冬至の朝の奇跡 わが家の場合は 12月21日の朝
リッフェル湖
(Riffelsee)
朝食を摂りながら、相棒が突然言った。
「後ろ見て!マッターホルンに日が当たり始めたよ」
驚いて振り返ると窓越しに朝日が入り、壁に掛けた写真の山が輝いている。しかし残念なことに写真の2/3は日陰のままだった。もう少し東から日が昇らないと正面から光を受けることができないようだ。
20年近く前になる。ツェルマット駅前を出るゴルナーグラート鉄道に乗り、終点駅をだらだらと下り、山上湖畔から眼前に広がるマッターホルン東陵を撮ったのがこの写真。
「アイルランドのニューグレンジや、エジプトのアブシンベル神殿の朝日の奇跡のようなことが、私の庭で起きないかなぁ」「そうするとこのマッターホルンの写真を至聖所に飾るけど」
「そうだなぁ、出来るかもわからん。まず方位を固定する。基点になりやすいのはやはり冬至の日の出の位置だろうな。庭のある地点から三角測量法を遣って日の出の太陽への仰角を計る。その角度を当てはめてアブシンベル神殿を建てればいいんだろうな」「細かいことは分からんけど---」
「ボクはJAXAのあの、はやぶさチームのリーダー・津田さんのような頭を持ち合わせていないぞ」(よぉく知ってる)「腰だって痛いから、土木作業は無理だ」(知ってる)
「地球の自転の、偏心はどう計算する?影響あるかな?」
「うむうむ。分からん。」と言いつつ紫蘇醤油とかつお節をかけた湯豆腐をつつく。あとはふたり無口になった。
羨道まで備えたなんらかの建造物を作る---と想像するだけで気が遠くなるが、面白くてうずうずする。
ニューグレンジや、エジプトのアブシンベル神殿へは水平に近い位置から日が昇っていた。問題は、周囲の樹木の天辺から毎朝日が昇ることにあろうか。毎年東側の楢や橡の樹は、その高さを積み重ねて----おおよそ2メートルくらい? 成長している。ある年の日の出の位置が年々地表から高くなる計算で、仰角は1度くらい大きくなるか。そうなると羨道の奥の玄室に埋めた写真には、次第に朝日が当たらなくなり、どんどん地下に潜らさないといけなくなる。
太陽光の射入点を高くする方法もああるだろう。地主が樹を切った場合はその仰角が小さくなる。そうなると隣の土地にはみ出てしまい、玄室が庭に入らなくなる。
ぽ〜としたことを考えた冬至の朝。
写真の正面に日が当たるのは、もう少し日の出地点が東側に移動した朝になりそうだ。元旦ならさらにめでたい。
里山の暮らし557
2020.12.26

白いクリスマス ----- はだれ雪が庭に残る
この冬のラニーニャ現象のせいで、日本海の海水温が例年より高いらしい。
12月17日、冬到来には少し早い時期なのに、雪が降り積もった。
日本海から水蒸気が供給され、その上をシベリアからの寒気が通り過ぎていく。日本海側の突然の積雪はその結果もたらされたものだけど、山を越えた那須にも湿った重い雪が降り続いた二日間だった。
庭木が雪をかぶって、風情のある景色ではあるが、このまま放置すると枝折れどころか幹が折れてしまう危険がある。雪降ろししないといけない。
互いに相手の出方をみる。間合いを詰めてそうして-----雪国生まれで、雪でさんざん苦労した相棒は、できたら雪など触りたくないがそこは男としてのメンツが立たないようだ。しぶしぶ、といった雰囲気を隠しながらも雪降ろしに外へ出ていった。私は口で---精神的に応援する。
その間に、新ショウガを摺りおろし「ショウガ紅茶」を淹れる準備をしたけどね。
毛糸の帽子に麦わら帽子
雪が解け始めた。
すっかり葉を落としたクヌギの、樹高17mの木末に鳥の巣があるのを見つけた。
コンデジ50倍ズーム手持ちで撮ったのがこの写真。おそらくヒヨドリの巣だと思う。
今朝も体操。
12月20日
アイルランドの公認ガイド山下直子さんからご案内のあった「冬至のニューグレンジの奇跡、ライブ中継」を夕食を摂りながら見た。
冬至の朝日が射し始めた----色温度が上がるに連れ、オレンジから透明化してきた光の筋が羨道を伝って玄室内へ入り込む。生命の再生の象徴である渦巻き模様がくっきりと浮かび上がってきた。アイルランドでも日本でも、人間は渦巻きがほどけ成長していく様子を「神霊が依りついた」と感じたようだ。渦巻きは永遠を象徴するもので、「神のご加護があり神が降臨してる」と信じられていたらしい。
一陽来復。この日から日脚しが伸びていく、生命が再度身に満ちてくる始まりの朝のまっすぐな光景だった。
1980年、マチュピチュ遺跡の日時計の石に座ったこと、2010年3月、メキシコでの「ククルカンの降臨」を体感し、2013年2月22日、ユーラシア旅行社催行のエジプトへの旅で、ヌビアの地に近いアブシンベル神殿の朝日の奇跡を経験したこととなどがよみがえり、思わずアルバムを取り出してきてしまった。
(メキシコ、エジプトともに一人参加だった)
アブシンベル神殿では、夕方からの光のショーをバックにヌビアの人たちと一緒に踊り、ベンチに横たわってちょうど真上の空高く、通り過ぎる人工衛星の光を追っていた。ひかり、ひかり、点滅する光が通り過ぎていく。
その日は就寝午後11時、そして起床は午前1時。2時アブシンベル神殿の入り口に集合。ホテルに頼み、ありったけの段ボールを入り口に敷き詰めて座り込み、2時間じっと入場を待ち続けた朝をまざまざと思い出した。開場と共に走る走る、さらに走る。結果集まった3千人の、前から3番目という好位置であの奇跡を目にすることができた。
この幸運をいまだ持ち続けていたなら、いつかアイルランドでこのニューグレンジの奇跡を目にすることができるかもしれない。クジ運を取っておこう。
12月22日 小掃除+小掃除+小掃除
東京都知事の小池さんが感染防止のために「五つの小(小人数、小一時間、小声、小皿、小まめ)」を提唱されたが、もとより外食に出かけるわけでない我々、「小人数で長時間小まめに掃除をして年末を迎える」という算段の、身体を動かした冬晴れの一日だ
った。
それにしても小池さんのコメントは、心に迫ってこない。どうしたら皆さんに伝わるのかを考えていない。総理の目が宙を舞い、時に虚ろになってきたような気がする。
里山の暮らし556 2020.12.22

YouTubeでオンライン・ケルティック・クリスマス
「ケルティック・クリスマス」は20年以上続く日本最大のケルト音楽のコンサート。今年はコロナ禍の影響でオンライン開催されることになり、辺境?に住んでいる私も恩恵にあずかることができた。嬉しいことだ。
アイルランドを代表するケルト・ミュージシャンは勿論のこと、かねて聞き知っていた『赤毛のアン』の島、プリンス・エドワード島出身のイースト・ポインターズの演奏があったのがなにより。暖かい部屋で画面を撫でている私を見た人は、きっと変だと思っただろうな。
ひざこぞう(膝大僧)に穴が。
聴きながらよみがえってくるものがあった。
森林限界を超えて、ただただ荒野が続くアンデスの山あいの細い道を辿り、ようやく見つけた谷間の村の広場に村人が集まっていた。年に一度の収穫の祭りの日だ。その年の収穫をすべて吐き出すことになろうとも、手作りのボンボ、ケーナ、ロンダロールと言った楽器をかき鳴らし、狂ったように踊り狂う人たちの姿が、目に浮かぶ。
マヤの熱帯雨林を切り開いた場所に、ラカンドン族の人たちが住まっている。異郷からの訪問者を歓迎してくれるかのように、太鼓が打ち鳴らされていた。単調なその音をじっと聞き入っていると、精神が同期してくる。
昭和の中ごろだった。八幡様の秋祭りで絣の着物を着た少年たちが笛を吹き鳴らし、太鼓を打ちながら、部落の家々の前で踊り、祝福を授けていた。少年たちのきりりとした面立ちがまぶしく、年の離れた兄の姿がまるで別の世界から来たように感じたあの幼かった日。
ケルトの音楽も、ラカンドンの太鼓も、アンデスの山に響き渡る音楽も、秋天に響く少年の笛もすべてその地から生まれたものだろう。
地霊、精霊、すだま、ことだま---目に見えぬものの働きが、この大胆で時に繊細な音楽として生まれ落ちてきたような気がする。目を見開き耳を澄ませ、そうこうしているうちに何故か
肩甲骨や肋骨の隙間あたりから、身体の内部に滑り込んでくるものがあり、それと共鳴する。この世界と
自分の身体を繋げている錘のようなものが揺らされるのを感じた。
しかし昔はもっと音楽や踊りが身近にあったような気がする。現在
生活様式の変化もあり「技能に優れた専門家と受け取る側」の間に距離がある。その分聴き手は、音源
を近くに感じ、振動に共鳴して「狂う」ほどの感動は受けられないのかもしれない。こんなことを感じた。
クリスマスも近い冬の二日間だった。
ケルティック・クリスマス
<http://plankton.co.jp/xmas20/>
12月12日(土)17:00〜 → <https://youtu.be/p-MSEPsvzeA> 終了 いずれ再配信があるようだ。
12月13日(日)17:00〜 → <https://youtu.be/WXliKNLhDX4> 終了 いずれ再配信があるようだ。
アイルランド公認ガイド山下直子さんのブログで案内のあった「オンライン・ケルティック・クリスマス」。
この12日、13日と早めに夕食の準備を済ませ楽しむことができた。
<https://www.guidingireland.ie/> 公認ガイド山下直子さんのページ
ここからほぼ日々更新されるブログへ。
多方面の視点から見た記録を残すことの大切さを教えてくれるブログです。未来から見て過去を理解するために。
コロナ禍が明けたあかつきには、ぜひ直子ガイドさんの案内でアイルランドへ。広大な世界が広がることでしょう。
<http://naokoguide.com/blog-date-20201209.html>
里山の暮らし555 2020.12.15

ダイナミックと言えば聞こえは良いが
玄関のドアを開けて、ジャリジャリと砂利道を通り、枯れ葉が積み敷いている道をカサカサ歩くこと100m、わが家への案内板を立ててある四つ角に、クリスマス・リースを取り付けたのが今朝。
12月に入ってすぐだと、なんだか子供っぽい、今日から遅くなると気分が忙しい、なので今日というわけ。
越してきてリースを飾り始めて長い。次第に出来が、良く言えばダイナミック、悪く言えばおろそかになってきたようだ。(相棒作)
材料は、
藤の蔓を巻いたもの、鎌倉ヒバ、南天の実、ブルーベリーの紅葉した葉、アオキの青い実、イングリッシュ・ホーリーの赤い実、あとさまざまな飾りをぶらぶら。
皆さんの目につくことからお正月用には「交通安全」のお飾りをつけることにしている。ともあれ、この仕事ができたということは、秋から冬の作業が終わりに近づいたということだ。
掛け算は足し算が積み重なったもの。日々ちょっとずつの仕事を続けてようやく冬支度がととのった。
わが家へは右
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ガゼボの五つの角の雨仕舞装置を修理した。
無理もない、建てて15年になるのだから。
なりより怪我の無いように、梯子の両足はステイと呼ばれるロープを付けて固定し、ひっくり返らないようにしてある。
ステイ テラだ。
高いところに登っているときは常にそばにいて、不測の事態に備えているのがワタシ。
下で口三味線を弾く。ウルサイと言われる。
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里山の暮らし554
2020.12.11

霰たばしる那須の篠原 (実朝) 今朝、あられが
降った
那須野が原は、良質の篠竹を産するので知られている。
かの那須与一が屋島の戦いで使った矢は、那須野に広がる荒野で採られたもの。
今日の遊び---その1----柚子ジャム
短い期間しか出回らないので、常にアンテナを立てておく。勝負は冬至の朝まで。めでたく情報をキャッチしたので2度目のジャムづくりに取りかかった。甘皮をどのくらい残すかで、仕上がりと味が違ってくる。その日の気分により方法を変えて結果を楽しむの
はいつものことだ。柚子そのものに苦みがあるので、ほかの果物に比べても甘未を強くしないとおいしく感じない。
なので、この柚子シリーズは柚子が熟すに連れ30%、20%、15%と次第に果糖の量を減らしてきた。一年分が冷凍庫に並んでいる。

その2----チリメン山椒荏胡麻
庭の山椒の実と荏胡麻の実を茹でて冷凍しておいたのを使う。おいしい+それに冷凍庫が空いてくるのでありがたい。なにしろ今年のブルーベリーが35キロ、みっしり詰まっているのだから。その間にいろいろなものを詰め込むので、頭がこんがらがり、いまや冷凍庫の扉には「内容一覧表」が張ってある。
その3----カモ見遠足 ---Northern Pintail オナガガモ(尾長鴨)カモ目カモ科カモ亜科マガモ属
12月に入ってもペンキ塗りと草取り、花苗の植え込みと仕事が続いて、いい加減に働くことに飽きてきた。思いついて冬日の下をドライブ。行く先は隣市郊外の白鳥飛来地の「
羽田沼」。昼前に到着したからか、白鳥は
落穂を採餌すべく近くの田んぼに出勤して留守だった。残っていたのはノンビリ者のマガモ、コガモ、キンクロハジロ、それにオナガガモ(尾長鴨・Northern
Pintail)名前の通り尾が長い。ピンと張りすらりと長い尾羽が、歩くに連れて揺れる。スノーボードやサーフィンボードやルアーの道具にその名前が使われているうようだ。
今日も濃厚接触者(相棒)のほかには、だれにも出会わなかった。今まで我慢してきた月日のあまりの長さに、濃厚接触者という表現も、現実感が無くなってきたようだ。
2020.12.5現在日本での感染者数は156,709人、死亡者の数は2,297人。昨日だけでも感染者数2,416人、死者37人。医療も限界の状況にあるようで、感染者の行動を遡り疫学的調査を行う余裕が無くなってきたのかもしれない。
中国武漢で初めて新型コロナ感染症の患者が発見されたのが、2019年12月8日とされている。あれから1年。
日本が第二次世界大戦に参戦---パールハーバーアタックの日でもある。
世界の感染者数65,220,856人 死亡者712,110人 12月4日午後4時 米ジョンポプキンス大学発表

並んでいるのはみな雄。那須颪を受けて胸を膨らませ、互いの距離を10センチほど保ちつつ、沼の畔に並んで冬日を浴びている。
ここは日当たりが良く、万一捕食者(たとえば犬。今日も犠牲になった個体がいたようだ。)が現れたら、いち早く水に飛びこんで難を逃れることができる場所なのだ。雌は遠慮して
か他の場所に集まっている。
小学生のころ、教室の達磨ストーブの周囲を男の子が取り囲み、女の子を寄せ付けなかったのを思い出した。あの男の子たち、今どうしているだろう。

おいで〜と呼んだら、好奇心の強い雄が胸を膨らませて迫ってきた。しまった!お弁当を残しておくのだった。
里山の暮らし553 2020.12.5

365冊の文庫本 365日の楽しみ

福岡名産辛子明太子のお店「ふ〇や」の紙袋に入れられて、やってきた365冊の文庫本。
著者は、池井戸潤、百田百樹、パトリシア・コーンウェル、宮部みゆき、深田次郎、久坂部羊 司馬遼太郎 遠藤周作 有川浩と多士済々。これから長い冬を迎えるのに、
ジャンルも時代背景のさまざまな、こんなに嬉しいプレゼントは無い。
腰痛をおして持ってきて下さったのは、お隣の土地にお風呂とサウナを建て、月に一度日帰り温泉にいらっしゃる、茨城県にお住いのFご夫婦。おそらく今年来年には金婚式を迎える年齢のよう
に見受けられる。
自営で電気設備関係の会社を営み、「うちは仲良くない夫婦だよ」などとオチャラケを言いながらもなんのなんの。普通〜に二人でお湯を楽しんでいらっしゃるのが、お湯の音
で伝わってくる。。
低く漂う煙突からの煙と、ちゃぽちゃぽ言う音が混じりあって、庭はにわかに色づいてくる。
そんな日は、お隣側の土地に近づくことなくお二人だけにして差し上げる。お邪魔にならないようにこれでも努力をしているつもり。まっぴるま夫婦で温泉三昧とはこれは羨ましい。(こんなことはかつてなかったなぁ-----)
つまみ読み、こんなことばがあったかな。
ずらっと並んだ本の中から、気に入って今の気分に触れる本を選ぶのは、ウィンドショッピングしているようで面白い。
読んだあとは、「古本募金きしゃぽん」に送り、
<http://kishapon.com/>
SANE(エクアドルの子供のための友人の会)に寄付する予定だ。
<http://sanejapon.blogspot.com/>
コロナ籠りしながら冬ごもりする、この二重苦をどう過ごすか悩んでいたところへの思いがけない本の群れは、最大級の喜びだ。
里山の暮らし552
2020.11.30

内はほらほら、外はすぶすぶ 
珍しく南風が吹くので、朝食の後草取り。今の時期に掃除をして冬を迎えないと、雪が融けた泥濘のなかから、前の年の雑草やらごみやらが出てくることになるから。うむしかし。腰が痛くなってきた。
しゃがんでいたら足が冷えてきた。
上の画像の、苔の間に空いた穴はモグラが庭を荒らしたあと。まず左の穴から飛びだしてすぐさま右へ移動した。続いて右上に出てきてはズズズ----と動いて飛び出した
のが見て取れる。四通八達、縦横無尽。庭中にモグラのトンネルが張り巡らされているらしい。ときどきその穴に長靴がスポンと入り込むことがある。こんなことになったのは、庭に有機肥料をたっぷり鋤き込んだからで、まずミミズが殖えてきた。それを狙って野ネズミが入り込んできたようだ。
モグラのトンネルを野ネズミも利用する。そのトンネルに餌が----たとえば野ネズミ、ミミズ、モグラなど。夏ならセミの幼虫が居るかもしれないし、今の時期だとカブトムシやコガネムシの幼虫が隠れているかもしれない。そこでやってくるのが、イノシシ。

イノシシの足跡が残っている (前足) 去年の春にやってきたイノシシ
(どんな田舎かと思いますか?信号のある交差点まで2キロ、ミニスーパーまで2キロ。郵便局まで3キロ、ガソリンスタンだって2キロなのだから、これはほとんど「町」でしょう。だから人の暮らしに近い「里山のくらし」なのです。)
ここでの暮らしは字面とおり町に近い田舎の暮らし。
雑木林の主人公・コナラの枝が、薄緑に色づいて春めく日、蝉時雨の夏、あでやかな紅葉、新雪を頂く那須岳の遠望などに出会
い、感嘆し思わず創造主に感謝することも多い。昨日など那須の山の上に二重にかかる虹を見た。
しかし、のんびり、自然と共生しゆったり暮らすのが田舎の暮らしではない。
樹齢60年の木を切り倒す、庭木を剪定する、家屋を修理する、時に鍬をふるい一輪車を腰だめにする。暮らしにまつわる全ての作業の責任者は自分自身なのだ。生活は油断すると牙をむく自然と隣りあわせにある。毒蛇や毒虫など当たり前にいて、人間を中心に考える世界観を根底からひっくり返されてしまう。時に戦いを強いられることもある。
身めぐりにある命と向かい合う日々---この連なりが里山の暮らしなのだ。
自然と共に生きる農家の人たちの、生活者としての力を思うと、とてつもなく豊かでを尊いものだと感じる。地元の人たちの人間関係も濃い。それは生活の安全網----互いに目を配りつつ生きる----助け合わないと生きていけないような歴史があったからともいえるが。
いま、コロナ移住に関心が集まっているらしい。売り出されている別荘が、テレワークの基点として注目され、近所の不動産にも動きがあるようだ。田舎の暮らしは、
「生活は自分で守るもの。すべてのことを自力で解決する」「すべての問題をお金で解決する」の間を揺れ動く。これは経済と体力のバランスから来るもので、感染か経済かのコロナ対策に似ていなくもない。
【内はほらほら、外はすぶすぶ】
これは古事記に書かれている神話のなかのお話し。大国主命(おおくにぬしのみこと)が根の国を訪問し、そこでスセリ姫に出会い求婚するが、姫の父親のスサノオノミコトは婿候補にさまざま試練を与える。スサノオは鳴り鏑(なりかぶら)という矢を野原に射入れて、それを取りに行かせておいて火を放ち、野焼きにしてしまおうとした。炎に包まれて絶体絶命!という時に、ネズミが「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言い、大国主命を助けた。「内部は洞穴になっていて、入り口がすぼんでいる」からその中に逃げよ、ということだ。
庭のトンネルの中にはなにがあるのだろうか。
里山の暮らし551
2020.11.24

