万葉の植物  まき   を詠んだ歌
                              2012.6.18 更新           

 

      
       ヒノキの林                     那須連山の一部と杉林
 


   
まき (万葉表記  真木)      ヒノキ スギ 類の総称

『日本書紀』には優れた用材として、杉、檜、 艨iまき) 、楠などが挙げられています。真木は普通ヒノキとされますが、古く は有用材であるスギをも表しました。
真の木である---
木材として優れた樹木で、ヒノキもスギも巨木になるので神が 降臨し魂が宿ると信じられ、人々に神聖視されていました。真木柱とはヒノキ、スギを使った太い柱を言います。真木柱は太いを導く枕詞 で、真木柱の立つ邸宅はすなわち立派であり、その持ち主も尊敬に値する、と褒める意味を含めます。真木たつ、荒山道、 真木立つ荒山中といった表現が、昼なお暗く危険と隣り合わせの山越えの厳しさを彷彿とさせます。                 

現在、マキはラカンマキ、イヌマキ、コウヤマキなどを差すようになりました。 特にコウヤマキをさす場合が多いようです。

          
 大君は 神にしませば真木の立つ 荒山中に海を成すかも    柿本人麻呂 巻3-241

   (天武天皇第3皇子・長皇子が猟に行った時、人麻呂が詠んだ長歌の反歌。「大君」は天皇にも親王にも用いる呼称。猟地の池を海と見立てて、親王の威力を讃えている人麻呂。宮廷歌人の人麻呂は天武皇統に対して深い畏敬の念をいだいていたようです。)

 真木柱 太き心はありしかど この我が心鎮めかねつも      舎人   巻2-190
    
  (舎人とは下級役人。題詞に、「皇子尊の宮の舎人等が慟み傷んで作る歌、23首」とあります。皇子尊(みこのみこと)は草壁皇子(天武・持統天皇の長子で時の皇太子)。天武亡き後を託していた持統天皇の悲しみは以下ばかりか。持統3年(西暦689)年28歳で薨去。)

 真木の葉の しなふ勢の山思ばずて わが越えゆけば木の葉知りけむ    小田事 巻3-291

 真木の上に 降り置ける雪のしくしくも 思ほゆるかも さ夜訪へわが背     他田広津娘子 巻8-1659

 古に ありけむ人もわが如か 三輪の檜原に挿頭折りけむ            柿本人麻呂歌集 巻7-1118

 真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず             東歌 巻20-4342

  (立派な木材を使って立てた御殿のように、いつまでも元気でいてください。お母さん。真情の吐露。)