アメリカセンノウ    

  アメリカセンノウ  ナデシコ科   リクニス
  英名Maltese cross Scarlet lychnis  Jerusalem cross Scarlet lightning
 
 (バリー家の庭に咲いていたのは)バラ色のブリーディング・ハーツ、真紅のすばらしく大輪の牡丹、白くかぐわしい水仙や、棘のある、やさしいスコッチ・ローズ、ピンクや青や白のおだまきや、よもぎや、リボン草や、はっかの茂み、きゃしゃな、白い羽根のような葉茎を見せているクローバーの花床、つんとすましかえったじゃこう草の上には、燃えるような緋色の花が真っ赤な槍をふるっている 。(scarlet lightning that shot its fiery lances over prim white musk-flowers)……   
                            『赤毛のアン』第12章おごそかな誓い

 (There were rosy bleeding-hearts and great splendid crimson peonies; white, fragrant narcissi and thorny, sweet Scotch roses; pink and blue and white columbines and lilac-tinted Bouncing Bets; clumps of southernwood and ribbon grass and mint; purple Adam-and-Eve, daffodils, and masses of sweet clover white with its delicate, fragrant, feathery sprays; scarlet lightning that shot its fiery lances over prim white musk-flowers; a garden it was where sunshine lingered and bees hummed, and winds, beguiled into loitering, purred and rustled. )

 
   フィンランド タンペレの生活博物館にて
 
 
    カナダ マウントロブソン山麓の
  インフォ―メーションで

 
    私の庭
アンシリーズの中には、印象に残る庭のシーンがいくつかあります。
後にアンの心の友となるダイアナの家の庭の描写がその始まり。豊かな農家のバリー家の庭は、高い木々に囲まれ、さまざまな色合いの花が咲き乱れる庭です。読み解いていきましょう。
おりしも、時は6月。島が一番輝く季節です。

この花がなかなか見つけられなくて諦めかけていた2011年夏。
フィンランドに旅し、ムーミン美術館があるので有名なタンペレの街の生活博物館のなかで、偶然出合いました。
「おお、真っ赤な槍をふるっている!」
これだ! とひらめいて、あとは夢中でシャッターを押し続けたのが左の写真。シベリア原産の多年草。ナデシコ科なので種での繁殖が容易です。以後私の庭の定番の花となりました。

村岡訳の「燃えるような緋色の花が真っ赤な槍をふるっている」。
『赤毛のアン』が訳されたのは戦時中のこと。「アメリカセンノウ」という表現を使えなかったのかもしれません。赤い球状の花が、すらりと伸びた茎の上で揺れているのを、「槍」に見立てた訳者の卓越した文学センスを感じる表現です。この槍、たんぽ槍ですね

ちなみに、名前に「アメリカ」と冠された植物をよく見かけます。
これは「アメリカから渡来した」との意味もありますが、外来種ですよ、というマークでもあるのです。
英名のMaltese crossは、固まって咲く花のひとつひとつが、上から見るとマルタ騎士団の記章に似ていることから。  
       ←マルタ騎士団の記章 (本物の花弁は5枚)
                              
また、Jerusalem cross は、ギリシア十字を、四つの小さな十字架が取り囲んでいることからこう呼ばれます。四つの十字架は、四福音書を意味するとも、エルサレムから四方に福音が伝えられたことを表すとも言われます。天と地の象徴とも考えられますか。

イスラエルの地中海岸に、エルサレム王国の首都アッコーの遺跡が世界遺産として残されています。
アッコーの遺跡でこのエルサレム・クロスを石に刻んであるのを見ましたが、王国の歴史を象徴するものとしてとても印象的でした。目を転じるとそこは地中海。押し寄せる波が、十字軍の行進にも見えてくるのでした。

 * マルタ騎士団とは
1100年ごろ、第1回十字軍ののち、エルサレムで巡礼保護を目的とした「聖ヨハネ騎士団」が、設立され、病気になった巡礼者の保護に務めた。
十字軍勢力がパレスチナから追われた後はロドス島を根拠とし、聖地巡礼をするキリスト教徒の守護者として、あるいはイスム教徒)に対する聖戦の実行者として活躍した。1522年、オスマン帝国のスレイマン1世によりロドス島は陥落。
本拠をマルタ島に移して、マルタ騎士団と呼ばれるようになった

                                     

 

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