万葉の植物 ゆふ   を詠んだ歌
                          2012.5.6 更新

 
      
                  熟した果実は甘いが、舌に繊維が残る
   ゆふ  (万葉表記  木綿 )        コウゾ  または  ヒメコウゾ  ( クワ科)  

『万葉集』にはゆふを木綿と表記してありますが、万葉の時代の木綿は、いわゆる「綿の木」から取れる木綿(コットン)ではありません。
この時代の「ゆふ」は、クワ科のコウゾ、またはヒメコウゾから作られました。 
コウゾ(クワ科)はヒメコウゾとカジノキの交雑種。
ヒメコウゾの別名をコウゾとする場合もある --- 地方や時代によって呼称が違い弁別は難しく、総称としてコウゾ(楮)とされているようです。
「紙麻(かみそ)」と言う言葉から「こうぞ(かうぞ)」という語が生まれたとされるほど、古代から和紙を漉く材料として重要で、現在もミツマタ(ジンチョウゲ科)とともに和紙の主要原料とされています。

(総称としての)コウゾ・楮の皮の繊維は、繊維が互いにからみ合って粘りがあり、強く揉んでも支障無いほどの丈夫な紙の原料です。楮の皮の繊維を蒸して水に晒し、細かく割いて作った糸が木綿(ゆう)。
雌雄同株。雄花序は集まって枝の基部に腋生し、雌花序は球形で上部の葉腋につきます。
右写真のヒメコウゾの果実 --- 綺麗なオレンジ色でいかにも美味しそうではありませんか。集合果で、甘味があって食べられ ますが、ややアクがあり、繊維が残っていて食感はあまりよくありません。
野鳥が啄ばんでいるのを見たことはないので、鳥たちの好みの味ではないのかもしれません。

楮から作った布を「木綿」と呼んだのは、中国には布の原料となる「杜仲(とちゅう)」という植物があり、別名「木緜(もめん)」とよばれていたことに由来します。
(杜仲=漢方薬。血圧の降下や肝機能の機能向上に効果があり、お茶で知られます。)
古くから神道の祭事の道具立てに用いられています。時代が下がると現在のように紙で作られた紙垂(しで)が使われるようになりました。
榊に付けて幣にし神を祀るのに使われたので、木綿を詠んだ歌には神祀りに関したものが多いようです。
さらに、木綿(ゆふ)で白いこと清らかなことを表現し、木綿畳のように、同音の手向山などの枕詞としても遣われました。

榊に付けて幣にし神を祀るのに使われたので、木綿を詠んだ歌には神祀りに関したものが多いのです。
さらに、木綿(ゆふ)で白いこと清らかなことを表現し、木綿畳のように、同音の手向山などの枕詞としても遣われました。

 三輪山の 山辺真麻木綿短木綿  かくのみからに長くと思ひき   高市皇子 巻2-157
(神山とは大物主神を祀る三輪山のこと。短木綿のように皇女の命は短いのが定めであったのか---。そうとは知らずお命の長かれと祈ったことであった
高市皇子は天武天皇の第一皇子。若き日の天武天皇と額田王の間に生まれた十市皇女が亡くなった時に詠んだ歌。壬申の乱において大津宮から十市皇女を助け出した高市皇子は、美しい皇女を慕っていたのかもしれません。)

 娘子らが 放りの髪を木綿の山 雲なたなびき家のあたり見む    作者不詳 巻7−1244 
(放りの髪とは伸びるままにした自然の髪の状態。頭にふたつこぶを作り、そのまま髪を垂らします。童女放り・うなゐはなりとも言いました。木綿の山は、「髪を結ふ」と由布岳(1584m)を掛けたことば。序詞+望郷の歌)

 山高み 白木綿花におちたぎつ 瀧の河内は見れど飽かぬかも   笠金村 巻 6-909
( 養老7年(723年)、元正天皇の吉野行幸に同行した折に詠んだ歌。吉野讃歌。白木綿花で白く清らかな水を讃え、行幸を祝い讃える心を表します。

白木綿花とは、楮の繊維を水で晒し細く裂いたもの。花の形に結うことも、垂(しで・四手・幣)として榊の枝に垂らすこともありました。激しく流れる清冽な吉野川が時に逆巻き波頭が白く輝く様子を、「白木綿花に落ちたぎつ」と表現しています。この白い花は比喩の花とも考えられます。
吉野宮滝付近に三船山、水分山、などの高い山が連なっている様子を「山高み」と簡潔に言い表し、麓を流れる吉野川を誉め讃え、間接的表現で元正天皇の行幸を祝い、天皇の御代を寿いでいる歌です。)

  み熊野の 浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも  柿本人麻呂  巻4- 496
(持統朝前後の宮廷歌人・柿本人麻呂の歌の「浜木綿」を、白波と取るか浜木綿(ハマユウ)が咲き乱れると感じるか。諸説ありますが、笠金村の上の歌の、「白」の持つ清浄さと比較してみるのも興味がありますね。)

 ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命 奥山の賢木の枝に 白香付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据え 竹玉(たかたま)を 繁に貫き垂れ 鹿(しし)じもの 膝折伏して たわやめの 襲(おすひ)取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも   
                                長歌 大伴坂上郎女 巻3-379

(大伴氏の始祖は天照大神の孫ニニギノミコトが降臨のとき、その先導役を務めたと伝えられます。(『古事記』)
大伴坂上郎女が氏神を祀った時の歌。祭祀を司る斎女として大伴家一族の繁栄を祖神に祈りました。亡き夫にも 逢いたいという願望も込められていたでしょう。  
木綿(ゆふ)はサカキの枝に取り付ける、腕(かいな)に懸ける 、斎瓮(いはいへ・神酒を入れる素焼きの壷)に懸けて垂らすと言う表現も見られ、古代の神事では重要な役目を与えられていました。 
  
木綿(ゆふ)はサカキの枝に取り付ける、腕(かいな)に懸ける 、斎瓮(いはいへ・神酒を入れる素焼きの壷)に懸けて垂らすと言う表現も見られ、古代の神事では重要な役目を与えられていました。)


 木綿畳 手に取り持ちてかくだにも  我れは祈ひなむ君に逢はじかも 大伴坂上郎女 巻3-380
木綿畳とは楮の繊維で織った敷物。「君」とは先祖の神々か。)