6時の気温 −4℃ (12/21) −3℃ (12/22) −1℃ (12/23) −5℃ (12/24) サンタさんも寒いだろう。
              −1℃(12/25) +1℃(12/26,やれやれ暖かい) +3℃(12/27,暖かいな) −5℃(12/28)
         +1℃(12/29)  0℃ 12/30) −3℃(12/31)

   小さくて、ささいなことの積み重ねが一年になる ----- 年末の暮らし

     無事これ名馬なり  おおつごもり

今年も今日で終わる。いまの暮らしに不平不満がないわけでない。でも、今年一年大きな怪我もなく、病気に倒れることもなかったことを素直に喜 ぼう。
これから寒さは本番を迎える。新型コロナ第8波では高齢者が重症化するケースが多いらしい。同時流行しているインフルエンザも心配になる。

今年、日々のつたない暮らしの記録を読んでいただいて、ありがとうございました。
皆さま、体調には十分気を付けて新しい年をお迎えください。

 あふち
 あふち (万葉表記では、阿布知、安不知、安布知、相市)  センダン 栴檀 (センダン科)

 * 妹が見し 楝の花は散りぬべし  我が泣く涙いまだ干なくに  『万葉集』 山上憶良 巻5-798

冬の空にあふち(現在の栴檀)の実がぶら下がって揺れている。  
(大宰府の長官・大伴旅人の妻は、旅人が九州着任後まもなく死去しました。悲しみに暮れる旅人になりかわり、旅人の妻の死を悼み山上憶良は詠みます。)

 

    涙がこぼれ落ちた ----- 青春真っただ中の蔵王

何しろ気の早い我われ、はやばやと正月準備を済ませ、茫然と庭を眺めている。このあと何しよう?
そうそう、あれだと思いつき、ゼラニュームの剪定に取りかかる。
仕事のお供は「混声合唱のための合唱組曲「蔵王」」のCD。尾崎左永子作詞、佐藤眞作曲 1961年
まず第一楽章「蔵王賛歌」。歌詞はこんなふうに始まる。

   ♪ 万緑満てる蔵王 蔵王 からまつの林は今ぞ花の時 はるかに ああ、山は遠く 山の春は今去り行く 
          白樺の若葉揺れて    晴れ渡る山の春----♪

春の終わりから初夏にかけての蔵王の山の明るさが、歌い込まれている。明るいのも当然。ニ長調ではじまりト長調に転調し、そのままなだらかに続いたかと思うと、嬰ヘ長調の調性が現れて(ここでゾクゾクする)
、緑の山野に微妙な陰影が施される。再びニ長調に戻る。春が長け、雪解け水が流れ落ちる、冷たい水、水の中から、緑のさ中から現れるさまざまな命の群れ。

第2楽章「投げよう林檎を」 これも清新な響き。

 ♪ 投げよう りんごを 雲の上 雲からこぼれる 朝の日に  うたおう 希望のうた ヤッホッホ  リラホ〜〜〜〜♪ 

そして夏から秋へ、冬の雪へ。歌は続いていく。

第9楽章「早春」
   ♪朝の光 山にみち 雲は明るく 浮かびたる そよ風わたり そよ風わたり 白い山肌 白い山肌 光りかがやく
        枝から枝へ 鳥は飛び交い 春よ春よ 山の春よ   朝の光り 山にみち 雲は明るく 浮かびたる 
            小川のせせらぎ 小川のせせらぎ  音も軽く 音も軽く 開け行く山にこだまする 鳥はやさしく よび交わしゆく               あけゆく蔵王に 雪はかがやく  讃えよ春を 讃えよ蔵王  蔵王の山に 春は来たリぬ                      
                 ああ 蔵王 蔵王の山  蔵王の山♪  ------fff で終わる。

第一楽章のはじまり「万緑」はフォルティッシモ(fff)で始まり、fffで終わる。 典型的な合唱曲『蔵王』。         

あ、しつこかった。(ごめんね。歌詞はすべていまも頭の中にあるから。)
この曲を大阪・中之島にある「大阪フェスティバルホール」の舞台に立ち、歌ったことがあった。その日の
産業音楽祭で優秀賞をいただき、あの時感激して涙をこぼした----そして今、何十年か後に涙をこぼす。涙にどのような差があるだろう。
悠々と前に向かって流れる時間を感じたあの頃と、ここまで到達した間に費やした時間と、これからの時間と。 だれのものでもない自分の時間の、そのなかの涙に。

「蔵王」を歌ったあの日から35年後、蔵王の頂上に立つことができた。
あれは昭和の時代だった。東北の山へ登りたいと思っていても、望みはなかなか叶えられそうになかった。あの頃の私にこの景色を見せてやりたい。

  蔵王のお釜(宮城県観光局HPから)

「蔵王」とあればやはり斎藤茂吉。
  * 陸奥をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
  * 雪消えしのちに蔵王の太陽がはぐくみたりし駒草の花
  * みちのくの藏王の山に消(け)のこれる雪を食ひたり沁みとほるまで

 

 

   12月29日 温室が猫の部屋に

    
   簡易温室のなかでくつろぐ「スポットじゃない君」日差しを浴びて暖かそうだ。  右のポットはスイトピーの苗。
       緑の如雨露には水を溜めてある。ひなた水にするため。手前の棒はベルガモット。

朝6時の気温が−5℃。さすがに寒い。
時計に縛られない生活に入ると、かえって時間を守って暮らすようになる、とはだれが言ったのか。まったくその通り。起きなくてもいいのに起きてきて「寒いでござる」「左様でござる」なんて言葉を交わしている。

   ----「おしくらまんじゅう おされてなくな」「押しくらまんじゅう 押されて泣くな」----
身体を動かすときっと暖かくなる。そう思って洗濯に取り掛かる。掃除機をかけてみたりする。
寒い日は「寄り添って暖を取る」。
では、気温が体温を超す日には「寄り添って冷を取る」のか???
 

       12月28日 使える男に変身

朝6時の気温が+3℃だった日。洗面所においてある石油ストーブが、ほんの10分しか燃やしていないのに突然シャットダウンすることが続いた。「プラス3℃ってあったかいね。夏みたいだ」こんなお馬鹿を言ったのをストーブに聞かれたのかもしれない。
フィルター?もちろん掃除をして、換気にも気を付けている。なのに突然のダウンがとても不思議だった。このストーブは、長時間使用するメインの強制排気ストーブではないし、一日のうちほんの1時間ほどしか使 っていないからだ。経年劣化かな?などと聞いた風な口を利くわたし。
調べてみた。分かったことは:
「燃焼棒に油脂分が付着し、点火すると電気抵抗値が変動して異常燃焼した」と判断したようだ。誰が?もちろんストーブに内蔵されているセンサーが。

そこで相棒の出番だ。
実はこういう仕事があると----あ、そうではなくて「仕事にありつくと」のほうが正確な表現だが、喜んで自分のログに籠り修理を楽しんでいる。

 
   左はストーブの前面版を取り外した様子。 右はストーブの燃焼棒。 ここを掃除した。
   これ以上の修理は、火を扱う装置だから、素人には難しい。後追いは厳禁だ。

相棒の思考は常にまっすぐで、その意識の向く範囲は全面の120度くらい。視野180度のうち左右の30度はただ目に入っているだけ。注意を向けて見ているわけではない。同時に二つのことができない。興味が無いことは聞 かず頭の上を素通りさせる。類推が苦手な相棒。この時ばかりは張り切る。使える男に変身する。

1時間後、直りましたね。だけどこのストーブ、使用時間は少ないけれど10年使ったのだから、そろそろ買い替えの時期だろう。修理のあと町へ出かけて家電品店を梯子し、次に買う機種を選定しておいた。
町へ出たついでに、ご褒美として新しい作業ズボンと、いつもは在庫の無い極小ネジも買ってもらって、ちょっと嬉しそう。           
おちょくってばかりではナンですから、夕食にライン川沿い産の「モーゼルワイン・白」でねぎらう。お疲れさま。  

 

   12月27日 島旅にあこがれる

   こんな本を借りてきて、紙上で船に乗 っている。

コロナ禍も4年目に入った。この間どこか遠くにに出かけたかと言えば----いいえ、どこにも。
お弁当を持って近場でハイキング。お花見、わらび採り、クレソン摘み、紅葉狩り。こんなささやかな楽しみを糧に、この3年間を過ごしてきた。

この冬こそ沖縄の島を旅しようと考えていたのに、コロナ第8波が寄せてきて、もろくもその願いが吹き飛んで行った。たしかに、行こうと思えば行ける。でも----と足を引っ張るのはだれ? 年と共に 次第に用心深くなってきた二人は、栃木県の枠を外して出かける勇気がない。
どこかへ行きたい。ここでないどこか違ったところへ行きたい。ではどうするか。想像力を使うしかありません。

本のページをめくるとそこは島旅への誘惑で満ちている。
今日は人間が住む島のなかで、本州最南端にある波照間島を旅することにしよう。すぐ西は、そこは台湾!東海岸のマンゴー畑が見えそうだ。
Google Mapを起動する。ドローンにでもなった気分で波照間島に照準を合わせ拡大していくと、そこにはかの地に住む人たちの暮らしが垣間見えてくる。自転車に乗った気分でストリートビュー の運転席に座ってドライブ。周囲は海。 島ババナ、サトウキビ、黒糖のお菓子。

それから宇宙へ。
 ・Google Earth →「キューポラ観測モジュール」で国際宇宙ステーション(ISS)から見た地球の姿と、内部の様子を見られる。(静止画だけど)これは異次元にいるような、胸がバクバクする驚きに満ちている。

   ・NASA 国際宇宙ステーション(ISS) ライブカメラで検索

1980年夏、まだ予算が潤沢にあった時代のNASAを見学したことがあった。赤道直下にある首都キトの郊外の観測所では、まだコンピューターがそれほど導入されておらず、本土アメリカとの連絡は「テレタイプ」が使われていた。捨てられたタイプ紙の切れ端をありがたくいただいてきて、日本に送ったことがあった。今はむかし。

 

  12月26日 鳥見遠足

  オオバン
大田原市郊外にある羽田沼に、いつものように白鳥見物に出かけてきた。
北海道を経由して、シベリアからやってきた白鳥が、この冬も沼で冬を越している。一年前は約200羽だったと記憶しているが、今年は何羽やってきたのだろう。以前は「守る会」の人たちが餌やりをし、飛来数をカウントしていたが、自然保護の立場(自力で餌を探せるように)から、現在は中止されている。
ほとんどの白鳥は朝早く近くの田んぼの落ち葉拾いに出かけているはずだが、この親子は雛の飛ぶ力がまだ弱いのかもしれない。沼に残りゆっくり水面を泳いで餌を探している。

ところが、キャノン砲を抱えたカメラマンにこう聞いた。白鳥の糞が畑の栄養になるので、これまでは飛来を歓迎してきた田んぼの持ち主 が、養鶏場も近いことだし、花火を揚げて追い払っているようだと。 九州で鳥インフルエンザが流行し始めたのが引き金になったようだ。 花火におびえた白鳥はどこで餌を採っているのだろう。

右の画像はオオバン(クイナ科オオバン属)。滑稽なくらい頭を前後に揺らしながら歩いている。けっぽんけっぽん----こんな感じかな。 あるいはこうか?----尺取り虫の歩き方。この動きで目の位置が地表から一定の高さになるように、調整しているようだ。 (クイナ科=「クイナを叩く」のヒクイナの仲間)
モズ、オオサギ、チュウサギ、ゴイサギたちが沼の魚を狙っている。みんなに会えて満足の冬の日。

   里山の暮らし699  2022.12.30                                   

 

     サンタクロースの住む町へ  ---- 2012年7月14日

旅の時間は凝縮されていつまでも心に残るのはなぜだろう。2012年7月、関東大震災の次の年と言うのに自粛もせず、北欧からオーストリア、スイスへの旅に出た。
ヘルシンキ中央駅は、ヨーロッパの駅のシステムに違わず、ターミナル駅にふさわしく横に広がって、何本ものホームが並んでいる。その一つに陣取り、午後8時半発の列車を待っている時の、高揚する気分を思い出す。2時間遅れもなんのその。
行く先は北極圏・ラップランドの街ロヴァニエミ(Rovaniemi)。


フィンランドの首都ヘルシンキから北に位置するラップランドは、北極圏の玄関口。
オーロラ観測地として知られている。

なかでもロヴァニエミはサンタクロースの故郷としても有名で、 郊外に「サンタクロース村」があり、さまざまなクリスマスイベントを楽しめる。

 

 


乗り鉄にとっては垂涎の的、サンタクロース・エクスプレス。フィンランドの首都ヘルシンキから夜行電車で12時間。
我々が乗ったのは、18:30発の寝台車個室1等シャワー付き(デラックスコンパートメント)。最上級の部屋なのに 思ったよりも狭かった。
ベッドに横になりながら、電車が枕木を通過していく音を聞き、白夜に薄く白く光る白樺の太い幹の数を眼で追っていた。


サンタクロース村の入り口。入るとすぐ北極圏を示す線をまたぐことになるここから北極圏にはいり奥の間に座っているサンタクロースにご挨拶した。そのあと絵葉書と切手を買い求め、日本やカナダの友人のだれかれに送る。

さて、ロバニエミからヘルシンキに
戻らないといけない。普通は飛行機を使うところだが、乗り鉄の我われは当然鉄路によるルート完全走破を目指した。陸路を選んで正解。長い車両の最前列に繋がった「半分の車両24人乗り」を占領して、延々12時間の「どこまでもつづく線路」の旅を身体に沁み込ませた。
白樺林が続く。その間に現れる地方の駅で降りる人、乗る人を観察しその人の背景を想像しては面白がる。人間って面白い。
思い出は常に私の手の中にあり、ルービックキューブを回すように、時空を越えて今に浮き立たせる楽しさがある。

   この時期に角があるのは、みんな雌のトナカイ。 女性活躍週間だ。

   里山の暮らし698  2022.12.21 
 

                                   

 

 

      色いろいろ ----数字でどのように表示するか      
  左から 茜染め 藍の生葉染め ハイビスカスの花染め

茜染め アカネの根を煮だして染めた。地模様が浮き上がって見える。
藍の生葉染め 本来藍染めは、タデ藍を発酵させ、藍玉を作って染める。
この藍の生葉染めは、夏の終わりに生のタデ藍を揉み、色素を抽出して絹布を染めたもの。
ハイビスカスの花染め エジプトの南、スーダンとの国境に近いアブシンベルの土産屋で手に入れた「ハイビスカスの花」で染めた。本来は花をお茶にするが、先媒染の方法で絹布を染めてストールにした。

たまに専門家の友人と一緒に草木染めをすることがある。染料は植物由来なので、この染め方を「草木染め」と呼ぶことが多い。
ある方法で抽出した色素を、媒染材を使って生地に定着させる。こう書くと化学染料で染色する時と同じように、同一の色に染まるかと言えばそうでもない。
例えばアカネを使って染める場合にも、材料の品質、気温、媒染材の量や定着させる方法のちょっとした違いで出来上がりの色が変わってくる。途中何らかの物質(例:鉄など)に触れてしまった場合など、痕跡がしっかり残ってしまうから、油断 できない。
同じ色を染める。色を再現する。これはとても難しい。来年のNHK大河ドラマは『源氏物語』らしいので、さまざまな色に染めあがった十二単をまと うお姫さまたちの姿を見るのが楽しみだ。
  * 12月27日 勘違いだった。「どうする家康」( NHK )だった。どこからこんな情報を仕入れたのか?
      *   2024年大河ドラマ『光る君へ』 再来年だった。待ち遠しい。

日本には、色を表現する言葉がたくさんある。画面右に置いた『美しい日本の伝統色』を開いてみると、そこには絢爛たる色彩の世界が広がっている。色自身もそうだが、その色を表現してある言葉の美しさには、 頭がくらくらしてとろけてしまいそうだ。
例えば、春の色としては、桜色、紅梅色、珊瑚朱色、紅緋、弁柄色、鉛丹色、紅樺----と細かく色の違いを言葉に言い換えてある。 この抒情性をどのように色に置き換えるか?古人はさまざまな工夫を巡らしている。
この本では、色の名前が大きく二通りの方法で名付けられているとあった。
 ・材料(染材)の名前から----植物由来と鉱物性顔料とから。茜色 竜胆色 
 ・自然にある事物から直接取り入れる----鶸色 鶯色 栗皮色のように。

では色をデジタルに表現するにはどうするか。この本の説明を読んでようやく理解ができた。
【マンセル・カラー・システム】とは。
すべての色覚は色相(色合い)、明度(色の明るさ)、彩度(色の鮮やかさ)の三つの属性にわけられる。この三つの属性の組み合わせである一つの色を表す----ということらしい。 三つのデータを一点に集約する、これは三次元の表わしかた。

[色相]色味を表す。赤(R)黄(Y)緑(G)青(B)紫(P)を基本の色相とする。その中間に黄赤(YR)黄緑(GY)青緑(BG)青紫(PB)赤紫(RP)を置いて10の色相に分かる。さらにおのおのの色相を10に分けた100の色相で表す。 これは広く大きなTree 構造とも思える。マンセル値として表わす。

[明度]色の明るさ。明度が高いと白に近づき、低いと黒に近づく。色を持たない白や黒を無彩色と言い、この無彩色を基準にして明度は決められていく。最も明るい白を明度10に、最も暗い黒を明度0とし、その中間の色(灰色)を1〜9の数字を当てはめて表す。

[彩度]色の鮮やかさ。彩度が高いと純色に、低いと無彩色のグレーに近づいていく。白、灰、黒の無彩色を0とし、鮮やかさが増えるたびに数字が大きくなる。→有彩色に。

オフセット印刷など紙媒体に印刷する場合、液晶などの画面に表示する場合などで表示の方法が違うようだ。
オフセット印刷など紙媒体に印刷する場合は。
 CMYK値----色を刷り重ねる網点面積をパーセントで表してある。
       網点=インクを小さな点状に印刷して、濃淡を表現すること。そうだ!色はドットで出来ている。
       異なる色を重ね合わせることで、無限の色の階調も再現できる。
コンピューターで色を表現するにはRGB(赤R 緑B 青B)の値で表現されている。

例えば朱色はこう表わせる。
マンセル値(7.5R 6/16)CMKY値(C0 M65 Y75 K0)RGB値(R255 G88 B65)HEX値(色のweb値#FF5841)
色のweb値にはデジタル番号が与えられていて、この朱色は#FF5841で直接入力できる。HPの背景の色を番号で指示できるのはこのおかげらしい。

HEX値とは。
もう一つ厄介なことがある。ブラウザやWeb上で色を再現する場合、完全に元の色を再現できるとは限らない。
どのブラウザを使っても、違うOSが元にあっても色調の違いが起きない色があり、6段階のRGBの組み合わせによってできる216(6×6×6)色の基本カラーの総称のこと。これをウエブセーフカラーと呼んでいる。

ちょっと面倒なことを書いてしまった。これは自分の心覚えのためであって、この日記には相応しくないよね。 きっと明日には忘れてしまうだろう。きっと>おそらく>たぶん。
ちなみに、画面にある三枚の絹の布を、上記の本の色に当てはめたら、
  アカネ染めの布----鉛丹色 #D75455
  藍の生葉染めの布----錆青磁 #86A697 はじめはもっと鮮やかな青だったが、色褪せしたようだ。
  ハイビスカスの花で染めた布----ロータス・ピンク #DE82A7 これには日本名が無い。
こんな風に読み取れた。

アカネで染めたのに茜色に染まっていないのが、初心者の私にとって難しくも興味深い。 基本のアカネの色から、その時の条件の違いから色にずれが起きている。家庭料理の味が作るたび微妙な違いがあるのと似ていなくもない。ますます初心者には面白い。
でも、染めあがった色を分析して数値に表わすよりも、その色の感触や湧き上がってくる思いを自分のものにするほうが楽しくない?まったく自由に自分の身体に拡散していく色に対する感触を、一瞬、一瞬ごとに味わえばいいのではない?
キチキチと生きていくのを止めようね、わたし。

   参考:
『美しい日本の伝統色』 株式会社パイインターナショナル社刊 2021.11.24 初版第一刷発行

     里山の暮らし697   2022.12.17

                                 

 

 

    寒さのはじまり 

 初冠雪 3センチ 12月6日

 
シジュウカラ(♂)

や〜い。ランチかな。おや、お父さんはラーメン? 「山形赤湯辛みそ・龍上海」----辛味味なんだね。
かみさんが野菜をたっぷり入れて、鶏のそぼろをトッピングにしてくれたって? それは嬉しいだろう。安上がりのキミはそぼろが大好きだもんね。 今夜は白菜と(豚+鶏)肉団子の鍋だなんて冬の初めの天国だ〜。ワインを飲むの?白かな。

お母さんはフスマのパンに作ったばかりの柚子ジャムを挟んでいるの?いいな。フスマパンて聞いたことはあるが、おいしいかい?ゴーヤと竹輪と出しじゃこを佃煮風に煮た?血糖値が下がるしカルシウムも摂れるね。 昨日の残りのオデンもあるのか。道の駅の松本さんの大根は逸品! 抜きたてでふっくらしているんだ。
デザートがキゥイと干し柿だって。ますますいいな。

デッキの手すりに止まってシジュウカラが覗き込んでいた。午後は庭掃除の予定。
冬を前に今年最後の掃除にしたい>最後にできたらいいなぁ。
シジュウカラの「愚図の節季ばたらき・ぐずのせっきばたらき」という鳴き声が聞こえてきそうだ。 

  里山の暮らし696   2022.12.10

                                 

 

    これでは少ない ----ガーデナーにとっての在庫は、多ければ多いほど良い。適正在庫などない。


   アイスランドポピー90本、スイトピー12本。たったこれだけ。

この数は、最盛期(2008年から2015年)のころの四分の一。さまざまな種類の花苗を育てて冬越しさせていたあの頃の意気はどこへ行ったのか。
ようやく裏庭に簡易温室を設置して、冬越しの準備がととのった。たまに猫が入り込んで昼寝をしている。

旅先で出会い意気投合した友人との交流が続き、最近安否確認も兼ねて荷物が行ったり来たりしている。
わけもなく嬉しい 。  だって、互いにいまを生きているではないですか。
神戸からは、しゃれた京都の老舗の「魚の味噌漬け」が 贈られてきた。脂がのっていて、何とも言えない上品な味だった。こちらからは田舎のエッセンスを----干し柿や柚子などを詰めて送った。

申し合わせて旅先で落ち合い、同じ旅館に泊まって旅の思い出で盛り上がった埼玉の友人夫婦。
はるばる長距離ドライブをして訪ねてきてくれた千葉のご夫婦。
北海道から雪の便りを寄せてくれる友人。
懐かしさと嬉しさと。どの友人も今まで知らなかった新しい世界を見せてくれる。
我われも、友人たちに違った世界を提供しているのだろうか。 
風花が舞うこと数回。冬を見越して働いてきてようやく一区切り着いた日に、那須の山は白い姿を見せてくれた。

         里山の暮らし695   2022.12.5

                                 

 

     「スポット君」と「スポットじゃない君」と「スポットじゃない」君

 元祖スポットくん
脱走でもしたのかわが家の周囲を徘徊していた猫さん。遊びに来るようになって3年になる。
もともと飼い猫だったのか、妙に人懐こい猫だった。好奇心旺盛で、私が部屋の中で仕事をしていると、窓際の木に登ってまで室内をのぞき込み、見ているよオーラを送ってくれていた。たまにガゼボの椅子の上で昼寝をしていたこともあったのに、このところ見かけない。
口の横に黒い点があるので、地域猫に餌を与える特権として名前を付けていた。「スポット君」と。
「スポット君〜」と呼びかけると耳をぱたぱた「聞いているよ〜」。なんとも可愛らしい子だ。でもこのところ見かけない。

 スポットじゃない君

元祖スポット君がやってこなくなったら、わが家の庭の縄張りを狙って新しい猫が遊びに来るようになった。
まだまだスポット君に思いが残っている。この新参者に名前を付けて情が移るのが嫌なので、付けた名前が「スポットじゃない君」。
ちょっとあれだね、彼本人にとっては侮辱的な名前だろうな。自分のIDはどこにある? 
ま、スポット君の地位にまで達していないのだから仕方ないよ、「スポットじゃない君」。


  酪農農家にとっては、牛小屋に棲息するネズミ退治のために「猫は欠かしたことがない」はずだ。
最近村なかを通っていると、この「スポットじゃない君」によく似た猫たちを見かけるようになった。きっと同じ親から生まれたのだろう。 ふるまいも身体の模様そっくりで遠目には見間違えるくらいくらいだ。
またまたあの子たちに新しい名前を付けないといけないか----『「スポットじゃない」君』はどうだろう?

