シルクロードへの旅 ----- さまざまな生き方をこそ ----- 1

庭の整理も一段落し、ようやく5月の中国西域への旅について記録しておこうという気力が湧いてきた。

シルクロード。
浪漫あふれるこの地域に『西遊記』の影響もあって子供のころから憧れていた。実際に旅するチャンスが訪れたことに今は心から感謝したい。
紀元前11世紀からおよそ二千年にわたりさまざまな王朝の都として栄えた中国の古都「西安(かつての長安)」に残る遺跡や文物に触れたことは大きな喜びだった。トルファン、ウルムチといったオアシスの町を訪問できたのも 、宗教や地域性を感じ取ることができたよい機会だった。
しかしいま、しみじみ感じるのは「現在の中国を表面だけでも触ることができた満足感」なのだ。
われわれの世代は『大地』(パールバック著)を読み、経済成長以前の中国の貧しさがまず印象にある。ところが今や世界第二位 の経済大国に成長した中国の実情はとても興味深いものだった。

旅程
1日目 羽田から上海へ。上海から西安へ、深夜着。
2日目 世界遺産兵馬俑博物館見学 秦の始皇帝陵見学 三蔵法師が仏典を読み解いた大雁塔見学
3日目 城門見学 シルクロード起点群像見学 敦煌へ
     敦煌市内観光 鳴沙山観光 
4日目 莫高窟見学 西千仏洞見学 陽関見学 沙洲市場見学
5日目 敦煌市内観光 敦煌南駅までバス その後高速鉄道で吐魯番へ (3時間半)
6日目 高昌故城観光 アスターナ古墳群見学 べゼクリフ千仏洞見学 カレーズ見学
     葡萄農家見学
7日目 烏魯木斉へバス(200キロ 3時間半)国際バザール観光  新疆ウイグル自治区博物館見学  国内線で上海へ
8日目 上海から羽田へ 帰国
 
 地名の読み方------西安(セイアン 敦煌(トンコウ)  吐魯番(トルファン  烏魯木斉(ウルムチ)  上海(シャンハイ)

          


個人では無駄が多くて旅程を組みにくいので、ツアーを利用したが、なかなかどうして、タイトなスケジュールだった。
深夜2時にホテル着が2回!なにしろ中国は広い!
     (遺跡の説明や印象は他人様の旅行記にまかせて、興味を惹かれた件をランダムに記しておきたい。)

まず国土の広大さに度肝を抜かれる。人口は13億人以上。おまけに国内に時差を設けずに共産党政権による中央集権制度を行きわたらせているのが印象的。したがって「朝は5時から明るく、夜はその分早く始まる」地域と「朝は8時に明るくなり、暗くなりはじめるのは10時」の地域が国内に混在することになる。
多民族国家で、民族の間に言語の違いや文化の隔たりがある。少数民族優遇政策が敷かれているものの、血縁や氏族を重んじるのではなく、全体を統治するには、中国共産党の「党是」、ないしは「法」を以って行わないと叶わない。あらゆる場面で強権を発動するのはこの「法」に基づいているからだと考えた。
     * 多民族国家(一説には56族とも言われている。言葉の違いをどう乗り越えるか)

セキュリティチェックの厳しさ
例えば西安市内の地下鉄に乗るにも、すべての乗客は身体と荷物を調べられる。これが通勤客にも適応されるので、大混乱と渋滞を引き起こしている。
あらゆる場所でこの個人識別と調査が行われているので、国民もわれわれ外国人もすべてその個人の背景を知られてしまうことになる。
特に新疆地域は「2009年ウィグル騒乱」事件があって、この地域に入るには信じられないほどの強い監視体制が敷かれているようだ。トイレを利用するにも係員のチェックが入るくらいだったから。

億単位で随所に置かれている監視カメラの存在や、誰がどこで何をしているかを把握するシステムが整っているのに、次第に慣れさせられていくのかもしれないが、恐ろしいこと だと思う。
権力になびく方が人間は楽だし、組織が出来上がると上から抑え込まれる----個人が手に入れた権限を最大限に利用して、システム内の人間が次第に官僚化するのはいずこも同じだろう。

広大な国土を支配する方法として、「一党独裁制度」を採用している。むべなるかな。この方法しかないのかもしれない。
反アメリカに揺れているが、同じく広大な国土を持つアメリカが民主主義で国を治めようとしているのに対して、中国の現在は合わせ鏡のようなものか。あるいは反語か。