自立せよと突き放す

冬支度もいよいよ大団円。ぬくぬくと個室で育てられ、寒い夜は播き主(何を播いた?種よもちろん)さんの気持ちのこもったビニールの温室で眠っていたビオラの子供たち。
無情にも自立せよと宣言された。
秋の終りに定植し、冬の間にじっくり根を張らせるためには、可哀そうでため息がでるが、今の時期に地面に下ろさないといけない。みんなのためだよ。しっかり大きくなりなさい。

個室のポットではあんなに大きく見えたのに、いざ植え込んでみると、頼りないほど小さい。
さて、ひとつ仕事が終わった。あとはポピーを80本冬越しさせる準備だ。
(ビオラとポピー、合わせて300本)(これでも少ない、大阪時代は1000本育てていたのだから。半分は自家用、残りは友人たちのために。「出来たから取りにおいで」と電話すると、おのおのみかん、柿、ジャガイモなどを手土産にやってきていた。バーター成功)
ソーシャル・ディスタンス(ゴーヤの種の配列)
里山の暮らし550
2020.11.18

秋の3K労働
秋の3Kは。
まず会津舘岩村の赤かぶを買いに行き、甘酢漬けにする。
http://www.minamiaizu.org/kanko/gourmet/000406.php

今年は梅雨の長雨と8月の高温、9月の秋雨の影響で不作だった。直売所に電話してみても「ありません」のただ一言が返ってくる。あのカリカリした歯触りと香りがどうにも諦めきれず、紅葉狩りを兼ねて見切り発車し、
珍しく路辺を歩いておられるご老人にお尋ねすると、「湯ノ花温泉」に行ってみなさいとの忠告を頂いた。やれ嬉しや。尋ね尋ねて現地で民宿を営む
〇〇屋さんにむりやりお願いして買ってきたのが写真の赤かぶ。往復150キロのドライブ、塩原温泉の
紅葉はピークを迎えていて堪能できた。今年4回目の紅葉狩り。我ながら自然探索に飽きないな---。
次のKは干し柿つくり。蜂谷柿95個、玄馬柿201個。
やはり今年も不作。ここは柿と出会った時が買い時なので、3日間あちこちの産直のお店を回って買い集め、朝から皮をむいて干した。おまけに消毒と称して「ウィスキー」をスプレーで散布する----安物だけどね。
適当なウィスキーの在庫が無かった年の「スコッチ・シングルモルト」を振りまいた干し柿の味は格別だった。ねっとり、デーツの味わい。

最後の永遠に終わらないKは、草取り。
ため息。嘆息。希望は作業しただけきれいになるということ。(11.9)
ここまで書いた時、電話が鳴った。
「柿、取りに来んかい?」
「行く行く」
雨靴で足元を固め、手袋やその他の得物を手にして車を走らせる。テンションが上がった二人は車の中でおしゃべりが止まない。
市民会館まで500mの場所にある友人の敷地は約1町歩。さまざまな花が咲き乱れ、遠くに新幹線が走る姿が見える。振り向けば、新雪をまとった那須の山が
かすんでいる。
青い空に吹く風、揺れる枝先。それに惑わされながら高枝切りを振り回し、いただいた蜂谷柿が90個。柚子の黄色い実も沢山収穫し、柚子ジャムの段取りもできた。柚子にはKが付かないけれども、不作の年の無傷の柚子は貴重品で、ただただ嬉しい。
里山の暮らし549
2020.11.10

鉄分補給
ああ、鉄分が足りない。秋の仕事を続けて40日、精神が疲れてきた。おまけに身体がだるい。鉄分不足の典型的な病状だ。あの枕木を過ぎるたびにゴトゴト揺れる鉄道に乗りたい。
新幹線を鉄道の仲間に入れるのはどうかと思うが、最後に鉄道に乗ったのは、2019年9月、大連への旅の途中だった。鉄道・電車に380日も乗っていないのはかつてないことで、これは記録的な数字なのだ。
一度野岩鉄道へ乗って、会津若松まで旅しようよ、と言い続けて十数年経つ。ようやく願いがかなった。
上三依塩原温泉駅発10:10------会津若松駅着11時50分
野岩鉄道 http://www.yagan.co.jp
/
里山の暮らし548 2020.11.3 会津の赤べこ

菊真っさかり ---見るか食べるか
挿し芽で増やした菊が、庭中に溢れるように咲いている。切り花にして差し上げているが、ある人やってきて
「昨日の菊、美味しかったよ」と当然のごとくおっしゃった。
驚いた!----何と庭の菊は食用菊「阿房宮」だったらしい。
爽やかなレモンイエローが好きで、ずっと作り続けていたが、美味しかったと言われたのは初めて。そうなのか、食べられるのかと自分に言い聞かせるのに苦労する。「菊を見るから食べる」に変換するのに手間取ったからなのだけど。
調べてみると、この菊、「秦の始皇帝が菊を愛でたという宮殿の名」からその名前が来ているらしい。江戸時代、南部藩主が京都の九条家から観賞用としてもらい受けたのがきっかけで、藩内に広がり今や青森県の特産品として知られているということだ。
青森では花びらを蒸し、干し上げて干し菊にし、めでたい席にあしらわれることが多いらしい。
食べようか、どうしようか。
庭の山百合の球根は食べられる。
鬼百合の球根はもっと美味しいらしい。
パンジーだって食べられる。
「食べられる」から、「食べる」への壁はとても高い。

里山の暮らし547
2020.10.30

なんと最下位とは
10月14日日本経済新聞朝刊にこんな記事が掲載されていた。
「ブランド総合研究所が発表した都道府県別の魅力度ランキング調査で、栃木県が前年の43位から最下位に転落した。2019年まで7年連続最下位だった茨城県が42位に順位を上げた。」
ブランド総合研究所 https://news.tiiki.jp/
魅力度は、「提示した地域名に対して「どの程度魅力的に思うか」を質問し「とても魅力的」から「まったく魅力的でない」までの5段階評価で回答してもらい、そのうち「とても魅力的」と「やや魅力的」と各地域を「魅力的」と回答した回答者割合のみを反映し、それぞれ選択肢に付与した点数(重み)を加重平均したものです。」とのこと。
確かに北海道と沖縄県はその自然の豊かさが高評価されているし、温泉やレジャー施設や公園があることや、食材の豊かさにも当然魅力を感じるらしい。京都府は伝統芸能や祭りがあり、歴史建造物が残されていること、東京都は交通の便が良い、スポーツへの参加や観戦が容易であることに魅力があるとされている。
栃木県が最下位の理由として「コロナ禍で観光や外食を自粛する動きが広がるなか、栃木の露出が減ったのではないか」これが研究所の意見だった。
「7年連続最下位だった茨城県」には掛ける言葉もないが、ここ数年最下位に近い場所を占めていた栃木県が、ことしはいよいよ最下位になったというので、県当局はじめ栃木県出身者はがっかりしている。
何となく評価されたので、テコ入れをどうしたらいいのか、途方に暮れているようだ。
栃木県の特筆すべき美点は自然だ。標高1500mには栃木、茨城、福島三県の境界点があってそこから三方を眺めると、那珂川が遠く光りながら流れるのが見える。清冽な水の美しさと鮎の美味しさはどう?歴史建造物として日光東照宮が世界遺産として登録されているけれど。
那須では自然探索を楽しめ、県央では益子焼を産する。とちおとめの苺の美味しさときたら!お米もおいしいよ。手前みそになるが住み始めて栃木県の魅力を発見することがしばしばだ。大阪に比べて他人との距離こそは長いが、そこは堅実さの表れ。栃木律儀・とちぎりちぎ。だけど正直言って地味だ、栃木も茨城も。
他人の評価を気にしてもしようがない。ただその律儀さが他県の人間に通用しないのかもしれない。面白おかしく暮らしている人は少ないしね。
ここまで書いたが15日の日------あの日から怒涛?の秋の行事が始まってしまった。
朝食後作業着に着替え夏花壇の整理と草取り。石灰を撒いて土壌を中和して1週間後に堆肥を入れる準備をする。石灰と堆肥を同時に鋤き込むとガスが発生するので、気を付けよう。
腐葉土、堆肥、ミネラル鶏糞、肥料など。これを庭中に行き渡るだけ準備するのは、相当計画的でないといけない。何回かに分けてホームセンタ―へ通い、それもポイント加点が付く日を狙って、運ぶ。
さて、今日は午前中二回もホームセンターに通い、この冬までの庭資材を購入してきた。ほっ。
食料が沢山あって、読む本が手元に揃って庭仕事の手順がととのった。再び労働の日々が始まる。これを楽しみと言わずして何を楽しみと言おうか、と負け惜しむ。春のあの景色のためだ。

https://www.kuroiso-kankou.org/numappara/
昭和天皇お気に入りの場所 沼原湿原の秋
里山の暮らし546 2020.10.22

身を切られる思い
カメラまで調子が悪いようだ
いつものように9月22日に蒔いたアイスランドポピーの苗が少し大きくなってきた。芥子粒と言うくらいに小さい小さい種なので、とても一粒ずつ蒔くことなどできやしない。
移植をとても嫌うから直播きする。まず直径4センチほどのポットに土をいれ、ぱらぱらと、10から20粒くらい静かに蒔く。その後は様子を見て毎日霧吹きで湿気を与えて、明るい日陰に置いておく。発芽適温は18から20℃くらいが理想的だが、まぁ何とかなる。
ポピーの種は好光性なので、覆土はしない。(例外:ニゲラ・黒種草は嫌光性なのでしっかりかける)
発芽するのは1週間後。その後5日で本葉が出てくるので、このころに「間引き」をする。
間引き。----ため息をつく作業が待っている。まず2本残し競争させて、おもむろに最後の1本にするのだが、ひとつのポットに一本だけ育てないと、その後の生育が良くない。というより、1本から咲く花>欲張った2本から咲く花なので、泣く泣く間引く。すまぬすまぬと言いながら。
画像の場合は右のしっかりしたのを生かし、あとは全部抜いてしまう。
抜いた苗を移植しても、まず根付かない。ここは決断と実行の時だ。どこかの政党の党是のようだけどね。
2本を残して全部間引いたはずなのに、上にあるちび苗はなぜいるのか?リスクヘッジだろうか。一度に芽を出すとその後の状況によっては全滅することもある。だからポピーなりの作戦を立てて、普通に芽を出す、ゆっくり芽を出す、さらにゆっくり芽を出すというふうに繁殖への確実な方法を探っているようにみえる。
植物の根は、直根を下ろし根がそこに当たったら横に向けて成長していくので、ポピーの場合はポット上げの段階を2度経てから冬越しをする。
オニグルミ
近くの道の駅のオニグルミの木に日参し、拾ってきた数は806個なり。
冬の間、シジュウカラやヤマガラさんの餌にするつもり。半分は住宅地の野鳥観察愛好家におすそ分け。一言に餌にするといっても、その固いこと固いこと。金づちで力まかせに叩かないととても割れない。
そんな時、リスの前歯は素晴らしいと思う。今年は「くるみ割り」を買おうか。(結局1300個になった)
里山の暮らし545
2020.10.13

一年で一番忙しい季節に

秋風が吹き始めて以降、生垣の剪定に精を出し、夏の間にはびこった雑草と戦って負け続けている。
大事な仕事もある。来年の春花壇に咲かせるべく花の種を播き、育てること----アイスランドポピーの種が無事に発芽し本葉が出てきているので一安心、といっても例年間違いなく成功するのだが。
こんな仕事が次から次へ押し寄せてくるのに、折あしくトイレの調子が悪くなり業者さんに修理をお願いした。夜間電力利用の温水器の調子が悪いのでストレーナーの掃除をしてなんとか回復させる。パソコンの設定が飛んで行ったので、空高くまで迎えに行く。毎日こんなことばかりだった。
なぜ一度に問題が起きてくるのだろうか。何しろ秋は忙しい。
【トイレ修理の話】
いつもお世話になっている専門業者が、ある朝、三人連れで来てくれた。なかに雰囲気が違う女性が一人いたので、何かかやと世間話の間に訊いてみると彼女はなんとタイの出身だった。技能実習生ではなくて日本人の男性と結婚し栃木県に在住しているらしい。ほほえみの国タイの人なので、とても礼儀正しく技術の先導者-----師匠の行動に目を凝らし一心にその技術を身に着けようとしているようだった。
「サワディカッ」と挨拶をし、相棒から教わった乏しいタイ語で話してみる。彼女は大喜び、連れてきた師匠格の指導者も大喜び、我々も大喜び、三方大喜びの刺激的な作業時間を一緒に過ごすことができた。
最後に一緒にお茶をし、車を出す彼女に「コープクン、ラーゴーン」(ありがとう、さようなら)と大きな声で叫んだら、窓から手を振ってくれた。ああ、可愛らしい人だった。近所に住んでいたら、きっと私お節介だから、せっせと日本語を教えてあげたり、日本の習慣になじめるようにお手伝いするだろうな。
後日、請求書を持ってきた会社の人曰く:
「伝えてほしいとのことです。とても楽しく気持ちよくできた仕事場だった。
これからもお付き合いをお願いしたいので、本来は4万7千円のところを1万5千円にまけてあげます」とのこと。
どこかにめったに来ない福の神でもいたのか、これでますます三方大喜びが増幅したのだった。

思いついて山へ。那須の山の3合目まで紅葉が降りてきている。観光客はいっぱいいるが、車で出かけたので誰とも会わなかった。頂上近くの登山道は前に進めないほどの渋滞だった。この分では本格的な紅葉の時期にはどうなることか。つるかめつるかめ。
里山の暮らし544 2020.10.7

仕事は一緒にしようよ
左がエゴマ、右がシソ こんなに大きさが違う
家事は合同作業だ、と長い歳月をかけて(一方的な)洗脳を続けてきた結果が現れて来た。本日9月30日、晴れ、朝の気温はたったの8℃。相棒が朝食のあと黙ってデッキのトレリスを雑巾がけしていた。その後二人の布団を並べて干し、二階の窓を開けて風を通し作業着に着替えて外へ出て生垣の剪定を始めた。
(予定の仕事のあと、ちゃっかり一回りしてきて山クリを1升ほど拾ってきた。後の始末は私の仕事。)
輝く秋の光の中、感慨深いものがある。役割をはっきり分担すると、いざという時に困るのはお互いなのだから。
はるばる来たな---ここまで。
左がエゴマ、右がシソ
私は私で庭木の剪定、雑草軍団との闘い、その合間を縫って熟してきた「青シソ・青紫蘇」と「荏胡麻・エゴマ」の穂を左手でしごいて集め始めた。
荏胡麻は茹でて冷凍し、昆布と一緒に佃煮に、てんぷらの衣に混ぜて荏胡麻のかき揚げに。
シソは、半分乾かして普通の醤油(減塩でない)の中に漬けこんで冷蔵庫に保存する。
そういえば去年のブルーべリ―がまだ冷凍庫に6キロも残っている。あれをどうしようか。
里山の暮らし543 2020.9.30

はきだめにカボチャ & 葉付きショウガを甘酢に漬ける

近くの道の駅の夏のアトラクション「ヒマワリの迷路」が、昨年、今年とやや不作だった。観光客の多いお盆に合わせて一斉に花が咲きそろうシーンが観光案内書には掲載されているのに、この夏はお盆に間に合わず、8月の終りにかけて背が低くしょぼたれて見える花が咲いていた。
それを気にした店長さん(駅長さん?女性)に、
「アドバイスしてください、なぜ、どこに不作の理由があるのでしょう」と訊かれた。
そこで偉そうにワタシ、
「迷路の端あたりは、6月、7月の梅雨の水が溜まって根腐れを起こしたようです。お盆に合わせて咲かなかったのは、種まきした日付が問題のようです。ヒマワリは種を播いた後、決まった日数が経つと咲くのです。肥料も少し足りなかったかもしれません。それよりなりより、観光案内書に載せられている写真のヒマワリは、この2年間ここで咲いたヒマワリとは種類が違っていて、背丈が低いタイプなのです。来年は咲かせたい時期に合わせて種を播くことと、できれば背の高い種類を選ぶこと。」を進言した。(ますます知ったかぶりをする)
次の日、広場のクルミを拾いがてら野菜を買いに出かけた。店長さんがこっそり近づいてきて「葉付き新ショウガと幸水なし」を他人の目に触れぬようバスケットに入れてくださった。昨日のお礼なのだろう。ありがたや。
幸水なしはとっくにおなかのなか、ショウガを甘酢に漬けたのがこの写真。ひと月もすると「ガリ」の役目を果たすようになる。わらしべ長者のように、何かがもっと嬉しい何かに化けた一日。さてこのショウガがもっといいものに成長するだろうか。いやいや美味しいご飯のお供になれば十分だ。
那須塩原市と国土交通省が管理する道の駅の、その管理者として抜擢された駅長さんはまだ50代の若さ。一般企業で働き、競争論理が染みついているようだ。コストや品質管理をどう行うか----今までの慣習のまま野菜を搬入する農家の人、それを販売する地元の販売員さんとの関係は見るからに難しいように思える。女だてらに、という意見が聞かれることもある。(女がおんなの足を引っ張ってどうする!)
しかし、ポップを手作りしたり、野菜の料理方法のチラシを添付したり、割引の予定を知らしめたりと、なかなかの奮闘ぶりで頼もしい。ここはゆっくり地域の人達の心を溶かしていくしかないようだ。
(頑張れというのは陳腐な表現ではあるけれど、ほかの言葉が見つからない)

毎年のこと、裏庭の堆肥置き場からカボチャがひとり生えしてくる。肥料をしっかり吸収したカボチャがこんなに大きくなったので収穫した。半分はお隣へ回し、カボチャ外交に精出す秋の初めだ。
ところが、実を取られても知らぬ顔、精の強いカボチャは、どんどん蔓を伸ばし続けて四方に広がっていく。葉も太い茎もトゲトゲして痛くて邪魔だ。
よく見ると咲いている花はみんな雄花ばかり。この時期にはもう役立たずの男の子ばかり。大きなフリンジの付いた花を切って居間に飾ってみたらこれはこれで結構美しいではない?
里山の暮らし542 2020.9.25

