室井忠雄様 第四歌集『麦笛』を拝読して 2022.8.15
第四歌集のご上梓おめでとうございます。 これで本箱の中の歌集が三冊になりました。『天使の分けまえ』は古本を探しても、市中に出ておらず、機会があるたび図書館に貸し出しを依頼することにしています。 二年半前の寒い季節でした。三冊目の『起き上がり小法師』を拝読し、こんな感想をお送りしたのを思い出しました。 「暮らしに直結した歌は、偏心した「円」になぞらえられると感じていました。大きく左右前後に回転し、揺れつつその範囲を広め、上空までその軸を伸ばし、はるか上へと立ち上がり回転していると。 その円は、緩やかに他人を巻き込み地域やそこに住む人や自然と重なり、さらに大きな円を描きつつ移動し、自他との関係性を象徴しつつあるという印象を持ち続けています。ですから第三歌集の題名が『起き上が小法師』をあるのを目にし、その嬉しい偶然に驚きました。 人間の核となっている部分は独り。されど大樹が直根を伸ばし、おのれの身を支えているように、その円は泉下へと浸透しつつゆっくり回っている----血脈と産土と。これが歌の芯にあると感じます。」 「三冊の歌集共に、内面にある意識がゆらゆら揺れ、こぼれ落ちてくるのを拾い集める楽しみがありました。現実の暮らしに焦点を合わせ、人間の行動の背後にあるものへの洞察力を感じます。見栄やてらいという装飾物が削り落とされ、歌に芯が残ります。高みから歌を詠む自分を見ているもうひとりの室井さんの存在を感じます。 暮らすこと---その事実を重視せよと。その中で感じたことを自分の身体と精神をフィルターとして抽出し、言葉で世界をかたどろうとする室井さん。目前の具体に象徴性を持たせたり、比喩を用いて他の表現へずらしたりする歌が多いなか、繊細な感覚と抒情性をお持ちのはずなのに、具体表現に留まろうとしている歌が多いという印象を受けます。平明で土の匂いがし、野生を感じさせつつも思慮深く、私性を中心に置かず、対象を孤独や寂寥として詠わないのは、作者の美意識あるいは気骨からくるものなのでしょう。 自分は自分の歌を詠むという矜持からくるものかもしれません。」 第四歌集を拝読しながら思いました。前回第一〜第三歌集を連続して読み、感じたことと、今回受けた印象に大きな違いがないと。 しかし、室井さんが高林の地に放った言葉の群れが、今ご自身に帰ってきているという印象を、新しく得たのでした。 おかえりなさい、経験から飛翔したものたち。再帰してきてくれてありがとう。 言葉が、身体の周囲を取り囲んで並び、室井さんの身体が発酵するのを待っている。周囲の人の数だけ自分がいる。自分の言葉がある。その言葉が次第に選択されていき、必要な言葉以外は削られてきたという印象を受けたのです。 ----出発する 到着するために。遠くに行く 近くにあるために きみの心の。------ (ニルス・アスラク・ヴァルケアパー詠 フィンランドのトナカイ遊牧民、サーミの詩人。 口承詩、正書法を持ちません。朗誦歌の詩人) 大倉純一郎訳(ヘルシンキ在住の翻訳家) 歌には土地の人びとや雨や樹々や前庭の野菜のさやぎに満ちていました。それらに寄り添い呼応するかのように、自我を丸めて歌の一つ一つに込めてあるのでしょう。さやぎとは相互作用。自然と室井さんの交信記録。旅行詠、都会詠に迫ってくる歌を感じないのはそのせいかもしれません。 自分のものではない、他人の人生を経験(体験+経験)をする面白さ。他人の輪郭をじっと観察している室井さんの、言葉で世界を組み立てている姿勢に興味津々です。全体を見るか細部を見るかと問われると、細部から組み立てる方法論が、土に生きるにふさわしいと思うのです。 変わらずあるのは、研ぎ澄まされた言語感覚をお持ちなのに、それを抒情詩として歌になさらないこと。平易な言葉に言い換えて歌意を際立たせること。その技術にはいつもながら感心します。 歌が抽象化しともすれば詩が肉声と韻律を失い、活字に閉じ込められがちなのが今の日本の詩歌の現状ではないでしょうか。穂村弘がもてはやされるのは、いまの現状に反発する人の思いが噴出したからではないかとも感じています。 小池光氏評の「虚飾を廃し、読者に媚びない」、「のびのびした楷書で描く」「簡潔明瞭」「活力に溢れる」「たくまざるユーモアとペーソス」「直球で剛球」。その通りだと感じました。 耳に順いつつある年齢の、精神が収斂している。形になったのが室井さんの歌。 農業はその根っこに明るさを持つべきでしょう。物を作るのですから。植物の力を信じると 自己肯定感を得ることができます。土とともにある室井さんの歌を読むと読者は元気になるのです。現実を生きるということは、困難に打ちのめされながら生きていくことではありますが、それでも立ちあがらなければなりません。その時応援歌として聞こえてくるのが、柏林で生まれた歌の数かず。苦しみ喜びを経験した、その人生の味を吐露してある歌を読むとき、ありがたいことに、読者はおのれ自身を肯定することができるのです。 私の持つ感覚をシャッフルし、並べなおし、それらが放物線を描いてある一点に集まる時を待っておもむろに第四歌集を開いた---それがこの八月の暑い日々に起きたことでした。 麦笛とは、ちちははへの思いの象徴かもしれません。うどんを踏む母の足のリズムが聞こえ、自然の中で人の心が鳴る、共鳴する、生命が音を立てる、その音を聞く。 ・山道をもっと楽しく歩くため草笛のつくり方を習いぬ (短気な父親の意外な一面) (麦の鳴りをとこ全き父となる Ka詠) ・ 腹へってカヤの実食いしにはあらず 笛つくるためわれら穿ちぬ ・ 病む麦の黒穂の茎につくりたる笛はさびしき音をたてるも ・ 幼かるわれは眠りぬ大麦の熟れる畑におかれし籠に (いとこなど柱に括られて半日。) ・ 川底に定数のありなわばりから溢れた鮎を淵鮎という (淵鮎ならでの生き方を) ・ 五年間介護をしつづけし薫さんは修子さんより先に逝ってしまいぬ (惜しい友でした) ・ 炭を焼くにおいがながれきたりけり炭焼く力は里のちからぞ (父が焼いていました。) ・ 蒔く種を持てるよろこび春の日に照らされながら黒土を起こす ・ 街路樹に柳を並べてはなりませぬ遊行柳は一本でよし ・ 同級生がいないと子供がかわいそうだから示し合わせて子をつくる嫁たち ・ 畝たてて大根のたね蒔きにけり一つの窪みに三粒ほど落とし (畔の大豆と一緒だ) ・ 太宰『津軽』に山菜としてのアザミありいかに調理してたべたのだろう (新芽をお浸し、てんぷらに。森アザミの根っこがお土産品の山ごぼう) ・ 花の無き季節をかざると姉はきて薔薇の二株植えてくれたり (私もいただきました) ・ 庭隅の太き椛は大量の種をこぼせる枯れるを知って ・ ちちははの開墾したる黒土にはるのたねまくきみとふたりで (時のはからい) しばしば、長男としての意識がこぼれ、その役割を果たされている自信を感じます。とんでもなく短気な父親の子供ですから、けっして短気でないはずがない、社会性という面をかぶっているのか。いや前回も書きましたが、歌の力で短気を抑え客観性を身につけられたのでしょうか。 ・ 言葉あり「属してひとり」退職し還暦以降の生き方とせん 属してひとり。 群れてもひとり。退職して同調圧力に屈せず長い時間をかけて答えを見つける時間を手に入れた。多様性への寛容な心を持つも「空気」では動かない。辛いことを経験したのち、おのれがおのれの許しを得たことで、『麦笛』の作品群がより穏やかになった印象があります。 属してひとり。他人に心を寄せつつも、ある距離を保つ姿勢が潔くて好きです。 歌集を残す---22世紀から21世紀にかけての那須岳山麓の暮らしの実情や、その時代を生きた人の心の動きを後世に残す。これは意味のあることです。他人を励ましても、自分を励ますのは難しい。『天使の分けまえ』の作者よ、自分が、自分の周囲のものがいずれ無くなる。この不条理に対抗するため、歌を詠まれるのでしょうか。残さないと残らない。それを受け取るのは後世の人たち。人間の心は世代が移ろっても変わらない。 とても驚いたことがありました。第一歌集『天使の分けまえ』を再読し、現在の室井さんを形作るすべてが(男のはにかみ、ペーソス、わかりやすい言葉、直截表現、決意、愛情、日々の暮らしをいとおしむ、隣人愛、好奇心など)表現されていたことに。 最初の歌集にその歌人のすべてがある、と聞いたことがありますが、まったくその通りでした。 四冊ともに感覚の平易さ、分かりやすさは読んでいて楽しいものでした。もっとも読む楽しさは措いても、感想をまとめるのは楽しい作業とは言えませんが。この分かりやすさは、室井さんが勉励なさって会得されたもの。矩を超えた歌をぜひ読んでみたいものです。 コロナの惨禍から我々は、自由な社会に生きる権利を持つが、人と人とが助け合って生きることが前提の社会に在ることを知りました。そこで求められるのは、やさしい言葉、素直なことば。知らなかった人の心の動きを知る喜びです。自助であり共助であり。 言葉があるテーマを奏ではじめます----里山の暮らし、耕しつつ生きることを。 再度、第四歌集のご上梓、おめでとうございます。 ますますのご健勝を祈りつつ。 追記 ながなが書きましたが、端的に言えば、歌集『麦笛』を読んでの感想は、 「いやぁ、面白かった」に尽きるのです。 友人にこの歌集を紹介するとします。 「室井忠雄さんは、大肉中背、丸顔、草野球時代から鳴らした腕はまるで丸太のようだ。そばを流れる熊川の、水路を伝って山から下りてくるツキノワグマをひしゃげるくらいに。その太腕で打つそばのおいしさは格別。無口なれど、心の中には言葉があふれていて、妻を愛し、他人を受け取り、吞み、食べ、騒ぎ、踊り、考える人。四冊の歌集を読むと、人間っておもしろいと思えてきて、元気になるのです」と。 (転載には許可を頂きました。)
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