもそも私自身が関西生まれではないので、「蕗の炊いたん」の微妙な響きを感じ取ることができない。
「炊いたん」、「煮物にする」、「煮しめ」・・・これらの違いが良く感じ取れない。
生まれた土地から流れ、はるかな東国にたどり着いた私はデラシネ。根無し草、故郷を失った人。

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ネナシグサ 根無し草 ヒルガオ科
吸盤で絡みついているのは、ブルーベリーのひこばえ。
まず発芽し、あたりを見渡したあと適当な絡みつき先を見つけ、生長を始める。
時期を見てやおら根を切り落とし、根無しの身体一本で人生勝負に出る。
あとは寄生先の栄養を吸収して、ますます大きくなる。
← 地上10Cmの所から左回りに伸びてい る |
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そろそろ花を咲かせようか。
寄生するってラクチン。
葉緑素?そんなもの持たなくたって平気。
栄養はもらえばいいんだから。
葉っぱ?そんな無駄なものは付けない。ニートかって?
そうかもしれないが、オレはオレなりの考えがあってのこと。
このまま寄生した相手に絡みつき過ぎて、枯らしてしまっても問題だからな。
あのいかにも綺麗な花を咲かせている藤を見てみろ。絡みつき絞め殺してしまった楢の木が、あそこにある
。見えるか。
托卵するカッコウだってそうだ。
自分の卵を産み過ぎて托卵相手が命をつなげなくなったら大変だろう。
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* 5月14日 今年初めての「ホトトギス」の声が聞こえた。
春は10日も早かったのに、ホトトギスの声は10日遅かった。
里山の暮らし380 2018.5.15

山気(さんき)が足りない さんき
: 山のひんやりした空気のこと
連休中はなんやかやと忙しかった。庭の花と新緑の広葉樹に囲まれていても山気が足りない・・・・どうにも堪らず近くの山へ出かけてきた。
行き先は「八方ケ原とみつもち山」。いずれも標高1100m前後で、わが家からは西北の方向にある。
みつもちはすなわち水持ち・・・名水の「尚仁沢湧水 」を汲める場所。

那須岳遠望 白樺の木が立つ まだ裸木 トウゴクミツバツツジ 雄蕊は10本

タテヤマリンドウ 花の数は30個あまり 転んでもただでは起きぬわたし。 1Kgのワラビ
花茎が立ち分岐する
はてさて、山気(さんき)ときた。
山っ気なら売るほどある・・・あなたもそうであるように。
最近不思議と「いらんこと」ばかり思う出してしまうようになった。
・・・・・今回は「山気(やまき)を出す」という言葉だけど、その意味は「山師」に近い。
たまたまうまくいくことに人生をかける人、偶然の成功を夢見る人のことだろう。
ちなみに山師とは
・鉱物資源を探して歩き、鉱石の採掘を行う人。
・山林を買い付ける・・・境界の分からない山の樹々を持ち主に黙って切り倒すことも入ろうか。
・投機的な事業に走る人。
・さらには、詐欺師、投機師などでもあるらしい。
*** さてワラビだ ***
「手が早いねぇ」
「草取りと一緒よ」 「ワラビを一本見つけて手を伸ばした時点で、次のワラビを目で探すのがコツ」
「これ、ワラビ目って言うんだよ」と私。
「では泉南人が通った後は草も生えぬというらしいから、ワラビの収穫は任せるよ」と相棒。
せっせとワラビ取りをしていると、次第にハイになってきて、バッグの存在を忘れてしまいそうだ。
危ない危ない、こんな山の中だって何が起きるかしれない。
相棒は片手に私のバッグを抱えてそばに立ち、早わざを観ている。
山っ気の多いわたしでも、偶然の成功など夢見ていない。1Kgの成果は必然なのだ。
ワラビのあく抜きの方法は、
良く洗い、茎の硬いところは切り落とす。
ワラビの量にもよるが、1Kgのワラビなので、大鍋に3リットルくらい湯を沸かす。
しっかり沸騰させる(トリハロメタンを蒸発させるため)
沸騰した湯を85℃くらいまで冷ます。
0.8%の重曹を入れ、良くかき回す。(3000g×0.8%=24g)
ワラビを入れ、押し蓋をする。
時々触って柔らかさを確かめる。(今日は2時間で出来上がり)
お浸しに、お味噌汁に。残りは水を切って冷凍した。
里山の暮らし379 2018.5.10

僕たち まだまだ おとこの子
うちのこの子は まむし男くん。 可愛いおとこの子。
トランスジェンダーのスーパースター マムシグサ サトイモ科テンナンショウ属
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マムシ? そう、あのマムシ。
画像にあるように、すらりと伸びた茎を包んでいる筒状の葉鞘が「マムシ」に似ていることからこの名前が付けられたらしい。
まだ ← この個体はその時期でないが、もう少し生長が進むと、中心から肉穂花序
(にくすいかじょ・太くぶつぶつがある長細い花)を立ち上げ、その背後には笠によく似た仏炎苞と呼ばれる大型の苞が、花を守るように伸びあがる。
サトイモ科なので水芭蕉や白いカラーの花に似ている仕組みを持っている
と言えば分かりやすいだろうか。
裏庭に生えているのは、マムシグサのうち「カントウマムシグサ・関東蝮草」。
紫色の仏炎苞を持つものは「ムラサキマムシグサ・紫蝮草」と呼ばれていて、おのおの棲み分けているようだ。まだ画像には見られないが、この仏炎苞の模様はとってもおしゃれ!
透明感のある灰緑色ががった苞は、八丈縞の着物に合わせる帯のようだ。マムシグサは雌雄異株。でも、なぜこの子が少年期の男子と分かるかって?・・・・答えは「秋に赤い果実を実らせないから」。
だから雄、それもまだ若い雄なのだ。
マムシグサの一生:
種子から発芽し、地中の芋に似た塊茎がある大きさになるまでの何年間は、葉だけつける。その後塊茎がある程度に大きくなると、はじめに雄花を付ける。そうして十二分に栄養を塊茎に蓄えると、やおら雌花を
咲かせる。
しかし、雌花はそのまま雌花
のままで一生を終えるかというと、そうでもない。栄養状態が悪いと再び雄株に戻ることもある
・・つまりこのマムシグサは、珍しいことに性転換植物らしい。はじめ男の子、生長すると一人前の女性に。環境が悪いと再び男の子になってひたすら人生を耐える。その選択はマムシグサの意思によるものではないらしい。 |
やれやれ、男になったり女になったり。めまぐるしいことだ。
というより、成熟した個体に育つまで次の世代を残すのを待つ、という賢明な選択をしているのかもしれない。
わが心身を振り返るに、
外面如菩薩内心如夜叉
外面如夜叉内心如菩薩
マムシグサはこの二つの間を揺れ動くのか・・・。(外面如菩薩内心如菩薩になって、とうるさい外野)
ところが、つらつら考えているうちに「人間の基本は女である」ことに思いが至ってしまった。
人間の性別は遺伝子によって決まるようだ。46個ある染色体の最後の二つが「XX 」であれば女性に、「XY」だと男性になる。
この二つの染色体が人間の性を決定する。女として生まれ、途中から男に変容するらしい。
なにも「女は男の肋骨から作られた」わけではない。
だから「女は存在、男は現象」。 こう偉い先生が言ってたぞ。
ふぅむ。そこらへんでチョロチョロしている外野は、あれは単なる現象なのか。
* さみどりに春の雨を聴きながら惜しむこころを右の手で撫づ
サトイモ科なので、救荒植物になれるかと言えば、なれない。
シュウ酸カルシウムを含むので、有毒。
里山の暮らし379 2018.5.5

たまには きりぎりすに なりませう。
こんなに たくさんの時間を 庭にかけてきたのだから
たまには きりぎりすに なりましょう。
今日は 景色を楽しむ いちにちです。

東側から庭に入ると

パーゴラの周りは桜草

利休梅と林檎の白い花

石楠花と野村もみじ 躑躅が咲いてきた

裏庭から南庭を見る 水仙はもう終わり

赤い躑躅とうすみどりの新芽と 補色の取り合わせ

大好きな華鬘草(鯛釣り草) チューリプの名前は、ハウステンボス

手前はブルーベリー 今年も豊作らしい
これらの写真の庭は、全体の半分の広さなのです。
庭の奴隷状態から、今日はキリギリスになる日。・・・日曜日。
(しかし、アリからアリ+キリギリスへとギアを切り替えるのは、ホントむずかしい
外へ出るとつい草取りをしてしまう。職業病だ)
里山の暮らし378 2018.4.29
タケノコのその後 ・・・ 種が落ちた所が極楽、たんぽぽのように。

たけのこ小母さん。タケノコをお願いしたあの小母さん。
おひとよしで、でもしっかり者の小母さんをこう呼ぶことにしよう。
「うちまで来てくれるけ?住所は○○〇、電話は○○〇。道路沿いの給食センターを知っているけ? そのセンターから200メートルほど北の方向で、那須のあんたの所から走ってくっと、道路の左側に私の家があるよ」
なんという的確な説明か。驚いてしまう。
「はい、大丈夫です。分かります」と答えると、
「ああそうかい。」
この返事で小母さんの頭の中にカーナビ、またはインターネットで調べるんだな、と閃いているのが手に取るようだ。
すばらしい、あのお年で!
9時15分にと約束し、ぴったりその時間に着くと、小母さん、ちゃ〜んと準備して待っていてくれた。
手土産にと食用油を手渡す。
(田舎でのこういう場合、大げさにならず、相手にも気を遣わせない手土産は、食用油、砂糖、卵など、
あるいは相手にもよるがドンと一升酒。 ここら辺の兼ね合いが難しい)
恐縮なさった小母さんの顔が、くしゃくしゃと笑顔になり、これがまたとても可愛らしい。
働き者のおばさんの工房を見せていただき、お土産にと搗き立てのお餅を持たせてくださった。
こういう時、子供のころの田舎の生活を思い出す。あげたり、貰ったり。
「この土地にお嫁にきて60年あまりになる。あの頃は藁葺きの家だった。いまは息子夫婦と同居している。息子?土木関係の仕事をしている、土曜日・日曜日は農業をやってくれている。今どきこんな出来たお嫁さんが来てくれて嬉しい。お嫁さんをいい子いい子するんだよ。
お嫁さん?学校の先生なんだぁ。働き者で、料理上手で・・・・。」とつぎつぎに話が続いていく。
私の庭の写真もお見せし、お互いに花の情報を交換しあった。年はだいぶ違っても、興味がおもむく方向が同じなので、一緒に行った相棒が驚くほど意気投合した。(そんなもんだよ、女の子なんだからね)
ついで、玉ねぎの話になる。
「あんた、どっからきたっぺ?」
「日本で二番目に美味しい泉州玉ねぎの産地から、那須に引っ越ししてきました。関西の赤土と酸性の強い火山灰土のこの場所では、できる玉ねぎの味が違います。一番? それは淡路島産です、甘いのですよ。」
「そうだべぇ。ここら辺のペーハーは5を切っとっと。玉ねぎに一番良いのはペーハー6から7だべぇ」「石灰を一杯入れて酸度調整するさぁ」と小母さん。( ペーーハーとはphのこと)
ますます恐れ入る。
あまり長々お邪魔するのも・・・そろそろ失礼するか・・・と我々が思ったのを感じ取ったのかもしれない。
たけのこ小母さんは、名残り惜し気に、でもさりげなく、しかも恥じらうがごとき笑みを浮かべてこうおっしゃった。
「去年の暮れに、お父ちゃんを亡くしたんださぁ〜」「一杯やって夕飯を食い風呂へ入った。いつも長風呂じゃけんども、あの夜はことに長かった・・・見に行ったら風呂の中でもう駄目になっていたんだ」
「・・・」「・・・」 言葉もない。
で、タケノコだ。立派だ。
急いで帰宅し、友人に米ぬかを付けて配って歩く。
・・・タケノコ外交の朝だった。(タケノコ生活だけど、年金暮らしは)
里山の暮らし377 2018.4.26
何という春なのか
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マイナス10℃の気温が続いた厳しい冬を耐えた 大地が、
春が来たことを喜び
爆発的に命を輝かせている。
シンボルのチューリップが咲き、ケマンソウが鯛を釣り、
ポピーやサクラソウが花びらを揺らしている。
気の早いツツジが林を
赤くいろどり、純白の山桜が、
ふぅっと音も立てずに咲き始めた。
朝の陽にすんなりとした立ち姿を見せ
夕日を背に受ける時、
一枚いちまいの花びらが、
地面に散り敷く準備をしているかのように透明になり
輝きを増している。
今年の春の足取りは、心が追い付いていけないほど速い。
三春状態。
・枯草に今の春ありふるさとは白やまざくら西のかの空
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里山の暮らし377 2018.4.21
『万葉集』で二番目に好きな歌
・ 籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳
に菜摘ます兒 家聞かな 告らさね そらみつ大和の
国は おしなべてわれこそ居れ しきなべてわれこそ座せ われにこそは告らめ 家をも名をも
(こもよ みこもち ふくしもよ みほりくしもち このをかに なをつますこに いえきかな のらさね
そらみつ やまとのくには おしなべてわれこそをれ しきなべて われこそいませ われにこそはのらめ
いえもをなをも)
雄略天皇 『万葉集』巻1 0001
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律令制が敷かれる前、天皇尊崇思想が民を統べる時代に編纂された『万葉集』の巻1と2のトップにこの歌が置かれたところに、当時の政治のあり方を感じる。
歌の形式は長歌だが、この歌は変則的。
3音、4音、5音、7音と音を繋げて伸びあがったかと思うと、ふっと4音に縮まる。
次いで響きのある「そらみつ」(枕言葉)を冠した「大和の国は」で相手の注意を惹き、「おしなべて」と「しきなべて」を対比させ最後は9音、7音と広がりやがて収斂していくその手際
は、口承文学だった「歌」の起源を思い起こさせてくれる。
まるで序破急。静から動へ、緩から急へ変化していく。
いわば3楽章制の交響曲だ。 (* 長歌とは、5、7、5、7と続けていき最後は7、7音で止める歌)
万葉の時代、名前は特別な意味を持っていた。名前にはその人の魂---生命が宿り、それを知られることは相手にすべてを許すこと、あるいは屈服することでもあった。
名前を聞かれる―――返事をする。これは求婚を諾う意思を意味していた。
言葉には魂があり、言葉を遣って心を動かすことができると信じられていた時代だった。
春も次第に長け、野山にさまざまな菜が芽生えてきた時期の野遊びで、天皇に求婚された乙女は、おそらくその地方の豪族の娘だろう。
この日は古代の陰暦五月五日に行われた「薬狩り」の行事の日だったのかもしれない。太陽は高く輝き、野山が緑に染まり、采女たちが着る衣服が光をはね返している。
「籠・こ」には何が入っていたのか想像してみる。山菜や薬草だろうか。
蕗、野蒜、ぜんまい、蕨、菫、はこべ、いかりそう、延胡索、そして衣服を高貴な色の紫に染めるために掘り取った、いまや絶滅寸前の日本ムラサキの根だったのかもしれない。
* 一番好きな歌は、その日その時によって変わる。しかし2番目はいつもこの歌。
タチツボスミレ
里山の暮らし376 2018.4.20

タケノコを探しに
春の雨が何度か降り、樹々の芽吹きが例年になく早い今年。
タケノコが尖った頭を覗かせているのを、近所の竹林で見つけた。関東ロームの黒土に生育するタケノコは、関西のあのアクの無い柔らかいものとは違ってやや硬く、アク抜きをしてみても懐かしい味には程遠い。
しかしタケノコはタケノコだ!
もうひとつ残念なことに当地産のタケノコは、放射能の残留量が規制値を少し超えているので出荷を規制されている。当然、産直の店やスーパーに出回ることはない。
われわれ、少々の放射能など気にしないし、そもそも今年のタケノコが将来なんらかの身体的トラブルを起こしたとしても、元凶はあれだった、なぁんて示すエビデンスなど無いだろう、と楽天的に考えている。
食べても食べなくてもいずれ来るときは来るのだしね。
大好きなタケノコ。 では春の味をどうやって楽しむのか。 思案のしどころだ。
そこで、図書館行きも兼ね、放射能残留量が少なく、販売が許可されているはずの村までドライブし、いつも立ち寄る道路沿いの産直の店に出かけてきた。
「タケノコ、ありませんか?」 (店番のおばさん、声を潜めて)
「ふぅむ、あんたと私の間ならあるけど--」
(握りこぶしで自分の胸をたたき、そのまま私の胸を指し、こころえ顔で)
「誰にも言わない、ということなら譲ってあげるよ」
「OK.それで手を打ちましょう!」
詳しく聞いてみると、今年はこの村のタケノコも規制値を下回っていないらしい。
去年は幸い販売可だったので、ここで手に入ったのだけどな。
それも規制値すれすれだったので、
「保健所がチェックにこない、土曜日と日曜日ならタケノコあるよ〜」
と店番のおばさんは、いたずらっぽい顔で言ったものだった。おお。
畑や田んぼで長く働いてきて、代がわりしてから道路沿いに差し掛け小屋を作り、部落の人たちの作った野菜まで日中売りさばくおばさん。
おばさんは少し曲がった腰をものともせず、軽トラックを軽々と運転してくる。
キビキビと頭の回転が速く、ちゃっかりとタケノコを売ろうとするおばさん。
土地に足を踏ん張って生きているおばさん。こんなおばさんが大好き!
互いに電話番号を交換しあった。タケノコの最盛期を待つことにしよう。
部落の人達の作った野菜のほかに、畑から掘ってきた花の鉢もたくさん並んでいる。
「この花の名前が分からないんだけど、あんた知ってるかい?」
「知ってますとも!」
「あれとこれとそれは○○、〇〇、〇〇よ」とメモしてあげた。
お礼に菜っ葉を頂いてきた。私の植物に関する情報が菜っ葉に化けたな・・・と面白い一日だった。
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中にどうしても名前が分からない花があった。
おばさんにはこれを絶対教えてと頼まれている。
帰宅して調査。キイロジョウロウホトトギスに似ていなくもないが、ホトトギスは初秋の花。一緒に咲いているのがクマガイソウ・熊谷草、花期が5月ということから、「キンラン」と判明する。
草丈50 センチのキンランなど今まで見たこともない。
おばさんに電話して、「キンラン、金メダル銀メダル銅メダルのキン・金ですよ」と伝える。
(キンラン、では通じない。朝日のあ、いろはのい、上野のう、といったように和文通話表の真似をして伝えないと
、年配の相手は理解しづらいらしい)
金蘭・キンラン
キンラン(金蘭、Cephalanthera falcata)ラン科キンラン属の多年草
地生ランの一種
雑木林の地中にある菌類と共生関係にある。 |
里山の暮らし375 2018.4.16

私を忘れないで Forget me Not!
大阪から那須に移住してきた16年前の冬から春にかけてのこと。カルト宗教の信者にいいががりをつけられるという近隣トラブルに巻き込まれてしまった。なにしろ常識を異にしている。話が通じる相手ではなかった。
精神的に辛い思いをしていた時期に、それとなくかばってくださった近所の小母さまが、今朝改まった表情であるものを届けてくださった。
それは「奴さん」。布製のレリーフだ。鹿の子の半襟に八丈の上着(半纏?)をまとって、歌舞伎の隈取りにも似た化粧をしている。どうだ!と見えを切って足を踏ん張り、勇ましいことこのうえない。
小母さまは、
「私も今年で80歳になるのだゎ。〇〇子さんには、これまでいろいろとお世話になりました。
ありがとうね。こんな物を作ったから貰ってくれる?」。
心臓を病み、不具合を抱えている体調と裏腹に・・・それを隠すかのように陽気で賑やかな彼女が、いつものように朗らかに、しかし含羞の色を浮かべながら神妙な顔でこう
おっしゃる。
まさか!まさか!単なる記念品よね。まさか!形見分けでは無いよね。
こんなことを口に出来るわけもなくありがたく頂いて、居間のお気に入りの場所に、いつでも見えるように掛けた。
那須の野は春爛漫。
鳥が鳴き花が咲き、風が揺れ、季節の歩みが確かに感じられる4月。
あゆみ行くのは、人もまた。
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干支の戌でもなく、娘道成寺でもなく、花を象ったものでもなく。
奴さん・・・。
賑やかなことが好きなあの人らしい。
わすれなぐさ |
里山の暮らし374 2018.4.12

そうだ、黒羽へ行こう ・・・・・JR東日本のお知らせにあるように

古刹雲巌寺 (臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は釈迦牟尼仏。)
関東地方だけかもしれないが、ここ運巌寺を旅する吉永小百合のCR(JR東日本)が放映されている。
いつもは11月23日に紅葉見物に出かけるが、今年は那珂川河畔の枝垂桜を楽しむついでに足を延ばしてみた。
新緑にはまだだが、杉の林に聳える伽藍は、いつものように静かに迎えてくれる。
・木啄も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
今日は花祭り。
雲巌寺でも仏像に香油や甘茶をそそいで洗い清め、衆生の平安を祈っているのだろうか。
子供のころ、両親の代理で菩提寺にお参りし、供物のお下がりをいただき、家から持っていった薬缶に甘茶をいれてもらって帰ったのを思い出す。
得々として両親に報告して甘茶を家族に配り、残りを家の周囲に撒いていたのは、蛇除けのおまじないだったのか。
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(お隣のおばあさま。庭に梅が咲きました。)
(あ、でも。
ふっくらした花姿から、これは杏ですね) |
里山の暮らし373 2018.4.8

庭に春が咲き満ちて

毎年蟻と競争で種を取り、地中に埋めてやった甲斐があり、70本までに増えたカタクリ。
春の陽に、精一杯そっくり返って。 |

おかいこぐるみのスギナ。包んでいるのは桜の葉。 |

一輪咲いても、二輪咲いても、三輪咲いても、
♪二輪草♪ |

猫の目草 種が猫の目のようだ。 |

山延胡索 スプリング・エフェメラルのひとつ。
「春妖精」とは
冬を地下で過ごし、周囲の樹々が葉を出す前、いちはやく芽を出し花を咲かせ、果実を実らせる草花の総称。春のはかないもの、短い命。 |
里山の暮らし372 2018.4.5

那須の春香うど
いつもいつも嬉しいことだ。
親戚が作っているからと、友人が名産の「那須の春香うど」を届けてくれた。
3Lサイズと言えば片手ではつかみきれないほどのの太さだ。
もちろんハウスで促成栽培したものだが、春の入り口にある今の季節には、ほんのり苦みがあって歯ざわりの良い
このうどこそがふさわしい。
わが家に2本残し、残りの4本はご近所さんへお裾分け。
花の苗がうどに化け、うどが美味しいサラダ蕪に変身し、お手製の漬物に、そしてお煎餅になって返ってくる。
美味しいものはみんなで!
これは田舎のスローガン。

・ 生ひ出でて那須の春香の名をいだき天ぷらきんぴら「ら」の付くことば
* 大掃除のてんまつ
はじめちょろちょろなかぱっぱ、友だち来たので蓋取った。
(突然、東京の友人が10年ぶりに遊びに来てくれた。あちこち案内し、さぼる口実ができた)
里山の暮らし371 2018.3.31

さぁて、春の大掃除だ
お元気でしょうか、お隣のおばあ様。お宅の庭に10本咲きました。
消しがたく身体に沁みついているもの、それは子供のころの思い出だろう。
私の生家は中国山地の真ん中の、まぁるい盆地の山ぎわにある。
家うちの大掃除は一年に2回、春と秋だった。
春はちょうど今ごろ、月遅れの雛祭りの前で、ようやく寒さが和らいできて、身体を楽に動かせるようになる時期だ。障子を開け放ち新しい空気に入れ替える
のが嬉しくて、急に座敷が広く見えた。
めったに入らない奥座敷の廻り縁から見る池に、赤い鯉が浮かんでくるのを飽かず眺めていたものだった。こたつはまだ仕舞えない。冬物の整理もほんの少し
だけ。秋は11月3日に。穫り入れも一段落し、寒さが来る前に畳を外に出し、互いに立てかけて埃を払う。同時に大きな鍋を火にかけ
、秋の初めに収穫した大豆を煮て、味噌づくりを始めていた。
なぜか家の中が、アドレナリンの出っぱなしという状況になり、おのおの圭角のある夫婦ではあったが、父も母も紅潮した顔で忙しそうに
動き回っていたのを思い出す。
当然子供たちもその気持ちが伝染し、遊びにも行かず与えられた仕事をこなしていた 。
非日常の一日は、どこか嬉しい。
牛がいて犬がいて、猫が丸くなって縁側に眠り、にわとりが庭を遊びまわっている。おまけに豚まで一緒だった。
今年の春は桜が早いらしい。
さくらを観ることに全力を尽くす相棒と私は、桜めがけてあらゆる仕事の計画を立て、実行する・・・この時ばかりは共同作業もするすると進んでいく。(はず)
片付けは大好きだが掃除は嫌いな私・・・・今日から一日にひと部屋の予定で掃除をする予定を立てた。
そのあと来るのは、桜三昧の日々。場所と標高を変えればほぼ一か月は楽しめる。
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鼻の頭が黒いので「黒ちゃん」と呼んでいる猫が毎日やってきて、デッキで昼寝する。
たまに畑に座り込んでいるのを見ていると、はたして巣箱にやってくるシジュウカラを狙っているようだ。
毎日チーズを貰っていても、生餌の魅力には勝てないらしい。
くろちゃん、多宿多飯の恩義があるでしょ、その手を貸しておくれ。 |
里山の暮らし370 2018.3.26

並ぶということ
このところ、ふ? と疑問に感じることがあった。
その(1)
銀行のATMなどで。
並んで順番を待ちようやく用を済ませたのに、その足で再度列の最後尾に並びなおす人が居る。
ある時不思議に思い、その人に訊いてみたら、(興味のおもむくまま口に出すところが、大阪人丸出し。)
「だって、用事を一つ済ませたのに、そのまま機械を占有するのって後ろの人に悪いじゃない?」
と返ってきた。
いままで記帳に引き出しにと、重ねて用事を済ませていた私は、厚かましいおばさんだったのか・・・?
その(2)
道の駅のトイレで。
個室がいくつかあり、何人か入り口に並んでいるが、ほんの1分待てば自分の番がくる状況にある。(よくある話だ)
そこへ我慢もギリギリといった様子の、7歳くらいの子供が顔色を変えて飛び込んできた。
先頭のご婦人が
「あらら、先に入りなさいな」とその子供に順番を譲ってやった。ここまでも良くある話だ。
しかし、後ろに並んていた別の女の人が(敬称略に気付いてね)(人、とは敬称だが)
「あんた、あの子に譲ってやったから、私の順番がひとつ遅くなったじゃないの。あんたそこに並んでいないで、一番後ろに並び替えなさい」とまくし立てた。
そうか。
この人にとって子供に順番を譲るのは、腹に据えかねることなのか
・・・・・それほど切羽詰まっているようには見えないのに。
思い出した。
茨城県にほんの一年ほど住んでいたことがある。その間、車で側道から本道に入るのに、必ずといっていいほど本道の車が譲ってくれていた。
それまで気の短い大阪人のドライバーの間を縫っておずおずと運転していた私は、心底驚いたものだ。
そうだな。
こういうことの積み重ねが、その地域、時代の文化を作り上げていくことになるのだ、と思い至った栃木での生活。
ここでの生活も、もう15年になる。
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せっせと庭をほじくり返していたら、同好の士が隣にやってきた。
ほんの2メートルの所まで近づいて来て、私の手元を覗き込む。おいおい。ミミズを探しているのかい?
オケラもそろそろ出てくるよな。砂遊びしてもいいけれど、せっかく植えこんだ花の苗を食べないでおくれ。
キジ (キジ目キジ科キジ属)
種名で分かるように、この鳥は日本の固有種。
おまけに日本の国鳥でもある。
だけど、「食用」にされている。
国鳥を食する国なのだ、日本は。
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里山の暮らし369 2018.3.20

あぁあ。 いそいで咲かないで。 (ラインベルト・アーリーセンセーション)

花冠はみんな南を向く
2月の寒さで開花が遅れていた早咲きのラッパ水仙が一斉に咲き始めた。
庭中の、黄色い花のその数たるや全部で1000本!
このあとマウントフット、アイスフォーリスといった中生の水仙がラッパを掲げ、最後に晩生のキャメロットが咲くのが4月中旬。総勢3000本くらいか。
早く咲け、ゆっくり咲いて、と季節の歩みに一喜一憂する三月。
おちおち朝寝していられない。
朝の光の中で見る水仙は、極楽に咲く花のようだ。
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気温20℃と、思いがけなく暖かい日が続いた。
冬中居間で過ごしていたゼラニュームを外に出し、日向ぼっこさせている。
花の玉が大喜び。
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里山の暮らし368 2018.3.15

そすう
だいすき
日脚が伸びてようやく裏庭をサンダルで歩けるようになった。
雪解けの黒土がぐにゃぐやと長靴にまとわりつく、あの不愉快な感触からようやく解放された。足元から春を実感する嬉しい瞬間だ。あるある。
夏中フキが茂っていた場所に、ややのトウ立ったフキノトウが七つ。
ああうれしいな、今夜はごちそうだ!
冬の間身体に溜まった毒消しを兼ねてフキノトウの天ぷら!7つある・・・・これは4個と3個に分けられる・・・・・夫が4個、私が3個。
半分にすると1余る数字はいろいろあるが、素数に関してはこれがすらりと当てはまる。
フキノトウが9つだと5個と4個に分けられ、11個だと6個と5個に、13個だと7個と6個に、17個だと9個と8個に ・・・・∞
だから素数大好き。
あまった一つをテキに渡せるから。 (この場合のテキは、和歌山弁で”親愛なる相手、または彼・彼女"のこと)
しかし、「朝三暮四」のくだりを思い出してしまった。
自分が一つ多いなどと気づいてもいないようだ。めでたい。
もう少し若い方が
いいな
例外;素数「2」は、半分にすると余らない。これは寂しい。
里山の暮らし367 2018.3.12

やぁ〜、おじょうさんたち。
こんな声が聞こえたような気がした。
「私ら、ずいぶん長いことこの部屋に居るよなー」 「ほんまや」 「いつからやろか」 「去年の秋からだったん違う?」
「もうええ加減外へ出たいわ〜」 「みんな見てよ、こんなに花咲かせているやん」 「雪、とけたぁ?」 「ちょっと残っているけど、もう大丈夫みたいよ」 「あ〜出たいでたいよ・・・」
「どげんな」 「どげんかせんないかん」
小さいちいさい。
たとえば指先でつまむと50粒くらい付いてくるくらい・・・小さい種を「けしつぶ・芥子粒」とはよく言ったものだ。
ポットに播き、霧吹きで水やりをし、どっさり出てきた芽を間引き、一回り大きいポットに植え替え、ホームセンターでビニールを買ってきて簡易温室を作り、朝夕開閉して温度を調節し、肥料をやって、さらに大きいポットに植え替えて・・・・という
作業を続けてきたこの5か月というもの、常にこのアイスランドポピーの苗が頭から離れることはなかった。ちょっと疲れた。
その心をポピーたちが察してくれたみたい。
「疲れた気持ち」と「出たいでたい」と騒ぐポピーの思惑が、パチッと空中で交差した3月の朝だった。そろそろ、花壇にお移りいただいて、 (移すのは私だが)
広々した土の中にお鎮まりいただこうか。「みんな!これから外だよ!」 ・・・・・「やぁ〜い」
「いい子だねー」 ・・・・・「そだね〜」
「外は寒いよ〜」 ・・・・・・「へいっちゃらだぁ。名前だってアイスランド・ポピーなんだよ」
集合写真も撮ったことだし、さてこれから作業だ。

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全部で150本。
これで足りるかどうかは植えてみないと分からない。
ちなみに、正しい?ガーデナーに取って花苗の最適な数など無い。
タンスにしまってある洋服のように、多ければ多いほど良いのだ。 |
* アイスランドポピーは雌雄同株、両性具有。でもおんなの子っぽいよね。
里山の暮らし366 2018.3.7

集める ・・・・ フクジュソウの場合は
(キンポウゲ科フクジュソウ属)
★ 虫を
庭のあちこちに雪が消え残っているのに、気の早いフクジュソウが咲き始めた。
薄くかすみがかった春の空を背景に、白と黄のコントラストが美しい。
春一番に咲く花は、土佐ミズキ、日向ミズキ、マンサク、サンシュユ、ダンコウバイ・・・それに菜の花。
どれも萌え始めた周囲の薄緑色に映えて春到来をことほぎ、浮かれているようにも見える。早春に黄色の花が多いのはなぜだろう?必ず意味があるはずだ。
花はなにも人間を喜ばせるために咲いているのではない。
種(しゅ)を次の世代に引き継ぐため、ひたすら努力を続けているのだ。
昆虫や虫といった受粉媒介者を呼び込むために、さまざま策略をめぐらしている。たとえば;
・匂いを振りまく
・花の色を変化させる
・花の形を変え、特定の虫に受粉をまかせる。など。
奇策を講じる花あり、ひたすら虫に(受粉媒介者)に奉仕、あるいはアピールするものあり。
そのひたすらな思いや健気さに、心動かされることがある。
今の時期、いち早く活動を始める昆虫は、アブやハエ。
これらの虫たちは、(人間の見る)黄色の短波長を受け取りやすい。黄色に敏感な単眼と呼ばれる器官を持つからだ。
このフクジュソウ、虫を喜ばせる蜜を持っていない。だからより虫たちに見つけられやすい黄色でわが身を装い、虫を誘っているというわけ。
ただし、目の持つ仕組みが異なるので人間の目で見る黄色は、虫の目を通すと青やうす紫に見えるらしい。
例えばパンジーの花を見ると、
改良を続けて、いまやカラフルな花が揃っているパンジーの、花の中心はどれも「黄色」。
これは今もご先祖様の苦労を忘れない、パンジーの身体に刷り込まれた繁殖作戦が表に出てきたもの。
★ 光を ・・・・ フクジュソウの花はパラボラアンテナ
よく見るとパラボラアンテナを建てているでないか、フクジュソウは。その昔、昔むかし。ずっと昔。物理の時間に習ったことがある。
・放物線の物理的な性質に、
「焦点から光あるいは電波を発すると、放物線に反射してそれは平行になって出ていく」という今となってはわけわからないものを。逆も真なり。
「平行に入っていた光や電波が、放物線で反射すると、焦点に集まる」ことになる。
平行(近似値的)に受け取る陽の光を、アンテナ面で反射させ花芯(焦点)にその熱を集める。
そうすると外気よりも暖かくなり、虫を引き寄せ、受粉に成功する。こう考えた。
やがてデコボコ頭の種袋に生長する、といいことづくめ。
陽が当たると花を開き、暗くなると花芯を守ろうとして花びらを閉じ、紡錘形の花びら玉になる。
まるで子守歌を形にしたらこうなる、というように。
・ まぎれなく春となりたり黄の花のまほらに開きゆるらかに閉づ
* 種を運ぶのは、ある種の蟻。
種にはエライオソーム(Elaiosome)が付いていて、これは
せっせと働いてくれる蟻へのごほうび、お駄賃。
この件については、またの機会に。(スミレのエライオソームについてはこちら。)
 |
種袋 (デコボコ頭)(金平糖みたい)
まだ種が熟していないこの時期に採り播きしないと、庭のあっちこっちから芽を出してやっかいなことになる。
それはそれで良いのだが、やはり群れになって咲くと賑やかなので。
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里山の暮らし365 2018.3.3

ふたたびみたび ・・・・・ リビングのミニ菜園ではいま。
豆苗の栽培中。市販のものを一度刈り取って使い、根っこを水に浸して再び日当たりの良い場所に置いておくと、新しい芽が出てきて、「すくすく」と音が聞こえるくらい素直に伸びていく。豚肉と相性が良く、青み野菜としてとても便利。

左は2度目 右は3度目
・ 冬の尾と春のあたまの糊しろの如月の陽のかくもやはらか
里山の暮らし364 2018.2.27

宇宙ボールペン・・・・ 寝ころがって書けるボールペンが欲しいな
睡眠の質が変わってきた。眠りにつくと一直線に朝を目指していた若いころが懐かしい。
今や眠りは六面のサイコロ。
コロリと一面をひと眠りし、次の面は暗い部屋で目を閉じて、よしなしごとに頭をめぐらす時間。
そしてまた新しい面に転がしウトウトと眠る。
そして朝の気分は、これはどう転ぶかほとんどロシアンルーレットに近い。
すっきり。すっきり。すっきり。すっきり。たまにぐずぐず。う〜む。こんな朝の繰り返し。せっかく起きている夜の時間、これをどうしようか。
頭の中がさまざまな考えで一杯になる夜に、思い付いたことを急いでメモにする道具が欲しいな、とかねて思っていた。そこで、思いついたのは宇宙ボールペンだ!
宇宙ボールペン;
宇宙船のなかの無重力状態ではボールペンを使えない。宇宙に人間を送り込んだNASAは膨大な時間と費用をかけて(一説には10年の歳月と120億ドルとも言われているが)いつでもどこでも、宇宙でも水の中でも気温がマイナスでも300℃の高温下でも逆さになっても、どんな表面でも書くことのできるボールペンを開発した!ボールペンの中に窒素ガスを充填し、そのガスの圧力によってインクを先端に送りすらすら書けるという代物。その圧力は3000ヘクトパスカル、つまり地球の大気の約3倍だ
。インク自身は粘着性を持つので、乾燥せず100年以上も使用できるらしい。
これが宇宙ボールペン
(箱だけ)フィッシャー社製
お値段は6千円くらい。珍しいものに興味津々の私も、たかが夜中のざれ事を、100均で買ったノートに書き記すために
6千円も無駄遣いできないよ・・・・・。
考えを巡らしたものの、結局落ち着きどころは;
0.7ミリのシャープペンシルで、Bの濃さ。
これで筆圧が弱くても、スラスラ思いのたけを書き残すことができるようになった。
この話には後日談があって、「10年+120億ドル」を費やしたアメリカに対して、ロシアはロケットに「鉛筆」を搭載したらしい。現実的な対応策を採ったロシアと、技術の粋を総動員して開発に身を焦がすアメリカと。これは、理系人間とそうでない人間の考え方に似ていない?
宇宙ボールペンの開発を通じて、新しい技術をものにする
。これは意味があることだ。その技術が「ロケット利用」の枠を飛び越え多方面に利用される・・・・科学技術の発展に寄与する。・・・・で、その行き着く先は?なんだか一旦何かの考え方に取りつかれたら、その考えかたに異質なものは意識して排除する、理系男のわが相棒に似ていなくもない
と感じた朝。
里山の暮らし363 2018.2.3

散漫あたまが、ぷらぷら考えること
朝の気温マイナス5℃。日が昇るにつれて気温が上がっていく。
陰と陽、影と日向の差が次第に際立ってきて、春の兆しはつんつん尖って角を出し、まばゆいばかりの日差しを雪がはじき返している。
日差しのなかぷらぷら。考えていることが、いくつもいくつも積み重なっていく。
・ 何をしなくても良い日には、何をしたら良いのだろう。
・ 無いものは無い・・・・これは無いのかあるのか。
・ 宝くじバレンタインジャンボミニ・・・・大きいのか小さいのか。
・ 人が猫を飼っているのか、猫が人を飼っているのか。
可愛がっても可愛がってはくれない、ワイルドキャットが今日も挨拶に来た。
・ ぽこぽこと駱駝に乗ってこのひと世過ごすわけにはいかぬか猫よ。
・ 花の苗を育てるのは、労働なのか、休息なのか。
・ 心ここにあらず。なら心はいつもどこにあるのだろう。
・ 「かなしい」は悲しい、哀しい、愛しい。今日はどれを使おうか。
・ 認知できなくなるのに、なぜ認知症と言うのだろう。
・ 一年が経つのが次第に早くなるのは、頭の回転が遅くなり、動作がのろくなるからだ。新相対性理論。
・ 首都直下地震が起きる可能性は?今後30年間で70〜80%。東京に高層建築が増え続けるのはなぜ?