「スポット君」と「スポットじゃない君」と『「スポットじゃない」君』。この関係はそうだ!むかし 習った「集合」の考え方に似ていない?!大きな輪の中の小さい輪がふたつ。根底に猫と言う共通項がある。
初めの二つは特定の猫を、そして『「スポットじゃない」君』は、そこら中の、日本中にいる、世界中の猫を指しているな、と変なところで納得したのが相変わらずの夜中のベッドの中だった。 何十年も後になって思い出すとは面白い。

  ウトウトしたあと、また考え付いたのは、
何かがあることを立証するのは方法さえわかれば簡単だ(ホント?)。しかし何かが無いことを証拠立てるのはとんでもなく難しいことだと。
たとえば、家の中で何かを探しているとすると、見つけることはできる。しかしもともと無いものを探すことはできない。 家じゅうを徹底的に探さないと「ない」とは言えない。宇宙人は存在するかと聞かれたら答えは「分からない」と言うしかない。宇宙中を探してその存在を否定することはできないから。
そして冤罪について。有罪を立証することは証拠があれば可能だが、無罪を、つまりやっていないことを証拠立てるのは難しい----これまたベッド のなかで考えたこと。

でもね最後に。
この子たちひょっとして「君」でななくて「さん」なのかもしれない。「にゃん〇〇」をしかと確かめたことがないので。

 
相変わらず丸いものを干している。渋柿、干ししいたけ(afterとbefore)
干ししいたけは、ちょっとしたお礼に喜んでもらえるから便利。

      里山の暮らし694   2022.12.1

                                 

 

 

  二重の虹が  ダブルレインボ ーに逢った朝


 
(肉眼では恐ろしいほどの美しさだったが、デジカメでの撮影はこれが限度だった。)午前9時、奇跡の朝。

会津から時雨がつぶつぶと飛んできていた朝。霧のように細かい雨が降りしきり、光を反射し風にあおられて窓にぶつかる。
冬だね---とどちらともなく言葉にして、これからの寒さを思いやった朝だ。

外に出て「おぉ--」とふたり言葉もない。
北北西の空に「ダブルレインボー」が現れていた。あまりの美しさに陶然とする。心をかきむしられる。
このダブルレインボーはとても珍しい現象で、これを見た人は人生が好転する、祝福されている、願い事が叶う----こんな言い伝えがあるようだ。今のわれわれには「元気で暮らすこと」が一番の願いだろうか。

濃くてはっきりした虹が主虹、その上に被さっている薄い虹が副虹。「晴れて太陽光が注いでいるなか、霧雨も降っている」----そういう条件にぴったりの天候に表れる二重の虹を見たのは、こちらに来てからは覚えている限りこれで3度目だ。そのくらい珍しい。

主虹は雨粒に当たった光が1回反射されて(42度の屈折)現れるものに対し、副虹は雨粒の中で2回反射(50度の屈折)される。そのため、主虹は空側から赤・橙・黃・緑・青・藍・紫の順番だが、主虹の上にうっすら見える副虹は色の順が反対になり赤が地面側になっている。
北北西に霧雨が降っていてその雨をスクリーンに使い、南南東から射す朝日が二つの虹を作り出したようだ。
主虹と副虹の間はやや薄暗い。二つの虹を作り出した光の屈折率に違があり、主虹の内がわと副虹の外がわに光が集まることから、観察している私には二つの虹の間の空が暗く見えるということらしい。(アレクサンダーの暗帯)

  でもね、雨粒にはいった光がなぜ42度と50度に屈折するのか。なぜなのか、理解できていないのです。物理学上おそらく深淵なる真理が隠されているのでしょう。でも分からないものは分からないのです。 基本の考え方なので、気象に関する本にも説明が見当たらないのです。かゆい背中に手が届かない気分なのです。
知識の表面をポチャポチャ犬かきで泳いでいて、ぷらぷら遊んでいるのが今の私。理解しようとする能力に欠けているなぁとしみじみ感じた朝でした。

 
 
 一回目の柚子ジャム作り  まだ若い実を使って

 とりあえず16個 皮の重さは600g

皮を半分剥き細く切って水にさらすことを何回か。半日水に漬けておき、最後は茹でこぼすこと2回。
中身をレモン絞りで絞り、果汁と種とに分ける。種は集めて水を少し足し、ペクチンを取りだす。 茹でこぼした皮に果汁と取り出したペクチンを加え、あとはぐるぐる煮ていくだけ。難しい仕事では無いけれど、仕事の流れに逆らえないので、家を開けられない。手間だけがかかる。一年分の楽しみのために、今日の午後は柚子三昧。
(皮を茹でこぼした湯の中には、オレンジ石鹸と同じく「界面活性剤」が含まれているので、台所の天板やシンクにざぁっと流し、ブラシで洗う。ちょっときれいになる) (その分手が荒れる)

この量で一年分の3割なので、あと2回の作業(いやいや楽しみ)が残っている。今日の柚子はまだ身が若いので苦みが強く、いつもよりも果糖の分量を増やした、といっても2割だ けど。あとこの秋はリンゴジャム作りの予定が2回ある。 

   里山の暮らし693   2022.11.27

                                 

 

 

     ソフト大暴走の中で
また起きてしまった。使っているHP作成ソフトは約20年前のもの。これまでWindows8からWindows10にバージョンアップする際にもほとんど致死状態に陥ったことがあった。不調はしばしば起きている。
不幸は突然やってくる。
昨日の夕方、ソフトを開いてみたら、データが「しっちゃかめっちゃか」になってしまっていて、どうにも始末がつかない状態なのに出くわした! この時の衝撃は「これで私のHPは閉じることになるかも----」という酷いものだった。 ま、止めるに潮時かもしれないとも思ったが。
ベッドのなかで考えた。 (考えるのによい場所:三上(馬上、枕上、厠上)というものね)
ネットに上げてあるのなら、降ろしてくればいいじゃない?そのデータをソフトにはめ込んでみよう、と。で、いま現在それをやっています。なんだかちから任せの解決法を実験中なり。
記入後に転送ソフトを使ってアップする ---- 今夜の夕食が美味しいかどうかはその結果にかかっているのだ。

   一夜明けてパソコンを起動し、恐るおそるネットに繋いでみた。成功!
      単純に嬉しい。
      いい勉強になった。こういう方法でデータを再構築できるのだ! 

  なら当たらしいソフトを使えばどう?  その通り。
       しかしフォルダ40個、ページ数400枚近いデータを新しいソフトに入れ替える自信がないのが本音。

キツネかタヌキか ----変形柿

蜂屋柿。不思議なほどの異形の柿だ。友人の畑の木から採ってきたもの。ただいま熟柿になるの待っているところ。
今年は春から開花期にかけて異常に高い気温が続き、おまけに一日の気温の日格差が大きかった。そのあとの雨続きの日々と、木は大きなストレスを受けている。そのせいだとの専門家の意見があった。専業農家にとっては一大事だ。老木ほど多いらしい。
受粉がまんべんなく行われていなかったのかもしれない。時々リンゴも全丸にならず片方がいびつになっているのを見かけることもある。あれは受粉が偏ったからだとのこと。
 

原木シイタケ乾燥中

原木シイタケが手に入った。菌床のシイタケとは味に大きな違いがある。栃木県もすこし南に下がらないと手に入らない。
乾燥させたあと、冷凍保存する。市販のものは最終的に熱風乾燥させるのでそのまま保存できるが、手製の干ししいたけはどうしても水分が残りがち。
ブルーベリーが占拠しているのに、冷凍庫はまた新参の干ししいたけに占領される。どうしようか。
 

増えて増えて ----ゼラユームのまん丸の花

これね、去年の秋に2本の挿し芽を植え付けて一年たったプランター。直径10センチの花が数えてみたら27個もあった!

重みで茎が折れそう。
 

    里山の暮らし692   2022.11.23

                                 

 

     庭のいろいろ ----いつまでも終わらない仕事

ポピーの種は芥子粒のような、と言われるほど小さい。
秋彼岸に種を蒔いたアイスランド・ポピーがこんなに大きくなってきた。
文句なく嬉しい。
これから一回り大きいポットに植え替えて、裏庭に簡易温室をつくり、3月まで育苗する。

大阪ならそのまま路地で大きくなるのに、ここではこんな手間をかけないといけない。
でも「ポピーの咲かない庭」は考えられないので、がんばる。
 

チューリップの植え込みにはもう遅いが、いつまでも咲く夏の花の抜き取りができなくて、こんな時期になってしまった。
色別に分けて保存していたが、次第にそれが面倒になってきて、いまやまぜこぜに。
どこでどの色が咲くのかは、咲いてのお楽しみ。
いくつあるかな。おそらく500個くらいか。

最後は面倒が進化して、一輪車ごと「ざぁ〜」とぶちまけて、その上に覆土をするという横着の極み。
楽しみと言うより、義務になってしまった庭仕事。
ヤツデ(八手の学名: Fatsia japonica)ウコギ科ヤツデ属の常緑低木。別名の「テングノハウチワ・天狗の葉団扇」のほうがずっと面白い名前だけど。
この時期に丸くこんもりと咲く白い花が目立ち始めるといよいよ冬の始まりが近い。

花の少ない季節なので、昆虫たちの人気者。あいにく今日は雨模様なので、その姿を見られない。
日当たりの悪いところでも生育するので、わが家では庭の隅のツバキの影になるところに植えてある。
   天狗 一本足の下駄

ヤツデ・八手は、葉に深い切れ込みがあることから。切れ込みの数には変化があり、五つ、六つ、七つ、八つとその数には決まりがない。ただ幼い葉、小さい葉、日陰の葉ほど切れ込みの数が少ないようだ。

八、末広がりの八。この八には「数が多い」という意味もあるらしい。八岐大蛇もそうか。

 八手の学名が” Fatsia japonica”であることから、日本の固有種であることが分かる。
現在は「やつで」と発音するが、学名表記にあるよう「Ya」ではなくて「Fa」となっているのには、理由があるようだ。学名の”Fatsia”は古代の日本語の「八」(ふぁち)からきているとのこと。

 ハハは昔はパパだった。-----これは有名な話。「八」(ふぁち)の発音に関係あるか調べてみよう。
奈良時代以前の古代日本語では、[h]音は[p]音で発音されていた。その[p]音は平安時代に[Ф]音に、江戸時代に入ってようやく[h]音に変わってきている。パパ----ファファ----ハハ こう変化してきた。
[p]音は両唇破裂音----はじく音。[Ф]音は両唇摩擦音。[h]音は口蓋摩擦音ですでに唇を使わない音になる。
発音は楽なほうへ楽なほうへと変わってきたということらしい。そういえばスペイン語もフランス語も[h]音を発音しないのに気付いた。英語もそうか、[h]音を発音しな い単語もあるよね。

   里山の暮らし691   2022.11.16

                                  

       夕焼けと朝焼けはおなじものか

朝の気温がぐんと下がり、一桁の小さいほうに近くなってきた。時に霜が降りることもあって、いよいよ秋の終わりを実感する日々が続いている。
昨日も今日も明日も、いい天気だ。樹木越しに夕焼けが見られ、朝焼けも樹々の間からまだらな光となって届いている。

思い出すのは、ネパール、ポカラのサランコットの丘から見たヒマラヤの名峰「マチャブチャレ(6993m)の朝焼け」。東の空が明るみ、遠く霞む地平から届く光を受け、山が薔薇色に輝き次第に白味を増していき、雪の色に変化してい った。この世のものならぬ美しさが広がった朝、私は宇宙に飛びこみそうだった。
同じことが夕方にも起きた。時間が逆に回ったような気がする。雄大な夕焼けだった。


  
左奥はマナスル、中央がマチャブチャレ

夕焼けと朝焼け----この二つは同じもの? なぜ起きるのだろう。ちょっと 昔の記憶を引っ張り出してみる。
       (ちょっと思い出すのであって、ちょっとの昔ではない。ずいぶんな昔、裏も表も若かったころの昔。)

まず太陽からの光を頭に浮かべてみると、晴れていれば昼間の空は青い。目に見える光は可視光と呼ばれ、紫から赤までの光として見ることができる。これらの光は太陽から地球に届くときに、大気中を通る。光は空気の分子やチリに当たって散らばる。紫や青などの波長が短い光ほどいろいろな方向に散らばっている性質も持っている。(レイリー散乱)
                       (気が短い人が暴れる感じ? のんびりさんはまっすぐ進む)
ではなぜ空は、波長の短い紫色でない?
紫はとても高い空で散乱してしまうので、空には次に波長の短い青が広がることになる。
朝や夕は、太陽の高度が低くなるので、地球に届く光が大気の中を通る時間が長くなる。その分ほかの可視光が散乱されてしまい、一番 波長が長く散乱されにくい「赤」が残って私たちの目に見える。
これが朝焼けと夕焼けの仕組みらしい。
「赤」は波長が長い。だから信号機は、雨の日も曇りの日も、朝夕もなるべく遠くへ届くようにと「赤く」光り、注意を促している。

出典:Wikipedia 可視光線

では11月8日の夜に見られた皆既月食の、あの赤い月は?どこから来た色?
(聞き書き)皆既月食は「太陽と地球、月が一直線に並び、月が地球の影に入る」ことで起きる。部分月食の間、月は白く輝く部分と地球の暗い影の対比を見せていた。それが皆既月食の状態になると、何色 というか----赤銅色に輝いて見えた。
 太陽光の赤い光は波長が長くて散乱されにくく、地球の大気を通過できる。 この光が大気で屈折して地球の影に入り込むため、月が赤く照らされたというのが真相らしい。
これは地球の朝焼けと夕焼けと同じように、大気を通った赤い光が月に反射して赤く見えるということか。だとすると、あの赤銅色に光る月は月 が夕焼けしたと同じこと? 光を受けるのと、反射してその色が見えるの違いだろうか。

         
実は赤い月は、日常見かけることが多いのに気が付いた。 朝焼けと夕焼けが赤いのと同じく、月が低い位置にあると、月からの光の高度が小さく、地球の大気の中でレイリー散乱して、赤の可視光だけが残るからだ。さらに月が低い位置になくても、田んぼで野焼きして、あたりに煙が漂っている といった状況だと月は赤く見える、不気味だ。あれは空気中に煙やチリが漂っていて、赤以外の色が
レイリー散乱した結果らしい。
皆既月食
で見られた赤い月は、「天頂にあったから珍しいケースだと受け取った」ということか。

もうひとつ光についてわからないこと。それは「色温度」。この説明を何度聞いても腑に落ちてこない。ケルビン値、波長などなどさまざまな言葉が飛び交っていて、頭のなかはこんがらがるばかり。 だれか教えて。

そんなこんなを考えていてたらそろそろ夕方。見ると昨日皮を剥いたばかりの「裸の蜂屋柿」が、波長の長い赤い光を受けてオレンジ色に輝いている。これは柿が夕焼けしているのか?  あと40日で出来上がる。

   さっきまで白かったのに。夕陽が当たった。

       
 全部持って行けって言われても。

蜂屋柿の木、樹齢60年近い。戦後那須野が原に入植した友人の祖父が、いずれ生まれてくる孫に食べさせたいと植えた木。今時の孫は干し柿に目もくれない。そこで我われの出番。左は相棒、右は気前のいい友人。市の中心地に広い土地を持つ地主さん。

今日の「夕焼け」は、趣味の仲間の直子ガイドさんが書かれた記事に、心動かされたもの。
  ナオコガイドのアイルランド日記 < http://naokoguide.com/ > 2022.10.17 
   ハイジの泉、そして「山が燃えてる!」(ハイジの舞台を訪ねてB)
    < http://naokoguide.com/blog-entry-4167.html >  
  
      里山の暮らし690   2022.11.11

                                  

 

       丸いものがいくつもいくつも

 一週間前に醂した渋柿(会津身不知柿----身の程を知らず、枝が折れるほど鈴なりに実がなる)の封を開けてみた。半日空気にさらすと実に美味しく出来上がった。満足満足。サントリーロイヤルの効果は絶大だ。
    上の二つは柚子

 かつては世界一辛い唐辛子だった----ハバネロ
珍しく手に入ったので、半分は冷凍に残りは乾燥させている。代謝作用に優れていて血流をよくするようだ。とんでもなく辛い。きんぴらごぼうにほんの少しだけ、八分の一くらい刻んで入れると牛蒡のうまみが引き立ち、甘ささえも感じるようになる。
しかし、取り扱いに注意がいる。うっかりハバネロを触った指で目をこすったりすると、あとは半日の悲劇が待っている。周囲が腫れて熱を持つくらい刺激的なハバネロ。たまにはそれもいい。
  

 恒例の干し柿つくり
今日現在で蜂屋柿75個、玄馬柿65個の皮を剥いて干した。互いにくっつくときれいに干しあがらないので、こんな治具を作って 柿を横向きに並べる。消毒用に用意していた25度の焼酎を霧に吹き、太陽に当てる。きらきらと輝くオレンジ色はこれこそ柿色。
半分は相棒のために。残りの半分は友人知人に。干している所を見られてしまった隣人にもおすそわけ。
(私は食べないのです。あのテクスチャーが好きではないのと、相棒の好物を取っては悪いから。その代わり私が一番好きな「イチジク」には手を出してこない。あいこ。 )

本来は横に一列10個で干すものらしい。「外・そとニコニコ、中・なか睦まじく」で2+6+2の10個。
  


 ビオラの定植    5時間かかった。   直径8センチの黒丸ポットに130本。
朝食を済ませてすぐ外にでる。ビオラ(園芸種名は、ビオラ ソルベXP YTT)。薄い空色とも青ともつかない色。周囲に黄色のサクラソウが咲くので、補色の青系を選んだ。このところの晴天で、庭土が乾いている。まず水遣りからはじまり。
簡易温室のなかでは一人前の格好をしていたが、地面におろすといかにも頼りなく、幼い子供が途方に暮れているような姿をしている。
     花色は白から青へと変わっていく

 お隣の別荘ではキノコの栽培をなさっている。今日はクリタケを沢山いただいた。今夜はけんちん汁。
 近くの道の駅に行ったら、店長さんがこっそり会津身不知柿を下さっった。渋を抜く方法をご存じないようだ。もっとも現役の店長は、忙しくてそんな時間がない と思うけど。役得かもしれない----たまに店で出会ったお客さんに 、野菜の扱い方やそのいわれを説明して上げているから。勝手ボランティア活動。


   里山の暮らし689   2022.11.6

                                  

 

 

       那須野が原博物館主催の「カエルリサーチ」に参加した結果を報告する  
    リサーチの期間は:2022年4月1日から11月1日までの7ケ月間 見つけた場所は主に私の庭
         家の場所は:標高425m 那須茶臼岳の南西面に広がる扇状地 周囲は広葉落葉樹の林

あらかじめ調査対象とされたカエル5種のうち、アズマヒキガエルには出会わなかった。
調査期間以後にもカエルが見つかるかもしれないが、とりあえず今年の調査は終わりにする。

トウキョウダルマガエル 34回 初見4月12日 終見10月14日
アマガエル(日本アマガエル) 10回 初見4月6日 終見10月29日
ニホンアカガエル 1回 10月3日  
ヤマアカガエル 4回 初見9月25日 終見9月28日

これだけの情報では傾向がつかめない。ほとんどのカエルとは庭での出会いだったので、庭に出る機会が少なかった暑い夏、雨などの天候に左右された。
しかし今年のリサーチに参加することによって、カエルに関する知識が増えて精神が柔らかくなったような気がする。長く生きてきたけれどカエルについて知らないことが多く、次第にカエル愛に目覚めたのがおもしろい。今の一押しは「ニホン アカガエル」。光沢のある白いデコルテがノーブルな雰囲気をまとっていた。
博物館には別途詳細な情報を報告することにしよう。来年はどうぞ「蛇」が対象でありませんように。

参考にした図書など
 『日本のカエル48 偏愛図鑑』 迫野貴大著 河出書房新社
 『ずら〜りカエル』ならべてみると----  高橋利光写真 高岡昌江文 アリス館
 『日本のカエル』 山渓ハンディ図鑑9  高橋利光写真 奥山風太郎著 山と渓谷社
追記
昭和30年代中国地方の山間の村では、オオサンショウウオ(体長0.7〜1メートル)がしばしば捕えられていた(食用)
2001年、大阪から那須に移住。2013年ごろまで林でシマヘビ、アオダイショウ、ヤマカガシがしばしば見られた。
2010年くらいまでエゾハルゼミの声が聞こえていた。
2010年くらいまでは、庭にアズマヒキガエルが生息していた。
2022年10月26日 高原山青年の家の下の池に、モリアオガエルが見られなかった。


  気が付けば労働の日々 ---- 10月尽
6時起床、家事の7割をこなし、午前3時間午後2時間の庭仕事(夏庭の整理、種まき、掃除、剪定など)。相棒の家事担当は約3割。この数字は日によって違うが大きいほうには動かない。
その合間に紅葉狩りが5回(お弁当を持って----これがまた朝から忙しい)こんな10月だった。

 白樺林でお弁当

  木の実酒を仕込む
夏ハゼ酒、ガマズミ酒ともに仕上がりは順調。(下戸なのに。ふふ、赤烏帽子だ)来年2月の誕生日に間に合うか?
渋柿をさわせる。25度の焼酎では心もとないので、相棒に黙って取って置きのサントリー・ロイヤル(40度くらいか)を振りかけ、冷暗所に仕舞った。あと1週間で出来上がる(はず)。

 民宿ふじやさん
  赤かぶを漬ける
会津の山奥、舘岩村へ出かけて特産の赤かぶを求めてきた。築100年になろうとする曲がり屋で、民宿を営むご夫婦と知り合いになって、暮らしのあれこれをお尋ねするのは、昔の田舎を知る我われにはとても興味深いことだった。この家から歩いて20歩で、かけ流しの共同温泉があるなど、まったくもって羨ましい限り。雪は2メートルも降るけど。
      舘岩名物赤かぶ


  10月23日 初雪虫
初雪虫を見つけた。ふわふわ。とらえどころがない。指ですくって触ってみる。思い出すのは子供のころ読んだ『しろばんば』(井上靖の自伝的小説) 。
義理の関係だったのに、それを感じさせないほど可愛がってくれた祖母をしのぶ。なにしろ義理の祖母は実の祖母が早くに亡くなった後、足入れ婚 の9人目で地主の後釜に収まった苦労人。


  10月に読んだ本は約20冊+10冊
しみじみ味わいながらゆっくり読んだのは、
『須賀敦子の旅路』『シベリア最深紀行』『思えば、孤独は美しい』『貧乏国ニッポン』『歴史学者と言う病』『この星で生きる理由』『快読 赤毛のアン』『日本の地下水が危ない』『すばらしき宇宙の図鑑』
10冊は、普通に読破----したがって内容が心身に半分も入ってきていない。
10冊は内容が予想と外れたので、中途まで読んで返却。(ばちあたり)


  明けきらぬ空から降ってくるのは
シジュウカラの声、キツツキのドラミング、ガビチョウ(画眉鳥)の楽しげな声、明るくなるとジョウビタキが「ヒッヒッ」と縄張り宣言をする。隣の家の屋根で、おそらく今日の行動予定を話し合っているのだろう、カラスの朝礼のかけ声がする。カケスがふわ〜りふわ〜りと波状飛行でやってきた。合間にモズが「キキー」と鳴き、キジが母衣を打つ音が聞こえてくる。

 いよいよ11月 干し柿の季節
柿との出会いは偶然と必然のまぜこぜ。道の駅や産直の店とよしみを通じ、せっせと通うと思わぬ柿との出会いがある。忙しくも楽しい仕事の始まり。(私は食べないのに。この作業が好きなだけ。丸いものを見るとむきたくなる。)


友人知人からよくない知らせが届く。胸が痛くなる。
長かったようにも思えるが、気づけば終わっていた10月だった。冬の準備まであと少しある。
秋の景色を心に埋め込んでおこう。
  
ケヤキ クリ コナラ イロハモミジ ヤマザクラ カツラ ブナ ブナの実 タチツボスミレ ヒメヤブラン

    里山の暮らし688   2022.11.1

                                  

 

       こんな仕事が大好き
秋の林の恵み、それはさまざまな木の実が熟してくること。
今朝は図書館へ出かけたが、前庭に猿が二匹、あたりを警戒しながら歩いているのにでくわした。猿も人家の庭の柿の実やムラサキシキブの実に惹かれて山から下りてきたのだろう。夏ハゼやガマズミの実も狙われているに違いない。そうはならじと先を越し、収穫して木の実酒を作った。こんな仕事が大好き。下戸なのに何かが出来あがる過程を見ているのが大好き。 
  (図書館の前庭に猿がいる----どれだけ田舎なの? いやいや普通の田舎です。)

 ナツハゼ酒

ナツハゼがぶらぶら。ツツジ科スノキ属。那須では「どんぴんちゃがま」と呼ばれることが多い。そのこころは? 果実を横から見ると「茶瓶」に見えるから。ブルーベリーの仲間で、熟す前に食べると酸っぱい。焼酎25度につけて半年待つ。発酵するための栄養源として砂糖を加える。 天然酵母を持つ干しブドウを、幾粒か足すと発酵がより進むらしい。これはモンゴルの馬乳酒を作る時と同じ。 うまくできるとまるでカナリア諸島・マデラワインの味がする(ことがある)。

   漬け始め

ガマズミの赤い実。レンプクソウ科ガマズミ属。鳥たちに盗られる前に収穫した。ナツハゼと同じく焼酎に漬ける。実は今年初めての挑戦なので、いったいどのようなお酒ができるのか、楽しみでもあり心配でもある。
ガマズミの別名に「ヨツドメ・ヨウドメ」があり、那須ではヨウドメと呼ばれることが多い。

ところが「オトコヨウドメ・男ヨウドメ」というよく似た植物がある。ふわふわした白い花が咲き、秋には楚々とした赤い実が熟すが、上のガマズミのように食用にならない。果実は痩せていてまばらに付く。役に立たないことから「オトコ」を冠して「オトコヨウドメ」と呼ばれるようになったという見方があるがおもしろい。食べられないから男?  なるほど食えない男なのかもしれない。名付けたのはきっと、所持万端抜かりなく目配りできるしっかり者の女の人だろう。
 オトコヨウドメ → 
 

 ♪ カリンカ  ♪  (ロシア語: Калинка) ロシアの愛唱歌。

瓶に漬けこむ間カリンカの歌を口ずさんでいた。カリンカとは、ガマズミ属の樹木を意味するロシア語「カリーナ」(калина)の指小形。可愛い、小さいと言った意味を付け加える働きをするようだ。日本語で言えば「ガマズミちゃん」といったところか。(カリーナ=西洋カンボク)
長い間ロシア民謡だと思っていたが、調べてみるとイワン・ペトローヴィチ・ラリオーノフ(作曲家・作家・民謡研究者)が1860年に作詞・作曲した作品だと分かった。
あの「カリンカカリンカカリンカマヤ」と軽快に始まるイントロが印象的。 ガマズミとエゾイチゴの組み合わせが、若い男女を象徴すると考えると、時代や土地柄への興味が湧いてくる。
   (気づいたこと:ガマズミもエゾイチゴも同じころ白い花が咲き、赤い実が実る。)

♪ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
----中略----
ああ!美しい娘さんよ、若い娘心よ
どうか私を好きになっておくれ!
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
どうか私を好きになっておくれ!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ ♪
     (井上 頼豊訳詞 日本のチェロ奏者、音楽教育者)

2016年、晶子が鉄幹を追ってユーラシア大陸を横断したシベリア鉄道に乗りたいとひとりで旅立った夏。
ブリヤート共和国(バイカル湖南東にある共和国) に、帝政ロシア時代に国内移民させられたコサックの子孫が住んでいる。栗の樹の太い幹を使って造られた、歴史を感じさせる大きな集団住宅の中で、青年が民族衣装をまとってこの歌を歌ってくれた。
ほんの8年ほどの前の話なのに、同時にもっと古い記憶が甦ってくる。合唱活動が盛んで、若者が競ってロシア民謡を歌った昭和の時代があった。その記憶にロシアで 聞いた「カリンカカリンカカリンカマヤ」の歌が重なる。
最近思うことが多い。----過去の楽しかった経験がいま、利息が付いて帰ってきているような気がするのだ、それも複利で。
  

   里山の暮らし687    2022.10.25

                                  

 

  当時は世界で一番大きい切手だった  野口英世生誕100年記念切手

 亡き友人紀美子さんから頂いた切手「野口英世生誕100年記念切手」をとうとう手放した。
縦12センチ、横8センチという大きさは、当時世界一だったと聞いていた。彼女の思い出が無くなるのは寂しいことだが、私の手元に置いておくよりも、思い切って寄付するほうが喜ぶと信じて。
寄贈先は
 公益財団法人 野口英世記念会・野口英世記念館
   生家がそのまま保存されていて、柱には英世が刻んだ「志を得ざれば再び此地を踏まず」が残っている。

野口英世
   1876(明治9)年11月9日生  福島県三ツ和村三城潟(現猪苗代町 生家から猪苗代湖まで2キロほど)
 1928(昭和3)年5月21日 黄熱病の研究中、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで死去 51歳

主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られている。しかし伝記などで伝わっているように1歳の時に囲炉裏に落ちて左手に火傷を負い、左手が利かなくな った。恩師小林栄の尽力で手術を受け、不自由ながらも左手が使えるようになる。その事実に感激した英世(当時は清作)は医師を目指すようにな り、刻苦勉励し21歳で医師免許を取得した。
その後アメリカへ渡航。ペンシルバニア大学医学部の助手を経てロックフェラー医学研究所で主に細菌研究に勤しむ。

こう書くよりも、電子顕微鏡の存在しない時代に、黄熱病のウィルスを発見したと思い込んだ野口英世の悲劇を思いたい。
1918年、野口英世は黄熱病の病原体を発見し、ワクチンを開発するべく、感染が蔓延していたエクアドルへ派遣されている。 研究の結果開発したとされる「黄熱病ワクチン」は間違いだったが、当時のエクアドル政府から感謝され、エクアドル軍の名誉大佐に任命されている。
首都キト市には野口通りがあり、郊外にはColegio Noguchi(野口高等学校)がある。 エクアドル滞在時(1982年)、日本人学校とコレヒオ・ノグチとの間には交流があった。

 野口記念館を訪問したのは21世紀になってすぐのころだった。衝撃を受けた手紙を展示してあったのを思い出す。極めつけの貧困と、真冬に湖でシジミを獲って売る厳しい労働とで家族を支えていた母シカが、息子英世に送った手紙だった。字が書けない母が、気持ちを伝えたい一心で学び書き送った手紙だ。

手紙、この奥深くもとらえどころのないもの。個人の思いの発露であったはずが、次第に「定型」として変化していく。拝啓--敬具の結びつきがあり、時候の挨拶も定型化したものがたくさんある。それを学べば相手に失礼のないフォーマルな手紙が書ける、それが礼儀として認められるようになっていく。
反面こんな場面が見かけられることが多くなった。言葉を飾り礼儀正しく形が整うほど、内容が空疎になり書いた人の精神から離れていくような印象を受けるのだ。

 ここに母シカの手紙がある。肉筆で紹介できないのが残念だが、初めて見たとき、その内容の激しさと迫力に驚いた。息子に対する直截な思い、会いたいと思う親心がまっすぐに伝わってくる。
型も虚飾も書く技術もないが、力がある。伝えたい内容がある。

おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には)こまりおりますか。
おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません
 

野口英世に関する評伝は、渡辺淳一作の名作『遠き落日』がある。後期の『失楽園』『愛の流刑地』などは文学の衣をまとったポルノと揶揄されるが、初期の医療 小説『白い宴』『無影燈』『麻酔』も興味深い。

    里山の暮らし686   2022.10.17 

                                  

 

   絶賛作業中

   

ビオラ200本、デルフィニューム30本、アイスランドポピー120本、その他育苗中。夏庭の整理がまだだし、待ったなしの作業が山積。
早く済ませて紅葉を見に行かなくては。
アケビがぶら下がっているのを横目に、今朝もこれから作業です。

       里山の暮らし685   2022.10.12 

                                  

 

      ちょっといじわる

ずっと思い切れないでいた。春の庭の一番の花は「アイスランドポピー」。この花を咲かせるには、ここ那須の冬の寒さが影響するので、 数段階の手順を必要とする。
  気温を見計らって小さいポットに種を蒔く----発芽は1週間から10日後------日当たりの良い場所で管理------
  双葉が出てきたら一回り大きいポットに植え替える------更に大きくなったら一番大きいポットに植え替える----
  そのポットを裏庭に並べる------簡易温室を作って保護してやる-----3月初旬に花壇に定植する。

冬の管理が 一番大変。零下に下がった雪の中、それでも水遣りをしなければ。長靴でラッセルしながら温室までたどり着く。身体はすっかり冷えて如雨露を持つ手がかじかむ。(ここでため息)今年はもうやめよう、温室の管理は負担が大きすぎる。
しかし、後ろ向きはやめようと思い直したわたし、自家採取の種も蒔くがほかの種類を試してみようと注文したのがこの「サンレモ」。届いた種袋を見てびっくり した。


種袋の表にこうあった。 あれれ?間違いがあるぞ。

アイスランドポピー サンレモ(販売用の品種名)
  まくのは----3月〜5月
            9月〜10月
  さくのは----8月〜9月

さらに裏には
「虞美人草(ぐびじんそう)とも呼ばれ、虞美人(または虞姫)とは秦王朝時代にいた項羽の愛人で、彼女の幕に咲いたことからこの名前がつけられたといわれています。ポピーといえばこのアイスランドポピーで、強すぎることのない鮮やかな花色と風に揺らめく姿が高原の春を連想させます。風の強いところでの栽培は避けて、暖かいひだまりに植えてください。 」
「和名はひなげし」。

あれれ?

通販で買ったので、販売元のHPから聞き合わせる。
・アイスランドポピーの種は秋に蒔き、冬越しをしたのち次の春の3月から5月に開花すること。
・種袋の表紙に、「咲くのは8月から9月」とあるのはよほどの寒冷地(シベリア、フィンランドの北の地方など)。
 その場合に蒔くのは3月〜5月。
・和名を「ひなげし」は「シベリアひなげし」の間違い。
・ひなげしは「シャーリーポピー」のことで、背が高く茎が分岐してその先に花をつける。
 花期はアイスランドポピーより遅くて5月から6月終わりにかけて。
・虞美人草と呼ばれるのは上に書いたシャーリーポピー。


かくて文句言いのモンスターと化したのでした。

しかし次の日、販売元からキチンと返事が届いた。
「おっしゃる通りです。来年販売用から訂正します」と。

納得がいったが、つい考えてしまった。
ある組織に文句を言うのは易しい。でもこれが対個人だったらどうだろうか。なかなかそうはいかないだろう。
私は典型的な日本人らしく、目の前の人に文句をつけるには勇気がいる。じっと我慢を続けて、ある時精神の鍵が壊れたように発語してしまうことがある。(蛮勇。たまに 、10年に一回くらいかな)
9/24の記録にあるように「あなたには責任感がないのですか!」などと怒鳴ってしまう。

これを相手の立ち位置を考え、戦意を隠しながら思い通りに相手を動かすほどの大人になるのはいつになるだろう。

ならないねきっと。
 

   10月7日 6時の気温が10℃を下回った。まるで大阪の冬の朝のようだ。冬用の衣類を手元に出し、
    電気カーペットを3セット、ロフトから降ろしてきて敷いた。

        地元の紅玉リンゴが産直の店に出てきた。12個で500円。ジャムを作ろう、アップルパイもいいな。
 

          里山の暮らし684   2022.10.7  

                                  

 

 

      日本か山か ニホンアカガエル ヤマアカガエル どっち?

この4月から始めた那須野が原博物館主催の「なはくリサーチカエル」が、夏を過ぎていよいよ終盤に近づいてきた。   
 那須野が原博物館 < http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/ >
 なはくリサーチカエル < http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/event/research.html >

情報収集の期間は 2022.4.1〜11.1まで。
1) ニホンアマガエル
2) トウキョウダルマガエル (栃木県にはトノサマガエルはいない)
3) アズマヒキガエル
4) ウシガエル 

図鑑を借りてきて、庭に出るたび地面に目を凝らし、林を歩くと、周囲の気配に耳をとがらす。
いままで知らなかったことが分かってくるのは、目の前の世界の解像度が上がって心浮き立つ思いだ。

 ニホンアマガエル、トウキョウダルマガエル、ウシガエルの声を聞 き、トウキョウダルマガエルが飛び跳ねる先を目で追う。声はすれども姿は見えず。まるで忍者のようなカエルたち。
半年間、カエルカエルカエルと念じながら庭仕事をするのは、まるでカエルがテーマのBGMが心に流れているようだ。
なにしろ相手は動きの素早いヤツ。見つけるとあわてて追っかけ、棒で身体をひっくり返してみる。そうはならじとカエルは頑張る。もとに戻ろうとする。反射神経を研ぎ澄ませ、カメラで言う「置きピン」をしてヤツの跳ねる先を予想する。刺激のある毎日だ。

ところが、この9月の末から新顔のカエルが庭に現われてきた。それが下の写真。              


博物館にも問い合わせ、図鑑で細かく調査した結果、これは「ニホンアカガエル」と判明した。背筋がすっきり、顎がとがり横顔はノーブル、顎にほんの少しの模様があって、なにより顎の下がつるりと白くてきれいだ。デコルテが広くてすっきり、続く腹は薄いオレンジ色。なかなかかわいい。

よく似たヤマアカガエルは、図鑑によると
1)背中にある2本の皮膚の襞が、鼓膜の後ろで外側に曲がる。
2)背と脇腹の境の筋が目の後ろで内側に曲がる。横から見ると鼓膜の後ろで下に曲がる。
このようにあった。ニホンアカガエルよりも全体にずんぐりしてたくましい印象を受け、「ヤマ」と冠されるわけに納得できる。
(10/3 午後、このヤマアカガエルが庭にはじめて現われた。なるほどニホンアカガエルとは違う。ずんぐり、無骨)

参考:
「古池や 蛙飛び込む 水の音」 (松尾芭蕉」)
この句は芭蕉庵(深川)で詠まれている、東京にはトノサマガエルがいないことから、この「かわづ」とはトウキョウダルマガエルという説が有力。 あるいはツチガエル(イボガエル)という説もある。 ツチガエルはいやだな。

では西のスター、京都栂野高山寺の国宝「鳥獣人物戯画」のカエルは、
 
  これは関西に棲息するトノサマガエル。いかにもそれらしい。

こちらの先入観なのだろう、無邪気に見え、飛び出ているふたつの目でいつも空を眺めている----暮らしを元気づけてくれる仲間が増えた。自分の無知に気づかされることが多くてご機嫌な毎日 が続く。
そもそもカエルは常に前進あるのみ。飛行機やウサギと同じで、後ろ歩きができない。
カエルを見ていて出てくる答えは「進め!」。

このカエルリサーチは11.1まで。外に出ることが多くなる時期なので、カエルの観察をする機会が増えるだろう。観察日記に追記する記録がますます確実なものになりますように。

参考にしたのは、
『日本のカエル48 偏愛図鑑』 迫野貴大著 河出書房新社
『ずら〜りカエル』ならべてみると----  高橋利光写真 高岡昌江文 アリス館
『日本のカエル』 山渓ハンディ図鑑9  高橋利光写真 奥山風太郎著 山と渓谷社
ほか。
   
   里山の暮らし683   2022.10.3  

                                  

 

   日々のこまごまとしたこと

一日中、雨の日。
料理のレパートリーを広げるよう、相棒に昼食の準備をしてもらった。(時々口をはさむわたし)
野菜の日のアンケートで当てたじゃがいも(黄金丸)を茹でで熱いうちにつぶし、チーズを加えてお団子にする。
それを広げてまんなかにそぼろを載せ、一見お焼き風に仕上げた。焦げ目がつくように焼いて。

取り合わせは、赤カブの酢漬け、枝豆、そして茹で栗。

 


8月31日は「野菜の日」8-3-1の日。
近くの道の駅で、商品に関するアンケートに応募したら、当たりましたね。
県北の道の駅全体で980人の応募に対し、当選者は10人。そのうちの一人が私。
お米2.5キロ ドレッシング2種 黄金丸ジャガイモ特大4個 高原リンゴジュース。どれも地産地消そのものの産物。
アンケートにクイズがついていて、「日本人が一日に摂取すべき野菜は350g。ところが平均すると300gを下回る」ことを知っていたことがこんなところで役に立った。
しかし、ちょっとしか無い運を、こんなイベントで使い果たしてもいいものか。

柴栗(山栗・やまぐり)の季節。風が吹くと栗が落ちる----相棒がザルを持って拾ってくる----しがんで食べる----この毎日 が続く。
水に漬けること半日、たっぷりの水に塩を少し、ゆっくり温度を上げていき、ふつふつと沸騰させること20分。まな板の上で半分に切り、歯でしごきだす。これが相棒の秋の楽しみ。私は食べないので、盗られる心配なくて安心している相棒。(しがんで食べる---これ大阪弁。分かります?)
新聞を横目に山ぐりを食べる。これが至福だというのです。

涼しくなったので、しゃがみこんで草取り。蚊にむやみに好かれるわたし。
そこで左のような蚊取り線香置台を作ってもらった。仕事中の汚い手で持てるよう、持ち手を長くしてもらう。

なかなかのモノ。


  胡桃 くるみ 冬の間の野鳥の餌
  とても美味しいけれど、野鳥に譲ってやるのだ。

 これは榧(かや)の実 野鳥の餌に
 人間の非常食にもなる。

紫蘇の実をしごいて乾かし、(減塩でない)醤油に漬けた。
来夏まで持つように大きな容器5個分を保存する。

あちこち植えてある木が、時期をずらして熟してくるから日を変えて収穫する。これが面倒。一気呵成に仕上げられないから。
紫蘇の実に日常を縛られる----自分が主人公になれないのは、面白くない。なぁんて、ぜいたく言ってる。
(でもね、延々と同じ作業が続くのは----)


近くの道の駅で、250ccバイクを止めてなにやらメモを取っている青年がいた。バイクの後ろには大きな旗。旗にはリベンジ旅日本一周とある。引き寄せられるように話しかけ、出身は鳥取であること、去年バイクで日本一周していたら、事故に遭ったこと、昨夜は道の駅のトイレの後ろでこっそりキャンプしたこと。「あれ、きのう出会っていたら私の家に泊めてあげたのに。」大阪人はあつかましい。あっという間に背景を聞き出してくる。「おいしいものでも食べてね」すこしカンパした。お大尽になった気分。
別れ際に「お母さんに電話しなさいね、きっと心配なさっているよ」といらぬことを口走る。この最後の言葉がなかったら、旅先で出会った気のいいヒトで終わったのに。
彼はいまどこを走っているだろう。茨城----群馬----埼玉と言っていたから、どこかな。
そうだよ、きっとバイクのサドルの上だよ、きっといま。

       里山の暮らし682    2022.9.28

                                

           

 

  あなたには責任感がないのですか!

   ラテン音楽あり、フラッパーあり、タキシードあり

のんびりと遅い昼食を摂っている園長の家に電話をかけた。のらりくらりと言い逃れる園長に私は怒った、他人に声を荒げたことなどそれまでなかったことだ。
驚いたことに、園長は自分の立場を顧みて「反省する、謝る」気持ちをみじんも持ち合わせていないようだった。

話は40年前にさかのぼる。南米のエクアドルに住んで、当時5歳の娘を現地の幼稚園に通わせていたころのこと。5月のある朝、園の送迎バスに乗せ送り出した娘が、昼前の帰宅バスに乗っていなかったのだ。乗っていなかったどころか、バスそのものがアパートまでやってきていない。
通園をはじめてほんのふた月ほどなので、娘はまだ自由にコミュニケーションが取れない。もちろん私も半年あまりのスペイン語の遣い手なので、思ったことを自由に表現できるわけでなかった。どこからも連絡はない。夫はもちろん仕事に出かけていて頼れない。 とぼとぼと心が鉛のように重い。火をつけると燃えそうに熱い。

まずたどたどしく園長に電話する。
「あらぁ、そうなんですか。運転手に連絡を取ってみますね」。
電話の前で待っていても、返事がない。ようやく1時間後に、
「運転手の家まで連れていかれたようです。バスの中でお嬢さんは眠っていて、運転手には見えなかったようです」
しかしなぜ運転手がバスの運行ルートを忘れたか?その返事がなかった。ご心配かけて申し訳ない、の一言もなかった。日本との社会常識が違うと言えばそれまでだし、当地にはそれなりの慣習というものがあるのだろうが、いかにものんびりした対応なので、わたしは怒った!

当時現地の新聞には「行方不明者」の欄があって、名前や年齢が明らかにされている子供たちが相当数いた。聞けば子供の誘拐はままあることで、いまなら臓器目的の誘拐かと騒がれるところだろう。子供たちは「労働力として売られる」といううわさが飛び交っていた。
外出には必ず保護者が付き添うのが常識で、それはそれなりに大変だったが、外国人は特に狙われやすいとも聞いていたのでなおさら気を付けていたのに。

午後3時、ようやく運転手に連れられて帰宅した娘に聞き質したら、
「おじさんは、家でご飯を食べていたよ。バスの中で待っていたらジュースを持ってきてくれたんだよ」「そのあとバスに乗って送ってくれた。ちょっと心細かったな」。

しかしこのままにしておけない。のちに続く日本人のためにも、ここはきちんと申し入れしないといけないと考えたかどうか。理不尽なことをされて、抗議できないでは大阪人がすたる。血気に逸って園長に電話をして言ったのが上記のセリフ。

次の機会に園長がそばに来て、こっそり言った。
「あなたはもっと穏やかで、教養のある人に思えたのに」と。ほっといて!当たり前でしょう。
娘が帰ってこない数時間、苦しかった。娘のいのちのろうそくが、細く捻じれて今にも消えるのではないかと想像して苦しかった。命が、どうぞ今も灯っていますように、無事でありますように。そればかり考えていた。

静岡県牧之原市の認定こども園で通園バスに取り残された3歳の幼児が熱射病で死亡した事故が報道されている。両親はどんな思いでその事実を受け止めた のだろう。
私の場合、ろうそくの明かりは灯っていた。だがあの両親にはその明かりは消えてしまっているのだから。

今回の事件では、幼稚園の人出不足もあったようだが、そればかりではないように思う。韓国ですでに導入されているように、人間の体温を検知するセンサーを備え、置き去りを予防するシステムがあると聞いているが、ただそれだけでは危ない。
若いころの「地域子供会」の活動から言えることは、「大人の目がたくさんあればあるほど、子供に対する危険は増す」だ。
実際に、子供会役員を引いた次の夏、同じ子供会のプール遊びで6歳児がほんの20センチの幼児用プールで溺死する事件が起きている。周囲には何人もの両親が子供の安全を見ていたはずなのに。大勢がいると責任が分散し、おまけに注意も散漫になる。

ITによるサポートも大事だが、一番大切なのは人間の想像力と行動する力だろう。人間はウッカリミスをすることを前提に行動しないといけない。99.99%気を付けていても、その隙間からするっと抜け落ちて事件が起きる。物事を進めるに、礎にあるのは人間を大切にする情動と論理。情理を尽くして----論理の出発点は情動。情の上に論理を組み立てることが大事だと考える。

    さくらもみじ

    里山の暮らし681    2022.9.24

             

 

      きぼう(国際宇宙ステーション)を追っかけて

 アブシンベル神殿
建造主は新王国時代第19王朝の王・ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている。

  「あれ、人工衛星ですなぁ」
  「人工衛星が飛んでいる---」「人工衛星って飛ぶの、回っているの?」
  「人工衛星が、ほらほら見て、横に流れている----」「あれかぁ----」「おぉぉ」

エジプトとスーダンの国境に近い遺跡「アブシンベル神殿」の前に備えられたいくつものベンチに、まるで卸のマグロのようにゴロゴロ横たわっている同行の皆さん。
暗くなり初めた高い空を眺めながら、それぞれが思い思いに何やらつぶやいている。 アブシンベル神殿の背後の山から現れ、ナセル湖の上を飛び、消えた人工衛星の記憶を止めようとしていた。

頭を右に向けると、地元ヌビアの人たちが民族音楽にのせてダンスを披露してくれている。日本人のいくたりかが、彼らと手を取り合って踊り狂っている。左を見るとナセル湖の水面が、夕焼け色を帯びて揺れていた。
一瞬が積み重なった3分間が、これまで経験したこともないほど重く感じられた、あの夜だった。

     ヌビア人の踊り 
ヌビア人は手先が器用。ビーズや人形を売りつけようとして近づいて来る。
「こんにちは、見るだけ〜買わない〜」と言いながら。だれ? こんな言葉を置き土産にしたのは?


ここ数日、友人に教えてもらった
 「きぼう(国際宇宙ステーション)飛行ルート」の追っかけをしていた。
プラネタリウムのある科学館・倉敷科学センターHP (https://kurakagaku.jp/tokusyu/iss/index.html)の
栃木県での観測予報によると、

  9 月 16 日 
19 時 3 分ごろ西南西の低い空で見え始め, 19 時 6 分ごろ 北西の中ぐらいの高さの空( 47.5 °)でいちばん高くなり、 19 時 9 分ごろ北東の低空へ動き見えなくなる。
    9 月 17 日
18 時 14 分ごろ南西の低い空で見え始め, 18 時 18 分ごろ 北西の頭の真上あたり( 89.4 °)でいちばん高くなり、 18 時 21 分ごろ北東の低空へ動き見えなくなる。

デッキに陣取り宇宙ステーションの軌跡を見ようと、暮れがたの空を眺めること数日。林の木にさえぎられて見えない。おまけに霧が湧いてきてしまった。
思い出のシーンと重ねてみる。  (2013年6月 相棒を留守番に置いて、エジプトへ出かけた)

     里山の暮らし680    2022.9.19

             

      食料自給率のなぞ

久しぶりに「目からうろこ」が落ちた。落ちた鱗を探してそこら辺を走り回りたい気分だ。
いままで「食料自給率」に関してはっきりした数字や定義を探ったことがなかったが、「大体40%くらい」と記憶していたように思う。それも「国民が必要とする食料の40%しか国内で生産できないんだな」という軽い理解に終わっていた。有事には困ったことになるが、その有事はまぁ私が生きている間は起きないだろう---と正常化バイアスをかけて。
悪い癖なのだ。自分なりのアンテナを立て、それに引っかかった部分からジワジワと興味を広げていくのがいつもの例で、アンテナに引っかかった案件によっては、本論から離れた場所に自分を連れていくことがあった。

ところがメールでの友人の書かれた記事におおいに触発され推薦された本を読んだ。驚く。
  遅く登った中秋の名月が光っていた夜だった。
    『日本が飢える!』 世界食糧危機の真実 山下一仁著 幻冬舎刊

食料自給率とは:(カロリーベースで)
現在国内で生産されている食料を、輸入品も含め消費している食料で割ったもの」ということだった。
 ・分母が大きい場合----現在のような輸入食品を消費する飽食の時代は、この割合は下がる。
 ・分母が小さい場合----たとえば第二次世界大戦後の飢餓の時代は、海外から食料が入ってこないので、自給率は100%になった。( まったくの不足状態)
 ・有事にシーレーンが破壊されて輸入できず、食糧危機が起きた場合は、国内生産量と国内消費量は同じなので、自給率は100%になる。(しかし まったくの不足状態は同じ----飢餓状態になる)

あれ?
自給率が100%というのは、国民全員が飢えることないということではなかったようだ。単に自給率が高ければ、国民の食料が潤沢にあるわけではなくて、背後にある 世界情勢や農業の構造、輸入の現況に大いに影響されるということらしい。

   食料安全保障=海外から輸入できなくなった時に、国内で食料を生産して「国民の生存」を
   維持できるかが問題である。

私は農家の生まれ。戦後に農業政策に踊らされた世代だ。時代の変化とともに減反政策が導入されて、現在国内の農地面積は、戦中戦後600万ヘクタールに対して450万ヘクタール。人口は7200万人から、1億2千万前後に増えたというのに。
主食になる穀物生産用の農地を減らすような政策を施行している国は日本のほかにない。なぜこんなねじれが起きたのか、これからじっくり考えてみ よう。
目次をたどってみると、食料とは何か、貿易から見える世界の食料事情、真実をゆがめられた日本の農業、自給率のまやかし、持続可能な日本の水田農業、農政トライアングル (JA農協、農林族議員、農林水産省)、食糧危機説の不都合な真実、日本が飢える---と続いている。 特にJAの経済活動と農政介入について詳しい。有事における危機を想定してない、したがって準備もなされていないとのこと。 まったくその通りだ。

相棒の生家も私の方も、高齢化している請負人に田んぼの管理を任せている状況なので、これらの内容におおいに興味がある。読み進むのが楽しみだけど、怖い。知ることは嬉しいことだが知ってしまった後が怖い。

 これから歯医者へ。 これが今の私の有事。

    

      
きぼう(国際宇宙ステーション)飛行ルート      16日と17日にチャンスが巡ってくる。 晴れますように。

      里山の暮らし679  2022.9.15

             

 

      最近住宅地で起きていること

こちらに住み始めたころ、周囲はそれぞれの楽しみを見つけて暮らす前期高齢者がほとんどだった。皆さん活発で多才、高齢者の理想的モデルと言えるくらい元気いっぱいだった。 なぜかそんな生活がずっと続くと思い込んでいた。
あれから20年近く経つ。それなりに体力や気力が衰える年齢を迎え、我々もふくめ問題を抱える人が見られるようになってきた。
買い物難民にならないよう車の運転は必至だが、認知機能検査に落ちてしまう人も出てきた。身体のどこかに障りが現れ機能的に運転ができなくなった人もいる。

・友人夫婦がこの7月、子供家族と同居すると長年住んだ那須を離れて首都圏に引っ越ししてしまった。送り出した近隣住民は複雑な気分に陥る。20年 ものあいだ離れて暮らしてきたのに、高齢になってからの同居がうまくいくのか。それにしても今の時代に親世帯を呼び寄せる息子夫婦がい ることを喜ぶべきなのだろう。

・離婚を避けるために、夫だけで暮らしていたが、身体不如意になって別居していた妻のところへ帰ったケース。
・同じく離婚を避けるために、妻だけで暮らしていたが、病に倒れ別居した夫のところへ帰ったケース。

さらに、
・定年を迎えた娘が、夫を亡くし一人になった母親と同居を始めたケース。
・年老いた両親の身体状況を目の当たりにして、急きょ早期退職して同居に踏み切ろうとしている息子。
この二つの例の子供は、いずれもその年齢まで未婚のまま過ごしている。
   (男性25.7%、女性16.4%…生涯未婚率  2021年少子化社会対策白書)
    「生涯未婚率」は調査時時点で今後一生涯結婚しないであろう人の割合で、
    (生涯を通して未婚である人の割合を示すものではありません。
     50歳で未婚の人は、将来も結婚する予定がないと考えられているようです。)

