万葉の植物 たちばな  を詠んだ歌
                            2012.4.6 更新

 
  
  たちばな  (万葉表記  橘 多知花 多知波奈 多知婆奈良)   
                   コミカン、コウジミカンなど古代のミカンの総称

本州から沖縄にかけて、まれに自生するミカン科の常緑小高木。
あるいはニッポンタチバナ、コミカン、コウジミカンなど古代のミカンの総称と考えられます。
いずれも初夏、枝先に小さい白い花を咲かせ、秋には黄色い実を稔らせますが、原種は酸味が強く生食するには無理があるかもしれません。
『古事記』に、橘は「登岐士玖能木実ときじくのこのみ」)と記述されています。いつでも香りたかい果実、という意味です。 この「いつでも」が古代の人にとっては重要で、常緑の葉や、植物が枯れる秋から冬にかけて黄金色の実を付けている様子を誉め、生命力が宿ると信じてい ました。
『古事記』の記述は、「
垂仁天皇が田道間守を常世の国に不老不死の力を持つと言われる非時香果を探しに遣わした。 ところが、田道間守がその実を持ち帰った時には、すでに垂仁天皇は崩御されていた。その実を橘と呼ぶ」。 
この田道間守、現在はお菓子の神様として全国の神社に祀られています。手に持っているのはやはり橘の木の枝とされていますね。 
では、たちばなの言葉の意味は? なぜ集中72首も所載されるほど人々の心を捉えたのでしょう?
立ち+花=すなわち神様が現れる花。神霊がこもり生命力のあふれる花、ということでしょうか。

大伴家持が橘の歌をを詠んでいます。その深い意味は?
家持は橘諸兄と親交があり、大伴家存続の鍵を握る人物。かくて橘に忠誠心を象徴させたのでしょう。

花橘・はなたちばな。
まずその白い馥郁とした香りを漂わせる花をイメージしたのでしょう。この花や実がついた枝をかづらにしたり、玉として実に飾ったりすることで橘の持つ霊威や生命力が身につくを考えています。白い花は純潔、純真、無垢のイメージがありますね。橘と霍公鳥(ホトトギス)を一緒に詠みこんだ歌が多くあります。この同時性こそをこの上もないものとして楽しみにしていました。
あやめぐさ(ショウブ)と同じく薬玉にして邪気を祓い災害を防ぐ植物として尊重されています。

 写真はクサタチバナ(ガガイモ科)   
  花姿がミカンによく似ています。
 

橘(たちばな)を詠んだ歌は、『万葉集』には72首もあります。
『記紀』の時代から伝説に詠われ、繁栄、長寿を象徴するものだったからです。

 橘の 蔭踏む道の八衢に  物をぞ思ふ妹に逢はずして      三方沙弥  巻2-125

 橘を 宿に植ゑ生ほし立ちて居て  後に悔ゆとも験あらめやも  坂上郎女 巻3-410
(大事に育てた愛娘が、どうしようもない男に盗られるのではないか。心配。)

 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木      聖武天皇 巻6-1009
(葛城王が臣籍に降り橘姓を賜ったときに詠んだ歌。この橘は、藤原氏に対抗する橘諸兄の暗喩)

  大宰の帥大伴卿和する(妻の弔問に訪れた石上朝臣堅魚の歌に対して)歌一首
 橘の花 散る里の霍公鳥  片恋しつつ鳴く日しぞ多き       大伴旅人 巻8-1473

我が宿の 花橘のいつしかも  玉に貫くべくその実なりなむ     大伴家持 巻8-1478

  我が宿の  花橘に霍公鳥 今こそ鳴かめ友に逢へる時       大伴書持 巻8-1481

  我が宿の  花橘は散り過ぎて 玉に貫くべく実になりにけり     大伴家持 巻8-1489

 君が家の 花橘はなりにけり  花のある時に逢はましものを     遊行女婦 巻8-1492

我が宿の花橘を霍公鳥来鳴き響めて本に散らしつ            大伴村上 巻8-1493

 霍公鳥 来居も鳴かぬか我がやどの  花橘の地に落ちむ見む      作者不詳 巻10-1954

 風に散る 花橘を袖に受けて  君がみ跡と偲ひつるかも        作者不詳 巻10-1966

 我が宿の 花橘は散りにけり  悔しき時に逢へる君かも        作者不詳 巻10-1969
(あなたと一緒に花を見て、美しさや生命力を身につけたかった --- 惜しいです。)

 我れこそば  憎くもあらめ我がやどの 花橘を見には来じとや     作者不詳 巻10-1990

 橘の本に我を立て下枝取りならむや君と問ひし子らはも        人麻呂歌集 巻11-2489

  我妹子に逢はず久しもうましもの安倍橘の苔生すまでに         作者不詳 巻11-2750

 橘の 古婆の放髪が思ふなむ  心うつくしいで我れは行かな       東歌 巻14-3496

 我が宿の 花橘はいたづらに  散りか過ぐらむ見る人なしに      中臣宅守 巻15-3779
 (見せたい相手は、狭野茅上娘子か。季節が過ぎていくその一瞬を惜しむ気持ちが現れています。)

 橘の 寺の長屋に我が率寝し  童女放髪は髪上げつらむか     作者不詳  巻16-3822

 橘は 常花にもが霍公鳥  住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ     大伴書持  巻17-3909
(兄家持に贈った歌。)

 橘の とをの橘八つ代にも  我れは忘れじこの橘を       元正上皇 巻18-4058
(当時左大臣だった橘諸兄を讃えた歌。)

 月待ちて家には行かむ我が插せる赤ら橘影に見えつつ        粟田女王 巻18-4060

 常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見るごと         大伴家持 巻18-4063
(常世の国---不老不死の理想郷---から伝わった橘のみが、いよいよ光り輝くように、わが大王(元正天皇)の御世が栄えますように。天皇讃歌。)

 大君は 常磐にまさむ橘の  殿の橘ひた照りにして        大伴家持 巻18-4064
(政治上の立場において、家持は橘諸兄を支持し、さらに歌を通じて深い関係がありました。)

 白玉を 包みて遣らばあやめぐさ  花橘にあへも貫くがね      大伴家持  巻18-4102

  橘の  美袁利の里に父を置きて 道の長道は行きかてのかも      防人の歌 巻20-4341

 橘の 下吹く風のかぐはしき  筑波の山を恋ひずあらめかも       占部広方 巻20-4371