里山の暮らし361 2018.2.14

なぜ、罪の意識を持ったのか
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充電するのに10時間もかかる。
充電終了のお知らせがない。そもそも、電池が「ニッカド電池」と時代遅れ。クリーナーではなくて、ポリッシャーという名前がついている。
(プラスチックが痛まないか?)
中国製。
なぜ日本の家電メーカーは「風呂洗い機」なるものを作らないのか。などなど、いろいろ考えていたけれど、思い切って買い、今のところは正解だった。
風呂だけでなくて、洗面所や台所のシンクのこみ入った所もきれいにできる。
問題は、このニッカド電池がどこまで持つか、だ。 |
お風呂の床や壁面を掃除するのに欲しいな・・・と考えはじめて何年にもなる。
掃除機、冷蔵庫、洗濯機・・・と家電のお世話になる毎日だが、この「風呂洗い機」なるものに手を伸ばすのに、長年逡巡していたのはなぜだろう。専業主婦の私が「器械を使ってお風呂を掃除する」と考えただけで、心の底にある古びた主婦の心得なるものにずっと支配され続け、いくらなんでもこんな手抜きはできないよな〜と、自縄自縛の日々を送っていた。そこで考えた。ポイントだよ!ポイントを溜めて買えば、このささやかな罪の意識など無視できるよな!
「ぽちぽちぽつぽつ」と楽天で溜め、ようやくこの2月、八分通りまで溜まったところで見切り発車した。
なにしろ、一月は起き抜けの平均気温がマイナス4℃だったし、立春過ぎてもまだまだ寒さが続いているのだから。
里山の暮らし360 2018.2.9

残せるものはなに? ・・・ きさらぎは、遺言を書く月
1月の午前6時半の外気温の平均は、氷点下4℃。一番温かい朝がマイナス1℃。一番寒かったのが氷点下12.5℃。
こんなに寒い冬を経験したことが無かった。
明日は春の節分。そろそろ春の兆しを感じたいところ。寒さに疲れてきた・・・。
2月は二人の誕生月なので、遺言を見直す月だ。
すでに書いてある遺言書を開封し、一年前の考えに変更がないかを確認し、また新しい封筒にしまって封をする月。もっとも二人とも、遺言の内容は
「相手にすべてを残す」なのだから、これを再確認するためだけに封筒を破って、ふんふんと頷くのが見えている。しかし、夫よ。
揃いのプランターや素焼きの鉢、和服のあれこれ、宝石とも呼べない装身具がほんの少しだけ。
こんなものを残されて嬉しいかな。
・ 越の国の雪を言ふ時夫の目の兵士のごとき厳しさを帯ぶ

雪が融けた丸い跡が何かわかりますか。
遅くに帰宅し、大急ぎで春巻きの具を炒め、熱いフライパンを冷ました跡でした!
里山の暮らし359 2018.2.3

1,807 センチ立方メートルの文字たち 『スカーレット』
The Sequel to 『Gone With The Wind』
アレクサンドラ・リプリー 森瑤子 訳
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これはもちろん本で、縦22センチ、横15.5センチ、厚さ5.3センチの大きさ。体積は:1807Cm平方メートル。
つまり大きいペットボトル一杯くらい
だろうか。
違うのは、ペットボトルの中に入るのが、コーラやお茶ではなくて「文字」であること
。おまけにページは1096枚もある。
重さは1.2キログラムでほとんど漬物石。とても昼寝がてら読み、眠くなったら屋根に葺く、などどいう横着はできない代物.(ますます鼻ペチャになるじゃない)片手では持てない
ほど重く、いつも持ち運びにには両手を使っている。
何年かごとに、寒中の外出できない時期を選んでこの本に手を伸ばす。
かの『風と共に去りぬ・Gone With The
Wind』(マーガレット・ミッチェル作)の続編として書かれた本だ。
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原作を初めて読んだのは、中学生のころだった。人間に対する洞察力も無く、自己反省することを知らない12、3歳のころのこと。南北戦争がその後のアメリカの歴史に占めた位置など、
理解できなかった幼い私だったが、主人公のまっすぐ前を見つめて生きている姿に、大いに影響されたものだった。
以後原作を読んだのは・・・10回くらいだろうか。
この続編をなぜ毎回この寒中に読んでいるのか、と考えてみる。
おそらく主人公が発するエネルギーを受け取り、どうかすると「鬱」の坂を転がり落ちそうな寒い季節に、おのれを引っ張り上げるためなのだなぁ、としみじみ思う。寒中の元気になる薬、それがこの本。
しかし。読破に時間のかかることと言ったらない!家事の合間に読み進むのにもう5日もかかっているのだから。
ようやくスカーレットが父祖の地・アイルランドに旅し、そこで土地への愛情へ目覚める場面までたどり着いた。これからアイルランド独立運動に巻き込まれるスカーレットの、波乱万丈の世界が広がる。
アイルランドには、古い知人が観光ガイドをしていることだし・・・ああ、緑の島アイルランド、妖精の住む国アイルランドへ、行ってみたい。思いは募るばかり。
里山の暮らし358 2018.1.27

空中ピアノ線のほかに、もう一つ欲しいもの
” ワンスアポンナタイム。 むかしむかしのドイツのお話しです。
あるところに、仕立て屋がありました。父親は三人の息子を内弟子にして、稼業を営んでおりましたとさ。
努力の甲斐あり仕立ての技を身に着けた長男が独立するにあたり、父親は餞別として魔法のテーブルを贈ります。
「テーブルや食事の用意」と唱えればたちどころに食事が並ぶという優れもの。ところがこの長男、旅の途中のある宿屋でこの不思議なテーブルをうかうかと宿の亭主に見せてしまい、盗まれてしまいます。さて、次男です。
次難(じなん)にならなければ良いのですが・・・・同じように父親から贈られた「呪文を唱えると金貨を生むロバ」を、兄と同じ宿の亭主に偽物とすり替えられてしましました。最後は三男です。
長男と次男は、間が抜けているとはいえ、ことの顛末を父親に手紙で知らせました。そこで父親は三男に護身用にと「魔法で働くこん棒」が入った袋を贈りました。二人と同じ宿に泊まった三男が大事に抱える袋を見て、亭主は三たびいい思いをしようと企み、その袋をすり替えよう闇にまぎれてやってきます。
待ちかまえていた三男は、ここぞとばかり呪文を唱え、袋の中のこん棒にひと働きさせます。
こん棒は、呪文を聞くやいなや宿屋の主人に殴り掛かり、懲らしめました。
反省した主人は、長男と次男から盗んだ「テーブルよ食事の用意」と「金貨を生むロバ」を返します。
お宝を取り返した三男は兄達にそれぞれを返し、そのあとはみんな幸せに暮らしましたとさ。 ” グリム童話より
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
”「三匹の子豚・・・わらの家、木の家、煉瓦の家。
それぞれの材料で家を建てた子豚たち。
オオカミに襲われなかったのは、煉瓦の家を建てた末っ子の子豚さん。”(イギリス民話)
このお話によく似ているのは、ひょっとして、長子相続の習慣がある土地だからかな?
甚六の長男はぼんやり、それ以下はいずれ家を離れるのでしっかりしてくる・・・ことに関係あるかな?(偏見)
いやいや末子相続なのかもしれない。平均寿命が短い時代は、末っ子が跡継ぎになることがあったから。
それよりなにより。
食料の調達とその後の調理や跡片づけに、ずいぶん時間がかかるのが日常生活。
そりゃ、宿屋の亭主が欲しがるはずだわ、営業コストがドン!と下がるもの。
「テーブルよ食事の用意」なるテーブルがあれば、どんなに助かるか。
おお、10歳の時のむすこよ。『グリム童話』を読みながら、こう言ったよね。
「ぼく、大きくなったら「テーブルよ食事の用意」を、ぜったい、ぜぇったい買ってあげるから」と。
あの約束はどうなったかい?
もう時効かな?
里山の暮らし357 2018.1.23

冬晴れの顔に一冊屋根を葺き

近くの羽田沼に飛来したオオハクチョウ
夏は午前5時半に起き、今の季節は6時から6時半に起床する。
家事を万端こなし、昼食を摂るとなんだか身体がシャキッとせず、頭の中を誰かが散歩しているような、ぼんやりした状態になってしまうのが残念だ。
ぼんやり頭はそのあと使い物にならないではないか。
そこで、午後半時間ほど横になり、頭をはじめ腰やら脚やら休ませることにしている。
ごろり。
ごろり。
金魚体操をベッドでやり、おもむろにお気に入りの本を手に取る。・・・ああ、至福の時間だなぁ。両手を上げて本を持つと、しだいに手が冷たくなってきて、腕がだるくなってくる。
誰か、読んでいる本を空中で支えてくれない?
そうして、こちらで合図すると、たとえば瞬きをするとページを繰ってくれない?いやいや。ほんの5分もすると私は夢の中にいるのだから、空中ピアノ線は必要ないか。
(寝る時間はほんの5分から10分。これがめっぽう効き目がある。)
里山の暮らし356 2018.1.18

赤い太陽に対峙する人物 ジョアン・ミロ作

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冬至から3週間経った。
光の春にはまだまだあるが、日差しがしだいに伸びてきたので、大好きなミロの作品を、東向きの壁に取り付けた。絵が朝日を感じられるようにと。この絵の題は「赤い太陽に対峙する人物」。
人物の目は斜めに並び、どこを見ているのかわからない。対峙する?なぜ「対峙」という言葉をつかったのか。
頭の隅に付いているのはリボンか?蝶?
いや、この人物の何らかの意思ではないかな。右下の黄色くて小さい人物は、左の人物のドッペンゲンガー?それともブロッケン?両手に持つのは、紺と苔色の・・・うーん、なんだろうか?空を飛ぶのは、もちろん全能の神ゼウスから火を盗んだプロメテウスだろう。
もちろん八咫烏ではないな。ミロは、写実を極めたからこそ、このような絵が描けるのだろう。
基本があって展開がある、これはあらゆることに言えること。
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NKHラジオ体操に合わせて身体を動かしているとき、この絵の正面に立つことにしている。
ぴょんぴょん。どすどす。
そうするとパーツが一つずつ飛び出してくる。
まるでキュービズムの絵のように。それにしても、今朝の気温はマイナス8℃。
何たる寒さか! |
里山の暮らし355 2018.1.13

雪
が降り続く

この冬何度目かの雪が深夜から降り積もり、目覚めると ↑ の状態に。
年末に降った雪がようやく融けはじめたところなのに、これは根雪になりそうだ。
風が吹くと、楢やくぬぎの枝に積もった雪が一斉に庭を駆けめぐる。
ホワイトアウト。窓越しの景色が一面真っ白になる。
デッキの周りに取り付けたフェンスには、いまにも転げ落ちそうな雪が載り、危ういバランスを保っている。
(もっとも、この四角・□の連なりは、緑内障のチェックに使えるのがミソ )
食料よし、読む本よし、灯油よし、ガソリンよし。
晴耕雨読は叶わないが、雪読にはふさわしい正月。
里山の暮らし353 2018.1.3

謹賀新年

・ しらしらと星またたける夜の明けて朝のひかりに鳥わたりゆく
・ 見わたせば雪野の白のすさまじき新しき歳の香にぞ浸れり
・ 逝きし友仰ぐるごとし冬空にうすうす見ゆる黄金三星 ( くがにみちぶし・こがねみつぼし)
里山の暮らし352 2018.1.1.
窮鳥入懐
午後、朝から融けないままの霜柱を踏みながら裏庭に出ると、なにやらゾクゾクと怪しい気配がするではないか。
・・・シジュウカラがそこここの枝に止まり、鳴き喚いていた。
10年以上になる野鳥観察から、野鳥が騒ぐときは非常事態が起きた時だとたやすく想像できる。いったい鳥たちに何があったのだろう
。パトロールしてみても思い当たる節がない。
そのうち「バタバタ」「ばたばた」と羽ばたきが聞こえてきた。ヒューヒューという悲しげなかすれ声が聞こえてくる。
音の主はこの鳥。

大好きなアイスランド・ポピーを冬越しさせるため、農業用ビニールを使って設置した簡易温室の中に入り込み、出られなくなったようだ。
寒い日なので、入り口はしっかり閉じてあったのに、下から無理やりこじ開けて入り、餌でも探していたのか。
かかった罠から逃れようとするも不可逆なのは人生そのもの。どこが出口かもう目に入らないようだ。
温室を開け、なんとか逃がそうとしてみても、相手はパニックを起こして逃げまどうばかりだ。
慌てふためきようやく飛び立ったのは5分後で、その間ずっとシジュウカラは枝に止まったまま大騒ぎしていた。
その言葉を翻訳すると:
「おーい、そこの旅人!大丈夫か。しっかりせい。出口はさっき入ったところだー。落ち着け!良く周囲を見ろ!その人間は何もしないぞー、餌をくれる人だ
」。野鳥の種類は違っていても、同じ庭を縄張りとする仲間だと思っているのか。野鳥ながらもその仲間意識の強さに驚く。迷い鳥が逃げ出すやいなや、シジュウカラたちは安心したのか、一斉に飛び立っていった。
この鳥は焦って何度もビニールに頭をぶつけたらしい。せっかく整えてある髪の毛(羽毛)が乱れてしまっている。可哀そうでもあるし滑稽な様子に笑えてもくる。種類はいまだに分からない。 初めて見る顔で、あるいは「ホオアカ」かもしれない。
里山の暮らし351 2017.12.25

柿すだれの向うに冬が見える
122個 これから網掛け
くるくるくると、渋柿の皮を剥き続けているうちに、次第に気分が高揚してくるのは、私だけなのか。
今年も、(相棒の好きな、私は食べない)干し柿つくりの季節になった。秋の長雨と、台風の影響で地元産の蜂屋柿が不作らしい。あまり道の駅に出回らないまま11月もこの時期になったので、かねての知り合いにお願いして、「玄馬柿」を20キロばかり手に入れた。---「20キロばかり」?
干し柿の好きな相棒のために、毎年この3倍の柿をむいていたが、よくよく考えてみるに、糖質の塊の干し柿を大量に作り、相棒一人で食すことは身体に良くない。
いささかの話し合いの(or 小競り合い)のち、この量に落ち着いたのが昨日のことだった。
手仕事の大好きな私。秋晴れの午後、せっせと皮を剥き、柿剥きハイを楽しんだ。
柿の名前にはそれぞれの地域性が出ていて、字面もその音も楽しい。
昔ながらの藁屋根の家があり、わきに何本かの柿の木があって、秋の陽に輝いている様子を想像してしまう。
亡母の実家のように。
・ 蜂屋柿 (熟すと蜂が寄ってくるから?)
・ 玄馬柿 (細長く真っ黒に干しあがるから)
・ 会津身知不柿 (成りすぎて枝が折れるのもかまわず、盛大に実をつける。さわすと美味)
・ 富士柿 (富士の名の通り、その姿は端正)
・ 筆柿 (筆のようにほっそりと)
・ 百匁柿 (たしかに大きい。しかし大味 百匁は375g)
・ 次郎柿 (太郎柿はあるのか?)
・ 富有柿 (和歌山名産のあの甘柿)
・ 平核無柿 (早生の、渋抜き用の柿)
しんがりは「西条柿」香りが高く、干すとその高貴な味が引き立つ。
柿の名には苺のあの可愛らしい名前とは違い、どっしりと大地から生まれてきたような響きがある。
今年も11月。去年の今頃何をしていたのか、過去のページをめくってみたら・・・。
やはり柿を剥き、柚子のジャムを作って冷凍し、舘岩村の門外不出の赤かぶを往復3時間かけて買い求め甘酢に漬け、花の苗を植えこみ、温室でポピーを育てている。
人生のベクトルは下向き。しかし去年と同じことができるというのは、これは一種の進歩なのではないのか。
変わらぬことは良き哉。
里山の暮らし348 2017.1111

