ヘムロックは栂か毒人参か     

  ツガ ( マツ科トウヒ属)  hemlock    
    ドクニンジン (セリ科ドクニンジン属)   poison hemlock

 ドクニンジン(毒人参Conium)はセリ科の多年草の毒を持つ植物。 6月から夏にかけてレースフラワーに似た白い小さい花(総状花序)を付けます。
薬草として使われ、葉の状態がパセリに似ていることから毒パセリとも呼ばれます。

ツガ(Hemlock)は高性の常緑高木。現在の島では建築材などで伐採されてしまい、ところどころに生育しているだけのようです。球果は大きく下向きに付き、この球果から種が落ち発芽したのが写真左のカナダツガ。
 

 実を言えばアンは非常にロマンチックならぬ、非常にひどい鼻かぜを引いているのだった。そのおかげで、常盤木荘の毒人参(hemlocks)のうしろのやわらかな緑色の空をたのしむことも、「嵐の王」の上にかかる銀白色の月も、部屋の窓の下から漂ってくるライラックの香も、テーブルの上の花瓶にさした霜のかかったような、青鉛筆で描いたような、アイリスの花もたのしむことができなかった。
                     『アンの幸福』 2年目 
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『マリゴールドの魔法』下 第22章に、 「祖母は、マリゴールドがうろつき歩いているうちに、毒を食べはしないか心配している」との場面があります。

スズランはじめ植物毒を持つものはたくさんありますが、ドクニンジンに良く似たドクゼリ(Water hemlock)は、マリゴ−ルドの母親が好きな、パースニップ(アメリカボウフウ)に見かけが似ています。きれいで華やかな花を咲かせる毒人参は、子供にとって魅力的な植物だったでしょう。心配も当然です。

 古いりんごの納屋の上でくるくる円を描く鳩。・・・・その前にずらっと並んでいるおかしな小さい毒人参(funny little hemlocks)。いつか、クロンダイクおじがこんなことを言った。

「あの毒人参(hemlocks)をごらん。クラスの腕白どもに指を振って叱りつけている、オールドミスの先生たちにそっくりじゃないか?」・・・・・「えぞ松屋敷」で不思議な存在は毒人参だけでない(The hemlocks were not the only mysterious trees)。たとえば、井戸の後ろにあるライラックの茂みだ。
                 『マリゴールドの魔法』  田中とき子訳 第3章 春の訪れ 2

(The pigeons circling over the old apple-barn; the apple-barn itself--such an odd old barn with a tower and oriel window like a church--and the row of hemlocks beyond it. "Look at those hemlocks," Uncle Klon had said once. "Don't they look like a row of old-maid schoolteachers with their fingers up admonishing a class of naughty little boys." Marigold always thought of them so after that and walked past them in real half-delicious fear. What if they should suddenly shake their fingers so at her? She would die of it, she knew. But it would be int'resting.

The hemlocks were not the only mysterious trees about Cloud of Spruce. That lilac-bush behind the well, for example. Sometimes it was just lilac-bush.)

この「The hemlocks were not the only mysterious trees」の中の「trees」を忘れないでください。このヘムロックは「木」なのですね。初めの部分は、単にfunny little hemlocksとあるので、小さい毒人参と訳した。ところがその後の説明に tree とあるのを見逃してしまったか、あるいはあえて無視したか。人間、自分に都合の悪いことは見て見ぬふりをする、ということもありますしね。私も十分経験済みです。
それにしても、毒人参が咲いている様子は美しく、オールドミスの先生が叱りつけているようには、とても見えないのですけど。
ですから、この「funny little hemlocks」は、写真にあるような、カナダツガの実生が揃って生えている様子を表します。
なるほど、風に揺れるとその開いた枝先が「おいでおいでしている」、「指を振って悪戯坊主を呼んでいる」ように見えなくもありません。
しかし、クロンダイクおじの「オールドミスうんぬん」は、いかにもアンの時代の男性の考え方を表していると思いません
?
なにより、作者自身がその偏見に悩んだはずなのに。
 

 カナダツガ
 

  ドクニンジン 

調査の現段階では、毒人参が出てくるのは、上記『アンの幸福』と『マリゴールドの魔法』にある2件だけ。

hemlockは、1.ドクニンジンを表し、2. さらにドクニンジンから採った毒薬をも言い、3. 木本のツガを言います。初めこの「毒人参」の字面から、当然草本植物だと予想して調査を始めました。

ところが、研究者のAさんに、このようにご教示いただきました。

「英文の言葉の意味は文脈に即して選ばなくてはいけない。"hemlock"を例に採ると、イギリスではキーツの詩にあるように毒人参と、北米ではツガと解釈するべき。村岡花子はイギリス文学作品に精通していたので毒人参と解釈したか、下訳者がこう訳したのを見逃したかのどちらかではないか」と。

ああ、文学の奥は深いですね。毒人参は、一見レースフラワーに似た白い小さな花を咲かせます。これが柳風荘の庭に咲き乱れているのは、なかなか美しい景色だと考えたのですけど、日本語の言葉の響きが良くありません ね。
それにこの「毒人参hemlocks」はどこに生えているのか?
柳風荘と常磐木荘の間には、蔦が一面に絡んだ煉瓦壁があるのですから、せいぜい樹木の下草として生える、二メートル足らずの草本・ドクニンジンだと、柳風荘からは見えませんね。
つまりこの場面のhemlocksとは、高木に育つカナダツガなのです。

同じ名前でも、国が違うと意味が違ってくるものの例に、たとえば桂をあげましょうか。
大まかに言うと、中国ではカツラは花や木が香りのよいものを言いました。例えば現在の桂、木犀(現代中国語で桂)、月桂樹、肉桂などを。日本では国訓の「桂」が使われるまで古代、楓(カツラ)は、本来マンサク科の楓(ふう)を、桂は肉桂(にっけい)を指す文字でした。

つまり、「桂」という漢字は、あるときにはモクセイ(木犀)を指し、またあるときには肉という字と結びついてニッケイ(肉桂)であったりしているのです。
さらに中国には今に伝わる伝説があり --- それは「月のなかに桂の木があり、それは高い理想を表す」というもの。
「桂の枝を折る」とは優れた人材を、桂の枝にたとえて「官吏登用試験(科挙)」に、それも進士に合格することを言います。月桂ですね。月桂冠というお酒あり、月桂樹を勝利者に捧げる伝統もあり。
ただし、この桂は時に月桂樹であったり、金木犀であったり。中国語で自動車は汽車、蒸気機関車は火車。
かくのごとく言葉の意味を探るのは難しく、ひるがえってみるに、自身日本語を正しく遣えているかどうか、いやはや。疑問に思った午後でした。