中華思想に裏打ちされ、今や「一帯一路」(巨大経済圏構想  One Belt, One Road)を標榜する中国が、新しい経済圏を確立し、外交権圏を構築しようとする意気込みを感じた旅だった。
経済を発展させることで政府への反発を抑え、現在の政体の正当性を主張しているようにも思える。アメリカのポピュリズムに共通する部分が見られよう。個人が自由に政治的な意見を発表することもできない現実に、ひたすら従順に任務を果たす軍人、公安の人間に本心を訊いてみたいとも思ったが、あぶない危ない。彼らには近現代の中国に起きたことを知らないのかもしれない。

(一見真面目に役目を果たしているように思えたが、荷物をすべて見せ身体を探られ何度もチェックされているうちに
 気付いたことがある。公安検査官が、それも特に女性に目立つが、手に入れた小さい権力をふりかざすことがある
   --------冷淡、傲慢、そして尊大な態度が目についた。
相手の現在を左右することができることは、快感なのかも知れない。男女同権で、男性と同じ仕事をこなすには男性並みの精神構造を持たねばならないのだろうか。これは漢族の公安公務員と接する時に感じたこと。)

人間の精神をコントロールするその恐ろしさと、その中でも矜持を保つ難しさを思う。
情報がないと判断さえもできなくなる。
由らしむべし、知らしむべからず。

7月4日は天安門事件(1989年)が起きた日。
表面には出ないがますます言論統制と報道規制が酷くなっているとも聞く。

西安(昔の長安)のホテルの前に、朝早く屋台が出ていた。 丸い頭とずんぐりした身体は、漢族の特徴らしい。
ふたりとも親戚のオジサンのような顔立ちだ

左のおじさんはクレープを売っている。
薄く小麦粉を溶いたものを鉄板に流し、その上に刻んだ長ネギ、モヤシ、キャベツを並べてクルクル巻いて折り畳み、「ほいよっ」という掛け声とともに客に渡している。客はそれを片手に持ちバイクで出勤。(あの、 モヤシに火が通っていませんが。あ、気にしないのか。)
右のおじさんは出盛りのサクランボを量り売りしている。
「ニイハオ、おじさん、ちょっと食べてみてもいいですか?」と日本語で聞くと、
「あぁいいよ〜」と中国語で返ってきた(はず)。美味。お礼に没収される予定の水一本を上げる。

この西安のホテルの部屋の設備はアメリカンスタンダードだった。以後泊まるホテルによってロシア式あり、ドイツ式あり、Totoが洗面所の真ん中にデンと鎮座しているのもあり。 見本市のようだった。
おそらくホテル建設時の資本提携や導入した技術移転、指導などに違いがあるのだろう。
上からシャワー式のバスが多くて、今回湯を溜めて使うように小さいバケツを持参して正解だった。コンセントの形状にも悩まされた。対応するのは「すべて」と書かれている案内書が多く、いざ現地入りしてみると、すべての国のプラグに対応しますという意味で、なるほどコンセントは、 あらゆる国の旅人に対応するべく各種揃っていた。
つまり日本のものはそのまま使えます、ということだった。なぁんだ。
 

郵便ポスト

中国の郵便事情は、
国内でも約三分の一は届かないらしい。
まして外国郵便は---。

Tさん、ウルムチから絵葉書を出したけど、きっと届いていないよね。

「面妖な」なんて言葉を挟んだから、あるいは検閲されたかもしれないけど。
あと二年は待ってね。
 

西安やウルムチの街で見かけたライドシェアシステム。
スマートフォンで決済し、5元で市内のどこまでも走れる。
乗り捨て自由の若者向き自転車。

右は自販機。
さまざま揃っていて、コーラ、ペットボトル入り飲料、ビールなどすべて5元(約90円)。紹興酒などの高級酒は10元から20元と安い。
支払いはスマートフォンをかざすだけ。したがってわれわれ旅行者は購入できない。
こんな所にも中国のキャッシュレス決済の現実を見る思いだ。だれがどこで何を買ったのか、全てお見通し。 国内どこへ行こうとも、あらゆる場所に監視カメラが設置されている。
5G(第5世代移動通信システム)を利用して、国民一人一人の監視網をますます密度濃く堅牢なものにしようとしているらしい。

ガイドのMさん言うに、
「若者は病気なのです。一日中スマホを眺めて暮らし、大切なことは何か考えません。」

タクラマカン砂漠の南にある和田(ホータン)で生まれ、現在の政体のなかでどう生きていけばよいのか悩み続け、ウルムチの騒乱も経験しているMさんに取って、日本語を話し、日本人を案内し他国の情報を得る機会を持つことができるがゆえに自分の立ち位置に疑問を持つこともあるようだ。
はたして知ることは良いことなのか、考えることは善なのか。
難しい生き方を選択しているのではないか。
目の前に差し出されている「ポピュリズム」に乗って生きる方が楽だろうが。
なまじ手に入れた知性が邪魔をする-----。
鳴沙山へ。風が吹くと流れる音が聞こえてくるらしい。五色の砂の粒が小さく、流砂がひどい。
後ろは観光客を乗せたラクダの群れ。ふたこぶラクダなので乗りやすいようにも思えるがどうかな。
 (ひとこぶラクダに乗ると体が揺れて、さすがの私も怖い)
細かい砂が入り込むので、この目立つ足サックを付けて歩いた。ぞろぞろ音がする。気温30℃、暑い。
右は500もある階段(砂の上に置かれた縄ばしご)を登り切った場所から撮った「月牙泉」。沙漠の中のオアシスで、かつて水が涸れたことは無いらしい。
もっとも、山の上に登ったのは私一人で、相棒はカッコつけてみたものの、下のベンチで待っていた。
「登る意味を感じない」んですと。 負けず嫌いの理系男が言いそうなセリフだ。

特筆すべきは頂上からの降りかた。このオレンジ色の靴カバーが役に立つ。片足を砂に乗せると一気に2メートル、その次の足で さらに2メートルと、するする下っていく。
「もっとゆっくり降りたいね」と同行のメンバーと言い合う。

地表の1/6が陸地で、陸地の1/5が砂漠という地球上に、神や宗教を基盤にした論理を掲げ栄えたかつての四大文明が、ともに「砂漠」の周辺地方に発した過去をどう捉えるべきか。
水に乏しい---不毛で過酷な土地においてこそ、
人間の精神世界は充実していくのか。人はなぜ宗教を必要とするのだろうか。創造主を求め(あるいは創造主をも造り上げ)るのだろうか。砂のひと粒ひと粒に人間の精神を研ぎ澄まさせる何らかの力があるのか。灼熱の砂漠の丘の上で月牙泉を見下ろしながら改めて疑問が湧いてくる。

南米のインカ文明、中米のマヤ、アステカ文明も栄えては滅んだ。いまかの地を支配しているのは、かつての輝かしい文明ではない。文明は波だろう。寄せて返す波だ。現代日本も波の頂上を経験したのもつかの間、いまや「少資源少子高齢化」の新しい波に覆われようとしている。
 

  莫高窟にて。      莫高=サンスクリット語で「解脱」の意

晴れた日には、ポプラの林の向こうに祁連山脈がうっすら見えるらしい。
風が吹くと音を立てて木が揺れる。ひるがえりひるがえりつつ風に乗るポプラ。
灼熱のシルクロードを旅する人々を、このポプラ並木の涼やかな影が癒し、並木の間はカレーズと呼ばれる地下からくみ上げた水路網の、水の通り道になっていた。 縁台を水路に渡し、涼んでいる人もいる。
ちょうど今の季節は、「柳の絮・わた」(綿毛)が風に吹かれて乱れ飛び、まるで風花のようだった。
何十年か前に学んだ漢詩を口ずさむ。

  梨花淡白柳深青
  柳絮飛時花滿城
  惆悵東欄一株雪
  人生看得幾清明    中国北宋時代の詩人蘇軾(そしょく)の七言絶句。

表現は美しいが、今や花粉症の元凶になっているらしい。

今回の旅の第一目的は敦煌からトルファンへの高速鉄道に乗ることだった!
ひたすらバスで沙漠(土漠)を走り、西へ向かうトラックのコンボイを追いかけ、追い抜き、敦煌南駅へ、発車時刻へと急ぐ。
駅舎に入るのに、金属探知機でチェックされ、更に荷物の全てを検査機に通す。パスポートを見せて本人の確認をし、身体検査が行われる。予め爪切りは透明袋に入れておき、果物ナイフは前夜のホテルに「不要」のメモを付けて残していたのが成功!ほとんどの人は足止めされ、ナイフを没収されていた。待つこと1時間半。発車時間は正確でいよいよ列車がホームに到着する瞬間。頭の中は鉄道の先頭がいつ来るか!で一杯なのだ。