みんな可愛い子どもたち

あいかわらず秋の仕事に追われている毎日。
今日は裏庭に簡易温室を設置した。これで安心して冬を迎えられる。 ほっ! ひと安心。
すでに来春用に、チューリップを120個、ビオラを130本植え込んだ。
あとはこの「アイスランドポピー」を冬越しさせるだけ。 (200本ある!)
3月が来てこの苗を花壇に植え付けると・・・どうなるか・・・もちろん!春爛漫の庭の出来上がり!
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大好きな、アイスランドポピー。
移植を嫌うので、「芥子粒ほどの」と形容される細かい種をポットに播き、育つに従って一回り大きなポットに植え替えていく。こうすることで、根がしっかりポットに廻り、大輪の花が春の風に揺れる光景ができあがる。
幸せの色は何色?
ポピーの色だ、きっと。 |
里山の暮らし347 2017.11.8
どんぴんちゃがまのジャムづくり ナツハゼ ツツジキ科スノキ属
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「『どんぴんちゃがま』の、どんぴんってどういう意味なのですか?」
顔を見るなりこう尋ねた私に、
「どんびん」?「土瓶のことよ」
黒くなった実を上から見ると土瓶のようで、横からみると茶釜のよう・・・じゃない?」
近くの、いつも行く産直のお店で看板娘を張っている御年80歳のMさん。
お連れ合いと大きな農園を経営し、観光農園を開いてお客を楽しませ、嫁いできてこのかた、お産の時以外寝込んだことが無い、という明るくておしゃべり好きな元気者。
「去年ね〜、高齢者はインフルエンザの予防注射を受けなさいとしつこく言われたので、仕方なく受けたのよ、はじめてよ。
あれはワクチンを薄くして身体にいれるんかなぁ、80年間インフルエンザなんかに罹ったことのない体がびっくりして熱を出しちゃった・・・次の日にはケロリと治ったけれどね。」と大笑いする。
包み込まれるような、温かく大きな笑顔が心に残り、あんなふうに年を取りたいと思わせる懐の大きさを感じる。
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どんびんちゃがま、とナツハゼを呼ぶのは、栃木県だけのようで、他では聞かない。
夏に櫨(ハゼ・はぜ)のように葉が紅葉することから、ナツハゼと呼ばれているが、この「どんびんちゃがま」のほうが実感あふれ、親しみを感じるのは、ようやく栃木人に近づいてきた証拠かもしれない。
このどんびんちゃがま・土瓶茶釜はブルーベリーのご先祖様のようだ。
庭に育てている2本の木のうち、片方は黒実を収穫してナツハゼ酒に(あ、どんびんちゃがま酒のことです)、もう1本のほうはジャムにしてみた。
あたりを飛び回るヒメスズメバチを警戒しつつ、触るとほろほろ落ちる実を集め、雨の午後せっせと鍋をかき回す。
もういいかなと試食してみると、すこし渋みが残っているようだ。
「う・・・これはきっと皮にクセがあるんだな」
ほとんどジャム状になったドロドロを、皮と中身に分けさらに煮込むこと1時間あまり、モッタリしたジャムが出来上がってきた。ブルーベリーの6倍ものアントシアンを含む貴重なジャムだ。
ところが! 渋みは中身のほうに含まれていたらしい。ジャムにほんのり渋苦い味が残っていた。こんなことなら手間をかけずに皮つきのまま「プリザーブタイプ」のジャムにするんだった!(茶釜さんの名誉のために・・・おいしい、大人の味だ。)
(おまけ1) 転んでもただでは起きない元大阪人の私、残った皮を集め果糖を加えて冷凍し、ヨーグルトの上に載せて食べてみた。(おいしい)(ポリフェノールのかたまりだものね)
(さらにうおまけ2) 貴重なジャムがお鍋にたくさんくっついた。ああ、もったいない。水を加えて溶かし、ゼラチンをふやかし入れ「どんびんちゃがま・ゼリー」をこしらえた。
トッピングにハーゲンダッツのアイスを少し。これまたおいしい。
雨の午後は、ジャム遊びで暮れていく。
里山の暮らし346 2017.10.29
雉の尾隠し キジ目キジ科 日本の国鳥 古語は雉子(キギス)

わっさわっさ。
わっさわっさ。
裏庭の鎌倉ヒバの根元で、雉が砂浴びの真っ最中だ。
さすがにこの行動を直接見るのは珍しいことなので、じっと観察していたら、きぃーという顔でを眼光鋭くにらみつけてきた。(ように見えた)アスパラガスの別名は「雉の尾隠し」。手前にミントが茂っているが、アスパラガスなど生えてはいない。まるっきり、すっかり丸見えだよ。雉さんよ。 (画像は雄)
忘れもしない。
もう22年前のことなのに、記憶の底にひっそり眠っていて、時に鮮やかに思い出し、亡くなった友人知人を偲んでは何とも表現できない思いにとらわれることがある。
人間の身体では感じることができない地震の初期微動を、雉は感じることが出来る。
余震が続く大寒の日々のことだった。
雉が鳴く、夜はまして遠くまで声が響く。
雉が鳴く・・・ 一息入れる間もなく、余震が襲ってきていた。
山が鳴り、雉の声がそれにまぎれる。
こちらに来て再び経験した東日本大震災よりも、あの神戸の地震の奈落に落ちるような恐怖のほうが、はるかに自分の体の奥底に深く刻み込まれているような気がする。
それはなぜ?
当時は自分より優先する命があったから。そして今、守るべきは己の存在のみ。それを自由と言わば言おうか。
・ 人間に見つめらるればおのずから離れ小島となりたしきぎす
里山の暮らし345 2017.10.24
高専賃・・・・サービス付き高齢者住宅
終の棲家をどこにするのか。人生最後の選択をしたつもりで現在の地を選び、家を建てて暮らし始めて15年。
選択は誤っていなかった、と思いたいものの、体調の変化や思わぬ病に倒れ、介護が必要になることを考えて、この数年さまざまな施設を見学して廻っている。先日、コスモスが咲き乱れる那須の山麓をドライブし、
・ サービス付き高齢者向け住宅 「アクーユ芦野倶楽部」 を見てきた。
鳴り物入りでオープンしただけある。各種設備は最新で、館内のスタッフたちの笑顔もまぶしい。
施設に隣接する、東山道の宿場だった芦野温泉も日々利用できる。
しかし。ここで考えてみたいのだ。この施設に暮らすと、急病や介護が必要になった場合の対応には安心できるかもしれないが、自立している期間も、はたして「高齢者住宅」
が必要なのだろうか。
自立している・・・すなわち自分で暮らしを支えることができる間は、わざわざ高齢者住宅に移らなくとも、今の暮らしを工夫しながら続けていくことが出来ればよいのではないか。なにしろアパートの賃貸料の何倍もする値段がついているのだから。現在の家=サービスは自前の高齢者専用住宅ではない?
いざという時に互いに助け合える友人たちとのネットワークを作り、自助の精神を持ちながら時の流れに人生に重ねていきたい。こう考えるのは安易すぎるだろうか。
最悪の事態に対応する準備はしておく。
でも、転がっていく先を思い悩みすぎることは、かえって精神が縮こまってしまうような気がする。
分からないなぁ・・・・。なにしろ、行く道は初めて歩く道。
ある友人の言葉:
「あれこれ考えても、思ったようにならないのが人生。とりあえず今日を元気で生きていれば、きっと乗りきれるよ」。
案外これが正鵠を射た意見なのかもしれない。
里山の暮らし345 2017.10.16
カズオ・イシグロ氏、ノーベル文学賞を受賞する・・・ 嬉しい
(いずれも翻訳家・土屋政雄の手によって日本語化された作品) (画像は熱帯雨林さんから拝借)
『日の名残り』のころからのファンとして、この受賞は思ってもいない喜びだった。
目前にある日常と、手を伸ばせば届くのではないか、との錯覚を覚えるほどの近さに感じる幻覚との間にある壁を、やすやすと乗り越えたり戻ってきたりできる文章が続く作品は、翻訳家・土屋政雄の卓越した日本語力に支えられている。
いや、翻訳というよりも内容が翻訳家の身体を通って表出してきたもので、訳したよりも自ら書いたのではないかと思えるほどの日本語が連なっていく作品を読むのは・・・とてつもない快感!淡々とした言葉を積み重ね、言葉が心にある不揃いの襞にすり寄って来るとき、単純化され普遍性を手に入れることができる。
それは祈り。作者の、人間の存在に対する祈り。
カズオ・イシグロ:
長崎県出身の日系イギリス人小説家。(両親は日本人)
1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を、受け、さらに2017年にノーベル文学賞を受賞した。
* 例年受賞の前評判の高いHarukiの作品は、読むたびに自分と作品の間に「隔壁」を感じることが多い。
したがっていつも完読できない。
里山の暮らし344 2017.10.9
『貝の火』より オパールの輝きは失われやすい
「・・・はじめからおしまいまでお母さんは泣いてばかりおりました。お父さんが腕を組んでじっと考えていましたが、やがてホモイのせなかを静かにたたいて言いいました。
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」
窓の外では霧が晴れて鈴蘭の葉はがきらきら光り、つりがねそうは、
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と朝の鐘を高く鳴らしました。」
『貝の火』 宮沢賢治作
作中の「つりがねそう」は初秋に咲く「ツリガネニンジン」のこと。
宮沢賢治の作品は、ひとつ分かれば三つ理解できなくなり、なんとか三つ追いついたら、さらに遠くまで疑問点が連なっていて、読めども読めども難しく、一生が二つ、つまり来世まで読み続けるとひょっとして腑に落ちるかもしれない、といったもの。
ツリガネニンジン
里山の暮らし341 2017.9.14
トイレがしゃっくりした
その日。ほんの30分前には正常に動作していたトイレ(ToTo製、使用14年)が、突然、ストライキを起こしてしまった。フラッシュした後、いつもならタンクに水が勢いよく溜まっていくのに、タラタラちびちびと、細い流れになってタンク内に流れ落ち、なんと30分もかかってやっと一杯になるという体たらく。こんな時ほどネットのありがたさを感じることはない。
「タンクに水が溜まらない」で検索すると、あっという間にその解決策を示してくれた。
1. ストレーナーの掃除
2. ダイヤフラムの交換
了解。
タンクへの給水栓を閉じ、ストレーナーを取り外し、歯間掃除用のミニ高圧洗浄器で掃除してみた。
しかしこれでは埒が明かなかった。タンクの蓋を開け、チェックしてみたら、やはりダイヤフラムが壊れたらしく、残滓が下に散らばっている。これは交換するしかない。
はい。ここまでの動きは良かった・・・・。
「そうだそうだ。楽天のポイントが溜まっているた。あれを今回使ってしまおう」と考えたのが浅はかだった。
この時、注文して届くまでの4日間は、バケツで水を汲み、勢いよく流すという繰り返しになるとは思いが至らなかった。
まっすぐホームセンター目指していたら、その日のうちに修理できていたのに。
一日何度もバケツの水を流していると、次第にアラブの国にでも住んでいるような気分になってきた。さらにさらに。面白いことにその水の流れをより効果的に使うべく工夫を凝らすようにもなってくる。流す位置と、水量を調節して、トルネードを起こすと順調に流れることを発見し、一人で悦に入る。楽しい? 暮らしもあっという間に過ぎ、新しく取り付けたダイヤフラムが働きだすと、そんな苦労とも言えない苦労はさっさと忘れ去られていく。
ダイヤフラム(Diaphragm)
何らかの圧力や、液体の流量やその液面などをコントロールする調整弁・膜を言う。
トイレのタンクの場合、給水とタンクに溜まった水とのバランスを取る役割をする。給水がオートストップするのはこのダイヤフラムのおかげ。
哺乳類の横隔膜をダイヤフラムと呼ぶのは、同じ原理。横隔膜は筋肉でできていて、胸腔と腹腔の間にある隔壁をいうらしい。しゃっくりは横隔膜の痙攣。わ、いくつになっても発見がある。
← これがダイヤフラム
里山の暮らし340 2017.9.5
今年のブルーべリー
理想的な栽培環境は;
日当たりが良く、酸性土で、十分な樹間距離を保ち、風が通り、栄養豊富な土壌に植え、適期に剪定を行うこと。
これらの条件のうち、我が家で満たしているのは、酸性土であることと、肥料を与えていることのみ。
最善の環境とはとても言えない庭の隅で、ありがたいことに今年もたくさん実をつけてくれた。二日間追熟したあと、500gに小分けし冷凍庫にぎっしり詰め込んである。その袋の数が今日で45個になった!お裾分けした分を含めると、今日の時点で約24キログラムの収穫があったことになる。
ジャムにして保存すると少量になるが、毎朝ソースを作り、粒つぶがすこし残った状態でヨーグルトに載っているのを見るのが好きなので、やむなく形を留めたまま冷凍している。したがって冷凍庫は満杯!
これ以上はもう入らないのに、まだまだ大小10本の木には今から熟す実がぶら下がっている。
No.45の袋
一キロの収穫に要する時間は50分。
暑さと周りを飛びまわる蜂とイラガとの闘いでもある。
コーヒー豆の収穫と同じく、環境の変化に適応するため、徐々に熟していくブルーベリー・・・房全体が同時に熟すのではないので、ひとつひとつ黒く熟した実を探し、手を伸ばして取るという面倒な作業
を根気よく続けていく。
ああこれを来年の夏まで食べられる、という喜びのあらばこそ。
里山の暮らし338 2017.8.27
一番好きなユリ 鹿の子百合
標高400m前後の、高くもなく低くもない、丸くく穏やかな山が連なる中国山地の、南を向いた山裾に生家はあった。
石垣が積まれ高台になっている敷地のすぐ下を国道が通っていて、道路の向こうには細い川が流れていた。
一日の農作業を終えた父は、浅い流れに足を浸しながら役牛を洗い、その日の働きをいたわってやるのが常だった。
牛と人と。父は煙草をくゆらし、牛は飼い主と一体になった喜びに、大きく丸い目を潤ませている。
川岸には竹が茂り、夏には煌びやかな蛍のトンネルとなった。
だらだらと導入路を上がると、明治40年代に建てられ、当時は珍しかった「二階家で瓦葺き」の家がある。
栗の木の太い梁が縦横に走り、子供のころでさえすでに築70年を越していた生家には、南面に広い縁側が伸びていた。
七夕には笹が祭られ、秋の終わりには南瓜がごろごろ並んでいた。
その縁側を廻り込んだ東側に書院造りの部屋が控えていて、二間の床の間には母の心づくしの花が活けられている。
押入れの上の桟には、姥と尉の能面が飾られていた。
幼いころ、その白い面を目にすると心がすくみ、年に数回しかなかったが秘密めいた部屋に入る時には、怖さもあって思わず摺り足になっていたのを思い出す。その部屋から見えるのは、崖から湧いてくる水を集めた池がふたつ。
丸池と角池の間は土管を通じて水が行き来し、その二つの池を赤い鯉が自在に泳いでいるのを見るのは、めったにない楽しみだった。その池のほとりには、5月には花海棠が、お盆には鹿の子百合が咲いていた。