おちょこちょいでせっかちで ------季節外れの山つつじが咲き始めた
毎年のことだけど、南庭にあるこの山つつじの木だけが、秋の初めから咲いてくる。
10年前は咲き始める時期が12月だったのに、年々早くなり、いまや夏の終りから花を見せてくれるようになった。
手前は白山吹のまだ緑の葉。下には種がどっさり落ちていて、来春はそれから芽吹いてくる。抜くのが大変。

那須の山々には、山つつじが自生していて、庭のつつじもその仲間だった。この木だけひとり先を急いで咲くのはなぜだろうか。
下は名所「八幡の山つつじ群落」。樹々の間に木道が張りめぐらされていて、その間を散歩するのは都会の人に取って乙な気分ではあろう。
最盛期には押すな押すなの大盛況だが、田舎者の私は人波の中を歩くのはあまり好きではない。
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那須町 八幡のつつじ群落
(5月初旬から中旬)
最盛期には山が真っ赤に燃える。
赤と緑の補色そのものの組み合わせ。
環境省のHPより
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・夏花壇の整理の目処が立ってきたので、 秋花壇用の資材を調達に、おなじみのホームセンターへ出かけてきた。
牛糞堆肥や肥料がずらりと並んでいて、「ここからあそこまで全部ください」と言ってみたくなった。
これこそガーデナーの大人買い。
・新蓮根が出回る季節。秋彼岸でもあることだし、「蓮入り鶏肉団子」を作った。(5節で350円)
鶏肉ミンチ+レンコンのすり下ろし+なめ茸のみじん+片栗粉 練り込んで団子にして揚げる。
ほか、酢ゴボウ、オクラのぐるぐる、胡瓜の浅漬け、納豆など。
里山の暮らし541 2020.9.20

秋海棠 シュウカイドウ(シュウカイドウ科シュウカイドウ属)
多年生草本球根植物----つまり一度植えるとしつこく殖える植物。
夏の終りから初秋にかけて草丈 70cm 前後に生長し左右非対称の葉を互生させる。

私の庭に咲いているとも知らないで。「秋海棠だけは庭に植えたくないな」と友人が言った。聞いて少し心が痛むが、それは本当だ。
増える、殖える。むかごで増える、種で増える。倒れた茎からも根を出して増える。気が付くと庭中に広がり過ぎていて、秋雨のさなかせっせと抜いて回っているありさま。
(むかご---葉腋に付く珠芽。鬼百合、山芋も同様にむかごを付ける。)
秋海棠は雌雄異花同株。画像にあるように、雌花は受粉したのちも雨や風に当たらぬよう、はじめから地味に下を向いて咲いているのに対して、雄花の咲き方のにぎやかなこと。上を向き、これでもか、と胸を張っているように見える。
雄花の真ん中に黄色く珠になっているのがおしべ、花びらが4枚付いているように見えるが、目立つ2枚はガク(萼)左右の小さいのが正しく花びら(花弁)。つまりフェイクの花を咲かせて、受粉してくれる虫たちにアピールしているのだ。これは秋海棠の生き残り作戦。
泣く泣く半分は抜いているけど、はっきりしたピンクの花で、きれいだな---とカメラを持って庭に出るやいなや、蚊が飛んできて、あっという間にむき出しの左腕を刺された。すばしっこいワタシはただ
ちに殺戮処分に走る。
でも、アピールする雄花やすかさず刺しにくる蚊ほど一生懸命今日を生きているだろうか、と感じた夕方。
里山の暮らし540 2020.9.15 敬老の日 モーゼルワインを開ける
(実は昔の敬老の日)
夏の盛りに冬に備える アリ生活の日々
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気象庁の予報官にして「9月とは思えない暑さ」と言わしめた夏の終わり。知られたら呆れられるようなことをして過ごしている。
近くの道の駅へ、うす闇に紛れて出かけ、向日葵の花首を切り取ってきた。(恥ずかしいからね)
一輪車も一緒に連れていって収穫した数、270個なり。
これから座り込んで、脱穀し乾燥させて、野鳥のために保存しておく。
手や指がどのくらい痛くなるか、これはやったことが無い人には分からないだろう。
左 私の愛車、防犯パトロールのステッカーを貼ってある。schoolガードなのです。 |
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拾いあつめた胡桃。ただいま150個なり。
なんとか300個にしたいのだが。そうすると冬じゅう鳥たちに分けてやれるから。
鳥たちにとって胡桃はとてつもないごちそう!
中の脂肪分が冬の寒さに対抗する身体を作るのに役立つから。
今年は猛暑のせいか実が小さい。 |
里山の暮らし539
2020.9.10
秋そばがこんなに大きくなった
里山の暮らし538 2020.9.3
じわじわ --- ようやく達成した
----
何という満足感だろう!

毎朝二人で90gのブルーベリーをヨーグルトに入れて食すには、一年間にどのくらいの量が必要なのか。
答え約32キログラム。
早生の実が熟し始めたのが6月。それ以来、蜂とイラガに悩まされながら日々収穫を続けてきた。画像の袋に500g入れた状態で冷凍保存している----そして今朝、その番号が63に届いた。
部屋の前の花壇にはまだ熟した実が残っているので明日の朝こそ64になる。これは記念すべき番号なので、ゆっくりぶら下がっている実を集めることにする。 美味しいお菓子の最後のひと口を大事にするように。
残りは野鳥にやってしまおうかと悩むところだが、野鳥に拾い食いの癖を付けるのもしゃくだから収穫して
「ブルーベリー外交」----ご近所さんに上げることにしよう。
当市では、10月から市内のホテルや旅館の従業員を対象にPCR検査を始めることになった。入湯税の値上げ分がその財源となるようだ。その後は定期的に検査を行うことで、観光業に対する内外の不安を払拭するのが目的だとのこと。
ところが、施設側は「万一陽性者が出た場合の風評被害を心配している」らしい。観光業の安全を優先したいのが市側の意見、対して「市が率先する事業であるならば、陽性者が出たばあい、個人攻撃や風評被害への対応策が必要だ」「市が責任を取るべきだ」との意見が発信されている。
どの立場で感染防止策を徹底させるか。(日本経済新聞8月25日朝刊)
接触確認アプリCOCOAが導入されて二月。新聞社独自の調査によると「感染者との接触の可能性あり」と通知され保健所に連絡した30人のうち、8割の人は検査を受けさせてもらえなかった。(日本経済新聞 8月2
検査数を増やすと陽性判定数も増える。感染者の診療や入院が増えると、地域の医療現場が崩壊する恐れがある。
陽性と判定されると、観光客が来なくなる----風評被害が広がることがこわい。
取り組みをPRして他の観光地と差別化を図ることも有効か。
このコロナ禍でのさまざまな立場の人の動きを見ていると、見えてくるものがある。それは偏った政治的な判断であったり、個人の自己中心的な考えが図らずも表出したり。
化学の知見と政策の葛藤か。 よく見ておこう。めったにない経験だから。
2020.8.29 下野新聞
里山の暮らし537 2020.8.28
繭ごもり cocooning の日々。
ロフトから古い文庫本を取り出してきては、クリスティを読み返している。
30年以上前なので内容はもう忘れてしまったけれど、相棒が何かのテーマで特許を取得したことがあった。
しかし、会社という組織内で蓄積された知恵と、勤務時間内で考案し取得した特許なので、当然特許権は会社に帰属する。会社から報奨金として図書券が贈られてきた。現金でないところが嬉しい。食費に使いたくないから。
さて、これをどう遣うか。
「全部使っていいよ」という言葉に甘えて買いましたね、クリスティ本を全巻!老後の楽しみに取っておこう(と30代にして)と考えたが、「いやいやその頃には内容をきっと忘れているよ」と思い直し、書店に注文した。
どさっ!と届く音がとどろく。
読後、人と人との関りの中での隠れた意識や意思の抑えがたい発露、人間の本質はどんな狭い田舎で住んでいても変わらない、こんなことを感じたのを覚えている「ポツンと一軒家」に住んでいて、まだ30代という若さだったのに、人間とのかかわりに飢えていたころのことだった。
30年の後、分かったことは、「面白い推理小説の内容---犯人とその動機---はきちんと覚えている」ということ。
残念というか、当然というか。
いまの私のクリスティベスト10はこちら。
アクロイド殺し The Murder of Roger Ackroyd ポアロ
ねじれた家 Crooked House
そして誰もいなくなった Ten Little Niggers (映画も面白い)
鏡は横にひび割れて The Mirror Crack'd from Side to Side The Mirror
Crack'd マープル (映画も面白い)
オリエント急行の殺人 Murder on the Orient Express Murder in the Calais
Coach ポアロ (映画も面白い)
ナイルに死す Death on the Nile (映画もとても面白い)
ABC殺人事件 The ABC Murders 改題:The Alphabet Murders
ポアロ
カーテン Curtain ポアロ 執筆は1943年
象は忘れない Elephants Can Remember ポアロ
葬儀を終えて After the Funeral
これも忘れがたい
スリーピング・マーダー Sleeping Murder マープル
メソポタミヤの殺人 Murder in Mesopotamia ポアロ (映画も面白い)
白昼の悪魔 Evil under the Sun ポアロ (映画もとても面白い)
スタイルズ荘の怪事件 The Mysterious Affair at Styles ポアロ
牧師館の殺人 The Murder at the Vicarage マープル
これを10年後に覚えているかどうか。
里山の暮らし536 2020.8.22
お盆---- 送り火
今夕、送り火に照らされながら両親や先年亡くなった兄が極楽へ帰っていくことだろう。青竹を組み合わせて作るかがり火には、たしか夕方に火を点けたような記憶がある。
夫の父が亡くなったのはもう38年も前のことだ。3月と言っても春はいまだ、豪雪地帯のかの地には1メートル近い雪が残り、春の農作業は始まっていなかった。
ご近所の方たちが、手に手に蝋燭を持って参列し、野辺送りに立ち会ってくださる。
全くの普段着姿で寒さしのぎに頭に手拭いを巻き、雪や泥が付いたままの作業靴といういでたち。直径三寸の、人によっては腕にあまるほどの五寸蝋燭を胸に抱え、雪を渡る冷たい風に揺らめく炎を身体で
遮ろうとなさっていた。
その揺らぐ火が、家の前から表通りまで長く続いていた。
葬列を懐かしいと思った、美しいとも感じた。何十年もの付き合いのあった故人を悼むのに、蝋燭の火に象徴される「悼む心」だけを携えて弔問してくださる。薄れゆく日の光の中に、蝋燭の火が続く。
送り火だった。
思い出に酔いしれるほど心弱りしたか?
夏も半分過ぎつつある。なんとか乗り切れそうだ。無事これ名馬なり。
葛 クズ
里山の暮らし535 2020.8.16
間合いを取る
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世界遺産・姫路城にはこんな
ポスターが貼られているらしい。
宮本武蔵か
佐々木小次郎か。
姫路城管理事務所から
お借りしました。 |
お盆の入り。
分家の我が家には仏様はいらっしゃらない。
いまごろ4人の両親はそれぞれの実家に一時帰宅しているころだろう。
どこへも行かず、だれも来ず。
静かな、いつもと同じ夏の日が続く。
間合いを取る、間合いをはかる。
新しい人間関係を築けず、親しく話すこともできない。
だからこそ、いまある関係が大切に思える。
里山の暮らし534 2020.8.13
スピーカーを作る
現在使っているパソコンは6年前に購入したもの。HDDだけ入っている営業用の本体に、Windows7をわざわざ選択してOSとし、オフィスを入れウィルス対策ソフトをインストールし、と割に手作り感のあるパソコンだ。それをWindows10にアップして使い続けている。
ただひとつ残念なことがある。いや、あった。
うかつにも、どうせ音楽を聴くわけでもないから、とりあえずスピーカーはいらないと考え、音無しの構えでほったらかしていたのだ。たまに動画を[見る]ときは「昔のサイレント映画を観ているようだ」とふざけていたくらいだった。
そもそも私の家は遅れている。
1982年、まだパーソナルコンピューターと呼ばれていた時代に家庭用パソコンを買い、子供会の記録を取っていた。内蔵メモリは増設して12MB、HDDに至っては560MBの代物-----しかしあの時代には先端機だったけど---。ファクス機に至っては、30年以上前になるがまったくもって家庭用として購入する人はめったにいない時期に導入した。なのに、問題は、キャッチアップが遅れることなのだ。
先頭を走っていても、はっと気が付くと周回遅れになっている。おっちょこちょいなのに、ズボラという性格がこんな所にも出てくる。
ところが、このコロナ禍のなか、友人知人が一斉にリモートで様々な講座を開くようになって慌てた。ああ、見たい見たい、聞きたい知りたい---。
スピーカーが欲しい。
先日、相棒にY電器に行ってもらった、が手ぶらで帰ってきた。
途中で、お気に入りのウィスキーを買ってあげたのに。なぜ?
前置きはさておき、次の日の午後、工房から大きな声で「できたよ〜」と聞こえてきて、にわか電器屋がなにやら怪しげなものを母屋に持って帰ってきた。それがこの写真の「手作りスピーカー」だ。
それらしい形をしているが、とても小さい。でもきちんと音が出る。

使ったものは、
15年前に壊れたカセットデッキの部品として取り置いていたスピーカー
ラジコンヘリのコントローラーを、スイッチ+音量調節用に改良 (パソコン側で調節できるが))
笑えてくる。なんでも部品を取っておく習性がこんな時に役に立つなんて。その夜のおつまみが一品増えたのは言うまでもないけど。
初めに見たのが、P.E島のバーチャルツアー 今まで音無しで見たことがあるが、音入りはやはりいいなぁ。
https://youtu.be/euiwzpTHPdk
次はもちろん、ユーラシア旅行社主催の
「山下直子のアイルランド・カルチャー講座!〜いつか行きたいケルトの島の魅力〜」
(オンライン講座・全6回シリーズ)」のうち初回分。
https://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/irelandculture
(ユーラシア旅行社)
https://youtu.be/Git42-b5Eow (初回分 新型コロナ禍のアイルランド事情)
これから全6回の見逃し配信をみる、ぐふふ。
しかし、この手作りスピーカー、本来はCRTの後ろに繋ぐはずなのに、なぜかパソコン本体にあるUSBリーダーへ差し込んで聞くことになってい
る。ところがパソコン自身はこのカードリーダを認識していない。従って差し込み取り出し自由だ。
システムのなかでこれが何らかの問題を引き起こすか、これは調べてみないといけないが、当分これで行こう。
しっぽに怪しいスピーカーが取り付いているのにも、勝手に外されたことにも全く動じない私のパソコン、またまた可愛らしくなったではないか。
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草取りで汗を流すこと2時間。
近くにいつもの雉のつがいがやってきた |
夏の茗荷がどっさりと。
今日は甘酢に漬けるかな。
丸いお尻がおいしそう。 |
里山の暮らし533 2020.8.9
向日葵は回るのか
観察したのは、発芽がやや遅れ、今の時期にようやくつぼみが開きそうなになった個体。
人間でいえば、中学生くらいの年齢に当たるか。2020年8月2日 最低気温22℃、最高気温30℃ 晴れ
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朝6時 東の方向を向いて茎をのばしている。 |
午前11時 太陽の方向に向きはじる |
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正午 南中の方向にずいぶん茎をのばしてきた |
午後3時 南中から10度西に傾いて伸びている |
画像では分かりにくいが、花首は東から南に向けて約90度右向きに回転しているのが見て取れた。 |
観察した時期が悪かった。幼苗のころからつぼみが付くまでだと、もう少し動きがはっきり分かるはず。辛うじて回転の一部が観察できただけなのが惜しい!
実はこの花首の回転運動は、花首そのものが動いているのではなくて、茎の動きが影響しているようだ。
ヒマワリの茎に存在するオーキシンという成長ホルモンの生成は、太陽光の量に影響されている。このホルモン、光が当たらない側に集まり、その濃度が高くなると茎が
生長、延長する。つまり太陽が当たらない側の茎はより伸びやすいということ。だから花首は太陽のある方向に向かって曲がる。これを植物の「向日性」と呼ぶ。----太陽光を効率良く利用しているかしこいヒマワリなのだ。
この向日性、程度の差はあるものの他の植物にも見られることが多い。身近なところではダリア、
マリーゴールドなど。あまりに向日性の動きがはっきりしているので、向日葵・ヒマワリと呼ばれるようになったのではないだろうか。
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西に向けて回転したヒマワリは、夜の間に元の位置に戻る。
2020年8月5日 朝6時。
前回の観察から3日経ち、つぼみが開き始めて大人になりかけたヒマワリは、回転運動が緩やかになり東へ向く角度が小さくなった。その分太陽を求めて上を向いている。
この後ヒマワリの大きな花首は、東を向いて咲き、実(種)が熟すにつれ、次第に下を向いて花首を守ろうとするのだ。
よく見かけるヒマワリが揃って東を向いて咲いている光景の後ろには、こんな動きが見られるわけ。 |
植物の不思議、と大げさに言わなくても 、今回は夏の日のちょっとした寄り道でした。
まるで小学生の日記のようだな---。後ろ頭を触ってみる-----ひょっとしてお下げ髪が付いていないかと。
今日のお遊びはおしまい。
里山の暮らし532 2020.8.6
えいやと見得を切る

8月1日。ようやく梅雨が明けた。朝、西側の窓を開けると飛び込んできたのが、ヒマワリの咲き終わりの姿だった。
雨続きだったので、気づかなかったらしい。太い幹を曲げ、クレーンで釣ったかのように大きな花首をぶら下げている。
ドキッとした。ヒマワリのこの様子が、
なぜか写楽の浮世絵「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」
に結び付いたからだ。
この後、花首は次第に下を向き、おしまいにはほとんど直角にまで曲がって垂れ下がる。
咲いたヒマワリも、その後のうなだれるヒマワリも、みんな「東」を向いているのをご存じ?
1)なぜ東を向くのか。
2)そもそもヒマワリは、本当に「日廻り・向日葵」なのか。
色々な説があるが、東を向いて咲きその後うなだれるのは、
・花が上を向いているため、日を受けて温度が上がりすぎる。
温度を調節するため、南でも西でももちろん北でもない、東を向く
・個体の健康を保つため。東を向いていると朝一番に日が当たり、夜露を乾かすことができる。
下を向いていると雨をしのぐことができる。病気の蔓延を防ぎ結実を確かなものにする。
どうかな?この説が正しいとすると、すべての花は東を向いて咲くはずだが。
ヒマワリ特有の理由があるのかもしれない。
次に「ヒマワリは本当に廻るのか」について。現在検証中。結果は次回に

三世大谷鬼次の奴江戸兵衛 (東洲斎写楽))
* とある美術館で、東洲斎写楽の作品の展示会を開こうとした。
お知らせに「写楽祭」としたところ、思わぬ反論があった。
口に出して読むと「しゃらくさい」になってしまう----。
里山の暮らし531 2020.8.3
雨の日には旅に出る
どこへも行けない毎日。ゆっくりできる時間があってこれはこれで嬉しい。旅行番組を見たり、昔の記憶を頼りに旅した土地の思い出を反芻したりしている日々が続いている。
3年前の12月、ネパールへの旅を終え、羽田から東京行きの電車に乗ろうとしていた時のこと。前に並んでいる男女二人連れから、母音が目立ち語尾を飲み込むような発音のスペイン語が聞こえてきた。聞くともなく聞いていると、どうやらアルゼンチンからの旅行者らしい。
お節介な私、懐かしさのあまりつい声をかけてしまった。
このあたりがいかにも大阪人だ。間違ってもホームで白杖をついている目の不自由な人の側を黙って通り過ぎたりしない。最近阿佐ヶ谷駅ホームから落ちて亡くなった人のニュースを聞いた。ため息がでる、涙がこぼれる |
「どちらからいらっしゃったのでしょうか」
驚いたお二人は、つたないスペイン語を話す日本人がいると気づき、いかにもラテンの人らしく身体全体で喜んでくれる。東京までの電車に一緒に乗り、30分間話すこと話すこと。女性の方はアルゼンチンから着いたばかり、空港まで彼女を迎えに来た男性はオーストラリア人
だった。自身が企画したツアーへの参加者を世界中から募り、明日から3週間の日本周遊に出かけるという。
彼女はブエノスアイレスのお金持ちの奥様。席を代わってくれた日本人を見て
「日本人って礼儀正しいのね」「あなたなぜスペイン語を話せるの?」「あなた、アルゼンチンにいらっしゃい。歓迎するわよ」だって。
「3週間も留守するなんで、お連れ合い(su marido)は寂しくないのでしょうか」との出過ぎた質問に対し、返ってきた答えは、
「私と夫は(夫と私だったか)もう何十年という付き合いなの。今や愛情のある関係というよりも友達・戦友・同志よ。お互い信頼しあっているから、大丈夫」。
新幹線乗り場までご一緒し、ぎゅっと抱き締めあって別れた。家までの2時間はその感触を思い出して、ほんのり嬉しい時間だった。
こんなことを書いたのには訳がある。昨日、内田樹さんのエッセイ「50代男性のための結婚論」を読んだからだ。
「結婚は夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」で、安全保障の仕組みだ。一人暮らしだと生活の危機に追い詰められることもあるが、二人なら何とか生き延びられる機会がある。チームでの試合だ。配偶者はバディとして存在するのだ」。
なるほど。そうかもしれない。「一人口は食えぬが二人口は食える」と昔の人は言った。地域や血縁集団の中で生きるのが難しい現代の日本で、配偶者は暗闇に突入するような老後を迎える友達・戦友・同志と考えたほうがこれからの歳月を乗り切る力になるか。そう考えるとあれやこれやの小さい食い違いを許す気になろうというもの。
更に大事なことが一つ書かれてあった。「愉快に機嫌よく生きる」---想像力と知性を働かせ、関係性を穏やかに健全に保つこと。機嫌の悪い時、悲しい時、怒っている時には人生の大事な決断をしてはならないと。

やまとなでしこが雨に濡れている。
里山の暮らし530 2020.7.30
休肝日に釣りをした
自粛の毎日が続く。2週間に一度図書館で予約した本を受け取り、4日ごとに食料の買い出し。庭の草取りと掃除。ルーティンで生きていると、一日が過ぎるのをとても早く感じる。メリハリがなく、区切りがはっきりしないことから昨日も今日も同じような一日だったと思ってしまうようだ。危ない危ない。明日が同じとは限らないではないか。
ブルーベリーを盗りに来るヒヨドリを警戒しながらの朝食に。
「我が家で感染の危険が一番大きいのは私だよね。今日は食料の買い出しだわ」
「そうだなぁ。外出の回数は僕より確かに多いよね」
「午後しっかり風呂掃除をしなきゃ、この季節が一番カビの生えやすい季節だからね」
「うん、なら僕がしておこうか---」
「おぉ珍しい!」「万歳!」と心の中で。 -----何が嫌いと言っても風呂掃除ほど嫌いなものは無いワタシ。
その日は休肝日だった。相棒が週に一度肝臓を休ませるためにお酒を断つ日だ。
汗をかきながら帰宅して、お風呂をそっと覗いてみた。おお、と驚く。相棒は素知らぬ顔をして、私の反応を窺っている。
昼食の前に、
「はい。嫌いな仕事をしたご褒美です」と赤ラベルのビールを一本差し出した。相棒の喜色満面の顔ときたら----コロナが逃げていきそう。
「昼ビール、それも飲まないと決めた日に。嬉しいな。こんな風なら毎週風呂掃除をしようかな」
「いいねえ」「でもこれってビールで釣っているみたいじゃない?」
「そうだ大漁だ」「ははは」
「簡単に釣れたねぇ」「いれ食いだわ」
ほんのひと口、大匙1杯のビールをお相伴した。
【
細胞性生物とは明確に異なる分子的構成と独特な増殖相を持つ非細胞構造体の一群】が跋扈している。
政府肝いりの旅行推進策が実行に移されたのが7月22日。それに足並みを揃えるかのように日本各地の新規感染者の数字が増え続けている。7月23日の東京都の感染者は過去最高の366人、大坂は104人。医療体制がいまだひっ迫していないから自粛は求めないという政府側、一方都知事は「不要不急の外出を避けて」と言う。この国と東京都のダブルスタンダードをどう受け止めるか。
栃木県も一都三県からのお客はお断り、と宣言する旅館があるかと思えば、わが市は市長自らが観光客を熱烈歓迎している。市内観光事業者2000人の定期的なPCR検査を実施すると発表すると同時に、感染防止に一定の「責任」を担ってもらおうと観光客から徴収する「医療目的税」導入の考えも示している。
数字に踊らされず、自分なりの判断で行動するしかないだろう。
身を守るのは自分しかない。今まで生きてきて「してから後悔」、「しなくて後悔」の二つのうちほとんど「して後悔」を選んできた。それなりに納得できるが、今回のコロナ禍ではその選択が難しい。
それにしても都知事の物言いが気になる。「〜存じます。させていただきます。」と続き謙譲語のオンパレードだ。もうすこし都民と国民にきちんと伝わる言葉を遣って欲しいと思う。
さて、これから美容院へ。カットを自粛していて2月、頭が雄ライオンのようになってきた。宇都宮の美容院にクラスターが発生し10人の感染者が出たとのこと。気を付けよう。

トレリスの幅1センチほどの隙間に芽生えたインパチエンス。 ➡ こんな花が咲きます
里山の暮らし529 2020.7.24
感染止まず 栃木県は直近の1週間で25人の感染者 。7月20日現在133人。
庭の花を味方に夏に立ち向かう。

見かけは何の変哲もないコロッケ。このコロッケを作ったのは45年ぶりのような気がする。
思い起こせば半世紀近く前、新婚旅行から帰り、余分の休暇(賜暇?)が二日あったので、紅葉狩りを兼ね二人で住む家を建てるべく土地を探しに出た。あたりを付けておいたので、直ちに土地を購入し、さらに素早いことに建築まで契約してしまったのを、なんという若気の至りかと今にして思う。家族で暮らすという意味を十分理解していない、ほとんど子どもの二人だったのだから。
(南極、昭和基地の建屋の建築に採用された、プレハブ、接着工法に惚れたのがきっかけ)
相棒はその時20代、建築資金があるわけがない。財布の底の底まで叩き出し、手持ちを総動員して契約、着工へと進んでいった。臨月すれすれまで一人で社宅の荷造りをし、産院へ直行。新生児と一緒に入居したのは生まれて2週間後。この急転直下ぶりを笑いたいほどだ。若いなぁ、元気だなぁと。
ポツンと一軒家、電話線も引かれていない。おまけに足が無い、何をするにも歩くしかない。そんな家に住み始めた新米母の私、買い物は週に一度、相棒の休みを待ちかねて出かけていた。それが叶わないときは、家じゅうの食料を総動員して献立を考える。なにしろ屋根裏のネズミのように貧乏な二人、とことん困ったときはこの「鯖缶入りのコロッケ」を作っていた。
7月半ばすぎたというのに梅雨は上がらずコロナは広がるばかり。そんな気持ちが鬱々する日、思い付いて「昔のコロッケ」を作ってみた。(コロナとコロッケ 頭韻を狙ったわけではないが。)
「金華サバの味噌煮缶 新ジャガイモのマッシュ 新玉ねぎのみじん切り しょうが汁
ベーコンの細切り パプリカのみじんを彩りにほんの少し」
それで? 感想は?
美味しいよ、だって。
里山の暮らし528 2020.7.20
ソーシャルディスタンスを保って 真昼間の猫会議

近所の酪農農家には、親を同じくする猫の群れが住んでいる。道路の真ん中で追っかけっこしていたり、ごろごろ腹を出してじゃれていたりするのを見ながら最徐行して通るのは、ちょっとした楽しみだ。
牛小屋のネズミ対策に「昔から猫を絶やしたことは無いよ」と部落を仕切るしっかり者の奥さんは言う。
この二匹の猫は兄弟か 姉妹か 兄妹か 姉弟か。いずれにしても同胞であることに変わりはないだろう。
左がお姉さん猫、右が弟猫のような気がする。やさしく穏やかな視線がやんちゃな弟を見守っているような気がするので。
左猫がいるところに、右猫がゆるゆるやってきた。お互いにしっぽを絡ませて挨拶を交わし、腹を出してぐるぐるする。互いに距離を保ちながら約1時間、猫同士が話すわけでもなく見つめあっていた。
「ご滞在」頂いた午後だった。
猫を呼び寄せるフェロモンを出す人間がいるらしい。
静かに猫にまとわりつかれる。そういう人に私はなりたい。
今までは料理ノートにメモしていたけど、いいこと思いついた!
テレビの番組のレシピ画面をそのまま写真にして、じっくりあとから見るテを。
おまけに「記憶」してから台所へ立つので、脳の活性化(つまりボケ予防)に役に立つかもしれない。
そうだ。黒酢が切れていた。
こっちは買い物メモに書いておこう。 |
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里山の暮らし527 2020.7.15
本を消毒する機械が入った
まだまだ。図書館の書棚を散策し、目についた本を借りて雨のなか読みふける。こんな極楽生活にはまだ遠い。
今は在庫にある本をネットで予約し、届いた本を受け取りに図書館へ出向くだけ。返却と借り入れはあっという間に終わってしまうのがいかにも心残りで、後ろ髪をずんずん引っ張られ、髪の毛が抜けそう。館内に入れないが新着本の棚が目の届く場所にあり、背伸びしてみると、あれもこれも読みたい本ばかり。
がまんがまん。何事もなく今日の一日を過ごせるのを感謝しなくては。
 |
図書館の入り口に書籍消毒機が設置された。
見かけは電子レンジに似ていて、箱状の機械の内部にある突き出した金具に本を開いて挟み込み、紫外線を照射するのと同時に風を送り、消臭抗菌剤を循環させる仕組みのようだ。値段は1台60万円から80万円台。
病院などに設置されている「スリッパ消毒機」と同じだ。
新型コロナウイルスへの有効性は実証されていないらしいが、より清潔になることは確か。
試しにやってみた。面白い。ただ、一度に5冊から6冊しか消毒できないのが問題かもしれない。
消毒時間は30秒でも、本の設置に意外と時間がかかるから。
これで後ろに順番待ちの列が控えていたら、焦って本を取り落とすかもしれない。なにしろ粗忽者なので。 |
↑ ぴらぴら風で捲られているのは、予約しておいて今日借りた本。
予約冊数の上限は20冊。 制限一杯予約しても届くのは5冊/週間。寂しい数字だ。
ただし、いつも15冊借りていたが、2週間で全部読むのはけっこう忙しい。
最後はあわてて読んで、消化試合をしている気分だった。よくない。
『こんな日本でよかったね 構造主義的日本論』
(内田ワールドは刺激的) |
内田 樹著 |
『激動の平成史 30年で日本はこんなに変わった!!』 |
内田 樹ほか著 |
『学校に行きたくない君へ大先輩たちが語る生き方のヒント』
(一元的な見方は、気づかずに自身をさいなむ) |
全国不登校新聞社編 |
『世界の国歌・国旗』
(イスラエルの短調の国歌の楽譜が欲しかった。見当たらない。) |
弓狩匡純著 |
『旅の風景』
(自然と人が交信する) |
安野 光雅著 |

山ゆりの初花 これから150本咲く 後ろはベルガモット
里山の暮らし526 2020.7.10
熊と鬼と。どっちがこわいか。
夕食の後、相棒がまだ外が薄明るいのをいいことに、昼にやり残した遊びが気になるらしい。そわそわしはじめ、裏庭のミニログに行こうとしてい
た。
「もう暗いから、明日にしたら?クマが出るよ」と私。
いつも反抗する例の人、「出ないよ〜」だと。

【一人での行動は避けましょう。音を出しながら歩きましょう。早朝や夕方は特に注意してください。】
【もし熊に出遭ったら---ゆっくりと熊から離れる。走って逃げない。子熊には近づかない】
熊はラジオの音にはすぐに慣れる。ゆっくりと熊から離れるなんて器用なことが出来るか?
わが家は、那須の山の中腹標高424mにある。田舎ではあるが、とんでもない田舎ではない。隣近所の家は雑木林を隔てて50mから100mの場所にあり、中堅スーパーは車でひとっ走りのところにある。十分都会だ。
ところが、ちょうど上の会話を交わしたゆうまぐれ、近くに出ました、クマが。ここ、そこ、あそこでいえば、そことあそこの間くらいに。
ほらね。と私。鬼の首を取ったように。
(鬼と熊とどっちが怖いか?それは熊でしょう。鬼は内にも外にもいて慣れているが、熊は基本外にいる、よね)
もともと「熊が生息していた熊自身のための場所」を人間が切り開き進出したからこそ、行き場の無くなった熊が里山に降りてくるのだ。
近くに熊川が流れている。上流の山から川沿いに下ってくるから熊川と名付けらたようだ。その名の通り、時おり人工的にせき止められたコンクリートブロックを越えられない子熊が深みに溺れていたりすることもある。
雨続きの7月、山に餌が無くなってきたのか、「民家の庭に熊が」、「牧場で捕獲された」と言ったニュースが流れてくる。これからサツマイモが太り、トウモロコシが熟す頃には熊はますます里山に降りてくる
ようになる。どうか 人間に捕まらないでいてくれ。この雨の中、熊は何を食べているのだろう。
里山の暮らし525 2020.7.6
今日の手仕事 アンズのジャム
冷凍庫には今、番号1〜3まである。これを10まで増やすのが目標。 それにはアンズがあと6袋いる。
これはもう強迫観念に近いかもしれない。雨が降ろうがコロナウィルスが押し寄せてこようが、7月第1週にはアンズのジャムを作らねばならぬ。
暖冬と雨不足で、実の大きさがもう一つ。
今年は奮発してスモモのジャムもこしらえることにした。『昔気質の一少女』(オルコット作)を手に入れた知人の日記を読んで、「スモモのジャムを作る、鍋をかき回す」という場面があるのを思い出したから。それにしても鍋の周りは暑い。
里山の暮らし524 2020.7.2
豆大福に付いていたアマビエ ---- 護符を食した
いま、世間に静かに知られつつあるアマビエとは;
「アマビエ(歴史的仮名遣:アマビヱ)は日本に伝わる妖怪。海中から光をかがやかせるなどの現象を起こし、豊作・疫病などに関する予言をしたとされる。」Wikipediaより
「肥後国(現・熊本県)
に夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる」Wikipediaより

京都大学貴重資料デジタルアーカイブより
アマビエの画像で、弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)に刊行された瓦版 。
肥後(熊本県)の海に現れ、くちばしを持ち、上半身はうろこで覆われ、絵で見る限り脚を3本持ち、その下はひれなのか足なのか判然としない。
予言獣か、あるいは妖怪なのか。
厚生労働省が「アマビエ」の画像をを挟み込んだ、感染拡大を防ぐ啓発用画像を作成していた。
官僚の発想が柔らかなのが意外だった。

自分では解決できない大きな問題に遭遇した時、人間は「人にあらぬ」ものにすがりたくなるらしい。
アマビエは予言獣の一種なのだろうか。人間が疫病に対するとき、偶像や護符を作りあがめたくなる気持ちはごく自然な心の動きなのだろう。
精神の安定のために。
久しぶりに町なかのスーパーに出かけたら、
「本店限定のアマビエの護符入りの豆大福です」との御託と共に売られていた大福もち。験を担ぐわけではないが、否定する理由もないから一つだけ買ってきた。
(甘いものは-----いつも一つだけ。)
たった一個の豆大福をいつものように1:9に分けて、私1、相棒が9の割合で食べる。青森からやってきた大福の味は、
子どもの頃、母の実家で腰をさすりながら祖母が作ってくれたような、甘味の強いものだった。
「アマビエ流行に乗ってこんな大福を作るなんて、目ざとく、はしっこい人が青森にもいるんだね。」「昔の味がする」「砂糖たっぷりの田舎の味だ」。
ともども懐かしがった。
 |
私1:相棒9に分ける。
これは氷山のありようと一緒ではない?
割合が1の私が、その姿が見えづらい、海の中にある9割をどのように制御しているか、想像してみてください。
「七年の豊作のあとに七年の飢饉が訪れる」と予言したヨセフを思わせるアマビエ。
この絵、女の子ぽいですね。 |
里山の暮らし523 2020.6.28
ねむいねむいねむい ラベンダーを摘んで
窓辺のラベンダー
イングリッシュラベンダー系エレガンス・ピンク、スカイ、パープル
去年の秋に小さい苗を植え付けて、ようやく穫り入れの日を迎えたのが嬉しい。排水を良くするためにがっしりしたプランターを準備し、冬を越し、春を過ごしていよいよラベンダー月の6月がきた!
束にして乾燥させ、ベッドわきに置いておく。
たったこれだけで催眠効果はしっかり現れた。ベッドに近づくと、なんだか身体がふわふわしてきて、頭にもやがかかったようになる。あとはおぼろ。
前の世ではワタシ、ベッドだったのかもしれない。まるで母の懐に還ったような暖かい気持ちで眠れるから。
神経伝達物質のセロトニンは、身体のリズムを整え、体温を保持する大切なもの。交感神経を刺激するドーパミンやノルアドレナリンを抑え込む作用があり、脳をリラックスした状態にさせてくれると聞いている。さらにこれは、脳内で睡眠をもたらすホルモン(メラトニン)に変化し、その効果でゆったり神経=副交感神経がさかんに働きはじめ、睡眠の準備ができたことを脳に知らせてくれる-----眠気を感じる。こういう流れらしい。
* ラベンダーにはこのセロトニンを誘発する効果がある。セロトニンは加齢や疲れやストレスで減ってしまう。
だからか、次第に睡眠時間が少なくなってきたのは。ありがたや。これでこの夏は順調に睡眠を取れそうだ。
* だけど快適な睡眠のために1年かけて花を咲かせるなんて、われながら暢気者だなぁと思うことしきり。
 |
本来は水辺の花、花菖蒲
裏庭の畑に植えていても、毎年けなげに花を咲かせてくれる花菖蒲。
ことしこそ、掘り上げて元肥を入れてやらなければ。 |
里山の暮らし522 2020.6.24
ふるさと納税を利用しないわけ
市役所から、年金暮らしにふさわしい金額だったが、住民税の決定通知が届いた。わが家は乏しい年金から今年これを払うことになる。(ちなみに「税金を取られる・盗られる」と言うことが多いけど、納めるとはあまり言わないのはなぜだろうか。)(納税意識の低さからか?)
わが家では、世間に広がる「ふるさと納税制度」をなぜ利用しないのか。
不思議に思うこともあって、これに関してちょっと考えてみた。
大雑把に言って、ふるさとと称してある特定の市町村を選んで寄付をし、その金額を確定申告すると、本来住んでいる市町村に収めるべき所得税と住民税が減額になり、さらに寄付した市町村から「お礼」の品物が届く、という仕組みのようだ。
東北大震災の折に被害に遭った町に寄付しようかと考えたこともあったが、そのままにしてしまった。
問題点もありそうだ。返礼品目当ての寄付が多くて、本来の目的から逸れてしまっている例を見かけることがある。たとえば噂になった大阪の某市など、本来その市で産する品を寄付金の3割以内を返礼に使うべきなのに、アマゾンの商品券を贈り返すということを行い、返礼品基準を満たしていないと
国に追及され、この制度から大阪・某市を外そうとした国との間に訴訟まで起きたと聞く。
バブルのころのこと。金融相場の流れに乗り、あの会社、この会社が土地への投資という名前の投機に走り、株式投資で得た利益を会社自身の「儲け」として計上し、さらにこの姿勢を評価する
経済評論家が次々に現れてきたことがあった。数字の上では正しくても、なにやら胡散臭いものを感じたのを思い出す。その後の日本経済の成り行きは皆さんご存じの通り。
それと同じ匂いを大阪・某市に感じるのは考え過ぎか。市の経済を発展させ、市民の幸せを実現すべく努力するのではなくて、基準以上の商品券!を準備して寄付を募る---この姿勢には賛同できない。
私個人に戻ると問題はこうだ。このふるさと納税を利用すると「住んでいる市町村へ納めるべき税金が、工夫次第ではとても低くなる」ことなのだ。釈然としない。
ふるさとはこの街だから。
当市に住んで15年以上になる。図書館に在庫の無い新刊本をリクエストするだけでも、二人分でおそらく年間数万円以上になり、当然市の財政を圧迫?している。
道路を使う、ごみの回収をお願いする、消防、警察に暮らしを守ってもらっている。行政のシステムの中で暮らしているのが現状だ。こんなことを考えて、ここは当然住んでいる市に税金を払うべきなのではないだろうか。と真面目な我々は考えた。だから、毎年律儀に自分の住む市に
税金を払いを続けている。律儀・栃木の県民になったのだから。
しかし、いかに正義と信じていてもそれをも振りかざすのは胡散臭い。考え方はひとそれぞれ。「あらぁ〜便利。嬉しいこんなものを贈ってもらった。得した。」と思えたり、「欲しいものがあるから、あの町に寄付しよう」と考えたりできるほうが、生きて行くにはラクチンだよね。そういう人のほうが付き合いやすいよね。われわれ、固すぎるよね。
でも貰うものは貰おう、得すると嬉しいじゃない、という心根に流されそうになる自分がちょっと恥ずかしい。鼻白む思いだ---変かなぁ。
ただ、医療従事者への寄付を募る動きがあるようだが、これならいいかもしれない。でもどこの市町村へ寄付する?
私の住む市の「ふるさと納税返礼品」は。
幸水なし 温泉宿泊券 トマトジュース 那須三元豚チャーシュー 酪農製品など
おお、他市町村の人間が寄付すると、こんなものを贈っていただけるようだけど、ここは自力で買い求めることにしよう。
追記
住んでいる市に寄付をして、返礼品を受け取り、税金を安くしてもらうというのはどうか?
結局「寄付する+払う税金」は同じ額になるから。???無理かな?
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今年もブルーベリーが熟し始めた、困った。
冷凍庫にはまだ去年の分が15キロも残っているのに。
毎朝50粒ずつ食べてもこんなに残ってしまった。
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里山の暮らし521 2020.6.20
きょうの手仕事 山椒の実を保存する
まず山椒の木のトゲトゲの中に手を突っ込む勇気を蓄えたのち、ハサミと、下に落ちる山椒の実を受けるもの、たとえば古いこうもり傘などを用意する。ぱちぱちと
房になった実を切り、下に落としていく。
洗って短い軸を取り、たっぷりの湯に小さじ1ほどの塩を加え、7分から8分くらい茹でる。
つぶしてみて柔らかいようなら、出来上がり。間違っても歯で試さないこと。口が痺れるぅ。決して目を触らないこと、目が痺れる。
冷水に晒し、何度か水を変えながらアクを抜く。約3時間。
水気を完全に切り、ジップロックに入れて冷凍保存する。一年持つ。
こう書くとなんだ簡単!と思うけれど、山椒の木のトゲときたら、例の3人組のスズメに劣らず悪意満々。暑いしね。薔薇とはトゲの種類が違うのか、とても痛い
。ひっかき傷を恐れていては仕事はできない。
大変なのはひとつひとつの実と短い軸を分ける仕事で、実100gを仕分けるのに30分もかかる。じっと手元を見続ける姿勢を続けるのは後が大変。腰が凝る。今年は500g冷凍保存したのでたっぷり。
写真は出来上がった「ちりめんさんしょ」 いつもながら味が薄かった。急いで食べよう。

里山の暮らし520 2020.6.16

すずめのいじめに耐えかねて
コロナ感染症は野鳥には関係が無いだろうに、なぜか春先から庭に不穏な空気が漂っていた。おなじみさんのスズメとシジュウカラが理由もなく争っているように見える。
(おいおい分かってきたが、それには訳があった)
冬の間の共生関係が崩れ、スズメとシジュウカラの敵対関係は巣作りの場所をめぐって春のカップリングの時期に起きる。どちらも普通はつがい=二羽で巣作りから抱卵、孵化、育雛まで行うのに、今年はなぜかスズメが3羽の塊になって行動をしているのを見つけた。
「つがい+あぶれオス」か、あるいは「つがい+前年の雛が親鳥の子育てを手伝っている」のか。3羽のスズメは数を頼みにしたい放題だ。
裏庭には巣箱を3つかけてある。まずスズメがやったことは。
第1の巣箱にシジュウカラが卵を産み付けた、その数7個。羨ましくてたまらないのか、スズメは朝から暗くなるまで巣箱の上に乗って騒ぎまくる。シジュウカラの親鳥が抱卵にやってくると体当たりし、蹴散らしてしまう。すごすごとシジュウカラは尾を垂らして逃げていく。
これを毎日繰り返したのだから、たまらない。シジュウカラは終いにその巣と卵を放棄してしまった。
家主(われわれ)も残念。気を取り直して巣箱を掃除し日光消毒をして再度元の場所に掛けてやる。
(シジュウカラ、今度はうまくやるんだよ。)
ところが、同じことがまた起きた。これで14個の卵が犠牲になった。長く観察を続けているが、これは前代未聞のことだ。我慢強いシジュウカラもとうとう諦めて、ほかの縄張りに行ってしまったようだ。姿が見えない。
ついで第2の巣箱に起きたことは。
順調に7つの卵が産まれた。これは嬉しい。♪可愛い七つの子があるからよ♪ と鼻歌まじりかどうか、親鳥は孵化した雛にせっせと餌を運んでいた。そこへ件の3羽のスズメがやってきて相変わらず嫌がらせをする。今度は新顔のシジュウカラだから負けてはいない。スズメに体当たりして追っ払ったり、巣箱の上に座って敵を睥睨したり。
甲斐あって無事に孵化しましたね。
桜の木の枝にぶら下がり宙返りして青虫を捕まえる。子育てへの本能に突き動かされてかのようだ。動きは軽やかで、まるで羽で指揮する音楽に聞こえてくる。親鳥は東方西走、忙しい。
しかし、留守の巣箱へ3羽の悪スズメたちがやってきては、いやがらせをする。出入り口の孔から中を覗き込んでは雛を脅しているのだろう、何やらしゃべりまくる。おまけに3羽は自分のための巣材(藁や苔)を運んできて、巣箱の中に入れ始めたではないか。中に雛がいるというのに。
ああ。7羽の雛が住んでいるのに出て行けとは、これはほとんど地上げ屋のやることだ。ヤクザだ。シジュウカラはみかじめ料など払う気はさらさらない。
ところがやはり体力で負けるシジュウカラは、スズメの勢いには勝てず、まだその時期ではないのに雛に巣立ちを促して、育雛を中断してしまった。
(残念、反社会勢力がしたい放題とは)
お人よしの家主が掃除し、日光消毒してやろうと巣箱を取り外したところ、スズメが運んできた巣材の中にシジュウカラの雛が1羽身体を固くして死んでいるのを見つけた。
怒り心頭。〇〇ッ!
第3の巣箱に起きたこと。
タフな新顔シジュウカラはやはり産みましたね、7個の卵を。今度こそと家主は意気込む。ところが連中がまたやってきて、これまでとは違う念の入った嫌がらせを始めた。孔に顔を突っ込んで雛を脅しはじめたではないか。親鳥の怒ること怒ること。体当たりしてもスズメは逃げていかない。
何事もなければ雛たちは、巣箱の中で兄弟姉妹仲良く巣立ちの日を待っている時期だ。ところがこのヤクザの脅しにすっかり委縮してしまった雛は、親鳥の給餌がままならないせいもあって、成育が思わしくない。
この時期、まだ世間を知らない雛は無垢な目をしていて、巣箱の蓋を開けると、敵が来たと思いうつ伏せになって死んだふりをするのに、この雛たちは
にすでに他人を疑う目をしている。こちらを威嚇してきた。
そうとう精神的に参っているようだ。

「だめだめ、出ちゃダメ」と大声で叫んでもシジュウカラの耳には届かない。
ある朝、巣箱の下で草取りをしていたら、まだ巣立ちの大きさにまで育っていないのに、孔から雛が飛び出してきた。

飛び出した勢いで左側の初列風切羽が折れてしまっている。足が青いのは幼い証拠なのだろう。心細げな眼をしている。息せき切って飛び出したこの雛は、巣立ちを迎えるころのまっとうな
雛の大きさの半分しかない。
親鳥の世話を受けられないのでこれ以上は生きられない。夕方、芝生の上で息絶えているのを見つけた。
次の日、覚悟を決めて巣箱を取り外してみると、3羽の雛が死んでいた。残りの3羽は無事に巣立ったと信じたいがどうだろう。死屍累々。少なくとも18個の卵が犠牲になっている。
シジュウカラ用の巣箱の孔の大きさは直径25ミリ。それ以上大きくするとスズメが入ってくる。1から3まで巣箱の孔の大きさは、きっちり25ミリ以下なのに。どういった具合なの
か。痩せたスズメあり太ったシジュウカラあり。例の3人組のスズメたちは、普通以下の体つきをしていたのか、それとも戦闘意欲が異様に高かったのか。
最後の希望は。
これまでの経験から、抱卵に失敗したシジュウカラは最後のチャンスにと、7月、あるいは8月にも営巣をすることがある。もうこれに期待するしかない。
* つい身びいきが過ぎました。「稲を食べる害鳥のスズメと、追い払う人間」の図式が互いに刷り込まれていて、人間の側にスズメ=害虫の意識が強いけれど、本来スズメは稲作にとっては害虫を食べてくれる益鳥なのです。
シジュウカラもスズメも、この時期に目指しているのはおのれのDNAを次代に残すこと。そのために野鳥たちは必死です。生存をかけた競争
がスズメのヤクザまがいの行動を生み出すのです。
里山の暮らし519 2020.6.13

春のあとしまつ --- つゆのあとさき

チューリップには大きな仕事がふたつある。実生で増やすことは品種改良を目指すプロの栽培家しか行わない。とはいえまず花を咲かせて果実を実らせること。ついで緑の葉と空気中の二酸化炭素を利用して光合成を行ない、地下の球根に炭水化物を送り次代のために肥育すること。
花のあと50日にしてようやく葉と茎が黄色く変色し倒れ掛かるようになった。茎が折れると地中の球根に栄養を送れなくなる。そこで花時に取っておいた写真を参考にしながら梅雨を前に掘り上げることにした。(汗だらけ)
それでも球根を正しく仕分けることはとても難しい。赤、黄色、フリンジピンク、桃色、白----と掘り上げては並べて振り分けていくが、どうしてもどの団体に所属するのか分からなくなる球根がある。
そこでその球根が行くチームを決めて、放り込むことにした。
そのチームの名前は「Mix」「混合」と。混乱した頭が生み出す最強のチーム名だ。スペードのエースだ、いやジョーカーかもしれない。
(球根は洗って乾かし、風の通るネットに入れてログの床下に吊りさげる。ネズミ返しならぬ、ネズミだまし。
地面に置くとネズミが冬の間に食べてしまうから。 焼きチューリップっておいしいだろうな)
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殖えて欲しい花は増えない。
増えなくてもいい花は増える。
このスパニッシュブルーベルはその「増えなくてもいい」花の筆頭だ。
おまけに牽引根を持つので、自在に地面を動き、隙間を見つけてはその場所で増え続ける。右隣のシャクヤクが迷惑顔をしているように。
思い切ってすべての球根を掘り上げた。
そのあとどうしたかと言えば。
「私を貰ってください」というA4のチラシを作り、30個ずつ袋に入れてごみ集積場に並べて置いておいた。
物好きがきっといるに違いない。
よその家の庭で咲くのは、ちっとも構わない。
これを「花ゲリラ」と呼ぶのです。 |
里山の暮らし518 2020.6.9

ようやくアベノマスクが届いた。
【那須塩原】市は28日、新型コロナウイルス感染防止策として政府が全世帯2枚ずつ配布する布マスクの寄贈を6月1日から受け付けると発表した。市販マスクが店頭に並び始めて「自分で用意できている人も多い」ことから、集まった布マスクを介護施設などに配布して有効活用する。(市広報より)
小さい小さいと言われているので、計ってみると13センチ×9センチ。大阪時代から薬箱にしまったままの「布マスク」に比べてみると、ピッタリ同じ大きさだった。
つまり30年前と今の布マスクには大きさ、手触りに変化か無いということだ。
昔は、肝心な時にはマスクを外していたような記憶がある。マスクをかけたままで話すことは失礼に当たる。この感性がそのまま現在まで引き継がれていたのだろうか。
掛けたまま呼吸と共にプリーツをひらひらさせ、他人と接し話す現在の使い方だと、顔いっぱいに広がる大きさが必要なようだ。
それにしても「アベノマスク」なのだ。なぜ「アベマスク」と呼ばないのだろう。
「ノ」を入れることで、多額の税金を投入し、時期的に遅すぎる配布を揶揄しているようにも感じる。アベノマスクは子供用に良いというチマタのうわさもあるし。
そうか!アベ+エコノミクスの次だからか。
政府は次の流行に備えてぜひ家庭で保有してほしいと言っているが、いま必要としている人に渡せるよう、次に街へ出かけたら、市役所に行って寄付してこよう。
アベノマスク----お上からのありがたい頂き物。
かかった費用は総額260億円。この費用を医療向けの防護服、マスク、ワクチン開発などに遣って欲しかったと考えるのは、私だけではないはず。

里山の暮らし517 2020.6.5

ぬいぐるみが欲しい
どっぷりとはまってしまった。ハマるってこういうことを言うんだ。納得してしまう。
それは何か。ゼスプリのキィウィのコマーシャルと聞けば驚きます?
スーパーに入ると、次第にエンドルフィンが出てくるのを感じる。キィウィ売り場にじわじわと近づく---- 横長の大きなディスプレイが置いてあって、このコマーシャルをエンドレスで放映しているからだ。
そこに当然ぬいぐるみも置いてある。ちょっと触ってみる。面白くて嬉しくて、ぼぉ〜っと前に立ち、何度も頭のなかで歌を歌っていた。
「走るのは疲れる、足つぼマットは痛いよ、好きなことを楽しもう」 変なおばさんと思われたかもしれない。
(これ疑問の余地なしだな)
たった1分のコマーシャル。でも長く感じるよ。3回だと3分、100回見ると ---
なんと1時間40分。こんなことに人生を使っていいのか、良いのだ!もちろん。
好きで楽しくないと長続きしない。ほぉんとだ。
グリーンとゴールドの兄弟が、健康のためにジョギングしたり、山登りしたり、ジムで筋トレしてみたり。
体重計に乗ったバナナが片足上げていたり。(脚一本分軽くなったかな)。なによりダンスが面白い。人目をはばかってフラダンスのようなスケートのような振りを真似していたら、画面ではいつの間にか空を飛んでいた。宙返りもしている。おいおぃ、
私はブルーインパレスではないよ、真似できないじゃないか---。
で、このキィウィのぬいぐるみ?が只今のところ、欲しいものの一番なのだけど。スーパーの店長さんに譲ってくださいと頼んでみるかな。もう20年近くお得意さんやっている、と言っても口説けないだろうな。
ところが、見つけた!あちこちのサイトで売られていて、セットで1万円あまり。給付金で買うかなぁ。とあほなことを考えている。
もうすぐ梅雨入り。
画像はゼスプリ社のHPからお借りしました。
動画はここに;
https://www.youtube.com/watch?v=bSYjN3vbfHs
追記:いつもゴールドの方が高いのに、今日は同じ値段だった。ふふ兄弟を買ってきた。なにして遊ぼうか。
里山の暮らし516 2020.6.2

春の妖精だったのに、おやおや妖怪になった カタクリの場合は
「春の妖精」と呼ばれる花がある。たとえばカタクリ、アマナ、イチリンソウ、ニリンソウ,フクジュソウ、ヤマエンゴサク、ムラサキケマンなど。
早春、まだ林の樹々が
葉を展開させる前にいち早く花を付け、光合成をして栄養分を蓄え、その時期にはまだ少ない虫を呼んで受粉し、季節が進む前に種を結び次世代へと命を繋ぐ植物をスプリング・エフェメラルと呼ぶ。ふわふわと心を揺すぶられるような名前だ。
(Spring Ephemeral)
エフェメラルとは「はかない」「つかの間の」の意味なので、早春と初夏を結ぶつかの間の植物の総称らしい。
落葉広葉樹林の林床や草むらでひっそり頭をもたげている様子は一言で「可憐」。
さて、典型的なスプリング・エフェメラルのカタクリは、春彼岸のころから尖った花芽を地表にのぞかせ、ある晴れた朝突然花を開
き春到来を告げてくれる。 ・ 片栗やどの当たりまで反ろうかと
2月後、走り梅雨のころ、庭の隅に可憐な花とは似ても似つかぬ種袋を見つけて驚く。
まるで妖怪。頭が三角のカタクリ坊主だ。どこかの街のゆるキャラに似ていなくもない。

種袋が突き出すのは高さ10センチほど。これでは種を蒔き散らすのには不十分なので、カタクリはここで策略を巡らす。
頼るのはアリ、蟻ですよ。蟻の助けを借りるのです。

画像を見ると分かるように、小さい種の先っぽにポツンとくっついているものがある------それはエライオソーム。(種枕・しゅちん。そういわれれば枕に似ている)脂肪酸とアミノ酸や糖質が合わさったもので、想像すればすき焼き鍋の中の牛肉の味か。
アリは喜んでこの種を巣まで運び込み、エライオソームの部分を食べ、残った種は巣穴から外へ運んでポイと捨てる。そうするとカタクリの種は親株からある程度離れた場所に撒かれそこで発芽し繁殖することが出来る、というわけなのだ。
この植物の蟻散布作戦を知れば知るほど、脳を持たないはずの植物の知恵に驚かされる。
これは発芽時の込み具合を調整したり、種子を昆虫に食べられるのを回避したりする巧みな作戦でもあるようだ。
リスクヘッジ、または次世代への分散投資とも言えようか。
今年、庭に咲いたカタクリは68本だった。半分は自分で種を採って畳2畳ほどの「カタクリの場所」に撒いた個体だが、残りはずっと離れた場所で咲いてくれた。きっと蟻が助けて?
くれたのだろう。おかげで花時は足の踏み場もない。
カタクリの種を撒いて花を咲かせるまで約6〜7年。気の長い話だ。今年の種から咲く花を6年後、私はどのような状態で見るのだろう。
[春妖精の仲間ではないけれど、スミレの場合は] (夏地上部が枯れない種類も
あるから)
スミレの場合はもっと
繁殖に精を出す。同じようにエライオソームを作り蟻を誘惑するところまではカタクリと一緒。しかし、カタクリはぽろぽろと種を真下に落とす
のに対し、スミレは種袋の身を反らせて弾じき、種を何メートルも飛ばすことができる。さらに花を咲かせた後、閉鎖花を付け春から秋までの半年間ひたすら繁殖に邁進する。これもまた
庭が足の踏み場もなくなる原因だ。仕方ない。何段階もの手順を用意して殖えようとするスミレは、見つけ次第引っこ抜かれ
てしまう羽目になる。(可哀そうで胸が痛む。しかし背に腹は代えられない。庭をスミレに占領されてしまうから。)
里山の暮らし515 2020.5.29

酸性雨が降る
五月の連休の前後は、季節が倍速で進んだかと思えるほどの気温の高い日が続いた。その後一転して残り物の灯油を焚く日があったり、走り梅雨とも思えるような雨の日が続いたりと、まったく油断も隙もない5月も、そろそろ下旬になろうとしている。
庭のビオラに点々と染みがあった。どうやら酸性雨が降ったようだ。那須茶臼岳の爆発による火山灰土の堆積により、南西斜面の扇状地は常に酸性なのに、そのうえ晴天が続いたので大気が相当汚れていたらしい。中旬には中国からの黄砂も降ったことだし。このうえまた酸性雨が降るようでは庭がますます酸性に傾
いて、カルシウムイオンやマグネシウムイオンが溶解し流れ出てしまっていることだろう。 (pH 水素イオン指数)
だから、一年に何回か大掛かりに、あるいは花壇の花を抜いて次の仕事に取り掛かる前に苦土石灰やかき殻石灰を撒くのを習慣にしている。

庭には10年ほど前に購入した5本のシャクナゲがある。今の季節は次々に花を開いて庭を彩ってくれるが、実のところこれは本来の色ではない。はじめはラベル通りの色の花が咲いていたが、次第にどの木の花も白になってしまっている。ほんのすこしだけ、元の色を残している個体もあるが、ほとんどがシロ、白、しろの花になってしまった。
以下聞き書き:
[
花の色の色素の元になるのは、アントシアン、カロテン、フラボノイドという物質。アントシアンは、赤、青や紫色の元になり、カロテンは黄色、だいだい色の、フラボノイドは薄い黄色のもとになる。この3つの色素がまざりあって色々な花の色が現出する。
色素が作られるためには光が必要で、細胞のpHや金属イオンの影響でも色調が変わってくる。花の色素の構造は赤も青もとても似ていて、水酸基(-OH)があるか無いかで色が変化する。------細胞内のpHが変化すると、発色が変わる。]
なるほど。庭のシャクナゲが白くなるのも、野草の花がしばしば白化しているのもこのせいなのか
。ただし色素が減少するアルビノ化とは違うようだ。あとで調べよう。
今日の手仕事
山椒の葉を摘んできて、チリメンジャコと佃煮に。 菊の挿し芽 10月に中輪の黄色い花を咲かせる。
* 今年のホトトギスの初鳴きは5月19日の夜。去年よりも1週間遅い。気温の変化が大きいからか。
* 林に住む日本赤ガエルが夜な夜な鳴いているのが聞こえる。クークーケロケロ。恋の季節のようだ。
里山の暮らし514 2020.5.25

窓越しに見る庭もなかなかのもの
先日無観客訪問して下さった近所の方から、その時の写真を頂いた。驚いたことにA2サイズにカラープリントし、さらにその上にラミネート加工をしてあるという手の込んだものを。
そのまま見るとやや暗いので、南窓の中央に張り付け、外からの光で鑑賞することにしている。
写真がお好きとおっしゃるだけあって、右の母屋と左の東屋の配置、手前の花と奥の景色、視線が収斂する点が、ちょうどゴールデン・プロポーションの位置にある。
期せずしてこの結果なのか、はじめから狙った位置にフォーカスしたのか、聞いてみないと分からないが、さすが「いいカメラと良い腕」の組み合わさった写真だ。
これ----いずれ老人ホームに持っていこう。

連休明けには30℃近くまで上がったのに、今朝の気温は8℃。これはちょっとした大阪の冬の気温だ。残りの灯油を焚いた。涼しさが続く午前中にと、チューリップを掘りあげる仕事に精出した。さまざまな色と花の形があるので、予め咲いた姿を写真に撮っておき、それを参考に色分けしながら掘り上げていく。
まだまだ盛りのビオラを踏んでみたり、うっかりケマンソウの伸びた茎を折ってみたり。夜来の雨のあとなので雨靴が泥んこになった。土はもったいないのでこそげ落とし、花壇の中に入れてやる。道具はキチン
と洗って干すまでが仕事のうち。(でも疲れるとね---。)
里山の暮らし513 2020.5.22

はるばる大坂から来た君は、いったいだれなのか?

庭の桜草の始まりは、大阪在住時代の年上の友人の庭だった。春もやや長けたころ、鮮やかなレモンイエローの花が咲くのを見るたび羨ましく思っていた。「イギリスから来たのよ〜」。そうなのか---。
たった3株では「あれ、分けてください」とはとても言えなかった。
(ガーデナーの心境:わが家に無いものは欲しい。適正在庫などない。増えれば増えるほど嬉しい)
(お気に入りの花の苗を「ここからここまで」と大人買いしてみたい)(できないからせっせと種を蒔く)
彼女が遠くに引っ越しすることになり、残しておくのに忍びないとその3株を貰い受けたのが約25年前のこと。那須に移住する時に、3株の桜草をお供にしたのは当然のことだった。
幸い冬の雪に耐えこの地に定着してくれた。次は株分けをして増やしていこうと決める-----庭に関しては決めたことは必ず守るのが正しいガーデナーの姿なのだ。
何年かごとに株分けを続けてきた。その回数はざっと7回か。ちょっと計算してみよう。
3株をそれぞれ倍に分けると----倍々ゲームの結果は2000本以上になった!
え〜、もっと多い気がする。庭中にこの桜草が蔓延っていて、いまや桜草屋敷になってしまっているのだから。
ここまでは前置き。しつこいのだ。
そろそろ「西洋桜草、宿根タイプ」といった個性を無視した呼び方を止めよう。きちんとその名前を呼ぼうと思いついた巣ごもりの日。やおらイギリスの植物図鑑を出してきた。
『Wildflowers of Britain』によると、よく似た西洋桜草に4種類あって、
イギリスでの呼称 (学名) 細かいこと |
Primrose (Primula
vulgaris)
サクラソウの代表種で、品種改良の原種。イギリスでは林や草原、土手などに普通に見られる。背が低くて葉の形が違う。これではない。 |
Cowslip (Primula
veris )
「牛の糞が落ちているような田舎道ならどこにでも生えている」の意味の名前を持つ、それも雌牛の。
イングランド、ウェールズ、アイルランド中部に良くみられる。ワイン造りに利用される!
よく似ているが、頷くようにかたまって咲く花の付き方が違う。これではない。
いい香りがする。「ワイン造りに利用される!」に興味津々、後で調べてみよう。 |
Oxlip (Primula
elatior) 和名はセイタカセイヨウサクラソウ
Cowslipよりも背が高く、花が茎の片方にやや下向きに咲く。これではない。
名前は「牛の糞が落ちているような田舎道ならどこにでも生えている」の意味、それも雄牛の。 |
False Oxlip (Primula
vulgaris x veris )
Primrose×Cowslipのハイブリッド。つまり交雑種 これだ!
False
が冠されているのがミソ。これだと上の3種に一段下がるように見えない?咲いている様子は春爛漫を思わせてくれる爽やかな花なのに。 |
それにしても、この子たちは交雑種だったとは。驚いた。たしかに強いはずだ、雑種一代強勢種(F-1ハイブリッド)なのだから。
雑種一代強勢種:
違う種類の親を持ち、その間にできた一代目は優性遺伝子が表に出て成育が揃い、両親よりも強い性質を持つ。野菜などは多収量を目的として交雑(交雑は植物に使われる、動物の場合は交配)種を作出されることが多い。たとえばトウモロコシやネギ、大根などのように。
常に株分けをしてきたこの桜草たち。ならばどの個体も友人からもらい受けた初めの3株のクローンになるわけだ。種を採って蒔くとこれは雑種2代になり、先祖の持つ劣性遺伝子が表に出てくるらしいが、雑種2代目は不稔性を帯びることが多いと聞いている。株分けで増やし続けてきたので、この2代目にお目にかかったことが無い。思えば種が実ったのを見たことが無かったのはそのせいなのか。
我々ふたり、田舎で生まれた雑種だ。
雑種が雑種一代強勢種の桜草を育てる。上出来!
*参考までに。
バイオテクノロジーの技術により開発された雑種一代強勢種は、繁殖能力に劣ることが多い。種苗会社が収量の多さを目的に改良、開発した種を低開発国の農業に利用
させると、その国ではその後常に種苗会社から種を購入せざるを得なくなる。これは植物を利用した占領政策として利用できよう。
里山の暮らし512 2020.5.17

ビニール越しのハイタッチ
節約を旨とする主婦としては、すべてのものが割高になるコンビニで買い物をすることはめったにない。スーパーのポイントの日を狙い、それを使って新しいフライパンと交換したりするので、味気ないと言えば味気ない暮らしを送っている。(堅実とも言えるが)
目を上げると那須の山が遠くに見え、左右に田畑が続くなかにポツンとあるコンビニに寄ったのはほかでもない。ずいぶん前になるが、『銀河鉄道999・続編』のコミックを置いてあるのを見つけ、あれからずっとその存在が気になっていたからだ。(漫画ごときに--------もったいない-------実は隠れファン)
棚を探してももう在庫が無かった。無理ないことだ。
(なぁんですぐ買わなかったんだろうか----。1年前だよねぇ、ここ来たの---。)
ぼんやりと、空になったままのマスクや消毒薬の棚を眺めていると、レジに立っている小柄なお年寄りの言葉が耳に入ってきた。働き者なのだろう、腰がほとんど直角近くまで曲がってい
て、床を見ながら歩いているかのようだ。
足元がすこしおぼつかない。ビニールのカーテンで仕切られたカウンターの向こうの孫のような年齢の店員さんと話しているらしい。
「こないだ来たけんど、あんたぁおらんかった」
「休み取ってたんです。」
「そうけ。あんたの顔見んと寂しかよ」
「はは、そうですかぁ」
「また来るけんね」「らいさま、きとるけん、わしもういくべ〜」「おっかねぇ」 (らいさま=雷様)
「気を付けて!」
このお年寄り、腰を伸ばしやおら右手を高くあげ、カウンターに下がっているビニールカーテンの、ようやく届く場所に手のひらを当てた。
向こう側の店員さんも、かがみ込んですかさず右手をその手のひらに合わせて、
パンパン、パッチパッチと叩き合ったのだ。
年齢差60歳のビニール越しのハイタッチ!
すました顔のお年寄りは自動ドアが開くのを待ち、疎水沿いに立つ開拓記念碑から山すそへ広がる部落への道をゆっくり歩き始めた。
 |
牡丹が花盛り。
切り花にして近所に配って歩いた。
この陽気に当たるとぐんなりしてしまうので、家の中にも飾る。
みんなで赤い口を開け「わはは」と大笑いしているようだ。
|
里山の暮らし511 2020.5.13

ゆるゆると自粛が解除されそうだ。図書館よ早く開いて
国の新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の期間延長を受け、栃木県も緊急事態措置を5月31日まで延長することになった。栃木県は特定警戒都道府県に指定されていない。人口は約194万人。5月9日現在感染者は56人と他府県に比較して少ない。感染経路も良くたどれているようだ。
緊急事態措置にあるものの、この数字を元に来週から徐々に自粛解除へのロードマップが示されるようになるだろう。これは栃木県人の要請に従い真面目で努力する県民性のおかげと持ち上げられているが、実は同調圧力のとても強い県なのだ。栃木、律儀ってね。
大坂人を長いことやってきた。人間距離が短く、相手の感情の部分にすぐに共感しあう関係性が普通なのだと考えていたがこの県に越してきていろいろ勉強になることがあった。
県民性を語るにはいまだ経験不足だが、特に県北のこの地方は、
1)礼儀正しい。
スーパーや郵便局、銀行などの人が集まる場所でぶつかりそうになると、「失礼」とか「あ、ごめんさない」と言った言葉が返ってくる。大坂ではそうでない場面に出会うことがあったので。
2)
他人に対するガードが堅い。他人と距離を取ろうとする。車が必須の社会で単独行動が多いからか。なかなか相手の懐に入り込めない。誠実で勤勉。堅実で真面目。
3)男女別の高校が多い。男性はシャイで真面目、女子高育ちの女性は明るくておしゃべりで活発。女社会で自己決定をしてきたから?
4)同郷人の結びつきが強い。
5)親族の関係を大切にする。
6)よそ者に対する視線が冷たいと感じることがある。これは都会で働いて退職し、田舎でのんびりしようなどと考えている人間への反発か。自然のなかでゆっくり暮らすというのは幻想にすぎない。自然との共生は日々の戦いの中にある。
ただ、この感想は相手にとっても同じこと。われわれ都会から来た人間が、どのようにこの地に入り込めるか。ひとえに「この土地への尊敬の念」を持っているかにかかっている。
知る限りの市民のこの新型コロナ感染症が入り込んでからの一番の心配は、感染しないこと、これは当然だが、ある地域での感染者の一番になりたくないということなのだ。自分が他人に移すこと、これはそののちの人間関係に大きく影響すると思っている
らしい。人間の感情としては当然のことか。
しかし、この県民性がコロナ禍において、感染予防にプラスに働けばこれは喜ばしいことだ。

新緑の中の山桜。深山ダムの堰堤から。ひとひとり会わなかった。狭い道路を登るにつれ緑の色が薄緑から若芽色に変化していく。山頂では芽吹きはまだ。裸木が並んでい
た。
深山ダムは那珂川上流に建設された農業・上水道・発電用の多目的ダム。(標高780m)
上部の沼原湿原(標高1230m)にある調整池まで揚水され、堰堤の地下に設けられた発電所で、落下エネルギーを利用して発電されている。
里山の暮らし510 2020.5.9

エクアドルの先住民に伝わる民話 --- ハチドリのひとしずく
Había una vez un incendio en el
bosque.
Todos los animales, insectos y pájaros en el bosque
corrieron por sus vidas.
Pero había un colibrí que se llamaba KURIKINDI iba
y venía botando una gota de agua en su pico al
fuego.
Cuando los animales lo vieron, comenzaron a reir,
“¿Para que sirve?”
Y KURIKINDI respondío,
“Yo estoy
haciendo lo que puedo.” |
森が燃えていました
森にすむ動物や虫や鳥たちは一目散に逃げていきました
でも、クリキンディという名のハチドリだけは
くちばしに水のしずくを一滴ずつ運んでは
森の火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをしてなにか役に立つのか?」と言って笑います。
クリキンディは答えます
「出来ることをしているだけだよ」
(拙訳) |
エクアドルの民話なので、本来、かつてインカ文明を興した先住民の言葉(ケチュア語 Quechua)で書かれているはず。シンプルで力強い言葉が、人の精神に響いてくる。
要請されるのでなく、自ら考えて実行する。
自分の意志で選び取ったものを積み重ね、やがてくる新しい世界を迎えよう。
大切なものを守るために、いまできることをする。

チンボラソ山 6310m
ハチドリ アマツバメ目ハチドリ科
種類により体重は2gから20gまででとにかくとても小さい。毎秒約55回から80回の高速ではばたき、空中でホバリングしながら花の中にクチバシを差し込み蜜を吸う。
目にもとまらぬ早業だ。人を恐れず、目の前をひゅるひゅると飛びまわって、花から花へと移動していく。
スクールバスを待つ間、ランタナの花の蜜を吸い、そのきらめく姿を見せていたことが今や懐かしい。
里山の暮らし509 2020.5.5

エクアドルの現状 -----新型コロナウイルスの蔓延状況について
若き日の思い出の国、エクアドルがいま大変な状況に陥っている。2月29日に南部海岸沿いの街の国内最大の商業都市グアヤキル市で、はじめて新型インフルエンザの感染者が出た。
初の感染者発覚から約二月。現在までの国内感染者数24,934人、死亡者数900人、致死率3.6%
(在エクアドル日本国大使館 2020.4.30 13時まで)
この数字のほかに、政府は新型コロナウイルスによる可能性のある死者数が1453人と公表しているので、その数すべてを加えると感染者の合計は26,387人、死亡者の合計は2353人、致死率は約9.6%という恐ろしいまでの数字になる。おそらく実際はこれよりもっと多いだろう。これは爆発的感染だ。
ちなみに4月30日の日本の記録は感染者数13,955人、死亡者425人。致死率は3%。
(日本の新型コロナウイルスの感染症COVID-19に対する検査が各国に比較して少なすぎるのは承知の上で。日本もこれより多い数字なのが現実だろう)
人口は日本の約1/7の国にも関わらず、可能性のある死者数を合計すると死亡者数は日本の約5.5倍。赤道直下で暑さの厳しいグアヤキルでは、崩壊しつつある医療体制の下、ご遺体の引き取りはもちろん検死が追い付かず、路上に放置されているというニュースが報じられ画像も拡散している。
経済活動はストップし、雇用も崩壊し「コロナで死ぬか、飢えて死ぬか」という非常に緊迫した状況にあると聞く。
長く植民地だった歴史を持つエクアドルは、古い土地所有制度が残り、教育も受けらない子供がいて、金持ちと貧民の格差は広がるばかり。それに人種差別が残る。経済活動は停滞したままで、治安の悪化が恐れられている。
エクアドルの皆さん、どうぞ希望を持ってください。
友人知人が住む国、大好きな国エクアドルになんとか救いの手を。
それに田辺農園の皆さん、ご無事でしょうか。https://www.ana-foods.co.jp/products/tanabe_farm/
 |
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チンボラソ山 6310m 1980.6 |
コトパクシ山 5897m 6000ccの車
産油国なので、水よりガソリンが安かった時代だった |
里山の暮らし508 2020.5.1

水芭蕉は早春の花
かの「夏の思い出」 (江間章子作詞・中田喜直作曲)の印象があまりに強すぎて、水芭蕉は夏の花だと捉えられているようだが、実は早春の花だ。
平地では染井吉野が咲く前、春彼岸の頃に満開になり、山地へ向かえばちょうど雪解けのころ、山の斜面にあるミニ雪渓の先っぽあたりから白い隙間を縫い葉を
広げ花を咲かせているのが見られる。
白と白の連弾が美しい。透明な細い水の流れが小さな音を立てている。
尾瀬はわが家から車で3時間、そこに車を置きバスに乗り換えて1時間、そして歩き-----の距離にあるのに、いまだ訪問を果たしていない。日帰りには少しきつい、でも泊るほどの遠さでもない。こんな中途半端な場所にあるせいだ。
そろそろ歌の通りの景色が広がっているのかを確かめるためにも行ってみないといけない。このままだと知らないままで人生を終わりそうだ。しかし、今年のこの状況では無理だろう。
 |
♪「夏の思い出」
江間章子作詞・中田喜直作曲
♪夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空♪
裏も表も若かったころ、合唱曲として歌ったことがある。スローで、相当肺活量があり、腹式呼吸でないと歌えない。難しい曲だ。 |
昨日、近所のご夫婦が庭の花見にいらっしゃった。我々は家の中から手を振る、あちらは庭をぐるぐる散策しながらやはり手を振ってくださる。お土産のチューリップの花束は、門柱の上に置いておいて「どうぞお持ち帰りを〜」。
私は相変わらず草取り機モードのまま。次第に草取りハイになってあそこもここもと欲張るが、敵はしたたかで、こんなに努力しても今まで勝ったためしがない。
どこへも出かけないので、庭はかつてなかったほど整理整頓ができていて綺麗だ。なのに----。
相棒は「仕事があるのは良いことだ」などとうそぶきつつ、タイヤ交換、ログの屋根修理、レンガ敷きの通路の目地をケルヒャー(高水圧洗浄機)を使って掃除。そのあとモルタルを練って目地を埋める。----こんな仕事をしている。
今日、用があることは幸いかな。きっと明日もまた仕事がいっぱいの日だろう。
* 椎名誠風に言えば「すまぬすまぬ、今夜もタラの芽づくしだ」。
里山の暮らし507 2020.4.27

一年生きてきた甲斐があった、と言う
夕方、庭仕事が一段落したので、家の周囲をひとめぐりしてきた。
収穫できたのは画像にある通り。
今夜は初物の精進揚げにしよう、てんぷら粉を溶くのに出汁を使ってみようか、夏大根が手に入ったので、下ろすとおいしいだろうな。その前に大根の朝漬けを作っておこう。
一年に一度だけ----あ----次のタラの芽が出ているからあと2回ほどあるかもしれない、春の恵みのお祭りが。
こんなおいしい思いをして、コロナ禍のなか医療従事者の皆さんや、社会インフラを動かすために働いてくださっている皆さんに申し訳ない。
せめて今いるところで日々の義務を果たし、機嫌よく、他人への思いやりを忘れないでおこうと殊勝にも考える。ソーシャルディスタンスを取りながら、友人知人とマスク越しに怒鳴るように話すとき、以前よりずっと相手を大事な存在だと思えてくる。

近くの道路でクマが目撃された。体長約1メートル。
冬眠から目覚める今の季節に一頭でいるのは、たぶん雄。雌は子連れで出てくるからよけいに怖い。
里山の暮らし506 2020.4.23

ツェルマット観光局長
からメッセージが届いた。
As
a sign of hope, the Matterhorn is illuminated daily. 2020.4.15

『スイスでコロナウイルス危機が発生して以来、スイスの象徴的な山であるマッターホルンに毎晩様々なシンボルが投影されてきました。ツェルマットは、この照明が希望の象徴であることを望んでいます。ツェルマット村は連帯を示しており、現在苦しんでいるすべての人々と、危機を克服するのを手伝ってくれているすべての人々に感謝しています。
Switzerland and Japan
have maintained a close exchange for many decades. With Myoko
and Fujikawaguchiko, Zermatt has two sister cities in the land
of the rising sun. We greet our Japanese friends, partners and
guests and send them a sign of hope and strength to overcome
this unusual and difficult time.
スイスと日本は、何十年もの間、緊密な交流と友情を維持してきました。
妙高市と富士河口湖市と共に、ツェルマットは日の出の国に2つの姉妹都市を持っています。私たちは日本人の友人、パートナー、ゲストに対し、この異常で困難な時期を乗り越える為の希望と強さのしるしを送ります。
(グリンデルワルト日本語観光案内所からのお知らせからの転載)
里山の暮らし505 2020.4.19

春の雪が降る ----- 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
にりん草すみれかたくり春りんどうおとなしやかな春のことぶれ
里山の暮らし504 2020.4.14

クレソンを探しに
アブラナ科の多年草 フランス語のCressonから 和名はオランダガラシ
住宅地の林を抜けると、西北の方向に「高原山・たかはらやま」のなだらかな山容を望むことが出来る。
標高は1795mで思ったよりも高い。
夏は南からの湿った風を受けすそ野に雨を降らせて田畑を潤し、冬は会津からの雪をさえぎって晴天をもたらしてくれる那須野が原にとって大事な山だ。
その中腹から湧き出るのが、日本名水百選で第一位に選ばれた尚仁沢湧水。水温は四季を通じて11℃前後を保ち、冬でも凍らない清冽な流れから沢霧が立ち上る風景で知られている。
高原山の頂から南西に広がるすそ野は、春の明るい陽を受けてものみな輝いていた。山桜、枝垂れ桜、散り初めた染井吉野、その下に咲き誇る菜の花の黄色い群れ。土手に生えるムスカリの紫に呼応してあでやかだ。
珍しく関東タンポポが、ロゼットの形をしたままの緑の葉の間から黄色い花茎を伸ばしていた。
この名水が流れ落ちてくる場所がいくつかあって、今日はその水を汲みがてら、今の季節から芽吹いてくるクレソンを
摘みに出かけてきた。
家を出てから帰宅するまで、ほとんど人に会わなかった。これが不要不急の外出の言い訳になるかどうか。
それは我々の良心の大きさによるかもしれない。
 |
長靴、手袋、収穫したクレソンを入れる袋と、前の日から準備に抜かりはない。
右の、小石にせき止められて浮いている丸い葉がクレソン、その左はネコノメソウ・猫の目草。
「マムシに注意」という看板が立っているので、おそるおそる流れに足を入れる。深さは5センチ。
|
 |
右がクレソン、左はセリ・芹。
どちらもさっと湯通しして、胡麻和えにした。
|
こんな田舎に住んでいると、どこへも出かけない日、誰とも会わない日がある。出会うのはただ、相棒のみ。
「人間との接触を8割削減せよ」とのお達しを、そのまま当てはめるとどうなるのか。
0.2人の相棒とはこれはいかに? 2割の相棒だって、結構手間がかかる存在ではあるが。
里山の暮らし503 2020.4.10

今年もラビリンスに迷う春
地獄の門が開いたようだ。
スミレの弁別は、桜(ソメイヨシノ)の開花時期を基準に行うといいらしい。
しか難しい。ため息が出る。
ほとんど進歩が無かったことを自分に言い聞かせるために、以下の記録は昨年の日記をそのままコピーしたものなのであります。
***** ***** ***** ***** *****
***** ***** *****
コスミレは、春一番に咲くスミレ。
枯れ葉のなかから顔を出す。 |
 |
コスミレ |
日本に自生するスミレ科スミレ属は約60種類(多年生草本)。ただし、交雑種や亜種、変種、新たに作出された園芸用品種もありその数は確定できない。
尊敬する植物写真家・いがりまさし氏の図鑑『日本のスミレ』(山と渓谷社)に、日本で見られるスミレの種類は200種以上とある。相当な数だ。
植物の「絶対弁別感」に恵まれない私には、その弁別、同定は難しく、春になるのは嬉しいけれども弁別に頭を悩ます季節がきた・・・そういう時はただうなだれるばかり。
植物仲間がスミレを見て言うことに、「あ・・・ぁ。スミレか・・・・。」
一瞬のうちにスミレの弁別=ややこしく、まるで地獄をさまよっている気分になることを想像するらしい。
この状態を「スミレ地獄に墜ちた」と呼ぶ。 同感できる。
観察し弁別するのは今の季節しかできないのに、種の同定をするのはまことに難しい。
地上茎の有無、花びらの様子や色、その他のこまごまとした特徴を総合して見分けようとするのだが、独学の悲しさ、進みは春の入り日のように遅く、反して時の流れはいたずらに早い。 あっという間に季節は進んでいく。
なんとか努力し続け、身近に咲いているスミレの名前を同定できるようになったものの、その数はわずかに20種たらず。
それが以下のスミレたち。 正しいと信じたいが、正直自信がない。
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アカネスミレ |
アケボノスミレ |
アオイスミレ |
アリアケスミレ |
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フモトスミレ |
ヒナスミレ |
エイザンスミレ |
ヒカゲスミレ |
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マルバスミレ |
コスミレ |
マルバスミレ |
ナガハシスミレ |
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ニオイタチツボスミレ |
ノジスミレ |
スミレ |
サクラスミレ |
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タチツボスミレ |
スミレ |
ツボスミレ |
ウスバスミレ |
ちなみに、上の写真はすべてコンパクトデジカメを使って撮ったもの。
写真家たちが使う一眼レフカメラが欲しいと思いつつも手が出ず、ここまで来てしまった。
もっとも写真のプロたちは、交換レンズが次々に欲しくなるらしい。
その病状を「カメラ沼にはまった」と言うから、地獄を撮るのには沼に落ちないといけないということだろう。
里山の暮らし502 2020.4.5

四角形の一辺を
今朝、雪の残るなか図書館へ。ひょっとして閉館したら困るよね、とめいめい15冊借りてきた。DVDの『空海』も手に入ったので、これは今度の雨
の日のお楽しみ。
カットに行って3週間になる。前髪がうっとうしくなってきたので、ハサミを取り出し座り込んで梳いていたら、梳いていた手が止まらずに切り過ぎてしまった。これでは昭和の小学生のようではないか。NHKの永遠の5歳児チコちゃんにそっくりになってしまった。まあ、仕方ない。帽子を被ってごまかすしかない。
図書館で本を借り、スーパーで食料品を買い、ローソンでフスマパンを買う。薬屋さんでコロナ対策になりそうなものを探す。こんな四角形をなぞりながら生きているのだから、前髪の短いことなど何のその。とはいえ我が短慮に呆れる。
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裏庭の巣箱にシジュウカラが巣作りを始めた。直径25ミリの入り口から、身を絞り出すようにして飛び立っていく。巣材を集めているようだ。 |
塩原温泉入り口の道の駅で、地元産のキィウィを買う。
20個で200円。これでビタミン補給は万全だ。
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里山の暮らし501 2020.4.1

ウィルスとは何者?
敵を知るために、まず調べてみた。
【ウイルス(ラテン語:
virus)は、他生物の細胞を利用して自己を複製させる、極微小な感染性の構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸から成る。生命の最小単位である細胞やその生体膜である細胞膜も持たないので小器官がなく自己増殖することがないので、非生物とされることもある。】
(by Wikipedia)←方法が安直すぎるぞと影の声
【細菌よりも非常に小さな病原体で、細胞に寄生して増殖する。生物と無生物の中間的存在と言われる】
(電子辞書より。この方が素人には分かり易い。病原体という表現がクセモノ)
ウィルスは30億年前に地球上に出現し、生物の進化とともにウィルス自身も進化してきた。たとえばヒトの遺伝子配列の約4割はウィルスに関連したもので、ヒトの進化を推進した跡ではないかと言われているらしい。
ウィルスはあらゆる生物に寄生している。ヒトや家畜などの動物、野菜やたばこなどの植物、ミツバチなどの昆虫と共生関係にあり、細菌に感染するウィルスとしては5000種以上
あるようだ。
それに海。海には膨大な数のウィルスが存在しているとあった。
地球上に最も多く存在する生命体?がウィルスなのだ。
興味深いことに、ウィルスは細胞として存在していない。自己増殖はできないが遺伝子を持っているので「生物と無生物」の中間的存在だということらしい。他者に感染することによって病原体として働き、感染相手(宿主)の恒常性に影響を及ぼすことがある。野生動物と平和共存しているウィルスがヒトで進化し宿主としての人間を脅かす。つまり今回喧伝されている新型コロナウイルスはこれに当たろうか。
日本は戦争も飢饉も知らない時代が長く続いた。想像力が欠如しているわけではないのに、現状を非常事態だと捉えられない人間がたくさんいるようだ。外出自粛を要請されても、「家にいるのに飽きちゃって」と言いつつ繁華街に出没する若者の多いこと。
こんなに騒然とした世界を経験したことが無い。もともと「人間が、ある状況に置かれた時にどう動くのか」に興味がある。貴重な体験の日々を過ごしていることを覚えておこう。よく見ておこう。
非常時に人間がどのように行動するのか、どのような醜い行動を取ることがあるのか、美しい性質を顕わにし他人を思いやることが出来るのか、自己犠牲を自身に強い他者と助け合うことが出来るのか、そしてこの事態が収束したのちに来る「日本」はどのような姿を持って目の前に広がるのか。
記録を残そう。経験したことをのちの世の人たちに語り継ごう。
こんなことを考える春。桜まであと5日。

早生、中生とりどりにラッパ水仙が咲いて。こんな朝があるだけで生きている価値がある。
チューリップ、庭梅、連翹が新しく花を開いた。春は忙しい。(3.25)

ところが明けて日曜日の朝、雪だ。どんどん降ってくる。下敷きになっている水仙は、どうしているだろう。
今日は「里山の暮らし 500番」。
里山の暮らし500 2020.3.29

続けて財布を拾った
これは何かの前兆だろうか、この数日の間に、二度も他人の財布を拾う羽目になった。
まず近くのスーパーで。
荷物台で箱に詰めていた時、隣の人が立ち去ったあとを見ると、台の上に財布がポツンと置いてある。持ち主はまだ駐車場にいるかもしれない。咄嗟に「財布が残ってましたぁ」と店の人に見せ、急いで駐車場に走っていった。「財布がありましたよ」と大声で叫んでみても誰からも申し出がない。あとは店の人に頼んで、帰宅。
二度目は、市内のやや大きなスーパーで。
入り口を入ると、使用済みのカートに手提げバッグがぶら下っているのに出くわした。トートバッグなので外から財布が丸見えだ。ガラガラとカートごとカウンターへ行き、「これが残っていました。」と申告しあとはお任せする。
他人の財布を、善意からとはいえ手にしている時は、胸が逆巻きアドレナリンが出る。
思えば25年前も、万札で膨らんだ財布を続けて拾ったことがあった。
・一度目はタクシーの中で(これは運転手に渡す)。
・二度目は早朝駅前のスナックの前で(スナックに入って聞いたら、ママがあ、それ私の)(本当か?)
・お釣りをもらい過ぎたのを申告する、などはしばしば。
やはり25年前の同じころ、幼児の命を救ったこともあった。それも三度続けて。
・よちよち歩きの幼児が、家を飛び出して踏切のなかにいた。
・同じくよちよち歩きの女の子が、トラックがずんずん通る大通りの真ん中にいた。
・赤ちゃんを乗せた自転車がバランスを崩し、トラックに倒れ掛かるところを助けた。
こうしてみると他人の「念」を受け止めているような気がしてくる。
いい春になりますように。

塩原の道の駅「湯の香塩原」の駐車場の河津桜が見頃。
桜は咲いたが、彼岸明けの今日は朝から風の花が舞っている。
相棒はデッキにバフかけをして、ペンキ塗り。
ガンバレ! ハックルベリー・フィン!
里山の暮らし499 2020.3.24

エクアドルのバナナ----田辺農園のバナナのお話
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普段はフィリッピン産を買い、ちょっといい日は台湾産を。
贅沢する日はこの田辺農園のバナナを、と財布の中身を使い分けている。
那須ではこのバナナはローソンとヨークベニマルでしか売られていない。
自然循環型農法で栽培したバナナを手折ると、中からこっくりした味の、糖度と酸味がほどよく調和した果肉が現れる。
産地は南米のエクアドル。
首都キトからアンデス山脈を西に下っていき、サントドミンゴの郊外ケベドにその農園がある。標高は300mくらいか。
左 スーパーで売られていたバナナの包装に印刷されていた田辺さんご兄弟 |
農園主の田辺正裕さんは、自然にも人にも優しいバナナを生産したいと水や土にこだわり続けている。
そのためには肥料が大切だと考え、規格外のバナナをミミズに食べさせて排泄物を利用し、バナナの茎やおがくずにはEM菌(有用微生物群)を振りかけて発酵させた堆肥も作っている。農薬もできる限り自然に還るものを使っているようだ。
さらにできるだけ自然のなかで育てたいと、地形を生かした農園を今も広げつつある。写真で見ると農園は畑というよりもほとんどバナナの林だ。高低差があり、細い川が流れている。バナナのために井戸を掘り、地下水をくみ上げ、バナナに与える、まるで我が子を育てるように。
収穫後はオゾン殺菌した水で数回洗浄し、安全性へ徹底してこだわり、周囲の環境にも配慮しているのがいかにも日本人らし い。
そう聞くと残された黄色い皮さえありがたく思う。我が家もこの皮を堆肥に利用しよう。
はるばる日本にやってきた日本人の育てたバナナ。
おいしく頂く時、あのサントドミンゴの湿気で霞んだ空を思い出す。
(実はこの田辺さんご一家は、私の母方の遠い親戚にあたります。40年近く前、サントドミンゴの郊外のお宅に泊めていただいた思い出もあるのです。
お邪魔する前に、エスメラルダスの海で釣りあげた大エビと新鮮な魚をお土産にしました。
電気が来ていないので、発電機を回しての夕食のにぎやかだったこと!
発電機を止めると、あたりは漆黒の闇。その静かさと言ったら、かつて経験したことのないほどでした。
田辺さんの努力を惜しまぬパイオニア精神が、ほんの少し私の中に流れていると信じていたい。)
里山の暮らし498 2020.3.20

東日本大震災の日には
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一年に一度、緊急用物資の備蓄の質・量を確認することにしている。
11日には朝からラジオ、その他を並べてチェックしていった。
テスターを使って電池の残量を確認し、残り少ないのはまとめてごみに出す。
今朝は雪のなか、ホームセンターまで出かけて調達してきた。
トイレ紙やキッチンペーパー、アルコール消毒薬など、一人で一つ、家族で一つなどという制限はあるものの、紙類は普通に出回っている。
「ない時は焦るけど、こうやって並んでいると、あまり欲しいと思わないのはなぜでしょうね」などとお店の人と話して帰る。
あのパニックは何だったのだろう。
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里山の暮らし497 2020.3.14

♪夢の中へ 夢の中へ ♪ -----入れ子構造の夢を見た
≪【午前5時50分、錘がいくつも体にぶら下がっているような気がする、ああねむい。身体を布団から引きはがし、よろよろと台所に立つ。寝ぼけまなこで朝食の支度をする。相棒は低血圧なのか、それとも仕事で頭がいっぱいなのか、ほんのひと口ふたくち食べただけなのに緊張の面持ちで出勤して行った。今日も事故がありませんように。
子供の弁当箱2つにあれこれ詰め込み、きゅっきゅっと大判ハンカチで包み、さあできあがり。朝よ〜。】
ようやくここで目が覚めた。
5時53分。ほんの2、3分だけど、起きたつもりでどうやらまた眠ってしまったらしい。虹が消えていくほどの短い間にこれからすべき仕事の夢を見ていた。やれやれ、起きなおして、夢の中ではすでに終わっている仕事にこれから手を付けないといけない。≫
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そして今。
春の朝は眠いものと決まっている。どれだけ寝てもいい状況なのに≪ ≫の間の夢を見てしまった。
夢の中の夢の中の夢のなかで、朝食を準備する、お弁当を作る---何という入れ子構造の夢か。
眠くても寝ていられない若いころの朝を夢に見た。
夜遅く布団に入り、三つ数えなくても眠り、五つ数えたら朝だった。
睡眠に飢えていた若いころの私に、いまの時間を分けてやって
「いつかたっぷり眠れるから」と教えてやりたい。
← マトリョーシカ
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里山の暮らし496 2020.3.9

よく見ておこう --
今起きていることを
「マスクが無い、トイレットペーパーが無い、箱ティッシュが無い」。こんな田舎にすんでいても買い占めによる物不足の洗礼を受けている。
これはいつか来た道。50年前のオイルショックの日々に見た光景によく似ている。風評に惑わされ、正しく判断ができなくなっているのはなぜだろうか。いや違う。判断はできても、愚かな行動に歯止めをかけるのは難しい。
元凶は将来に対する不安にあるのだから
阪神淡路大震災と東日本大震災の二つを経験したことから、自分の暮らしを守るためにも常に日用品の備蓄を心がけているので、我が家には影響は無い
。
しかし偶然に見つけた「不足していたその物」を目の前にすると、理解できない衝動に突き動かされるように、手を伸ばしてしまいそうになる自分がどうにも恥ずかしい。
コロナウィルスが日本国内に潜入して二か月余りになる。
今起きていることを、のちの日々のために目を凝らして見ておこう。感染から肺炎発症までの病状を知っておこう、これはパンデミックなのか、どのくらいの感染力があるのか。世間はどう動くのか、医療関係の識者はどう語るのか。
(実は「人間が、ある状況に置かれた時にどう動くのか」に興味がある)
夏のオリンピック開催に向けて、万全の防御態勢を敷こうとする政府の一方的な動き方が気になる。メディアが偏った報道をしているのではないか-------ある方向を向いた報道の裏には、報道なされない世界の重要なニュースがある。
新型コロナウィルスの行方は気になる。だからこそ、それ以外のニュースも見逃さないでおこう。目を逸らされていることを意識しておこう。
さらに、心を引き締め身近にある危険を---たとえば季節性のインフルエンザ、ノロウィルス、転倒、交通事故、発作性の病気への心身の備えを怠らないでおこう。こんなことを考えている弥生の月のはじまり。
啓蟄は過ぎた。温室のポピーも定植した。あとは春を待つばかりだ。どうやらお弁当を持って近場でのお花見が唯一の楽しみという春になりそうだ。
この雲、五芒星に似ていない?瑞兆かも?
里山の暮らし495 2020.3.4

残念なことに
そろそろ本物の栃木人になりたい。栃木をもっと知りたいとの思いが募り、一年ほど前から郷土史講座を受け、那須を舞台とした文学作品への理解を深めようと努力してきた。昨年秋の文学講座を通して特に芭蕉の『奥の細道』における那須の位置について詳しく知りえたことは大きな収穫だった。
この冬は石ぐら会(那須野が原博物館支援団体学校支援ボランティア)主催の「那須野が原入門講座」に相棒と二人揃って申し込み、主に明治以降の那須のが原開拓の歴史を学ぶことにしていた。
1回目 那須開墾者の移住人
2回目 大山と西郷----大山巌と西郷従道が拓いた加治屋開墾場
3回目 肇耕社から三島農場へ
4回目 ヨーロッパ貴族にあこがれた青木農場
5回目 那須野が原開拓と石ぐら会の活動
ところが、2回目まで受講した日、コロナウイルスが影響し以後の講座は中止しますという宣言がなされた。教室は何ともいえないどよめきに満ち
る----当然かもしれない。こういう講座を受講するのは高齢者が主だし、不要不急と言われればそれまで。たしかに不急ではあるけれど、不要ではないのに。残念。
那須野が原は、那須連山を中心とする山岳地から緩やかに南西に広がる扇状地で、標高は150 -
500m程度。「那須野ヶ原台地」と呼ばれることもある。我が家はその扇状地の中腹の水持ちが極端に悪い場所にある。近くには熊川や蛇尾川が流れているが、常は枯れ川の状態にある。
この地は農地には適しない地域で、江戸末期までは集落さえ見当たらないほどの広々とした「原野」だった。明治の世になって、政府の殖産興業政策により、1885年(明治18年)に日本三大疏水のうちのひとつ「那須疏水」が開かれ、那珂川の上流から水が運ばれるようになったことが開拓を進める大きなきっかけとなった。
政府主導の開拓により、広大な土地を払い下げられた政府の要人が、相次いでこの那須野ヶ原に農場を持っていたこともこの開拓事業に大きな影響を与えた。特に松方正義が「那須の原野は欧風の牧畜業に適している」と開拓を先導したことが、現在の牧畜、畑作、稲作を中心とした那須の農業に大きな影響を与えた。】
ここら辺まで学んだところだったのに。
次の講座開講はいつになるか。秋になるかもしれない。それまで相棒と二人、現地調査に出かけてみよう。

里山の暮らし494 2020.2.25

わらしべ長者のように -----映画入場券のその後
さて、くだんの映画入場券2枚は、映画の好きな友人に封書にして送り届けた。そもそもその封筒に貼った切手は、その友人からの年賀状で当たった切手シートのものだったが。
その友人からお礼にと届いたのは、たくさんの干し柿。
その干し柿を、お隣の干し柿好きさんにおすそ分けしたら、届いたのはお手製の牡丹餅。
かくて田舎の暮らしは、「モノ」が回りまわって潤滑油となる。
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雉が庭を歩いている。
餌場からこぼれ落ちたヒマワリの種を狙っているらしい。
これは雄・♂。
雉料理は超一流の日本料理だと聞いたが、この鳥を食べるなんて、なんと暴力的な! |
ガビチョウ(画眉鳥)が、狭い水飲み場に身体を入れて水浴びをしていた。
ばさばさばさばさ、当たりかまわず水を蹴散らして、水遊びに夢中のようだ。上空から狙っているカラスなど目に入らないらしい。 |
里山の暮らし493 2020.2.18
二発二中 また当たってしまった
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マイナス5℃の冷気を突いて暗い中配達されるのは、マイナーな「日本経済新聞」。
経済や地勢に詳しく、芸術欄が充実しているからだ。
朝日新聞の取り扱い店経由なので、毎週土曜日に、見開き2枚、計4枚の地域新聞「とちぎ朝日」が挟み込まれてくる。 |
この地域新聞には県内の映画、美術展、音楽会などをはじめ、さまざまなイベントのお知らせがなされていて、地元の行事を知るのに好都合なのだ。
そのなかに「購読者プレゼント」の欄があって、音楽会の入場券、日帰り温泉券、名物のお菓子、映画の鑑賞券をプレゼントします、というちょっと嬉しいお知らせもある。
映画鑑賞券プレゼントにふらっと応募したのが、去年の10月。当たった。
その時は相棒とふたりで----なかなか面白かったけど悲しい。今その題が思い出せない。-----最新のシネマコンプレックスの大きな椅子の座り心地を試してみた。
ついでこの1月、ふらっと応募してみたら、またまた当たってしまった。
ところが困ったことに今見たい映画などない。「寅さん」か「キャッツ」か。「Fukushima50」は3月放映開始だから有効期限が切れてしまう。
もちろん相棒がこんな映画にOKを出す訳ないので、いったいこの2枚の切符をどうしたものかと思案中。いったいだれに貰ってもらおうか。
思え返せば、この「ふらっと応募する」ことが2、3年に一度あって、いろいろなものを当ててきた。
住宅展示場で、間取りへの感想や接客態度を誉めてステーキ肉4枚。
イタリア製圧力鍋ラゴスティーナ(定価4万円)を使ったレシピを考え出して書き、当たった。
季刊の高級ガーデン雑誌が発行されると同時に買い求め、すぐさま応募はがきに庭に対する意見を書いて、ロイヤルコペンハーゲンのお茶セットが当たった。
こう使うと便利だろうという意見を書き添えて、簡易ミニ温室が当たった。
別にクジ運が良いわけではなくて、相手側がこのプレゼントにどういう意見を寄せてほしいか、を想像して文章を書くこと
------相手の役に立つような内容にしようと工夫しているだけなのに。編集者の手間を省くために、応募券をなるべく早く送り届ける、が、どうやらコツのようだ。(???)
今回ミニ新聞社あてに書いたのは、記事への印象とこうして欲しいという読者の望み。全肯定と少しの否定意見の組み合わせ。
今年の年賀状も、切手セットが思いのほかたくさん当たった。
ほんの少ししかない「運」をこんなところで使い果たしているような気がする。
いいのかなぁ。
里山の暮らし492 2020.2.11
真冬日
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せっかく咲いた福寿草が縮こまっている。 |
水仙の花芽も伸びてきたのに。 |
なんだか今朝はうすら寒いと思いながら起きだしたのが、いつものように午前6時15分。この時の外気温はマイナス4℃だった。
寒いね---とふたりストーブの前で着替えをする。私は洗濯しながら新聞を読み朝食の食器を並べ、相棒は並んだ食器を前にルーティンの朝食づくりに取りかかる。メニューはこの10年変わらないので、包丁さばきも慣れたものだ。
外の仕事ができないので、そのあとは図書館、ホームセンター、産直のお店の三角巡りに出かけた。
司書さんと「こんなに本を借りて帰ると、家の仕事がおろそかになるのよね。あなたもそうですか。分かります〜」なんて会話を交わし、30冊の本を借りてくる。
相棒のお気に入りの場所・ホームセンターでこまごまとした工作用の捻子などを買い込み、産直のお店で15個250円の
小さいキィウィ、原木シイタケ1袋10個入り250円を買い求める。
昼食は麻婆どんぶり+ニラのチジミ+干した大根を戻して三杯酢に漬けたもの、セロリのおかか和え、それに風邪予防のためにキィウイを一つずつ。原木シイタケはざるに並べて干ししいたけに
するつもり。
気温が上がってこない。午後の時点でマイナス2℃。真冬日だ。
ついでに、夕食は。
めばちマグロ(あの安いの)に下味をつけて寝かせてあるのをフリッターに+ワサビ菜+辛み大根
寒のほうれん草のお浸しにカニカマを少し混ぜ込む
オクラのぬるぬる和え+糸海苔
生シイタケと那須の長ネギのお味噌汁
ちび納豆
あとは何かな---。 |
里山の暮らし491 2020.2.6
ダイコンイカ
寒風にさらすと大根がおいしくなる。ただし青首大根の味が一番のようだ。
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風に吹かれ、ふらふら揺れながら回っている大根。
ダイオウイカに見える?
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「おでん大根」を使って。
上は棒状にして干したもの。下はいちょう切りにして干したもの。この後は水に戻して三杯酢に漬ける。
カリカリして乙な味。 |
里山の暮らし490 2020.2.1
よく来たね ここはいつも開いている動物園
オオハクチョウ カモ目カモ科ハクチョウ属(2020.1.26 半田沼で)
こちらに越してきて一番驚いたのが、白鳥がごく身近にいることだった。
沼の近くのあぜ道を歩いていると「コーコー」と冬の空に響く鳴き声が聞こえ、見上げると白鳥が群れている。
ここは北の国だと感慨を覚える一瞬だ。遠くには雪をかぶった那須の山々が見える。今年は雪が少ないようだ。
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ロシアから北海道を経由して、延々と3000キロ飛んできた二組のオオハクチョウの親子。
頭と首がやや灰色ががって見えるのが、去年の夏ロシア北東部で生まれた子供で、いつも二羽の親がそばにいて見守っている。
この時期にしては雛の成長が早いようだ。暖冬の影響で餌が豊富なのかもしれない。
ハクチョウは家族愛が強く、夫婦は一生連れ添うと言われている。
後ろは、オナガガモ、キンクロハジロ、コガモ。
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日本まで飛んできて、この沼で冬を越せる。一安心だな。
白鳥さんのように子育てに一年以上かからなくて、子供たちははやばやと独立してくれたしね。
こんなふうに日だまりに並んでゆっくり出来るのも、夏に二人で頑張ったおかげだよ。
背中があったかいなぁ。(左♂)
沼の水が揺れ、背中の星屑の模様が光っていて素敵ですよ。(右♀)
ホシハジロのつがい 星羽白
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3月末までこの沼で越冬するハクチョウたちは、北へ帰る時期が近づくと、餌の量を減らしダイエットに励み、長旅に備えて筋肉トレーニングを始める。一時北海道で
集結し、その後生まれ育ったロシアへと旅立つ。
里山の暮らし489 2020.1.28
畝雲を見た朝
井の中の蛙大海を知らず、されど高い空を見る

薄くかぶさった霧状の大気が晴れあがった朝7時。西北の方向から「うねぐも」が流れてきた。洗濯板のようでもあり、だれかが抽出機で雲を押し出したようにも見える。
今朝の気温はマイナス6℃だった。これはこの冬最低の記録だ。畝雲が現れたのはそのせいなのだろう。
夕方日が傾いて気温が下がる------層雲ができる------夜になると放射冷却で層雲の上部が冷える------層雲の上部と下部との間に温度差ができる-------層雲のなかに対流が起きる-----層雲が上方向に発達して層積雲に
なる------層積雲の中で対流ができ、積雲が発生する------大気の安定層にぶつかってのび上がる-----達磨落としのように押し出され季節風に乗って順に流れてくる。 (聞き書き)
地震雲ともすこし違う。つぎつぎに現れてくる雲は、次第に薄い雲の広がりに変化し、空を覆ってしまった。
今日は寒い日になりそうだ。
里山の暮らし488 2020.1.22
初めてユニクロに行った---ICタグが付いている下着を買った---初めてづくしだ
これが裸にしたICチップ
寒に入って特に寒がる相棒のために、極暖ヒートテックを買いに近くの街へ出かけてきた。なんとユニクロデビューだ!
大きなバスケットに下着を入れ、リーダーの役目をするらしい箱の中に入れると、スポンと値段を含めた一覧リストが表示された。
驚いた。かねてICチップの存在を知ってはいたが、目の前にこんなものを見せられると、時代の変化に今まで遅れていたような気持になる。
何しろ好奇心の強いワタシ、タグを一晩水に漬け、チップを取り出してみた。薄いステンレスの箔が埋め込まれている。この一風変わった形状のチップから微量な電波が発射されていると聞いている。小さくて薄くコストもあまりかからないことから、以前から導入されていたらしい。なにしろ初めてユニクロに行ったので、見たことがなかったのだ。
これは便利なようで、ひょっとしたら使い道を誤ると危険なものかもしれない、と一瞬どんな田舎の不便な場所にも、密度濃く監視カメラが設置されている中国の現状が頭をよぎった。
購買者の行動を追跡できるかもしれないし、この小さいチップを利用してプライバシーを侵略することもできるかもしれない。白日夢のような、ユニクロでの出来事だった。
里山の暮らし487 2020.1.16
西の空に
2020.1.11 17:03
朝の気温がマイナス5℃。寒い一日だった。
夕方、まだ周囲は薄闇みの中だが、冷気を入れないように早めにシャッターを下ろす。
西の空に「宵の明星」が輝いていた。
* 天上に風のあるらし金いろのささめき止まず一番のほし
里山の暮らし486 2020.1.12
もう少し聞かせてください。
那須どりモモ小間割引50%136円、缶チューハイ119円計203円のレシート。
借りてきた本の中にレシートが挟まっていた。栞がわりに使ったのだろう。その小片の裏に判読しにくい字でこう書かれていた。
「理解するためにはその所々の重要な部分にある、わざと難しくしている、書いている部分に気づき、自分なりの解答を得るのが、学問をする、理解するを分かってきてから学ぶ事がおもしろくなってきた。」
(原文ママ)
夕方に買ってその夜焼き鳥でも作ったのか、書いたのは若者なのかあるいはもっと高齢者なのか。どんな暮らしをしているのだろう、この本を読んでこれ以上の感慨を持つことがあったのか、そんなことを親しく聞いてみたい気がする。
間接的かつ一方的な読書会?を開いた午後だった。
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『男の肖像』塩野七生 文芸春秋社 1996年7月刊
やや刊行年をさかのぼるが、ローマ帝国興亡史を描く『ローマ人の物語』で知られる塩野七生さんの著作。ペリクレス、アレクサンダー大王、カエサル、北条時宗、織田信長、西郷隆盛など世界の歴史を左右した不世出の英雄たちを著者の好悪で一刀両断し、その魅力を採点する。
塩野七生その人の精神世界を理解するのに役に立つ本だった。
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里山の暮らし485 2020.1.6
明けましておめでとうございます
---- 39年前のおおつごもりと元日は
1980年12月31日朝まだき。やや興奮気味に目を覚ました。
周囲をアンデスの山に囲まれた街・キトはいつものように晴れ渡っていて、町の喧騒はいまだ山の手にある我々のアパートにまで届いていない。ゆるゆると低地から上がってくる朝霧が巻くなか、放牧されている牛が周囲の草地を歩きまわっているのが見える。
今日は、アルゼンチンへの旅の始まりの日。滞在10ケ月で何とか日常会話をあやつることが出来るようになったが、タクシーの運転手というこの敵は、なかなか手ごわい。いかつい顔の運転手と空港までの料金を交渉し、なんとか思い通りの値段に下げさせることに成功した。
かつて知ったる空港はざわめいている。出国管理は適当に済ませ、重いバッグを持ち、歩いて駐機している飛行機に向かった。
カンカンカンカン。蒼い空に響く音を立てながらタラップを上り、指定された座席に座って待っていても、ほかの客が乗機してくる気配がない。
おかしい。でもステップは固定されていて機体のドアは開いているしなぁ---。
そこへ飛行機会社の係員がやってきて、「この飛行機はペルー行きです。あなた達が乗るのは、向こうの飛行機ですよ」と言うではないか。
さて降りよう。こうやって旅は始まった。
夜遅く着いたブエノス・アイレスの街は一面、雪景色にも似た光景が広がっていた。かの国では、仕事納めの12月31日に、林立するビルの窓から、その年に使った書類・電話帳・様々な領収書などを道路に投げ捨てるという風習があるのを知ったのは、もっと後のこと。
大小さまざまな紙が空を舞い落ちる。その年の厄災?を紙に乗せて捨てるのか、見ている我々も次第に今年の思う通りにならなかったあれこれを振り捨てているような気分に陥った。
ところが、仕事納めのその日は、せっかく5月広場に近く7月9日通りに面した繁華街のホテルに宿泊したはずなのに、レストランはクローズしていて食事
ができない。おまけに40年前には自販機などあろうはずもない。とり残されたわれわれ4人は、機内食を1980年最後の食事とするしかなかった。
「水腹も一時かって?」。いやいや水道の水をそのまま飲めるわけがないしね。外に出るには遅すぎるし、そもそも危険なことだ。
「おなかが空いたねぇ、のど渇いたなぁ」と言いつつベッドに潜り込み、ひたすら朝が来るのを待ったのでした。なんと危機管理の無い、若さのなせる振る舞いだったか!
1981年1月1日。
ようやくありついた朝食の美味だったこと。空腹は最良のソースだ!と叫びたくなるくらいだ。
その後、朝食のパンをどっさり持って近くの公園に行き、群がる鳩にばら撒いてやった----おなかが空いては飛ぶにも飛べないよね。その証拠にクークーと鳴いていたぞ、鳩たちは。
クークーは空腹のクーなんだよねきっと。----とどこまで行ってもあほなこと。
いまでこそ、すばっしっこさが衰えてきたものの、当時の若さで何ができたかと言えば。
群がる鳩を両手ではっしと捕まえ、抱きかかえて子供たちに触らせたことかな。
待望の朝食のあと、ラ・プラタ川添いにドライブし、ボカ地区のカミニートを見学したのち、19世紀中ごろに牛肉の輸出で外貨を稼ぎ、国力が最高だった当時の贅を尽くして建設されたコロン劇場の見学に回った。
パタゴニア地方のサンカルロス デ
バリローチェはスイスからの移民によって建設された町。アンデスの山に囲まれて氷河湖ナウエルウアピが目の前に広がっている。この街へ飛んだのは次の日、1月2日のことだった。なおこのナウエルウアピ湖は、1960年のチリ地震の震源地でもあった。
ここからいよいよアンデス越えでチリへ向かうルートを踏破することになる。
去年今年(こぞことし)を貫いた二日間。至らなさが目につく39年前の二日間の思い出だ。だが、短慮、直情径行のありようは昔も今も変わらないようだ。
本日順風。
里山の暮らし484 2020.1.1
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