親の家に住み、家計のある部分を負担し、将来的には親の不動産や動産を相続する。親の介護の道を通らないといけないが、子供自身の老後問題は先送りしているものの、双方良いとこ取りにも見える。 しかし親子とは言え難しいことも起きるだろう。
米寿近い親にお金をせびる子どもがいる。ギャンブルにはまる子どもに手を焼く老母がいて、子どもが親世帯と交流したくないケースもある。
子ども世代にとっても、今の日本で、自分の暮らしを立てていくことは難しい状況だろう。
わが身を振り返ってみた。現役時代に、両親を常におもんぱかる余裕があったかというと、そうでもない。ゆとりがあったとしても、自分の楽しみを優先していた記憶がある。
こんなに便利な社会になって、親子が繋がる手段はたくさんあるが、却って難しくなったのだろうか。便利になった社会を作りあげた人間が、実は一番その便利さを持て余しているような気がする。

年齢を重ねないと見えない景色もある。これも人生の味わいと割り切りたいが、それにしても味が濃すぎる。

     * 
 子の去りて遠音近音の法師ぜみ 

   茗荷 夏の憂さを忘れよう

       里山の暮らし678   2022.9.9 重陽の節句 月餅をいただいた。

             

 

 

    やっと魚焼き器を買った 魚を食べなきゃ

           フィッシュロースター

いままで使っていたのはIHコンロ付属のグリルだった。簡便で場所を取らないがあと始末が大変。魚の油にまみれた受け皿を、そっと引き出してシンクで洗う----たまに床にこぼれるわ、シンクはギトギトになる わ。ああぁ。
思い切って買ったのがこのフィッシュロースター。受け皿に水を入れるところまでは同じだが、使ったあとの掃除の手間がおおいに省ける。
青背の魚が身体にいいのは分かっていても難しかった。続けて「真さば、あじ」を焼いてみた。煮魚をあまり好きではない相棒が、しょうが汁をたっぷりかけた 焼きアジを「おいしい」と言って食べるようになった。良き哉。

買うのをためらっていたのはその大きさ。かろうじてシンク下に仕舞えるが、その分大きいお鍋をパントリーの棚に引っ越しさせることになった。月に数回しか使わない大鍋なので、これで魚焼き問題は解決。
さて、次は秋刀魚の出番だ。柚子の実が出回るかな。

    また穫れてしまった これで3キロくらい -----そこへ笠じぞうがやってきた

 

朝から収穫一時間。3キロくらいあるか。もう冷凍庫は満杯だし、分ける人には分けてしまった。どうしようか。
「穫りに来て、穫っただけ全部上げるから」と言っても欲しい人はもういない。

そこへ町か ら友人がやってきた。なんというタイミング! 大きなぶどうを3房お土産に持ってきてくれた。お連れ合いの友人の畑で穫れたものらしい。那須の山の山麓をぐるりぐるりと収穫物が回っている。まるでルーレット。当たりで嬉しい。
     (道の駅のお祭りくじでなんと「ブルーベリー」が当たったことがあった。
      大阪人の私はおじさんと交渉して「トマト」に替えてもらった。これも良き哉)

そもそもこのぶどうは、春の山菜を届けたお礼だとのこと。春の山菜が秋のぶどうに化けた。笠じぞうのようだ。
おまけにこの旧友は、上のブルーベリーを全部お持ち帰りになった。あちらにとってもこちらにとっても「笠じぞう」で、双方にんまり。

   里山の暮らし677   2022.9.4

             

 

 

        勝手に生える変なユリ  高砂百合(外来種) 鉄砲ユリ亜属

名前は台湾を意味する古語の高砂国から。日本原産の鉄砲ユリと違って、画像に見られるように葉が細長い。

一回聞いてその名前を覚えてくれる人は少なくて、
「あの結婚式で謡われる ♪高砂やこの浦舟に帆をかけて♪の高砂よ」。
こう言うと大体分かってもらえる。
このユリと日本鉄砲ユリをかけ合わせたのが「新鉄砲ユリ」。

春のはじめ、細長い双葉をのぞかせたかと思うと、梅雨の時期と酷暑を難なく乗り越え、お盆過ぎからこんなに花を咲かせるほど生長が早い。
だからか、花にあまりありがたみが無くて、
「邪魔!」と言われながら引っこ抜かれることもある。

暖地性のユリが、東北南部まで北進し繁殖しているのは、温暖化のせいか。そのうち北海道でも見られるかもしれない。
いやどうだろうか。北海道と本州の間にある津軽海峡が、哺乳類や鳥類分布の境界線になっている(ブラキストン線)から、案外青森止まりかもしれない。わぁぃ、面白い。

左後ろは白いシュウメイギク。
これまた増えて今年は抜かないといけない。

ところがこのユリにも弱点があって、庭からあっという間に姿を消すことがある。原因は「連作障害」で、ウィルスにやられるからという人もいる。
庭中に広がる----その時期のあでやかさは素晴らしい----ところがきれいさっぱり、魔法のほうきで浚ったかのように、いなくなる。
種の数は一つの花で数千個あり、それが風に乗って飛び散っていき、すこしでもお日さまに顔を合わせられるような場所に着地したら、その場で勢力を広げる。
ただし、その土地での繁殖期間は5年ほどと、繁殖------消滅の無限ループを繰り返しているようだ。私の庭での繁殖は、覚えている限り今年で3回目だ。

       里山の暮らし676   2022.8.30
             

 

      スポット君を横目で見ながら  なんと羨ましい、  猫はいいなぁ。


今日の仕事は;
柏葉アジサイの剪定。裏庭の大きくなり過ぎた柏葉アジサイの抜根も済ませた。庭木の断捨離を進める。細い枝は結んで、雨が当たらないよう東屋の中に置いておく。来月にお願いしてある本職の仕事が終わったら、その後始末のトラックに便乗して載せてもらう予定。葉っぱは集めてゴミ袋に入れて燃えるゴミに出す。自然のものを自然に返さないことに釈然としないものがあるが、しかたない。
朝シャンしたのに、汗が流れて頭はシャワーの後のように「すだれ状態」になって塩を吹きそう。薄くなった眉毛を乗り越えた汗が目に入ってしょぼしょぼする。またシャワーだ。

写真の左端にぶら下がっているのは、イースター島に着いたとき、歓迎のレイの代わりに首にかけてもらった貝のネックレス。そのあと、タヒチ島の名産黒真珠のお店で「3千万円」の黒真珠ネックレスを見たが、あれよりもありがたい。

イースター島への入り口マタベリ国際空港は、南米最長の滑走路を持っている。スペースシャトルの緊急着陸用にNASAが整備したらしくてとてつもなく長い。
空港で係員と、
「皆さんが
こんなに遅く到着するから、我々も深夜労働しているんだよ。」
「それはお気の毒に。でも飛行機が遅くついたからなの。後ろから飛行機を押せばよかったかなぁ?」
------なんてお馬鹿な会話を交わしたのを思い出す。(2014年1月)
  思い出いっぱいの貝のネックレスなのだ。

  スポット君と仲良くなったいきさつはここに。
   [リサイクル 募金きしゃぽん----愉快な名前のボランティア]
  里山の暮らし582    2021.4.2

       里山の暮らし675   2022.8.25
             

 

     朴の実のゆるりくずれて雲の峰 ----この夏入道雲を見ることが少なかった

  朴の実 

昭和20年から30年代のこと。この朴の木の大きな葉っぱに、にぎりめし(おにぎりではない)を包んで、田んぼで働く両親のところへ届けていたんだ。両親は、そばを流れる細い川で手を洗い、シイタケや蕗や油揚げを煮込 んだおかずに、握り飯をかじりついていたな。鶏は飼っていなかったから、卵焼きなどあればごちそう。あの頃の両親は、今の自分の半分ほどの年齢だったんだなぁ。はるばるここまで来たものだ。
相棒が、雨に濡れる大きな葉っぱを見ながらつぶやいている。

朴葉味噌に使われるように、朴の葉には殺菌作用がある。中国山地にある実家には、この朴の木は無かったので、その薬効を詳しく知らない。風邪や吐き気などの薬として利用されたとあったが、義母に聞いておけばよかった。
  果実は袋果。沢山の袋の集まり。袋の中に種子が入っていて、もう少し秋が進むと崩れ落ちる。

  剪定のはじまり
今年の秋の庭木の剪定の予定が9月9日と、例年に比べて3週間前倒しになり、その分自分達が担当する作業を早く始めないといけなくなった。そもそも この5年ほどは、申し込んでいる時期から3週間遅れるのが当たり前だったので、今年は「では3週間早い日を予約しよう」と裏読みしたことから始まったミス。
あちらはこう思ったらしい。「いつも3週間遅れていて申し訳ないから、今年こそ依頼日時ピッタリに作業してあげよう」とね。
思惑と思いが重なってこんな事態に陥ったのだ。
うんざり。暑さが居直っている8-9月にかけて庭木の剪定など、うんざり。
しかし「荷を担げる人間は、担げない人間よりよほど幸福な人間だ」と昨日呼んだ本にあった。アラブの格言らしい。負け惜しみにならないよう、しっかり!いよいよ怒涛の作業の始まり。

       里山の暮らし674  2022.8.20
             

 

     室井忠雄さんの第四歌集  

ありがたいことにある朝、ポストの中に「謹呈本」として置かれてあった。友人の室井忠雄さんが第四歌集を上梓なさったのだ。

これまでのように、表紙絵は造形美術家・松原賢氏の作品。   
ギャラリーは、[ 松原賢創職 Art Works Ken] ごく近くにある。

まだ実物に接したことはないが、画材は土や砂や墨などと聞いている。HPには、「自然にある不思議に触れたのが創作のきっかけ」とあったが、その思いを独特の方法で表現されていて、見るたびにその色や形に魅せられる。
そののち湧いてくるのは、空や土や水や、自分を作ってくれたさまざまな自然との対話と、自分の精神をもう少し掘ってみようとかという思い。 〇の意味するのは何だろうか。曼荼羅図?

松原氏は二十代のころ、桃山時代の絵師・長谷川等伯の国宝
「松林図屏風」に魅了され、画家を志されたとあった。

   ギャラリーの周囲には、赤松林が広がっている。

室井忠雄さんのこれまでの著作は、第一歌集『天使の分けまえ』、第二歌集『柏の里通信』、第三歌集『起き上がり小法師』。そしてこの『麦笛』が第四歌集。
室井さんはこの秋の初めには古希を迎えられる。
矩を超えるか、あるいは超えないか。歌がどう変化していくのか、楽しみだ。

謹呈本を頂いたからには、何らかの感想をお送りしないといけない。読むのは楽しい作業だが、感想をまとめるのは楽しい作業ではない。
呻吟苦吟して書いた手紙が、これ。<歌集『麦笛』を読んで >
   長い文だなぁとわれながらあきれ果てる。きっと頭の中がカオスなんだ。

        里山の暮らし673   2022.8.15
          

 

      暑い庭で咲いているのは

朝4時。ホトトギスが鳴きはじめる。夜中いっぱい鳴いていたのに、未練がましくコオロギの声も響いてくる。次いでガビチョウ(描眉鳥)が騒がしい。キジがひと声。シジュウカラは今朝は遠出したらしい。ヒヨドリ、来なくてよろしい。

 
 左 カッコアザミ   右 ハナスベリヒユ いずれも挿し芽で増やした。 補色の取り合わせはどう?

 フウチョウソウ 風蝶草 
アメリカフウチョウソウとも呼ばれているとおり、外来種。とんでもなく強い。誰に敵対心を持っているのだろうか、茎のイガイガを見て。みるからに痛そう。日本の植物は、互いに平衡を取りながら生存している。そこへ外来種がやってきてうまく気候に適応したときは、どうにも制御できないほどの繁殖力を見せることが多い。このフウチョウソウもそう。

 

ブルーベリーが採れ過ぎた。友人知人に配っても消化できないほどだ。冷凍庫は満杯なので、ゼリーを作ってみたが、粒あんのお饅頭みたいに仕上がった。皮ごと使い、濾すなんてことをしていないから。皮に一番栄養があるものね。
粘りがあって、空気抜きがうまくできなかった。味には変わりがないと思うことにしよう、

             里山の暮らし672   2022.8.10
          

 

   八月や六日九日十五日 詠み人多数

    これは何でしょう  会津金山町出身のかぼちゃ(かぼまる)


  QRコードではありません
  カーリングストーンでもありません。
  ヘソ天で寝ている猫ではありません。
  UFOでもありません。

これはかぼちゃ。
会津名産のかぼちゃ。
地域振興の手助けをと
イメージキャラクターになっているかぼちゃ
   ----名前は かぼまる。

こんなに鮮やかなオレンジ色のかぼちゃを見たことがありません。弦とつながっている茎を切り取るのにとんでもない力がいりました。画像にあるまんなかの部分は「ヘソ」。 直径15センチの大きなデベソ!

金山町は福島県の奥会津地方大沼郡にあり、会津地方の西に位置し、新潟県と県境を接する自然豊かな町。
絶景の秘境路線の只見線は、2011年7月の新潟・福島豪雨によって被害を受け不通となったが、この秋10月1日全線開通が叶うようです。
乗り鉄、撮り鉄の我われとしては、ここはぜひ出かけたいところ。果たしてコロナの秋はどのような秋になるのか。
  
    観光情報サイト   https://www.town.kaneyama.fukushima.jp/site/kanko/

  
金山町観光物産協会 http://kaneyama-kankou.ne.jp/ 

同じ市内に住み、ほんの10キロしか離れていない友人と直接会えません。暑中見舞いカードを送ったら、段ボールにぎっしり詰まった野菜が送られてきたのです。
トウモロコシ、スイカ、ジャガイモ、玉ねぎ、そしてこのかぼちゃ。彼女の畑でここまで育ちました。
ありがたいことです。
一番大きい包丁を取り出して切り、これからちょこっと「おすそ分け----かぼちゃ外交」に出かけます。
どうせ庭先で話し込み、ちょこっとで済まないところがミソだけど。これを大阪弁で「食べ助け」と呼ぶのでした。 
おいしいものはみんなで食べよう!

 今朝の収穫 3.8s

    里山の暮らし671   2022.8.4
          

 

 

    ジカバチの逆襲  かゆい痛い        

「パチッ」と音がした。右太ももの微妙な部分をジカバチが刺した音だった。
       
暑い日だった。シャワーの後は、さっぱりと乾いた水玉パジャマに着替える。
これを虫の知らせというのかもしれない。いつもは上着から着始めるのに、右手に上着を持ったまま、今日はズボンをまず履いた。
どこから入り込んだのだろう。足元を見るとジカバチが太ももに止まって、いまにも刺そうとしているではないか。
すかさず手に持っていたパジャマの上着で「バシッ」と叩きのめす。
      〇×÷+?!§ Θ Φ$&#!*〇-------- 手をする足をする----。
引っぱたかれて床に転がったジカバチは、身を震わせてひん死の状態のように見えた。
  やっつけたことを後悔したかって? 
       いやいや。今年 ハチに刺されるのはこれで三回目なのだから!(それぞれ別のハチだけど)

洗いたてのパジャマだけど針が残っているかもしれない。明日また洗おう。
後ろを向いて脱いだパジャマを洗濯かごに入れようとしたら、「パチッ」。
瀕死から甦った逆襲者がその後どこへ行ったのか、洗濯機の下をのぞいてみてもだぁれもいない。  

  
    コオニユリ    むかごを持たない

  発見!     参考 『ウソをつくいきものたち』 森美民著 村田浩一監修 緑書房刊
5.6月の最盛期に比べて少なくなったというものの、ホトトギスが鳴きながら高い空を飛び交っている。主な托卵相手のウグイスの声は、しばしば雑木林から聞こえてきているのに。いまだに相手を見つけられないようだ。
托卵する鳥はカッコウ科の仲間だけではないが、鳥全体では1%に過ぎない。カッコウ科の鳥は、40%が托卵すると言われている。だから托卵=カッコウ 科の鳥に結びつくのだろう。

今日は発見があった。かねて托卵する理由を知りたかったが、新説が登場した。
「カッコウ科の鳥のわたりの距離は長いので、すぐに旅立つことができるよう、托卵すると」と。たしかにカッコウはユーラシア大陸とアフリカ大陸に生息し、日本には4月から5月にかけてわたってくる。ヨーロッパでも日本でも春告げ鳥として知られている。秋には南へ下っていく。

疑問1 托卵した後、秋までカッコウ科の鳥は、日本で何をしているのだろう。引き続き托卵をたくらんでいるのか。
    余裕を持って南下して、越冬地にたどり着くことはその後の繁殖に有利に働くのだろうか。
疑問2 托卵のタイミングは。
宿主がすでに産んでいる卵よりも、あとから産み付けられたカッコウ科の鳥の卵のほうが孵化するのが早い。なぜなら雌の身体の中で卵はいつ産み付け られてもいいように、温め続けているから(体内抱卵というらしい)  

                     里山の暮らし670   2022.7.31
          

       植物は〈知性〉をもっている 
   ステファン・マンクーゾ+アレックサンドラ・ヴィオラ、マイケル・ポーラン序文 久保耕司訳 NHK出版

「よしよし、よくやったね」「そっちへ向いたらダメよ」
念入りに蒔いたパンジーの種が発芽した。光を求めて双葉を伸ばすので、茎を180度回転させ花茎をまっすぐに直してやる。そんな時に声をかける。
「込み合って窮屈になったから隣に根(牽引根)を伸ばして移動したんだね」とブルーベルの球根に話しかける。
子供のころからずっとそうだった。
どうやら私は、こう感じていたようだ。植物は置かれた立場をしっかり理解していて、私が話しかける言葉を聞き分けてくれるだろうと。

植物は一体どこで考えているのだろう。動物のように脳=中央制御システムを持たないし、神経系が張り巡らされているわけでもない。単なる反射なのだろうか、あ、しかし反射神経があるのかもしれない。長い間こう も考えていた。

ところがこの本を読み、長年の疑問が一気に氷解した。
分かるって溝を飛び越えたような気分にさせてくれる。
    【植物は意思を働かせる ←→ 知性を持っているのだ。】

はじめに、著者はこの本で「知性」とは何かを定義し、叙述を始めている。
「知性」とは「生きているあいだに生じるさまざまな問題を解決する能力」で、その能力が多方面に発揮され生き残るための知略を巡らしている、それが植物の正しい姿だと。
「なぜ」を問う前に定義をする。目的地を定め演繹的に考えるスタイルが好きだなぁ。
                          (ただしこれは自分の頭がかたい証拠だけど)

植物の動物との大きな違いは、進化の過程から生まれてきたもの。例外はあるが移動できない代わりに「モジュール構造」を手に入れた。身体の一部を失っても生きながらえることができる。ヤギやヒツジが食べても、すぐ元の身体に修復できるのがそのいい例だろう。身体の一部は分割可能で絶対的に不可欠なものではなくて、ほかの機能で補填できるということ らしい。
例えれば、集中演算型のスーパーコンピュータを動物の脳とみなすと、植物はまるで水平分業型のインターネットのイメージを与えてくれる。植物は分散型の情報処理センターを持 っていて、動物のように個々の器官に機能を集中させず、分散させている。集合脳として働いているようだ。

植物は光合成でエネルギーを自給できる----自然界にあるエネルギーの大半は植物由来のもの。石炭や石油がそうだ。人間も動物も植物無しでは生きられないのに、植物はそうではない。動物は植物への絶対的な依存関係にある---食料として、エネルギー源として、酸素を生成し、薬の材料として。こう考えると植物は食物連鎖の最も大事な土台に位置しているといえよう。植物は太陽と動物との仲介者でもある。
生物量(バイオマス)(総重量)としてみると、植物は地球上の99.5%以上を占め、生物ピラミッドの考え方によると、最上辺に位置する(と考えられてきた) 人間と動物とはわずか0.5%にしか過ぎない。実際地球は植物のもので、天下取りは植物に旗が上がっている、過去も現在も、おそらく未来も。

ではなぜ人間は植物に知性があると認めようとしなかったのだろうか。動かない(ように見える)からか。ところが植物は、人間の持つ5つの感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚) のほか、さらに人間には無い感覚 も持っていると著者は説く。例を挙げると重力、磁場を感知する、湿度を感じる、化学物質の土壌含有率も分析できる、などなど。
著者は、この本の中で、その一つ一つの根拠を上げ、実験を通じて実証して見せてくれた。おもしろい。

 嗅覚。身体全体を使って匂いを感じる。細胞の表面に受容体が備わっている。
   化学物質を使って信号を送り、その信号の連鎖から情報を得ることができる。
   さらに匂いを作り出すことさえ行う。(化学物質で情報交換するのは、人間の脳の伝達方法と同じだな)
 味覚。栄養素として使われる化学物質を取り込む受容体を持つ。土の中の微量な化学物質を感知する能力を持つ。
 触覚。触れられたことを 知覚する。そこから情報を引き出せる。
 聴覚。振動を感知し伝える。
 湿度や重力を感知する。磁場を感じる。汚染物質から遠ざかる。気孔を使って呼吸を行う。など。
 親族を見分ける。 利他的に働くこともある。
 細菌を友にしている。
 有用な薬を作り出せる。ヤナギの葉からアスピリン、キナからキニーネのように。
 さらに続く

植物がこれらの能力を持つことを、具体例を挙げて説明を加えてあるので理解しやすい。植物は予測し、学び、仲間や動物と情報交換し、 それを分析し、さらなる繁殖を目指して生き残り戦略を考えているのだとある。
仲間と、あるいは動物とのコミュニケーション能力を持つことが強調されていた。動物とは生き延び繁殖するために共生関係にあり、受粉の手助けをする 媒介者とのコミュニケーションにも優れているとの説明にはおどろくばかり。

読み終えてこう考えた。
「知性」とは「生きている間に生じるさまざまな問題を解決する能力」と著者はいう。知性とは字面からつい教養や思考力といった人間の表層部分を表している気がしていたが違った。解決する能力とは生きていくための力だ。次の世代に命を繋ぐ力なのだ。
これまでさまざまな出来事があった。何十年も前のことが今、その意味が理解できた。人生を覆い隠すほどの出来事もあったが、あれは人生の味、醍醐味だったのかもしれない。 知性を持つはずのヒトとしての私と、知性を持つ庭の植物たちと今日を明日に繋いでいこう。

        里山の暮らし669   2022.7.25

       

 

     へそくりをためる カラスビシャク 烏柄杓 サトイモ科ハンゲ属 別名半夏(はんげ)雌雄同株

画像の黒く伸びたのが花(肉穂花序)で、矢印→の緑のものは仏炎苞。そうです。仏炎苞に包まれた肉穂花序とは----あの水芭蕉と同じ作り。緑色で上にしゅっと伸びているのは付属体。全体のバランスが取れていて、 その美しさに見とれることがある。
 
この仏炎苞をカラスが使う柄杓に見立てたようだが、なるほど口ばしの先にこの花と茎を咥えればなにかを掬えるかもしれない。カラスが名前に被さった植物は、大体パッとしないものが多い。カラスはすなわち役立たずのしるしなのか。カラスウリ カラスノエンドウ カラスザンショウなどあるが、それなりに利用価値がある。カラスウリは霜焼けの薬で、果汁を手にすりこんでいたものだけど。

おっといつものように話が飛んだ。
このカラスビシャクの根を乾燥させたものを半夏と言い、漢方薬として利用されている。効能は咳止め、解熱、脚気、腎臓炎になど。
右画像は憎たらしいので花壇から抜いたもの。なぜ憎たらしいのか?  矢印の先の白い三角形のものはむかご。カラスビシャクは根とむかごで繁殖し、俗に「百姓泣かせ」と呼ばれているほど駆除、排除が難しい。だから一瞬 そのすがた形は美しいと感じても、すかさず根っこから掘り上げて捨てることにしている。
どこへ?もちろん私の庭でないどこかへ。です。

ではなぜへそくりなのか。薬効のある根茎を掘って薬屋へ持ちこみ小銭に替えてもらったことから。むかごが臍に似てい て栗のようでもあり----「へそくり」。
こんな風に考えた。農家のお嫁さんが、辛い労働の間を縫ってカラスビシャクの根を集め、町に出た折にお金に替えてもらう。お姑さんに知られぬようにこっそりと。 これは真っ当なへそくり。

婚姻してから築いた資産は夫婦共有のもの。ではその共有財産から「かすめ取り?さまざまな手を使って増やした私名義のへそくり」は いったいだれのモノだろう。広義にはやはり共有財産とも思えるが。いやいや私の心は狭い。
へそくりの隠し場所をいまも相棒は知らない。

相棒が郷土史研究会の現地調査に出かけた。

お弁当はいつものお稲荷さん(中身は梅干し、牛肉の佃煮)
定番のトリカラ  蒸しかまぼこ
ブロッコリーのおかか胡麻和え
茄子の朝漬け+大好きなしょうが
これも大好きな柏屋の薄皮饅頭
リンゴ+スモモ+庭のブルーベリー

これをクールボックスに入れて。いそいそ。
 
どうもテキは「カミさんが拵えてくれた」とまわりに言いたいらしい。面倒なので「コンビニで何か買えば、ほかの人はそうでしょ」というとおおいに拗ねた、遠足に出かける小学生みたいに。

ちなみに「テキ」とは「敵」ではなくて、和歌山弁で「あなた、きみ」のこと。したがって「あなたたち」を「テキラ・テキ等」と言い慣らす。(たまに敵になることもあるからか)

     里山の暮らし668   2022.7.19

        

 

     Cebiche de Camarón  セビチェデカマロン

先日エクアドルに少し送金したのをきっかけに、あの頃を思い出してセビチェを作ってみた。セビチェは南米やメキシコの、新鮮な魚介類が獲れる地域の名物料理だ。柑橘類を使ったマリネと言ったらいいかもしれない。
ただしその地域で採れるハーブが各種入るので、地域によって違った味に仕上がる。
材料は:魚介類。玉ねぎ、紫玉ねぎ、トマト、レモン、ライム、シラントロ、パセリ、オルガノ、香草、唐辛子など。オリーブオイルを加えることもある。好みによってパクチーをできあがりに散らすとそれらしい味になる。お好みのままにということだ。

   

ペルーではメロ(アイナメ)やコルビーナ(ニベ科の魚)、ペヘレイなどの白身の魚、エビ、タコ、イカ、ホタテ、ハマグリなどの貝類が使われる。味付けも酸味を効かせたさっぱり味に仕上げてあった。魚の切り身がライムをかけることによって、うっすら表面が白くなっていくのが見ていて面白い。
メキシコでは辛味唐辛子をたくさん入れ、ピリッとした味に仕上げ、タコスに挟んで食べていたのを思い出し、
”Se me hace la boca agua“ ------うう、おいしそう。

今日はエクアドル風なので、玉ねぎは白ではなくて紫色のを使う。トマトを加えてにぎやかに。さらにトマトケチャップを少し入れるとエクアドルらしさが出てくる。今日は天然エビが月に一度の半額セールの日だったので 、それを使った。パクチーはないなぁ。冷蔵庫で寝かせる。懐かしさが加わったいい味に出来上がった。