昭和30年代の、父と母と兄と姉との7人の暮らし。
子供のころ見た花は、掬い取るのが難しいほどの身体の奥底に、なつかしい記憶として残っている。
・ ひしめきて咲けどもひとり鹿の子百合いましらじらと秋の香のする
里山の暮らし337 2017.8.21
接近遭遇 ・・・ 空を飛ばない不思議物体
田舎に越してきてひたすら庭仕事に開け暮れているうちに、次第に動物化してきている私。
いつもお日様と共に起きて働き、沈む日を眺めながら夕食を摂り、早めに眠る体勢にはいる。
シャワーのあとしっかり水を飲んで休むので、真夜中に「自然に呼ばれる」こともある。
う〜んと寝返りを打ち、ベッドから体を引きはがすように起き上がり、寝ぼけまなここでよろよろとお手洗いに向かって
歩いていくと、なんとドアの前に相棒がいるではないか。
やはり寝ぼけた顔で、爪先が上がらない歩き方のまま、別室から歩いてきていた。
ああ、ここにドッペンゲンガー!
こんなことが続けて起きてしまった。
広い空を飛ぶ飛行機が、接近するようなものかもしれない。
睡眠時間が7時間も8時間もあるのだから、なにもぴったり出会わなくとも良いのに。
この場合、どちらが優先されるかは、緊急度による。
----のではない。
「どうぞ」をどちらが口にするか。
それはいつも私。やはり自分が、と言い募るのは恥ずかしいという気持ちがあるようだ。
別に羞恥心などといった立派なものに引きずられたわけではないが。
これは長い時間をかけて刷り込まれた性差・・・ジェンダーの成せるものなのかもしれない。ごく日常の出来事から、大きなイベントに至るまで、比較的(!)自分の意見を通すことが多いのに、この問題についてはひたすら相手に譲っている自分を見つけるのは、
面映ゆい。すごすごとベッドに戻り、狸寝入りすること5分間。おもむろに起き出して、のそのそ目的地におもむく。
よろよろがのそのそに変わり、ベッドへの帰りの足取りはパキパキ。
目が冴えてしまったそのあとの時間の長さは、秋の夜のごとし。
鬼百合が盛り
・ 八月は鬼ゆり鬼灯鬼やんま明るき言の葉いざ拾はばや
里山の暮らし336 2017.8.14
初茗荷
(夏ミョウガなので丸くてふとっちょ。香りの高さと言ったらない。)
雨の多い夏のおかげか、ミョウガがいつもに無くどっさり出てきた。
茄子とミョウガの浅漬けは理想的。酢の物もいいな。
憂きことを忘れるか、冥加があるか。
お盆の月のせいなのかもしれない。生きている人よりも、亡くなった人のあれこれを偲び、思い出に浸ることの多い午後を送っている。若くして亡くなった何人かの友人。共に米寿まで生きた祖父母。
闘病12年ののち、幼い子供を残し無念の死を迎えた英語の達人だった友。
そして、夢の中に出てきた父よ。
・ 面(をも)よりもこゑが記憶にあざやかで名を呼ばれをりけふのま昼間
・ 父の声ささやくやうにこぼれ落ち地蔵となりて並びゐるかも
現代の医療でも治療できない難病に侵され、15歳にしてほとんどの視力を失った父よ。
最期は姉の家で迎えた。
・ 父老いておもざし白くなりにけり娘の側にゐていちにち眠る
・ くらやみに耐へて過ぎ来し九十年(ここのそ)の短躯の父を眩しみて見む
・ 見えぬ目の見しひかりあり端座してそのあはれさを父言はざりき
・ 石楠花の咲く家に父のねむりゐて日の照るほうへ歩く夢見る
・ 金剛の心を持ちたり九十年の耐へ来し時の薄きくらやみ
・ 春浅き父の目裏(まうら)に宿りゐる年経る思ひを明るく照らせ
・ 目をひらき父がとらえる光あれ生れし里なる浅葱色の空
そして。
・ 極楽の門の扉を探るほどの視力を残す旅であれかし
10年以上も故郷へ帰っていない。帰れない。
・ 父母のいませず遠きふるさとの崩へし生家は落暉に染まる
・ ちちははのおはす棟木の太き家のわが十五歳のはるけきかな
・ たてがみを立てて遭ふ風人の世の端に居る人みな美しき
・ 家族とふみじかき季節過ぎにしか拳のなかのにぎりしめる闇
里山の暮らし335 2017.8.8
地獄の釜の蓋
まんじゅう
今日は八朔。栃木県の那須地方にはこんな風習が残ります。
この地方では8月1日を釜蓋朔日(かまぶたのついたち)と呼
び、地獄の釜の蓋が開くとされる日。ご先祖様が、蓋の開いた釜を順々に飛び出し、精霊となっておのおのの家に帰ろうとする日だと言い慣わされています。
地獄からの生家までの道は遥かに遠く、一日(朔日)に出発しなければお盆には間に合いません。
暑いさなか、ひたすら魂の還る場所を目指して急ぐご先祖様の疲れを癒すために、用意するのがこの
「地獄の釜の蓋饅頭」 (今年穫れた小麦粉の皮に炭酸と黒糖を混ぜ、中に小豆餡を詰めて蒸したもの)
本来は、毎日一つずつ食べれらるように、お盆までの13日間のぶんの饅頭をお供えするようです。
茄子や芋の畑 で耳を澄ませると、ご先祖様が歩みを進める音が聞こえると、土地の古老は言います。
ご先祖様はこのお饅頭のほかに、茄子をかじったり凝りつつある里芋を掘り出してし食べているのかもしれません。
左が私、右が相棒の饅頭 たった一つ!
お盆は今日から始まっているということなのでしょう。
釜の蓋が開いたことを喜び、精霊のお還りを待って饅頭をお供えし、自分たちもその喜びのお裾分けにあずかる、意味のある日なのです。ではなぜ、ご先祖様は「地獄」にいるのでしょうか。この場合の地獄とはあの世
を意味しますが。極楽ではないのはなぜなのでしょう。
私なりに考えてみました。それはこんな理由からかもしれません。
【Wheel of Life 六道輪廻図 】 (または六道曼荼羅)
仏教では、現世の行為によって来世の六種の世界への行き先が決まり、生死を繰り返すとされていて、迷いあるものが輪廻する六種類の世界のことを
、六道輪廻思想と呼びました。
1 地獄道 2 餓鬼道 3 畜生道 4 修羅道 (阿修羅道) 5 人道 6 天道 (天上道、天界道)
それぞれの世界に仏を置き、どの世界においても仏による救済があることを説いています。
この「どの世界においても仏による救済がある」ことが、
おのれの罪を意識している現世の人間にとって大切なことであろうかと思えるのです。地獄にいても救済はあるのだと信じたい。たとえ地獄に落ちてさえも。だから「地獄」であの世を象徴したのではないかと。
ほかに。
暑いさなかの疲れ休めのためであるとか、夏休みに臨時登校する子供たちへのご褒美であるとか。
こんないわれも聞かれます。
ジゴクノカマノフタ
別名キランソウ (シソ科キランソウ属)
先刻、神奈川県相模原市に住む友人(85歳)に尋ねてみました。友人の住む地方では、「釜の蓋まんじゅう」を8月16日に作っているようです。この地域での「地獄の釜」には、こういう意味がありました。
年2回、正月とお盆の16日前後にに奉公人が休みをもらって親元へ帰った---いわゆる藪入りから来ている----草深い田舎に帰ることから藪入り。
子供の半年ぶりの帰省に、お饅頭を作って待っている母親の顔が浮かび上がってくるようです。
地獄のような勤め先から一時逃れること---地獄の釜の蓋が開いたと。
里山の暮らし334 2017.8.1
鼠に
曳かれるよ ( 続き)
夢うつつで考えたので、いろいろポカがあるのに気が付いた。
「摩擦係数はゼロ」ということは、私とカヤネズミが同じ床に寝ているとすると、彼らネズミたちも摩擦を利用して足を踏ん張れないではないか。こっちもツルツル、あっちもツルツル。まるで「トムとジェリー」の世界だ。
地球の重力が関係するのは無視しても、ここはこうだ。
◎ ネズミたちには、摩擦を利用できる別の部屋から引っ張って貰うか、木の板でも敷いた床を準備して、ひと働きして
もらおう。
・・・・・って、そうまでしてなぜ、私はネズミに引っ張ってもらいたいのだろうか。
明日は八朔。
・ いましばし独り芝居の心地よく影たづさへて木下闇ゆく
里山の暮らし333 2017.7.31
鼠に
曳かれるよ
午前5時半起床。ただちに洗濯機を廻しはじめ、仕上がりまで朝刊を読みながらコーヒーを飲む。裏庭のロープに洗濯物を満艦に飾りたてたあと、朝食までの30分は前庭の草取り。
ここですでに汗だくになる。
8時半、日焼け止めを塗りタオルを首に巻き、クーラーボックスに飲み物を入れて本格的な草取りに参戦するも、やはり
負けいくさなり。
11時には帰宅しシャワーを浴びた後、労働着を洗濯し2度目の干し物をする。
やれやれ、今日の仕事のノルマは終わり・・・・と午後一番にちょこっと昼寝をしていたら、夢見心地のなか、こんな声が聞こえてきた。
「そんなところで寝ていると、鼠に曳かれるよ」 と。
亡くなって10年あまりになる父親の声だった。
そういえば子供のころ、炬燵にもぐり込んでウトウトしていたら「ネズミに・・・」と言われたものだったなぁ。私はおとんぼ。おとんぼとは弟ん坊で弟(年齢の下)の子。つまり末っ子だ。
囲炉裏のとろ火に当たる父の胡坐のなかにすっぽり入り込んでいたのが、記憶の底にある。
田舎廻りの芝居小屋の木戸をねんねこに包みこまれて通り抜け、木戸賃逃れをしたのもうっすらと記憶にある。はてねずみ?
家ネズミも、ドブネズミもいないのに。いるのはカヤネズミだけなのに。うつらうつらと考えた。私の体重は50キロ。カヤネズミたちが集まっておのおの糸を持ち、その糸を私の体に結び付け、引っ張ろうとする時、いったいどのくらいの数のネズミが必要なんだろうか・・・?この光景ってまるで『ガリヴァー旅行記』の中の小人国のガリヴァーではない?
カヤネズミたちは、どのくらい力持ちなのだろう?
ネズミだって、自分の体重くらいの荷物を引っ張れるよね。この場合摩擦係数はゼロと考えよう。つまりツルツル。
私を引っ張るのには何匹必要だろうか?
50キログラム=50000グラム 500000g÷(1匹の体重10g)=5000匹だ!驚いた!1匹のネズミが占める面積は、足を踏ん張ったとしてだいたい8センチ×3センチ=24センチ平方メートルと考えようか。しからば5000匹だと12平方メートルと出た。あらまあ。私の部屋がネズミで一杯になるじゃない?
カヤネズミは嫌いでないからいいけど・・・。このネズミ。 どうやって調達する?
当然、「ねずみ算」で増やすのが順当だろうな。
引っ張ってもらった人間カーリングの私は、いったいどこへ連れていかれるのかなぁ。
などと埒もないことを考えながら、昼寝から覚めた。さて、これから午後の仕事だ。
・ 逝きかへり生まれかはるを頼みとし母無き五十年(いそとせ)父無き十年(ととせ) (か)
カヤネズミ
(萱鼠、茅鼠、Micromys minutus )は、ネズミ目(齧歯目)ネズミ科カヤネズミ属に属する小型のネズミ。頭胴長 54〜79mm、尾長
47〜91mm、体重 7〜14gの日本では一番小さなネズミのこと。 (by Wikipedia)
カヤネズミが居るそうだ。
里山の暮らし332 2017.7.30
帯化ゆりその後
一本の茎に50個の花。支えが無いと倒れてしまう。
このところのニュース:
〇 中生のブルーベリーの収穫は順調で、現在7キロの黒丸さんたちが冷凍庫で就寝中。
9月初旬まで、木の下に潜り込み汗をかきながらの取入れが続く。目標は更に高くなり15キロ! 〇 昨日の朝、近くにツキノワグマが現れた。
家からほんの少し離れた場所で、「あそこ」と言うよりも「そこ」に近い。
農家の畑のトウモロコシが熟してきたので、それを目当てにやってきたらしい。
この時期の熊は、食い意地が張っているうえに子持ちなので特に気が荒い。
朝早くと夜が危ないので、気を付けよう!と言ってもね・・・。
・ 開かずの間のひととき扉が開くやうに故人の庭にゆうすげの咲く
・ 苦しみの一瞬なるがなぐさめか友逝きし夏のかくも静けき
・ 過ぎ来しを遠近法にて語るときおのづからなる逆順の日々
・ 身にひとつひぐらしのこゑ入り来てひめやかにあさ開けゆくなり
里山の暮らし331 2017.7.22

山百合がどっさり咲きました! 約200本!

・ つるりんと卵の殻を剝くように めざめた朝は土と親しむ
里山の暮らし330 2017.7.16

本日の収穫は1.5Kg ・・・ブルーベリー

5月14日 開花 パラパラと熟す 収穫 7月11日
たった60日で熟した Blueberry。気の早い我々にぴったりのべりー・・本日の収穫1.5キロなり。
これで合計4.5キロになった。冷凍庫が満杯だ。早生の取り入れもそろそろ終わりに近く、次の中生の収穫まで少し時間がある。今年の目標は12キロ。去年が16キロ、その前の年は23キロ!だった。
里山の暮らし329 2017.7.11

マイブームはゴリラ歩き
運動不足をかこちながらも、暑い中を歩くのは嫌だ。
そんなわがままを言っていたら、身体がどんどん重くなり、爪先が上がらなくなってきた。心を改めて、第一体操と第二体操を朝食のあとの日課にすることにした。
しかし、この二つの体操を続けてするのはいかにもオカシイ・・・・第一体操でウォーミングアップし、クールダウンし。さらに第二体操でウォーミングアップし、クールダウンし。いったい何をやっていることか。
第二体操の号令はそのままで、下半身の強化に努めることにした。大腿四頭筋を鍛えるようスクワットし、体幹をきちんと保ちバランスを取る練習をする。
最後に、スクワットした形から
(すなわち架空の椅子に座った形から、またはお相撲さんの四股の形から)
そこらを歩き回ることにしたが。そのあまり重きに驚き10歩歩めず。
ゴジラの恰好で朝っぱらから居間を歩く私を、窓の外から見た人は驚くだろうな。
ブルーベリーが収穫期に。
蜩(ひぐらし)が鳴きはじめた。那須の夏は蜩で始まり、蜩で終わる。
里山の暮らし328 2017.7.7

アンの名前はこの花から
梅雨も最盛期を迎えたこのごろ。遅咲きのシャーレーポピーが、ゆらゆら 揺れている。
『赤毛のアン』の作者L.M.モンゴメリは、主人公の名前を考えている時、窓の外に見える赤いケシを見て名前のヒントを得たらしい。 ♪ おっかのうえ ひぃなげしの はぁなの〜 ♪ (詞 山上路夫) のひなげしがこれ。
そして、与謝野晶子。
前年の秋渡欧した夫・鉄幹を追い、1912年の春日本を立ち、シベリア鉄道経由でフランスへ向かった晶子がパリで見たのは、この赤い罌粟(コクリコ)。ヨーロッパでは反戦の象徴。
・ ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君の雛罌粟われも雛罌粟 晶子
庭のケシ、虞美人草とも言われる。
・ 授かりし恩寵のごとしもわが庭にアンの名前の赤き花咲く
・ 地に伏して伸びあがりつつ赤きけし北極光を浴びたしといふ
(モンゴメリの作品には、主人公が人生の目的について北極光(オーロラ)に触発される部分がある)
・ しろがねの雨ふるなかのコクリコの悼む心をひそめて居りぬ
(アンは生涯、自分を受け入れてくれたマシューを慕っている)
里山の暮らし327 2017.7.1

猫にマタタビ、夫には美酒(うまざけ)、私には?

マタタビ(木天蓼 Actinidia
polygama )は、マタタビ科マタタビ属の落葉蔓性木本。
南風(はえ)が吹くこの季節に、林縁や山裾に白くきらめく葉をつけたつる性の細い枝を持つ木が目立つ。
あれはマタタビ。(マタタビは・・・・股旅?又、旅ができる?から来ているのかな?)マタタビは思慮深い。受粉媒介者を呼ぶために花を付けた枝の先端を上の写真のように葉を白く変化させる。(白化)
どういう造化の妙なのか、植物が思考力を持つとしか考えられない。
ただ繁殖のために、増えるために。時には葉を白く変え、甘い蜜を溜め、あでやかな花を咲かせる花と、花を司る植物そのものの意思の強さを感じることがある。なにより、マタタビは「猫にマタタビ」で知られていよう。マタタビ特有の匂いに惹かれ、ネコ科の動物は恍惚とするらしい。
友人の猫さんたち(モノとミミ)のため、山から何本かの枝を取ってきた。先日、その猫さんの飼い主に乾燥させた枝を渡してある。はてして猫さんはどのような反応を示すのか、友人の報告が楽しみだ。
ライオンもトラもこのマタマビに心を奪われる、と本にあるが、あの大きな図体でこの花の周囲をのたくるのかと想像すると面白い。
・ ひるがえり身をそらしつつまたたびの大音声に虫を呼ぶ白
さて、パソコン遊びはこれまで。猫さんの飼い主から頂いた梅で、いまから梅ジャムをこしらえます。
加賀白梅
里山の暮らし326 2017.6.26

エンパナーダその後
記憶とは不思議なもの。身体の奥ふかく、海月のようにたゆたっていた思い出が、触手の動きにからめとられたのか、次第に形をなしながら、立ちあがってきた。
このエンパナーダのお店の佇まいを思い出してみるに・・・・裏にある本宅のキッチンで作り、お嬢さんが前庭にある屋台まで走ってきて、品物を並べていた
ようだった。
評判のエンパナーダを求めて列をなすお客との会話を楽しみ、時に花を投げ(echar flor・・・娘さん可愛いねぇ・・・といったたぐいの言葉を投げること)、冗談を
連発するオジサンは、実はユダヤ人だった のを思い出した。
そうだった。同じくユダヤ人である親しい友人から、このオジサンも出自が同じなのだとは、当時すでに聞き及んでいたのだった。
かの国のユダヤ人のコミュニティはとても小さいもので、互いに助けあうのが異国での暮らしの根底にあったからだ。
年の頃は50がらみ、長身でふっくらとした赤ら顔、前髪が後退しているオジサンは、ナチスの迫害を逃れてかの国に移住してきていた。大戦中にはおそらく中学生くらいの年齢だったろう。
現実にホロコーストを体験したのだろうか。
自在にスペイン語をあやつっていたが、本来ユダヤ教の教えがその精神を育んでいたはず。
当時の私は、娘に毛が生えたくらいの年齢で、ユダヤ人が背負っている歴史を理解するにはほど遠い状態だった。
本や映像で知っていただけの、ユダヤ人の複雑な歴史やナチスによる迫害が、現実にあったこととはとても信じられない・・・こんな幼い心の持ち主だった。
しかし数十年後、ユダヤ教の聖地・エルサレムを旅し、オランダ・アムステルダムに残る「アンネ・フランクの家」を訪問し、当時のヨーロッパの歴史に思いを馳せることができたこと、ぜひ訪問しようと考えたこと
。
さらに那須にあるアウシュビッツ記念館をも訪ねる経験に結びついたのは、あの時代、アンデスの高く蒼い空のもと、オジサンから手渡しされたエンパナーダにかぶりつき、
彼のユダヤ人特有の奥まった目に宿る光を見たからかもしれない。重い重い民族のくびきに囚われながらも、それと分からぬように明るく冗談を言っていたオジサンは、まだエンパナーダを作っているだろうか。
芍薬
花盛り
・ 「おはよ」のあとの言葉を探しゐて昨夜(よべ)の喧嘩の正邪はあらずも (か)
里山の暮らし325 2017.6.20

今夜はエンパナーダ
Las Empanadas
若いころ住んでいたことのある、南米の国の郷土料理、エンパナーダ。
懐かしくも嬉しい言葉の響きのエンパナーダ。
エン(中に、〜する)パン(パンの)ナダ(そのように料理する)が一緒になった言葉エンパナーダ。早く言えばミートパイ。牛肉ミンチと各種野菜と、(これが肝心の)独特のハーブを入れ蓋をして揚げる・・・この単純な料理を、街を離れた野原にポツンとある屋台で買い食いしたのは、あれはもう35年以上の前のことになる。
油鍋をかき回しているおじさんが、姉の手作りのバッグを手に持つ私に
「なぁ、そこのあんたよ。どっから来た?日本からかい?日本へはバスでどのくらいかかる?
そのバッグとこのエンパナーダ100個と交換しない?」
と本気で聞いてきたのを思い出す。
(このなかに二つだけ「わさび」を入れたエンパナーダがあるのだ。当たりかはずれか、どっちだろう)
6月12日 今年はじめて「エゾハルゼミ・蝦夷春蝉」の声を聞いた。例年になく遅い。
里山の暮らし324 2017.6.14

エゴノキ (エゴノキ科) 花びらの数は素数が好みのようで


朴の木の大きな葉を通すと空は翡翠色に染まる。
・ 風にある吊り橋を行く思ひして白き花咲く庭に佇む
・ 遠天(をんてん)の流星ならむとえごの木の並び咲くさまけむりのごとしも
・ 豊穣の白といふ色きはまりてあめつちはけふ花日和
里山の暮らし323 2017.6.5

散り敷く

5月中旬の涼しさで開花が遅れたオオデマリ。
ようやく咲いたかと思ったのに、その後に襲ってきた灼熱の3日間に耐えられず、短い命を散らしている。
・ てまりばな土へと還る日の朝はひとりぼっちのたましひ遊ぶ
里山の暮らし322 2017.5.30

増えるに事欠いて ・・・・ 帯化の不思議

山百合の茎 山椒の枝と新梢
山百合の頭の部分
(獅子頭のようだ)
最近、庭で見かける不思議な現象がある。
それは帯化(たいか)。綴化(てっか)または石化(せっか)とも呼ばれる、植物のある種の奇形なのだ。
茎の上部にある成長点の分裂組織に異常が生じ、その茎や葉や根や果実や花などが伸長したり、平たくなったりし、帯状に平になることをいうらしい。(分裂組織とは、植物の未分化な細胞のことで、細胞分裂を行っている組織)原因は突然変異によるものや遺伝的な原因が考えられるようだが、細菌の感染や昆虫、ダニなどによる傷害もそのきっかけになるらしい。
栄養分が過剰な時も起きるとあったが、決して決して。私の庭がそのような状態にあるとは考えにくい・・・(水も栄養分も抜けやすい、砂礫層の上にある痩せた土地の庭なので・・・)生け花に使われる石化ヤナギやエニシダは、観賞用に珍重されているが、庭の百合がこの状態になった日には、もうその球根の成育をあきらめるしかないだろう。
精力を使い果たし、ばったりと枯れてしまうのがオチなので。これは自然淘汰とも考えられるが、なにも帯状になってまでも増えようとしなくてもよいのに。
今日初ホトトギス・・・はじめてホトトギスの鳴き声を聞いた。
曇り空のなか、鳴き叫びながら飛び去って行く。おそらく托卵の相手を探しているのだろう。
里山の暮らし321 2017.5.25

チゴユリ(稚児百合) が咲いてきた (ユリ科チゴユリ属)

背の高さ約5センチから10センチ 六歳の私(この時の背の高さ1mほど。チビでした)
下向きに咲く、小さく可愛らしい花の姿かたちから「チゴユリ・稚児百合」と名付けられたようだ。チゴユリは、その外見では想像もできないほどの生命力を持つユリ科の花。
日々地下茎を伸ばし、庭の隅々まで縄張りを拡張する姿には圧倒される。抜いても抜いても生えてくるドクダミ並みのしっかり者なのだから。
稚児とは乳児、幼児のこと
で、これは 乳飲み
子という言葉が縮んだらしい。
春一番の花が咲き終わったころ、やや遅れてこの時期に花茎を伸ばして自己主張するチゴユリ・・・いいからいいから。
もう君の考えていることは分かったから・・・。一途に殖えたいんだろう?
稚児百合で思い出すのは六歳の秋、金毘羅八幡宮の釣鐘の完成を祝う落慶法要の稚児行列に参加したことだ。
おそらく自分の記憶のなかで一番古いものだとも思える。
平安装束を簡略化した稚児装束を身に付け、天冠を被り額に「位星」と呼ばれる赤い丸をポツンとつけた姿を今でも思い出すくらい印象的な出来事だったようだ。神道では、「神様は幼児や子供の姿をなして現れる」と信じられていたらしいので、この服装と化粧は神聖を持つ。
神様にお仕えし、穢れの無い童子・童女(わらは)には神の霊が寄り付くということか。
兄姉たちはこの行事に参加していない。
八幡宮の釣鐘完成を祝うという絶好のタイミングで生まれ合わせたことは、とても幸せなことだったと思える。現在手元に残るのは上の一枚の写真で、カメラ
を個人が持つのが難しかった時代に、いったい誰がこの写真を撮影したのか、不思議だ。
お稚児さんとして祭礼に参加することは、子供の無病息災を祈る両親の願いが込められたもので、この時父は四十過ぎ、母は三十八歳。今の私よりもずっとずっと若かった
。
里山の暮らし318 2017.5.12
身の果てを知らず去りゆく人ありて桜こぼるる音しずかなり
難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、パーキンソン病と認知症も合併した
奥様を、5年にわたり自宅で介護を続けていた友人が、心筋梗塞で突然死してしまった。
逃れたいと思うことも手を抜きたいと思ったこともあったはずなのに、少しでも介護をおろそかにするようなおのれの心の動きがあれば、省みてわが身をさいなむ。
そんな友人だった。
その朝、奥様の検温を済ませた9時ごろだったらしい。
心筋の梗塞に襲われた友人の苦しむ姿を、別室に寝たきりでいる配偶者は見ただろうか。感じただろうか。悲しみを認知することができたのだろうか。
発見されたのは、発作が起きてから4時間後だった。友人の、配偶者の絶望や苦しみに寄り添って生きてきたこの5年間の悲しみにも、その合間に見つけた小さな喜びにも、ただただ共感してあげることしかできなかった。
常識人で信頼できる数少ない友人だっただけに、驚愕しうろたえるばかりなのが申し訳なくも切ない。
あの日桜が咲き、かすかに散りゆく気配を見せていた。
友人は桜と共に逝った。
桜木のその末(うれ)ごとに葉を垂れて揺れつつもなお風を聴きたり
与えられし命を削るかのようにほろほろさくら花のこぼるる
木の花のこぼるるさまに朋逝けり
花こぼる彼岸此岸のあはひにも
里山の暮らし318 2017.5.3

