万葉の植物 はぎ を詠んだ歌 2012.8.14更新 |
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はぎ
(万葉表記
芽子 波岐 山萩 ) ハギ (マメ科ハギ属の総称) 山野に自生する落葉低木。高さは2メートル前後。花期は7月から9月。日本の全域に分布し、古くから日本人に親しまれ歌に詠まれてきました。中秋の名月に萩、薄を月見団子と共に月に供える風習があります。 やや枝垂れた枝先に多くの花枝を延ばし、赤紫の花の房をつけます。果実は楕円形で扁平で種子は一つだけ。 ヤマハギ、ミヤギノハギ、ツクシハギ、マルバハギ、ニシキハギが代表種。ヤマハギは5月から花を付けることもあります。 写真はミヤギノハギ(宮城野萩)。木の姿が美しく枝垂れて華やかに咲くので園芸用に植えられることが多いですね。ハギは草なのか、木なのか。-- 茎は木質化して固くなりますが、樹木のように年を重ねるに連れ太くなることはありません。したがって花後、根元から切り倒すことになります。 春、根本から新しい芽が何本も出ることから「芽子」と表記されたもしれません。マメ科植物に見られるように根粒菌と共生し、痩せた土地でも良く育ちます。山地のヤナギランのように荒れ地に生えるパイオニア植物。一面のハギの野原を見ることがありませんか。 マメ科なので、野原にあると牛や馬の飼料となります。昔はお茶の代用として葉を使い、根は漢方薬に、樹皮は縄として、実は食用としたらしいですが、花を愛でることしか知りませんでした。
「萩」の字は『万葉集』には出てきません。秋を代表する花を萩と書き表した国字(和字)です。のち平安時代になって萩の字は定着します。 |
萩は、『万葉集』中に一番多く詠まれています。その数141とも142首とも。しかも、8巻と10巻に載せらているのがほとんど。 秋の風物詩として、かざしとしての萩の花、恋しい人の暗喩として、その美しさを、鹿の妻としてと、集中さまざまに詠まれています。 山上憶良の秋の七草の歌も初めに萩が出てきていますね。萩でなく秋萩と詠まれている歌が多いようです。 以下、独断ですが、好みの歌を集めました。 我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを 弓削皇子 巻2-120
(弓削皇子は天武天皇の皇子。祖父は天智天皇。人の妻であった紀皇女を思うよりも、咲いて散るあの萩の花であったら良かったのに。皇統にありながら、時流に乗れないあせりのようなものを感じませんか。) (この2首、志貴皇子を偲んで詠います。 (萩の花にことのほか惹かれた大伴旅人。
(旅人病床時の歌か。旅人は青年期まで飛鳥で過ごしました。故郷飛鳥の栗栖の小野に咲く萩の花よ、散るころには故郷の神祭りをして萩の花を神様に手向けよう。)
(娘はまだまだ幼いのです。でもお心があるならば声だけでもかけてやってください。萩は娘に重なって。) (自分のものとなった我妻よ。ますます麗しく好もしい。花に寄せる譬喩歌。) (「にほふ」 に=丹 ほ=秀 色が冴えて赤く美しく咲いている。視覚を表す表現。
秋の七草
(「さ+おじか・雄鹿」が嬬問いにくる --- 萩と鹿が夫婦だといいます。ハギの花は、鹿が好む匂いを発するらしいのです。秋を告げる花、ハギと、鹿の取り合わせが夫婦の結びつきを象徴しています。)
(湯原王は志貴皇子の子。父子ともに歌に静けさや秘めた諦観を感じます。) ( 秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも我は思ほゆるかも 日置長枝娘子 巻8-1564 (雁が鳴いている。萩の花の盛りも過ぎて、いまはもうすっかり紅葉してしまっただろうか。)
(物思いに眠られぬ夜を過ごし、雨戸を開けると露をまとった萩が見える。わびしくやるせない思いを萩に降りた露に託して。)
(高円山には聖武天皇の離宮がありました。家持は当時藤原氏に近い関係にある光明皇后や孝謙天皇よりも、聖武天皇に心を寄せていました。聖武天皇の父は、草壁皇子の子。)
(にほふ=色に染まりゆく=会いに行く。七夕の夜牽牛星を詠んだ歌とされています。くるまれた表現ですね。)
(大野とは人里はなれた野を言います。葛の葉が裏返り萩の花が散り敷いている景色のすさまじさ。)
(枝や花を髪に挿す、あるいはかずらとして頭に巻き、植物の生命力や活力、精気を身体に受け、その力にあやかろうとしました。)
(太夫にあるまじき、恋のとりこになっているわが身を自嘲的に。)
(雁が来る頃には、すでに萩の花は散ってしまっている。恋人と会えない、すれ違いの状態なのでしょう。)
(萩の花が散るのを惜しんで鳴いている鹿よ。妻を求めて鳴く鹿の気持ちになって詠んだ歌。萩の初花を妻としようとしている --萩の原には常に鹿が見られることから鹿の妻とみなして。)
(萩の、うす白く枯れ始めた枝に、今朝も露が降りているだろう。) (そろそろ那須にもこういう季節が巡ってきます。温暖化のせいか油蝉の声が聞こえる夏です。) 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも 作者不詳 巻10-2252
(この素直な詠いぶり。露に濡れながら私のもとにいらっしゃってください。)
(萩がしなやかで可憐な花を咲かせ女らしいことから、萩を妻と見ている。しなう萩は若い娘子。) (家持の萩の歌は16首。父の旅人は3首。)
(この君は、越中国守の任を終え、少納言として都へ帰る家持。互いの健康を祝し願って詠った歌。家持は次の歌を返します。) (因幡の国守として赴任する家持が詠んだ歌。天平宝字2年(758年)7月5日に、大原今城真人の邸宅で大伴家持の送別会が開かれました。秋風が吹くという表現が、凋落する大伴家を象徴しているようです。この歌は今に残される家持の歌の最後から2番目の歌。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 これが記録された家持の最後の歌。この後家持は歌わぬ政治家となります。) |