Cebiche de Camarónをつつきながら、ひとしきり話が弾んだ。
42年前のことだ。ペルーの北西部にあるワラスの町(標高3052m、ワスカランへの登山基地)から首都リマ へ無事帰還し、あるペルー料理のレストランで昼食を摂っていると、お店のご主人が出てきて、
「同郷人だから、これはサービスです」
と言いながら白身魚のセビチェをどっさりテーブルに載せてくれたのを思い出したからだった。おそらくご主人は 移民2世か3世だったのか。先祖は日本のどこから移民してきたのだろう。初対面の私たちにこんなに親切にしてくださった-----どうもどうもありがとうございます----いやいや良い旅を----。
南米に着いて3月、まだ日常の細かい表現ができずに、限られた単語で直截表現しかできなかったころだ。もう少し話せたら移住のいきさつやご家族のことなどをお尋ねできたのに。
家族みな若く幼く、その先に広がる世界があることを信じていたあのころを思うと、いま別な世界に住んでいるような錯覚に陥ることがある。

 その夕方、セビチェを拵えたその返す刀で----って包丁をハサミに持ち替えただけだが。何を勘違いしたのかうっとうしくなってきた前髪を勝手流に切ってしまった。
その後鏡を見て当然のごとく悲鳴を上げることになった!「切りすぎた!」
前髪が横に並び、これではまるで昭和の子供だ。たとえれば、ちびまる子ちゃん のように。
「そのうち伸びるだろう」、「誰も他人の前髪など見ていないよ」と慰めてくれるが、ワタシは今すぐ伸びてほしいのだ! 関西弁で言う「イラチ」なのだ。テレビを見ながら前髪を引っ張る。「伸びろ伸びろ伸びろ」。

 次の朝5時半。伸びすぎたホタルブクロの茎を切っていたら、指先に「バチン」とはじけるような音がした。これはアシナガバチ( 足長蜂)かジガバチ(似我蜂)に刺されたか。あわてて家に入り 毒液を絞り出し、ステロイドクリームを塗る。だけど蜂の針 には「返し」がついているので、絞ったところで何も出てこない。「痛いとかゆい」の連続技を繰り出してくる蜂に悪態をつく朝だった。 ちびまる子ちゃん状態なのにこれはまたどうしたことか。泣きっ面に蜂そのもの。

 4時間後、新しい蜂に刺された。これで4回目のコロナワクチンの注射だった。 二日ほど人間に会わない暮らしをしていた後なので、医院に集まってきた「ヒト」に興味津々。 並んだ人の背景を想像した待ち時間の15分だった。夕方には接種場所が発赤して痛みが出てきた。歩くたびにじりりじりりと左腕に痛みが走る。ともあれ、これで終了。安心してはいけないが。

    里山の暮らし668   2022.7.14

        

 

      円安の影響が身近に
           

35年前から参加している「SANE特定非営利活動法人エクアドルの子供のための友人の会」からお願いが届いた。
   < http://sanejapon.blogspot.com/ >
SANEは4月に一度エクアドルへ活動資金を送金しているが、このところの円安が大きく影響して、このままだと奨学生の数を減らす必要がでてくる!と。
円安がいつまで続くか予想できないが、この円安が続くと来年度の事業内容を見直すことになるかもしれない。
4月分の定期送金9500ドルを送る場合、
  1ドル110円前後だと   送金額はおよそ105万円
  1ドル135円前後だと   送金額はおよそ128万円  その差は23万円。一年間では100万円近くになる。
エクアドルでは現在ほとんど新型コロナウィルスへの感染者は見られなくなったが、社会生活への影響は強く残っていて、収入が減った家族や仕事を失った人が多い。

なにができるか。ただ小さいあかりを灯すしかない。

  * エクアドルの公式ドル化政策(ダラーライゼーション)
稀なことだが、エクアドル政府は2000年、経済不振と自国通貨スクレの暴落に対処するために、自国通貨を廃止してドルを法定通貨とする「公式のドル化政策」を導入した。 その後対外的に強いドルにリンクすることで長年苦しんできたインフレが収束を見せ経済が安定してきた。
したがってSANEが送金したドルはそのまま現地通貨として流通する。再度の為替交換の必要は無い。
公式ドル化政策によって輸出入価格が安定する反面、ドルの=アメリカの景気に左右され、エクアドル政府の金融当局は為替介入することもならず、国自身による金融政策、コントロールさえ出来なくなる。

 * コロナ禍のこの6月、エクアドルでは、エクアドル先住民連盟(CONAIE)による燃料価格はじめ物価高騰などに対する抗議デモが激化した。死者3名と多数のけが人が出た。丁度円安が進んだ=ドルが値下がりしたころのことで、非常事態宣言が出されるまでだった。集会の自由も無く、ところによっては外出禁止令も発令されていた。
6月30日、抗議活動は協定の合意があって収束した模様。

  サンパブロウルコ村のウンベルト・フィエロ校
 子供たちの勉強風景 

  (主な輸出品は、石油、バナナ、コーヒー、カカオ、生花、まぐろ、えびなど)
  (主な輸入品は、石油製品、自動車、車両部品、鉄鋼など  -----2022年 外務省基礎データより)

       里山の暮らし668   2022.7.11

        

 

 

        なつかしいウクライナの  シェフチェンコ詩集 『コブザール』より

  「遺言」 タラス・シェフチェンコ 

    わたしが死んだら。
  なつかしいウクライナの
  ひろびろとした草原(ステップ)にいだかれた
  高き塚(モヒラ)の上に、葬ってほしい。
  果てしない野の連なりと
  ドニエプル、切り立つ崖が
  見渡せるように、
  哮りたつとどろきが聞こえるように。
  ドニエプルの流れが
  ウクライナから敵の血を
  青い海へと流し去ったら、
  そのときこそ、野も山も----
  すべてを棄てよう。
  神の身許に翔けのぼり、
  祈りをささげよう----だがそれまでは
  わたしは神を知らない。
  わたしを葬り、立ちあがってほしい。
  鎖を断ち切り、
  凶悪な敵の血潮で
  われらの自由に洗礼を授けてほしい。
  そして、素晴らしい家族、
  自由で新しい家族に囲まれても、
  わたしを忘れず、思い出してほしい、
  こころのこもった静かなことばで。 1845年12月25日 ペレヤスラウにて

   シェフチェンコ詩集 『コブザール』 藤井悦子編訳 
                                                   群像社刊 2018年10月17日初版第一刷 P179より

ある新聞記事をきっかけに、ウクライナの詩人「タラス・シェフチェンコ(1814-1861) 」の詩集をゆっくり読んでいる。  *「詩の街キーウ」2022年4月30日 道浦母都子(歌人) 日本経済新聞文化欄

言葉が湧いてきている。分かりやすい言葉を遣いながらも、その背後にある「おのれの内を理解してほしい、伝えたい」をひとつひとつのフレーズが際立たせている。 読むと熱い塊のようなものが、胸の奥からせりあがってくるのを感じる。
上の「遺言」は手稿集『三年』の最後の作品で、死後出版された『コブザール』に、冒頭の八行だけが「遺言」の題で掲載された。それ以後 この詩は「遺言」の名で広まり、シェフチェンコの作品の中でもっとも知られていて、ウクライナでは「第二の国歌」の扱いを受けているようだ。
    詩集の名前の「コブザール」はウクライナの民族楽器コブザを奏でる吟遊詩人のこと。
    伝統を受け継ぎ歴史を受け継ぐ語り部になるとの決意が感じられる名前だ。
          (youtubeで「遺言 シェフチェンコ」で探してください。
           民族楽器コブサの音は日本の琵琶の音色に似ています。) 
  
作者シェフチェンコは近代ウクライナ語文学の始祖。帝政ロシア時代のウクライナで農奴として生まれ たが、絵の才能を惜しんだ人々の協力によってその立場から解放された。農民の言葉とさげすまれていたウクライナ語を母から受け継ぎ詩に昇華させ、ウクライナ民族主義の象徴と見なされている詩人シェフチェンコ。
虐げられる悲しみや苦しみを怒りに転化し詩を詠む。ロシア皇帝への反逆者として10年間流刑になっている。家庭を持つこともかなわず若くして亡くなった。しかし現在までその詩は読み継がれ「民族の父」と みなされ精神的支柱としての役割をはたしている。
ウクライナは過去、周辺の大国の侵攻を許して来た歴史を持つ。帝政ロシアによる 長い支配が続き従属の歴史のなかにあった。ソ連崩壊で独立を勝ち取ったものの、その後ロシアにクリミア半島を占領された。
そして現在は。----戦下にある。

「わたしを葬り、立ちあがってほしい。/鎖を断ち切り、/凶悪な敵の血潮で/われらの自由に洗礼を授けてほしい。」(藤井悦子訳)   詩人は人々をこう鼓舞する。

「凶悪な敵の血潮で」が流れる地にウクライナ人の血潮が混じる。
 抵抗詩人の悲しみと怒りが、今人々の頭上に横たわる。

「暴かれた墳墓」
* 静けさにみちた世界 愛するふるさと/わたしのウクライナよ。/母よ、あなたはなぜ
破壊され、滅びゆくのか。/朝まだき、太陽の昇らぬうちに/神に祈りを捧げなかったのか。
思慮分別のない子どもたちに/-----以下略   藤井悦子訳 同じくシェフチェンコ詩集 『コブザール』より。

悲しみが目の前に差し出される。詩人の怒りのすさまじさ、悲しみの大きさ深さ、激しく時に静かな言葉が迷いのない精神を表現している。 人間の尊厳とはなにか。コサック音楽やボルシチで知られる ロシア文化の発祥の地でありながら、大国ロシアに支配され続けてきたウクライナ。
ロシア批判は当然のこと、詩人の怒りはウクライナにも向かう
   ----ロシアの支配の片棒を担ぎ同胞を苦しめる地主たちにも。

また詩人はこうも詠む。

* わたしの見捨てられた貧しい畑を耕し、/ことばの種子(たね)を蒔いている。いつの日か/豊かな実りをもたらしてくれるだろう---------煌めく自由の種子を蒔かれてあれ!------畑よ、ことばの種子ではなく、/理性の種子を蒔かれてあれ!----          藤井悦子訳 同じくシェフチェンコ詩集 『コブザール』より。

* またもや/百姓たちの血が流れ始めました、/王冠を頂いた死刑執行人たちが、ふたたび/飢えた野良犬のように、骨を求めて争っています。    藤井悦子訳 同じくシェフチェンコ詩集 『コブザール』より。

しかし。
----そしてふたたび、こころのこもった清らかなことばで/あなたを讃える頌歌を/静かに歌いはじめるでしょう。
               藤井悦子訳 同じくシェフチェンコ詩集 『コブザール』より。

「あなたを讃える頌歌」がいまウクライナの人々の耳に届いているだろうか。

シェフチェンコは、天智天皇、天武天皇に神の依り代として仕えた万葉時代の額田王か、あるいは歌うことで古代天皇制を支えた柿本人麻呂か。「君死にたまふことなかれ」と詠んだ与謝野晶子か。戦時中誤解されたが聖武天皇に忠誠を誓って「海ゆかば」と詠んだ大友家持か。
言葉の力は想像力とともに駆け巡る。
 マルコポーロ 早咲きのユリ

     里山の暮らし667   2022.7.7

        

 

     パジャマを裏返しに着たら

この夏用にと準備していた新しいパジャマを下ろしてきた。味変ならぬ気分変の黄色いパジャマ。水玉模様が可愛らしくて嬉しい。キャラコ生地になんらかの加工してあるらしく、洗濯しても皺になりにく、腕回りもゆったりして着やすい。だけど、ただ一つの不満は「付いているタグと縫い目が肌に触ることがある」だった。
考えた------これを裏返して着たらどうなるだろうか----なるほど楽だった。素肌に優しい。
次の日また考えた-----これを着て救急車に乗るようなことがあれば、おそらく怪しいヒトだと思われるだろうと。
次の日、元の普通の着方に戻してなんとなく安心する。

目に見えない縛りを自分に課す。常識にがんじがらめになっている。普通でないことをする勇気がない。この心の狭さときたら驚くばかり。日本は多神教での一神教でも無く「世間教」だとの論があるが、まったくその通り。他人の目を気にして大勢に迎合?したベッドの前の自分が面白い。  *解決した。タグは切り取ればいいのだ。

  今日の 小言
「麦茶を冷やすときは、水のレバーを水の位置に戻してから冷たい水を流してね。」
「おぅ、うっかりしてた!お湯の位置で水を(お湯を)流してしまったのか!」
「うっかりしなくてももうっかりするのだからうっかりするとますますうっかりするから」
 うっかりの大盤振る舞い。

頭のなかを突然流れはじめた歌。なぜだ?
   ♪「ウッカリさんの奥さん、はいはいこんにちは。チャッカリさんの奥さん、はいはいこんにちは」♪

ついで義理姉(84歳)とそのお隣さん(85歳)の掛け合い漫才のような暮らしも頭に浮かんできた。若いころから仲良くしながら競争してきたお二人さんはいま、こんなことを比べっこしているようだ。
「うちの方が歯の数が多いよ」
「私の方が白髪が少ないよ、ほらまだグレーだもんね」

【ウッカリ夫人とチャッカリ夫人】 あれ?【チャッカリ夫人とウッカリ夫人】だったかな。
1950年代から60年代にかけてラジオ東京(現在のTBS)で放送されたドラマ。のちに何回か映画化されている。茶刈夫妻と宇刈夫妻が主人公で、毎回言葉の掛け合いが面白かった記憶がある。(知っている人は知っているドラマ)  

 
  裏庭でニッコウキスゲが咲いてきた。標高が低いのでこんなに大きな花になる。

        里山の暮らし666    2022.7.4

        

 

 

       たっぷりと夏が75日も   (午後2時、36℃にまで上がった)

10時半現在の気温は33℃。周囲を樹木で囲まれているので、湿気が多くて蒸し暑い。那須高原と名付けたのは市の観光課の陰謀ではないかと思える。夏がまだ75日もある、と考えるだけで心がふたがる。
今朝、相棒と「この夏の作戦を立てよう」と話し合った。家うちを整え秋まで心身ともに元気に暮らすにはどうしたらいいか-----腰を据えてかかろう。すべきこととしなくていいことと分けようと。
 心のなかでは(分担だよ、仕事はね)(おだてに乗るか、そるか)(美味しいもはどうか)(ビールかな)

5時起床。窓を開け放ち掃除機をかけ洗濯を済ませ日が差さないうちに干す。その後は全部自分の時間だ。しかしコロナで蟄居する生活も3年目になると、はっきりした輪郭を持つ 願いが見つからなくなってきた。元気で過ごそうとは考えるが具体的にこうしたい、ここへ行きたいと言うイメージが浮かんでこない。
しかし、そんな贅沢を言っては罰が当たる。ゆっくり読んで楽しめる本を探そう、と思いついて選んだのがこの本


研究者が「めっちゃやさしい」と言っても、こちとら年季の入った文系で「無から現代物理を考える」なんて聞くと、胸がざわざわする。


一章一章、ゆっくり読んでいこう。
まず、無って何?ダイナミックでエキサイティング。
無の数ゼロ----自然界に現れるゼロ。
無の空間、真空。

とっかかりから意味深長な言葉の連続だ。
楽しめるかどうか。これはひとえに私の頭の出来によるようだ。

これは認知症防止だと思えばいいけど。

 
   今日の手仕事 

 あんずのジャムを作る  (5キロ)
熱を加えるともともとの甘未が表に出てくるので、砂糖(果糖を使うけど)の割合は15%程度で十分。

 
朝食に:ヨーグルト、リンゴ、ブルーベリーソース、採りたてのブルーベリーとワイルドストロベリー
    ワイルドストロベリーはそろそろ終わり。  

            里山の暮らし665     2022.6.29

        

 

      いよいよはじまり

梅雨空の下、早生、中生、晩生とそろえて植えてあるブルーベリーのうち、早生が熟し始めた。コーヒー豆と同じようにランダムに熟れてくるので収穫に手間取る。
何しろイラガ(とんでもない害虫。刺されると悲鳴を上げるほど痛い。大の大人が泣くこともあるくらい)が巣をかけていることもあり、手を伸ばすにも恐る恐る。完全防備を忘れた時に「ズドッ」と刺されるのは、うっかり安全確認をしなかったときの交通事故に似ている。(「ズドッ」太い注射針で刺されるかのように)

よしよし、丸くて太ったのから採ろう。ちょっとみんな一緒に熟れるとこっちは助かるんだけど----ブドウを見てみなさい。お行儀よくぶら下がっているよね。ま、ここまでよくやった。
ところが数日たつとこれが「あ〜、刺股・さすまたでも持ってきて、幹を揺らして落として集めたい」と思うほど加速度的に熟してくる。
せっせと収穫する。ジップロックにそのまま入れて番号をつけ、冷凍庫に並べている。でもその冷凍庫には、去年収穫したブルーベリーのパックが20袋くらい残ったまま。10キロ以上ある。毎朝30粒ずつヨーグルトと一緒に食べても追いつかない。この分では今年の収穫分を食すのは10月になりそうだ。先入れ先出しなのだから。
ブルーベリー収穫に汗を流す夏の始まり。 

 

住宅地の掲示板にこうあった。「熊に注意」。ブルーベリーの季節は熊の季節でもある。  最近住宅地のなかを熊がうろついているらしい。我が家のブルーベリーを盗りに来るかもしれない。    

* 夏のカナダ、プリンスエドワード島で開催される「モンゴメリ学会」で研究の成果を発表なさる赤松佳子教授に激励のメールを送ったら、島から返信があった。島は寒いくらいの天気らしい。 時空を超えるのがインターネット。しかし現実に地球の裏側からメールが届くと嬉しいものだ。
  赤松佳子教授(ノートルダム清心女子大学 文学部 英語英文学科教授)
   近著に  『赤毛のアンから黒髪のエミリーへ――L・M・モンゴメリの小説を読む』 2022/03/25発行
                  熟読した春だった。 お茶の水書房刊

* 図書館へ。夏籠り用の本を借りてきた。
* 参議院議員期日前投票も済ませた。 候補者は経済対策などの目先の政策を言い立てる。難しい問題山積のこの時期に長期的な視点で思索を深め行動できる候補者はいないものか。 参議院は参議する機関。現実に力を持たないのかもしれない。経済成長を優先し続けた結果、人間が失ったものが大きいことを思い知らされる。
しかし、日本の経済成長とともに生き、利益を享受した年代の私たちが、のちの世にモノ申すことはできそうにない。

       里山の暮らし664     2022.6.25

        

 

       天空の姫小百合 ヒメサユリ ユリ科ユリ属

それだけでも美しい「ゆり」に「ひめ」が被さり美称の「さ」がついている、そんな「姫小百合の里」が会津の山間にある。 
     < https://www.kanko-aizu.com/information/29468/ > 来年までおあずけ 
(ヒメサユリは宮城県南部と新潟県、福島県、飯豊連峰、吾妻山、守門岳周辺に自生する日本国有のユリ科の植物。)

花の盛りのこの時期、早朝から自生地に出かけるのがわが家恒例の行事で、今年も無事に果たすことができた。
よし、地図が読める、運転も大丈夫だった、お天気は花日和。「*知力、体力時の運」が揃ったことを確認するため、印南川を見下ろしながらこう言いあった。
「今年もここまで来られたね、来年はどうかなぁ。来年は一泊しないといけないかもしれないね」。
なにしろ往復200キロの山道で車で4時間半かかる。長旅だ。相棒も次第に運転が負担になってきたようだ。

この花は種で増えていく。まず地中に小さい球根をつけ、ようやく3年目に短い片葉が現れ、6年目にしてようやく一輪の花をつける。その後は球根が大きくなるにつれ、その花数が増えていく----この状況は「カタクリ」と同じ。長い月日をかけて花を育てるその苦労も一緒。
カタクリと違うのは、標高が高く夏の気候が冷涼で冬は雪で覆われて保湿される土地でないと育たないこと。平地に下ろすとどうやっても、どんな工夫を凝らしても育たない。会いたければ自生地に足を運ぶしかない。
春浅くに山焼きをして害虫を退治し肥料になる灰を落とす。ワラビを植栽し下草を刈ることでユリの球根を保護する。周囲にはイノシシ除けの電気柵を巡らせてある。管理は大変な作業だろう。なにしろスキー場全体の草を刈るのだから。

  *「知力、体力、時の運」。これはアメリカ横断ウルトラクイズ(1977-1992)での司会者の雄たけび。
    あの番組に子供たちと出たかった。年齢制限は45歳までだった。

 これがお姫様。種から10年くらい経っているはず。 花は東南を向いて咲くことが多い。

 

アマビエの絵が。鐘を何度も鳴らして、会津の山に響かせた。
ニッコウキスゲが花盛り。ちなみに別名の禅庭花の名前は、ニッコウキスゲが自生している戦場ヶ原を、中禅寺の庭に見立てたことに由来するらしい。
ススキに似ているのは染色に使われるカリヤス。カリヤス=刈り易。字義通り、そのまま。


タニウツギ スイカズラ科タニウツギ属  別名 紅ウツギ 田植え花
標高1000メートルに咲くタニウツギ。緑のあふれる中に桃色の花が、まるであたりを支配するかのような存在感を放っている。これはピンクではなくて桃色と呼びたい色だ。


山ぶどうのまだ青い実。秋になりこの実が熟しているのに出会ったら、それはとんでもない僥倖、奇跡。狙っているのは熊、サル、人間。ため息級のおいしさ。これを干しブドウにしてみたいと願っている。しかし、難しいだろう今年も。

 
   葉っぱの先がぴょんと飛び出して、亀の甲羅に似ている。

ヤブマオ (Boehmeria japonica、藪苧麻)イラクサ目イラクサ科の多年生植物。カラムシと近縁。ヤブマオは藪に生えるマオという意味で、マオは同じイラクサ科のカラムシのこと。和名はマオに藪を冠したもの。韓国語に由来するようだ。かつてはカラムシと同様に茎の植物繊維から糸を紡いで布を織った。

カラムシ 日常よく使われたり、利用価値が大きい言葉ほど、その地方独特の名前を持つ。カラムシは古くから植物繊維をとるために栽培されたので、紵(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)などさまざまある。茎の皮から採れる靭皮繊維は麻と同じように非常に丈夫で、紡いで糸に、綯って紐や縄に、網や漁網に、機って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用されていた。福島県会津地方の昭和村が唯一の産地で、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料とされている。

 < https://showakanko.or.jp/see/hakubutsukan/  >昭和村 からむし工芸博物館
縄文の時代から人々に利用されてきた植物繊維「からむし」「麻」の栽培に関する歴史資料や生産道具、様々な織物などを展示説明している。
この博物館で実物の「小千谷縮・越後上布」で織ら仕立てられた着物を見たが、ほとんど天女の舞衣のように軽く、美しい。   

                  里山の暮らし663  2022.6.20

        

 

     ほたる来よしらとりの地の坂の辺に   

  *『古事記』に倭建命(やまとたけるのみこと)の魂が、八尋の白智鳥(白鳥)の姿となり、天を翔け浜に向かって飛んで行ったとある。 以前大阪に住んでいた土地には「鳥取」の名が被さっていた。「八尋の白智鳥」が かの地で脚を休めて飛び去ったとの言い伝えが残っている。

曇りで風がない。そんな6月の夜は早めに夕食を済ませ、まだ薄明るい庭に面した部屋に場所を取り電気を消す。目が慣れるにつれて次第に見えてくるのは「ほたる」だった。姫ほたるが川から上がってきていたのだ。
姫ほたるは源氏ぼたるに比べて体が小さく、かすかに放つ光はやや黄色味を帯びていて、点滅するピッチも短い。ふらふらふらと庭を飛び回り、一時間ほど目を楽しませてくれた後、どこともなく消えていく。
閉めたはずのドアから猫の「ぽぉちゃん」がやってきて、となりに箱すわりする。どこからか迷い込んできたシャム猫だけど、猫らしいネオテニー作戦など採らない。じっと座り、ふと立ちあがりどこかへ行き、戻ってくる。餌をほかの猫に取られてもわれ関せず 、されるがまま。気が向いたときは(めったにないことだが)甘えてくる。さしずめ哲学者の雰囲気をまとっている猫だった。
ぽぉっとしているから「ぽぉちゃん」と名付けたが、家に居つきその性格を知ってみると、それはぼんやりしているのではなくて、心に独時の超越した何かを持っている猫だ ということが分かってきた。その「ぽぉちゃん」と一緒に蛍をみる。

これが毎年6月の風物詩だった。家は関西新空港が遠くに見え淡路島を望む高台にあり、100メートルほど坂を下った谷あいに小川が流れていた。紀州と泉州の国境にまたがる紀泉アルプスから流れ下る農業に利用される川だ。川は 海までの距離が40キロメートルに満たないくらい短い。そのおかげか当時は蛍が住めたようだ。

  ・うすやみに指もて梳くうほたるかな

那珂川は那須のわが家から車で15分ほどの距離にある。この月末からほたるの鑑賞会が催されると聞いている。
でも見に行かなくてもいい。
あのころの思い出を記憶の底から掬いだし、猫と一緒に蛍を見ていた6月をたぐり寄せればいいのだから。

 
  ピエール・ド・ロンサール (Pieere de Ronsard)

    * 今日はしっかり梅雨空。友人ご夫妻が北陸を旅している。どうぞ濡れませんように。

     里山の暮らし662  2022.6.15

        

 

 

     いちじくにんじんさんしょしいたけごぼう ----ここまでは覚えている

 手まり歌 :小学校に入る前、もっぱら歌いながらまりを付いて遊んでいた。

  無花果(いちじく) 人参(にんじん)  山椒(さんしょ)に 椎茸(しいたけ)  牛蒡(ごぼう)に 
  無患子(むくろじゅ)   七草(ななくさ) 初茸(はつたけ) 胡瓜(きゅうり)に 冬瓜(とうがん)

追羽根の下の黒い実はむくろじゅ。10歳年長の姉が実のてっぺんに穴を開け、鶏の羽をむしって穴の中に押し込み追い羽根を作ってくれた。羽根が5方に伸びずに偏ってしまい上手につけなかったけど。そもそもお正月に雪がなくて外で遊べる「都会」の存在を想像もできなかった----小さな世界しか知らなかったあの子供時代。冬瓜を 見たのはだいぶあとのこと。

 ほかにこんな歌が。

  うちの猫は黒猫でおしろいつけて紅つけて
  人に見られてちょっと隠す     「隠す」でくるっと回って球を受ける。この時スカートが邪魔だった。

 いちもんめのいんすけさん、というのもあった。まりをつぎつぎに隣の子に渡す遊び。

  一もんめの いんすけさん   いっの字が きらいで
  一万一千一百石 一斗 一斗 一斗まの
  おくらにおさめて 二もんめにわたした    数字を増やしていくけれど、大体5くらいで失敗する。

 さらに、古い歌に

 一列らんぱん破裂して 日露戦争はじまった 
 さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵

 ------- 続く 内容が酷くてこれ以上書くのは気が引ける。
日露戦争の勝利をたたえる歌を歌いながら、毬をつく子供。戦後相当経っているのに、この内容とは!
祖母の影響としても想像するにシュール。無垢?な心に他人の言葉はすんなり入っていくようだ。怖いな。

 山椒の実を軸から外すのに1時間半、蕗をゆでて皮をむく。これが今日の手仕事。あんまり退屈なので、昔のてまり歌を思い出して、勢いを つけていた。山椒を触った指をつい舐めてしまったら、夕方まで唇がしびれっぱなし。

  今日の手仕事

   
  放射線の規制があって原木シイタケを手に入れにくい。今日は珍しく原木シイタケ。笠になにか詰めて焼こうか。
  味噌マヨ、辛子マヨ、鶏つくね、豚ミンチもおいしそうだ。

          里山の暮らし661 2022.6.11

        

 

      かわいいななつのこが  シジュウカラの抱卵 今年3度目。

生まれた時点で男の子か女の子かは分からないんだ、大きくなって胸のネクタイがはっきりするまではね。僕たち(ここはmanで代表させよう)みんな生まれたばかり。頭の毛はほよほよ、真っ裸で目と口だけが大きい。
「口はここよ」と両親にアピールするためだよ、こんなに黄色い口が目立って横に大きいのは。

父さんと母さんが集めてきたベッドは暖かいよ。材料はコケ、近くの牛舎から貰ってきた牛さんの黒い毛と白い毛(なぜって、牛さんは白黒 模様のホルスタイン種だからね)楢の木の花穂、草のかたい茎。雨が入り込まないように入口から遠い場所に敷き詰めて、母さんが毎日卵を産んでくれた。
父さんと母さんが交代にで温めてくれたから、僕たち卵の殻を割って生まれたんだ。おやまだ卵のままの兄弟が残っている。弟なのか妹なのか。どっちにしてももう少しだ 。外に出たくなったら、殻を中からツコツ叩くのだよ。そうすると父さんか母さんが外側から、ここよと合図をしてくれるはず。がんばれ!

