万葉の植物 むろのき  を詠んだ歌
                             2012.9.18 更新            

 

       
    上の写真はハイネズ (園芸種名 ブルーパシフィック)


   
むろのき(万葉表記  天木香樹 室木 廻香樹 牟漏能木 室乃木)   
                       
ネズ  ハイネズ (ヒノキ科)

ネズ(
小高木種)、ハイネズ(低木匍匐種)の古名。ヒノキ科ビャクシン属のネズミサシ(鼠刺し)。 東北地方以西に生育する常緑針葉樹。雌雄異株で花期は春。球果は2年目に熟し、漢方では杜松子(としょうし)と呼ばれ、利尿剤として利用されます。
古代、常緑のムロノキは神木として崇められ、致命の木、長寿延命の木とされました。
細い葉は触ると痛く、剪定に手こずることもあります。現在もモロノキという呼び名が使われ、園芸上では杜松(としょう)と呼ばれています。
枝を鼠の通り道に置くと忌避剤として役に立つ、あるいは文字通りネズミを刺すほど尖った葉を持つことからネズミサシの名前が付いたと あります。我が家のハイネズの葉は、ネズミを刺すほど鋭くはありません---。
葉をふすべて蚊取り線香の代わりとして利用した、との記述も見られます。(私の田舎では、松の葉を使いました。)
盆栽に仕立てられ たのを目にすることがありますが、生長は遅く、その分材は緻密で重く、高生種の幹は床柱などに使われています。
 
小高木種(ネズ)と低木匍匐種(ハイネズ)とがあります。歌に詠まれたのはどちらでしょう?

ハイネズは、海岸の砂地や岩場、尾根すじなどの痩せた土地に生育し、大群落を作ります。
武田雄吉著、『万葉集全講義』によると、旅人が帰京するに当たって通行した鞆の浦の対岸にある
仙酔島には、名の知れたムロノキの巨木があったとあります。
さて。
長寿を祈るのに、対象
が低木匍匐種(ハイネズ)ではすこし役者不足かもしれませんね。

  太宰の帥大伴の卿、京に向ひて上道(みちだち)せし時、作れる歌
 
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき  大伴旅人 巻3-446

 鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも    大伴旅人 巻3-447

 礒の上に根延ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか  大伴旅人  巻3-448

 ( 天平2年(730年)、大宰府帥大伴旅人は大納言に任じられ、帰京の途につきました。鞆の浦とは今の広島県福山市。潮の干満の差が激しく、古代から海上航行の難所です。
旅人は、鞆の浦の対岸にある仙酔島の岩場に生える神木のハイネズに航行の安全を祈ります。見るにつけ思い出すのは、亡くなった妻のこと。
3年近く前の春早く、大宰府長官として筑紫に下ったおりに、このネズを共に見た妻よ。今は一人で見て妻を思い出すばかり。いづらに、と問えば答えてくれるのだろうか。ああ、あの時、長寿を祈った妻はもうこの世にはいないのだ。)

・鞆の浦の東、瀬戸内海国立公園の中心にある仙酔島は、1934年(昭和9年)に日本で最初の国立公園に指定されました。今もこの仙酔島には、太古の自然が残り、磯の上に這うネズの木が見られます。仙人が酔うほどに美しい島 --- 仙酔島。
        
  仙酔島の切手。1939年


 礒の上に立てるむろの木ねもころに何しか深め思ひそめけむ   人麻呂歌集  巻11-2488

 離れ礒に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも   作者不詳 巻15-3600

 しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離れてあるらむ   作者不詳 巻15-3601

 玉掃刈り来鎌麻呂むろの木とが本とかき掃かむため   長意吉麻呂  巻16-3830
 
(巻16に多く見られる戯笑歌、物の名前を詠みこんだ歌。
長意吉麻呂はこういう歌を即興に詠むのが得意でした。)