万葉の植物 ひ  を詠んだ歌
                               2012.12.26 更新          

 
  
    (万葉表記  檜 )    ヒノキ  (ヒノキ科)

ひはヒノキの古名。東北から九州にかけて生育する常緑高木。 幹は直立し時に高さ50mになることも。雌雄同株で、春に花が咲き、秋に球形の果実(写真右)を付けます。材は木目が通り強いので、古くから建築材料として使われ いて、日本建築には欠かせない樹木。光沢と香気があり、対水力が強く、昔から植林されています。全木から精油(檜油)が取れます。檜は古代では神聖な樹木とされました。『日本書紀』ではスサノオの胸毛が檜であったと書かれます。またスサノオが天上を追放され、ヤマタノオロチを退治しますが、そのヤマタノオロチには蘿(こけ)と檜榲(ひすぎ)が生えていたと『古事記』は伝えます。
檜は、霊のこもる神聖な畏怖すべき樹木でした。
建築材や船材にされるのは、強さのさることながら霊力があり、海難から船を守ってくれるから。
檜皮が屋根材に使われるのも、霊力が自然の猛威から建築を守ってくれるから。こう古代人は考えました。
家屋の屋根を葺くのにヒノキの皮が一番だとされています。檜皮葺(ひわだぶき)は神殿や宮殿、貴人の住宅に用いられました。
檜は建築材として最も優れていることから、「真木」と表現されています。
 
檜が多い場所を檜原・桧原(ひはら)と呼んでいました。

  題詞に「藤原宮之役民作歌」とあります。
 やすみしし我が大君高照らす日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠口の 初瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉限る 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて  (長歌) 役人 巻1-50

   (滋賀県の田上山で伐採(した檜を筏に組んで、琵琶湖から宇治川へ、そして木津川へ運びました。木津からは陸路でで藤原の地へ運ばれたようです。藤原宮は持統・文武天皇時代の宮で、はじめて唐の都長安に倣って作られました。藤原の宮を造営するため、神々も従い人々は天皇の為に一心に働いている。堂々たる詠い方です。)
 

 鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも          柿本人麻呂歌集 巻7-1052

  (巻向山は奈良県桜井市の三輪山の東北にある山(567m)。山の周辺にはみごとな檜の林があったことがわかります。)

 三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも           作者不詳  巻7-1095

 いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ      柿本人麻呂カ集 巻7-1118

 行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は      柿本人麻呂カ集 巻7-1119
  
 巻向の桧原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも         柿本人麻呂歌集 巻10-1813
  
 巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る            柿本人麻呂歌集 巻10-2314

  (巻向山にまだ雲もかかっていないのに、山の松の梢から沫雪が流れてくる---。流麗な詠いかた。人麻呂自身の歌でしょう。)

 斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 礒漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波   巻13-3232

   (檜を筏に組み、吉野川を流したのですね。吉野の急流が白波を立てる様子は今も美しく、瀬に立つと胸に迫るものがあります。)

 さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ       長忌寸意吉麻呂 巻16-3824

  (宴会をしていた明け方、狐の声が聞こえてきた。意吉麻呂に、さし鍋、狐の声、川、橋を詠みこんで歌を 作るよう言いました。長忌寸意吉麻呂はこんな歌も詠んでいます。)
     玉掃刈り来 鎌麻呂むろの木とが本と かき掃かむため   巻16-3830