万葉の植物  くれなゐ     を詠んだ歌
                             2016.8.20 更新                 

 
   

  
  くれなゐ (万葉表記   紅 呉藍 久礼奈為 ) 末摘花((うれつむはな)とも   ベニバナ (キク科)     

 【赤は聖なる色】 赤い色は世界各地の習俗に見られるように、古来聖性を持ち悪魔の侵入を防ぐ力があると信じられてきました。生命の源は赤い色 ---- この感性は人間に共通のもののようです。赤い色を手に入れるには。 

【鉱物を利用する】 
古代の日本では朱色=丹(に)を珍重しました。この丹の色は辰砂(硫化水銀からなる鉱物)。防腐や防虫効果があり、古墳内簿の石棺の装飾や壁画を描くのに利用されています。現在も吉野川(下流は紀ノ川)流域に辰砂を採取した丹生川の地名が残ります。吉野の地を古代王朝が聖地とした理由の一つでもありました。もうひとつ重要な赤は、天然に産する赤鉄鉱を用いた鉄丹(弁柄・ベンガラ)。旧石器時代から使われた最古の顔料で、これは地球上に一番多く存在する赤なのです。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画を彩ったのがこの酸化鉄の赤。
 

【植物を利用して赤く染める】 
紅花が染色材料としてシルクロードから高句麗を経由し、日本に伝来したのは推古朝の時代。 (『日本書紀』推古紀 六世紀終わりから七世紀初め)。
藍に先んじて伝わりましたが、染料としては藍と並ぶ最も大切なものです。(西の藍、東の紅花)
紅色は、紫と共に万葉人が憧れ魅了された高貴な色でした。丹と同じく虫除けや防腐効果があり、原産地のエジプトでは、ミイラを包む布をこの紅花から取り出した色素で赤く染めています。
紅花の持つ黄色い色素(サフロールイエロー)を除いたのち、灰汁で何度も洗い赤い色素(カルサミン)を定着させます。布から鮮やかな紅色が浮かび上がってくる時、万葉人の喜びはいかばかりだったでしょう。

 またこの紅花から抽出した赤は、武運を鼓舞し戦国武将の晴れ姿を飾る色でした。今も春日大社には、源義家所用の大鎧が保存されていて、平安後期のものとは思えないほどの鮮やかな色が残ります。
 (
* 2011.1.1 NHKの番組、「神々が降り立った森からのメッセージ」で、この鎧が特別に公開されました。平安後期の作とは信じられないほどの紅の鮮やかさには驚きました。)

集中三十首。

 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻            柿本人麻呂歌集 巻9-1672
 (紀州、黒牛潟の潮が引いた。紅の裳裾を引いてゆるやかに足を進めるのは誰の妻だろうか。この弾むリズム!)

 外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも          作者不詳    巻11-1993

 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも         豊後国白水郎 巻16-3877 
     (漁師さんがこのような歌を詠む。新鮮です)

 紅はうつろふものぞ橡のなれにし来ぬになほしかめやも         大伴家持  巻18-4109

(あのべっぴんさんも若いうちだけやで。気楽ぅに慣れ親しんだ連れ合いが、橡(つるばみ)染めみたいに地味なんははあたりまえや。「いらんお世話やうどん屋の釜」ってか、ふむ、湯ぅだけか。あのくれなゐさんがそばに居ること、いつばれるか分からへんよ。) 
    ( 参考までに。「難波人葦火焚たく屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき」(巻11-2651))
 

越中守時代の大伴家持が部下の女遊びを諭した歌。奈良と九州で育った家持はどう話したのか。現代大阪、奈良弁に翻訳してみました。 はからずも二日後、かの妻が馬に乗り、「里もとどろに」訪います。さてその後のいきさつは・・・。
 

くれなゐ、この美しくもはかなくあでやかな色。ある時はあこがれや賛美の対象であり、同時にそのうつろいやすさから、諦めや嘆きを浮き上がらせる色でもありました。くれなゐの美しさとともに、その裏にある人のこころの儚さ、頼りなさをも万葉人は歌に写し取ったのです。

 言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも          大伴坂上郎女  巻4-0683
(この場合は枕詞としてのくれなゐ。ここは人がはやす言葉の恐ろしい国ですよ。表に現れないようにしなさい。たとえ思いに死ぬようなことがあっても。この歌に続く六首には、他人の言葉を恐れながらも、恋しい人への思いが巧みに表現されています。この恋しい人とは、不比等の四男で権勢を極めた人物藤原麻呂か。)

 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき             作者不詳  巻6-1044

 紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも          作者不詳  巻11-2623
(紅色に濃く染まるようにと、何度も染液に漬けた衣のように、朝な朝な慣れ親しんでいても、あなたをますます愛しく思うのです。-----こういう誠実な心に詠まれるくれなゐは、静かな情熱の色なのでしょう。)

 紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる              作者不詳   巻11-2624

 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ             作者不詳   巻11-2655

 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも           作者不詳  巻11-2828

 

『源氏物語』  第六帖「末摘花」より  源氏、常陸宮の姫君を訪ねる。  

 うちつぎてあなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに先の方すこし垂りて色づきたることことのほかにうたてあり。 

零落した姫君は奈良時代の技楽面や、平安時代の舞楽面に似ていたのでしょうか。ここの描写に行き当たるたび、古風で一途、無垢な常陸宮の姫君が、作者の筆によって裸にされていくのを痛々しく感じるのです。女である紫式部が、女の心を知り尽くしているがゆえに、手加減をせず女を描くことのできる・・・・・。しかし、頑迷さは純な精神の裏返し。仏法を守護し、女人成仏を祈る普賢菩薩を、それも乗り物として引用したこの部分が、末摘花の、後年二条東院に引き取られ、晩年を平穏に過ごす人生までも暗示していると深読みすると、作者・紫式部の卓越した物語構成力に驚かされるのです。

ここで連想するのは、宮沢賢治の妹の存在でした。『源氏物語』から時代が下ること九百年。宮沢賢治は、妹トシの魂を探し初秋の北上山地を彷徨した夜、「あゝ東方の普賢菩薩よ微かに神威を垂れ給ひ*」と詠いました。魂よ安らかであれとの賢治の願いが、やや明るさを帯びてきた空に響き、時代を隔てていても、常陸宮の姫君との精神の共振を感じます。 
                  * 『春と修羅 第二集』所収「「北いっぱいの星ぞらに」                                                                                  


追記その一  朱華(はねず)色を詠んだ歌は  

朱華色は、梔子(くちなし)で黄の下染めをしたあと紅花で染め重ねた、黄みのある淡紅色。紅と同じく、灰で洗濯すると色が落ちてしまいます。このことから「移ろいやすい心」、「はかなさ」を導く枕詞としても用いられます。集中四首  

 思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも        大伴坂上郎女  巻4-0657
(もうあなたのことを思わないでおこう、とわが心に言い聞かせても、ああ、その決心のもろく移ろいやすいこと。忘れられないのです ----- このひとひねりした語り口は ----- さすがに大伴坂上郎女です)

 夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか        大伴家持    巻8-1485

 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ            作者不詳    巻11-2786

 はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて         作者不詳    巻12-3074
(あの方には、朱華色のように、移ろいやすい心があるので、時おりのことづては絶えないものの、二人の関係が進展することなく、ただ歳月だけが過ぎていくのです。---この時代の平均寿命は三〇歳前後らしい。)
 


追記その二 黄丹 (おうに)  クチナシ (アカネ科クチナシ属) 染色には実を利用します。梔子(くちなし)の下染めに紅花(べにばな)で染め重ねられた、やや黄味がかった丹色が黄丹。昇る朝日の色を写したとされる鮮やかな色です。『養老律令』の「衣服令」において、皇太子の礼服の色として固定され、さらに法典を集大成した『延喜式』(平安中期) には黄丹色の染め方の記述があります。(「黄丹綾一疋 紅花大十斤八両 支子一斗二升を用いる) 天皇の位色である黄櫨染とともに禁色で、皇太子以外はだれも使用出来ない色でした。

【紅花とは】 (キク科ベニバナ属)

アジア原産の一年草。種を蒔くのは春。草丈は一m前後。葉に棘があり、花期は梅雨前後。黄橙色の頂花をつけ、二、三日後には、花の色は濃い橙紅色に変化し、朝露のなか、先端の花を摘むことから、『万葉集』には末摘花としても詠まれています。
染料として有用で、朱華(はねず)、紅(くれない)、黄丹(おうに)などの色を作り出し、さらに薬用、食用としても利用され、紅花油はリノール酸を豊富に含みます。
*「万緑叢中紅一点」の紅は、柘榴の花の色。 

 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出でたつ娘子(をとめ)     大伴宿禰家持    巻19-4139

(大伴家持は、『萬葉集』の最終編纂者と目される人物。この娘子とは、家持が越中守として赴任している先(現代の高岡市)へ下向してきた妻、坂上大嬢か。 樹下美人図の代表作、「鳥毛立女図屏風」に描かれている天平美人の豊頬を彷彿とさせます。命溢れるばかりの若々しい女性と、春の盛りの桃の花と。この取り合わせは幻のようでもあり、うつつのようでもあり---。)
 

 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる   正岡子規 

 (はく)牡丹といふといへども(こう)ほのか          高浜虚子 

(まず白牡丹にこころ惹かれ、ついで目を寄せると、ほんのり紅色をさしているのに気づきます。
風に揺らめく白牡丹のなかに「紅」を見るまでの時間は穏やか。
白と紅、「紅ほのか」のやや硬い漢音と柔らかな「ほのか」の響き。この対比に興趣が湧きます。)

 死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも
                               斎藤史  『ひたくれなゐ』 所収