朝と夕、雨の日は父さんと母さんが、雛団子になった僕たちの上に被さって温めてくれる。ふんわりと暖かくて、いい匂いがするんだ。この匂いと話しかけてくれる声をよく覚えておこう。巣から出たらこの声を頼りに、はじめの数日を生き延びるんだからね。だってどうやって虫を捕まえたらいいのか、分からない----。

父さんと母さんは、朝から夕まで林の中を飛び回って青虫なんかの餌を探してきてくれる。僕たちその青虫を食べたくて「ピーピー」鳴いてせがむんだけど、運んでくれるのは一度に一匹だけなので、うまく餌にありつけなかった6羽はがっかり。でも大丈夫、すぐに新しい青虫を運んで来てくれるから。どうも父さんと母さんは、どの子がどの順で食べたかをしっかり覚えているみたいだ。同じ日に巣立ちができるように、みんな同じように大きくなって行くからね。

巣箱の入口には直径2.5センチの穴が開いている。それより大きくするとスズメが乗っ取りにやってくる。でも太ったシジュウカラもいれば、痩せたスズメもいるから、思うようにならなくて、この巣箱を作ってくれたこの家の「おお父さん」がスズメに毎年腹を立てているようだ。でも今年は成功!僕たちで3回目の抱卵の様子を眺めては嬉しがっているらしい。でもね、近所の人を呼んできて、巣箱の蓋を開けて見せ びらかすのをやめてくれないかなぁ。 こっちは裸だよ。

    2022.6.1 孵化

         里山の暮らし660 2022.6.5 

        

 

     『ウイグル人に何が起きているのか』 民族迫害の起源と現在 福島香織著 PHP新書


梅雨の走りの細かい雨が落ちるこの数日、新疆ウイグル自治区に関する本を読んでいた。
中に、ウイグル自治区での強制収容数100万とも言われ、ジェノサイドとも呼ばれる現実は----中国政府による弾圧が住民を苦しめ、さらに在日ウイグル人にも本国からの探査、魔手が及んでいるとあった。
ウイグル人が再教育と称して拉致され、犯罪者として扱われている。民族浄化と称して洗脳し、民族迫害が行われているこの現実を知らなかった。知ろうともしなかったのが悔やまれる、
民族を分断しイスラム教や伝統文化の継承を断つ。これは別紙に書いた『アンと言う名の少女を見て』の内容に重複する問題を含むだろう。

国際政治は強者の倫理で動く。米中の新冷戦構造にロシアのウクライナ侵攻が加わり、いずれ日本が戦争に巻き込まれる のではないかとの恐怖を感じた。はじめてのことだ。

 (表紙画像はアマゾンからお借りしました。)

ウイグル自治区には2019年5月に訪問したが、現地で「何も見てこなかった!」という思いにとらわれている。中国は、特にウイグル自治区は監視社会 だ、これは痛感した けれども。
どこに行っても監視カメラの目が光っている。カメラとカメラの距離はほんの5メートルほど。しかし旅の時点でも中国政府がウィグル(旧東トルキスタン)の言語、文化、習慣、宗教を奪う動きに出ていたことに ほとんど気づかなかった。自分のそのうかつさには驚くほど。
政府の支配の目的は資源か、核実験場として砂漠地帯を利用するためか。単に支配を目指すのか。イスラム教の習慣を、これこの通り大切にしていますよ、というディスプレイは見たが、その裏にこれほどの迫害が隠されていたとは、気づかなかった。
チベット難民の集落も訪れたが、その歴史の背後を深く考えることなく表面だけを見てきたのを後悔している。もっとしっかり見ておけばよかった----。当分中国へは行けないだろう から。
物事はそれを深く知らないと真相が見えてこない。当然だ。見ても見えない。これは私の不勉強のなせるわざ。

旅程中にツアーガイド(日本人)とこんな会話を交わしたのを覚えている。
   「タクラマカン砂漠で政府は核実験を行っていると聞いていますが、
    現地在住の人たち、主にウイグル人はそのことを知っているのでしょうか。」
   「いや〜。しかしこのことを口に出すのは、危険かもしれません。」
   「いたずらに刺激しないほうが良いかと---」

次に中国が目指すのは、台湾を取り戻すことだろう。次は尖閣諸島と沖縄を狙う。それを軍事進攻で行うかどうか。
知人K氏の意見は、
「内政がしっかりている国には侵攻してこないでしょう」「私なら内乱を待ちますね。」そうか、内部崩壊を待つという方法もあったか。 家康流だな。しかし現政権にそれを待つ時間が残されているか?強硬策に出る可能性は否定できないだろう。
北方4島はあまりにロシア領化してしまった。そのうち北海道が自治区に組み入れられるのではないか、という恐怖が実際のものになりませんように。

国防を大国アメリカに依存している。この時点ですでに日本は二流国なのかもしれない。凋落しつつあるとは言え、経済力はあると思いたいけれど、このところの円安は、世界が日本 を軽んじはじめた兆しなのかもしれない-----日本の実態は資源に乏しい弱い国なのだと思い知らされた。いや、思い知らされつつある。
日本人の、楽天的で今の平和が侵されることはないと信じる単純さ?はどこから来たのか。外国から徹底的に蹂躙されることがなかったことが大きいかとも考える。
過去の覇権が記憶の底にある中国政府が、現況に「劣等感」を感じているのでは?こう考えることもある。あるいは世界制覇の夢を捨てきれないか。そのせいで一体一路構想を打ちだし、中華思想を実現しようとしているのか。
よく見よう、考えよう。しかし。
上記のK氏からこうも教えられた。
「人類を基盤とした政治は存在しない」(政治は元来、特定の地域・集団を前提として、他の地域・集団に対する対抗と闘争の可能性を内包しているところに成り立つ。すなわち、単位社会の特殊性(particularism)が政治行動の基盤をなす。丸山眞男講義録第4冊から)」
これを聞いてさまざまな疑問が解けたような気がする。

 
友人にお届け。デルフィニューム、レースフラワー、シャクヤク、ミニカーネーション
こじゃれた包装紙など無いので、透明ゴミ袋に包み、PPロープで結んである、無粋そのもの。

    里山の暮らし660 2022.6.2 

        
 

 

     年利300%で増えると

雨の間を縫ってチューリップの球根の堀り上げの朝。日差しはきつく、もう夏かと思うほどの汗をかく。デトックスと思えばよいが、なかなかそうもいかない。
秋に牛糞堆肥をかけたからか、抜いてみると思いのほか球根が育っている。大阪ではその春に花を咲かせるのが精いっぱいで、続いてくる5月の暑さに、掘り上げた球根はやせほそったままだった。球根としては「自分の仕事は済ませた」ということか。次の世代のことなどとても考えられないほどの凋落ぶりを見せていたのに。
那須に来て、球根が増えていくには驚いた。この黄色のチューリップなど、1球から3球も子球根ができている。
球根は洗って乾かし、ネットの袋に入れてミニログの床下に吊り下げて夏を越させる。地面に置くとネズミがやってきて、餌にしてしまうから。
良質な炭水化物のチューリップの球根。じっくり焼くと、香りの高い焼きチューリップができそうだ。

      1----3----9----27----81----243----∞
   全部でいくつある?700個くらい?                                      


      
おせっかいな働き者 新しいPC
新しいパソコン(NEC LAVIE デスクトップ型)は順調に働くので面白い。おせっかいなお知らせは多いものの、旧パソコンの「電源を入れてからコーヒーを淹れた」時代を思えば起動は感動的に早い。------でもカメラとマイクのデビューはまだ。世間に顔を晒すなど考えただけで顔が赤くなりそう。当分は封印したままだろう。

液晶の画面がツルっと光っている。20年前まで使っていたブラウン管ディスプレイは、もう少し味のある表情をしていたが。たとえばこのHPのバックに使っている薄緑の背景は、本来ざらっとした 、 麻布を思わせる感触を見せていた。デジタルカメラとフイルムカメラの写真の出来上がりに似ているだろうか。今はあの象の鼻のような長いブラウン管が懐かしい。

ブラウン管で思い出した。光の三原色をビームで投影して表現していた「象の鼻」は、焼き付けを防ぐために「スクリーンセーバー」なるものを、画面に流していたことを。
1980年代の終わりから90年にかけて、そうあのバブルの時代です。ワープロからパソコンへと一気に流れが変わったころだった。
田舎の町にも波が押し寄せてきて、二店舗あるスーパーの一角に、パソコン売り場できたのだ。例えばそのスーパーの名前を「イズミヤ」と「オータニ」とすると、双方競ってパソコンを並べ たて、あっちの店には「遅れを取らないぞ」という意気込みを見せていた。
そこでわたし、いたずら心がムクムクと湧いてきた。「イズミヤ」に展示してあるパソコンのスクリーンセーバーに「お買い物はオータニで」。「オータニ」の売り場のパソコンには、「お買い上げありがとうございます。イズミヤ」と設定して逃げ帰ってきたのだ------。

ほらほら、いつもの行動から本気にされるじゃないか。(と心の声)
本当はイズミヤでは「イズミヤでお買い物を楽しんでください」と、オータニでは「本日はありがとうございます。オータニ」と流しただけだけどね。

        里山の暮らし659 2022.5.29

        
 

 

  ふたたびあらわる。生き返ったソフト 『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる 』の気分だ。

新パソコンに、20年物のソフトをインストールすべく奮闘3週間。かくのごとく一見旧スタイルのまま復活した私のHP。

そのたびに変わっていく認証の設定(約15種類、セキュリティが強固になったW-10です)をかいくぐり乗り越え、中途までインストールできるが、
「データソースの設定に失敗、レジストリでコンポーネントが見つかりません。」
「必要ファイルをダウンロードしてください」と出てくる。(必要ファイルって何か分からない)ソフト自身が今までインストールしたファイルを自動的に削除してしまう。進めない。うう----。

ある時(これを最後にしてあきらめよう)と、思い切って「無視」をクリックしてみたら、なんと「成功しました」と表示された。
釈然としない。無視されたOSはどんな気持ちでいるのか。「無視」で解決した問題っていったいぜんたい、そもそも問題だったのか。ともあれ、成功には変わりがない。32ビットも64ビットも関係なかった。 考えてみるとCPUが扱う情報量が増えるだけだった。

だが、今回の結果に拍子抜けしてしまった。サーバーとの契約は続いているので、この際新しいソフトを手に入れて、内容そのものを新しくしようと意気込んでいたのに。振り上げたこぶしのもって行き場がない。
ああ、あとはファイルを転送するffftpを最新にして、ハッカー対策をしなくては。

外は5月の空が広がっている。デルフィニュームが満開。深いブルーのミナレットを立てている。

 
   
      里山の暮らし658  2022.5.26

        


 

      今年の春のうつくしさはかくべつ
明日、5代目のパソコンがやってくることになりました。カメラとマイク、スピーカー付きなので、いままでのようにカメラもマイクもなく、手製のスピーカーを使って のZoom会議参加という肩身の狭い思いをしなくても良くなるのです。
 (パソコンを使って40年。一台が平均10年の寿命だったと思うとなんだかしみじみしますね)
問題は2003年版のHP作成ソフトが上手くインストールできるかです。なにしろ64bit機に入れるのは初めて。いままでもさまざま問題を起こしているソフトなので、あるいは 「OS+64bit」と喧嘩をするかもしれません。相性が悪いのは重々承知なのです。なにしろ古い!(上位互換だから大丈夫 とは考えにくいのです)
連休明けまで「里山の暮らし」が更新されなかったら、おいでいただいている皆さん、私のHPは657番をもって終了したとお考えください。
長い間のご愛読に感謝いたします。

      結果、64bitでの動作は不可能でした。(4月24日)
      新規まき直しを図るか、このまま諦めるか。思案中。(旧パソコンを臨時に繋いでアップしました。)
 
午後、周囲を一回りしてきて、山菜を収穫してきました。ハリギリ、シラキ、タラノメ、ウド、自生のセリなど。今夜はさっそく天婦羅にします。これこそ田舎暮らしの醍醐味でしょうね。
 シラキとタラノメ     
    姫林檎の花とつぼみ。うすべにいろが可愛らしい    
   東の庭は花ざかり
     裏庭の三本のやまざくら ----自慢です。   

       里山の暮らし657  2022.4.24
        


       
 Anne with an “E”    『アンと言う名の少女』を観て

L・M・モンゴメリの小説『赤毛のアン』(1908年)を原案としたテレビドラマシリーズ。
2017年カナダCBCとNetflixにより共同製作され、NHKで2021年9月から2022年3月までシーズン1から3までの全27回が放映された。その後制作そのものが中止されている。
シーズン3で制作を中止した理由は「CBC側の判断で、長い目でカナダの産業の害になるNetflixとの共同製作はやめる」らしいが詳細は不明。モンゴメリの作品群を批判することもあったらしい。最近製作再開を願う声が上がっているようだ。

*2022.4.24日 日本経済新聞朝刊記事より
「ネットフリックスの高成長が転機を迎えている。コロナ感染も落ち着きを見せ、消費者の選択肢が広がり、会員数が減少している。コストは更に広がる。世界的なインフレの影響など、経営環境が悪化している」
カナダCBCはこれを問題にしたのか?あれこれ考えると興味深い。

長丁場だった。録画しておいた27回分を4月になってようやく見終えることができた。
忘れないうちに印象を書き残しておこう。

  NHKのHPからお借りしました。 ありがとうございます。

いろいろと考えているうちに、長い文章になってしまったので、別ページを用意しました。
 

      里山の暮らし657  2022.4.17

         

 

      鯉のぼりが川風に舞う

  

ここは那須連山を発し水戸まで流れ下る那珂川(全長150q)の源流の木の俣川の流れ。下野の名湯「板室温泉」の近くを流れる、夏には河鹿蛙が鳴く清流だ。
春、桜を待って両岸に渡されたロープに鯉のぼりが吊るされる。今日はお花見がてら見物に出かけてきた。
まず片方の川岸に立てられたポールに、太くて長いワイヤーロープが取り付けられる。ポールの基礎はコンクリートで固められているのはもちろんだ。対岸までの60mの地面を----この場合水面も含まれるが、ワイヤーロープを通して いく。
この時点ではロープはたわんだまま。川の流れの中をロープが横たわっている。そのロープにフックをかけ、順に鯉のぼりをかけていくのが手順らしい手順ではあるが。
ロープは水の中にある。胸まである防水服を着た作業員が、流れに逆らうように鯉のぼりをひとつずつ掛けていく。
単純なようだがなかなか難しい。水の抵抗は一時のものだが、空を舞う鯉のぼりが受ける空気の圧力を考えて、バランス良く吊るさないといけない。

対岸に渡されたロープを、クレーンで引っ張り、適当なたわみを含んだ鯉のぼりが空を登っていく。
音を立てながら風が吹き、鯉のぼりは空を泳いでいる。
この季節の風物詩。風も鯉のぼりのしっぽも詩を奏でている。

 * 左上の茶色い建物は蕎麦屋さん。BのメンバーTさんと一緒に蕎麦湯まで楽しんだのは、もう4年も前のこと。
 * 河鹿蛙 ----普通はカジカと呼ばれることが多い。鳴き声は鹿に似ている。清流の歌姫。

      里山の暮らし656  2022.4.14

         

 

 

      今年はカエルです

ハッカクレンをアマガエルだと思ってしまった次の日、今年の那須野が原博物館の自然調査のテーマは、去年のセミ調査に続いて「カエル・蛙」とのお知らせがあった。なんだかこの共時性に驚いてしまう。
よしよし。今年の楽しみが一つ増えた。周囲に目配りして記録するなんて、刺激の無い毎日にピッタリのテーマではない?        調査機関は 2022.4.1〜11.1. まで。


主に情報を募集しているカエルはこれ。

 ニホンアマガエル (日本雨蛙) よく見るあの小さい蛙。いつも眠そうな顔をしている可愛い子。

 トウキョウダルマガエル(東京達磨蛙)
トノサマガエルによく似ているとあった。いままで知らなかったが、栃木県にはトノサマガエルがいないらしい。指に吸盤が無 いって、この種類はどうやって木登りをするのだろう。おまけに「尖った鼻先」が特徴的だとのこと。カッコいい鼻って、誰かに似ていない?
 アズマヒキガエル(東蟇蛙) あのヒキガエル。関西では「ヒキ」と呼んでいた。毒を持つので気を付けよう。見るだけよ。
 ウシガエル (牛蛙) うるさいヤツ。ゴーゴー夜中に騒ぐヤツ。
特定外来生物に指定されているので、本来は捕獲の対象なのだが、どうやってアイツをつかまえる?  ガビチョウも同じ特定外来生物の一種。

   
     那須野が原博物館  <http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/>
 


   
アマガエルが正装しているのか --- 乳母日傘のハッカクレン
     八角蓮  メギ科ミヤオソウ属

あれあれ。あらぁ。庭の隅にアマガエルがタキシード着て正装しているような新芽がのぞいて驚いた。緑が強く、日差しをあびてピカピカ光っている。これから花になるはずの丸い珠さえ出そろっていた。
「小さいテントを張っているみたいだ」
「テントを張って何をする?」
「コロポックリがサーカスをするみたい」とあほな会話を交わす。

緑の葉を何重にも重ねて、大切につぼみを寒気から守っている。その緑の塊が日差しとともにゆっくりほどけてきた。
これは八角蓮。これからぐんぐん葉を広げ、赤紫の花を咲かせたあと、丸い大きな果実を実らせるはず。漢方で解熱剤として利用されるようだ。葉を広げた時の存在感は半端ではない。
「八とは多いを意味するので、葉は時に5角だったり9角だったり、自在に変化していく。

  

   里山の暮らし655  2022.4.8

         

 

   野田知佑さんが亡くなった  ---- 川の ひと 自然のひと

 野田知佑(1938.1.2〜2022.3.27)日本のカヌーイスト、作家、エッセイスト。
日本のリバーカヤックツーリングの先駆者で、日本を始めヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の川をカヌーで旅する。雑誌の記者を経て作家となり、川・カヌー・環境問題に関する著書を多数発表。長良川や吉野川河口堰反対運動にも参加している。以下略 Wikipediaより

『日本の川を旅する』1982年第9回日本ノンフィクション賞を受賞したころからの愛読者だった。特に雑誌『BE-PAL』が手に入ると毎号舐めるようにしてその独特の文体を追ったものだった。
知られているのは椎名誠との深い親交で、椎名誠は野田知佑をカヌーの師として仰ぎ、野田さんのカヌー犬ガクを通じての交流は数々の著作や映画によって詳しい。

ちょっと冷たく書いてはみたが、実はショックを受けている。1980年代から著作を読み、エッセイを味わい、その軽妙な語り口や自在な生き方に惹かれ続けてきていたからだ。

初期の作品で特に印象に残っているのは、
『日本の川を旅する』、
『大自然を旅する カナダ・ナショナルパーク・キャンピング 1984年
『のんびり行こうぜ』1986年
『北極海へ』1987年

これらの本を読んだ若い日から30年後の秋の初め、アンカレッジ経由でアラスカにはいり、ようやくユーコン川の川岸に立つことができた。 著作を通して野田ワールドへの思いが強かっただけに、流れを目にしたときはただそこに立ちすくむことしかできなかった。野田さんの精神の一端を共有したような思いで胸が一杯になった。
憧れていたユーコンは、穏やかな丘のつながりの合間を川幅広く緩やかに、あるいは激しく白く流れくだり、流れの方向を自在に繰っているかのよう な表情豊かな川だった。

  『川を下って都会の中へ』1988年
  『ゆらゆらとユーコン』1989年
  『川を考える』1992年 藤門弘との共著
  『川へふたたび 野田知佑カヌー・エッセイ・ベスト』1993年
  『北の川から』1994年
  『雲を眺める旅 アラスカの川辺から』1996年
  『カヌー犬・ガク』1997年
  『ユーコン漂流』1998年
  『少年記』1999年
  『世界の川を旅する』2001年
  『ユーコン川を筏で下る』2016

野田さんが自然保護のために長良川や吉野川河口堰反対運動に参加していたこと思い出している。同じ反対運動に参加したカヌーを楽しむ友人によると「野田さんがカヌーに座っているだけで、オーラが立ち込めていた」。らしい。
  『ダムはいらない! 新・日本の川を旅する』2010年
この「オーラを放つ」感覚については、あの冒険家・植村直己さんと同じ山岳会に所属していた友人も同じことを言っていた。「無口だけど、ただそこにいるだけで光を放っているようだった」と。光は精神の強さの表れなのか。
反骨精神と世界に羽ばたく精神とが同居し、自分が在る場所と生き方を納得して選びたいという意思を感じさせてくれる人だった。

コツコツと日々地味に働き、時に大勢に適応することを選び、子供の自立に心をくだいてきた私の憧れの存在だった。時間軸が違っているような世界に生きる人だった。私が今立っている現在の場所から飛び出して、新しい世界を経験することができるのではないと希望を持たせてくれた貴重な存在だった。

最後の作品は『ナイル川を下ってみないか』。
砂漠の土が流れこんで堆積した浅瀬や、カタラクトと呼ばれる淀みを乗り越え、ナツメヤシ林の広がるプランテーションを眺めながら、モーゼが乗せられたゆりかごのように流れてみたい。 大きなクルーズ船では味わえない、身近な小さな経験を胸の内にしまっておきたい。 ああ、この気持ちは良く分かります。

  カタクリが花弁を反らせながら咲きはじめた。種から育てて約7年。向こうはつぼみ 。


  パソコンの前のいつもの椅子からこんな景色が見える。

       里山の暮らし654  2022.4.3

         

 

   桜に後れを取ってしまう   ----不要品を処分しよう 

「いいですか。途中で沈没しないこと。いくら過去が懐かしくてもそこに溺れてしまうと、作業が進みませんよ」という私の中の別の私が、私自身に言い聞かせる。
「了解です」やや気弱に応える私。

始めてみたが、やはりというか予想通り滞ってしまった。
春の大掃除の始まりはまず収納場所からすべてのものを引きずり出すことから始まる。心を「モノ」に感応させないようキリキリ手を動かして、要らないものを分別していく。いくつ か袋が出来上がっていくので、迷わずガレージに置いておき、次のゴミの日まで目に触れないようにするのがコツ、と過去のいきさつから学んでいるのだが。

和室の奥から何やら怪しい箱が現れてきて、箱の上の覚えのある筆跡に驚いた。
「不用品、廃棄のこと」ここまでは良かった----その下に小さく「おそらく捨てられないだろうから、次回まで保存しておこう」とあった。私、私を良く知っている----。

さて、桜が咲くまでに大掃除を済ませるには、いったいどうやって心のけじめを付けたらいいのだろう。思いのこもったモノに対する執着はどうやって捨てたらいいのだろう。今暮らすのに必要なものは当然残すとしても、数年間使っていないものは処分すべきだろうか。
日差しが日に日に暖かくなるこの時期に、いつものように迷う私。きっぱりとした私はどこにいるのか。
 いないのだよ、きっと。   (お富さん。どうやってそんなに割り切りができたのですか。)
 

   イチリンソウ、ニリンソウ、サンリンソウ  サンリンソウは珍しい



これはキクザキイチリンソウ(菊咲き一輪草)  イチリンソウはイチゲ(一華)とも呼びならわす。
      寒いなか葉と花茎をもたげてきたので、紫外線から身を守るために、赤み(アントシアン)がかかっていた。
    次第に緑色の葉に変化してきている。
 
庭のあちこちからイチリンソウが花を開いてきた。キクザキイチリンソウ、イチリンソウ、アズマイチリンソウ、そしてニリンソウたち。みんなよく似ている。葉っぱの違いで見分けるが、咲く順番で見分けるのも一つの方法。
みんな可愛い春の先兵。 スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)の仲間たち。
 
    
   左は イチリンソウ  右はニリンソウ     丸弁の花はよく似ているが、葉の形に違いがある。

    これが [バターカップス] の苗 庭中に増えて困ったことだ。

    里山の暮らし653  2022.3.30

        

      42年目のしおり

初めてカナダの地を踏んだのは、いまから42年前の7月のことだ。ロスアンゼルス経由でバンクーバーに飛び、大陸横断鉄道に乗ってジャスパーへ。そこで車を借りてエドモントンからバンフへとドライブした。もちろんカナディアンロッキーの山を見ることと、鉄道に乗ることが一番の目的だったのは当然だけど。
  (ロスの空港で、バンクーバー行きのチケットがダブルブッキングしていたのが判明した!
    カウンターのお姉さんの機転で次の便を確保してもらい、
     「あなたは天使ね」とお礼を言う。(ロサンゼルス Los Angeles 天使たちの町)

その折に買った絵はがきをこの42年間ずっと本のしおりとして使っている。
端は毛羽立ち、しなしなと力なく本の間に挟まっているしおり。本からすこしはみ出すようにいれて、サイドテーブルの上に置いておく。ぐっすり眠れるおまじないのようにお気に入りの本を数ページ読んで、それからロッキーの写真を眺め旅の思い出を反芻してから電気を消す。こうやると「たまにロッキーの夢」を見ることもあって、次の朝はしあわせ。


1980年の夏はまだまだ観光客は少なくて、「空室あり」の看板を目当てに、当日の飛び込みでモーテルが取れた。4人分の大きな部屋が30ドルから50カナダドルと安い。

ジャスパーのスカイトラムで登った頂上には、シュタインベックが群れていて、なれなれしく近づいてきた。

レイクルイーズと散歩道、オニゲシ。カナディアンカヌーを漕いだが、あまり進まない。ぐるぐる辺りを回ってばかり。

マウントロブソンのトレイルを歩いた。氷河からのシルトを含んだ水は集まって流れくだる。あまりの急流なので、じっと見ていると酔いそうになる。苺の実を見つけた。

コロンビア・アイスフィールドは氷河が宿のすぐ近くまで来ていた。今は数百メートルも後退しているらしいが。
(何と飛び込みで氷河が見える部屋が取れた!)