停車時間はきっちり1分の予定なので、あらかじめガイドさんと綿密に作戦を練る。まず屈強な(そうでもないのもいるが)男たちがスーツケースを車両に投げ込み、隙をみて女性、そのあと男性が、そしてガイドさんが乗り込む、というもの。何しろ中国なので下手をすると置いてけぼりになるかもしれない、と脅された。

中国鉄路高速網を走る電車の車両はすべて「和諧号」と名付けられていた。外国からの技術移転をベースに車両が生産されているかららしい。和諧号=すなわち調和、ハーモニーの意味で、こんな小さいところに中国の海外技術に対する切望?が現れていると感じた。 あるいは、調和を前面に出して柔軟な姿勢を打ち出そうとしている中国という国の奥深さ、恐ろしさを-----技術は欲しい、でもその技術は中国のそれと同等の立場にあるというプライドも含めて和諧号と。
一時間に2本という時刻表が掲示され、その時刻通りに運用されているのが印象的だ。

内部は日本の新幹線にそっくりだ。相棒が期待していた天山山脈が見える右側の席の指定が取れなかったので、そこは私。あの人この人に 日本語、英語、中国語で声を掛け、ちゃっかりと窓側の二席を手に入れた。はは、ご機嫌な相棒だった!
さらに、すばしっこい私は、ホームに入る直前に、キオスク?でビールを買い込んでおいた。濡れせんべいをつまみに乾杯する。
ところが失敗だった。ビール350ccが5元(約90円)で500ccが約10元(190円)なのに、うっかり大ビールを買ってしまった。同じ10元で2本・700cのビールを買えたのに-----。後の祭り、でも車内で天山山脈の白い景色を見ながら 「後で祭り」をしたのでこれは帳消しか。

  待合室で。

「ニイハオ。可愛いですね。何か月?ひと月くらいですか」と日本語で聞くと、
「一か月です」と若いお母さんが応えてくれる。
実家でお産をし、母親に送ってもらい自分の家に戻る、といった風情の三代の女性たち。大きな荷物を持ってたくましい。

* 英語と言ったって例のWould you -----なんとかだし、中国語は筆談と身振り手振りで通じる。
  ちなみに、毎朝キッチンで日本茶を入れるお湯を貰うのに、こう書いて渡したら一発で通じた。
  「請白天水飲用、多謝」と。  (2019.9月 中国大連訪問のおり、天→开が正しいと教えてもらった) 

トルファンは埃でかすんでいた。
ここは中国とは思えない風貌の人たちが住み、アラビア文字を変化させたウィグル文字の看板が市中にあふれる。
トルファン名産の葡萄の棚、といっても高さが3メートル近くもある。寒暖の差が大きく、この地の冬の寒さに葡萄の木が耐えられない。
収穫の時期が終わると、この棚をすべてほどき、葡萄の木を地面に寝かせて土などをかけ、寒い冬を越させるらしい。
そのために時期になると中国の各地から「出稼ぎ=季節労働者」が集結するのだとガイドさん。

ここ新彊は木綿の産地でもある。やはり収穫の季節には、国内各地から女性が出稼ぎにやってくるとも聞いた。
いずれも激しい労働には違いない。
乾いた赤い大地にコットンが白く稔る----『風と共に去りぬ』の世界だ。

 * トルファンは、海抜40メートルほどの低い土地にある。そのせいか夜はぐっすり、夢も見ずに眠ることができた。標高が低い分酸素が多く含まれているからと聞いていたけど本当だな。
そう、この「ぐっすり」はイスラエル・死海のほとりエンボッケのホテルで体験した夜と同じだ。
あちらはマイナス400メートル近くで、「ぐっすり」は「ぐっすり」でもずいぶん空気が重いように感じたが。

約千年ものあいだこの地で高昌王国が栄え、政治、経済、文化の中心地だった 。トルファン郊外に残る高昌故城は、三蔵法師がインドへの旅の途中に立ち寄った場所。泥土を日干しにした遺跡が残っている。

マンゴットと呼ばれる民族楽器を演奏しているウィグル人が座り込んで旅人の気を引いている。
日本人が通りかかると演奏を始めてくれた。

その演曲は、
 ♪ 春を愛する人は 心清き人 
   すみれの花のような ぼくの友だち

  夏を愛する人は 心強き人
   岩をくだく波のような ぼくの父親 ----- ♪

              「四季の歌」 荒木とよひさ作詞・作曲

動画を1分、どうぞこの音が入りますようにと祈るように撮影する。
オジサンの顔立ちは、回族のそれ。面長で鼻梁が立っている。態度はとても穏やか。
おじさん、じっと座り込むたった一人の観客に照れたのか、最後に笑顔を見せてくれた。嬉しい。

ああ、ツアーでなくて時間に余裕があれば、このマンゴットなる楽器を持たせてもらい、試しに弾いてみることができたのに。
トルファン郊外にて。

ここは火焔山のはずれ。火焔山は幅9キロ、全長100キロキロという長さの東西に連なる低い山脈で、どこまでも襞のある赤みを帯びた山地が続いている。生き物の気配は感じられない。

火焔山は明代の小説『西遊記』に詳しい。天竺へ向かって旅する玄奘三蔵一向の前に立ちはだかった燃える山。

「孫悟空は翠雲山芭蕉洞に住む女仙人の鉄扇公主(羅刹女)と、積雲山摩雲洞に住む牛魔王と戦い、魔法の扇・芭蕉扇を手に入れ、山の火を消し一行は無事に火焔山を越えることができた 」という下りは良く知られている。

どこまでも広がる土漠に、いくつも石油を採掘する井戸が動いていた。その昔、ここは植物が繁茂する温暖な土地だったのだろう。
右の直立している棒状のものは温度計。夏には摂氏80度近くにまで気温が上がる。 あまりの暑さから、ここは「火州」とも呼ばれている。

途中で火力発電所を見かけた。天山山脈の北側では良質な石炭を産出するらしい。
この豊かな天然資源があるからこそ、中国政府はウィグル自治区を手放したくないのだろう、と思わせてくれる。
太陽熱発電用の土地は無限にありそうだ。
 

ウルムチ(烏魯木斉)への路。

一帯一路。
ひたすら西へ西へ、イスタンブールまで道路は続いている。
トラックのバンパーが落ちたまま。  50両以上の車両を連結した電車が走る。
「覆面をしているから、あれは秘密の荷物のようですね」とガイドさん。
中国に取って重要な道なので途中のドライブイン、と言ってもトイレとほんの小さい店があるだけだが、入るのに軍人のチェックがあった。

 * 実は敦煌から敦煌南駅までと、このトルファンからウルムチへのバスでのドライブはとても印象深かった。
同じような景色が広がる一帯一路の路をいま、自分はバスの一部となって西へ西へと向かっている----こう考えるだけでも心躍り、一秒一秒を楽しむことができた。

 * 一帯一路 One Belt.One World. 中央アジアへの経済的進出、国家を無制限に発展させよう。
   
ウルムチへの路の左右には、中国一の規模と言われる太陽光発電のパネルが並んでいた。
その地域を過ぎると次は風力発電の装置が建ち並んでいる。
はるか地平線のかなたまで続くかと思えるほどの数が整列しているありさまは、見ごたえがある。

世界一のシェアを誇る、デンマークの「ヴェスタス社・Vestas」の技術を導入したらしく、ナセル部分にVestasのマークが見て取れた。次第にそのマークが「中国○○」に取って代わられ、これまた数限りなくその列が続いていく。

鉄塔部分の作り方は、主に
・スパイラル鋼管を用いる
・長尺の鉄板を曲げて管をつくり、それを溶接で繋いで高い塔を作る方法があるが、
じっとバスの窓から目を凝らしてみていると、どうやら溶接の方法を採用しているらしかった。

風や砂の影響を考えても、発電用の土地は潤沢にあるだろうから、電力資源は無尽蔵にあるとも言えようか。
しかし、アルカリが強い土地のようだ。大地の表面に「塩」が噴き出し塩湖にも見えるほどの白い景色が広がっている。
 

 

