里山の暮らし 2021年1月から 2021年12月まで

   12月31日 大つごもり

35年前から参加しているSANE(NPO法人エクアドルの子どものための友人の会)から年末年始のご挨拶を兼ねて、会報が届いた。
今回は、国内におけるワクチン接種の状況と、9月からの新年度を迎え、子供たちがどのように学んでいるかの報告と、JICA草の根事業に基づく栄養講習会の様子などが掲載されてい た。
    (JICA=独立行政法人国際協力機構。日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関)
さらに新年度を迎え、二つの地区から選ばれたそれぞれ13人と4人の新奨学生の紹介がなされていた。
選考過程を抽象的に表すよりも、現実に即した説明のほうが理解していただけるかと考え、何人かの家庭状況を紹介してみたい。

エクアドルも日本の例に あるように、豊かな家庭と貧しい家庭の間の教育格差が大きくなっている。塾に通える子供、IT機器を与えられて勉強できる子供と、家の仕事を手伝いながらようやく学校へ通える子供とのこの大きな差は埋めようもない。そもそも地理的理由もあって学校へ通えない子供たちもいる 。
こうやって奨学生として選ばれると、将来の職業の選択肢がぐっと広がるだろうが、問題は機会を与えられなかった子供たちだ。学ぶ機会を与えられず、技能を身に付けることなく社会に出ていく少年と少女----奪われ続ける人生を選ぶしかない大多数のの若者たちがその後ろにいる。

 Sさん サッカー好きな陽気な性格。システムエンジニアになる明確な目標がある。父親は同居しておらず経済的な支援も無い。母親は最低賃金の収入のみ。
 Fさん 忍耐強い性格で、勉強が好き。父親が亡くなっており、牛乳売りの母親の収入は不安定。月100ドルを越えることはない。
 Sさん 父親が3か月前に亡くなる。辛い状況のなかでも良い成績を維持している。数学や化学が好き。夢は医者になること。
 Kさん オンラインで勉強できる環境に無いが、優秀な成績を収めた。家族が多いが父親がいない。母親の収入は最低賃金に満たない。
 Hさん ベネズエラ生まれ。夢は獣医で努力家。母と妹の3人暮らしで収入は月50ドル(日本円で6000円足らず)

目を引くのはベネズエラからの移民家族から二人の奨学生が選ばれたことだ。
ベネズエラはかつて難民受け入れ国として知られていたが、治安悪化やハイパーインフレといった経済情勢のもと、政情が不安定になり、国民がいまや国を離れ庇護を求めて国外へ脱出、流出しているのが現状のようだ。
1981年の年末、ちょうど今ごろベネズエラを訪問したが、街は活気にあふれ、OPEC(石油輸出国機構)の主要国として栄えていたのを記憶している。
リーマンショックによる原油の値下がり、通貨価値の下落、資本の海外逃避、これらによる更なる通貨の下落が続いている。----計測できないほどのインフレが止まらない(ハイパーインフレ)通貨はほぼ紙切れになってしまった。追い打ちをかけるコロナ禍。現在ベネズエラ国民の3割以上が国外脱出していると言われている。
エクアドルは確かに貧しい。ベネズエラはさらに貧乏な国に凋落してしまった。同じスペイン語を話す国だが、移民(ほとんど難民に近いか)として他国で生活するには想像もつかないほどの苦労があるだろうに。そのことによるイジメもあるらしい。毎月いくばくかの寄付をし続けて35年。「指を伸ばしてその先が触れた場所に心を寄せよう」と考えて35年。
明日は新しい年が始まる。


      2021.6 犬吠埼の日の出  画像はT氏からお借りしました。

 

12月30日  一夜飾りは

「一夜飾りは、良くないんだぞ。年神様に願いが届かないんだ。」「それに、年末の予定が立てられない横着者だと思われるだろう。」
父がこう言った。この時の父は40歳をいくつか過ぎたころか。
  「ふ〜ん」
  小さい私は火の傍らにしゃがみこんで見ていた、おそらく5、6歳くらいだっただろう。

囲炉裏のそばに道具を揃え、その秋に収穫した新米の藁を束ね、回しながら木槌でとんとん叩いていく。こうすると藁束はしんなりして細工をしやすくなる。父の武骨で太い指から、頭を眼鏡の形に整えたお飾りが次第にできあがるのを見ているのは面白い。来年の実りを祈って、稲の粒を付けた稲わらを何本か挿していき、真っ白な四手を両方に垂らし、その上にするめを飾り最後にみかんを----山奥なので、橙など手に入れようがない---結び付けて正月飾りが出来上がった。
まず玄関に、そして蔵に、ついで井戸塀に、木小屋、漬物小屋、牛小屋と取り付けて年神様をお迎えする準備が整った。
大きな囲炉裏では、その春、雪解けを待ちかねて持ち山から切り出して来た薪が燃えている。揺らめく赤い火と裸電球が互いにうなずき合っているようだった。
柿の渋を塗った和紙の中に、丸餅がいくつも並んでいる。神棚には新しくした四手がひらめき、榊の枝がピンと尖っている。正月を迎える弾んだ心が家じゅうに満ちていた何十年も前の12月30日 。

もちろんだが、父と私の会話はすべて「方言」でなされている。そのままでは理解してもらえないので標準語もどきに書き直しているが、これでは手暗がりになる裸電球の暗さや、直径50センチはあろうかという栗の木の梁を想像することはできない。はぜる火の温かさも感じられない。言葉と言葉の襞にある「言わないでおく」部分 が感じられない。
言葉で支えられている文化は、こうやって変化していくのか。あのころの日々の暮らしの中にあった人と人との繋がりと温かさが、よそ行きの言葉では 思い出せないのがすこし寂しい。

 

裏山から赤松の枝と桧葉を、庭先から南天の実を集めてきて、正月飾りを作っった---これは玄関に。

午後3時。朝のうちは上天気で、雪をかぶった那須山が良く見えたのに、西から黒い雲が押し寄せてきて雪が降り出した。いよいよ正月寒波がやってきたようだ。

  12月29日  雪を投げる 6時の気温マイナス8℃ この冬最低の温度 どこもかしこも凍っている

わあっと汗をかいた。デッキの上や導入路の雪を雪かきスコップですくい取り、そこではない「どこかへ」投げ飛ばす、という仕事を済ませたからだ。成果は以下の通り。たっぷり雪が積みあがって、これで「かまくら」を作れそうだ。
こちらに来た頃は、雪ウサギやかまくらを作って遊んだものだが、最近はそういうゆったりした心が無くなってきたのか、ただひたすら雪を投げるだけ。
そうです。雪かきではなくて雪投げなのです。雪をかいただけでは、雪の行き場がすぐになくなる。だから初めから、投げる場所の心づもりをして仕事にかからないといけない。
長靴で踏むと、きゅきゅきゅっと、音がする。リズム感のある音だ。
  入り口まではラッセル車が来てくれる

積もった雪を見ながら、子供のころの際限ない遊び心を思い出していた。冬の一番の楽しみは、「竹スキー」。部落の中の坂道を自作スキーで滑り降りることだった。
「竹スキー」作りは冬の初め、雪が降る前に裏山の真竹を50センチほど切り出すことから始まる、父親の目を盗んで持ち出した鉈で半割にし、削り、風呂の焚口で反らし、蝋を塗って自作の竹スキーを作る。これで部落の子どもとして一人前。
雪が積もると子どもたち(悪ガキ)が集まって小さい頭を悩ます-----どこの坂を臨時のスキー場にするか---あの坂の上の小父さんはコワイ、あそこは大丈夫だろう----怒られたらとりあえず逃げ出そう---などと作戦を立てる。
現地集合。皆で横並びになって雪道を踏み固め3日しか持たないスキー場が出来上がる。
そのあとは、歓声を上げながら滑り降り、スキーを持って出発点に戻り、滑るの無限ループだった。
 

   12月28 全返し ----ぜんがえし 借りた本を全部返した。 積雪25p 降り続く

午前に出かけて図書館の本を全返しした。ゼンガエシだ。珍しい。
だいたい2週間に一度出かけて貸し出し限度数いっぱいの本を借りてくる。正月をはさむので、貸出期間延長をせず、今回は切りよく全部返して、新しく借りてきた。

思い付いて一年間にどのくらい借りたのか記録を取ってみた。
この一年間に借りた本の数はなんと300冊以上になった。その中でじっくり読んだのは、200冊くらいか。ハウツー本の場合は、求める情報を得るためにスキャンしながら読むことが多い。たまに予想が外れて全く興味を引かない本もあるが、それはそれで合わなかったということだろう
しかし、こんな田舎暮らしで読書をするということは、
  家事をおろそかにするか、
  他の仕事、特に庭仕事に目をつむるかのどちらかだ。褒められたことではない。

面白かったのは、

日の名残り 自己責任という暴力 グローバリズムが世界を滅ぼす 民主主義という不思議
カズオ・イシグロ読本  悠久の時を旅する ペンギンの足はなぜ凍らないか 下野おくの細道  
自然葬のススメ 半藤一利の昭和史 桃太郎の黍団子は経費で落ちるか  素数ゼミの謎 
エクアドルを知る60章 等伯 上下  田辺聖子18歳の日の記録 鳥獣戯画のすべて 
川瀬巴水作品集 生物はなぜ死ぬのか  スパイスカレー新手法  安い日本
金子兜太  良寛に出逢う旅 ちいちゃんのかげおくり 小川洋子の作り方
善医の罪 人間にとって成熟とは 本当の翻訳の話をしよう 南極風
〈うた〉起源考 蜜蜂と遠雷 小鳥の歌からヒトの言葉へ 海の見える理髪店
太平洋戦争への道 私のスイス 生まれてきた以上は生きねばならぬ 「つながり」の進化生物学
人新世の「資本論」 そそる!うち中華 私たちはなぜこんなに貧しくなったのか シルクロード紀行

読むことでさまざまな経験ができる、これには価値あるが、読んだ本を羅列するのは----これは悪趣味の極みだろう。頭の中を開いて見せることになるのだから。本を読むことで何かが変わり、次の行動に移せるのではない限り、読書は壮大な時間の無駄遣いになるかもしれない、というのが年末に抱いた感慨だ。
 

    12月27日   「ゲルニカ」を観た(縦3.5メートル、横7.8メートル)

朝6時の気温はマイナス4℃。10時現在の積雪15センチ、あたりは真っ白で、し残した庭仕事のあれこれが隠れてしまっている。よしこれでいい、今年の仕事のかけらは見ないことにしよう。
朝食のあと豚汁を作り、寝かせておいた。そのあとは、シャクナゲや馬酔木などの雪降ろしという寒い仕事が待っている。竹箒で積もった雪を叩くと、面白いように雪玉が転がり落ちてくる。
   
     画像はアマゾンからお借りしました。

昨夜(26日)のNHK日曜美術館のテーマは「ゲルニカ」だった。門外不出の傑作をNHKが8K撮影して持ち帰り、日本で巨大モニターに映し出し、その絵に接した小説家や 画家がどのような印象を持ったかが語られ、ゲルニカが描かれたいきさつなどの解説がなされた。 (スペインの画家パブロ・ピカソ作)(出演者:高橋源一郎 平野啓一郎 横尾忠則さん)

ゲルニカを観たのはいまから12年前のことだ。この絵が収蔵されているスペインのソフィア王妃芸術センターは、外観にガラスを多用した明るい建物だったと記憶している。
白い壁に挟まれた廊下を進むと、驚く大きさでゲルニカが現れてきた。絵はモノクロームとさまざまな諧調のグレーで表現されていて、その大きさに圧倒される。
「キュービズム的表現」と呼ぶらしい。ひとつひとつの絵の塊が、おのおの主張しながらも全体としての統一が取れている。次第にその絵から色が浮き上がってきた。絵が何かを語りかけている。胸を掴んで揺すぶられる 。ピカソがこの絵を象徴的に描いたことで、のちの世に「反戦争」のシンボルとして受け入れられたようだ。

第2次世界大戦前夜、ドイツ空軍はスペイン・バスク地方の古都ゲルニカに無差別爆撃を行った。ゲルニカの男性はほとんど戦地にあったので、1600人の死者のほとんどは女性と子供だった。だから絵には女性と子供、スペイン人に取って生命の象徴の牛と馬が描かれている。 (爆撃は1937年4月26日)
ゲルニカへの爆撃に怒ったピカソは、何かに急きたてられるようにたったひと月で巨大な「ゲルニカ」を描き上げたのだ。

爆撃当時廃墟と化した悲しみの街「ゲルニカ」を一人で訪れたのは、本物を観た3年後のことだった。街の中心に「ゲルニカ」の大看板が掲げられてはいるものの、整備された街の姿からは、かつての残虐な行為の残滓は見られない。ただ、ゲルニカ平和博物館で展示品を見学し、空爆の音が響き建物全体が揺れるという戦時体験をしたことが強い記憶として残っている。戦争の記憶を次世代に残すことは難しい。

バルセロナのピカソ美術館を訪問したのは、さらにその3年後。
ピカソの若い頃からの作品が、時系列に展示されている。前半はもっぱら習作が並びいわゆるピカソ作品があまり見られない。ピカソ美術館の見どころはベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス・Las Meninas)」をピカソがアレンジした作品群だったと記憶している。ここで一番に感じたことは、「基本のデッサン」が完璧だということ。分かりにくい裏通りに美術館があって、ようやくタクシーでたどり着いた。帰りにガウディのサグラダ・ファミリアへ回りみちしたのもいい思い出だ。

ジャガイモのガレット(ジャガイモ、ハム、キノコ、ベーコン、チーズ)を作ったが、刻んだチーズの袋と果糖の袋を間違えてしまった。あわてて果糖を掬い出したが、少し残ってしまった。ま、甘味があるガレットだと思えばいいか。

那須野が原博物館の「バックヤード見学ツア―」に申し込んだ。先着順10名なのでフライング気味の時間だったが、なんとか二人分の席を確保できた。(2022.3.20の予定)
電話のお相手は、夏のセミ観察記録担当者だったので「やあやあ」などと話す。

 

 12月26日  寒さは量なのか ----雪が降りしきる

予想通り、夜半の強い風が収まった午前4時くらいから雪が降り始めた。起床時はほんの2センチほどだったのに、時間が経つに連れて次第にひどくなってきた。
今朝6時の外気温はマイナス3℃。4時間後の今の外気温もやはりマイナス3℃。ちっとも暖かくなって来ない。積雪は7センチで、庭木が雪を被って重そうにしている。午後には雪降ろしが要るかもしれない。それは寒い仕事だなぁ----。

「いま何度?」と言いながら起きてくる私たち。気温がプラス30℃からマイナス4℃まではすんなりと「〇〇度」と表現するのに、プラス30℃以上とマイナス5℃以下の場合は、「35℃もある!」、「マイナス7℃もある!」と強調する表現を使うのはなぜだろうか。普通でない暑さと寒さは、量として捉え、重たさとして感じているらしい。

今朝の朝刊に市からの「新型コロナワクチン追加接種(3回目)」のお知らせが挟み込まれていた。
1週間前までの市のHPには、3回目の接種予定は、「2回目接種からちょうど8ケ月後の同じ場所で同じ場所」とあった。前回の接種日時のデータをそのまま利用(世田谷方式)するれば合理的だし、高齢者が予約を取るのにあたふたしなくて済む。前回予約を 代行した友人たちもこれで安心だと喜んでいたのに、2週間の接種前倒しが影響したのか、大きな変更がなされてしまった。
前回と違い、個別接種(かかりつけ医での接種)は行わない代わりに、市内に5か所の医療機関を接種会場として指定し、年齢などでグループ分けして予約を受け付けるらしい。ネットでアクセスできない高齢者が多いし、予約用の電話回線を大幅に増やしたとあるが、友人 の一人が使っている電話器は昔ながらのアナログ手回し電話器なので、とても間に合いそうにない。
何人かの友人の分も予約しないといけないので、今朝ははやばやとアドレナリンが出た。
よし、その日の朝はしっかり集中しようと。

 アイスランドポピーの苗(播種後90日)

12月25日 ----堆肥撒き完了

12月下旬は毎日の天候の変化が大きかった。一日中雪の日もあれば、小春日和にも似た暖かい日に恵まれることもあった。配達された2トンの堆肥を、木枯らしの合間を縫い、手分けして花壇に撒き終わった。今年は早めに水仙の芽が出ているので、それを避けてスコップを振るのが難しい。 一輪車に76杯とは相当な量だった。喜ばしいことに、腰痛には縁がないワタシ。不如意が続く毎日なので、たまにはいいところの一つも無ければ この厳しい冬を越せそうにない。
午後3時になると急激に気温が下がってくる。明日から雪の予報。準備怠りなく灯油の注文を済ませ、ガソリンを満タンにしてきた。ガソリンスタンドや近くの道の駅に、観光客の車が溢れている。スキー場にはもう雪が積もっているようだ。

  里山の暮らし634. 2021.12.25〜12.31     

       

 

    木の実を拾って森へもどす

      

教育を通してエクアドルの子ども支援するNGO(国際協力民間団体)SANEに参加して36年になる。
           エクアドルの子どものための友の会(SANE)  < http://sanejapon.blogspot.com/ >

秋の終り、理事会からお知らせがあった。
「カヤンベの奨学生のダビッド君が轢き逃げに遭い、事故当時意識はあったものの、片腕と片足を怪我した。無事に手術を終え、リハビリを受けることになったが、体がほとんど動かないため、今後リハビリに通う必要があり、そのための費用がかかる。これは家族には大きな負担になる」と。

医療費は保険で支払われるが、リハビリの費用や薬代、交通費などに約1000ドルかかるそうだ。家族の負担の大きさは言うまでもない。いままで緊急時にサポートする体制が整っていなかったけれども、「ダビット君を支援する寄付をお願い」という活動が動きだした。集まったお金はダビッド君の家族の必要に応じて支給される。余剰金が出た場合は、今後の緊急事態に備えるべく管理される。
 (2020年の一人当たりのGDPは、約5,600USD )
 (ただしこれは平均された数字で、国内の経済格差はとても大きい。食事も満足に摂れない貧しい家庭が多い。)

クリスマスがやってくる。
   貧者の一灯がどこかを照らしてくれるように、少し寄付した。
   いっときの楽しみを削り、ダビット君の身体の回復に捧げるのに、ふさわしい季節だ。
   ほんのひとしずく。    

エクアドルの先住民に伝わる民話 --- ハチドリのひとしずく (再掲)

Había una vez un incendio en el bosque.
Todos los animales, insectos y pájaros en el bosque corrieron por sus vidas.
Pero había un colibrí que se llamaba KURIKINDI iba y venía botando una gota de agua en su pico al fuego.
Cuando los animales lo vieron, comenzaron a reir, “¿Para que sirve?”
Y KURIKINDI respondío,
“Yo estoy haciendo lo que puedo.”

    森が燃えていました
    森にすむ動物や虫や鳥たちは一目散に逃げていきました
    でも、クリキンディという名のハチドリだけは
    くちばしに水のしずくを一滴ずつ運んでは
    森の火の上に落としていきます
    動物たちはそれを見て
    「そんなことをしてなにか役に立つのか?」と言って笑います。
    クリキンディは答えます
   「出来ることをしているだけだよ」             (拙訳)

エクアドルの民話なので、本来、かつてインカ文明を興した先住民の言葉(ケチュア語 Quechua)で書かれているはず。シンプルで力強い言葉が、人の精神に響いてくる。


チンボラソ山(6268m)とハチドリ     チンボラソとは現地語で「青い雪」。名前の通り氷河の裂けめがブルーに光る

      里山の暮らし633. 2021.12.21        
       

  くるみのしごと  ----さまざま

〔くるみのひとりごと〕
もちろん大事なのは、子孫を残すこと。この春花を咲かせ昆虫に受粉を頼み、夏の暑さに耐えて果実(核果)をようやく実らせた。秋の風に乗って地面に落ちようとした、まさにその時、樹の下に待ち受けている人間がいようとは思いもよらなかった。冬の間に庭に来る野鳥の餌にするらしい。拉致されて我に返りあたりを見回すと、たくさんの仲間が捕らわれの身になっているではないか。

〔一対一の対応
近くの酪農農家から分けていただいた「牛糞堆肥2トン」を、本格的な冬が来る前に庭に撒かないといけない。この冬一番の寒波がやってくるというニュースに、この数日、焦っていた。
堆肥を降ろした場所から一輪車(なぜかネコ・猫と呼ばれている。猫の手を借りたい?)で運ぶのだが、うっかりすると運んでいるうちに、何杯目だったのかが分からなくなる。まるで落語の時そばだ。統計を取るというよりも、これからの仕事の予定をつかむために数字が欲しい。

相棒が考えたことはこうだ。9月に集めてきた「オニグルミ・鬼胡桃」と段ボールの小箱を用意して、一回終わるごとにそのクルミを箱の中に入れていくという方法。
それを見た私、思わず「わっはは」と笑ってしまった。これは里山に住むネイティブ日本人のようではない?あるいはプリミティブ日本人と呼んだ方がいいかもしれない。「一対一の対応」をこんな形ではたすとは。

昨日の夕方と午前の仕事で37回分の堆肥を花壇に運び入れた。水仙の芽にかけないように注意してレーキを使って広げていった。---これは結構腰と肩にくる。そして午後、明日から雪の予報にわが身を励まして残りの堆肥を運びこむ。その回数は25回。
明けて今朝は雪。雪の下にある堆肥は水分を補給されて理想的な状態にあるだろう。予定通りに仕事が進むことはめったにないので、こんなに嬉しいことはない。

〔足指のちからを試す〕
寝る前の慰めにと、このところ「今昔物語集」を飛ばし読みしている。
巻23第19話に比叡山西塔に住む実因僧都の話があった。
「其れに極く力有る人にて有ける。----僧都、昼寝したりけるに、若き弟子共、師の力有る由を聞て、試むが為に、胡桃を取て持来て、僧都の足の指十が中に胡桃八つを夾みたりければ、僧都は虚寝をしたりければ、打任せて夾まれて後、寝延を為る様に打うむめて足を夾みければ、八つの胡桃、一度にはらはらと砕にけり。」

おお、どんな力持ちなんだろうか!オニグルミは金づちを使わないと割れないのに、足の指で挟み割るとは!-----試してみたが、いうまでもなく私の足指では割れない。リスを尊敬する。

    堆肥を撒いていたら、ミミズがいないかとキジがやってきた。

 〔鳥たちに食べていただく〕---- 捨身供養するクルミの実
月に集めたオニグルミの数は1021個。金づちを使うと、脳の形に割れてくる。その実を集めてクルミ和えにすると、まことに美味しいのだけども、これは庭に来る野鳥のために集めたのだから、人間が上前を撥ねるわけにはいかない。12月に入ったので、一日に7個の割合で鳥たちに配ってやっている。寒い時期の脂肪分たっぷりのクルミに大喜びしている鳥たち。それを観ているわれわれはほのぼの。

       里山の暮らし632. 2021.12.18         
        

   たからもの

ほくほくと蒸気が上がっているのは、酪農農家の、牛糞堆肥をつくるラインから直接ホイールローダーに載って届いた
「たからもの」。ガラゴロと大きな音を立てながら、朝一番に住宅地の中を通ってやってきた。
「牛糞+おがくず+もみ殻」を発酵させたもので、 pH値(ペーハー)はどのくらいか?4から4.5くらい?
明日からこの堆肥を花壇に鋤き込み、庭木の根元に敷いてやる。苦土石灰も必要だ。
今年最後の庭作業になる。どうぞ相棒の腰が最後まで持ちますように。(あ、私も作業の半分を受け持ちますよ)

若い時の Wheellroader はイケメン。中年になった姿は渋くてなかなかのもの。 

 

     里山の暮らし631. 2021.12.15         
           

 

  半導体が不足している ----それが身近に迫ってきた

相棒の普通車(4WD)と私の軽自動車(2WD)を売却して、安全装置を装着したサポートカー(略称サポカー)に乗り換えることに決めたのはこの11月だった。
  (サポカー:衝突被害軽減ブレーキ(対歩行者)、ペダル踏み間違い急発進抑制装置、車線逸脱警報、
        先進ライト(自動切替型前照灯)などの機能を持つ車)

注文したサポートカーの納期は12月中旬と聞かされていたので、せっかちなわれわれ、スノータイヤに履き替える前に売却手続きを進め、早々と11月下旬に普通車を手放してしまった。
ところが世界的な半導体不足が影響して、「納車は来年1月末になりそうだ」との連絡が入ってきた。ならば、現在の軽自動車(2WD)で1月末までしのぐしかない。スノータイヤを履かせたと言っても普通車(4WD)ほど雪道に強くないだろう。
納車の遅れの原因は、半導体不足とコロナ禍の影響で自動車生産そのものが落ち込んでいることにあるらしい。そのせいで社会全体に大きな影響が出ているようだ。さらにマレーシア 産のゴムも都市や国境封鎖の影響を受けて生産量が減り、世界的ゴム需要に追い付いていない。自動車内装用の原料も不足しているらしい。
   (園芸用の使い捨てゴム手袋の値上げが痛い。コロナ前の約3倍になった。)

現在の中古車市場が高止まりしているのも、こんなところに理由が求められるようだ。日本の中古車を東南アジアに輸出して現地で再使用するらしい。相棒が手放したT社の普通車は、アジアのどこかで2度目の人生を送ることになるのか。それはそれで誰かの役に立つのだから納得できる。 こっそりシートの下に、手紙でも隠しておけばよかった。
サポートカーの納車を待って、蟄居の冬になりそうだ。
 

  半導体とはなに?

