万葉の植物 あかね を詠んだ歌 2010.5.26 更新 |
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![]() 山野に自生するつる性の多年草で、秋の初めに黄色味を帯びた白く小さな花を咲かせます。別名茜蔓、赤芽、紅蔓、風車草。 4枚の葉は輪生しているように見えますが、2枚の葉は対生していて、もう2枚は托葉が変化したもの。茎は4角形で、下向きに棘があり、側にあるものに その棘を引っ掛けて生長し、繁ります。一見ヤエムグラに似ていますね。 茜は古代から、(ベニバナよりも古い)染料として使われてきました。 根はつやのある淡い黄色で、これを材料に触媒を使って茜染めをします。古代だけでなく、戦国武将の大鎧を飾る色として尊重されました。 明治時代にはいり、政府が制定した「日の丸」の旗の赤い色は、この茜で染められたものです。 ![]() 茜染めの色は太陽の色。 太陽信仰のあった古代、「赤」は神霊の現れであり、太陽と同等の霊力が植物の茜にも備わっていると考えられました。 茜そのものを詠んだ歌は無く、茜色に照り輝き映えることから「茜さす」という枕詞として使われ、「日」、「昼」、「紫」を導きます。 更に、照り映えて美しいと褒め讃えるために、君(天皇、主君、あなた)にかかります。 |
![]() 宮廷歌人・柿本人麻呂が詠んだ日並皇子尊の殯(もがり)の宮での歌。天武天皇の有力な後継者と目されていた草壁皇子(母は鵜野皇女、のちの持統天皇)が早逝したのを 悼み詠んだ長歌の、反歌2首のうちの1首。 「あかねさす日」は持統天皇を、月は草壁皇子を暗喩し、「あかねさす日」と「ぬばたまの夜=月」の対比で、早逝を悲しむ心を際立たせています。 人麻呂がのちに詠んだ高市皇子尊薨去に際しての挽歌に比べて、やや定型的、儀礼的な歌に思えるのは、高市皇子尊に寄せていた柿本人麻呂の期待の強さとの差がなせるものかもしれません。 ![]() ![]() 天智天皇が即位した年(668年の)旧暦5月5日、近江大津宮の北の蒲生野で、薬狩の行事が行われました。この2首は、一読、その日の夜の宴で詠まれ た相聞歌とも見えます。 この2首は、『万葉集』成立のかなめの巻1の雑歌の枠内に収められていることに注目してみます。雑歌という部立は雑駁な歌の集合ではありません。天皇を崇拝し、宮廷の儀礼行事で詠われ、天皇皇統を讃えるための歌 の集合を雑歌と部立されました。 したがってこの2首は、「相聞」や「挽歌」ではない、儀式に付随して詠まれた公的な歌という扱いをされていると取れます。 百済救援のために派兵した日本軍が、唐・新羅連合軍に大敗してからというもの、天智天皇は新羅軍来襲への防備に備え、飛鳥から大津へと遷都を強行し、 人心は乱れ官民は疲弊沈滞した状況にありました。 額田王は大海人皇子の妃として十市皇女を儲けた間柄にありました。この歌を詠んだ時期には、額田王は大津宮で天智天皇の妃として仕えています。額田王が持つ神との交信ができる巫女としての力や、言葉を通じて人の心を鼓舞することのできる能力を、天智天皇が必要としていた、とも考えられます。 昼間の薬狩りで軽い疲労を覚え、酒に酔い心浮き立ち興奮状態にある天皇以下の面々に進み、かつて夫婦であった二人が朗々と歌を詠みあげます。この時の二人はすでに中年の域に達している大人同士。 あかねさす ・・・ 紫野行き ・・・ 標野行き ・・・ と額田王が言葉を継いでいくのに共鳴するかのように、宴はますます盛り上がったことでしょう。 大胆で奥行きのある表現、独特な人物背景、生き生きした言葉の連なりを見せる額田王の歌に対して、大海人皇子は返歌に、反対を仮定し、さらに反語で打ち消すという手の込んだ 表現手段を取ります。 聴衆の反応を確認しながら、思うままに歌い上げるこの額田王と大海人皇子。 この歌の後ろにある、天智天皇からのちの天武皇統への権力の移り変わりのひそやかな流れを、この宴に参加した誰が想像できたでしょうか。 天智天皇が後継者と見なしていた大友皇子に、娘の十市皇女を嫁がせ、皇太弟の立場にありながら、その位置の危うさを知っている、その複雑な人間関係を見据えている大海人の冷徹な目が光ります。 歌は韻律そのもの。韻律によって何かを言いおおせるという和歌の、万葉時代の歌の印象的な歌の例。 ![]() この歌もやはり「あかねさす昼」と「ぬばたまの夜」が詠みこまれています。勅命により、妻の蔵部女嬬狭野弟上娘子(くらべのにょじゅさののおとがみのおとめ)との仲を引き裂かれ、遠国に流された中臣家守の歌で、二人の間に交わされた贈答の歌に見られる激しい思慕の情は、いまも人の心を打ちます。 せっかくですから、狭野弟上娘子の激しく、燃えるような心をもう少し感じてみましょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ああ、うらやましいですね。こういう直截な表現を万葉人は知っていたのです。素直に相手を求めあう心はどこから湧いてくるのでしょう。 髪を振りみだし思いの丈をすべて吐き出す、ほとばしる思いが次第に穏やかな流れに変わっていく。 流れはゆったりとした河口に至り、海の水と混じりあう ---。年齢を重ねることは、自己相対化する心映えを手に入れること。若くまっすぐな気持ちの重なりがあればこそ 、年老いてのち、その年齢なりの美しさに到達することができるのでしょう。 ここでの「死ぬ」は、心が打ちひしがれしおれ、茫然自失な状態にあることを言います。 最近の歌を2首ご紹介: ![]() ![]() [ 枕詞 ] (まくらことば)とは: 枕詞とは、特定の語(被枕)に冠せられる主に5音節からなる言葉を言い、被枕に具体的なイメージを与え、歌を鮮明かつ強調的に表現できることから、修辞法のひとつと考えられます。 政治や社会のあり方が神話や伝説と結びついていた古代です。口誦・民謡・歌謡・相聞や唱和などの言葉の集団性を通して、共同社会に生きる人々は、枕詞が惹起する特定の感覚を共有できました。 神聖であるべき「自然現象・地名」や、魂が籠っているとされた「人」の名前を直截呼ぶことは、時に荒ぶる地霊や人が持つ霊を呼び起こす、本来畏れるべき行為だったのでしょう。 被枕を褒め称えることは、鎮魂をはかることであり、ものを直接詠むことは、「みやび」ではないと考え、枕詞のイメージを利用して、複雑な人間の感情を表すことができました。 枕詞を投げかけることにより霊威を慰撫し、自然に対する恐怖心を言霊の力を借りて鎮める、災いを避け豊かな収穫を祈る --- 言葉そのものが霊を持つ、すなわち言葉通りの状態を実現できると考えたのでしょうか。 万葉の歌は聴覚を意識した歌だとも言えます。枕詞は、感動を言葉として表現するために、語調を整えたり、情緒を添えたりする役目も果たします。 序詞(じょことば)---枕詞のように固定した表現方法ではない、その歌に固有の叙述方法を採る --- に働きが似ていますが、音節数が少なく慣用的であるところにその違いがあります。 枕詞と被枕との関係は、@ 比喩式 A 掛詞式 B 同音繰り返し式 などに分類できます。 |