破れ傘 ヤブレガサ (キク科ヤブレガサ属の多年草 学名は Syneilesis palmat)

手前のすんなりしている緑の葉は山百合の2年生。 小さい右の葉は一年生。
年齢が違うのです。花が咲くのは、5年後。
世の中は、ゴールデン・ウィークと称して浮かれ始めているのに、ヤブレガサなんて景気の悪い名前の植物を張り付けるのはどうかな?実はこのヤブレガサは食べられるようだ。山菜料理の本によると、「お浸し、天婦羅に美味」とある。
斜に構え、世を拗ねたように見えるものの、癖のない素直な春の味がするらしい。
しかし、自分の庭に生えてきたものを食すのは、可哀そうに思えて手を出せないでいる。
この時期に庭で食べられるものは;
このヤブレガサ、ウド、三つ葉、ミョウガ、山椒、ユリ根、シソ、ニラ、アサツキ、トトキ、オケラ、ユキノシタ、フキ、タラ、シラキ、カンゾウなど。
連休に別荘においでになるご家族との懇親会?・・・早く言えば昼間の飲み会を予定しているので、「タラの芽とシラキの天婦羅を準備することにしよう。
里山の暮らし317 2017.4.28

ヤモリよ。 もう起きたかい。
水仙が花盛り。その数およそ3千本か。
林の中を流れる風に揺れ、その風が波打っているのを見るのは、この季節の一番の楽しみ。
「湯のように揺れる」と牡丹の花を表現した俳人がいたが、言いえて妙だ。
水仙が揺らめき揺れているのを見ているうち、不思議なことにその揺れが「ヤモリのふにゃふにゃした動き」に重なってきてしまった。なぜだろうか。
ヤモリ
よじ登っている
遡ること3年。タヒチ島の首都パペーテでの夕食会でのことだった。
横長のダイニングテーブルに座って前菜に手を付けている時、お隣に座った(老)紳士が話しかけてきた。
「今日の午後、小舟に乗って珊瑚礁をめぐり、エイと一緒に遊んだんです、ほらこの写真を見てください。」
「透明な水に珊瑚礁の色が映えてすばらしいですね。エイは毒針を抜いて餌付けしてあるのでしょうか?」
(ちぇ!水の嫌いな相棒はこの日の遠足に行きたがらなかったのだ。残念だなぁ)(心の声)
「あれ?水の入った大きなピッチャーの外側を見てください。この小さくてふにゃふにゃとしているのは、ヤモリじゃないでしょうか。」「滑りながら必死に上に登ろうとしていますよ。」
「あら!本当ですね。これって・・・・ヤモリでしょう。」(ヤモリごときでは驚かない私)
「ヤモリって家守。家の守り神でしょ。日本のヤモリと違って薄い黄色と白の色をしていますね」
「それにこんなにほっそりしていて!」
「そうですよね。昔の家の戸袋によく潜んでいましたね。子供が小さい頃は「やもちゃん」と呼んで可愛がっていたものでした。五つ星ホテルなのにヤモリを従えて出てくるピッチャーなんて珍しいこと!記念に写真を撮っておきますね。」
やおらカメラに納めてのち、添乗員さんを手招きし、(ほかの人にばれないように小声で)
「ほらね。ここにヤモリがいるんです・・・。」添乗員さんは周章狼狽。うろたえることうろたえること!
おまけに、向かいに座った都会人なのだろう、一人のご婦人が、小さな声だったのにそれを聞きつけ、ぎゃーぎゃー騒ぎまくる。
「どうしよう。私、この水を飲んだかしら。ヤモリがいるぅぅぅ・・・・。」「大丈夫ですよ。届いてからずっとヤモリ見物をしていたので、誰もこの水を飲んではいませんって。」
となだめる私。(うるさいぞ、騒ぐな)(心の声)
早咲きの水仙の次に花を揺らしているのは、アイスフォーリスとお洒落な名前を持っている、薄黄白色の花。
ヤモリはこの花の色をしていたのだった。だから水仙の揺れるさま=ヤモリと連想したのだろう。
もう少し情緒のあるものを思い浮かべたかった。
日本ヤモリよ。 もう冬眠から覚めたかい?
里山の暮らし314 2017.4.8
おくかとまさか
・ 吾が恋はまさかもかなし草枕 多胡の入野の奥もかなしも
作者未詳(東歌)
万葉集 巻14-3403
・ 家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処(おくか)知らずも
万葉集 巻17-3896
いま、『万葉集』の中の、こんな歌が気になっている。
これらの歌にある「おくか」とは「奥処」。奥の方、果ての意味を持つと同時に、「ゆく先のこと、未来には」との語義を含む。万葉時代の人たちは、距離も時間も離れていることに「奥・おく」を遣っていたようだ。これは共感覚に近いのかもしれない。
たとえば春になりゆくことを、「春去り来れば」・・・・山の向こうから春がやってくる、と表し、時が過ぎゆくさまを「何かを行うこと」で語ろうとする。
なら、「今」をどう表現していたか?
現在は「まさか」。この「ま」は「目」か。目の前にある現実が移り変わる様子を「まさか・目さ処」と言い表し、時間そのものの動きよりも、動作やある行動がなされていることを重視している。この「今=まさか」の連なりが続き次第に過去になってゆく。
「まさか」がドミノ倒しのように現在へ結びつく、それも螺旋状に軌跡を描きながら。
過去も現在もひとつながりのもの、との感覚が新鮮に思える。その次にある未来は、今立っている場所から遠くて、果てしない場所にあるが、身体感覚から近いとも捉え
ていたのかもしれない。
そして、もう一つの「まさか」は真逆。
この場合の「ま」は「真」で、まこと、まじめ、真実、本当、純粋なを表す「ま」。それに逆さまなことが起きる---まさか!
最近、まさか!と思えることに遭遇し、現在(まさか)に真逆(まさか!)が重なる出来事があった。
これをどう考えるか、ゆっくり考えてみないといけない。
・ ああたれか曳き舟になってわが心茜の空へ導いてはくれぬか。
里山の暮らし312 2017.3.22
何時間か後にスイッチを入れるには --- タイマー設定表示はなぜ12時間なのか。
方法その1 (これが一番多いだろう
)
今の時刻を起点に、指を折りながら数えてみる。午後10時から午前6時まで・・・。
11時、12時、1時、2時、・・・・6時。あ、8時間か。これはまったく単純な方法。
方法その2
方法その1では勘違いすることもある。現在午後10時で、明日の朝の6時にスイッチを入れるには、
「6時」を18時と変換し、「18引く10」で、8時間と答えを導く。
なるほど。タイマー設定の時間の表示が12時間制になっている理由はここか!
一日は24時間で、起点の時間は常に午前中だと考えるとわかりやすい。
方法その3
(まったく危険な方法を導きそうな)相棒に聞いてみたら、予想通り。
「か〜んたん。簡単。午後10時から午後12時までは2時間。午後12時から午前6時までは6時間。この二つの数字を足せばいいんだよ」。ときた。
驚いた。足したり引いたり。面倒じゃない?
常づね、ふ〜?と感じることが多かったが、テキの頭の中はこうなっているのか。としみじみ実感する
(テキとは和歌山弁で、この人、あの人、彼、彼女の意味)
里山の暮らし310 2017.3.9
着物のその後
予想はしていたものの振袖を解く段になって、拒否反応が起きてしまった。
ここは中止だな・・・。
この冬まで桐の箱にしまっておき、雪の季節になったら考えよう、と一番楽な方法を取ることにした。
問題を先送りしただけという忸怩たる思いにとらわれる。
里山の暮らし313 2017.3.30
わが着物文化の終わり
身辺の整理を心がけているこの冬。以前から心に重くのしかかっていた「着物の整理」に取り掛かることにした。
誰かに譲ることは考えられないし、さりとて古物商に売り払うことにも抵抗がある。一度ほどいて布にして、それからゆっくり布の命を全うさせる方法を探ってみよう。
日本が豊かになり始めた昭和30年代から40年代は、結婚するに当たってこれだけの着物を揃えておかねばならぬ、といった強迫観念
に追い立てられた時代だった。
日本が豊かになりつつあり、庶民の娘が贅沢にも絹物を身に着けることができるという時代に生まれ合わせてしまった幸せなのか、不幸せなのか。
呉服屋を営む伯母にむりやり背を押され、なけなしの貯金と退職金であつらえた着物のあれこれ。
振袖、訪問着、羽織、無地の紋入りの着物、夏冬の喪服、紬、袋帯、コートや小物など。これを今、解き始めている。
手始めにコートと羽織を --- 座り込んで一目ひと目を探しながら一枚の布に変えていく。
縫子さんの、この着物に込めた時間と、若くて何も知らないまま過ごしていた自分の時間が重なり、思わぬ時間を過ごすことになった。
一か月の給料で、この着物一枚買えなかった・・・。ただ若さだけがあったあの時代を思い出し、心が弾んだりいくばくかの疲れが残ったり。さて、これから訪問着に取り掛かるのだが、はたして解く手が進んでいくかどうか。
手に持つとずっしりとした重みがあるのに、指の間からさらさらと流れ落ちていく絹の触感に魅了される。
あまりにも思いを詰め込んだ着物をほぐしていくことができるか。
これは相当なる覚悟と思い切りが必要なようだ。
黄色の水仙の初花が咲いた。
〇 黄花咲き木の芽つやめくこのひと日ああ如月は春の匂ひす
里山の暮らし309 2017.2.22

モグラの暮らしはせつないものだ

土竜塚(もぐらづか)
庭に有機肥料を漉き込むと必ず現れてくるもの......ミミズとミミズを追って来るモグラ。
モグラのトンネルは、四通八達。それぞれが役目を持つ小さな部屋を結びつけ、モグラたたきを面白がるかのようにあちこちから出入りしている。
せっかくデザインし花苗を植えこみ、球根を埋めた花壇をひっくり返してしまうので、朝起きてがっかり。そのあまりの狼藉ぶりに業を煮やし、考えられるすべての対策を取ってみたものの・・・・。
・ 水攻め (われ関せず)
・ トンネルの中に栗のイガを入れてみた。(なに、ほかにトンネルを掘ればいいこと、と無視される)
・ 金網を突き刺してトンネルを塞いでみた。(全然効き目なし。他に通り道を作るだけのことよ)
ならば臭いで攻めようか。
・ ニンニクの粒をトンネルの中に。(ぴょん、と地面の上に放り出してくる。春にはそこから芽が出てきた)
・ ナフタリンを入れてみた。 (迂回してトンネルを掘ったようだ。庭中に嫌な臭いが立ち込める)
なんと言っても相手は生き物なので、薬剤を使ってまでの殺生はしたくない。
モグラはほのかに明るさを感じるものの、目は退化してほとんど見えない。暗い暮らしが一生続くモグラ。
おまけに食べ続けていないと死は待ったなし。
画像は・・・貼り付けてもいいけれど、むくつけき形態なので、遠慮しておくほうが良いだろう。
特徴的なのは前足が横を向いていること。平泳ぎ体勢でトンネルを掘るようだ。
土を掘る速度は1分間に30cmくらい。休み休み掘り進むので時速は20メートル。動くのが遅い代名詞の「かたつむり
(時速50メートル)」に比較しても遅い。
それはそうだ。画像は車が時々停車する、路辺の固い土を掘ったのものなのだから。
画像の左側、、盛り上がった土は、トンネルを掘った際に出た土を前足で押して捨てたもの。
右はモグラがふたたび土の中に潜り込んた跡。
この土は表層土が掘り出されたものなので、ふっくらとしていて栄養に富む。
見つけ次第、土を集めて花壇に戻してやるのだから、悪いことばかりでない。
* なんというタイミング!
いつもお願いしている種苗会社からカタログが届き、
「土にさすだけ!激辛唐辛子エキス(カプサイシン)がモグラ・ネズミを撃退!」する「モグラスティック 来ん棒」の記事が載っていた。
15センチほどの棒状でそれを差し込むだけ。50本で4217円と来た。
でも、これは近くの道の駅で売っている、「激辛日光唐辛子」をトンネルに差し込めはいいだけじゃない?
はて? やはり失敗は目に見えているような気がする。
里山の暮らし306
2017.1.28
里山の暮らし 2016年1月から 2016年6月まで
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