ウルムチへの道路ぞいに不思議なものが並んでいた。
ここはイスラーム教徒の墓所。沙漠の墳墓。
日本のような土饅頭は作れない。なぜって、ここは砂地だから。土ならぬ砂を上から積んであるので、その角度は安息角。安息角に積もった砂の下で安息の日を送る死者たち。沙漠の民は砂漠に還る。

前日、ガイドのMさんに木造のモスクに案内されたおり、こんな説明を受けた。

イスラーム教徒が亡くなると、親戚一同集まって直ちに墓所の穴を掘り、すぐさま埋葬する習わしがある。
  (例:夜亡くなると、洗体し白布で包み棺に納め、
       次の朝には埋葬する)
 
なるほど、興味深い。イスラームの生と死は峻別されているようだ。
政府はウイグル自治区のイスラム教徒に対して、埋葬用の土地を与えている。墓所には、まず大きくて深い穴を掘りそこへ家族の初めての死者の棺を降ろす。次に亡くなった家族はその棺の上に葬られる。
土葬にはイスラーム教の聖典(クルアーン)にその根拠がある。
「やがて、彼(人)を死なせて墓地に埋め、それからお望みのときに彼(人)を甦らせる」 (80章21-22節)

魂と身体の再生には元の身体が必要だと信じられているようだ。 エジプトでミイラが作られていたのも同じ感覚からからくるものだろう。 多神教の時代のエジプトと、一神教のイスラム教徒に共通するメンタリティがあるようだ。
したがって、火葬されるというのは、イスラーム教徒に取っては再生できない悲劇だと受け取られる。
あるいは火葬を罰として与えることも行われたらしい。

* 後日知ったこと
埋葬する場合はメッカの方向に頭をむける。偶像を禁止するイスラム教では、墓石など置かない。置くときは小さな石などに止める。大きな墓石は復活の日に邪魔になると考えら れているようだ。

 
地球上で、海から一番遠い町ウルムチ(烏魯木斉)。向こうは天山山脈の峰々。
オアシスの小さな町だったが、いまや西域を代表する街へと変身。高層ビルが建ち並ぶ。

敦煌までは漢民族が主体になっているが、西に行くにしたがって逆転する。少数民族の漢族が大多数のウィグル族を
支配しているようだ。ウルムチ騒乱もここに原因を求められよう。
敦煌の郊外にある昔の関所「陽関」から見たシルクロード。

路の幅は約50メートル。
この地域に住む人々は、とても貧しい暮らしを強いられていたが、現在は葡萄栽培で財を成した人が多いと聞いた。
肝心なのは、水利だろうか。
 
「新彊ウィグル地区博物館」で見た、かつての放牧民が地境に置いた石像。いい顔をしている。

この博物館は、新彊地区の文化を尊重しようという政府の意図が感じられる場所だった。展示物の内容がよく整理されている。
ここで「楼蘭の美女」のミイラをま近かに見た。
さすがに写真をアップできない。
確かに背が高く鼻梁のはっきりした美女の面差しが残っていた。

ウルムチの国際大バザール

近隣の国から運ばれたあらゆるものが並べられている。宝石、衣類、化粧品、民族楽器、干しくだもの、そして簡便なレストランが軒を連ね、民族色豊かで見ているだけで楽しい。

目を引いたのは、漢方薬の材料なのかあるいは家庭で調合するのか、植物由来の乾燥させたさまざまなもの。
効能はおのおのあって、「鼻炎に効きます。血圧下げます、利尿します、炎症を抑えます、喉の痛みを抑えます。さらに便秘、不眠 に。血糖値を下げます、脂肪を排出します、健忘症に効果あります。」など。
同じようなことで悩んでいる中国人に親しみを感じたバザールの一画だった。
西安の兵馬俑でみた始皇帝の、死への恐怖や再生への願いとは比べられないほどの、小さい日常の暮らしでの安寧を望む一市民の可愛さ?を感じる。

左写真の下の右、「玫瑰花」(マイカイ)は日本のハマナス(浜茄子)と同属。
中国原産のハマナス交雑品種で、お茶や香りづけ、菓子用に使われる。右の写真の赤い花がそのマイカイで、どこへ行ってもよく見られた。     (『野ばらハンドブック』 総合出版 御巫由紀著 参照)

その左は新彊紅花・ベニバナ。日本にはシルクロードから高句麗を経由し伝来。
                        (推古朝 6世紀終わりから7世紀ごろ)
                                                                          
草木染を長年研究している友人のために新彊紅花を買って帰れば良かった。今回は取り返しのつかない後のまつり。
帰国していま、日本は紅花の穫り入れ時と気づく。
各地にこのような現体制を賛美するスローガンが描かれた看板やポスターが置かれている。
これでもか、これでもかと。サブリミナル効果どころか、はっきり前面に出してくるこの内容に人は影響されていくのだろう。

アメリカと中国と。似ていなくもない両国が広大な国土をどう治めるか。
アメリカの「州に分け、その主権を尊重し民主主義によって政体となす。」
中国の「省と自治区に分け、共産党の一党独裁をゆき渡らせる。」
民主主義を理解できない国民に、強力な独裁民主主義体制を敷く、たとえばペルーののフジモリ大統領によった政府。
ボトムアップかトップダウンか。
統治の方法はさまざま見られるが、中国がこの後の世界のリーダーになるのはおそらく疑問の余地はないだろう。

最後に、日本で一番恵まれているのは「水資源」をはじめとする豊かな自然環境、歴史的に蓄積されてきた国民的資源=「均質で勤勉な労働力」「誠実な人間性」でありそれにさまざまな場面で見られる「モラルの良さ」だ。安定した電力も得られる。教育を受ける機会も与えられている。医療制度も充実していて健康保険制度も充実している。
改めてこう感じた旅だった。
                                                                 2019.6.4

  

         トイレ愚考 ----そしてもろもろのこと  ---- 2

「いやぁ、面白かった!ニイハオトイレに最後に入れた。カメラ持ってくればよかった!」
いつもカラス相手にしゃべっているせいか、つい本音が言葉になって出てきて同行のメンバーが訝し気な目を向けてくる。 あ、うっかりしたなぁ、しまった、と口を押さえる。

ここはウルムチ空港へ向かう道路沿いにある関所=公安検査所。空港へ向かう人間は一人残らずパスポートを持って係員のチェックを受ける。もう慣れたとはいうものの、やはり緊張する。ここは神妙な顔を取り繕い穏便に済ませよう。
ようやく開放されて隣のトイレに入ろうとすると、ガイドさん「そこはニイハオトイレですよ」。
(ニイハオトイレ=オープントイレ お互いに挨拶できるほどの開放空間にあるトイレ。
  上も下もすっからかんに開いている) 

おおそうなのか、ようやく出会えたか、といささか喜んでくだんのトイレを経験した。
開放感があるなぁ。(解放感?なにからの?)
これが第一印象だった。こもっていない空気が、野原で用を足した子供の頃を思い出させてくれる。

旅に出る前、ガイドブックに、「中国のトイレ事情ははっきり言うと悪い。トイレットペーパーやティッシュを持ってくほうがいい」とあった ので、素直な私は、ロールを3巻、ティッシュを2箱、その他もろもろ準備して出かけたが、紙が無い場所はごく一部だったし、手持ちのティッシュを使ったので不便は感じなかった。

次第に荷物のなかでロール3巻が邪魔になってくる。旅程が進むのに合わせるように、ひと巻ひと巻各ホテルにおいてくることにした。チェックアウトを済ませると、客がまだホテル内にいるうちにホテル側は備品の確認をするらしい 、タオルの数、枕の数などを。そこにロールがひと巻増えていると、いったいどうなるのだろう。などという疑問はいらぬお世話か。

中国人(特に漢族の人たち)は、入れること=食べること、出すこと=食べることの後に来ること、口から言葉を高周波・高デシベルで出すことへの欲望に忠実なようだ。かつその欲望の心のままの放出が周囲にどんな影響を与えているのかを、あまり考えていないように見える。

はっきり言うと、トイレは〇〇〇い。それはそうだろうが、掃除をしていないからなのだ。もちろん水事情が悪いから、使用済みの紙は別の籠に入れてください、とあるが、その籠たるやあまりにも小さくて、すぐに溢れてトイレ中に散らばってしまっている。手洗いの水は、「どれが水のでる蛇口かなぁ」と探すことが多かった。
戦後の日本もトイレ事情はひどかったが、清潔にしようという気持ちだけは持ち合わせていたことを思い出す。磨き上げ花を飾り、と。
なぜだろう。文化とは清潔さにつながるもの。なぜ汚いまま放置しておくのだろう。
大きな疑問だった。いまもその答えは出ない。

いけないいけない。こういうことはお国柄によるもの。
そのお国柄を知らずして勝手に断罪してはいけない。そうなるには、どこかに「必然」があったはず。

ほか、印象に残ったこと。

  ラクダの肉を食べた。硬くてただ食べるためだけに食べた。あの鳴沙山のフタコブラクダたちは、気温45℃の中を、観光客を乗せて何度も往復し、暑さのあまり過労死することもあるらしい。あ、ひょっとして過労死したラクダを食べたのか?
                            ラクダ

 上海行の飛行機に乗るべく出国管理の列に並んでいたら、漢人の女性があたりかまわず 、凄まじい勢いで「胡瓜」を食べているのを見た。もう1メートル先には検査官が控えているというのに。逞しい。
写真を撮りたくて、カメラを持つ手を必死に抑える。「空港内の撮影は禁止されています。」とあるけれども。
どうだろう、私が中国に生まれていて、海外旅行できるほどの中流にのし上がったとしたら----やはり検査官の目前で没収される予定の「胡瓜」を食べるだろう。
検査官の前で胡瓜を食べる女性をわろたらいかん。人間らしくていいな、ふぅ。

 空港の待合室の本屋に、日本人作家の作品の翻訳書が並んでいた。
  村上春樹、宮本輝、そして東野圭吾。 隣には漢方に関する本がずらり。

上海の空港は、予想が外れた。
国際空港なので、当然クレジットカードとドルが使えると思い「中国元」を準備しないで出かけた。ところが、探せど探せどそういう店が見当たらないではないか。ドル→元へ交換すればよいが、交換所がこれまたうんざりするほど遠い。
ようやく見つけたファストフード屋さんで、相棒の嫌いな「がさがさパンに、トマトやハムを挟み込んだサンドイッチ」を買い求め、なぜか入国 検査に引っかからなかった「日本のフジ林檎」と一緒に食べた。
相棒の機嫌の悪いこと!わがままいうんじゃない!

セミバスの話

西安の街を観光するのに用意された36人乗りのバス。これがやかましいことやかましいこと。
客が座席に座ると、センサーが「よしよし、誰か載った、乗った」と感知して、
「はよシートベルトせんかい」と騒ぎまわる。 「ピー、ピー、∞ 」
この音はベルトを締めるまで続く。何人もの座席のピーピーが一斉に鳴り響くので、急き立てられる思いだった。

窓の外を見ると、オート三輪車が過積載して走っているかと思えば、(荷物は妻と子供、それに野菜など)
車線を守らず我先に走り去る車の列が続いている。
トルファンあたりでは、中学生がオート三輪車を運転し、後ろの荷物置場に友達を何人も乗せて帰宅しているのを見た。もっとも免許は必要ないらしいが。

西安に限らず何回か公安が乗り込んできて、ベルトの着用をチェックすることもあった。
深読みすると、観光客が事故に巻き込まれて政治的な問題を起こされては困る。こういうことかもしれない。
バスの「ピー、ピー、∞ 」の多重奏の音はセミの声にそっくり、それもエゾハルゼミの声に。
そこでバスに命名した、「セミバス」と。

旅のあいだずっと「ここは共産主義国だ」という意識から逃れることはできなかった。
あまりに急激な経済成長と一人っ子政策の結果か、若者や子供と高齢者との世代間に乖離が目立つ中国だった。
強権で国民を抑え込み、情報統制を行おうともいずれ破綻が来るのではないか。おなじアジア人として日本もその波に洗われる危険があるのではないか。そんな恐れを感じた8日間の旅だった。
刹那に生きるか、目の前の小さな楽しみにはまり込み、迎合するか、精神性を高める努力をするか。
かつて思想家を輩出した中国が現体制のもと、どのように変化し続けるのか、興味は尽きない。

今回しみじみと心の底に「中国=唐様・からよう」への憧れがあるのに気付いた。
古代から中国から渡来したさまざまな文化が、その後の日本の発展に寄与したことを思うと、いま、私が持っているこの感慨は、あの遣隋使や遣唐使が感じた文明への憧れと同じかもしれない、とも考えた。
不思議な国中国。
次回があれば、トルファンから天山南路の鉄道に乗ってカシュガルまで旅してみたい。

                                                                                                                  2019.6.13