万葉の植物 つがのき  を詠んだ歌
                               2012.12.17 更新          

 

       庭の栂の木


   
つがのき (万葉表記 樛木 都賀乃樹 刀我乃樹 都我能奇)    ツガ (マツ科) 

マツ科の常緑針葉樹、時に大木に生長し高さ30メートル以上になることも。樹皮は灰色で縦に裂け目があり、写真のように枝も葉もびっしりと密に付きます。雪がこの樹の上に降り積もるとまるで樹全体が雪だるまのようで、すわ庭に達磨出現!となります。
花期は春、球果は卵型。はじめの緑色から熟すと褐色になり枝に垂れ下がる --- と図鑑にあるものの、我が家のツガはまだまだ樹齢が15年ほどで、なかなかそういう楽しい姿を見せてくれません。
ツガは「栂」と表記されるがこれは国字。 漢字では「一針松」なるほど。 さわってもあまり痛くありません。
 
つがの樹を詠んだ歌は集中5首。いずれも長歌で宮廷讃歌---天皇家の命永かれ謳いあげる序詞として使われていたり、友人とも別れに際し健勝を願う歌の中に詠われています。
ここでは全文を掲載しましょう。人麻呂は人麻呂の、赤人は赤人の、家持は家持の、それぞれが持つリズムを楽しんでください。

玉たすき 畝傍の山の橿原の  ひじりの御代ゆ 生れましし神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る鄙にはあれど 石走る 近江の国の楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧(き)れる ももしきの大宮ところ 見れば悲しも       柿本人麻呂 巻1-29

       楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ     柿本人麻呂 巻1-30

       楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも   柿本人麻呂 巻1-31

  神岳に登りて山部宿禰赤人の作る歌  ---神岳とは甘樫の丘か雷の丘か。回顧の情を歌います。
 三諸の 神名備山に五百枝さし  しじに生ひたる栂の木の いや継ぎ継ぎに玉葛 絶ゆることなくありつつも やまず通はむ明日香の 古き都は山高み 川とほしろし 春の日は山し見がほし  秋の夜は川しさやけし 朝雲に鶴(たづ)は乱れ夕霧にかはづは騒く見るごとに音のみし泣かゆ いにしへ思へば   山部赤人 巻3-324

     明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに   山部赤人 巻3-325


 瀧の上の三船の山に瑞枝さし繁に生ひたる栂の木の 瀧の上の  いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 神からか 貴くあるらむ 国からか 見が欲しからむ 山川を 清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも 
                                     笠金村 巻6-907

      山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも    巻6-909

      神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも  巻6-909

 かき数ふ二上山に神さびて  立てる栂の木もとも 枝も同じ常盤に はしきよし 我がせに君を朝さらず 逢て言問い夕されば  手携わりて射水川 Cき河内に出で立ちて 我が立ち見れば あゆの風 いたくし吹けば湊には 白波高み 妻呼ぶと 渚鳥は騒ぐ 葦刈ると あまの小船は 入江漕ぐ 梶の音高しそこをしも あやにともしみ しのひつつ 遊ぶ盛りを 天皇の をす国なれば 命もち立ち別れなば後れたる 君あれども 玉鉾の 道行く我は 白雲の たなびく山を 岩ね踏み越え隔りなば 恋いしけく日の長けむぞ そこ思えば 心し痛し ほとぎす 声にあへ貫く玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し    大伴家持 巻17-4006 
                                  
      我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ 大伴家持 巻17-4007

 あしひきの  八つ峰の上の栂の木の いや継ぎ継ぎに松が根の 絶ゆることなくあをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして豊の宴見す今日の  日は もののふの八十伴の男の 島山に 赤る うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ    大伴家持 巻19-4266
 
      天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に  大伴家持 巻19-4267