世界の経済を左右するほどの重みをもつ「半導体」とは一体何なのか。言葉だけは知っていても、それは単に知識でしかないし、そもそも知識そのものを持ち合わせていない。私に取って一番イメージしやすのは、「パソコンのハードディスクを開けると、基盤に黒い物体が乗っている。そこからピュピュッとひげが生えている」状態だろうか。半導体の具体的な姿として目に見えるのがその黒い物体。
すこし勉強してみよう、と借りてきたのが、この本。
   『「半導体」のことが一冊でまるごとわかる 』
井上 伸雄 、 蔵本 貴文 (著)   ベレ出版 2021.11.25刊

半導体とは:
上掲の本による解説に、半導体は二つの役割に分けられるとあった。
役割その1. 電流や電圧を制御する(アナログ半導体)
       スイッチ----電流を流したり止めたりする役割。制御する。
       変換----電波信号を電子機器のなかで扱えるように信号を電波に変える働き
       増幅----センサーが捉えた微小な情報を電気信号に増幅する。

役割その2. 考える機能を担う (デジタル半導体)
       計算する---プロセッサ
       記憶する---メモリ

ここまでは包括的な話なので、理解できる。半導体は導体と絶縁体の中間に位置しているとも。
しかしその後が問題だった。半導体の原始から始まり、日本の通信技術の黎明期の話や、ICやLSI、メモリやLEDまで易しく解説してある---はずなのに、大まかにとらえることしかできない。その出来事の詳細を数式入りで解説されているが、数学+電気音痴の私にはうむ。困ったことに 表面をなぞるだけで終わり十分理解することが出来ないのだ。
「科学的にやさしく解説してあって、半導体開発の最前線に立っていた著者だからこそ書ける内容で、技術史要素を含み、先端技術までしっかりとらえて時代に流されない入門書」なのに。 おのおのの製品はどのようなものか、想像はできるがそれを作り上げる工程や元になる数式がすっと頭に入ってこない。

雨の午後半日かけて読み通したが、 面倒なことはすっ飛ばす、といういつもの性格がでてきて、前半はともかく、後半の説明は深く理解できなかった。 見て取れるのは「理にかなった人 vs 理にかなっていない散漫な私」の対立。表面をざっと浚って分かっているつもりになるが、その下に広がる根っこの肝心な部分に目が行き届いていない。
ああ、残念。半日でイベントはおしまい。これでは三日坊主にさえなれない。

  * 幾何の問題で、「多角形の頂点にABCD----と順に番号を打つとする」。
   この番号の位置を変えたら、何が何やら分からなくなる誰かさんの気分になった。(分かる人には分かる話)

         里山の暮らし630. 2021.12.10         
           

 贈り物の難しさ

履き替えた新しいスノータイヤの調子を見るのを兼ねて、朝からお歳暮を贈る手続きに出かけてきた。お相手はごく割り切れる関係にある方。早割と、割り引きが重なる日を選ぶとは、われながらちゃっかりしている。 たいして悩むほどのこともなく選んで終わった。これで年末の仕事が一つ終り。チェックした項目を一つずつ消していく作業が終わると正月が来る、という段取りだ。

お歳暮とお中元。これにはある思い出がある。相棒が現役のころ、季節になると宅急便がやってきて届けてくれる品物を、次々に「受け取り拒否」していたから なのだ。
ドライバーさんが「これも拒否ですか?」と門扉の前で聞いてくる。「はい」と私。伝票の裏にハンコを押して拒否終了。ブーと音を立ててトラックが去っていく---「あれはカニ、その前はビール。この前は薄かったから商品券だろうな」と未練がましく思ったりしていた。送り主は会社の取引相手だったり、個人営業の方だったり。

ある時など、送り主(個人事業主)の奥様から
「なぜ受け取っていただけなかったのでしょうか」との電話を受けたこともあった。
相棒の意向を受けての私の返事は、
「たまたま仕事の立場が違うところにいるだけで、お宅さまと私どもは共同して仕事をしている仲間です。いわば平等なのです。いつもご無理申し上げているのですから、決してお気遣いの無いようにお願いします。」と答えた。なぜか「ご立派な方なのですね」との返事があったのを覚えている。立派?それはそうだが、台所を預かる主婦としては、未練が残る。

そうだな、すこしの贈り物を受け取ることで、仕事に影響があってはいけない、と思い直す。
大げさだが、「太平洋戦争後の食糧難の時代に、闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で餓死した判事」の気持ちがほんのすこし理解できる。自分の信じることを貫けるか。貧して鈍しないように、と心を持ち直す。でもああぁ、だ。
正直、律儀、プライドが高い。相棒にこの行動に駆り立てるのはそのどれだろうか。意固地なのかもしれない---いい言葉を思いついた。それは「いさぎよい」だ。

先日相棒の兄夫婦にお歳暮をお送りした。義姉にはサイズを確かめて紺のカーディガン、義兄には日本三大饅頭の「柏屋の饅頭3種」、手製の干し柿や柚子を沢山、カルシウム補給のためのウェハースの詰め合わせ、海苔など。 喜んでいただけるものを探してひと月の間、こちらもこころ浮き立つ思いをした。

次の日、義姉と電話で1時間しゃべり通す、とこれはいつものこと。喜んでいただけて嬉しい。なにしろ義両親の最期を看取ってくださったお二人なのだから。

   
    スイス、グリンデルワルトの景色(2021.12.1) (ホテル・ダービーの3階、食事が美味しい)
左上に見えるのがアイガー北壁。アイガービューの部屋に4連泊してハイキングしたのはもう8年前になる。右手はインターラーケンに降りる電車。左手の1番線からは、アイガーを巻いてユングフラウへ向かう電車が出る。
               (写真は日本語観光案内所HPから)

 

      里山の暮らし629. 2021.12.5          
           

 

  初め ての自動車教習所

秋の初めからずっと気になっていた免許証更新のための教習に、思い切って出かけてきた。何しろ40年前に南米で取得した免許をそのまま日本に持ち帰り、技能をチェックされることもなく切り替えたのだから、私の運転の腕はヘタの極み。

40年前の南米でほとんどテストらしいテストもなく、ぐるっと回り名前を書いておしまい、という試験に合格したからと言って技術が身についているわけでもない。
帰国して運転を始めたのはその15年後。ぶっつけ本番で(大阪のあの)道路に出て練習して、そのまま今に至っている。教習所のコースも知らないし、自己流の運転技術しか身についていない。以後5年ごとに免許証を更新 できたものの、今回テストを受けると考えただけで不安はいっぱいだった。教習所のコースを走ると考えるだけで、身が縮む。当日、試験官を隣に乗せ、「私、かくかくの事情があって教習所なるものに来たのは初めてです。普通車に乗るもの初めてなのです。」と言い訳がましく言うと、 試験官の顔が引きつり、助手席のサブブレーキに乗せた足に力が入ったような気がした。「この車をぶつけないでくださいね。弁償してもらいますよ(笑い)」。

しかし嬉しいことにyoutubeで予めイメージしていたからか、S字カーブもクランクも難なく通り過ぎて、一件落着。これで誕生日前に更新手続きをすれば新しい免許証が手に入ることになった。
しかし、いい経験をした。この教習をきっかけに、交通法規をおさらいし、特に高齢者が犯しやすい間違いを頭に叩き込んだことは一番の収穫だった。
過信するな、歩行者優先だ、危険と隣り合わせにあることを忘れるな。と。

 このところの手仕事

 
雨の多い夏だったので、柚子が豊作。
柚子のジャムを作る。
半分だけ皮を剥く。いなばの白兎みたいだ。
  ♪皮をむかれて赤はだか♪
 
皮を刻んで水に晒す。数回繰り返し、最後は水からゆっくり茹であげた。そのあと水に晒してアクを取る。あの柚子特有の香りを飛ばさないようにする。 果汁を絞り、種を集めてペクチンを取る。
「刻んであく抜きした皮+果汁+果糖」を中火で煮詰めるだけ。→冷凍した。
 これで8パック目。一年分が出来上がった。
 チリメン山椒作り
奮発して上等のチリメンを買ったら、不思議でもなんでもないが、やはり美味しく出来上がった。

 荏胡麻とだし昆布のつくだ煮
冷凍庫に隙間を作るため、場所を占領してしいる荏胡麻を消費する。美味しくできた。 空いた隙間には干し柿を詰め込むつもり。

11月下旬には二回、会津からの雪が飛んできて、あられも降った。昨夜は音を立てて降る雨。雨上がりの朝は北風が強く寒い。これこそ木枯らし。 そろそろ水道管の水抜きをしないと凍結するかもしれない。
いよいよ冬のとば口にやってきた。

里山の暮らし628. 2021.12.1          
           

  霜月も終わり

11月の忙しさときたら---「飛ぶように過ぎる日々」だった。 夏花壇の整理と来春への準備、苗の植え込み、菊芋を掘り上げて配って歩く。柿を沢山干した。それを友人におすそ分けする。
車2台を下取りに出すための段取りと、業者への手配。何人もの買い取り業者がやってくる。新しい車の選定と値引き交渉、光ファイバー敷設への手配。(ようやくなのです。導入が遅い地域だったのと、コロナで2年も先のばししていた)半導体不足で当初よりも納車が遅れるのに、早々と一台は売ってしまった。冬タイヤを手配しないといけない。Zoom講座を受けてレポートを送ったり、ある夜は月食を観察していたり。紅葉狩りにも5回ほど出かけた。極めつけは私の自動車免許の書き換え手続きがあるはず。
ご存じのように、新しい免許を手に入れるには、高齢者講習を受けないといけない。その前段階の認知機能検査が結構ややこしくて、この数日覚えるのに努力していた。が、記憶力の減退は抑えようもない。
ところが、思わぬことが起きた。教習所に連絡すると、「あなたの年齢だと認知機能検査は必要ありません。視力や視野の検査と実車テストだけですよ」との返事があったのだ。えええと無限に「え」を書き連ねたいほどの驚き!なんだ。いらなかったのか。相変わらずのあわて者だ。相棒が笑う----恥の上塗りとはこのこと。
認知機能テストへの対策を練っていたのが、こういういきさつで思いがけず必要なくなった。結局軽自動車しか乗ったことが無かった私が、相棒の普通車を借りて車庫入れの練習をしたり、交通法規を確認しただけで終わりそうだ。

 9月に挿し芽したゼラニュームが、花を付けるようになった。
百発百中!しかし15本もある挿し芽の行く先が無い。このまま黒ポットの中で冬を越すしかないか。だれか要らないかな。  

        里山の暮らし627. 2021.11.24

                  

 

   朝かげを集めて白し花やつで
朝6時に起きた。外はまだ薄暗い。林の中から朝日がのぞき、光を浴びて白く光る。 
ウコギ科の仲間なので、タラやウドの花に似ている。別名はテングノハウチワ(天狗の羽団扇)。


葉は本来八つに切れ込んで9枚に裂けているものが多いはずが、庭のヤツデは3枚から6枚に切れ込んでいるだけ。 風があまり通らないので、切れ込みを入れて風の流れをやり過ごす必要が無いからか。下には三つでが見える。

「八手」の八は数が多いという意味らしい。
なるほど。長い間八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を八股と信じていて、それなら頭は9つではないか?と考えていた 時代があった。あぁあ。

 

キクイモ・菊芋」を収穫して配って歩いた。外来種 キク科ヒマワリ属

多糖類イヌリンを含み食物繊維が豊か。その形から芋とあるが芋類と異なり、デンプンをほとんど含まない。
血糖値やコレステロールを下げる作用がある。と良いことだらけ。
 

相棒が郷土史講座主催の現地調査(遠足)に出かけたので、一日ひとりだ!ウレシ!

お弁当の中身は、ミンチカツ、春巻き、シュウマイ、舘岩の赤かぶ漬け、白豆の甘煮、お稲荷さん、ブロッコリー、リンゴ、完熟の日本イチジク、日本三大お饅頭のひとつ福島柏屋の饅頭(こし)。

甘やかしすぎ?一人分に手をかけ過ぎだけど、同行者(ご婦人が多い)があるのでこれは私の見栄。

    里山の暮らし626. 2021.11.14

                  

  手紙

 K様
先日のお便りにあった広重の「線状の雨」が降る朝です。雨を線状に表現した絵は、広重によって初めて描かれたとお聞きしました。これから前線通過と共に秋の嵐が吹き荒れそうです。窓越しにその変化を見ているのも興あるものです。
那珂川町馬頭広重美術館にはもちろんおいでになりましたね。 
 <http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/>
建築家・隈研吾氏デザインの、八溝杉を縦に使った壁の連続が美しい建物です。竹林の風のそよぎを感じながら歩くと、天井から日箭が降り注ぐ静謐な空間に続いて広重の絵が展示されています。
われわれも何度か訪問し、広重作品に詳しい学芸員さんにさまざまな作品鑑賞方法を紐解いていただきました。雨の表現にすこし手を加えることで、まったく違った印象に導かれるという貴重な経験をしました。

 歌川広重の名所江戸百景中の「大はしあたけの夕立」

昭和の広重とも呼ばれる浮世絵師。版画家の川瀬巴水が描いた「塩原」の
 「塩原おかね路」 江戸東京博物館 所蔵 1918年(大正7年)
 「塩原しほがま」 江戸東京博物館所蔵 1918年(大正7年)
 「塩原畑下り」 江戸東京博物館所蔵 1918年(大正7年)
これらの作品が塩原図書館に掲示されているのを見て広重の構図との共通点を感じています。ほか巴水の「日光街道」の杉並木も重量感があって見応えあります。

お便りの中の
>那須に来て金売り吉次兄弟の墓があることを聞く。

亡き父が講談師の説く「金売り吉次」をラジオで聞いていましたが、子供のころですから何が何やらサッパリ分かりません。今思うに、父から話を聞いておけばよかった----後悔するころには親は無し。
金売吉次とは「平安後期の伝説的人物。奥州の砂金と京都の物品との交易を行った京三条の商人」「源義経が奥州藤原氏 を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたとされる。」のですね。(by Wikipedia)

 秋色の白河の関 左右の狛犬がおもしろい

お便りにありました。
>そういえば、陸奥に金が産したといって、喜んだ聖武天皇の話を思い出した。陸奥は金の国だったからこそ平泉文化が華開いたのだ。

陸奥は金の国、たしかに。
日本はかつて産金国だったのが、東大寺盧舎那仏造営に費やし、さらに幕末、明治の不平等な金銀交換のせいでそれを失ったと聞いています。

ところで広重美術館を那須の方面に少し登ったところに、「小砂・こいさご」の地名があるのをご存じでしょう。NPO法人「日本で最も美しい村」に選ばれた、棚田のある村落です。江戸時代から続く焼き物の里。ここから古くは金を産出し、奈良の大仏様(東大寺盧舎那仏像)の造営に使用されたという言い伝えがあります。なお近くの健武には古金の里の石碑も鎮座しています。

 
 小砂の棚田  那珂川町HPからお借りしました。     

参考になりますか。『海行かば』(うみゆかばについて)。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(む)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへり見はせじ (長閑(のど)には死なじ)

  『万葉集』巻18「賀陸奥国出金詔書歌」4119番。(大伴家持作)の長歌から採歌。
原文抜粋:
陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖すめろきの 神の命みことの 御代重ね 天の日嗣ひつぎと 知らし来る 君の御代御代 敷きませる------- 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立ことだてて 丈夫の-------朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言みことのさきの聞けば貴み

古代から政体保持の役を担い、軍を率いて権力を誇示してきた大伴、物部の両氏も、律令制度がととのい仏教が浸透するに連れ、その勢力が衰えていきました。いや必要とされなくなったのでしょう。法で支配する世が始まったのです。抒情的で現代に繫がる精神構造を持つ大伴家持が、大伴氏の棟梁として大仏建立を発願した聖武天皇への忠誠を誓った「賀陸奥国出金詔書歌」。必死な思いが伝わってきます。当時天皇を誉め讃え弥栄を願うに、わが身を貶めて表現するのは普通のことでした。(美辞麗句を扱うのは一種の才能のようです)
この『海行かば』が戦争を鼓舞するため軍歌として第二次世界大戦中に利用されたのをどう考えるべきなのか、いまだに答えは出ません。

飛鳥の地から東へ向かうと聖地とされた吉野に行き着きます。そこを流れる吉野川に丹生と名付けられた地名が残ります。水銀を産するという意味ですね。陸奥の国で産した金と、丹生で産する水銀とをアマルガム合金にし、鋳造された大仏様に金メッキを行い、炭を積んで燃やし水銀を蒸発させました。この時に使われた金は430s以上、水銀は2.5t。
(水銀が蒸発すると水銀中毒にかかる---水俣病です---このせいで奈良には奇妙な病気が流行った----光明皇后が作った悲田院、施薬院はこの病に対応するものだったとの説も)

あ、失礼しました。こんな話を始めると面白くてつい書き過ぎました。

お話しのなかの、
>衆議院選挙、マスコミの予想外れに驚く。

日本経済新聞11月7日付け朝刊に投票行動分析が載りました。事前予想を上回る自民党への支持が集まったのはなぜか。男女、年齢、階層別に選挙をした場合の議席数を推定すると---などの内容でした。

雨にせかされるように、樹々の葉が乱れ落ちていきます。
この季節だけ聞かれる湿った音、乾いた音が、冬を、あるいは年齢を重ねる秋を「思え」と教えてくれています。
立冬も過ぎました。これから吹く風は「木枯らし」と呼ばれるようになるのでしょう。
     11月9日 
 

  里山の暮らし625. 2021.11.9

                

   ぐるぐる回る季節に

柿を干した。今のところ70個。これからまだまだ増える。

 蜂屋柿 ウィスキーで渋を抜いてもおいしい。

夫が今乗っている車(1800cc)と私の軽自動車を売る手続きをした。これからは二人で一台だ。
新しい車を買う手続きを済ませた。納車は12月。
ビオラ200本チューリップ300本その他を植え込んだ。これから数が増えるかもしれない。
紅葉狩りに行った。明日もまた紅葉狩りの予定。
など、秋はとても忙しい。パソコンに向かう余裕がないのです。

   里山の暮らし624  2021.11.5

                

 

   定植まであと2週間

 
9月8日に種まきしたビオラがその後どうなったか。BeforeとAfterがこの写真。
魚が入っていたトレーから、黒い育苗用のポットに植え替えて50日になる。本格的な冬が来る前に定植してやらないといけない。時に朝の気温が3℃に下がることがあるので、昼は日に当てて週に一回液体肥料を与え、夜間は簡易温室に入れて----乳母日傘の50日だった。
定植は11月10日までに済ます予定だ。冬の間には地上部ほとんど生長しない、というよりも寒さで縮こまってしまうが、地面の下では丸い大きな根っこボールを作っていて、春になるのを待っている

 トレーに種まきすると、持ち運び出来て便利。
   

       里山の暮らし623  2021.10.29

                  

 

   ようやく山の天辺に来た 

朝5時45分起床。家事を済ませて庭に出るのが8時半。夏の花を抜いて堆肥置き場に運び、草を取り、花壇に石灰を混ぜ込んで中和し、1週間置いてから「牛糞堆肥たくさん+鶏糞少し+発酵油粕+有機化成肥料少し」を混ぜて耕す。午前の部、午後の部と忙しい。まだ咲いている夏の花を惜しみながら抜き、育てている花苗の生育具合を見ながら定植の時期を探る。

こんな作業をずーーーと続けていてようやく秋作業の山のテッペンに登ってきたような気がした。今日は秋晴れ。ほっとする。作業の展開が見えるとやる気が少し出てきたようだ。
明日からは、石灰を鋤き込んだ花壇に堆肥その他を入れる。少し足りないかもしれない。ひとっ走り調達してくるか。
しかしまだ小さい苗(ビオラ、デルフィニューム、ネモフィラ、ワスレナグサなど)やチューリップの植え込みが待っている。これ、下り坂の作業と考えよう。

作業をしていると低空飛行で目の前を横切るカラスがいる。いつものヤツ。偵察に来たらしい。仲間を呼び寄せて屋根にたむろして騒がしい。カラスたちはしゃべりながら上下にはねるので、案外大きな音が聞こえてくる。ガビチョウも集まって鳴きわめき、ヒヨドリも10羽ほど一本の木に集結してこれもまたやかましく情報交換している。鳥も集まるとオバサン化するようだ。

というわけで、本格的な紅葉狩りの前に済ますべく獅子奮迅?の働きの10月ももう終わりに近づいた。選挙はとっくに済ませたので、あとは高みの見物だ。


 路辺のランタン マムシグサの液果。林の中でぽぉ〜っとそこだけ明るい。

     里山の暮らし622  2021.10.24

                  

 

  うるさい!」と叫ばないから蝉よ鳴け-------セミとカッコウの生息調査

那須野が原博物館の蝉調査 なはくリサーチ 
    http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/event/research.html
リサーチの調査期間:令和3(2021)年5月1日(土)〜10月15日(金)

しかし調査に参加し始めたのは遅れて今年の7月8日だった。 残念だが5月と6月の記録は取っていない。
10月15日で調査が終わったので以下まとめておきたい。
なお、調査は私の庭での結果であって、あくまでも庭で聞いたタイミングを記録したもの。私個人の体験でしかない。
     ( 自宅の場所は那須連山の南西、標高425mの雑木林の中。)    
ただし、外部で聞いた場合はその旨記載している。

  初見(初聴) 終見(終聴)   備考
 カッコウ  7月14日  7月17日 北北東の高い空を飛び渡るのを7/14,7/16、7/17の3回聞いた。いつもの年のカッコウの初鳴きは5月連休明けくらいだが、上記のように調査を意識し始めたのが7月なので、今年は聴きそこねたのかもしれない。あるいは個体数が少なかったのか? 
 
 ホトトギス  7月15日  8月16日 7/15、7/18、7/20、7/28 7/30、7/31、8/6 それぞれ1羽高い空を横切る。朝早い時間に飛び回ることが多かった。
 

 
  初見(初聴) 終見(終聴)   備考
 

  ヒグラシ

 

  7月8日

 

 8月23日

ある暗さ、明るさを条件として鳴くようだ。朝早くから鳴き始めたのには驚いた。哀しそうな響きがする声だ。
たとえば 7/8 初ヒグラシ鳴く(3時半から30分間)
     8/11 ヒグラシが鳴く(4時35分から20分間)。

夕方はある暗さになると、鳴き始めるようだ。したがって晴天の夕方6時に鳴き、曇りの日の4時に鳴くという現象が起きた。
最盛期は7月末の1週間。集団で鳴き、その集団がいくつもあって輪唱しているように聞こえた。ワンフレーズが7秒という回もあり元気な個体の集まりのようだった。
ところが8/12からは例年にない涼しさで、早朝と夕方の鳴き声が聞こえてこない。終聴8/23。このころは涼しい1週間だった。
 
 

 ツクツクホウシ
 

 7月25日
 

10月4日
初鳴きは7/25。以後8月いっぱいは、上記の涼しい1週間を除き朝から夕方まで鳴き続ける。暑ければ暑いほど集団で元気に鳴き喚く。一番の元気もの。

10月11日 那須野が原公園でツクツクホウシの声を3度聞いた。
 
 

 ニイニイゼミ
 

 7月15日 
 

 9月13日 
梅雨の最中の7/15初鳴き。集団で生息しているようで、8月中旬まで元気いっぱいに鳴く。ただし鳴き声は地味で、時にツクツクホウシの声にかき消されるようだった。

その後涼しい1週間をはさみ、終聴の9/13まで気温の高くなった午後などに鳴くことがあった。
 



 ミンミンゼミ



 8月11日



 8月31日
庭での初鳴きは8/11。以後8/31まで鳴いたが、その日の天候によって鳴く個体数が変化する。もちろん晴れる日が好きなようだ。そもそも個体数は少ない。庭を雑木で囲まれていて、好みに合わないのか?

週2度行く近くの道の駅「明治の森黒磯」青木では7月中旬から8月中旬まで大合唱していた。開けて日当たりが良く、そのうえドイツ式庭園風なので樹液の出るカエデ類が多く植えられているからか。地面にはセミが抜け出た穴があちこちにみられる。

7月27日 塩原図書館 盛大に鳴いていた。ここもやはり開けて日当たりが良い。しかしカエデ類の樹木は少ないのだが。

上記の二つの場所では、9月に入るとパタリと鳴き声が止まった。ある時期に集中して地面から這い出て、繁殖を目指したらしい。----なにしろその個体数の多さから出合いが多いのではないか。
 
 アブラゼミ  7月30日  8月26日 晴れて夏らしい天気の昼間に鳴くことが多く、しかも単体で鳴いていた。
しかし雨模様の日が多くて、この夏に聞いた回数は10回に届かない。
 
 チッチゼミ  9月24日?   YouTubeで鳴き声を探して聞いてみたが、庭での声がチッチゼミの声なのかどうか、確信を持てない
 

ヒグラシに ついて------鳴くのに温度、照度が大きく影響するらしい。那須では7月から8月に鳴き、低地では8月から9月にかけて鳴く。赤とんぼが秋になると山から下りてくるように、ヒグラシは標高などの 自然状況を選んで生息するのかもしれない。

   「蝉は7年間地中に生息し、羽化して地上に出ると7日間生きる。」
これが定説だとされていたが、 実際は条件さえ合えば最長ひと月近くの寿命を持つと知った。新鮮な驚きだ。 人間をはじめ外敵や捕食者が多いため、長期間生きるのはセミにとって難しいが、さまざまな運に恵まれると長生きできるらしい。

思い付いて調査に参加したこの夏は、空を見上げ耳を澄ませた夏だった。
新しい気づきもあったことが、単純に嬉しい。

読んでくださった皆さん。蝉に生まれるとしたらどの蝉を選びますか。 私はツクツクホウシ かな。
鳴き声のワンフレーズの終りの音がぐずぐずと消えていくのが「鳴き疲れた」ように聞こえて面白いから。いつも元気で精一杯遊んだ子供のころを思い出すから。 なによりもリズムが楽しい。祭囃子のようだ。
 左はブルーベリー、右はオオデマリ 庭の木が紅葉してきた。
 

  里山の暮らし621  2021.10.17

                  

   花壇の整備がプレゼント

「今日は結婚記念日だね」「ははそうだ。忘れていた」「何もプレゼントがないなぁ、悪いね」「いやいや」
去年はころりと忘れていたせいか、相棒がやけに謙虚な物言いをした朝だった。
レストランで食事? 暗いなか出かけられないしおまけに10キロ以上ある。帰りがコワイ。
こじゃれた何かをプレゼント------ダイヤモンドでも要らないよ。

「この根っこが無ければ、ここの花壇の花の生長が順調なのに」とこぼしていた言葉をどうやら覚えていたらしい。
何年か前に切り倒した桜の木の根っこがかたまりでに残っている花壇があって困っていた。
相棒、運動会のように白鉢巻をしてその花壇に座りこみ、スコップで周囲の土を除け、バールで根をほじくり出し表面に現れた根(直径10センチ)を切っていく。汗みずく になる。
つまり、この「穴掘り」がプレゼントになるらしい。得物を持って格闘すること3時間、ようやく根っこを掘り出すことに成功した。
過去を思わず(ほじくり出すと何やかや出てくる)未来も考えず、ただシュールな「いま」を生きているわれわれ。


手前はマリーゴールド
ピンクはオキザリス・ボーウィ(ハナカタバミ)
奥はメランポジューム
ほんのり紫色はクレマチス(藤娘)

仲秋を彩る季節の花たち。


10月9日、民間調査会社のブランド総合研究所(東京都港区)が調査した「都道府県魅力度ランキング」の結果が発表され、栃木県は昨年の最下位から41位に躍進?した。

昨年の10月14日、それは県民にとって驚くべき出来事が起きた。上記の調査で「最下位は栃木県」だと発表されたのだから! 青天の霹靂だった。
これまでは茨城県が連続7年間も最下位だったので、ブービーという順位を面白がる余裕があったのかもしれない。
しかしこうはならじと県知事が、発表後に件のブランド総合研究所を訪れて直談判。
「84の調査項目の一つである「魅力度」が「総合的な評価との誤解が生じている」と指摘し、「観光意欲度」や「居住意欲度」なども加味した総合的な評価項目を設けるよう求め、調査方法についても、約600人だった回答者数を増やすことを要望した。」
底辺からの出発は、最下位を逆手に取ることから始まった。県は新しく魅力発信プロジェクト「47(そこ)から始まる栃木県」を発表し、イベントを準備し、とちぎ和牛やイチゴの「とちおとめ」を使用した新商品を開発し、西日本、とりわけ関西圏での知名度の低さに広告プロモーションに打って出た。結果は41位 だ。これで満足すべきか?

しかし統計の数字など、扱い方によってはどうにでもなる。回答者の年齢、地域なののかたよりがあるかもしれない。それに600人という少ない数で傾向を論じられるだろうか。

里山の暮らし620  2021.10.11

                

    また旅に出たい 
「猫に木天蓼」で知られるマタタビ。かねて果実をひと目見たいと願っていたら叶った! 思い続けるものだ!
植物に関して新しい事実が目の前に現れると、
一日が明るくなる。

 
林の中にぶらりぶらり。たまたま訪れた塩原の山の奥の小さな空き地でお弁当を食べていたら、頭の上にぶらりぶらり。これはお弁当どころではない。
矯めつ眇めつ、あっちからみて写真を撮り、全体の姿をみては記録に残し、最後は飛び上がって蔓を引っ張りようやく実を手に入れた。変わった形だ。細長くて先っぽが尖っている。大きさは長さ2センチ直径1.5センチ。
新しい知識が増えると単純に嬉しい。
マタタビは花期に花を取り巻く葉が白く変わる。これは受粉媒介者を呼び寄せる作戦だろうと言われている。それ以上はよく分からない。。
秋の終りには元の色に戻るらしいが、すぐに落葉の季節がくるだろうに。

 

キイウィの原種に近いので、果実を割ってみたら種の配置がそのままキイウィだった。
不思議なことにこの実を青いまま齧ってみたら「辛い」。あの唐辛子の辛さと同じだった。 捕食者への目くらましか、身に付けた知恵なのか。
このまま熟すと甘くなるようだ。お酒に漬けるとマタタビ酒ができる。
 

よく似た植物にサルナシがある。こちらもマタタビと同じマタタビ科マタタビ属だが、 マタタビと違い果実の形がキイウィにそっくりな俵型だ。北海道ではこのサルナシを「コクワ」と呼んでいる。
そうです! あのドリカムの歌にある、(ドリカム=DREAMS COME TRUE)
♪ 晴れたらいいね 山へ行こう次の日曜日---一緒に行こうよ こくわの実また採ってね--♪ 
                           作詩:吉田美和 作曲:吉田美和 編曲:中村正人
この曲に出てくる「コクワの実」って、「サルナシ」のこと。原種のキィウィ。キーウィより遥かに小さい実でありながら、十分に熟せば、まさにその味はキーウィそのもの!
これにはいまだ現物に出合っていない。熟す時期には、産直のお店に出ていたことがあったが。
困った。----ドリカムのあの歌が脳内リピートを始めた。  転調に次ぐ転調で、次第に音取りがおかしくなってくる。

さて、マタタビに戻ろう。
草鞋を履いた旅人ががこのマタタビを見つけて食べ、元気になって「また旅をする」。こう物の本に書いてある。確かに糖質を摂取して元気を取り戻すことはありそうだ。
また旅に出られる日がやってくるだろうか。

市からのお知らせがあり、当市のワクチン接種は順調に進んでいるとのこと。
9月30日現在、1回目接種完了83.3%、2回目接種完了60.8%。
当初の目標だった「9月末で12歳以上の接種希望者の8割が接種完了し、6割が2回目の接種を終える」を達成することができました。
この数字は県内の市では最も高くなっています---とまことに喜ばしい知らせだった。
医療関係者や市政の担当者の皆さんのご努力の成果が表れたのだろう。秋の陽がことさらまぶしい朝だった。

     里山の暮らし619  2021.10.6

                   

 

  風と共に休む 

10月1日、夜半から台風襲来の雨。庭木の剪定が8割がた終り、今日は身体を休める日だ。
この3週間というもの心身ともに疲労してしまって動物化していたのを、ようやく人間に戻す作業にかかれる。
市のシルバー人材センターに依頼していた庭木の剪定の作業日は、本来10月初旬に予定していたがひと月も伸びてしまった。センターに登録しているメンバーが高齢化で減り、更に雨の続いた夏に予定が狂ったらしい。落葉樹は秋の終りの剪定でも大丈夫だが、常緑のヤブツバキやイングリッシュ・ホーリーは遅くに刃物を入れると枯れが入る心配がある。

田舎の生活は「自助努力」。
われわれで出来る部分を前もってやり、プロにお願いする剪定の量を少なくして費用を節約しようと考えていた。ところが順延の知らせに戸惑う----しかしそこへ相棒のひと声があって「今年は自分たちですべてやろうよ」と。
ため息をついてみても始まらない。以後夏日も秋風の吹き始めた日も、連日朝から庭木と格闘してきた。
ようやく8割がた終わったところに台風襲来の知らせがあり、急いでクリーンセンターへの持ち込みだけを依頼したところ、ピッタリのタイミングで搬入ができた。
怒涛の3週間が終わった。節々の痛みがあるものの満足感に浸る雨の日。さてこれから秋の予定を立てよう。

毎回だけど、プロの仕事は見ていて美しい。二人の息がピッタリ重なって、言葉に出さなくても仕事が進んでいく。

合間に秋の実りを頂いてくる。三つ葉アケビが口を開いて。野鳥と競争だ。写真を撮ったあとはメジロにプレゼントする。手前の丸いのは、ヤブツバキの実。これから椿油が採れるらしい。ユキツバキの葉は、雪の重みに耐えられるように、もっとしんなりして柔らかい。
                    

       里山の暮らし619  2021.10.1

                 
 

    大忙しの長月は--取りあえず画像を貼り付け---説明は後日 (結局忙しすぎて後日の説明はできなかった)

   
ビオラ ラベンダー・ピコティ   植え替えてと苗が言った。本葉が出てきたのでポット上げ。発芽率90%。
桜草のピンク、黄色のプリムラに合わせるとこの色の選択は当然のこと。小さいポット、やや大きいポットと順にポット上げし、11月初旬には定植する。冬の間に株は大きくならないが、地面のなかでは根が張り続けて大きなボール状になる。


桂の木の黄葉が始まった。カツラ科カツラ属 丸くて幼げな葉だ。黄葉しきって落ち葉が散り敷くと、カラメルのような甘い香りがする。  詳しいことは http://kemanso.sakura.ne.jp/katura.htm 


近くの道の駅に隣接して、明治の元勲青木周蔵の別邸が保存されている。広場に咲くのは、黄花コスモスと矮性コスモス。

         里山の暮らし618  2021.9.26

                   

 

 

  ひたすら手を動かすのは秋の日の楽しみのため --- 仕事をやっつけてから遊ぼう

荏胡麻の実が熟してきたので、収穫し外ハごと乾燥させている。種は植物油を含むのでお日さまには当てられない。
このあと冷凍庫で保存し、気が向いた時に「出汁を取った後の昆布(もちろんその前のほうが美味しいけれど」)と一緒にして佃煮にする。オメガ3脂肪酸を含むのできっと体にいいだろうと 考えて毎年種を播くが、始末に困るほど発芽するので間引くことが多い。
会津では「じゅうねん」と呼ばれ「食べると十年長生きできる」という謂れがあるらしい。
かの地へ遠出して食べるじゅうねん餅の美味しいこと!
そういう秋になるだろうか。
 

ぶらぶらしているのは、果実酒にするナツハゼの黒い実。毎年手の届く高さに実がなるように剪定してしていて、今年もうまくいった。
収穫の適期はいつなのか、迷うばかり。熟して落ちる、野鳥に食べられる、はやる気持ち---これらの間を縫って収穫する。
いつもは焼酎に漬けるけど、今年は奮発してウィスキーに漬けてみようかと思案中。
(私は一切飲まないのです)
(こういうことをするのが好きなだけ)

この景色を子供のころの自分に見せてやりたい。あの頃はあけびが嬉しいおやつだった----。
隣の境界にかぶさっているエゴノキに、いつの間にかミツバアケビが実を付けて揺れている。
メジロの群れがやってきて小さい頭を並べて鳴きさざめき、賑やかに食べている。
わがままなヒヨドリは、一羽で飛んできてこっそり実をほじくっている。
鳥たちが喜んで食べているのを見るのは、いつだって心がふんわりする嬉しさ。

ようやく三分の一まで済んだ。10月1週には市のシルバー人材センターに庭木の剪定をお願いしてあるので、それまでに自分たちでできる部分を片付けないといけない。全部丸投げという方法もあるが、ここは節約あるのみ。
ノコギリで枝葉を切る、根っこから抜く、一輪車で集めて門柱のところまで運び積み上げる。
これを二人でもう一週間も続けている。阿吽の呼吸で、と言いたいところだが、どちらも「自分の方が多く働いている」と考えているらしい。自己満足にでも浸らないとやっていられない仕事の量なのだ。

 9月17日現在、当市のコロナ感染者の数はのべ377人、 約300人にひとりが感染したことになる。
とうとう感染を苦にして自殺した人のニュースが聞こえてきた。身体的な苦しみからではないらしい。古い因習の残る土地の、地域の同調圧力に耐えきれなかったのかもしれない。更にある宗教団体の高い位置にある人だったらしく、 特殊な団体だからこその周囲からの視線を浴び自分を責めてしまったのか。
市のHPには「コロナ感染はその人の責任ではありません。周囲が責めないように」という掲示がなされた時期があって、今考えると 、それは不幸な出来事があったころのようだ。
より良く生きるための宗教なのに 信者のストレスの矛先になったのか、心理的に負担だったのか。一人で悩み死を選んだ人の心持ちを想像すると、人間の心の振り幅の大きさに驚き、内に向かってしまった精神の哀れさに合掌するしかない。

        里山の暮らし617  2021.9.19

                     

 

   沢山のヒマワリをどうしたかと言えば


ひたすら脱穀(種をはずす)した。そうしてタープに広げて乾燥させる。
子供のころ収穫した稲を庭先で茣蓙に広げて乾かしたのを思い出す。懐かしい。
これは天気と相談なのでうかうか留守ができない。
アスファルトに照り付ける太陽熱を利用して広げるのが一番。

例外として丸のまま干してみた。ログの軒先でぶらぶらしているのがそれ。
そのうち目ざといシジュウカラが、直接ついばみにやってくる。
それも良きかな。

今日は夏日が返ってきた。10月初旬に予定しているプロの庭木の剪定の前に、出来るだけ自分たちでやろうと、朝から二人で大奮闘。
思い切って切る木、剪定する木。さまざま。

年金暮らしだから、自助努力を怠らない。
気力だ! と鼓舞する、しかし疲れた。暑い。
でも仕事は始まったばかり。


大好きなビーツの中は、こんなにぐるぐる。

      里山の暮らし616  2021.9.13

                

    ビオラの種まき 

6月、はるばる京都からビオラの種が届いた。種は発芽率を90-95%と予測してして注文しておいたけど、数年前から種袋の値段は変わらないが、入っている種の数がずっと少なくなった。だいたい2倍くらいに実質値上がりしたと思う。
休眠打破するためにこの夏、種袋は冷蔵庫の一番温度の高い所にしまっておいた。
         ビオラ ラベンダー・ピコティ 

毎年種まきの日は9月1日の午後と決めている。一年に何回も無いことなので、緊張する。
9月4日、播種後3日。小さな種が水を吸って膨らみ、発根している。本葉が出るまで順調に生長し、その後の移植が容易なように分散させたつもりでも、結果そうでもなかったようだ。しっぽに根をくっ付けた種が、あちこち向いて太陽光を避けようとしているので(根の嫌光性)互いに離れた場所に根を伸ばせるよう 、爪楊枝で土を少しつつき、そっと移動してやる。
よしよし、いい子たちだ。

9月6日 双葉が出てきた。徒長して軟弱な苗にならないように、この時点で日に当てないといけない。まだ発根さえしていない種もいるが、ここは思い切ることにしよう。湿気さえ与えていれば、そのうち発芽してくるのは確実なのだから。
(なぜ、生長に差があるのか?これは繁殖作戦らしい。徐々に周囲の環境を見ながら生長の速度を調整している。何らかの環境の変化に対応するために。 コーヒー豆もブルーベリーもこの作戦を採り入れている。 楢の木のドングリなど、発芽の時期は5月から10月までの半年間。生き残り作戦だ。)

もう少し気温が下がったら、灰を混ぜるのを忘れずネモフィラの種を播こう。
 食品トレーを重ねて。持ち運び簡単。

身近な植物を見ていて、「これは初めて見た!」という喜びにありつけることが少なくなった。
          久しぶりに出会った初見の植物「コケオトギリ・苔弟切」 。
     オトギリソウ科オトギリソウ属 背の高さ20センチほど。本元のオトギリソウによく似ている。
    
  コケオトギリ  花径1センチ

 ヒマワリの花首 245個
これから種を外し(脱穀して)乾燥させ、冬の間の野鳥の餌にする。 こう書くと簡単なように思えるが、なんのなんの。じっと座っている労働そのもの。鳥たちの、特にシジュウカラたちの喜ぶ顔を思い浮かべないと、とってもやっていられない仕事。ま、嫌いではないけど。  

     里山の暮らし615  2021.9.8

                       

 

パリパリ   一番好きな林檎の話

待ちに待った「さんさ林檎」が道の駅に出てきた。赤くてつやつや。きちんと、これ以上ないほどの林檎の顔をしている。出回るのはこの時期の2週間ほどなので「見たらすぐさま買う」。出会いが勝負のさんさ林檎。

ニュージーランド南東島へ旅してマウントクック行きのツアーに参加したことがある。ドライバーさんの席の窓際に小ぶりの林檎がずらりと並んでいて「ご自由にどうぞ」と書いてあった。もちろん林檎好きの私は、自由にするに決まっていたけど。

那須に来てこのさんさ林檎に出会った時、あの時のニュージーランドのバスに並んでいた林檎にそっくり、と驚いたが、当然だった。さんさ林檎はニュージーランドの「ガラ種」と、日本の「あかね」を交雑させて作出された品種だった のだから。
小さめで果皮の赤みが強く、さすが「あかね」の血を引いている。「ガラ」もやはり赤い果皮を持っているようだ。
果肉は固め、甘味と酸味が調和して歯切れがいい。
パリパリ。こうやって嬉しい音を立てる雨の朝。

緊急事態宣言で始まった2021年の夏も終わりに近づいた。あの正月明けの喧騒から8か月も経ったとはとても信じられない。瞬く間にも思える。この8か月はまるで私の中に存在しなかったように、薄っぺらい透明な空気のように流れ去ってしまった。この秋 の時間はどのような色をしているだろうか。

驚いたことに、100年前のスペイン風邪蔓延の時にも、「マスクを付ける」は強制ではなくて、現在と同じく「自粛」にとどまっていたらしい。現在のわれわれは要請され、自粛を求められる-----自分なりの自主的な判断に行動をまかされている。世間の目や共同体からの同調圧力によって日々振る舞っているようだ。これはもう日本特有の文化と考えるしかない。

    
  ひとつ60円

*「さんさ」と言う名前は岩手県盛岡市で8月に行われるお祭り「盛岡さんさ踊り」に由来するらしい。藩政時代から盛岡市近郊各地で行われていたさまざまな形態の「さんさ踊り」を統合したのが現在の「盛岡さんさ踊り」。
 
  *宮城県民謡の「さんさ時雨」と関りがあるかもしれない。祝い歌なのでこの林檎に重ねてみる。
    ------この家座敷は目出度い座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ
        ショウガイナ ハァ メデタイ メデタイ-------

 タカサゴユリ・高砂百合が花をつけた。その花数32個!  紫蘇と荏胡麻がわさわさ。これをどう使おうか。

        里山の暮らし614  2021.9.4 

                       

 

  セミと郭公の生息調査

那須野が原博物館の蝉調査 なはくリサーチ 
    http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/event/research.html

このリサーチに参加し始めたのは今年の7月8日だった。調査は10月15日まで続くのでちょうど中央時点の8月末までの結果を記録しておきたい。(調査は庭での結果。外部で聞いた場合はその旨記載している。)
  日々の記録はここに:http://kemanso.sakura.ne.jp/birds.htm   (削除しました。)

 カッコウ 郭公
郭公の声を聞いたのは、7/14,7/16、7/17の3回。空高く飛び渡っていった。いつもの年のカッコウの初鳴きは5月連休明けくらいだが、今年は聞き逃したようだ。あるいは個体数が少なかったのか?オスが繁殖と縄張り争いのために鳴いているようだが、托卵する鳥だと知って聞くと 、厚かましい声色にも思える。古代の呼称は呼子鳥(よぶこどり)。

ホトトギス・杜鵑・不如帰・時鳥
7/15、7/18、7/20、7/28 7/30、7/31、8/6 それぞれ1羽高い空を横切る。托卵相手を脅すためか身体の割に羽が大きく 、飛び方が騒々しくて不器用に見える。 弟切草伝説で、弟を切った兄がホトトギスに変身したという言い伝えを思い出す。兄は後悔して飛び回る「弟切った、おとうと切った」。

セミについて

1) ヒグラシ 
那須に来るまで、ヒグラシは夏の終りの8月から9月にかけて、夕方薄暗くなるころ、寂しさを感じさせる声で鳴くものだと思っていた。しかし こちらに来て、夕方は勿論だが、夏の初めの早朝、まだ薄暗いころにヒグラシが鳴くのに気づいた。
どうやらある明るさになると鳴き始めるようで、たとえば、
7/8  初ヒグラシ鳴く(3時半から30分間)
8/11  ヒグラシが鳴く(4時35分から20分間)。
7/8から8/30の52日間の記録を見ると、早朝に鳴き始める時刻が毎日後ろにずれながら1時間程度遅くなっている。あるいは日の出の時刻と関係あるのかもしれない。宇都宮気象台の記録を探してが、気象庁では日の出日の入りの時刻を発表していないようだ。もっとも今自分がいる場所の緯度経度から、日の出日の入りが計算できるらしいが、算数音痴のワタシ、二の足を踏む。
夕方はある暗さになると、鳴きき始めるようだ。したがって晴天の夕方6時に鳴き、曇りの日の4時に鳴くという現象が起きた。最盛期は7月末の1週間。集団で鳴き、その集団がいくつもあって輪唱しているようだった。ワンフレーズが7秒という回もあり元気な個体の集まりのようだ。
8/12からは例年にない涼しさで、早朝のヒグラシの声は聞こえてこない。以後8/30まで夕方だけは遅い時刻に鳴く日があるが、個体数が少ないようだ。

ヒグラシに付いての思いつき
鳴くのに温度、照度が大きく影響するらしい。那須では7月から8月に鳴き、低地では8月から9月にかけて鳴く。赤とんぼが秋になると山から下りてくるように、ヒグラシは標高などの生息地の状態を選んで生息するのかもしれない。

 
2) ツクツクホウシ
初鳴きは7/25。以後一月後の今日まで、朝から夕方まで鳴き続ける。暑ければ暑いほど集団で元気に鳴き喚く。一番の元気もの。

3) ニイニイゼミ
初鳴きは7/16 以後今日まで毎日欠かさず声を聞かせてくれる。集団でいるようだ。鳴き声は地味。賑やかなツクツクホウシのBGMに徹しているように思える。

4) ミンミンゼミ 
近くの道の駅や塩原図書館では7月中旬から盛大に鳴いている。開けて日当たりが良く、特に樹液を吸えるカエデやモミジの木が多い場所が好みのようだ。青木道の駅の地面はセミが抜け出た穴があちこちにみられる。
庭での初鳴きは8/11。以後毎日鳴くが、その日の天候によって鳴く個体数が変化する。もちろん晴れる日が好きなようだ。
5) アブラゼミ
庭での初鳴きは7/30。晴れて夏らしい天気の昼間に鳴くことが多い。雨模様の日が多くて今年はあまり鳴かない。 いままでに聞いた回数は10回に届かない。単体で鳴く。

 『万葉集』にはセミを詠んだ歌が10首。
  ・ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし 大伴宿祢家持  巻17-3951 
  ・萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く    作者不詳    巻10-2231

 *8月31日は宿題の日 
  わが黒歴史が頭をもたげる。

     アメリカシオン キク科

     里山の暮らし613  2021.8.30  

                    

 

     この二日間、蒸し暑いなか何をやっていたのか

オイルタンクの水漏れ修理、となんとも後ろ向きの仕事だった。ここは寒冷地なので、灯油を小分けで買っていられない。灯油のオイルタンク(200L入り)を家の裏側に設置し、そこから床下に配管を伸ばし居間のストーブ(強制排気、輻射熱利用)に繋げてもう20年近く使っている。
先日ひょっと見ると(見なきゃよかった。知らぬが仏なのに)オイルタンクの下に取り付けてある水抜き用のプラスティックキャップにヒビが入っているのか、下に数滴灯油が落ちているのを 気付いてしまった。

   

オイルタンクは外気温との温度差で結露し、内部にH2Oが溜まってくる。
フィルターを通してその水を受け、数年に一度は水抜きをしないといけない。
タンクはこういう仕組みになっている。今回は水ではなくて灯油が漏れているようだ。それが問題だ。

あちこちネットの中を探して歩き、新しいオイルキャプを見つけて注文し、今朝、やっと神戸から届いた。
修理するにはまず、タンク内に残っている灯油を赤いポリタンクに移動させないといけない。すこし外にこぼれてしまった。灯油は空気よりも重いので、下に溜まる。姿勢を低くすると臭いし危ない。
古いキャップを外し、ストレーナー(濾し器)とオーリング(丸い密閉用シール)を掃除して再度取り付けた。

こう書けば簡単だが、暑い、油で汚れる、匂いがするの三重苦のなかようやく修理完了。
赤いポリタンク2杯分の灯油を再びタンクの中に入れ戻す---その方法は。
まず脚立を持ってきて、棚に厚板を固定する。その厚板の上に灯油タンクを載せ、高低差を利用して灯油をメインタンクに入れる。重い。底に残ったのは手動で入れる、これが難しい。
安全第一なので、予めすべての機材をロープで何かに結び付けて固定した。これが結構時間がかかる。危ない仕事は一人が一番早い、と相棒がいつも言う通り、二人でやるとちょっとしたタイミングのずれがあって、イラツクこともあった。無口の相棒と六口の私、「何か動きをする前に、これから〇〇するよ、と言ってね。でないとサポートできないことがあるから」。前もって伝えていても、さっさと仕事をしたい相棒には届かない。
ああ、修理完了。今晩のごほうびご飯はなんだろう、と言っても作るのは私。

(注)灯油ポリタンクの色
関東は赤、関西は緑。なぜだろうか。ガソリンは赤タンクへ、これは定番のはず。現在はポリタンクにガソリンを保存することはできない 。しかし混乱しないのだろうか。関東人は冷静沈着なのか?

(注)田舎の暮らしは:
出来ることは自分でするのが当然だが、心弱りしたのか平均レベル以上の仕事は、なんとか外注したいと思うこともある。しかし成功した時の満足感には代えられない 。

       里山の暮らし612  2021.8.25   

               

 

  いい感じに仕上がった  

秋海棠がそろそろ花を咲かせそう。
雨が多かったせいか鬼灯の実が素直に大きくなって、いくつも鈴を吊り下げている。
すこし色づいているのが可愛らしい。子供のころの遊びを思い出して、取って細工をしてみようかなどと考える。
今年初めて植えたベゴニアの花が盛りを迎えていて、ピンク----赤----ピンクの行列があでやか。

 里山の暮らし611   2021.8.20    二度目の梅雨が明けた   蝉しぐれ   赤とんぼが山から下りてきた

                

 

   蜘蛛の子はそろそろ散っていくか 
 
ミニログのデッキにクレマチス・モンタナが絡めてある。今朝小雨のなか、葉の陰に蜘蛛の卵嚢が隠されているのを見つけてしまった。
卵嚢のまわりを幾すじもの蜘蛛の糸がバリアを形作っている。ちょうどオリンピックで採用されたバブル方式のようにすっぽりと。あるいは昔の蚊帳のように。
バリアの大きさは10p×10pくらいだろうか。卵嚢を中心にして蜘蛛の子たちは互いに一定の距離(2-3ミリ)を保ちながら、身体を糸に固定している。バリアの上を細かい雨が滑り落ちていくが中は濡れていないようだ。
よく見ると、小さい体はすでに一人前に蜘蛛の形をしていた。身体を小刻みに震わせている。外気浴だろうか。震わすことで体に熱を発生させているのかもしれない。
       
ところがカメラを近づけてみると子蜘蛛たちの動きがピタリと止まった。まるで誰かが「フリーズ」の合図を送ったかのようだ。生まれたてながらも、小蜘蛛たちは眼が見えるらしい。近づいてきたのは捕食者とでも思ったのか 。
カメラを遠ざけてみる。小蜘蛛の視線が届かなくなったのか、50センチまで離れると小蜘蛛たちはふたたび小刻みに体を震えさせはじめた。 シジュウカラのヒナは、巣立つ前に巣箱の中で羽ばたきの練習をするが、蜘蛛の子も飛ぶ練習をしているようにも見える。

蜘蛛は秋になると卵嚢をつくり卵を産み、次の年の春に孵化するはずだが、季節の上ではすでに遅い。雨が多かったせいなのかどうか分からない
この画像の卵嚢にはいくつ子供が入っていたのか----おそらく数百から数千匹だが、この中で無事に成虫になれるのは、この中の1%にも満たないだろう。

蜘蛛の子たちよ。卵嚢ごもりしている蜘蛛の子たちよ。いつ散っていくんだ。今日は雨だから短い糸を出して凧のように飛んでいくには相応しくない日だな。もう少し晴れる日を待ってくれ。私もコロナ籠りしているよ。もう1年半になるよ。君たちのように飛び出したいが、自分の身は自分で守るしかないな。だから相変わらず籠っているよ。食料も読む本もあるよ。
君たちも前途多難だな。生き残れるのはほんの1匹か2匹だろうから。

【卵嚢 egg capsule 卵はさまざまな物質で包まれるが、そのなかでも袋状をしているものをいう。卵の保護と水分保持,他物や卵同士の付着,受精の成立などに役立つ。】

【蜘蛛の糸 クモの糸は強くて柔軟。同じ太さで比べると、鉄の糸の4〜5倍、ナイロンの糸の2倍の強さ】

【蜘蛛の巣の経糸と横糸】蜘蛛は自分の巣にひっかからないのか
巣の横糸にはねばねばした粘球をくっ付けてある。縦糸にはそれがないらしい。蜘蛛は経糸の上を動いているようだ。でもあわて者の蜘蛛もいるだろうに。調べると蜘蛛の身体や脚は油性物質を含んでいて横糸に引っかかっても、するっと逃げれれるようだ】
あぁあ濡れちゃった。 雨に濡れた雉が羽繕いをしている。

       里山の暮らし610   2021.8.15     今日は敗戦記念日 6時の気温は16.5℃涼しい

                

  K氏との植物探索  -----ほとんど同級生の気分で

K氏からこんなメールが届いたのはこの春の初め、3月のことだった。
「春になり昔から見ている道ばたの花の名前を知りたくて添付しましたのでお教えいただければ幸いです。勝手なお願いで恐縮です。」おお何と丁寧な言葉遣いなのか。

繭ごもりのなか植物探索を始めたK氏、路辺で見つけた花の名前が知りたくて調査を続けていたところ、偶然にも私のHPの「那須に咲く花」のページに行き着かれたようだ。思い切って直接質問をしようと連絡くださったのが、上のメール。
更に偶然が重なり、このK氏は、相棒が那須町シニアカレッジの講座を受講していた時の同級生だということが判明した。
お住まいは私の家から10キロくらいのところにある。標高は我が家よりも100mほど高いか。植生も少し違うようだ。

以後、K氏からほとんど毎日のように画像を添付したメールが届くようになった。
(せっかちでお節介な私は)すぐさまそのメールに「植物の名前とその分類」を添付し、情報を加筆して返信してきた。植物の種類はどのくらい の数になるだろうか。すでに100種類に届いているかもしれない。
植物に興味を持ち始めた人が、どのような思考経路をたどって探索を広げていくのか、これにとても興味があった。なるほど、こういうふうに視点が広がるのか。植物が立っている時と風に靡いて横たわっている時では、全く別な植物に見えるのか----などとその精神のおもむく先が見えてきて、次第に私も一緒に散歩しているような気になってきた。

先日、「始めて5ケ月になります。初めと今とではご自身の探索の態度に変化がありますか?」と聞いてみた。
やはりせっかちなK氏、すぐさま返事があり、こうあった。
あまりに素直な文章なので感激する。(転載はご本人が快諾してくださいました。)

「植物探索もう5ヶ月!
あっと言う間でした。探索態度が変わったというより名前を教えただくことにより花を探し歩くとともに、その育ちぶりを観察する散歩が楽しくなり、毎日、毎日が楽しい一日となりました。
丁度小学校の先生が自分の生徒の名前と顔が一致し、次第にその生徒の成長ぶりがわかるような楽しみです。小学校の先生の経験はありませんが、そのような楽しみがあるからこそ生徒を教えるという苦労も楽しみに変わるんでしょうね。問題はもうろくしてきて生徒の名前を忘れてしまうことですが。
来年、同じ場所でまた会えると思うとそれまで記憶力を維持していこうという気持ちでいっぱいです。有り難うございました。」

もともとK氏は、日本の歴史や文学に造詣が深く、植物の背景に文学を絡ませて解説すると、素晴らしいノリでお返事をくださる。たとえば月見草と待宵草の回には、
「富士には、月見草がよく似合ふ。」(太宰治)を読んでわざわざ富士山に出かけてきました、などという裏話を聞かせてくださる。 (原文に黄金色の花とあるからには、太宰が見たのは白い月見草でなくて黄色い待宵草だろう)
一回り近く年齢が上のK氏だが、全くそれを感じない。
良い植物友達といった感覚で互いに発言できるのが楽しい。

 道の駅に懐かしい瓜が出ていた。 待宵草の花の色に似ている。


「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ いづくより来りしものそ目交にもとなかかりて安眠しなさぬ」 
    山上憶良詠   詠まれたのはこの瓜に似ている。子供のころからある瓜。

    里山の暮らし609   2021.8.10

                

 

 You might think but today's hot fish.
          ゆうまいとおもえどもきょうのあつさかな

英語を習い始めた中学生のころ、こんな戯言を言って笑っていたのが懐かしい。暑さも寒さも身に堪えることなく、目前にある「問題と楽しみ」に精神を傾けていたあの若すぎる日々よ。

那須高原---それは涼しくて羨ましい。と皆さんおっしゃるが、決して決してそんなことはない。最低気温と最高気温は、たしかに大阪時代よりも低いが、周囲を林に囲まれているわが家は、「風が通らない」。湿気と相まってやはり暑い。年々暑さを感じるセンサーが鋭敏になっているような気がする。
那須高原という名前は、これは市の観光課の陰謀だと思う。おまけに栃木県には海が無い。

8月3日 歯科医へ健診に
歯磨きのレクチャ―と、歯茎の奥にある歯垢の掃除。わざわざ広島から出張してくださる歯医者さんに、「広島弁が懐かしい。私は岡山出身なので、そのアクセントを聞くと心がざわざわします」なんて治療の合間にしゃべる
---元来私は無口だけと故郷の訛りを聞くときは別なのだ。(ん?無口?むっつ口がある?)
先生に付き添うのが説明能力のある親切な歯科衛生士さんなので、安心安全(誰かの呪文みたいだ。変な言葉だ)。

8月2日 隣の別荘に、良くしていただいているおばあちゃまがいらっしゃる。何年ぶりだろうか。
「静かで平安な毎日で、私は幸せ」とおっしゃる。おんとし93歳におなりだ。生きてきた歳月のエッセンスが香りたかく身体から浸みだしているようだった。私はおばあちゃまのように年齢を重ねることができるだろうか。
 

連日朝の涼しい時間に草取りをする。
あっち向いて草をとり、こっちを向いて草を取り。次にあっちを向くとすでに草がぼうぼうと音を立てて生えている。
敗戦色は、地震で停電した夜よりも濃い。

さて今日もセミとカッコウの調査を続けよう。

槿の花が咲いてきた。大阪時代のお隣さんからお餞別に挿し芽を貰ったのが、5メートルの高さまで育った。
  http://kemanso.sakura.ne.jp/asagaho.htm  『万葉集」にはこうある。

  

       里山の暮らし608   2021.8.4

              

   空に耳を澄ませて  セミとカッコウの生態調査        

 那須野が原博物館の蝉調査 なはくリサーチ 
      http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/event/research.html

こういうお知らせを見ると、いそいそ参加するのがワタシたるゆえん。
はじめてカッコウの鳴き声を聞いた。
各種の蝉が鳴き始めた、それはいつ、どこで?
こんなことで頭を一杯にしていて、いつも耳は空と林に向いている。

日々の調査はこちら: http://kemanso.sakura.ne.jp/birds.htm
調査は10月まで続くので、いずれまとめてみるつもりだ。夏籠りもなかなか面白い。

空を見上げたり、林の中に目を向けたり。地面の、セミが生まれ出た穴を探したり。こんなことばかりしていた。今朝ふと見ると 、夏茗荷がどっさり頭をもたげていた。
(ふと見なきゃ良かった。両手がどろどろになり、汗びっしょりになってしまった)
洗って頭を下向きにして乾かしておく。
これ?どうやって食べようか。お味噌汁がいいか、酢の物にしようか。茄子と一緒に漬けようか。

この茗荷の根っこは、40年前、相棒の実家の裏山から掘り上げ、大阪の家で育て、そして今の場所に連れてきた 大切な根っこ。歴史のある根っこ。
食べ過ぎて忘れものをしないように。気を付けよう。
 

          里山の暮らし607   2021.7.29  
                

 

   かみなりさまの働きは

相棒の実家は1970年代からのおよそ30年間、県有数の原木シイタケ生産者として知られていた。今は義兄夫婦も高齢化して重い榾木を運べなくなり、栽培は止めている。
めったにない帰省のおりに義兄が「雷の多い年は、シイタケが豊作になる。それは米も一緒だ。雷のあのジグザグの光を稲妻(=稲の妻」と呼ぶだろう」と話していたのを、どこかに記憶していて、なぜだろうと気になっていたが、最近やっと雷とシイタケ、雷と米の関係が分かってきた。これまでオゾンが関係しているのかと考えていたが、まったく違っていた。

雷は電子を分配するだけでなくて、マメ科の植物の働きと同じく窒素固定に役に立っているようだ。窒素は生物の生命維持に取って大切な要素だ。空気の8割近くを占めているのにかかわらず、動物も植物も窒素をそのまま身体に取り込むことができない。
【雷のエネルギーで窒素分子が原子に分解され、その原子が酸素と結合して窒素酸化物となる。この窒素酸化物は水に溶けるので、雨と共に地中に入り込む、またはシイタケの榾木に吸収される。生物の糧となるというわけ。 】
ではどのくらいの割合で自然界で窒素固定をするのか----約10%らしい。当然残りの90%は細菌の力を借りているということだ。

水質に関して気になっていることがある。当地住宅地全体で管理し、わが家でも使っている井戸水にこの窒素酸化物が浸みこんでいて、毎月の水質検査のたびに 少し検出されるからだ。
周囲の酪農家で飼育されている牛、特に乳牛の排泄物の中に、過剰な硝酸性窒素が含まれているのがその原因らしい。
硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素を合計した基準含有量は10mg/L 以下。現在の数値は1mg前後なのでまあ安心だが、硝酸性窒素を毒性の高い亜硝酸性窒素へと還元してしまう種類の菌がいるらしい。それに田畑から流れ出した硝酸態窒素は、流れ出した先の富栄養化を引き起こす。
越してきた時には、「井戸水を飲める」と喜んでいたが、こんな側面があったなんて知らなかった。大本の給水場所に逆浸透膜を使ったろ過装置を取り付けてあ り、わが家の台所にも浄水器が設置されている。安心と言えば安心だが、那須の綺麗な水を期待していたからこそ、複雑な気分だ。

・7月23日 オリンピック開会式。
天皇陛下のお言葉に、「祝い」ではなくて「記念」とあった。
大阪なおみ選手が聖火の最終点火者になったのが素晴らしいことだ。人類の多様性の具現者だから。

・7月21日
三回目の抱卵と育雛に成功し、無事に5羽のシジュウカラが巣立った。
今日は庭木を巡って飛び、親鳥に餌の取り方を教わっているようだ。鳴き声が小さく可愛らしい。「ち、ち、ち--」。
まだくちばしも胸毛も黄色い。

 世界はどんなに広いのだろう。

      里山の暮らし606   2021.7.25  
                

   『ふりさけ見れば』      

7月23日から、『日本経済新聞』朝刊文化欄の連載小説に、安部龍太郎の「ふりさけ見れば」が掲載されることになった。
現在の連載小説、伊集院静氏の「ミチクサ先生」は中断があったものの、作家の夏目漱石を主人公にしていて、明治、大正を生きた文豪とその時代を多面的に表現し、激動する時代を描いて読み応えがあった。今まで知らなかった漱石をめぐる人間模様を描くことで、そのパズル のピースの中心人物を浮き上がらせる----この作家としての能力とその力量に圧倒された日々だった。
この作品の後を引き継ぐに相応しい作家は相当なる手練れでないと、読者が納得しないだろうと予想していたが、予想たがわず歴史小説家の大家として知られる安部龍太郎の登場となった。
安部龍太郎は、2011年1月〜12年5月に日本経済新聞朝刊に連載された『等伯』で直木賞を受賞したのが記憶に新しい。

主人公は奈良時代、遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂。唐の国家試験である科挙に合格、時の皇帝玄宗に取り立てられ国際人として活躍した阿倍仲麻呂の苦悩と 、時代に翻弄された生涯が展開していく。同じく遣唐使として唐に滞在し、帰国の後聖武天皇の側近として力をふるったに吉備真備を二本目の軸として 、とうとうたる歴史が展開していく。
この夏の朝はこの『ふりさけ見れば』を楽しみに新聞を開ける。

作者安部龍太郎氏の言葉
「--中国との関係を抜きにしては、日本の歴史や文化は分からない。三十年ほど前に中国を旅した時、そう痛感した。いつかは、そうした視野を持つ小説を書きたいと思ったが、実現できないまま忘却していた。
ところが2013年に再び中国を旅し、忘れていた宿題を突然思い出した。そして遣唐使の物語を書けばこの課題をクリアできると、大きな手応えを感じた。阿倍仲麻呂と吉備真備を主人公とする物語に取り組む由縁である。」「執筆にあたって河西廻廊から天山南路へとつづくシルクロードを取材してきた。仲麻呂がいた頃の唐が、アラビヤやローマとも交易していた世界帝国だったことを実感したかったからである。」

心底同感した、というのはおこがましいが、2019年5月、短い間だったが、上海経由シルクロード北路を旅した。その旅の間中、心に鳴り響くものがあったのを思い出した。それは抑えがたく身体の奥にうごめく中国の歴史や文化への憧れ。説明しがたい思いだ。政治の形態、漢字、文化もろもろの影響を受け続けてきた日本人の一人として、自分のなかにある憧憬を確認する旅だったから。 http://kemanso.sakura.ne.jp/silkroad.htm


   
      
左:復元された遣唐使船の模型。当時の先端的な技術を用いて造船された。右:著者の近著
  画像は九州国立博物館HPからお借りしました。ありがとうございます。


早めの梅雨明けに、せっかく咲き始めた山百合が、暑さにうなだれている。

   里山の暮らし605   2021.7.18  
               

 

   三回目の抱卵 今回は余裕で

   
黄色いのが口よ、とはだかん坊。この時点では雄か雌かは分からない。

これは孵化して3日目くらいの画像。シジュウカラは普通10個以上の卵を産むのに、6月の抱卵に成功して気を良くした親鳥が、夏を前にもうひと踏ん張りした結果がこの雛たち。 でもたったの3羽と少ない。
そのせいか、親鳥が巣箱を往来する姿をあまり見かけない。それはそうだろう。12羽の雛たちに餌を与える努力と、3羽を育て上げる労力は比較するまでもないこと だ。
心なしか、親鳥がゆったりして梅雨の終りの日々を楽しんでいるように見える。

巣の材料は、近所の酪農農家の牛舎から盗んできた乳牛の毛。 この地域では主に白黒模様のホルスタイン種の牛 が飼われている。牛は個体識別するので、近づくと威嚇することがある。反対に慣れると甘えてくれるので、これはこれでとても可愛い。
シジュウカラは、生きている牛の背中から毛をむしり取ったのか。それとも落ちている毛を拾ってきたのか。
白黒牛は陽を受けている時、黒い場所の方が白い場所よりも熱を吸収して暖かいのか。ではシマウマはどうなんだろう。
梅雨が明けない空を見ながら考える。

    ホルスタイン種の牛

        里山の暮らし604   2021.7.14  
                

 

   ひたすらかき回す ----- 杏のジャムづくり

朝、起きると同時に窓を開ける。サッシの枠に取り付いて体を支え、手近なブルーベリーの木に左手を伸ばし、ひとつ二つと口に入れる。爽やかな酸っぱさが起き抜けの身体に刺激的。 さて今日の始まりだ。
毎日雨の合間を縫って収穫しているブルーベリーも、今日あたりで10キロに届くか。

  
5月の乾燥と6月の雨で、杏の主産地の長野県産が不作のようだ。いつまでも店頭に出てこないので、見切り発車した。
青森県産の杏を6キロ購入。
ひたすら鍋をかき回し。冬の柚子の種から取り出した「ペクチン」を足してジャムに。すこし友人にお裾分けしたあとは冷凍庫に保存する。 冷凍すると甘味を15%にと、少なくできるので安心だ。
   
そうこうしていると、デッキに蜘蛛が巣を張っているのを見つけた。この蜘蛛もひたすら巣作りに励んだのだろう。労多くして見返りは少ないようだが。

近所のお店に「地元産の加賀白梅1キロ124円」が出ていた。これで梅ジャムを作るべきかどうか、悩むところだ。杏ジャムで熱中症になりかけてもう懲りているはずなのに、丸いものを見るとジャムにしたくてたまらない。だれ?丸いものはもうイヤと言ったのは。コロナ太りをした自分の顔でも見ていなさい。

        里山の暮らし603   2021.7.9  
                

 

   錯視 その2 ----- ポッゲンドルフ錯視

 

前述の本によると、「ポッゲンドルフ錯視」とは。

長方形を横切る線はその長方形の左と右で、一直線でなく上下にずれているように見える。

しかし実際にはずれてはいない。
脳が直線と交わる角度を大きく見積もってしまうと考えられている」とのこと。
たしかに。

画像はルーベンスの代表作『キリスト降架』(Descent from the Cross)
アントワープ大聖堂 (聖母大聖堂の名前で知られる)  アントワープ(ベルギー) 2015.7.15  
   (左右のパネルの主題:左翼は「聖母マリアのエリザベト訪問」、右翼は「神殿への奉献」)

2015年7月15日。
フィンランドのヘルシンキを起点に、その名もクリスマス・エクスプレス(夜行列車)で北極圏に足を伸ばし、船と鉄道で北欧3国を経由して、デンマーク、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリアへ 抜ける。----無謀にもこういう旅程を立てて実行に移し、旅程のちょうど半分まで来た夏の日のことだった。
ブリュッセルを朝早く立ち、世界一美しいと言われる駅・アントワープ駅へ降り立った。珍しいことに駅には上下に重なる線路が通り、鉄製のドーム型の屋根がかぶさっている。技術者の相棒はその構築方法に興味津々。歴史を感じさせる階段や周囲の装飾に圧倒される。目指すはアントワープ大聖堂(聖母大聖堂)だ。気分が高揚していたわれわれ、ひたすら大聖堂を目指して歩く。途中で手風琴を奏でるおじさんに一曲リクエストし、大きなハグを貰った。

この大聖堂でようやく出会えた『キリスト降架』。イエス・キリストの亡骸を降ろす人物の力強い肉体表現に圧倒された記憶がいまも消えない。緊張感あふれるこの絵の前で、どのくらい佇んだことか。 ほかと違う時間が流れているようだった。

イギリスの小説家ウィーダによる『フランダースの犬』の最終章、冤罪を被った主人公の少年ネロが家を追われ、クリスマスイブの夜、愛犬(労働犬)パトラッシュとともに雪の降りしきるなかアントワープ大聖堂を目指し、ついに『キリスト昇架』と『キリスト降架』を目にして息絶える。この本にあるのが、このルーベンスの絵。
(『フランダースの犬』のアニメ放送(本放送1975年、再放送2008年)を毎週見て、最終日には涙で前が見えないほどだった。皆さんは?)

この絵の中に錯視を利用した部分があると聞いて、6年前の旅の記録を取り出してみた。
三連祭壇画のうち中央パネルは「キリストの十字架降架」が主題となっている。この絵の右下、イエス・キリストの遺骸を下ろすために用意された梯子の2本の足をそのまま左上に伸ばすと、絵の位置とずれができてくる。作者ルーベンスはこの錯視が起きることを予め知っていてこのように描いたのか。あるいは天才的な感覚に従ってこの構図を取りいれたのか。
絵が残されていること、今はネロの時代のように帳の中に隠されるのではなく、訪問者の誰もが感激を共にすることができること。これは本当によろこばしいことだ。この思い出があることを、素直に喜びたい。
 

    里山の暮らし602   2021.7.4  
                

  

  ピカピカするのはなぜだろう

居間から外へと直接広がるデッキの先に取り付けてあるフェンスは、木粉樹脂製で腐食することはまずない。正四角形ではないけれど、下の写真のように格子柄になっているので、この模様を利用してこの何年かは月に一回緑内障のテストをやり続けている。視野に乱れはないか、曲がっていないかなどを確認する朝は、 少し緊張することもある。

ところが何度もこのテストを繰り返すたび、面白いことに気が付いた。
片目ずつ視線をフェンスに投げると、幅4センチの樹脂が重なる部分に、緑とも灰色ともつかない薄い色が現れてくるのだ。ひらひらとその色が光り、乱れ飛ぶこともある。しかも焦点を合わせる格子の重なる部分だけにはその色が現れない。
いったいこれは何なんだ、どうしてだろう。あるいは私の目に何かの異常が起きたのか。------誰にも言わず心ひそかに案じていたが、その心配を押しとどめる日々が続いていた。これは正常化バイアスそのものだろう。いつも現実から逃げるのは良くないな。

ところが先日借りてきた本
『なぜこう見える?どうしてそう見える?錯視のひみつにせまる本』
    (新井仁之監修 こどもくらぶ編)の中にその答えがあった。

これは【ヘルマン格子錯視】と呼ぶ目の錯覚(錯視)だったのだ。 
白黒の格子柄をハーマングリッド(独:Hermann-Gitter、英:Hermann Grid)と呼ぶ。この格子柄に視線を当てると、黒が交差した白の部分が灰色に見え、視線が動くにつれその灰色が光りながら動いていく。「色の明度対比による視覚現象の ひとつ」らしい。
   
 この画像を見ながらその視線を動かしてください。ほら!   やや明度対比が小さい。曇りだからか。

Eureka!
脳が勝手に判断し指令を出す---この自分では抑えられない現象をハーマングリッド効果(ハーマングリッド現象)と呼び、発見者にちなんでヘルマン格子錯視と言われることもあるということだった。 知らぬは一時の恥ではないが、不思議に思っていることの理由が判明すると子供のころのように心が騒ぐ。
これで私の目に異常はないことが判っただけでも喜ばしいことだ。安心して緑内障チェックに励むことにする。

6月28日 今年初めて庭のニッコウキスゲが開いた。日光の戦場ヶ原はもう少しで満開らしい。
    里のニッコウキスゲはやや太め。

6月27日
コーヒーメーカーの持ち手がぽろっと折れた。すかさず相棒が修理する。家の中に修理して使っている道具があれこれあって、それを見るたび「私だって新しい製品を使いたいよ--」と思うが、聞く耳を持たない。

   里山の暮らし601   2021.6.29 
                  

 

   雨のあわいに咲く花は

       
 花菖蒲の花の蜜を吸いに        クレマチス 藤娘   植えて18年になる
       
  センノウ        ストケシアの初花 後ろは宿根ビオラ(白)
       
  トリテレイア   ユリ科   ラベンダー 取り入れ時期が来た   右はマツムシソウ
       
 マツモトセンノウ 珍しい白花   ムラサキツユクサ
  放射能に汚染されると雄蕊がピンクに変わる    
   
 今年のブルーベリーの収穫(3回目)5月の無常の雨で受粉したばかりの花が次々に落ちて、今年は不作の予想。

22日午後、2回目のワクチン接種終了。接種場所がやや重く感じるくらいで取り立てて副反応は無かった。
女医さんに「待ち遠しかったです。受けると決めたからには早い方がいいので」と話し、
市役所の人には
「その私の証明書を、写真に撮らせてください。一生に一回のことでしょうから」
「このワクチン騒ぎで、市役所の職員さんたち、大変だったでしょう」
職員さんは頭をかきむしりながら
  ----「それはそれは大変でした。これからも大変が続きます」
こんな会話をして帰宅した。ここら辺がいかにも大阪人だと我ながら思う。

23日。午前中は草取り。接種したことでなぜか正常化バイアスが働き、「これで罹らないな」などと根拠なく信じてしまったのが不思議だ。
午後勢いづいてカットに出かけきた。久しぶりなので、頭のさっぱり感を楽しみながら帰宅する途中、リス(本土リス)が突然道に飛び出してきた。思わず轢きそうになった---。グーーっとブレーキを踏む。驚いて車を止め恐る恐る外に出たら、ああよかった。轢いていなかった。
リスは?道端の家の庭でちょろちょろぴょんぴょん飛び跳ねているではないか。
そういう時にカメラを持っていない、残念。
あのリス「くるみ」が庭に来てくれないかな。(勝手に名前を付けている)

 里山の暮らし600   2021.6.24 
                  

 

 玄関ドアの鍵折れ事件

友人が入院し、古くからの知り合いが怪我をした。梅雨入りしたせいで、薄暗い空を眺めながらの朝食がすこし味気ない。つい友人の話になり、「いいことってめったに起きないけど、悪いことはしばしば、それも突然にやってくるよね」「本当だ。二人ともそういう年齢なんだから、気を付けよう」「うんそうだね」。

外出の予定のある朝だった。相棒は一足先に車を出しに行き、私は少し遅れて玄関のドアに鍵をかけようとしていたその時。「ピチッ」と小さ い音がした。何がおきたのかよく理解できない。しみじみ見てみると、玄関ドアの鍵穴の、二つのうちの一つに折れた鍵が詰まって-----刺さったままと言えばいいか----にっちもさっちもいかない。あわてて頭が うまく働かない。
ともかく上の鍵穴はロックされているものの、下の鍵穴には半端な鍵の先っぽが詰まっている、ということがようやく納得できた。不幸中の幸いだった。もし、キーを廻してロックしている時に折れていたら、どうやっても玄関を開けることは不可能だったのだから。この場合はまっすぐ鍵屋さんに直行だった。

取りあえず家そのものは、ロックされているので、そのまま外出したが、帰宅するまで解決方法を探るべく、車のなかで策を巡らす、と言っても文系人間のワタシが具体案を出せるかどうか。

1)残った鍵の半分に接着剤を付け、鍵穴の中に閉じ込められた鍵にくっ付けて一緒に引き出す。
  (内部はとっても複雑で、ヘタすると中に押し込んでどうしようもない結果になりそう)
2)鍵やさんを呼ぶ。
  (これはエンジニアのプライドが許さない。修理するという楽しみをどうして他人に渡せようか。)
3)自分で調べて修理する。これが一番安上がり。これでいこう。

私は直接の責任者ではないので、気楽なものだ。「暑くも寒くも無く、時間がたっぷりあるこの時期に起きて良かったじゃない。きっと暮らしの細部に神経を巡らせ よという神様の親心よ、などと茶々を入れる。(神様は公平ではあるが、決して親切ではないと思う)

まずネットで調べる。こういう事故にはさまざまなケースと原因があることが分かった。しかも鍵の大手メーカーのHPを見てみると、 多種類の鍵システムが存在するようだ。日本の家の数だけ鍵があると言ってもいいか。
特に我が家の鍵は建築メーカー用の特注らしい。鍵メーカーは「本来ならその建築メーカーを通して問い合わせが必要ですが、---お困りでしょうから参考になるHPをご紹介しましょう」と臨機応変の答えが返ってきた。
        (ここまで文系人間が役に立った。)
相棒、努力するひと。HPを見てじっと方法を探る。代表的な錠前システムのの分解方法について学ぶべく、画像と動画で基本的知識を得たところで日が暮れた。あとは実践あるのみ。
あくる日の朝、まずサムターンをこじ開けた。


H型鋼と言うのは、その形から左右上下への耐性が強い。

だけども最も狭い部分がたったの6.5ミリというのはいかにも弱弱しく見える。現に弱かったわけだ。

弱かった、と言っても20年近く使い続けてきた鍵を、いったい何回使ったのか。
ざっと計算してみたらなんと7千から8千回と出た。
これでは金属疲労が重なって折れるのも当たり前か。
こじ開けるという発想は無かった。なるほどその手があった。

 
 サムターンが外れて、これで分解用のネジが表面に見えるようになった。

  
やれるところまでやってみよう。外から外せるネジをすべて外し、シリンダーを裸にした。途中割りC型バネリングもあって複雑だったらしい(ここは良く理解できない)。自動車ほど耐振動性は必要ないのか、バネ弾性は強くなく助かったとのこと。静かに静かに、細心の注意を持って分解していく。(もしだめならプロの手に任せよう、と考えたかどうか)

  

 

 

 

  

ここは落ち着いて。
錠の入っているケーシングを万力で挟んで止め、上から細く加工した釘を、鍵穴に隠れているキーに向けて少しずつ打ち込んでいく。
鍵穴からほんの少し、2ミリほど鍵の断片が見えてきたところをすかさずピンチで取り出した。
 はじめ考えた「接着剤プラン」はとても無理だと分かった。
 内部には小さな棚のような仕切りがある。
 キーが入った時点でがっしり食い込む仕組みになっっている。
 万一押し込んだら、プロの手を借りないと解決できなかった
 はずだ。

午後の半分と午前中の2時間を使って、ようやく解決した今回の鍵事件。プロに頼むと費用がかかる。何より自分で解決したという満足感を得ることができなかっただろう。思案を巡らしたその夜は、きっと夢の中でネジを廻していただろうな、相棒は。
ご褒美は、父の日に「那須牛ステーキとライン河モーゼルワインの白」を用意しよう。ワインはすでに冷えている。

鍵事件を終えて。
鍵システムは10年から15年で具合が悪くなることが多い。
いつも使っているキーは、10年くらいで劣化(金属疲労)していくので、それを目途に新しく作り直すほうがいい。
今回玄関のキーを総入れ替えし、万一の場合に備えて、スペアキーをある場所に隠しておいた。
同じく車のキーは、車の外側に強力磁石でも使って張り付けてて置くと安心。トランクを開けるのに、なるべく車の内部から操作しよう。こんなことを話し合った。

      里山の暮らし599   2021.6.19 
              

  遊行柳と竹の秋

奥州街道の宿駅として栄えたのが、栃木県北部の那須町芦野。そのはずれにあるのが歌枕の地「遊行柳」。(ゆぎょうやなぎ)この名前は、藤沢にある遊行寺の歴代の住職が参詣に訪れたことに由来している。
この地には「室町時代に時宗19代尊酷上人(遊行上人)がここを訪れた折り、柳の精の老翁を念仏で成仏させた」という宗教上の伝説が残っている。
門外漢の私には疎い話だが、この話は能楽や謡曲の題材に使われていて文化人の間では知られているようだ。謡曲の「遊行柳」は西行の詠んだ歌をテーマにしてあるらしい。

  ・道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ    西行 (『新古今集、山家集』
   

手前の道をささやかな小川沿いに歩く。2本の柳が風に揺れているのが目に留まる。この柳は何代にもわたって植え継がれてきているが、最近の厳しい夏のせいか傷みが激しい。桜の木も植えられている。花の時期は ことに柳の新芽の薄緑とのコントラストが美しい場所だ。

なにより、ここは元禄のころ松尾芭蕉が訪れて『奥の細道』に記録を残したことから世に知られるようになった。
   『奥の細道』(遊行柳 元禄2年4月20日)
〔又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ 〕
   ・田一枚植て立去る柳かな

西行は「しばし」、芭蕉は「田を一枚植えるほど」の時の流れをここで味わった。西行に傾倒していた芭蕉の心はいかばかりか。ついで芭蕉と曽良は古道を北に取り白河の古関を目指している。

芦野ののびやかな谷を流れる奈良川の右岸、北側に位置している遊行柳の背には、孟宗竹の林が広がっている。竹細工の里は近い。ここの竹はようやく黄色くなり始めたようだ。竹の秋だ。

 今年も花菖蒲が咲いた 
畑で花菖蒲を作りはじめてもう15年にもなるのに、いまだに掘り返して肥料を遣り、土を篩って雑草(主にカラスビシャク)を取り除くことができていない。つい後廻にしていていても、季節の巡りに律儀な花菖蒲が花を付けてくれた。
今の季節に咲き誇るさまざまな花は確かに美しい。しかし、年齢を重ねてきたせいか、この花菖蒲の爽やかで自己主張の少なさに惹かれるようになった。
山野草の静かな存在感が身の内に沁み込んでくるには、時間の積み重ねが必要なのだろうか。
   

   里山の暮らし598   2021.6.13 
                  

 

  かわいいななつの子が

20年近くの経験から分かったことだが、シジュウカラは1回の抱卵で9個から11個の卵を産むことが多い。今年のこの巣箱を陣取った親鳥は、7つとやや少なめの卵を産んだようだ。

台所から見える場所にある巣箱に親鳥が出入りし、「ピヨピヨ」鳴くシジュウカラの雛の小さな声が聞こえてくようになった。
覗きたいよね、そうだねと二人は(珍しく)意見が一致し、こっそり扉を開けてみたら、7つの黄色い口が隠れていた。
雛のくちばしは大きくて黄色い。「嘴が黄色い」のは未熟者の例えだが、この場合は親の支えが無いと生きていけないという意味だろう。黄色いのは親鳥に口の位置をアピールするため。雛の数を数えるのにこの黄色いくちばしが目立って数えやすい。
 
        七つのくちばし                                                                   スズメが嫌がらせしている、それもつがいで。      

生まれたての雛は、全身が黄色い口と閉じたままの目そのもので、ひたすら親が給餌する餌を待っている。目が明くのは孵化後5日くらいで、その後次第に羽が生えてくる。
この時点で巣箱を開けると雛たちはじっと丸まって目を閉じ「死んだふり」をする。
ところがこの画像にあるように10日も経つと、身近に迫ってきた仮想敵をじっと見据えるようになる。おしくらまんじゅう状態だが、一羽だけ 巣の中の窪みから外に飛び出していて、身体も大きいようだ。
あと1週間もすれば7羽の雛たちは巣立つだろう。
ところが、この「外に飛び出していて身体が大きい雛」が、巣立ちのあと順調なシジュウカラ人生を送れるかと言えばそうでもない。
パトロールしているのだろう。上空を常に天敵のハシブトガラスが舞っていて、雛の巣立ちを今かいまかと待ちかねている。低空飛行をして巣箱を監察して通り過ぎ、ほかのカラスと情報交換しているようだ。ここに身体の大きい雛1号が飛び出したらどうか。あっという間に餌食になってしまう。周りの状況を見ながら、ゆっくり、おずおず、兄弟に押されて飛び出していく----こういう雛2号や雛6号雛7号の方が生き延びる確率が高いことがある。もちろんこの反対の状況も起きるだろう。
みな元気で旅立てというのは簡単だが、生者必滅の世界が待っている。

シジュウカラは、ほんの数キロ四方を縄張りとしている。平均寿命は2年まで届かない。普通は春に2回抱卵を行い、つがいで15羽以上の雛を育てている。天敵の被害に遭う、事故で死亡する、そういうことを 考慮しているのかなるべく多くの雛を育てようとしているようだ。しかし、同じ縄張りに個体の数が多すぎるのも問題だろう。どうやら1回目2回目の抱卵が上手くいかなかった年だけは、3回目の抱卵を行っているようだ。いままでで一番遅かったのは、十数年前の8月20日の巣立ちだった。生命の選択をしているのかもしれない。 あるいは小さい社会保障システムか。
どちらにせよ、庭で飛び回っているのは、この20年近くの間に庭の巣箱で孵った雛たちの子孫だ。
 【みんなみんな、うちのこたちなのです。】

観察を続けているうちに次第にシジュウカラは鳴き声でコミュニケーションを取っていることが分かってきた。自分なりに分析してみた。

「ジャージャー」  蛇がいるぞ。青大将が巣を襲った時の声ときたら、忘れられない。
「ピーツピ」    危ないぞ 警戒警報 巣箱に近づくとこの声で脅してくる。
「ヂヂヂヂ」    みんな集まれ 
カラ類(ヤマガラ、コガラ、ヒガラたち)はそれぞれの鳴き声に違いがあるものの、同じ周波数で鳴いているらしく、互いに意味を理解するらしい。この声を聞くと集まってくる。

  6月8日 裏表こんがらがる

急いでいる時にエプロンの表裏がこんがらがることがある。「ウラ」とマジックで書き入れた。よく分かるようになった。
ところが、パジャマのズボンの前側に「マエ」と書いた。ゆっくり見直すとそれは後ろ側だった。前→後ろと脳内変換しないといけない。
そして今朝、「○○○子さん、エプロンが裏だよ」。ウラと書いていても、そのまま着てしまったようだ。
  

    里山の暮らし597   2021.6.9 
               

    さんしょう摘み 6月2日

6月は山椒の実の取りいれ時。山椒の木は鋭い 対生のトゲを持っているので収穫そのものが怖い作業だ。そこで、大判の傘を木の下に広げる作戦を立てた。 てっぺんまで背が届かないので、ここは相棒に頼むことにする。
片手を使って枝を抑えながら、もう一方の手でパチパチと切っていく。枝のはね返りがこわい。普通は何かの容器に受けるが、今年はオリーブ収穫のまね事をしてみたら、これが大正解。早い、痛くない、 傘で受けられると、思わぬ上首尾に二人でにんまり。
実を洗って水に晒しておくこと1時間。塩を少し加えて茹でていく。時々指先でつまんでみて適当な柔らかさになったら取り出し、水に漬ける。ざるにあげ、水気を切って冷凍する。これで一年分の山椒ちりめんの材料が調った。

 


 
  ほんの少し集めるのにも、相当苦労する
 

 6月3日朝。  新規予約
5月6日に行われた当市の一回目のワクチン接種予約のシステム構築に、相当非難が集まったらしい。先着順で受けつける、それも電話とネットを同時に利用して。この結果は考えるまでも無くネット利用者の勝利に終わった。
そもそも、一つしかない椅子を、高齢者3人に争わせるなど、無理なことだろう。抽選制、年齢順、割当制など考えられる方法はあっただろうに、市側はあくまでも平等を言い張って高齢者の不満を呼び起こしてしまったようだ。
対象者から「いつどこで受けたい」を調査し、年齢、基礎疾患ありと言った優先度を考慮して抽選できなかったのか。
あるいは、年齢順に予約を割り当てれば不平等感が薄くなったのではないか。完全割当制も、前段階が平等だとすれば、これは接種者にも納得がいくかもしれない。

6月3日 新たな仕組みのもと接種予約が始まったので、お節介にも高齢の友人三人分の予約を代行した。
年齢順の割り当てで、今日は75歳以上の希望者を受け付ける。かかりつけ医(または近所の医療機関)を選ぶか、月遅れの集団接種を選ぶか。これを9時ちょうどに開始された予約システムにデータを投げ入れていく。ご夫婦の分は希望通りの 機関と日時が取れ一安心したが、もう一人の分は、データ三回目の入力になるので、時間がややずれ希望したより遅い日しか取れなかった。ああ、残念だった。あの時のあの瞬時の判断ミスがこの結果に結びついてしまった。申し訳ない。
体感的には、今回のネット参入者は前回の3倍くらいのような気がした。前回の結果を見てみな学習したのだろう。親族友人集めてアクセスしているように思えた。
この1週間に70歳以上、65歳以上と受付が続いていくが、医療機関側はあらかじめ定員に3種類の枠を作っているのかどうか分からない。 もしかしたら 今回以後の希望者はすべて、集団接種に指定されるのかもしれない。一番遅い集団接種の日に当たってしまったら、7月末にようやく間にあうくらいだ。

今回感じたこと---電話は全くと言っていいほど通じないのに、ネット利用環境にない高齢者へのサポートが少ない。そもそも誰かの手助けがないと予約を入れられないというのは、システムそのものに なんらかの不備があるのではないか。
(予約代行は、鉄砲の玉を預かって敵に突撃していく気分だった。まるでロシアンルーレット。どっとアドレナリンが出て-----早く言えば面白かった。明日もあればいいのに。)
考えたくはないが、ほとんどの国民に接種するのは、後に精査されるだろうが、壮大な人体実験ともいえるだろう。しかし受けて被る副反応と副作用と、受けないリスクを天秤にかけると---受けると決断するしかない。

ぐずぐず考えている。
高齢者の命よりも、若い人たちの命を大事にしないと、日本が滅びるかもしれない 。あるいは高齢者をを尊重する文化を作り上げないと、若者が安んじて年齢を重ねることができないかもしれない。などといったことを。


これは6月1日の集団接種会場の内部。

某大学の体育館を使用したので、見てのとおりすっからかん。 周囲にはヤマボウシの木の花が咲いていて風が吹き抜けていく。医者と看護師がそれぞれ3人いて、傍には救急車が待機している。密にならないだけ に安心だ。
そもそも変わったことに私たち二人、かかりつけ歯医者はあってもかかりつけ医と呼べる医療機関を持たない。 二人とも医療費を使わない優良国民ではない?
なのに優遇されることなどまずない。

家を出て帰宅するまで40分しかかからなかった。
 

    里山の暮らし596   2021.6.4 
                  

 

   実験してみた。 アリがどのくらい好きなのか。

カタクリは考えた。この狭い場所で100本近くの花を咲かせて10年以上になる。そろそろ縄張りを移さないと、このままでは密になってしまう。首を振って熟した種を振りま いてみても、せいぜい50センチしか種を飛ばせない。どこか遠くへ行きたい。
アリに手伝ってもらおう。プレゼントと呼べば聞こえは良いが、実質は「おまけおとり作戦」だ。
 
    あっという間に蟻が集まってきた       エライオソームに噛み付いて運ぼうとしている蟻たち

カタクリが咲いた後に大きな種袋ができていた。風に揺られてふらふらしている。種袋を割ってみると、予想通り種枕(しゅちん・エライオソーム Elaiosome)と呼ばれる物質がくっ付いていた。 種の先についているツブがそれだ。
アリには相当魅力的な食物なのだろう。種が弾けて地面に落ちるのを待ちかね、花茎をよじ登って種袋に入り込んでいる蟻もいた。
エライオソームは糖質や油脂分を含む栄養に富んだ物質。これはおまけだ。アリへのプレゼントだ。植物の繁殖作戦のひとつだ。
蟻はこの栄養満点のエライオソームが大好き。種が弾けて地面に落ちると、ふらふらと誘引された蟻たちは、この「種+エライオソームセット」を巣に持ち帰り、エライオソームを食べ、残った種は巣の外に投げ捨てる、と言ってもアリは社会的動物なのでおそらくあるシステムに則ってこの栄養豊富なエライオソームは利用されるのだろう。 兵隊アリが食べる機会があるかどうか疑問ではあるが。
アリのこの習性を利用する植物を「アリ散布植物」と呼び、カタクリ属のほかにケマン属、スミレ属、オドリコソウ属などの広い分類群に亘っている。
なるほど、それでか!庭で仁義無き草取り合戦を挑んでくるのは。アリを味方にするとは、敵もさるもの。

(左写真) 豆腐の容器にカタクリの種袋を割り、集めておいた。
置いたのは家の中の、普段アリなど絶対いない場所。我が家は高気密高断熱の家なので、アリが入り込むことはまず考えられない。しかし、たかだか30分も経たないうちに、蟻たちがどこからかやってきて、種を運び出そうとしている。いったいどこから。そして家の中にあるカタクリの種についているエライオソームの匂いを ガラス越しにどうやって感知したのか。摩訶不思議。

(右写真)例えが悪いが、泥棒が柵をすり抜けて家に入り込み、盗んだものを背に負ってさて逃げようとしたら、荷物が邪魔で通り抜けられない。これと同じだ。アリは身体と同じくらいの種を持っては窓から逃げられない 。うろうろ。アリの這い入る隙はあったらしい が、這い出る隙は無かったらしい。お節介なワタシ、紙に掬って集め外に出してやったけど。

  シジュウカラの愛の巣

  

雄のシジュウカラが、連れ合いの雌に青虫をプレゼントしていた。この巣箱は台所の真正面にあり、洗い物をしながら観察できる。今のところ、産卵中なのか抱卵中なのかは確認できない。巣箱を開けると巣を放棄する場合があるので、注意しないといけない。
けさ、こんなシーンを見かけた。(ガラス越し、光学ズーム25倍くらい)まず、雄が青虫を咥えて近くに止まり、周囲に敵がいないか確認をしていた。その間オナカペコペコの雌は巣箱の入り口から顔を出して催促している。おもむろに雄は雌の所に行って食料をプレゼントした。この時期雌は体力を使うのでタンパク質を必要としている。咥えているのは青虫で、決して毛やら髭やら生えている毒虫を持ってくるわけではない。

 *(『はらぺこあおむし』の作者が亡くなった。アメリカの絵本作家、エリック・カール氏享年91歳)

         里山の暮らし595   2021.5.30 
                  

 

  ちさの花が咲いた  エゴノキの古名 エゴノキ科

晴れ間を縫って春の庭の整理をし、夏花壇への準備に忙しくしていた朝。頭の上に白い花が群れ咲いているのにやっと気づいた。天に向かって伸びた木の、枝一面に白い花を下向きに付ける様子は、初夏の林を彩るにふさわしく、毎年この花に出合うと晴れやかな気持ちになる。花の後に楕円状の果実をたくさん付け、ぶら下がる様子もまた可愛らしく楽しいものだ。
         
果実は野鳥のヤマガラの大好物。果実は「えぐい味」がすることからえぐい→えごい→エゴノキと変化したとされる。大変分かり易い変化だ。
可愛い姿に似合わず、果皮は有毒なサポニンを含む。そのエゴサポニンには魚毒性があることから、果実をすりつぶして川に流し、浮いてくる魚取りに使われていたと聞いている。
また界面活性作用があることから、若い果皮を石けんとして利用したらしい。サイカチに似ている。

『万葉集』には
------ちさの花咲ける盛りにはしきよしその妻の子と朝夕に笑みみ笑まずもうち嘆き------(長歌)                                                                                  大伴家持 巻18-4106

越中国の国司として赴任した大伴家持は、この歌の頃30歳前後か。古代の30歳はすでに中年の趣があり、判断力も十分備わった年齢だろう。
これは部下の史生尾張少昨(ししょうをわりのをくひ)が遊行女婦(うかれめ、歓楽街で働く女性)に心を奪われて、連れ添った妻をないがしろにしているのを諭した歌なのだ。
元来真面目で実直、マメな家持、すきま恐怖症なのか、細かく記録を取る性分は変わりようもない。部下の行いを正そうとしている、その歌さえ記録にとどめているのが可笑しい。

「神代のころから父母を尊び妻や子をみれば可愛くてたまらない----ちさの花の盛りの時期に、いとしく可愛く思う妻と子供と、朝に夕に笑ったり、また嘆いて語り合ったりしたあのころ---いつか天地の神のおかげで、この春の花のように栄えるときが来るだろう---その時が来ているのです、今。」と 部下に詠いかける。
これは、「病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」この誓いの言葉の、古代上司バージョンのようだ。
家庭を持ったころの円満な様子を思い出させようとしているが、どうかな。はたして説得することができたのか。他人の意見など聞かないのが、古代も今も男なり。この部下なる史生尾張少昨が改心しかどうか。ひたすら美辞麗句を重ね正義を説かれると、かえって反発したくなるのが人情ではないか。 悪を働くには能力がいる。「へそ曲がりつつ」ある私はかく思うのです。 (つつ----現在進行形か?)

     
       このブラブラの見事さ。 [無脊椎植物] と呼びたい。                   ヤマガラが抱卵中              
 

   里山の暮らし594   2021.5.26 
                  

 

  夢ならばどれほどよかったでしょう
          楽曲 Lemonより 
作詩・作曲 米津玄師 

思いがけないことが起きた時、何かに失敗して落ち込む時、取り返しのつかない出来事が露わになった時、この♪Lemon♪のいくつかのフレーズを聴くことにしている。
夢なら---確かにそうなのだ。これが夢であったら、と思うことがある。しかし現実は現実の中にあるのみ。
夢と現実を混ぜ合わせ、上からオオデマリの枝をぐるぐると回すと、おのころ島がでてこないか。
直視することで見えてくるものがあるに違いない。反省はしても後悔はしないでおこう。
昨日今日と雨が降り止まない。

 川面ではないけれど、オオデマリの花びらが散ってまるで地上の花筏。

       里山の暮らし593   2021.5.22 
                

 

    どこかからか、呼び寄せフェロモンが湧いてこないかな

近所に一人暮らしのお年寄りが住んでいる。年齢はすでに傘寿近いようだ。この男性、おそらく「猫や犬を呼び寄せるフェロモン」を身体から滲出させているのだろう。散歩する飼い犬野良犬を問わず、この人の姿を見かけると身もだえしてすり寄っていき、嬉しさのあまり、よだれを垂らさんばかり。撫でられると声を裏返してヒーヒー喜んでいる。リードを持つ飼い主は、自分の立場はどうしてくれようと憮然とするひと、一緒になって喜ぶ人とさまざま。

気分屋の猫だって同じだ。腹丸出しの万歳の姿勢でぐるぐる甘え、その魅力にひれ伏さんばかり。どうかするとこの人の家の前に座りこんで、家主が触ってくれるのを待っていることもある、それも朝から夕方までずっと。

朝7時、庭にいつものように虎猫がやってくる。10時には真っ黒な猫が----来ていいよ。黒い体をカラスが同類だと思ってくれるから安全だよ。でも夕方だと暗さに紛れてその黒い姿が目立たないんではない?そうか、猫にはヒエラルキーがあって、自分の縄張りでない場所を歩き回るには、時間を選ぶのか。午前中に来るのは君にとってのステイタスなのか。
午後白黒猫がやってきた。呼んでも呼んでも知らん顔して、猫パンチさえやってくれない。逢魔が時には三毛さんがふらふら庭を歩いている。みんなのお目当ては北東の角に掘っている生ごみを捨てる穴のようだ。
(リンド夫人ではないけれど、「捨てるべきものしか捨てていないから、犬猫が食べるものなどめったにない」)。

このいつも決まって来る猫たち、たまにデッキに上がってきて昼寝をしたり、窓から中をのぞき込んだりするが、基本触らせてくれない。悲しい。なぁんでだろ、こんなに好きなのに。「チーズ上げるからおいで」と誘ってみても見向きもしてくれない。 いくら野良の血が強いと言っても、こんなに愛想を振りまいているのに。
やはり「呼び寄せフェロモン」が足りないようだ、しかしどこで調達できるのだろうか。好き、だけでは解決できない不思議な何かが存在するような気がする。

午後2時。雨模様の空が広がっている。うぐいすが静かに鳴き、合間にシジュウカラが恋の歌を歌っている。アカゲラがコツコツ樹を叩き、ジャーマンアイリスが花を付け始めた。ヒバリが高く舞いあがる姿は見えない。静かだ。

旧枝咲き、クレマチス・モンタナ・ルーベンスが洗面所の窓に絡みついている。
中から見ると外の世界がピンクの丸模様になる。
風鈴オダマキ 何しろ距が無い。すっきりして清楚。可愛い。

        里山の暮らし592   2021.5.18 
                
 

  忸怩、じくじく

あぁあ、他人をかき分けて自分がやっていることときたら。内心忸怩たるものがあるってこのことか。
関西に住んでいる相棒の友人が、来週コロナワクチンの集団接種に申し込むという連絡があった。
当市は市長の努力もあってか比較的早く、この5月23日から接種が始まる。幸いにも私は、他事があったので5月には予約を入れなかったが、指定した6月1日に二人分の予約が取れた。

相棒、「彼に申し込みが上手くいくよう、何かアドヴァイスをしてくれる?」。
朝からあらゆる事態を考えて、あれこれ細かく書いて仕上げたはいいが、次第に気分がどんよりとしてきた。
他人をかき分けで、自分がいい思いをしたい、この考えの極致だよね。これって。 自分が予約できたことで、撥ねられてしまったご高齢の方に申し訳ない。誰かが犠牲になるしかない現況が悲しい。
友情には代えられないか。だれだか分からないが、予約できなかった人に申し訳ない。

それにしても、ワクチンの申し込みのシステムに不備があること!
高齢者に早い者勝ちをやらせてどうする! ネットが使えない高齢者との、このデジタルデバイドをどう考えるか。
末尾の番号で仕分ける。地域で割り当てる。年齢で分ける。
こんなことを考えられなかったのか。---後手に回るやりかたに、不満が募る。


   

下野の国と会津の国境にある大峠が向こうに見える。すこし雪が残っている。
標高1300mに咲くミネザクラ・峯桜。寒さが厳しい場所なので、花はみなうなだれて咲く。風は冷たい。

       里山の暮らし591   2021.5.15 
                

 

  からまつの新芽


「から松のちいさな芽を集め、わたくしの童話をかざりたい」
     宮沢賢治著 詩集『春と修羅』より『小岩井農場』
                賢治は、から松の芽を緑玉髄(クリソプレース)と表現している。

落葉松は、ぱっと手のひらを太陽に向けたような形に新芽を広げる。この形を見たくて毎年この時期に那須の山に登っている 。
ここは那須連山の北東側、標高1000mあたり。まるまるとした宿り木が見られ、落葉松林が広がっている。静かだ。急峻な崖に植林されてのち、間伐、枝打ちなどの手入れをされていないので込み合って育ち、樹齢40〜50年の樹の幹の側枝はすでに枯れてしまっているのが痛々しい。
なぜこの場所に落葉松の林が続いているのか。
第二次世界大戦によって日本の山河は荒廃した。森林もその例にもれない。国は木材を調達するだけでなく、雨水量を調整し河川、ひいては海への養分補給の目的で植林を推奨した。(1957年、国有林生産力増強計画)
生育が早くて手入れが簡単な杉がその代表で、まず杉が日本各地に植林された。 そのせいで現在スギ花粉症が蔓延しているのだけど、当時はこの病状は知られていなかったらしい。「日光の春風邪」と呼ばれたように、局地的な病状に止まっていたが 、いまや国民病に成りあがってしまった。
育苗が容易、根付きがいい、生長が早いといった理由から岩手県、山梨県、長野県、北海道などには落葉松が植林された。那須にはこの時期に落葉松 が植林され、茨城県との県境の八溝山地には杉が植えられている。

ところが、外材の輸入が進み、1970年代から始まった新しい建築用法の変化によって国産材は価格が低迷し、今や林業を産業として成り立たせるのが困難になっている状況だと聞いている。夫の実家の山林には、うち捨てられた杉林が広がっている。 「森は海の恋人」なのに。

 標高が高くなるにつれ、太陽がまぶしくなる。サイドミラーに 日よけタオルをぶら下げてドライブを続けていた時のこと。うっかり窓を開けたら、あっというまにタオルが飛んで行ってしまった、シマッタ。あわてて車から飛び降り、100メートル後ろに落ちているタオル目がけて走っていくこと30秒。(100mを30秒もかかった!コロナで太ってしまった。ここにもシマッタがある) (いやいやサバ読んではいけない。30秒どころか、もっとかかったはずだ)
先客がすでにいた、ぶつかりそうだった。ヤマドリだった。近づく私に気付かないのか、タオルを矯めつ眇めつしている。
  ・あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麿呂
たしかに尾は長かった。人間とぶつかりそうになって驚いたヤマドリは「たまげた」とでも言いたいのか、高い声で鳴き騒ぎ、急いで林に消えていった。 すぐさま見に来るところなど、カラス並みに好奇心が強いようだ。

 春リンドウ  高さは10センチほど
この個体は珍しく大株に育っているが、春リンドウは普通、花茎が2本から3本のつつましやかな花。
花茎はみな、南南東を向いている。南中の位置から少し東寄り---約15度くらいか。春のこの季節の、時刻にして11時半くらいの太陽を向いて咲いているのが不思議 だ。だから、南側から歩いていくと地面に紫色の星が散らばっているように見える。
春のこの時期だけの小さな星座だ。

        里山の暮らし590   2021.5.9 
                

 

   あのぼろ雑巾みたいなのは何?      ホオノキ モクレン科モクレン属

雨の前の夕方、あたりが薄暗くなってきたころやってきたお隣の人がこういった。
なるほど、遠目には雑巾がぶら下っているようにも見えるが、あれは朴の木が新芽を広げているところ。 ナラやクヌギ、サクラなどはとうに薄緑の葉を広げ、初夏の光に輝いているのに、この朴の木の悠々たる遅さ。堂々たるものだ。

木全体を眺めると、北側には側枝を出さず南を中心に東と西に幹から枝を伸ばしている。その先についている新芽の位置が間が抜けたようにまばらだ。

*これは朴の木の作戦だろう。長いこと朴の木が庭にいたが、こんなことを考えついたのは今年が初めてだ。

たとえば南面から写真を撮ると、全体にその新芽の位置が二次元に広がっているのを見て取れ、ドローンを使って木の天辺から まっすぐ下を撮ると、やはり北側の欠けた半円に、ある法則を持って新芽が広がっているのが分かるだろう 。木の根元から垂直に上を撮っても天辺から取ったのと同じになるだろう。やはり二次元の分布だけどね。

*朴の木の作戦だ---生物進化論から言えばこれは間違い。しかし、木にも意思があるとどうしても考えてしまう。

新芽全体のバラツキを三次元のデータとして取るとはっきり「側枝とその先に付ける新芽の位置」が規則性を持っているのに気づくのではないか。 面白いだろうなぁ。いえいえ、3次元レーザースキャナーが欲しいなどそんな贅沢は言いません。(せめて壊れかけた掃除機を新しくしたい)
互いに邪魔にならないよう、平均して太陽を浴びられるように、葉が大きくなった時をイメージして上下左右に間隔を取り、ゆっくり葉を広げる。 6月の白い花を思い描いて高く広く育つようにしっかり太陽を受ける。
これは新芽のソーシャル・ディスタンス、いやドメスティック・ディスタンスか。

私自身、朴の木にははあまり思い出を持たない。ところがこちらに越してきて初めての夏、相棒が懐かしい懐かしいとしきりに言いだした。田植えや稲刈りなどの農作業の繁忙期に、いい香りのする大きな葉を摘み、田んぼの畔で摂る昼食に皿として使ったらしい。そこらに生えている柳の枝を折って箸にし、食事の後はそのまま溝に流してしまう---天然の食器洗浄機付きの農作業だった、と楽しそうに話 しだした。
ある夏の日。
「ボクやりたい」「何を」「葉っぱに載せてお昼を食べたい」「でも今日のお昼はカレーよ」「いいからやりたい」
お皿にはみ出るほど大きな葉を乗せ、その上に熱いカレーライスをかけました。あっという間に熱で葉がとけて、皿の上は「葉+カレー+ごはん」の 三つ巴の争い。ぐちゃぐちゃのカオス状態になってしまったのでした。
 夏
葉の付け根から10センチほど離して枝を切り、細くて中空の何かに、たとえば30センチほどの篠竹にに入れ、ギュッと握って走ると風車になった。カラカラ音がした。 むかしこどもが こう言いました。

          里山の暮らし589   2021.5.4   
                

 

   この尾の持ち主は優しそう ハルトラノオ (春虎の尾)

   ハルトラノオ (春虎の尾)
タデ科タデ属の仲間で春に咲く種類は珍しい。花びらのように見えるのは萼片。飛び出しているのはおしべ。

・はるとらのをま白き花の穂にいでておもしろきかな筑波山の道  昭和天皇御製

はるかに関東平野をみはるかす筑波山の御幸ケ原に、この御歌の碑がある。
筑波山は茨城県つくば市にある双耳峰。標高877mの女体山と標高871mの男体山で、最も低い日本百名山として知られている。男体山の神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、女体山の神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)。
麓から見上げる優美な姿は「西の富士 東の筑波」と称されるほどで、『万葉集』にはこうある。
        ・ 筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも (巻14 3351)東歌

旧日本軍の「真珠湾攻撃」を命じる隠語は「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)」。「ツクバヤマハレ(筑波山晴れ)」が「直ちに帰投せよ」を表す隠語だったことは意外に知られていない。

・ あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ  昭和天皇御製
                          『おほうなばら』(昭和63年)講談社版昭和天皇御製集       

ゲラとはキツツキの仲間をいう。赤いキツツキ---名前のとおり雄の後頭部は赤い。
夜が明けきらないあさまだき。聴覚が冴えわたり、あかげらの幹を叩く音が聞こえる。ふとその音が消え去った。別の木に飛び移ったのか---。
   音たえてさびしうつりしならむ  
あかげらは飛びさった。あとには初秋の朝の薄明りのなか、無音の世界が広がる。
昭和天皇は、昭和63年7月から那須にご静養にいらっしゃった。8月まで滞在なさったとすると、詞書に「秋の庭」とあるように、標高の高い場所にある御用邸(700m前後か)はすでに秋色が濃く漂っていただろう。 帰京ののちの9月19日、吹上御所で大量吐血、ご病床に伏された。

特徴的なのは、天皇の最後の作品とされるこの歌の初句は聴覚を、そして5句は飛び去ったのを感じる心を詠まれ、さびしさを歌われていること。この4句から5句への素直でなだらかな調べに天皇の風格を感じる。
聴覚が、あかげらの音を探し続けている心の内へと収斂していく、この動きが、死を受け入れる---受容へとつながっていった。そう受け取るのは不遜なことだろうか。
死を前に人間は聴覚が最後まで残ると言われる。寂しいから寂しいと歌う、 悲しいから悲しいと表現する、嬉しいから嬉しいと言葉を紡ぐ。歌を詠むのに避けるベき直接表現を天皇だからこそ遣える、それは 人生経験の複雑さ、複層した精神からあらわれたものか。万感の思いを込めて寂しいと詠われた天皇-----今日は昭和の日。


相棒が勤務していた会社の保養所が、那須御用邸のすぐ上にあった。泊り客が食事を摂っていると、散策に お出になった昭和天皇のお姿をままお見かけしたと聞いている。

皆で手を振ると、気さくに手を振って返して下さり、
あろうことに酔客が
「天ちゃ〜ん」とお呼びしても、やはり手を振り返して下さったらしい。
 

これがアカゲラ。
頭の後ろが赤いので、父親。

楢の木に穴を開けて、巣づくりしている様子を、相棒が姫子松の木で彫った作品。

里山の暮らし588   2021.4.29 昭和の日   夏を起こす雨が降る
                  

 

  一年でいちばん美しい朝に

  

わが家の自慢は裏庭に生えている三本の山ざくら。同じように見えるが微妙に花の色が違い、咲く日にも二日ほどのずれがある。母の木が同じなのか、半径200メートル にはよく似た花色の桜が棲んでいる。そしてその向こうの林には、銅葉で赤みががった花を咲かせる山桜が何本もある。
朝6時、起きると同時に窓を開ける。輝く景色が広がっている。左上には樹高15mの楢の木が、右には朴の木が広い葉をのぞかせようとしている。
自分の家のねこが一番可愛いように、私の庭の山桜が一番きれいだ。

       里山の暮らし587   2021.4.23
                 

 

  華やかに装うのは何のため ----- 引き寄せられて虫たちがやってくるらしい?

先日のことだった。「富士山を毎日眺めて暮らしている」幸せな方からメールがあって、
「庭のチューリップが庭の中を移動するのです、なぜでしょう。」というお問い合わせがあった。
おもしろい。チューリップは移動するのか? 答えはイエス。動くチューリップも存在するのです。
こんな話を聞くと、理由があって植物が行動し、その目的は何かと考えてしまいがちだ。この不思議をゆっくり考えてみよう。

最近、NHKでこんな内容の放送がなされた。 植物に学ぶ生存戦略(Eテレ)
「バラ科の果樹の花で(梅、杏、桃など)めしべが未発達のまま終わることがある。これは樹そのものの繁殖作戦だ。めしべの無い花を沢山咲かせ、華やかに見せることで、受粉媒介者を呼び寄せ、子孫(果実)を残そうとしている。めしべを作らないことで、エネルギーを押さえ、生長のためのコストを下げている。つまり、意図的にめしべを作らないという作戦を採っている。」
 (Prunus属の中には、雌しべが発達しない雄の花や、雄しべが不全な雌の花を分化させる種類もあるらしい。)

ここでおおいに疑問を感じる。意図してこの作戦を採ると言うのは、生物の進化に関して正確な解釈ではないのではないだろうか。「進化現象」を人間の行動になぞらえたり、目的を前面に押し出す説明は、一見分かり易く理解しやすい。この考えが正しいとなると、目的を持った主体を想定しないといけなくなる。進化生物学のあり方と齟齬をきたすことになりそう。

進化論----現在存在する生物は、長時間かけて緩やかに変化してきた。その過程の中で生まれてきたとされる説明や理論をいう。生物の姿かたち、形質は決して不変のものではない。
「進化」の字面からつい「進歩」と受け取りがちだが、単純にこの場合の進化は「変化」を意味するだけで、進化はすなわち良いほうに変わることを意味していない。


 花桃

●印が付いた花にはめしべがある。

 画像では分かりにくいが、
●印以外の花にはめしべが見当たらな い。

この桃の花のめしべの話だが、偶然に、たまたま起きた出来事だと考えてみると。
営利目的に栽培されている品種は、結実数が少なくても、大きくて立派な果実がなるほうが栽培効率が良い。
品種や木そのものの選択を続けているうちに、偶然めしべのできない花が咲くようになったのかもしれない。
   ---おや、こっちの方が沢山なった。大きいぞ。なら次は---。 (いかん、すでに意思が入り込んでいる)
その偶然が重なりその結果、すべての花にめしべができる場合と比べて、少なくとも繁殖に不利にならない、あるいはより有利になったので、「たまたま」この性質が伝えられてきたとも考えられる。
進化論は変化の連なり、変異、変化が固定され引き継がれていくことだと理解していた。しかし、植物学の素人としては、植物にも意思があると考えた方が、より親しみを持てるのだけど。というより、意思を持つと考える方が、納得できる現象があまりにも多すぎる。ただし、植物は神経系を持たない、ではどこで? 進化の過程の中のある一瞬に遭遇している。これはとても興奮するできごとだ。
以上、独断と偏見でした。寄り道頭では、理解できないことが多すぎます。


邪気を祓う霊的なもの。桃の実は長寿を示す吉祥図案で、祝い事にある桃饅頭はここからきている。 桃太郎は桃の実の中に隠れて川を流れ下ったし、そういえば『古事記』のなかにこんな話があった。イザナギノミコトが、かつての妻のイザナミノミコト に追われ、黄泉の国から逃げ帰るときに桃の実を投げて助かった。種子の内核は「桃核)」と呼ばれ血行を改善する薬として、つぼみは「白桃花(はくとうか)」 の名前で利尿薬、便秘薬に使われる。


ムクドリの卵 スズメ目ムクドリ科  
   「族」と書きたい。


生垣の中に椋鳥の卵を見つけた。あの黒くて群れる
ギャーギャー鳴くやかましい奴ら。

              里山の暮らし586   2021.4.21
                 

 

    半径500メートルのスミレ     

  

子供のころ、タチツボスミレの「距」同士をひっかけて遊んでいた。すみれのすもうだ。
        ( 距= 花の後ろの花冠が突き出てもの。蜜をためる場所。虫は奥までもぐりこんで受粉を助ける。)
ひとしきりすみれのすもうで遊んだ後は、地面に作った花の窓のなかにスミレの花をしまっておいた。
そのやり方はこう。
直径20センチ、深さ10センチくらいの穴を掘り、スミレの花やキンポウゲの花をなかに飾る。地面へのお供えみたいに。その上に透明なガラス板を置き四隅を土で覆って固定し、上から見て喜ぶ、と単純な仕組みだ 。
こんなことをして遊んだことのある人いますか?  飾り窓のすみれ?  (きわどいすみれだ---)

 日本に自生するスミレ科スミレ属は約60種類ある。ただし、交雑種や亜種、変種、外来種、新たに作出された園芸用品種もありその数は確定できない。200種くらいだろうか?
スミレの弁別は、桜(ソメイヨシノ)の開花時期を基準に行うといいらしい。前後2週間が弁別できる期間なのに、全く進まない。そろそろ桜が散り始めた。 焦る、来年まで待てるだろうか。この雨が上がったら、カメラを持って出かけよう。どうかひらめきますように。

  アカネスミレ

  アケボノスミレ

  アオイスミレ

  アリアケスミレ

  フモトスミレ

  ヒナスミレ

  エイザンスミレ

  ヒカゲスミレ

 

  マルバスミレ

  コスミレ

    スミレ

  ナガハシスミレ

 ニオイタチツボスミレ

  ノジスミレ

    スミレ

  サクラスミレ

  タチツボスミレ

  スミレ

  ツボスミレ

  ウスバスミレ

  里山の暮らし584   2021.4.16
                
 

 

   来年も桜を見られるか。

相棒はちょっとした気散じのドライブのことを、ふざけて「味変」と呼んだりする。
  (では普通の暮らしは味気ないの? ----- 減塩低脂肪のいつもの味だよ。)
家を出てから帰りつくまで誰にも会わないというドライブが、いつだって出来るのが田舎暮らしのいいところ。
那須の山の北側に、会津へと降りて行く道がある。途中にカタクリやイチリンソウの自生地があり、温泉と自然の饗宴が見られる地域だ。
朝から味変ドライブに出かけてきた。麓にある鱒の養殖場に着いたのは丁度お昼。さてお弁当を広げようと桜の木の下にテーブルと椅子を並べていると、緩やかに南を向いた斜面にオオマツヨイグサのロゼットが目に入った。
お弁当はあとにしよう。
 

大きく地面に伸びた葉が、冬の寒さをしのぐための紫がかった色から春の緑へと変化しようとしていた。ゆったりと左右にロゼット葉を広げて横たわる姿に浮かんできた思いがあった。どこでどうスイッチが入ったのか、「このオオマツヨイグサのロゼット、オフィーリアみたい」と感じてしまったのだ。
いやいや。なぜハムレットの一場面が頭を過ぎったのだろう。今、『日本経済新聞』に伊集院静の連載小説『みちくさ先生』が掲載されている。漱石はロンドン留学時代に、鬱々とする気分を慰めるため、このオフィーリアを見に出かけていたらしい。これが頭にあったようだ。
閑話休題。『みちくさ先生』を読んでいるから寄り道してしまった。散漫寄り道あたまのワタシ。

「ロゼット」とは薔薇・Roseからきた言葉で、何枚もの花びらが重なり合っている様子を写す言葉だ。だから上の画像のように平らになった構造が放射状に、あるいは螺旋状に並んでいる状態を「ロゼット状」と言い慣わしている。
このロゼット状の葉で冬を越す植物は多い。春になると中央から茎を伸ばし背が高くなり、時期が来ると花を付ける。
このオオマツヨイグサは、ちょうどそのロゼット葉に光を受けて光合成を行って植物体に栄養を回し、中心から茎葉を伸ばそうとしている時期のようだ。
美しい。こののびやかで堂々たる姿には気品さえ感じる。

葉がロゼット状に配列する目的には大きく二つあって、
1) 背の高い他の植物と競争すると負けてしまう。競合する植物が生活していない場所で、繁殖する。
   ----オオバコ、タンポポなど・
2) 冬の間だけロゼット状の葉を付ける。寒さに耐えられるように地表に張り付いて葉を伸ばし、地温を利用しながらすべての葉が太陽の光を受けられるようにあらゆる方向に葉を伸ばす。-----画像のオオマツヨイグサがそうだ。

ほかに植物が増えるために取る戦略は、たとえば。
・牽引根を持ち、上下左右に移動する ------ ブルーベルなど
・種を水の流れに落とし、水流に乗って移動する ------ サワグルミ ♪ヤシの実♪
・空を飛ぶ種を実らす ----- タンポポ モミジの果実 など
・アリに運んでもらえるようおまけをつける ----- スミレ ケマンソウ など
・発芽の時期をずらす ------ ドングリ 種一般
ちょっと考えただけでもこんなにある。まだまだある。粛々と生き次代に命を託している植物の、その生き方の面白さに、いまだ に惹かれ続けている。

「弁当食べようよ」。「いま行くから」。
そばにフキノトウがどっさり頭をもたげているではないか。すかさず方向を変えて季節の恵みをいただくことにしよう。しかしまずお昼だ。

今夜の献立は  山での重い弁当の後なので、さっぱり。
  湯豆腐に蕗味噌 (山の蕗)
  こごみのお浸し(友人の庭で採った)
  芹の胡麻和え
  冷凍した柚子果汁を入れた柚子大根(塩原大根)
  新玉ねぎを半割にし、じっくり焼いて鶏肉ミンチのあんかけ
  おつゆ  です。

 

ヤブレガサ キク科  芽出しのころお浸しにして食べるとおいしい。
  

  脱藩した浪人が、江戸の裏店で傘張りの内職をしている、そんなふうに見えませんか。

        里山の暮らし584    2021.4.11
                 

 

   数が減った。 カタクリはどこへ。

カタクリが春の陽を浴びて身を反らせて輝いている。背景にはラッパ水仙が咲き誇っている
   -----心おどる光景だが、春の陽を前に今、わけの分からないもやもやを抱えている。
去年は100本の大台まであと少しだと喜び、幼苗も沢山出ていたのに、今年はざっと数えて60本しか咲いていない。いくら雪の少ない冬で地面は乾燥気味だったとはいえ、花の数そのものが減ることはまず考えられないのだけど。
やはりこれはネズミの仕業だろう。昨秋、有機肥料を庭に鋤き込んだせいか、冬から春にかけてのモグラの活躍ぶりは、この10年間なかったくらい活発だからだ。

モグラとネズミは関係あるのか?ですか。 もちろんです。
有機肥料を鋤き込むとミミズが増える。餌になるミミズが増えるとモグラがやってくる。モグラがミミズを探して縦横にトンネルを掘り進む。そのトンネルを利用してネズミが闊歩する。
とこういうわけです。
ネズミは片栗の球根やチューリップの球根が大好き。ああそうか!そういえば今年のチューリップも数が減ったような気がする。いや気のせいか、いいや気のせいではないようだ。

カタクリが花を付けるには、7年から9年かかると言われている。種は脂肪分と糖質を含むので、それを狙って蟻がやってくる。カタクリはこの蟻の行動を読み種の散布を手伝ってもらっている。(アリ散布植物)
蟻に盗まれないように早めに採り、地面を1センチほど掘って種を埋め込んで来春の発芽を待つ。(これを採り播きと言います)この作業を15年間続けてきた結果が100本近くの花かずになったのだから、思い入れもひとしおなのだ。

カタクリは春妖精植物の一つで光合成をする期間が短い。だから生長が遅い。まどろっこしいが待つしかない、という歳月を重ねてきてやっとここまで来た。だから釈然としない。
なぜ減ったか、追及の手を緩めるべきではないだろう(笑)。やはりネズミだろうか?
ネズミを退治するには、モグラを追い出さないといけない、さて思案のしどころだ。


 カタクリ キクザキイチリンソウ ラッパ水仙3種 黄色いビオラ ミヤマオダマキ 
False Oxlip   

地元の古老に聞くと、その昔は片栗などそこら中にあり、花をお浸しにして食したとのこと。
さすがに掘り集めて片栗粉は取らなかったけど、とのことだった。 

    里山の暮らし583    2021.4.6
                 

  リサイクル募金きしゃぽん----愉快な名前のボランティア

冬の間はずっと和室に置いておき、つまみ読みしていた頂き物の本たち(とてつもない複数)と手持ちの本を合わせて箱詰めにし、ようやく送ることができた。あて先は「リサイクル募金きしゃぽん」。
本、CD、DVD、ゲームソフト、おもちゃ、パソコンなどの電気製品を「リサイクル募金きしゃぽん」に寄付し、その物品を、ブックオフコーポレーション株式会社が買い取り、買い取り額全額を国際協力活動への寄付とするもの。
私の場合は買い取り額全額を、SANE(エクアドルの子どものための友人の会)に寄付すると登録してあるから、そのうち連絡があるだろう。いくらになるか楽しみ。そのほか、母校への寄付、指定した施設など寄付先を選ぶこともできる。

   <http://kishapon.com/> リサイクル募金きしゃぽん


さて荷造りに取りかかろう。和室に座りこみダンボール箱に詰め始めてしばらくたったころ、掃きだし窓の下に、時々庭で見かける野良猫が上を見上げているのに気が付いた。
窓際に移ってコツコツ、と窓を叩いてみた。
ン? 不思議な顔で見返してくる。
  口の右側のスポットが可愛いね。
  しばしば来てくれると嬉しいんだけど---。
  寒い間なにをしてた?
話しかけると、なんだか頷いてくれたような気がした。
ここはスポット君と名付けよう。

仕事に戻る。せっせと手を動かしていたら、視野に何かが動いているのが感じられた。スポット君だった。
スポット君が、ズリズリズリと窓際の木に登っているではないか。
どうしたの?
好奇心旺盛なこの猫さん、私が部屋でいったい何をしているのだろう。ただそれを知りたい一心で細い枝に取り付いて登っていたのだ。
 
10分ほどだったか、不安定な姿勢のまま窓越しに部屋の中をのぞき続けていた。目が合うたびに声をかけてやると嬉しそうにも見える。
スポット君にちなんで大好きなメキシコ民謡「シエリト・リンド(Cielito Lindo)」のフレーズ
  ♪Ese lunar que tienes, cielito lindo, junto a la boca ♪
何度も歌っていたら、そのうち脳内で自動的にリフレインするようになった。

単純作業なので、退屈しのぎに大阪弁で話しかけてみる。
 「うちがなにしてんかみてはるんか」「そやねん」。

スポット君、そのうち納得したのか降りようとするが、猫は下に降りるのが不得意。そのまま細い枝に跨っているうちに体の重みに耐えかねた枝が折れてしまい、そのまま地面にころがり落ちてしまった。ドジな様子に大笑い。
「しまった」「今のは無かったことにしよう」とでも思ったのか、照れくさそうな顔をし、おしりフリフリ定宿の牛小屋に帰っていった。
残されたのは5つの段ボール箱とこわばった膝だった。

里山の暮らし582    2021.4.2
                 


 
青い空に影を送ろう   「かげおくり」の遊び

ブロッケン現象を体験しよう、自分の影を霧に写し取ろうと決めた夜。またまた不思議なことを思いついてしまった。。考えごとをしながら何かをじっと見つめていてふと目を逸らすと、そこに先ほどまで見ていたものの残像が現れてくる。こんな経験がありませんか。これは残像効果。
目に見えるというのは、見えている物から反射した光の刺激を網膜の細胞が感知し、情報として脳に送られ処理されることを言う。その光の刺激が、目の前にその物が無くなった後も(目を逸らせた後も)網膜や脳に残っていることから残像効果が起きるらしい。
光(色)を見た後、同じ色を残像してみる場合----陽性残像。これは分かり易い。
光(色)を見た後、その反対の色が残像として見える----陰性残像。


なぜ陰性残像が起きるのか。

神経は反対色の方向で互いに牽制するように働いている。
片方の色が消えるとそれまで抑えられていた反対色が現れてくるという不思議な仕組みのようだ。
 

この陰性残像効果を使って、家族の結びつきを表現した名作絵本がある。

『ちいちゃんのかげおくり』 あまんきみこ作 上野紀子絵 あかね創作絵本
[主人公の「ちいちゃん」は、両親と兄との4人で暮らしています。父が徴兵されることになり、出征する前日、家族で先祖の墓参りへ行きました。透き通るような青い空を見上げた父は、「影送りができそうだ」といって喜び子供たちに遊び方を教えます。4人並んでじっと影を見つめ、その目を空に転じるとそこに4人の白い影が現れてきました。まるで家族写真のように。
初夏のある夜、空襲警報が鳴りひびき、3人は外へとびだしました。逃げる途中でちいちゃんは家族とはぐれてしまったのです。暑さと飢えに苦しむちいちゃんは、空に浮かぶ家族4人の白い影を見ました。ちいちゃんは笑いながら花ばたけの中を走っていき-----その朝小さい命は空へ消えてしまいました。]
 

みじかい言葉、ふくらむ言葉、やわらかい言葉、それに添えられた絵で、家族愛と戦争の愚かさ、悲惨さを表現してある。じっと影を見つめ、空にその影を写し取る。この行いの悲しみと尊さは空一杯に広がる。
「影」はそのものの実体を表すこともある。「噂をすれば影」「影を慕いて(古賀政男詞)」「さっきまで遊んでいた子供たちの影も見えない」のように。
影を空に送る-----存在を空に送ることは、消滅をも意味するから実はこれはとても怖い言葉だ。南米の過疎の村で、写真を撮られると魂を吸い取られると信じている人たちに会ったことがある。自分の目に見える世界が、信じられるすべてと考えている人たちに。

(注意 ここからオタク)(最近オタク仲間が読んでくださっていると知り、安心して書けるようになった)
  (興味のない方はパスしてください)
『アンシリーズ』の作者モンゴメリイには、アンと比較できる少女の成長物語がある。『エミリーシリーズ』の三部作がそれだ。常に自分自身であろうと努力するエミリーの物語は、『アン』よりも好きだ。そのなかに、こんな場面がある。

「エミリーは---目の筋肉をなんとなくうごかすと、目の前の空間で、壁紙の模様を写して見ることができるのだ。----宙に浮かべたまま、好きなだけ----そして、自由自在にうごかせる。ぐっと近づけたりずっと遠くへはなしたりすることも、大きくしたり小さくしたりもできた。」
           モンゴメリ作 神島統夫訳 第6章 ニュー・ムーン 偕成社文庫より

たしかにこれは陽性残像の現象と思える。
私も壁紙の模様をほんの数秒間、白い壁などに写すことはできるが、ここまで自在に脳の記憶を操ることができない。これはエミリ―に授けられた特別な能力と考えるしかないだろう。細かくデータを拾い集め脳の中で画像処理を行い、神経信号を自分の神経系に写し取り記憶を静止画にして保存できる、それも長時間。
作者モンゴメリが同じような能力を持っていたのかもしれない。あるいは作家が作り出した作家的真実なのか。興味は尽きない。想像力が形を変えて出てきたものかもしれない。

里山の暮らし581    2021.3.29  
                 

 

     妖怪探しのはじまり

夜間の南風が静まり雨の上がった今朝のことだった。シャッターを開けると、庭は一面濃い霧に覆われていた。芽吹きの木へと姿を変えようとしている楢やくぬぎの樹は、太い幹がぼんやり姿を見せているだけだ。15メートルの高さにある樹齢50年の樹々の木末は霧に紛れていて見えない。
突然浮かんできた考えがあった。そうだ! 今年はぜひブロッケン現象を記録しよう、それも私の庭で、と。

この光学的現象はドイツ中部のブロッケン山でしばしば見られることから、ブロッケン現象とかブロッケンの妖怪と呼ばれてきたらしい。  ブロッケン現象(Brocken spectre)

想像してみる。庭に漂う濃い霧の中に立ち太陽が背後から照らす瞬間を待つと、霧の中に自分の影が浮かんでくる。影の側----周囲にある霧の粒に太陽光が散乱され、虹に似た光の輪ができるはずだ。
Glory, Glory, Glory ……Gloria, in excelsis Deo! 
おおすばらしい、歌いたくなる、考えるだけで心膨らむ。
この光輪をブロッケンの妖怪と呼ぶとあったが、「私の影」が「妖怪」へと出世する、こんな人生すごろくも面白い。

若いころ、新田次郎の山岳小説に魅了された時期があった。
『槍ヶ岳開山』 の「修行僧播隆がいままで誰も登ったことのない槍ヶ岳の頂上にたどり着いた時にこの現象が起きた、僧播隆は光輪の中に如来を見た」という場面が印象的だった。
日本ではめでたい?ことに、この現象で現れた影は「阿弥陀如来」だと信じられているようだ。

時に現実と夢の間をさすらう私、ここはリアリストになろう。
陽の光が背中に当たるということは、入射角がずいぶん小さい ということだ。そうなると季節は秋から春の初めまで、冬至をはさんだ3月間ほどになる。空気は乾燥しているので、姿が写り込むほどの濃い霧が出てくることは考えにくい。
無理が通れば道理が引っ込み、道理が通れば無理が引っ込む。
ブロッケン現象が実際に私の庭で起きることは奇跡に近い? いやいやそう思ったらおしまいだ。

 (注:ここからオタク)(分かる人には分かる話)
『アンシリーズ』の中に出てくる春の象徴の「サンザシ」(村岡花子訳による)は本来Trailing arbutusと呼ばれる匍匐性の植物Epigaearepens(ツツジ科イワナシ属)なのだ。日本には同属の植物があってそれは「イワナシ」と呼びならわされている。
20年近く前のある日、私は決心した。必ずこの目でこの花を見る、撮影すると。その願いが叶ったのは、その日から8年後の 会津の湿原のなかだった。
   < http://kemanso.sakura.ne.jp/anne-sanzasi.htm >
だからこのブロッケン現象を観察できる日が必ずや来るに違いない。それは5年後か10年後か。その頃私は何をしているだろう。あるいは宇宙から見下ろしているかもしれない。

ドイツ、ブロッケン山気象観測展望台からの眺め( wikipediaから拝借しました)

        里山の暮らし580    2021.3.25  
                 

 

  桜が咲くまでに

春の庭仕事を終わらせようと、この20日間はほとんど庭に出ていた。
マスク、顔全体を覆う綿帽子、簡単に脱ぎ着できるフリース、ハサミ、鎌その他。草取りは嫌いではない。下を向いて
作業を続けながらいろいろ考えているが、そのうちに頭の中はすっかり空っぽになってしまう。これは快感。

   
 ド根性ビオラ
狭い隙間から芽を出して咲いてきた。葉が紫色なのは、寒さから身を守るため。
左上の、本葉が出てきたばかりの苗も、そのうち根性を発揮するだろう。
  孤高のキジバト
いつもいつも二羽でやってきて、うるさいほど仲良しぶりを見せつけるキジバト。いつもになく今日は一人のようだ。相手にあぶれた雄なのかもしれない。
山桜の木の枝に止まって一時間もじっとしていた。赤い目が拗ねているようにも見える。
落胆しているのか、睥睨しているのか。
お〜い、どっちだ。

        里山の暮らし579    2021.3.20  
                 
 

 SANE活動報告会
先週3月6日のことだ。「NPO法人エクアドルの子どものための友人の会(SANE)」の活動報告会が開かれた。ようやくZoomが使えるようになって初めての報告会なので興味津々。30年来活動を続けていても、皆さんに近くで顔を合わせたことは無かったから。  <http://sanejapon.blogspot.com/>
会の後、定期会報に載せるから感想をぜひ聞かせてほしいと連絡が来た。一瞬気の迷いがあったが、ここで逃げては女がスタル! 長いかもしれないけど、できれば500字と言われて1000字書くのは、生来のおしゃべりのせいだろう。

【SANE活動報告会を拝聴して】     2021.3.6
「事業は人なり」。初めて参加したSANE活動報告会のZoom画面に映る皆さんのお顔を拝見してこう感じました。コロナ禍という空前の世界的災難のもとで、日本とエクアドルでの事業が途絶えることなく継続されてきた、その活力の源は皆さんの精神の中にあるとの認識を強くしたのです。
私のキト在住期間は1979年から1982年まで。現地企業と日本企業間に設立された〇〇製造合弁会社で、工場建設から製造までの技術指導を行うべく赴任した夫に遅れ、小学生と幼稚園児の二人の子供を連れてエクアドルに渡りました。
山登りが好きな家族です。アンデスの白くたおやかな峰には魅了されました。ところがキトでの生活に馴染むにつれ、穏やかに見える生活の底を流れる暗い現実が目の前に現れてきたのです。当時は、おそらく現在も?富が偏在し植民地時代から続く階級社会に絡めとられ、国民の間で差別意識が見られ社会が分断されていました。
エクアドルの人たちの貧困ゆえの精神の荒廃が時に表面に現れましたが、葦笛を吹き祭りに踊り狂い、日々の暮らしに喜びを感じる日常も確かにありました。学ぶ機会を奪われ、幼くして働き始める子どもたちが道端にあふれています。しかし十分な食事も摂れない状況でも家族を大切にし生き抜こうとする逞しさが感じられました。悲しみも喜びも純粋な形で在った----人間の原型が存在していたとも言えま す。だからこそ40年経っても当時の記憶は薄れず、エクアドルに惹かれ続けているのでしょう。
「人間社会の悲しみに出会う時、そのすべてに手を差し伸べることはできない。両手を左右に広げその指の先に触れた場所と人に関わろう。」いつしかこう考えるようになったのはエクアドルから帰国したころからでした。一方的な援助ではない、共に生きることを喜びに感じるような「何か」を探していた時、SANEに出会ったのです。
SANEの地道に資金を集め、自助自律の精神を元に新しい状況を切り開こうとする姿勢に共感しました。こちらから援助するだけではなく、援助を行う方も「自分自身が成長しより良く生きる」手助けをしてくれるのが、エクアドルの人たちなのです。自分の人生の支えになり今生きていることを肯定できる活動-----これは双方向の援助なのでしょう。
この年齢まで生かされて来た感謝を込めて、エクアドルの次の世代のためにこれからも小さくてもいい、今できることを積み重ねていこうと考えています。
広がる、繋がる、続ける。-----この素晴らしさは何物にも代えられません。
画像と音声の力は大きく、遠くにあったSANEが実は身近なものだと感じさせてくれた報告会でした。
いままで活動を支えてくださっていたすべての方に感謝いたします。
 
  
早咲きの水仙が満開になってきた。黄色い波が揺れている春。

晴れると庭仕事で忙しいので、ようやくの雨の朝図書館へ出かけた。ほとんど人がいないが遠くに鼻水をすすり咳をする人がいた。「近くに来るな」と”念”を送りながら15冊借りてきた。帰りの道の駅でキィウィ15個で300円なり。うれし。
ああでも、夕食の支度の時間が迫っている時の新しい本って、どうしてこんなに面白いんだろう!

里山の暮らし578    2021.3.13  
                 
 

 

   さくらさくらさくらさくら万の死者   桃心地詠 
                 作者は岩手県大船渡市在住 東日本大震災を詠み続けている

    三陸に萬の命日三月来  石の森市郎詠   宮城県石巻市在住

鎮魂の句としてこれ以上のものはないだろう。
3.11に起きた万朶の死。
コロナ禍に斃れた8419人の死。(2021.3.11)
彼らの魂鎮めのためにも、我われは、私は生きねばならぬ。
死は恩寵と思える時が来るまで、生き切らねばならぬ。

       里山の暮らし577    2021.3.11   
                

 

   猫ひげを磨こう     磨くにはアマニオイル、オリーブオイル、荏胡麻オイルのどれがいいか。

那須野が原博物館主催の「下野の国の歴史散歩講座」や、塩原歴史保存会が開いている「地域の歴史を探訪する講座」が、コロナの影響で一旦中止になったのがちょうど一年前のことだった。参加者のほとんどが高齢者ということもあって、はやばやと対策が採られたようだ。いまだに再開の目途は立っていない。歴史散歩の講座は、芭蕉が歩いた黒羽についての講座と現地調査が済んでいたのが幸いだったけれど。不要ではないが不急ではあるのが残念だ。

気軽に家を訪ね、なんでもない会話を楽しんでいた友人知人とも会えず、当然どなたもいらっしゃらない日々が続くこと一年。いらしたとしても距離を取りマスク越しに怒鳴るように話すことにも次第に慣れてきた。
そうすると何が起きたか。精神が内向きになってしまった。たとえれば開いていた扇が閉じて一本の棒になったように。
自分だけの感覚なのかもしれない。私の頭の左右にはアンテナが付いていて、それをセンサーとして働かせ日々生きてきたような気がする。ちょうど頬の左右に長いヒゲを持つ猫のように。人と会い、人と話す。たとえ些末なテーマであったとしても、その中にひとつ二つ、ぴかっと光るものがあり、それが自分の精神と呼応するという刺激的なことを重ねてきていた。
自分をジグソーパズルのピースだと考えてみると、その自分を表現するにはどうすればいいのだろう。周囲のピースを並べて張り付けみると、その間にある空間が自分自身になる。まわりのピースは読書だったり、様々な経験だったり他人の暖かい思いだったりする。他人との関りが自分を生かしてくれているのに気付いた。いかに自分の心を豊かにし、安定させていたのかを、失った期間が続くいま、より感じる。
自覚していることだけど、自分には圭角がある。他人と話すと、その人が角を磨きなだらかにしてくれる-------他人との接触がいかに大事なものか。肩を組みたい、腕を触りたい、ぽんぽん手を叩いて「そうだよ」と言いたい。
さて、暇を見て猫ひげを磨いておこう、このあと来る世界のために。

 
不思議な柚子の実

普通の柚子はせいぜいお正月くらいまでしか出回らないのに、この種なし柚子は3月に入っても生き生きしている。嬉しくなるくらい果汁はたっぷり。
今日は果汁を絞っって冷凍した後、残りの皮を使ってジャムをこしらえた。
家じゅう、なんとも言えない良い香りが漂って、ご機嫌な一日になった。
 
 ゼラニュームを日光浴させて。

 3月5日 啓蟄
 簡易温室で育てていたアイスランドポピーの苗80本を
 定植した。例年の半分以下の数字なので、庭が寂しい。
 

     里山の暮らし576    2021.3.5   啓蟄
                 
 

      むかし物語 -----売られていく子牛   Dana Dana

ある晴れた昼さがり いちばへ続く道
荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる

青い空そよぐ風 つばめが飛びかう
荷馬車がいちばへ 子牛を乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
          作詞:安井かずみ 
                     
昭和30年代の生家では春耕から田植えまでの二月間、おもに役牛として働かせ、子牛を取るために牛を飼っていた。飼料は稲わら、野菜、野原に生える草など。南部の曲がり屋ほどではないけれど、差し掛け小屋を牛小屋として用意し、母屋から出て直接牛の世話ができるようになっていた。
共に働く牛は父にとってわが子と同じだったようだ。眼の悪い父が夜明け前と夕べ 薄暗くなってから草を刈り、新鮮な餌を準備してやっていた。
一年に一度生まれる子牛は、半年間育てて将来の「神戸牛」になるべく出荷される。 子牛は親牛との別れを当然嫌がって暴れ、親牛はわが子の行き先が予測できるのか、唸り叫んで地団太を踏んでいた。
その頃まだ珍しかった牛用の大型トラックに 、いやがる子牛が無理やり追い立てられるのを見て、親牛と両親がなんとも言えない悲しい顔をしていたのを思い出す。

これを「走馬灯が走る」というのか----いきなりポロリとこぼれた涙をぬぐいながら思わず笑ってしまった
25年台所で大きな図体をはびこらせていた年代物の冷蔵庫を下取りに出し、新しい冷蔵庫が届いた昼過ぎのことだった。まだ使えるのに勿体ないとは思うが、左開きの冷蔵後の在庫は少ない。夏に突然壊れることも考えに入れ、これからの歳月新しい冷蔵庫を使う方が賢い、と判断したからだった。
下取りの朝、中味を出し掃除をしているうちに、この25年間に起きたことのあれやこれや----受験や病気、相棒の海外単身赴任、寂しいながらも一人で親の責任を果たそうと健気に?送っていた日々がよみがえってきた 。
一心同体化していた冷蔵庫よ、ありがとうね。


ないたカラスがもうわろた。
ところが、新しい冷蔵庫が設置されると、あきれるくらいすばやく馴染んでしまった。500Lの冷蔵庫の高さは180センチ。一番上の段 の奥に物をしまうには椅子がいる。危なっかしい様子で椅子に登って上から見ると、いままでとは違った景色が見えて くる。
明るい、静かだ、とんとんと叩くとドアが開く。ふざけて「開けごま」と言ってみたりもする。これで30kgのブルーベリーも、赤烏帽子----冷凍干し柿も余裕で保存できる。なるほど「冷蔵庫は新しいほうがよい」 のだ。

きさらぎつごもり。今朝の気温はマイナス8℃、今年二番目の寒さ。

       里山の暮らし575    2021.2.28
                 

 

   初水仙    ラインベルト・アーリーセンセーション

        

去年、今年と同じ日に花を開いた。つぼみが膨らみ始めると、花茎を高く伸ばし精一杯陽の光を浴びようとしている。同調するかのように他の場所からも黄色い花が庭に浮き上がってきた。春は黄色に始まる。


寝る前のおまじないに、この『猫びより』を枕元に置いてある。
可愛らしい猫の写真を見ながら、子供のころから飼い続けてきた猫の仕草のあれやこれやを考えていると、体が暖かくなってよく眠れる。

こちらに来て暮らしに猫が不足しているが、その子の最後まで責任を取れないからいまさら猫を飼えない。
で、考えたことは---。
近所の若夫婦に「猫飼って。旅行へ行けないから? ダメ? その時は私がお世話するから、お願い」と迫るのはどうかなぁ?

「仮によ、仮に飼うとしたら右の子がいい?左の白い子がいい?」と相棒と話し、猫のいる暮らしを想像している朝。外は会津から飛んできた雪がちらついている。

     里山の暮らし574    2021.2.24
                 
 

 

はるかな日、遠い昔      Allá lejos y hace tiempo.


かやぶき屋根が特徴的な「黒羽くらしの館」は、福島県で150年前に建てられた農家を移築保存し、農作業に使われていた道具や生活用具が展示されている記念館。当時の住居と生活様式の移り変わりを見ることができる。季節がら今は雛飾りが展示されている
 

屋敷の片隅に置いてあったこの茶色いポンプを見つけたとたんに、胸の奥から湧き上がってくる塊があった。
ぐんぐんそれが胸のなかを占領してくる。
この錆びたポンプを通して、遠い過去の毎日の習慣だったことを思い出したからだ。

生家は中国山地の山あいの、南西に広がる浅い谷を見下ろす場所にあった。水に恵まれず家から20mほど離れた敷地の隅に井戸を掘り、そこから家屋に水を引いていた。
井戸に手動の揚水・給水可能なポンプを取り付け、3メートル上にコンクリートのタンク(水溜め)を設置し、揚水菅をタンクに繋いでいた。タンクに溜まった水を、地下に埋設したパイプを通して屋敷内の台所や風呂に給水する仕組みになっていた。落差式簡易水道システムというわけだ。

このシステムを考えついたのは、ご維新後すぐに生まれた祖父だ。惜しいことにどういう人物だったか、故郷を離れて長い私には判然としない。しかし測量技術を身につけ、土木工事の術に長け、なぜか漢詩をものにするというマルチな人間だったようだ。備後の国から仕事で派遣されたおり、当時の庄屋の娘だった祖母に見初められ、わがままな祖母の言いなりに定住することになったと聞いている。20世紀初頭に村で初めて自転車を購入して乗り回し、中国地方を横断する芸備線を敷設すべく運動して実現させ、 田畑や山を買い漁り、ついで近隣の女房(複数)に手を出して物議を醸したりしたミニミニ角〇さんのような人物だったらしい。

農家の仕事には切りがない。子どもたちはそれぞれに仕事を与えられ、その仕事は成長するにしたがって次第に難しく、体力が必要なものになっていっていた。 それは簡単な掃除に始まり、水汲み、農作業の手伝いと進み、子供にとっては一番難しい食事の準備に終わる。小学生のころ私に与えられたのは、まず庭や三和土の掃除、そして 五右衛門風呂の釜へ水を入れることだった。

画像で分かるようにポンプの上部が広く開いている。ここにバケツ一杯ほどの水を入れ、持ち手を上下させることで蓋になった底面が上下する。連動して井戸の中に伸びたパイプの中が真空に近くなり、水を手元まで引き上げてくれる。水鉄砲の原理と同じだ。もちろん足元に水を流すことはできるが、私に必要とされたのは、上部3メートルにあるタンクを一杯にすることだった。
一杯にするには持ち手を上下に200回往復させないといけない。梃子の原理そのままで、持ち手の端を持つと、水を沢山くみ上げることができる。ところが当時背丈が120センチほどのチビだった私は、持ち手の半分の所にまでしか手が届かない。だから必死、 飛び上がってみたりぶら下ってみたり、力まかせに回数をカウントしながら頑張る----。
冬はと言えばもちろんポンプ自身が凍ってしまう。薬缶に湯を入れて融かすことから水汲みは始まった。しかし、このシステムがあるだけましな方で、子供のころは湧水を汲んできて溜めたり、つるべで汲み上げたりしていた家もあったくらいだから。

(高校生になって)
体育の時間に、人生初めての握力検査なるのものがあった。そこで先生や級友が驚いたことに、私の左右の腕の握力は、両方40kgもあった!華奢な人は15sくらいしかなかったのだから、これは女の子にあるまじき驚くべき数字のようだ。
そうか、私のこの両腕はあの錆びたポンプで鍛えられたのか、と納得させられたのだった。

その昔はこんな労働をして水を得ていたのだと感慨ぶかい 。若くして亡くなった母親や、妻の命の分も長生きした父親に感謝すべきだろう。おかげで今も一輪車に石や木材を載せてチャラっと庭を移動できるし、重いスーツケースも運ぶことができるのだから。

    里山の暮らし573     2021.2.22
                 

 

   のどもと過ぎた     地震から三日経った。

家具の転倒防止対策は済んでいる。非常時持ち出しリストと行動リストはクローゼットの中に貼ってある。
飲料水の備蓄はタンクを含めると700L、乾電池、マッチなど揃っている。トイレは庭を掘ればいい。石を組んで鍋をかけると煮炊きができる。これは田舎暮らしならではのもの。
だけど、何と忘れっぽいことか。少しずつあの夜のことを忘れていく。懲りない人間だ。いや人間は懲りないものなのか。
自分のことだけ考えるのは良くない。受験の時期なのに東北新幹線が運行していない。今年の受験生は新テスト、コロナ禍、そして地震と災難続きだけど、いつかこの経験が自分の身のうちで発酵する時が来る、と応援したい。

考えてみると今回の一番の問題は「暗闇」と「停電」だった。
阪神淡路大震災、東北大震災共に明るい時間に起きたからその後の対応ができたけれど、今回の地震は真夜中に近く、これこそ「漆黒の闇」と呼ぶのか、と妙なところで感心した。頼るのは星明りだけ。

自家発電機について調べてみた。機種によっては建築基準法や消防法に縛られるようだ。燃料として以前は軽油だけだったが、いまやガスカセットを使える機器もあるようだ。インバーター式の機器もある。電圧も安定していて、家庭内作業に加えてパソコンも使えるらしい。値段はもちろんさまざまで、 さらに定期的に試験運転しないといけない。結構メンテナンス作業が大変なようだ。
非常時に起こりうる全てに備えることはできない。バランスだな---と思う。

午前7時半、食事を摂りながら相棒と話した。もし、東京直下型地震、あるいは一都三県あたりで大地震が起きたら、われわれはどう動いたらいいのかを。 昼間だと仮定してまず、
  ガソリンを満タンにする。(半分切ったらいつも満タンにしよう)
  食料を買い出しに行く。
  現金を下ろしてくる----カードを使えなくなるかもしれないから。
こんな楽しくない会話を交わした。

(遠い昔。某国に住んでいた時、隣国との戦闘状態に遭遇したことがあった。友人知人のお連れ合いに徴兵命令が下った。 用心深いのは生来のものか、いくつかの緊急事態を経験したからか。)


だらだらと那須山の扇状地を下っていき、湧水が表に出てくる沼に毎年白鳥が飛来する。
このつがいはオオハクチョウ。もうすこしどちらかが動くとハートマークになったのに。
そろそろ北帰行の時期に入る。ハクチョウたちがダイエットし、長距離の飛行に備えて筋トレを始めるのが3月くらいから。
それまで去年の夏生まれの子どもの白鳥が、親と同じくらいの体に成長できればいいが。

       里山の暮らし572     2021.2.17
                 
 

 

   2021年2月13日 午後11時08分 地震勃発 M7.3   震度5強だった

・寝入っていたところをいきなりの揺れで飛び起き、コントローラに手を伸ばしてテレビのスイッチを入れたが、
 一瞬NHKの画面が出てのち停電した。
・暗闇のなか、コントローラを手にしたまま、壁に両手をついて揺れが収まるのを待った。
・はじめの20秒は微妙なたて揺れ、それに続く30秒はピッチの細かいやや強いたて揺れ。
・ついで10秒間、大きな縦揺れ。
・その後の10秒間は大きな縦揺れに、波状の横揺れが加わった。
 ちょうどエレベーターに乗って上下する時に感じる浮揚感に似ていた。ふわぁふわぁ。
・おそらく1分近く揺れただろう。東北大震災の時は3分半揺れたので、それを思うと短い。

・懐中電灯に灯をつけ、それを頼りにろうそくを手燭のように何本も立てた。
・手元が暗い中、ラジオを出してきて電池を組み込みニュースを聞いたが、それほど大きな地震ではないよう
 なので安心する。
・あるだけの容器に飲用水を溜めた。非常用の水の備蓄は2L×12本ある。
・冷凍庫、冷蔵庫のドアを開けないでと言っておいた。
・トイレ用としてお風呂のバスタブいっぱいに水を溜めた。約400L。
・シャッターを上げて、周辺の様子をうかがうが、防災サイレンは聞こえず、静まり返ったまま。
  星空がとても綺麗だった。西の空35°くらいのやや低い場所にオリオン座の三ツ星が見えた。
・11時55分、取りあえず大丈夫なようなので、寝ようか。寝よう。
・午前2時48分、約2時間半の停電の後、パンパラパーンとインターフォンの音がして通電した。ああ、嬉しい。
・明るくなって、家の周囲を確認した。無事だった。

地震が起きてから通電し、朝が来るまで何をしたのかを備忘録として書いておくことにする。阪神淡路大震災、東北大震災と経験したが、揺れは今回が一番小さいというものの、停電で真っ暗という状況 には、不安をかき立てられる。
非常時に行動すべきことと、持ち出しリストは準備してあるが、もし避難するような場合、そのリスト通りに動けるか、改めて考えてみた。どだい無理かもしれない。相当強い意志なり体力が必要になると感じた地震の次の朝だった。

【反省】
ラジオと一緒に保存したおいた新品の乾電池のパックを取り除いていなかったので、手間取った。懐中電灯があと2つあるのに、蝋燭に頼ってしまった。でも火が揺れるのを見ていると、精神が鎮まって、落ち着く。
通電火災のことを忘れて、それを確認しなかった。各部屋と枕元に懐中電灯が必要。 

【一夜明けて】
地震発生当時のNHKニュースを聞いていては分からなかった。死者こそ出なかったが今回の地震で相当な被害があったようだ。新幹線、在来線が運行停止になり、断水や停電も広域にわたって起こったようだ。受験生やご病人を抱えた家族もあるだろう。ただ、無事を願うばかり。
近所に住む一人暮らしの友人のご機嫌うかがいに行った。互いに無事を確認したが、友人の宮城県にあるご実家はやはり被害に遭ったらしいが、「東北大震災ほどではない」とのこと。
友人と話した。「シャッターを開けて外を見たら、あたり一面真っ暗。でも私一人ではなくて、みんなが停電で困るなら、一緒に困ればいいと思ったわ--」「そうだ、そうだね」。

       里山の暮らし571    2021.2.14
                 

 

  赤ちゃんのかかと

赤ちゃんのかかとのように、ピンクで柔らかで、
猫さんの肉球みたいにふわふわしている。
今年のかかと、私のかかと。
寒くなると、カサカサじゃりじゃりして、
ストッキングを履いたら
あっという間に伝染してしまう。
そんなかかとが、つるつるぴかぴか。
ヴァセリンのおかげ。
にちゃにちゃ、ぐちゃぐちゃして、手触りは悪いけど
たったの一週間で、干ばつの畑のようなかかとが
マシュマロのようなかかとになった。
     

     画像は楽天からお借りしました。

       里山の暮らし570    2021.2.13
                 

 

 シイタケも干そう


冬磨iどんこ)です。
戻すには半日かかります。
そのままだと食味はほとんどあわび。
鍋に入れるには大き目に、味噌汁用には細切りにして冷凍すると味が変わらない。
原木と菌床栽培。原木シイタケの味の良さときたら!
 
何年か前まで、庭の樹を切り倒して自前のシイタケを栽培していた。
玉切り(1mに切る)枯れ葉の中に伏せる シイタケの駒を打ちこむ 寝かす 立てて時々水を遣る---この手順で。
食べきれないほどのシイタケが出てきて、近所に配って歩いた------あの頃はシイタケ外交に忙しかった。

東北大震災の影響で、当市では原木栽培のシイタケが 、放射能汚染濃度の基準を超えているので出荷できない。土壌に沁み込んだ放射能が、林の中の枯れ葉が積み重なった腐葉土に蓄積して残り、影響が出ている。ある地域を指定し、その中の栽培農家のうち一 軒でも基準をオーバーした場合、連帯責任化(禍)して出荷取りやめになる。
この数年、やっと個別農家ごとに検査が行われ、隣の市でようやく出荷できる農家が出てきた。このシイタケは隣の市まで出かけて買い求めたもの。
ほか、芹や三つ葉などもその憂き目に遭う。春の味は自分で摘みに行くしかないようだ。

 
                                 2021.2.栃木県HP

       里山の暮らし569    2021.2.8
                 

 

  ダイヤモンド ・プリンセスに乗りそこねた

立春を過ぎても2月の那須はまだまだ冬の真っ盛り。朝は零下数度にまで下がり、庭の仕事はできない。偶然にも二人とも誕生月が2月、おまけに二日違いということもあって、冬旅に出ようと話が一致したのは一作年12月初めの朝のことだった。
どちらからだったか「いっそクルーズ船に乗って暖かいところへいこう」と話しは順調に進み、ツアーの探索は私の仕事になった。出発は1月中旬、帰国は2月初旬に。
横浜の街を一度見てみたい、中華街でプロの味を堪能しよう----前泊も入れて選んだのは、
「横浜から紀伊半島をめぐり、香港まで往復するツアーで乗船予定の船はダイヤモンドプリンセス。旅程は2週間。


   

2020年正月過ぎまでの数週間、頭の中のバーチャルな旅を楽しんだ後、世間が騒がしくなった。やはり旅程が長すぎる、香港はすでに行ったことがある。こんな理由を付けて予約はまだだったが予定をキャンセルした。

それに夫は水が嫌い。「沈没しそうになったら、どうしよう?」冗談に「もし海に投げ出されたら、なるべく船から離れて立ち泳ぎしながら体力の消耗を防ぐ。飛び込むときになにか浮くものを持ったほうがいい。ごみ袋でもいいけど。浮き輪は飛び込んで体が浮いてきてから空気を入れる。念のため飛び込むのは足からよ、頭からだと首の骨を折るよ。」と言ったのがキャンセルの後押しをしたのか---。
そして諦めきれない2月、ダイヤモンドプリンセス号の運命はあの通り。

昨日のことだった。夫の学生時代の友人がメールを送ってきた。
彼は長年クラス会の幹事を引き受けてくれている奇特な人。
「妻が昨年後半から認知症を患い、終日家を空けることができない状態です。もの忘れがひどくなり、判断能力が低下してきました。一人で生活することは困難になりました。したがってクラス会は休会させてください。」
厳しい内容だった。
「また、参加できる状態になりましたら、復帰できるよう退会ではなく休会とさせて頂きたく---」
この意味するものは、どういう状況なのか、認知症介護をめぐる日本の状況を考えると、かける言葉もない。

曲がり角を曲がったら、いくつかの道が用意され、どれかを選ぶと新しい景色が見え、さらに平坦な道が続き花畑にだって紛れ込める、という年齢で無くなった。もつれた蜘蛛の巣のような、ざわざわした道が続いているのが現実だ。その蜘蛛の巣のどこかを、足を引きずりながら歩いていて、ひょっと道を踏み外すと奈落の底かもしれない。情けぶかいほとけ様が蜘蛛の糸を垂らしてくれる、なんてことは起きそうにないし、そもそも下に続く蜘蛛の糸をワタシ、切ってしまうかもしれない。
 
今日は立春。 農事の起点の日。 外は雪だ。 追儺の豆を鳩のつがいが来て食べている。
 

     里山の暮らし568    2021.2.3
              
 

 

  自滅のやいば ------ 出自は伊賀流忍者の里


 


味の付いていない炭酸水が好き。キャップをひねるとシュパーっと炭酸が飛び散る。この爽やかさが大好き。一度に飲めないから栓をしっかり 閉めて冷蔵庫に保存しておき、残りを飲むまで「半分炭酸水がある」とすこしだけだが幸せな気分でいられる。

(我が家の冷蔵庫は25年前のヴィンテージもの。冷やすことに一生懸命で、ダイヤル弱にセットしておいても、冷蔵室のものがいつの間にか凍っていたりする。あっと、ここで悪口を書くと冷蔵庫 が機嫌を悪くして故障しそうだ。成木ぜめはやめよう)。

お気に入りは伊賀の天然水(強)だ。
ネーミングがいいな。いかにも魔法をかけられたように元気になりそうだから。

朝の体操のあと、冷蔵室に(
横に倒して )置いた残り半分のペットボトルを見ると、冷えすぎてこおりついていた、それも横に滝が流れるように。なかはまるでつらら。先端はシュシュっと尖っている。あ、面白い〜とついそのまま飲んでしまったら-----。
そのつららの先端が、のどの奥に刺さってしまったではないか。
驚いた、息をのむ、息が止まる、頭が混乱する、たまがった、仰天する-----
     びっくりの言葉を集めてみても、あの時の驚いたさまを表現できそうにもない。

冷静になって考えれば、お湯を飲むとか体温で融かすとか。いくらでも方法がありそうだが、今思い出しても慌てふためき、自分が何をしたかを覚えていない。



しつこいワタシ、「そういえば氷で殺人をした」なんてドラマをずっと昔に見たことがあったな、と思い出し、ご丁寧にネットで検索してみた。 下り坂に止めた車のストッパーが、実は氷だった。というネタだった。
どうも同じ発想をする人が日本にいたようで、色々な実験をして尖った氷の強さを計ってみる、といった記事を いくつも見つけた。

いくら好奇心が強くてもワタシ、つららの氷を作って野菜を切ってみるという実験はしないだろうな、しないよね。  うん、しないよ。
 

  ** 2021.1.30 市内で感染者が累計78人にまで増えてきた。年末から年始にかけての増え方が特に激しい。人口に対する感染者数の割合は、 一年を通じて約1500人に一人。この割合を大きいとみるか、まだまだ安全と見るかは、その人の性格によるだろう。
今日、市のHPで「100歳以上の女性が感染した」との報告を見つけてあわてた。友人のお母さんがちょうどその年齢なので、9時になるのを待ちかねて電話してみたら、元気だとのこと。安心した。けれどもいま市内のどこかで該当する女性が苦しんでいると想像すると切なくなる。

      里山の暮らし567    2021.1.30
              

 

 守護神が住まうのは「グリーンゲイブルス」

陽の光をはね返しながら踊るように飛び交い、庭にさんざめくシジュカラはわが家の守護神。預金の残高のように、新しい工具のように、増えれば増えるほど嬉しい。春彼岸を過ぎたころに一度目の抱卵をするので、新しい住まいを準備してやらないといけない時期にきた。慣らし運転と言うわけだ。
シジュウカラは、立春を過ぎ日脚しが伸び始めるころから、つがいで巣の場所を調査、偵察、打診して飛び回る。見ているとまず雄が巣箱に入り、そばにいる雌(妻)に状況を報告し、相談している。ホウレンソウそのもの 。


理想的な巣箱の条件は。20年近くの観察と実践の結果

・安全第一に。
・捕食者(猫、蛇、カラス、ヤマネその他)もろもろの怪しい奴らに襲われないように巣箱を独立させる。
・地上1.5mくらいの高さに蛇や猫が登らないよう、ツルツルの材料で太い棒を立てる。その上に巣箱を乗せた。
・入り口の向きは西日を避ける。←の巣箱は東向き。
・入り口の孔の大きさは、500円玉と同じ大きさの直径25ミリの円。または22ミリ×50ミリくらいの細長 いもの。

・初代日本野鳥の会のトップが書かれた本に、「シジュウカラ用の巣箱の入り口は直径28ミリから30ミリ」とあるので、以後皆さんそれに倣うことになったようだ。
そのせいで子亀もこけ続け、シジュウカラより太った「スズメ」のお宿を量産することになった次第。
 

今までどのくらいの数の雛を食べられてしまっただろう。庭に残る犠牲になった雛の羽毛を見ては悔しい思いをした。

まるまる巣箱をシジュウカラに渡すのもシャクなので、覗きシステムを導入した。まだ卵のうちに覗くと、親鳥が育雛を放棄することがある。孵化を確認したら、もう大丈夫。親鳥とは親しい?関係になれる。

Peeping Tom 、
出歯亀。これは男性名詞だけど-----。

 

もちろんのこと、捕食者に襲われないよう、二重三重の鍵をかける。
フォーナイン(99.99)の安全性をめざそう!
これは家主の義務。世の中に100%はない。

* スズメとシジュウカラを比較すると、ややスズメの方が体が大きくて気性も荒く、巣箱の入り口が自分の腹回りに合わないとなると、怒り狂って暴言を吐き暴力をふるうのです。思い通りにならないと、次には復讐めいたことまでしでかすので、シジュウカラの育雛期間中は気の休まるひまもありません。
スズメがどんな行動に走るかは、このページの下の方にある、
         里山の暮らし519  2020.6.13 「スズメのいじめに耐えかねて」
ここに詳しく書いています。興味のある方は読んでください。シジュウカラはお人好しすぎるのです。

  冬眠できなかったのか、クマ出没 ---- 下野新聞 2021.1.23の記事より

22日午前7時15分ごろ、〇市青木の山林でクマを目撃したと、車で通勤途中の男性が警察署に通報した。県自然環境課によると、通常クマは11月から4月の間は冬眠しているとされ、同課は「栄養不足で冬眠が遅れているかもしれない」としている。
同署によると、クマの体長は約50センチ。現場周辺には民家が点在している。目撃後、クマは立ち去ったという。
クマの主なエサとなるドングリが不作だったため、同課は昨年9月、クマの出没が同11月まで続く可能性があると注意喚起していた。同課は「森林などクマがいそうな場所では気をつけてほしい」としている。19年1月には足利市内でクマが目撃された例がある。

熊が目撃された「青木」は、隣接する字の名前で、家からの距離は3キロから5キロ。林は繋がっているので、庭に現れないとも限らない。たしかに昨年の秋は今までになかったほどの不作だった。林の中の道路を歩くと、いつもなら至る所にどんぐりが落ちていて、足の裏をツボ押しされているかのように痛いのに、 土に触らずに裸足で歩けるくらいだった。
体調50センチと言えば、春生まれの子熊が、夏を越しても食料不足でそのまま成獣にまで成長しなかった のだろう。灼熱の夏を空腹で歩き、秋には頼りにしていたどんぐりの樹に裏切られ、いま積雪10センチのなかで、どうやって生き延びているのだろう。
冬眠できない熊が冬の林の雪をかき分け餌を求めてうろついている----ここにも温暖化の影響がでているのか。
もともと「熊が生息していた熊自身のための場所」を人間が切り開き進出したからこそ、行き場の無くなった熊が里山に降りてくるのだ。
 

     里山の暮らし566    2021.1.27
              

 

 

    あと10日で春が立つのだけど

1月22日 現実的すぎる
今朝はマイナス5℃。まあまあの寒さだ。
朝食を済ませ相棒がちょっと真面目な顔でこう言った。
「僕、昨日新しい工具を買ってもらって、とても嬉しい」。おやおや。
「ダイヤの指輪なんかいらないな」という妻と、工具を手に入れて喜ぶ夫と------この組み合わせは同じ系統の人間なのか。だからしばしばぶつかるのか。 (買った のはカーボンファイバー製のノギス(計測器)と糸ノコ)

1月21日 田んぼに白鳥が
那須の山から長い裾野を下ること10キロ、扇状地の一番端まで用足しに出かけた朝。遠くに雪を被った那須連山が見える場所で、悲鳴を上げた。
「止めて!止めて、ゆっくり左、左に回って!」
 
遠目にはヘイロール(牧草をロール状にして田んぼに並べてある)がいくつもいくつも並んでいるように見えたが、それらはみんな白鳥だった。
車をすぐそばに止めても、近づいてみても、みんな知らん顔をしている。いやいや横を向いているのは敬遠しているからだけど。そのうち好奇心の強い個体 がじりじりとそばにやってきて、白鳥語で話しかけてきた。「やぁ」
関西に住んでいたころは、白鳥を見るなど夢の中の出来事だった。その白鳥が田んぼに400羽近くもいる。
手前の田んぼにはコハクチョウがたむろし、向こうにはオオハクチョウが群れを成している。羽ばたきをしたり、しゃがんで土を掘りかえしたり。喧嘩をしてみたり。こんな景色を見られるなんて幸せ。
ただし、「湖に浮かぶ白鳥」といったいかにもステレオタイプの景色ではなくて、足をドロドロに汚しながら、落穂や牧草の新芽を食べている姿は、生活感が溢れていてフツーの鳥と変わりがない。
 フラップ(脚)を下げて着陸する

  1月20日 寒い朝 マイナス9℃
吉永小百合の「寒い朝」を思い出したひと、ハイタッチしましょう。あの歌を聞いて、田舎の朝の寒さを耐え忍んでいたころを思い出す。だだっ広い家の中は寒中はひとしお冷え切っていて、台所に氷が張ったのだから。祖父が自宅用に設置した水道は凍り付き、蛇口をひねっても出てこない。水を溜めてある大きなタンクに柄杓を突っ込み、表面の氷を割って洗面器に水を取り、氷の合間を縫って手を入れ顔を洗っていた。その後の顔ときたらハイジに負けないくらいまっかっか。ああ、中学生哀史。

この一週間の、特に朝の気温が経験したことがないほど低い。ちなみに午前6時15分、起床時の外気温を一週間分平均すると、マイナス5℃。
こんな冬は知らない。雪はほんのちょっとだけ降り、寒さはどっさり。面白くない。


  1月19日 ソーシャル・ディスタンシング
何か一つのことを凝視し続けていると、その問題が頭の中に増殖し、正確な姿を捉えることができなくなってくるような気がする。
現在の状況がそうだ。一日中コロナ感染症のニュースを見聞きし、感染者数の増減に一喜一憂していると、まるでコロナ禍のなかでだけ生きている気になってきた。
もちろん感染対策は当然の義務だが、自分の人生にはそれ以外の部分もある。コロナ禍の最中に、あるいはその後にどういう生活をするかを考えることも大事だろう。
ソーシャルディスタンシング----他人との距離を取る。---- 自分の精神のなかで、ある問題との距離をはかる。
バランスを忘れないようにしよう

          里山の暮らし564    2021.1.22
              

 

   あれから26年になる。
         阪神淡路大震災勃発 1995年1月17日 午前5時46分52秒 犠牲者は6,434人

今朝、あの時間に目を開けて思い出していた。
寒中でいまだ暗く、早暁とも言えない5時46分。突然突き上げるような地震が起きた。その後の右往左往ぶりは、いまさらことあげたくもない。受験生を抱え、夫の仕事も多忙を極める1月が、どのような状態にあるかは想像していただくしかない。そこへ大地震が起きた。

忘れようとするほど思いだす。悲しみも苦しみも、これは人生の醍醐味。甘受することの難しさはあるが、その思い出を胸に抱いて生きるほうが楽になる。地震について伝えるべきことは多いけれど、これを機に26年間封印していたことを書いておこうと考えた。さもないとあの時の兄夫婦の働きは誰の記憶にも残らないだろうから。

中国山地の山峡に私の生まれた村がある。年老いたと言え父方の親戚が何人も住んでいる。
そのなかの従兄の話をしたい。従兄には子供が4人いた。3番目の息子(従甥・いとこおい)が大阪の大学に通い、兵庫の海沿いに下宿していた。その下宿は、戦後すぐに建てられた昔ながらの木造平屋家屋で、あの地震にはひとたまりもなく崩れ落ちたという。そして迎えた若すぎる死。 無念の死---不条理だ。一週間後には引っ越す予定だったのに。

あの混乱の中で死者を丁重に弔うことはとてもできない。
実兄が和歌山に住んでいた。
移動制限があって動きが取れない従兄から連絡を受けて、兄夫婦は和歌山から一日がかりで兵庫の現場へ行き、がれきの中から、従甥を探し出した。

兄夫婦は人目に立たぬよう、毛布に包んだ甥を後部座席に横たえ、寒中なのに冷房をかけながら走った。山陽道は検問があるので兵庫からまっすぐ北を目指し、山陰の裏道を探しながら丸一日かけて、従兄の待つ家へ息子さんを届けることができた。母親は息子の帰りを待ちわび、一週間で頭髪が真っ白になったと 聞いている。

がれきのなかのご遺体を、どのように引き取ってきたのか。死亡診断書はどうしたのか。遺族が遺体を車で運ぶこと自体は、法律に抵触しないというものの、損傷する危険もある。 ただ一心に、子供をその親に返したいという思いで、ひたすらめざした。疾く早く、山を越えようと。
あの阿鼻叫喚の中、駆け抜けるように過ぎた3日間。兄夫婦はその時何が起きたかを、これ以上口を閉ざして語らなかった。

その兄も、今はもうこの世のものではない。
息子を失ったその父も、先年亡くなった。

東日本大震災 2011年3月11日 午後2時46分18秒 犠牲者行方不明者関連死者数2万人近く
後半人生の2大障壁がこの二つの大地震。現在3つ目が継続中。

      庭の隅にフキノトウを見つけた

        里山の暮らし563    2021.1.17
              

 

    オチの無い話

おじいさんが背負っているのが背負子(しょいこ)。

鋸で切るのは薪、鉈を使い手で折るのは焚き木、大雑把に大きさと太さで分けられる。
生木を切った場合は半年寝かせて乾かす。子どもの頃には乾燥させるための木小屋があった。そこに野良猫が子供を産んで----あとは 毎日猫びより。

右:今はこんなにおシャレな背負子。

むかしむかし。
あるところにじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗たくに出かけました。
おじいさんは背負子(しょいこ)いっぱいに柴を刈り、重さによろけながら家に帰りつきました。
ところが、昼も近いというのに、朝早くに洗濯に出かけたおばあさんが、まだ帰ってきていません。
おじいさんは、おばあさんの帰りをじっと待っていましたが、あたりが薄暗くなってきては、さすがに心配になってきます。
川へと下る坂道を、足元の石ころに気を付けながら、おじいさんはおばあさんを探しに行きました。
ごろすけほーほー。フクロウも鳴いています。
遠くからおばあさんが川べりにしゃがみ込み、せっせと手を動かしているのが見えました。
「ばあさんや、なにしてるん? まだ終わらへんか?」
「じいさんか。あんなぁ、朝からずっと洗濯してたんや。なんでか分からへん、ここんとこの汚れが落ちへんのや」

オチナイ話、でした。

この場合の「柴刈り」とは、風呂の焚きつけにしたり、台所で煮炊きしたり囲炉裏で燃やしたりする焚き木を集めることを言う。里山には入会地があって、集落の共同財産として管理されていた。あるいはこのおじいさんは、その里山を利用する仲間に入れてもらえず、他人の山に落ちている枯れ木を拾い集めていたのかもしれない。

近年松茸が生えてこなくなったのは、この里山の管理が行き届かなくなったことが原因の一つらしい。この地に越してきて初めての秋、赤松の周囲を探していて、地元のひとに笑われた。「そ〜んなとこに生えんとよ」。
しかし、いまだに昔ながらの「里山の恵みは地元の人の共有財産。ただし松茸は除く」。この慣習が残っていて、春の山菜や秋のキノコの時期には、見知らぬ人が入り込んできて袋いっぱい収穫しているのを見かけることがある。それも私の庭にまで入り込んきて知らん顔。泣く子とキノコ採りには勝てない。

* 昨年の日記に、福岡にある「辛子明太子」の名店の名前をうっかり書いてしまったら、その30分後にはその店から「買ってください」メールが届き、ネットの画面を開けるたびに宣伝画像が送信されてくるようになった。
今回、「洗濯する、落ちない」と書き込んだので、そのうち洗剤を作る会社からのプロモーションメールが届くかもしれない。この寒空のもと、回遊ロボットがぐるぐる廻って情報を集めているらしい。
 

         里山の暮らし562    2021.1.15
              

 

       吊り下げられた瓜子姫

「う〜ん」と言って目が覚めた。涙の粒がひとつふたつ頬に残っている。一体何が起きたのか。
一瞬理解に苦しんだが、暗闇に目が慣れるにしたがって思い出したことがあった。

私の上には姉が三人いる。そのせいか5歳くらいから字を読み始め、小学校に入る頃にはすでにひらがな文をすらすら読んでいたようだ。
6歳の時分だったか、年の離れた姉が町から買ってきてくれた絵本を読んで大泣きに泣いたのだ。泣いて泣いて涙が涸れるくらい泣いた。いまも その絵本の色合いから、絵本を持った時の手触り、障子の外に広がる秋の景色まで思い出すことができる。
夜中に泣きながら起きたのは、心の底の底に隠れていた記憶が闇のなかから蘇ってきたから。昨日、その絵本の原作を図書館で借りてきて読んだからだろう。
     『日本民話選』木下順二作 岩波少年文庫所収 『瓜
とアマンジャク』

〔むかしじっさとばっさが住んでいました。じっさは山へ柴かりに、ばっさは川へ洗たくに。川上から瓜が流れてきました。瓜を持ち帰ったばっさが、じっさと食べようと包丁を入れると、なかから美しいちっこい女の子が生まれてきたのです。瓜子姫と名付けられた女の子はやがて美しい娘になり、いい声で歌いながら上手に機を織るようになりました。
ある日、じっさとばっさは瓜子姫に「誰が来ても戸口を開けてはいけない」と言いおき、姫の嫁入り道具を買いに町へ出かけます。ところが、姫はアマンジャクにまんまと騙され、身ぐるみ剥がれて柿の木に吊り下げられてしまいます。〕

日本各地に同じような民話が残っていて、このあとの展開にはいろいろな変化があるようだが、あらすじはここまでしか覚えていない。ただ、瓜子姫が可哀そうでかわいそうで、苦しいほど泣いたことだけが記憶に残っていた。

この場合「真桑瓜」か。たまに道の駅のお店に出る。懐かしくも優しい味だ。

この民話は、同じく植物の中から生まれた桃太郎伝説や、出雲神話のなかのヤマタノオロチ伝説(---川上から箸が流れてくる-----スサノオノミコトはクシナダヒメを救い、草薙剣を手に入れる----)に似ている。水が流れ続けている、川上から川下へと人生の大事が流れてくる。これが人の世の移ろいに重なるから。

時間は一直線に流れていて、自分はその線上を未来に向かって歩いている。背にあるのは過去だ。いままでこう考えていた。時間軸で考えると、本来上流こそが過去で、流れくだる水が未来の姿だろう。しかしじっとその場にとどまっていて、目を上流に向けていると、これまでのイメージとしての過去と未来が、水の流れの中で転換して、上流が未来の姿に見えてくる。下流は過去だ。新しいことは常に未来からやってくると。
未来から現在、過去へと流れる水=時間は未来から現在に流れていることを実感した夜だった。
 
『瓜
とアマンジャク』の後半:
【姫は仲良くしているニワトリ、とんび、カラスに助けられました。そののち、長者どんに嫁入りして、幸せに暮らしました】とさ。めでたしめでたし。

【アマノジャク 天邪鬼】
 ・わざと人に逆らう言動をする人。つむじまがり。ひねくれ者。
 ・民間説話に出てくる悪い鬼。物まねがうまく、他人の心を探るのに長じる。あまんじゃく。
 おっとっと、これって私に似ていない?

 ・仁王象などの仏法守護神に踏みつけられている小鬼。 

   奈良室生寺 天王立像 平安時代(9世紀)奈良国立博物館HPより

 今朝の気温はマイナス9℃。明日も寒い日になりそうだ。

    里山の暮らし561    2021.1.12
              

 

  

      今朝の気温はマイナス6℃ 

本日、1都3県は昨年春に続き2回目の緊急事態宣言を発出した。(2021.1.8)
栃木県の感染者数 1月7日現在累計2104人 7日の新規感染者過去最高の130人。うち自宅での療養者数は500人以上。
   * 栃木県の感染状況は、ステージ4に迫っている。特に病床稼働率は50% 陽性率10.1%。
     すでに宇都宮市は市独自の緊急事態宣言を出した。
コロナ禍では、万一感染し自宅療養となったときにも、友人知人に直接的な助けを求めるわけにはいかない。せいぜい買い物を頼めるくらいだろう。  

そこで、万一のための準備を始めた。相棒が一人でも扱えるように、置いてある場所を一緒に確認する。常に正常化バイアスをかける相棒、いや〜な顔をしている、その状況に自分が陥ったら、などとは考えたくないようだ。

防護服の代わりになるごみ袋100枚 ゴム手袋200セット 箱ティッシュ 割りばし 紙皿(大中小) 消毒薬 マスク タオル バスタオル パジャマ シャワーキャップ  炭酸水など。 それから---念のため紙おむつ。
いつもながら気が早い。二人とも高齢者の枠組みに入るので、おそらく入院させてもらえるとは思う。
いや分からない。市内の病院は相当病床その他が逼迫した状態らしい。準備しておくに越したことはない。

個人用として動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を、採血することなく計れるパルスオキシメーター(pulse oximeter)を買い求めるかどうか、思案中。(5千円から2万円くらい)
     
    画像は楽天からお借りしました。

外は明るい陽射しに満ちているのに、午前10時になっても気温はマイナス2℃のまま。
スイス、グリンデルワルドで求めたアルプホルンのCDのうち、お気に入りの「グリンデルワルド讃歌」を家中に響き渡るような音でかけた。気分がすっきりする。

           アルプホルン

        里山の暮らし560    2021.1.8
              

 

    白河の関 ---- だぁれもいないところへ行こう

年末年始をおとなしく過ごし、なんだかうっぷんが溜まってきた。この数日間、朝の気温がマイナス5℃前後で日中もマイナスのままだった。真冬日が続き、庭にさえ出られない日が続いたせいもある。
寒気の緩んだ朝、「気散じにドライブするか」と相棒。「誰もいないところはどこ?」「白河の関ならおそらく」
いつものように、お茶お菓子果物お弁当を持って出かけてきた。

    白河の関
白河の関は、鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)とともに奥州三関のひとつ。
この白河の関は、奈良時代から平安時代ごろまで人や物資の往来を管理する機能を果たしていた。
奥州平泉と京の都を結ぶ東山道の要衝に置かれた関門として名高い。「歌枕の地」としてもよく知られている。

たとえば松尾芭蕉。元禄2年(1689)5月下旬(今の暦で6月上旬)、西行ゆかりの地・遊行柳で「田一枚植えて立ち去る柳かな」と詠んで東山道を北上し、白河の地にたどり着いた芭蕉は「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」とみちのくへ足を踏み入れた感動を 『奥の細道』に記している。
この地での供の曽良の句に「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」。
  農事の始まりを象徴し、霊力の憑り付く卯の花をを爽やかに詠んでいる。

・都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関 (能因法師)
  能因法師は白河の関まで旅したわけではなく、「旅に出る」と言って京の家の庭で顔を日に焼き、いかにも長旅をしてきたような様子でこの歌を披露したと伝わっている。


珍しくおみくじを引いてみた。大吉。

「風吹けば風ふくまゝに港よしと百舟千舟うちつどいつゝ」とあり、
さらに「何事も繁盛して心のまゝになるけれど心に油断があってはならない 只今より来年のことをよくよく考えてやりそこなわぬ様十分の注意をしておきなさい」とあった。 

 

那須の山並みが雪をかぶって正月にふさわしい景色だ。下の高架は東北新幹線。乗車率20%くらいか。

      里山の暮らし559    2021.1.5
              

 

       新しい年が穏やかでありますように

               松は陽樹。陽の光を求めて高くたかく。

             来訪神(なまはげ)

上の画像は、2011年大晦日の夜に、秋田県の男鹿半島にある真山神社で出会ったなまはげ。
はるばる遠方から旅をし、雪の降りしきる夜におどろおどろしい仮面をつけ、笠を被り蓑を着て、部落の家々を訪ねて回る神事-----民俗信仰のひとつの来訪神だ。福を授け災厄をはらうと言われている。鬼の面は人間とは異なるものであるとの表現だろうか。

訪れた家の子どもに普段の生活態度を尋ね、あるいは褒め叱り親孝行をせよと諭したりする。その言葉がそのまま大人である自分にもはね返ってきたのがおもわゆい。仮面を被っていると分かっていても、身近に神が迫ってくると思わずあとすざりしたほど迫力があった。蓑からこぼれ落ちた稲わらを拾った人は、幸運が巡ってくるという言い伝えもある。

今年が、穏やかな一年でありますように。
「普段通り」の生活がいかに他者の努力に支えられているのか。感謝を忘れない一年にしよう。
「コロナ後」の生活が、今までの暮らしを決して否定するものでなく、新しい人間関係を築く指針に満ちたものでありますように。

      里山の暮らし558    2021.1.1
              

          里山の暮らし 2020年1月から 2020年12月まで