マリーン湖のなかのスピリットアイランドには、『赤毛のアン』の作者が一番好きだというリンネソウが地面にびっしり生えていた。ふふ嬉しいな。


     
アサリの貝殻を花壇に
    トンカチでとんとんつぶして肥料にする。ニワトリがいれば喜ぶのに、さすがの私もニワトリを飼えない。
                           (貝殻を食べさせると、卵の殻がしっかりするのです)

昨夜の献立は、ブリの照り焼き、アサリのお吸い物、天然芹のお浸し、長ねぎとカニカマのぬた。それに血液サラサラ納豆。 これでは茶色の食卓なので、カボチャを薄切りにして焼いたあと、アルミ箔に包んでトマトソースを少しかけ、チーズを乗せてトースターに。(これは味変に)そしてデザートはオレンジ。長ねぎは8本で130円と大阪では考えられないほど安い。せっせと食べる。


向こうの緑はワイルドストロベリー。熟すと美味しい。

     里山の暮らし652  2022.3.26

        

    初すみれ   ---- 初すみれウクライナの色咲かしめる

   

コスミレ 小菫   葉の色、花色に変異が多くて悩まされるスミレ。
嬉しいことに学名は V.japonica     花の色や側弁基部の形などによって、さらに細かく分類される。

草丈は5〜10センチ。私の庭では春一番に咲くスミレ。砂利の中からいつの間にか花茎を伸ばしていた。明日は北風が吹いて、関東北部では雪の予報が出たというのに、今朝丸まっこい花を開いた。
石垣イチゴと同じように、小石のなかに根を下ろしたせいか、地温が上がったようだ。
こちら、梅が三分咲き。これから桜が、さくらが咲く。 

    
              明けて雪の朝。 左上はうなだれているキクザキイチリンソウ。    

     里山の暮らし652  2022.3.22    

        

 

   地鳴りがした     2022年3月16日 午後11時36分  わが家では震度5マイナス

小さく「ごぉぉ」っと地の底から聞こえてくるような音がして、あたりの山がこちらになびいてくるような空気の流れを察知したとたん、地震が起きた。この感覚は、阪神淡路大震災や東北大震災の時と同じだ。今回は夜中なので、揺れに敏感な雉が鳴かなかった。

 ・11時36分50秒から55秒 地鳴りがした。
 ・     55秒から37分20秒まで東西の揺れ
 ・11時38分40秒から80秒間 上下動があった
 ・日付が変わり、12時55分から30秒間 微震があった。

飛び起きてテレビを付けた。震源のマップが示され、津波到着中のテロップが流れる。震源は陸地に近いようだ。
アナウンサーの声が裏返って、慌てるさまが見て取れる。「落ち着いてください」とテレビに映るアナウンサーに声をかけたけど、これは役に立っていない。昨年2月の地震と違って、停電が無くてさいわいだ。

わが家は那須山麓にある。扇状地の砂礫層の上に火山灰土が降り積もった土地なので、砂礫が自然の免振装置そのものの機能を果たしている。したがって地震にはめっぽう強い。
一人暮らしのお隣さんには、夜が明けてから電話しよう。明けて朝、壺の中に住んでいる私には、周囲は昨日と全く変化がない ように見えるが、一歩出ると広い世界は被害が大きかったようだ。

  
  震源地は福島県沖 牡鹿半島の南南東60km付近 最大震度6強 マグニチュード7.3 震源の深さ60km

    春の雪が  彼岸の入りに寒いのはあたりまえ  3.18
 

    里山の暮らし651  2022.3.17    

        
 

    Kさんへの手紙 『日の名残り』とカズオ・イシグロ作品について
              (Kさんは植物探索のお仲間。去年150通のメールが往来した)

 カズオ・イシグロ著、『日の名残り』をお読みになっての感想を受け取りました。kさん独自の視点があることを思い知り、大変興味深く拝読いたしました。
先日、それに対する私の印象をお送りするややいなや、すぐさまお返事が返ってきました。返信までの時間の短さから、Kさんの実直でかつ気の早いご性格を改めて感じた次第です。
ありがとうございました。(笑いと共感)しかしこのメールの往復は「山羊さん郵便」のようですね(更に笑い)

確かに、私が『日の名残り』に関して、
「かつて共に働いた有能な女中頭ケントンから手紙を受け取ったスティーブンス。去っていくミス・ケントンが乗るバスを見送りながら、あるじに忠実過ぎておのれの人生を誤ってしまったと霧のなか泣く。男の人が泣くシーンでこんなに悲しい表現を見たことがありません。」

こう書きましたが、この「誤り」という表現は稚拙だったと思い返しています。執事スティーブンスは過去の人生において、ほかに選ぶ道があったかもしれないのに、と回顧しているのでしょう か。そこにいささかの後悔があったかもしれません。しかしたとえ過去に返ることができたとしても、 やはり与えられた役割を果たそうとして、執事という四角な箱の中に必ずや自身を入れ込み、同じ道を選ぶだろうと思わせてくれます。
男性はこういう場面では自分を否定したくないがゆえか、おのれの来し方を受動したがるものという習性を忘れておりました。
戦後のイギリス社会で、執事としての役割を父親から教え込まれ、それを自尊の源としていたのに、世代が移りアメリカ人の主人にはその考え方を理解してもらえない。その葛藤がミス・ケントンとの別れに噴き出してきたものではないか。と今は考えています。感情を押し隠して過ごしてきた過去を思い出したのかもしれません。
最後の「アメリカ人が喜ぶジョークを考えよう」とする主人公の言葉が、旧世界イギリスでの執事という立場を、悲しくも可笑しく象徴していますね。

カズオ・イシグロに取ってこの『日の名残り』と『私を離さないで』が現在までの代表作だと思います。いずれも土屋政雄訳で、まるで著者が憑依したかの訳文には、胸を掴まれるような感覚を持ちました。
最近ファンタジー作品を何冊か発表しています。カズオ・イシグロが目指すものはなになのか? 興味ありますね。

さて今日の本題です。
何年か前「ノーベル賞作家 カズオ・イシグロの文学白熱教室」をNHKの番組で見ました。「なぜカズオ・イシグロは本を書くのか」。本人の論理はKさんのおっしゃる「事実と真実とは違う。小説は事実ではない。しかし小説にはある種の真実がある。」だったのを思い出しました。さらに人間としての感情(心のあり方)を読者と分かち合いたいからとあったのを。

このことを初期の作品群を読んだころからずっと考えていました。「事実は真実に含まれる」と。その事実そのものから何かを感じて、自分の体内に取り込む。魂に変化を与える。そして作品を読むことによって自分の感情を、他人のそれと共有し、理解し合うことができる 。」
人間には身体性が必要なのでしょう。つまり他者との交流です。そこに文学を読む醍醐味があるのではないかとも感じます。
それに脳の働きのなかに、「過去の記憶を書き換える、捏造する」があることに思いが至りました。脳はどの事実や虚構からも真実を汲み取ることができるという側面を持つからです。
文学、単純にいうと小説を読むのはなぜなのか。それは文学を通して他者を知り、そこから反映してくるものを通しておのれを知り、新しい世界を知ることができるから。人間の不可解さを知り、芸術の香りを利き、生きて行く上の疑問が解けて霧が晴れ、眼前に新しい景色が広がる時、Eureka!と叫ぶめったに無い喜びを得るために私は本を読んでいるのだと。
知ることは喜びです。科学も地理も学際的に広がる内容の本も、たとえ到達できる頂きが低くなだらかであっても、その頂きを目指すときは直登あり、ジグザグ道あり、回り道ありなのですね。たとえ頂上を目指さなくても裾野で自然とたわむれるのも良きかな。 ---幸せの閾値は低い方が、幸福感を感じやすいでしょうから。

以下、Kさんの言葉を引用させていただきます。
>今まで「それは事実ではない」と小説の矛盾点ばかり指摘して小説などとある意味で放置してきた自分の半生に悔悛を覚えさせたひと時だった。

この文を拝読してようやく理解できました。わが連れ合いと同じです。なぜいわゆる文学作品を読むことに気が進まないのか----彼の中にKさんと同じ感覚が息づいているのに気付きました。新鮮な思いでいます。気づきを与えてくださって、ありがとうございました。

啓蟄を10日あまり過ぎてようやく春の雨が降りました。
早咲きスイセン「ラインベルト・アーリーセンセーション」が5分咲きです。黄色く風に揺れています。
これからアイスフォーリス、マウントフッドと続き、最後の遅咲きキャメロットで水仙は打ち止めになります。
水仙3千本。3千本以上の水仙が波打つさまは心躍る光景ですから、年に一度の我が家だけの水仙祭に、高台から下りてどうぞお出かけください。晴れた日に。
      
      水仙はみんな東を向いている。   ラインベルト・アーリーセンセーション

       里山の暮らし650  2022.3.16 

        

 

    捕食者は猫か?

花鶏(アトリ)の羽根がが庭に落ちていた。喰い散らかされて残った羽根だけが。アトリが犠牲になったようだ。
こういうことは片方からのみ考えてはいけない。生きるために食す。これは生物の宿命なのだから。
 
  今日はそのせいか野鳥があまりやってこない。警戒されているようだ。  アトリ (スズメ目アトリ科)


  
トップギアで走らないで

さて庭の東屋(ガゼボ)の屋根の水漏れの修理という春の大仕事が始まった。いま設置してある樋をはずし、導水用の仕組みを取り外して横板をサンダーで削り、ペンキを塗る。そのあと新しい樋を取り付ける予定だ。昨日は(相棒が大好きな)ホームセンターへ行って材料を調達してきた。材を前に嬉しくて精神が高揚し、夜も眠れなかったらしい、遠足の前の小学生のように。
こう書くと簡単に見えるが、何しろ花粉が飛ぶ春の空を見上げて作業するのは疲れる。脚立を二つ立て、間に足場板を横に渡し、その上で作業をするのだが、ゴーグルをしているせいもあって動作が緩慢になる。足元がおぼつかない。
腰痛持ちの相棒の性格は、持って生まれての「猪突猛進」型。お願いだからトップギアで走らないで。ゆっくり、3月末まで、桜が咲くまででいいから仕事を進めて。

 冷や水を飲む 安全確保

 

      ドングリ3月芽出し隊 ---- これが10月隊まで続く

これはコナラのドングリ。ドングリとは主にブナ科の、特にカシ、ナラ、カシワなどのように殻斗に覆われている堅い果実のこと。
朝の気温がマイナス5℃に下がる朝が続いていても、しっかり夏に向けての準備が進んでいる。まず赤みを帯びた主根を出して体を固定し、おもむろに双葉を広げる。あとはひたすら太陽と水を待って生長するだけ。
これは3月発芽の果実。ところが庭のあちこちに散らばっているドングリは、順にその根を目覚めさせて発芽の時期を待つ賢い戦略を採っている。つまり、4月隊、5月隊---10月隊のように。周囲の環境の変化に対応し種が生き延びるように時差を付けて発芽していく。これが10月まで続く。

一旦根ざして双葉を広げたドングリを引っこ抜くにはとんでもない力が要る。「大きなかぶ」のように、他の人の手を借りたいくらいなのだ。だからこの発芽途中のドングリを見つけたら、すかさず抜くことにしている。可哀相だが仕方ない。

     ♪ どんぐり ころころ どんぶりこ おいけにはまって さあたいへん 
        どじょうがでてきて こんにちは ぼっちゃん いっしょに あそびましょう ♪ 
               (詞:青木存義、作曲:梁田貞 大正時代の童謡)

この童謡を「どんぐり ころころ どんぐりこ---」とずっと歌っていた。正しくは「どんぶりこ」なのです。
皆さんは?こんな勘違いをしませんね。

 緑は杉苔 

       里山の暮らし649  2022.3.11  東日本大震災の日

        

 

 

  からっぽのおなかは、早く目覚める 18時夕食--6時起床+朝めし前の仕事--7時半朝食 13時間半の空腹 
  
花粉が飛んでいるが、思い切って9時から2時間半、庭の苔とり(植物に覆いかぶさっている苔を取り除く)と草取り。水仙の芽が大きく伸びてつぼみを付けている。傷めないように気を付けながらの仕事なので、手間がかかる。地面はまだ凍ったままなので 、足元から冷えないようにウールの厚い靴下を2重に履き、相棒の大きな長靴で作業 をした。今朝は予定していたよりもハカが行った。達成感を感じる。草取りは、基本好きだ。
思うようにならない暮らしのなかで、作業の結果が目の前に現れると気持ちがすっきりする。


  
現金を家に置いておくことに

「泥棒が入っても、取っていくのは相撲だけ」と笑い合うほど家の中に現金を置かない生活を続けてきている。しかし1995年1月の阪神淡路大震災、2011年3月の東日本大震災、それに震度は小さいものの、たびたび起きる地震 や台風を経験しているうちに、 私たちは以前より用心深くなってきたようだ。 それに活断層が50キロメートルの所に存在することを知ってからはよけいに、もやもやした不安を抱えるようになった。

税金の支払いや家計にかかる費用は、ほとんど銀行振替にし、食料などの日用品購入はは来月払いのクレジットカードを使っている。簡便だしレポートが家計簿の代わりになるからだ。だから普段の暮らしで現金が出ていくのは、産直や道の駅の野菜を買う時で、現金はほんの数万円を手元に置いてあるだけ。

ところが、この冬考えた。もし不測の事態----政変、地勢リスク、首都直下地震、噴火、南海トラフ地地震と言った日本を取り巻く環境が大きく変化したらどうなるか。大停電が起きATMが動かない、クレジット機能が使えないという状況に陥ったらどうなるかと。 その時物を言うのはアナログの現金と生活物資の現物だろう。
   (アナログの人間関係で助け合うという方法もある、これは大事だ)
不便なところに住んでいるせいもあって、私はミニマリストではない。水や洗剤や紙製品などは半年分、 基本的な食糧はひと月分くらいを備蓄してある。ガソリンはタンクの半分まで使ったら、補充すると決めている。コロナ禍でこの習性が役に立ったこともあった。
思い切って生活費3月分を現金で家庭用金庫にしまっておいた。これで 少し安心。

安心したのも束の間、次の日の新聞に「ロシア、ウクライナに侵攻」の記事が載った。世の中とは予測しがたいものだ。 にわかには信じられない。第二次世界大戦以後の、ヨーロッパでの戦争に発展する可能性に言及する識者もいて、メディアもそれに追随している。
もう40年も前になる。エクアドルに滞在していた1983年春から夏へかけて、フォークランド紛争(Falklands War)、スペイン語では「マルビナス戦争」(Guerra de las Malvinas)が勃発した。政府はアルゼンチンへ友軍としてエクアドル兵を派兵し、当時の友人知人のお連れ合いが、何人も招集に応じたのを記憶している。全くの当事者ではなかったものの、緊迫した世情を経験した。
このロシアのウクライナ侵攻に反対するために、私は何ができるか、あるは何をしないほうがいいのかを考えよう。

 

     北帰行の前に  2月26日 鳥見遠足

あまり天気がいいので、庭仕事は休み。大田原市の羽田沼に、白鳥を見に出かけた。
白鳥は一旦つがいになると、一生連れ添う。(その点、オシドリとは大違い!)
この家族は珍しく、雛を3羽連れている。父ちゃんと母ちゃん頑張らなきゃ。後ろはオナガガモとホシハジロ。
  オオハクチョウ 

白鳥は地上では首を振り振りのそのそ歩く。とても人懐こくて、この親子は沼から上がって 私たちがお昼を食べているのに近づいてきた。お弁当の中身に興味津々のようで、順に長い首を伸ばして覗いてきた。苺でも投げてやればよかったかな。
籠ぬけのコブハクチョウだと寄ってきて、お弁当を盗んでいくが、この沼にはいないから安心。
(コブハクチョウは、遠慮なく寄ってきてくちばしをポケットに突っ込んでみたり、バッグの中身を漁ったりする。
  甘噛みしてきて、口の中は柔らかい鋸のようだ。が結構痛い。)

   マガモ   カモ目カモ科
  マガモの雄  頭の色は「構造色」
おのれの美しさを知ってか知らずか、つがいの相手と共にじっとうずくまり、今、この時を自然の中で生きている。

3月になると鳥たちはダイエットを始める。身軽になって遠いロシアを目指すためだ。親鳥は北帰行に備えて雛に羽ばたきを教える。雛たちが北への長い旅に耐えられるか。3月は体力、筋力増強月間----この沼に白鳥が見られるものあとひと月。

マガモの頭は、この画像では青緑?だ。しかし光が当たる角度によってその色彩が変化して見える。ある時は紺色に、日陰では黒に、日が当たると輝くような青に 緑にと。
この見かけの色の変化はマガモの羽が持つ本来の色素の変化ではなくて、ある波長の光が分光し特定の色のみを反射することでおきる現象 らしい。色素は特定の色以外を吸収するのに対し、構造色は特定の色を反射することで色がついて見える。
ほか、この構造色はコンパクトディスクやシャボン玉、カワセミ、タマムシなどでも見られる。

きれいだ。(しかし、鴨鍋はこのマガモが本来の材料で、市販されているのはアヒル、または合鴨。
        ああ、聞かなきゃよかったか)   

        里山の暮らし648  2022.3.3 ひなまつり

        

 

     ふるさと、雪のなか

年明けからはことに北からの寒気の流入が激しくて、日本海側から北海道にかけて雪が降り続いている。海を持たない国・栃木県も、会津山脈 で隔てられているとはいうものの例外ではない。標高425mの わが家の上にはいま、小さい雪、線状の雪----ささめ雪が降っている。 日が登ったあとも気温が下がり続けているせいだろう。
あまりに小さくて、凍った手袋で受けてみてもその六花の結晶は見られない。ただ空から落ちてきた、というしるしが見て取れるだけ。

風が吹き、雪が舞った。目の前が白一色になり、広がる白い空の中からぼんやりと、雪国に住む義理兄夫婦への思いが膨らんできた。
時間を見計らって電話してみて、まず尋ねるのは、「電話口は寒くないですか」。
明るい声が返ってきて安心した。
「40センチくらいかな。私、80歳過ぎて除雪機を運転しているよ」。と義姉。やや残る訛りさえ懐かしい。暮らしが沁み込んでいる言葉が返ってくる。すっぽりと雪に覆われた家の中は、想像するより暖かいようだ。それに記憶にあるあの頃ほど雪が降ってはいないらしい。

あの頃------結婚して初めての冬のことだった。「ぜひ新潟の雪を見せたい」と出かけた夫の生家で出合ったのは雪。ゆき、一面の雪。
部屋は雪を反射して明るいものの、居間の窓からは見えるのは外の景色ではなく、高く積み上がった雪の壁だけだった。あの時は積雪3メートルくらいだったか。窓と雪の壁の隙間から、斜めに見上げると、ようやく空が見えた 。空はやはり雪に紛れるような銀色だった。

夫が子供のころは、庭が雪に閉ざされてしまい、玄関から続く雪の階段を上り下りしたらしい。雪の階段どころか、二階から出入りしたこともあったのだから 、一体どのくらいの雪が降ったのだろうか。
子供たちが朝食を摂っている間に、父親が本通りまでの1キロの道を長靴で踏み固め、学校ヘの道を確保していたらしい。

  (夫によく似た顔かたちの義父が、寒そうに背を丸めて雪を踏み固めていく様子、
    胸まである雪の道を、とんがり帽子の防空頭巾をかぶって学校に通った兄弟たちを思うと、
           いたいけで、なにやらあわれでいとおしく、胸が締め付けられる思いがする。
      まるで小川未明の童話の世界のようだが、日々のの暮らしを送るのが大変な環境だった)
あの時の兄弟が古希を過ぎ、傘寿を過ぎて老いの道を歩いている。

どうしてしまったのだろう、こんなに後ろを振り返ってばかりいるのは。時の流れに背を向け、過去を目の前にし、あとずさりしながら未来に向けて歩いているようではないか。
コロナ禍ももちろんだが、この数年間ゆるやかな喪失が続いている。過去を思い出し、昨日と同じ今日も、そして続く明日も今日が続いていると思いたいのかもしれない。
よし、西の空が明るくなってきた。この雪もそろそろ降りやむだろう。

            ← 防空頭巾 戦後も長く使われていた
   除雪機
 画像は、株式会社ヤンマーのHPからお借りしました。  
 ヤンマー? みんな知ってる天気予報の「ヤン坊ニン坊」のヤンマーです。

          里山の暮らし647  2022.2.25

        

 

   頭を叩くと脳みそが減るよ  ------子供のころこう言われた

実に長い間こう信じさせられていた、「脳細胞は、日々死んでいく」と。
なるほど、このところうっかりミスが頻発し、何かを探しに行って、何を探しにきたのかを忘れることが多くなった。物の名前が出てこなくなっている。これはいつものこと で仕方ない、脳細胞は死につつあるのだからと、衰えをごまかしてきていた。

このコロナ籠りの中で、はまってしまったことがある。「あほなアタマやなぁ」と日々感じているので、どこかにそのあほの進行を止める方策策が見つかるか 、と辿っていくうちに、脳科学に行き着いたのだ。
正月からこっち、脳に関する本を読む冬を過ごしている。

『生命知能と人工知能』(高橋宏友著 講談社刊。
それこそ脳に染みわたるように面白かった。 だがこれは難しい。再読、再再読の必要がありそう。ただし、かねて考えてきていたこと----「人間の脳は高度なシステムをなし、過去を記憶し未来を予測する。幸せに現在を生きる ために脳は最適解を求めているのだろう。したがって科学の成果を追求し、神を創造することはその目的に合致するもので、脳の同じ働きからきているのではないか。かのオウム真理教を信じた理系の人たちがそうであったように。」これと同じような内容が記されていて興味を惹かれた。もちろん思考のレベルが違いすぎるけれども。


読んだ本のなかで特に新しい視点を開かれたのが、神経科学と薬理学を専門とする池谷裕二教授が書かれたさまざまな本。教授はまだお若い。研究活動を続けながら本を書かれるという離れ業の持ち主のようだ。
例を挙げると、
『進化しすぎた脳』(朝日出版社)
『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社)
『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)
『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
『脳はなにげに不公平』『脳はすこぶる快楽主義』『できない脳ほど自信過剰』(パテカトルの万脳薬)』朝日新聞出版,
『海馬 脳は疲れない』糸井重里共著(朝日出版社)
『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』(扶桑社新書)

脳は高度な情報システム。脳の働きやその癖、いい加減さなどが解かれ、説かれているので、つい身を乗り出して読んでしまった。最後の『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』を読むに至っては、「そうだったのか、私の子育ての失敗 ?の原因は私自身の性格にあったのか」と思わせてくれる内容で、つい「もう一度初めから子育てをしてみたい。ずっと上手にできるかもしれない」と感じてしまったくらいだ。無理か---。

さて、内容にはさまざま。脳のメカニズムは繊細で美しい、しかし脳はいい加減で噓さえつき、つじつまを合わそうとし、ごまかすこともある、そのごまかしは人間が楽に生きているための方策のように思える。
記憶とは何だろう。記憶は自分のIDとなり自我の存続そのもの。将来に対する準備なのだ。過去を知り、現在に対応させ、そして現在を生きることができる。
脳のことを脳を使って疑問を解く、私とは?と私の心を使って考える。ぐるぐる回りだ。再帰、反復、Recursion.
脳のことを脳を使って考えるとう入れ子構造になっている脳科学の研究は、その完全な問題解決はありえないということか。 わぁぁと叫びそうになる。

結果、何冊も本を読んだが特筆すべきこと---今日記録しておきたいのは、これ。
「脳の神経細胞は、生まれ落ちた時を100%とすると、以後毎日減少し続け、3歳時点で30%に減ってしまう。つまり3年間で70%の脳細胞が死滅してしまう。そして残された30%の脳細胞の数には変化が無く、健康であるならば100歳を越えても保持続けるという事実」。えぇ!と驚きますよね。
      (健康であるならば、という条件が付くが)
どうもこれは人間の生存戦略のように思える。胎児は生まれるまでどのような環境で育つのか 自分では全く予想できない。ならば、あらゆる環境に置かれても順応し成長するために、無駄に見えるほどの神経細胞を持って生まれてくるのだろう 。
生まれてのちは、環境に合わせて神経の回路を作り上げ、 脳の回路を再編成する---要らない細胞を捨ててしまっている----神経細胞を最適化しているのが脳のメカニズムだということ。 大人になっても日々脳細胞が消滅しているのではない。これを知っただけで本を読んだ甲斐があったというものだ。

安心した。今の私の脳細胞は生まれた時の30%のままで、それを使って今まで生きてきたということになろうか。これ以上無くさないようにしよう、親に言われたように 、間違っているとしても頭を叩かないようにしよう。
やおよろずの神様、どうぞ30%残っていると思いたい私と、怪しさを増してきた相棒の脳細胞をお守りください。

   【おまけ】
『脳はなにげに不公平』のなかにこんな問題があった。
「商品AとBの二つの金額の合計は110円で、AはBより100円高い。Bは何円か?」
     -----100円と10円と答えた人、素直で疑うことを知らない人。宗教にはまることもある、とあった。
   -----あ、私、一瞬「100円と10円」と思ってしまった---- Aは105円でBは5円だよね。----


池谷裕二教授:by Wikipedia
日本の薬剤師、薬学者、脳研究者東京大学大学院薬学系研究科教授。
神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究する。脳科学の知見を紹介する一般向けの著作も執筆している。 
       福寿草 花びらは放物線を描いている。

        里山の暮らし646  2022.2.20

        

 

     あぶない  ----Youtubeでしばしば見ているチャンネル

新しい車が届いて20日になる。いままでの軽自動車に比べて、さまざまな機能が追加装備されているので、安全と言えば安全だが、いざ!という時に即座に対応できるように、あちこちのレバーを触ってみたり、安全装置を確かめてみたりしている。
免許更新のための講習で、講師に「皆さん長い歳月運転を続けて、自分の技術に慢心しているかもしれません。いい機会ですから、ぜひご自分の今までの運転を反省して、危ない点を改めるようにください」と注意された。 思い至るふしがいくつもありそうだ。

つい最近、近所でセンターラインオーバーの車同士の衝突事故があったばかりだ。 なので今朝、相棒とちょっと強い会話(喧嘩とも言えるか)をした。
相棒が「右に大きくカーブする道路」で、常にセンターラインに寄りすぎることを口にしたからだ。 遠近法で、右カーブの場合は左側レーンが広く感じられるうえに、相棒は右利きなので、つい右手に力が入り過ぎているように見える。負けず嫌いの相棒はしばし沈黙する----半世紀以上も運転してきた相棒のプライドに障ったらしい。反論はしてこない分 、進歩したか。   ここでワタシ、長引くと消耗するからすかさずフォローする。「お昼に大好きな干し柿を食べる?」と。
        すると不機嫌なカラスに笑いが戻ってくるのが(面白い)。

最近見ているのが、Youtubeにアップされている交通事故の実体や安全運転への注意だ。
 ・直線道路を右折左折する時の注意----直進車のスピードは、想像するよりもずっと早い。
 ・横断歩道を渡ろうとしている歩行者は、最優先する。
 ・自転車の急な発進と停止、横断に注意する。横転事故もある。
 ・雨の日と夜間は運転しないでおこう。これは大丈夫。
 ・確認せよ、つねに確認せよ。
他人の振り見て我が振り直せ、他山の石とすべし。格言が身に染みる。気を付けよう。

  ようやく2020年産ののブルーベリーを食べ終わった

朝食のヨーグルトの中に入れて食べ続けてきたブルーベリー(2020年産、収穫量38キロ)を今朝食べ終わった。長かった。明日の朝からは2021年産の口を切ることになる。どちらにしても冷凍庫はいつも何やかやで満杯だ。今年は特に柚子のジャムの量が多い。

    那須連山の東側。遠くに会津の白い山が見える。  
     


      2020東京オリンピック記念の切手シートがある。いまさら使うのは間抜けに思えてくる。どうしようか。
       

    里山の暮らし645 2022.2.16

        

 

     あの日  ------ 自己愛そのもの日記

専業主婦なのだからと、何十年も家族のために滅私棒法をしてきていた。自分で自分を縛り付け、家庭のさまざまな問題解決に当たるのを自分の義務ととらえてきていた。
そろそろ荷物を下ろそう、一人で旅に出てみよう、と考えたのが、12年前の2月のことだった。行く先はメキシコ。

メキシコ南部のユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡を訪ねる旅の途中のことだった。チェチェン・イッツアの遺跡に近いアシエンダに宿泊し、一日遺跡を訪ね歩いたその日の夕食レストランには、ちょっとお洒落をして早めに出かけることにした。お洒落したと言っても、いつものジーパンではなくて、万一を考えて持参した30年前のワンピースを着て、パールのネックレスを付けただけだけど。(パールはもちろんにせ物 、無くすから)
夕食の前はゆっくり庭の散歩をしたり、庭師さんと話をしたりと気楽に過ごせたのだから、旅の日々のなかでこれ以上ゆったりして解放感に満ちた日は無 かった。
ウェイターさんとの、「このスープの材料はなに?ん?カボチャの花なのね。道理で黄色いわけだわ」と言った話をきっかけにして、前菜からのコースが始まった。レストランの内部はお客で溢れかえらんばかり。ラテンの人々の陽気な話し声と乾杯を重ねる賑やかな雰囲気に圧倒されそうだ。
メインが始まるころ、突然、テーブルの前にマリアッチの楽団が現れた。ウェスタン映画で見るような大男たちが、聳え、立ちはだかるようにして演奏を始めたのだった。
              
トランペットの高く響く音が天井にはね返る。バイオリンや大きなギタロン、ギターやビウエラが合いの手をいれ、マリアッチの演奏が始まったのだ。しかも私の席の目の前で。
ソロを歌う男性の声があでやかで、響きのあるギタロンをかき鳴らしながら、足を踏み鳴らし、歌い踊ってくれる。
まずCielito Lindoが、ついでPaloma。
Desperadoと続き最後の曲は何と「Cumpleaños feliz」(お誕生日おめでとう!)の歌だった。

     Cumpleaños feliz
     Cumpleaños feliz
     Te deseamos todos
     Cumpleaños feliz

お誕生日おめでとう お誕生日おめでとう、みんなで君におめでとう お誕生日おめでとう
この歌を繰り返し、最後はおめでとう〇〇子さん♪!で終わったのだった。

ウェイターさんがお皿に載せた小さなケーキを運んできて、その上に花火を何本か挿し、火をつけてくれる。はじける花火が小さな音を立てる。興奮して頭に血が上った私は、てっきり蝋燭だと勘違いして、一生懸命消そうとする。何度もなんども消そうとするが-------消えるわけがない。そのうちに花火の中から見えるマリアッチ軍団の姿がぼやけて見えるようになった。あれ?ワタシ、今泣いている? 涙があとからあとから湧き出てくる。
さっきのウェイターさん、風呂敷ほどのナプキンを差し出して「奥様、これで拭いてください」とラテンの男性のやさしさを見せてくれた。「ありがと」となんとか笑顔を見せられた。笑ったり泣いたり 、忙しい。
最後に旅行社から渡されたプレゼントは、「生命の木」をかたどったメキシコ・シルバーのペンダント。
 
懐かしい思い出を反芻することの多い、コロナ禍の冬だ。あの日はここ何年もこんな天気は無かったと、カンクンの人たちが口々に言う爽やか で晴れた日だった。
あの時の旅は、何と天気と同行者に恵まれたことだろう。

今日、2月11日。古くは紀元節、今の建国記念の日。そして私の誕生日
さまざまなしくじりもして、不満も不出来もあった過去だけど、そろそろ仕上げの年齢に差し掛かってくるのだから、いままで抱えていた袋の中身を思い切って捨てよう。
あすから新しい一年が始まる。再生には生命の木こそふさわしい。
さて脳へ届くようにアクセルをゆっくり踏もう。どこを目指そうか。今年は植物の弁別がもっと出来ますようにだろうか。

ラテンの人たちの挨拶---ほっぺにキスしてハグする----には驚かないが、ここまで勢いのあるハグは初めてのこと。
ぐずぐず。
この写真を載せるのに、ずいぶん葛藤があった。
思いがけず私は古風なところがあるようだ。これは単なるハグなのに、誰も何とも思わないのに。
迷ってしまい、やっと送信をクリックできた。

でもこんな記憶があってとても嬉しい。

         里山の暮らし644. 2022.2.11

         



    
  光の春

    アイスランドポピー

春は山を越えてやってくる。
日ごとに陽の入りが遅くなって、気づけば東北に近い東の地・那須でさえ、午後5時半になっても外は明るいままだ。 新芽を含んだ木々の枝に光が当たり赤く反射している。窓から入り込む光が部屋の奥まで照らし、窓にプリズムをはさんだように揺れている。 暖かい。

昨年9月22日に種まきしたアイスランドポピーの初花が、いくつか咲いてきて、そのあたりだけほんのり明るい。
夕方、光を浴びて輝くように花弁を振りたてる。その日に雪が積もっていなければ、定植まで、あと30日あまり。

  地産地消しながら友産友消

この冬出回る最後の柚子になるはず。25個で300円の柚子を買ってきて柚子ジャムを作り、夏の庭で採ったシソの実の醤油漬けと一緒に友人宅に届けに行った。庭先と家の中とで怒鳴りながらしゃべる、マスクが邪魔だけど感染蔓延期なので仕方がない。
友人からは、小アジを3枚におろしてみりん醤油に漬け、寒風に晒した「アジのみりん干し」をいただいた。
これを「友産友消」と呼ぶのです。

       里山の暮らし643. 2022.2.4

         

 

   鬼よ今年は味方になって

             ふきのとう
   節分のお豆を買うとついてくるお面。       

この鬼の面は、何十年も同じデザインだったような気がする。
 矢印の、ハート形の赤いのは、「二枚舌」、「鬼のマフラー」のどちらでしょう。

大阪に住んでいたころに飼っていた犬(落ちていたのを拾ってきた、雑種)の名前がななちゃん(七ちゃん)で、
その娘がももちゃん(百ちゃん)だった。
この鬼の面を被って
「怖いよ、こわいよ」「ほらほら」と脅かして遊んだものだった。
ななちゃんも、ももちゃんも耳を垂れて怖がり、おどおど。隠れる場所を探して庭をうろうろし、生垣の間に頭を突っ込み、こちらを見ないようにしていた。
ななちゃん(七ちゃん)と娘のももちゃん(百ちゃん)。ろく(六)でないのです。
 

      睡魔が来りて----笛を吹けない

子供のころからずっとずっと憧れていたこと、それは親指と人差し指を丸めて唇に当て、指笛を鳴らすことだ。
『アルプスの少女ハイジ』のなかで、ペーターやおじいさんが、ハイジを呼ぶのに「ピユ〜イ、ピー」と口笛を吹いていたのを覚えている。 高く澄んだ音がアルプスの山にこだまして、山をかけ巡るのを憧れて見ていた。
賞賛の意味を込めて「ピー」と吹く。あの指笛に憧れていた。

ベッドに入ってちょっと練習してみる。出てくるのは「ふーふー」というかすれた音だけ。おまけに肝心の口笛も吹けなくなった。口の周囲の筋肉が衰えたのだろう。
残念だけど、このぶんでは一生吹けそうにない。でも毎晩少しだけ練習してみる。
 (夜に口笛を吹くと鬼が来る、と子供のころ教えられていたのに聞き分けの無い子だ。)

    水仙  
   
2月1日

3学期の始業式に寒い体育館で、校長先生がこう言いました。
「1月はいぬ、2月は逃げる、3月は去る」---うんぬんと。子供のころ、どうして先生は毎年同じことを言うのか、不思議で仕方なかった。

毎日家で昨日と同じ日を送っていると、この1月が早く去ったような、長かったような。
----どちらともつかない気分でいる。
まずコロナ感染の蔓延、大雪、トンガ津波、相変わらずの北朝鮮のミサイル発射、日向灘沖地震があり、那須では飼育員がトラに襲われた、医師が銃で撃たれ死亡、緊迫するウクライナ情勢と事件や事故がとても多かった。
評判の良い先生だったのに、クリニック放火殺人も、軽石漂着問題や列車放火事件も、あれはは昨年の事なのだ。

     里山の暮らし642. 2022.2.1

         

       ようやく

    
16年乗り続けた私の「Kei」。走行距離は3万6千キロメートル。まだまだ現役でとても元気なのに手放した。へそくりで買ったので、この「Kei」に対する思いは深い。販売店に置きざりにする時に胸が詰まる思いだった。幸い代車として利用してもらえるようなので、後生は安泰だ。


昨年11月末、コロナ感染が落ち着いていた時期に、思い切って相棒の普通車を手放した。新しく購入する車の納車が12月中旬と聞き、スノータイヤへの履き替えのタイミングを計った結果そうなったのだ。ところが、半導体不足から納車が遅れに遅れて、ようやく昨日の午後受け取ることができた。
やれやれ。75日待たされ、何となくイラついていた相棒もこれで一安心。この車は二人で乗る車としては最後になるだろう。そう思うと新鮮な思いで対応できる。
帰り道、車のどこに隠れていたのか「スピードに気を付けてください」という女性の声がする。
あっ、60キロ出していた。
「白線を守ってください」とくだんの女性が叫ぶこともあった。面白い。
新しい車には衝突防止センサー(猫ひげ)が前後左右に4カ所取り付けてあり、その他の安全運転サポート機能が充実しているので、依存し過ぎは良くないが、安心できる部分が大きい。

 

      とんでもない数字に------市中感染者が爆発的に増えた 

1月末になり、人口11万5千人に対して、連日20人から30人の感染者が出ている状況なのが怖い。ワクチンの3回目のブースター接種の日程が2月から3月にかけて飛び飛びの日に並んでいて不安だ。遅く接種した高齢者は、このままいけば3月に追加接種を受けることになるかもしれない。
市側が変更に変更を重ね、4回目の変更でようやく接種にこぎ着けた今回の予約の方法はなかなかよくできている。年齢と「接種した2回目の日付」で細かくグループを作り、日程にはめ込むという技を採用している。相変わらずWeb予約が中心になっているものの、電話線を増やして対応している。公平で、比較的高齢者にも予約を取りやすい。
   (ここに矛盾がある。初めの予約方法が公平だったとしたら、今回の方法も公平だといえよう。)
   (私たちは2月6日、ファイザー接種の初日が予約できた。)

変異したオミクロン株は、感染力は強いものの、病状は比較的おとなしく、若い世代には症状が現れない人も入るようだ。つまり普通の風邪になりつつあると考えられるのか、素人にはよく分からない。普通の風邪に近くなったのなら蔓延防止への努力を行いながら、社会・経済生活を再開する方法にかじを取れないのか。制限緩和への道を探り、Covidと共に生きていける社会を目指すか。あるいは完全なる抑え込み----ゼロコロナを引き続き求めるのか。市の司令塔は誰なのか、その思考が良く見えてこない。

学年閉鎖の学校が増え、市中にコロナ倒産した事業所が増えてきた。社会に分断が起きている気がする。感染に対して敏感に反応する人と、全く恐れを知らない子供のような人と。感染増加が暮らしに直結する人と、そうでない人と。あるいは今自分が対応している人物が、知人友人であれ、まったくの他人であれ、ウィルス感染者ではないかという疑心暗鬼におちいる----関係性が断たれる恐れが、それこそ蔓延している。

蟄居して、たまには善を行おうと言い合う寒中の午後だ。もうすぐ節分、鬼よ退治してくれ。

  * 肝心なことを書き忘れていた。若い人への接種を早く進めて欲しい。
    日本を支える若者を大事にしないといけない。

        里山の暮らし641. 2022.1.28
         

 

     似てるよね 

              
     左は「のどぬ〜る」 右はヘアオイル  

約束は10時。なのに寝癖が気になって9時に髪を洗い始めてしまった。
「9時半には家を出なきゃ」と気が急く。
洗い上がった頭に、「口の尖がった入れ物の---あれ」をスプレーしようと、目に入った水を拭きながら腕を伸ばし、あたりを付ける。
手探りで取って、シュシュ 。頭に馴染ませた。

あれ、なんかガサガサする。
慌てて付けたのは、「のどスプレー」だった!
                     とっぴんからり
 

        里山の暮らし640. 2022.1.23
         

 


    
まぼろしの永平寺 ----- レム睡眠の中で見た明晰夢

山中温泉の宿を出て、父とふたり向かう先は大本山永平寺。永平寺は生家で代々信仰の対象としていた「曹洞宗」の総本山だ。
バスの隣に座る父は、落ち着いているふりを見せるものの、内心は踊らんばかりの嬉しさであふれ、期待で興奮気味なのが見て取れる。
無理もない。卒寿近くまで、毎朝先祖に感謝し、家族の安泰を願って読経を続けてきた父にとって、「総本山」へ参詣することは、晩年になってからの最大の望みだったのだから。イスラム教信者にとってのメッカ参りのようなものだろう。

〔永平寺は、道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場で、曹洞宗の大本山。1244年(寛元2年)道元禅師45歳の時に傘松峰大仏寺として建立され、その2年後の1246(寛元4年)に吉祥山永平寺と改められている。770年以上経った現在も永平寺の修行は禅宗の中で最も厳しいと言われ、約160名の雲水(うんすい)と呼ばれる修行僧が修行生活を送っている〕

若いころから弱視だった父は、晩年はその視力がとみに衰えてきた。足元がおぼつかない。石段を登るのに難渋しているようだ。いつものように腕をしっかり握って支え、「あと3段でここは終わりよ」「段差があるから気を付けて」「ほら、そこよ」と声をかけながら登っていく。
木々が生い茂る参道は苔むしていて、足元が滑る。

さて、手水舎で手を清めたあと、幸いにも毎月18日に行われる転読大般若祈祷と法要の様子に出会うことができた。感激のあまりか、父は経文に唱和するように唇を動かし、身じろぎもしない。
永平寺は広い敷地に七堂伽藍が建ち並びそれら7つの建物が回廊で結ばれている。
回廊をゆっくりゆっくり歩いて登る。この時間を逃さぬように、ゆっくりゆっくりと。
天井に描かれた日本画が美しい傘松閣で、その美しさを口にし、指さしても父の目には届かない。もう少し若いころなら、あるいはその美を味わうことができたかもしれないのに。

気を引き締めてご本尊にお参りする。法堂は七堂伽藍の最も高いところに位置していて、須弥壇と呼ばれる壇の中央にはご本尊、釈迦牟尼仏鎮座し、未来を司る弥勒仏、過去を司る阿弥陀仏が祀られている。
拝礼し、大きなため息をついた父。この時何を思ったのだろう。

                                 

ああ、寒中というのに、汗をかいて目が覚めた。父と永平寺にお参りする夢を見た。あまりに鮮明で、これは本当に起きたことだったのかもしれない、と思った。いや違った。やはり夢だった。
阪神淡路大震災を思いだし、あの時亡くなったあの人この人を思い返していたあとの眠りは浅く、いつも気にかかっていたことが写し絵のように脳裏に投影されたようだ。

私はなぜ、たったこれだけのことをしなかったのだろう。父の長い間の望みなど知っていたはずなのに。
なぜ永平寺へ連れて行ってあげなかったのだろう。親孝行などできるときにやっておかないと、後悔する とは分かっていたのに。時間はあの頃と繋がっているのに、父はもういない。望みが叶わないままの父を、死なせてしまった。
 

   里山の暮らし639. 2022.1.20

         

 

   リスちょろちょろ   日本リスまたは本土リス  (齧歯目リス科リス属)

昨年末の日記(632 くるみのしごと 2021.12.18)にあるように、残暑の中を胡桃の実を拾いに行った努力が実った。冬の間、シジュウカラたちの餌にと考えていたが、なんと!本家本元のリス( 日本リス)が餌を求めて庭にやってきてくれたのだ。
年末から3週間も続く雪に阻まれて、餌が見つからないらしい。飢えているのか、前回の記憶よりもやせて見える。
朝食の途中だったが、箸を投げ捨ててカメラを抱える。窓から窓へリスの後を追って歩き、撮った写真がこれ。
ここと思えばあちら、あちらを探せばまたこちら。左右前後に動き回る。これは蝶の飛び方と同じで、高い空から下界の餌を探している捕食者の目をくらますためのようだ。置きピンをして撮影しようにも、その地点にはなかなか来てくれない。

リスを呼び寄せるために、ヒマワリの花首を裏返し、クルミを置いておいた。
魚釣りで言えば「まきえ」か。
リスはすかさず見つけてかぶりつく。
この真剣な目を見てください。
この時リスはどう考えただろう。わくわくする。
   ----しめた。エサだ。
リスはこのあと、クルミを咥えて桜の木の太い幹に登って行った。
カラスが後を追うが、リスの小さい身体が木の枝の間に紛れ込むと、大きな羽が邪魔してもう手出しができない。

体長は16 から22cm。尾の長さは13から17cm。体重300g。腹や尾の先端の毛は白。夏季は背面が赤褐色(夏毛)、冬季には背中が灰褐色になり、耳の先っぽの毛が伸びる。そういえばこの個体の耳がやけに長い。冬は眼の周囲にわずかに白い体毛が生える。


  こんな可愛い子が来てくれたので、今朝の仕事は後まわし。

ああ、触ってみたい、抱いてみたい。茶色の毛に包まれてふわふわしているが、細い骨格で出来ているのだろう。
このいたいけなものよ。「ちいさきものはみなうつくし」。

   *  人獣共通感染症に気を付けないといけない。
        新型コロナ感染症が、人から鹿に感染した事例が報告されている。(『日本経済新聞』 2022.1.16  )

  里山の暮らし638. 2022.1.14

         

 

    安いことはいいことか

この里山から用足しに出かけるときは、「町へ行ってくる」とう言い合う。(マチ、町だよ、どうだの気分で)
町までは15キロ、市東部の中心地には、抱える人口にしては多すぎる数のスーパーやホームセンターが建ち並んでいる一角がある。その中で目立つのはドラッグストアだ。半径500mの円の中には、チェーン店古参のH社、後発のM社、やや遅れて ドラックストア最大手のW社、後発のA社と 新規開店が続いていた。最後にこの場所に殴り込みをかけたのは東北を基盤とする食料、薬などの安売りドラッグストアC社。毎日が特売!と激戦地に打って出たこのC社は「現金払いでポイント付与無し」と、ひと昔もふた昔も前の、買い物時にすべてが完結する販売方法を採用している。 しかし安物を売る暗い雰囲気はない。それどころか従業員教育が行き届いていて、皆さん礼儀正しくて気が利いている。時給もやや高いようだ。
既存他店の正面に店舗を開くという賭けに出たのが成功したのか、常に賑わっている。コストダウンに徹していて、そこで売られている品物は確かに安い。安いと言っても安いものを安く売っているのではなくて、他のスーパーやドラッグストアに比較して一流食品メーカーなどの 定番品が時に2、3割も安いのだ。

そこで新しい戦略に出たのが、既存他店だ。結果安売り合戦が始まって、消費者としてはとてもありがたい状況なのだが。
C店に行くたびいつも、これでいいのだろうか、と考える。 もちろんチェーン店だから、トータルで経営を考えるべきで、日本経済新聞その他によると、この5社とも利益を確定させているが。
しかし人口に対するパイは限られている。その限られたパイを各店で奪いあうと何が起きるか。 地元に古くからある薬局が次づぎに倒産、あるいは大型店に吸収されているのが現状だ。負のループに陥ることになる。 同じことが他業種にも起きた。さらにコロナ禍で何件もの事業所が倒産し た事実がある。地域全体の景気を支えているのは地元の中小企業なのに。


日本の国の凋落が激しいと感じることが多くなった。日本人の給料はなぜこの30年間上がっていないのか。かつて2000年には一人当たりのGDPは、世界で2位だった。それが2020年には世界で23位に落ち込み、実質GDPは28位で、いまや隣国の韓国よりも下に位置している。さらにGDP成長率に至っては100位以下になってしまっている。
自販機で買える飲み物が1ドル以下で、ワンコインあれば昼食が摂れる、先進国でこんな国は少ない、安い国、つまり日本は2流国の仲間入りをした のだろう。
NHKからお借りしました。
(もちろん、その国の政治の形態、産業のあり方、物価、健康保険の有無、税金、特に消費税など個々の条件が賃金を大きく左右するだろう。)

民間企業で働く人の2020年の平均給与は433万円あまり。この30年間というもの日本の給料はほぼ横ばいで推移している。
識者の意見はこうだった。
 ・バブル崩壊後の不良債権処理をやっていない。
 ・成長率が低い----見通しが不確実なので、思い切って賃金を上げていない。
 ・したがって物価が上がらず、給料水準も同じところに止まっている。
 ・給料を上げない代わりに解雇しないという選択をしてきた。
    ・生産性が低い-----進化が起きない。
 ・海外へ技術移転するとともに製造部門まで移したことで、日本のなかにぽっかりと穴が開いてしまった。
 ・デジタル化が進んでいない。
 (だから、私の年代は、働いて収入を得た時代が、うまく日本の成長期と重なった恵まれた年代だったと言えるか。
  利己的だなぁ、この考えは)


しかし、昨年来、値上がりの声がそこここから聞こえてくるようになった。半導体不足、人手不足にコロナ禍が追い打ちをかけている。ガソリンや灯油料金、電気代、身近なところでは豚肉などの生活必需品の値段が、じわじわと上がってきているのを感じる。
年金は物価にスライドするので、この数年間はデフレに合わせて年金額が下がってきていた。介護保険料も値上がりし、手取り額が減ってきているのだ。 今までは物価が上がらないから良しとすべき、と考えていたが、なんだか不況下のインフレ(スタグフレーション)が起きそうな気配を感じる---大げさだろうか。

   
 昨年4下旬の庭。何本か植木を切り倒したので、今年の春はこれより寂しくなるだろう。
 こんな春まであと100日。

       里山の暮らし637. 2022.1.10

         

 


       
 雪に籠って

搔いては投げ、搔いては投げ。クリスマスに降った雪に年末寒波の雪が続き、年が明けても降り続いている。解ける間もなく降るので、導入路の雪は降った日の夕方までに取り除かないと、夜のうちに凍ってしまい、のちのちとんでもなく苦労することになる。
平型スコップでガリガリ引っ搔いて集め投げる、これを何度もやって朝からの作業はやっと終わった。

どこへも行けず、誰も来ず。大量に買い溜めしてある食料と、図書館の本とを寄るべに日を過ごし、今日はもう正月5日だ。
6日間も人間の顔を見ていない。時どき来る酪農農家の猫といつもの野鳥たち----シジュウカラ、ヤマガラ、キジ、ヒヨドリ---の姿しか見ていない。

この2年間のコロナ禍での不如意と、年末から雪ごもりでしみじみと身に沁みた。人と人とが出会い、顔を見て、肩を叩き、ラチも無いことを言い合って笑い、美味しいものを交換し合って話すことが、どんなに大切なことだったか。双方向の触れ合いがいかに人間の精神の安定にとって必要なことなのかと。
80歳後半の友人夫婦が近所に暮らしている。午後には電話して、たわいのない話でもしてみよう。 

      

      里山の暮らし636. 2022.1.5

       

   

 

       明けましておめでとうございます  



大晦日に第九を聞く。これは恒例のことだが昨夜は反田恭平さんのピアノまで味わうことができた。ショパンの曲が何曲か演奏され、終りは「マズルカ」だった。その土地に住む人たちが育んできたリズムが、曲の底から現れてくる。ポーランドの民俗舞踊から採りいれたリズムに揺すぶられて眠り、気持ちよく目覚めた元旦は、一面の雪景色で始まった。

樹々の枝に積もった雪が、風が吹くたび舞い降りてきては、舞い上がっていく。地吹雪が家の周囲を巡っていった。
一年の始まりの日だ。陽気にふるまい欲張らずおのれを見失うことなく過ごそう。
 

   里山の暮らし635. 2022.1.1   

         

里山の暮らし 2021年1月から 2021年12月まで