万葉の植物 くず を詠んだ歌 2011.8.25 更新 |
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![]() 山野に普通に見られるつる性の多年草。 夏にかけて大きな3枚の葉が繁茂し、夏の終わりから秋の初めに葉裏から豆科の特徴を持つ濃い紫赤色の穂状の花を覗かせます。その香りの高さは、いかにも夏の終わりの空気中の湿気と相まって、身にまとわり付くほどの強さ。 年を経るにしたがい茎も太りり木質化し、時には他の植物に絡み付いて数メートルにまで達しその植物を枯らすことさえあります。 一旦ある場所に生えると、これほど駆除が大変な植物はありません。茎が地面に触れた場所から根を下ろし、這い回るように繁殖していくのをあちこちで見られるのでご存じの通り。 「世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 」選定種の一つらしいのです! かつては飼料としても重宝されたようです。ウマノオコワ、ウマノボタモチと言った地方名がありますが、子供のころに家で飼っていた牛に与えていたという記憶はありません。 馬が喜んで食べたのでしょうか。大量に取れますからね。 葛の蔓はその長さから、籠などの生活用品の材料として利用されてきました。蔓を煮てから発酵させ、その繊維で編んだ布は葛布(くずふ)と呼ばれ、 ![]() ![]() と詠まれています。 一方、太く木質化した根は、でんぷんを多く含み、このでんぷんが葛粉。→吉野葛 和名は大和の国栖(くず)がこの葛粉の産地であったことに由来します。夏の味、葛きりや葛餅はこの葛粉から。 また葛粉は、効率良く栄養を摂取できることから、風邪や(葛根湯として)胃腸が疲れた時の食材として用いられます。 もともとは救荒食糧だったのですね。いまやジャガイモでんぷんにその地位を奪われてしまいました。 谷崎潤一郎『吉野葛』の舞台 (国栖地区/窪垣内)は、吉野の伝承を編みこむように書かれた作品。 この窪垣内は壬申の乱のおり、近江朝廷側に追われる大海人皇子に味方したことで知られます。 吉野川に伏せ置く小船に大海人皇子をかくまい、それと知った犬が吠えるので犬を打ち殺し、追っ手の目をくらましたと伝わります。 以後、この地窪垣内では犬を飼わず、地元の神社にも狛犬が居ないと聞きす。 |
集中21首。 多くはその旺盛な繁殖力と、長く伸びる蔓から長命を願っての枕詞や修飾語として詠まれています。 万葉人にとっては、葛は容易には越えがたい心理的な距離を感じさせる植物であったようです。 ![]() (蔓が長く伸びて地面を覆い、草木に絡みついたりする生命力から、「延ふ葛の」にかかる枕詞として使われます。) ![]() ![]() ![]() ![]() (いつあの娘を恋人にできるのか---) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (風にひるがえり、白く大きな葉が裏返る。) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |