万葉の植物 くれなゐ を詠んだ歌 2016.8.20 更新 |
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くれなゐ (万葉表記 紅 呉藍 久礼奈為 ) 末摘花((うれつむはな)とも ベニバナ (キク科) 【赤は聖なる色】 赤い色は世界各地の習俗に見られるように、古来聖性を持ち悪魔の侵入を防ぐ力があると信じられてきました。生命の源は赤い色 ---- この感性は人間に共通のもののようです。赤い色を手に入れるには。
【鉱物を利用する】
【植物を利用して赤く染める】
またこの紅花から抽出した赤は、武運を鼓舞し戦国武将の晴れ姿を飾る色でした。今も春日大社には、源義家所用の大鎧が保存されていて、平安後期のものとは思えないほどの鮮やかな色が残ります。 集中三十首。 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻 柿本人麻呂歌集 巻9-1672 外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも 作者不詳 巻11-1993 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも 豊後国白水郎 巻16-3877 紅はうつろふものぞ橡のなれにし来ぬになほしかめやも 大伴家持 巻18-4109
くれなゐ、この美しくもはかなくあでやかな色。ある時はあこがれや賛美の対象であり、同時にそのうつろいやすさから、諦めや嘆きを浮き上がらせる色でもありました。くれなゐの美しさとともに、その裏にある人のこころの儚さ、頼りなさをも万葉人は歌に写し取ったのです。 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき 作者不詳 巻6-1044 紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも 作者不詳 巻11-2623 紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる 作者不詳 巻11-2624 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ 作者不詳 巻11-2655 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも 作者不詳 巻11-2828
『源氏物語』 第六帖「末摘花」より 源氏、常陸宮の姫君を訪ねる。 うちつぎてあなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに先の方すこし垂りて色づきたることことのほかにうたてあり。 零落した姫君は奈良時代の技楽面や、平安時代の舞楽面に似ていたのでしょうか。ここの描写に行き当たるたび、古風で一途、無垢な常陸宮の姫君が、作者の筆によって裸にされていくのを痛々しく感じるのです。女である紫式部が、女の心を知り尽くしているがゆえに、手加減をせず女を描くことのできる・・・・・。しかし、頑迷さは純な精神の裏返し。仏法を守護し、女人成仏を祈る普賢菩薩を、それも乗り物として引用したこの部分が、末摘花の、後年二条東院に引き取られ、晩年を平穏に過ごす人生までも暗示していると深読みすると、作者・紫式部の卓越した物語構成力に驚かされるのです。
ここで連想するのは、宮沢賢治の妹の存在でした。『源氏物語』から時代が下ること九百年。宮沢賢治は、妹トシの魂を探し初秋の北上山地を彷徨した夜、「あゝ東方の普賢菩薩よ微かに神威を垂れ給ひ*」と詠いました。魂よ安らかであれとの賢治の願いが、やや明るさを帯びてきた空に響き、時代を隔てていても、常陸宮の姫君との精神の共振を感じます。
朱華色は、梔子(くちなし)で黄の下染めをしたあと紅花で染め重ねた、黄みのある淡紅色。紅と同じく、灰で洗濯すると色が落ちてしまいます。このことから「移ろいやすい心」、「はかなさ」を導く枕詞としても用いられます。集中四首
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも 大伴坂上郎女 巻4-0657 夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか 大伴家持 巻8-1485 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ 作者不詳 巻11-2786 はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて
作者不詳
巻12-3074
【紅花とは】 (キク科ベニバナ属) 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出でたつ娘子 大伴宿禰家持 巻19-4139
(大伴家持は、『萬葉集』の最終編纂者と目される人物。この娘子とは、家持が越中守として赴任している先(現代の高岡市)へ下向してきた妻、坂上大嬢か。
樹下美人図の代表作、「鳥毛立女図屏風」に描かれている天平美人の豊頬を彷彿とさせます。命溢れるばかりの若々しい女性と、春の盛りの桃の花と。この取り合わせは幻のようでもあり、うつつのようでもあり---。)
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる 正岡子規 白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子
(まず白牡丹にこころ惹かれ、ついで目を寄せると、ほんのり紅色をさしているのに気づきます。 死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも |