万葉の植物  あは   を詠んだ歌
                          2012.9.14 更新               

 

 
    あわ                  エノコログサ

   あは  (万葉表記  粟 安波 )      アワ  (イネ科)

イネ科の一年草。草丈は1m前後。アワの原種はエノコログサ。中国北部からシベリアへ、さらにヨーロッパへと広がりを見せ、石器時代にはすでに栽培されていました。
日本へは中国 -- 朝鮮経由で渡来し、乾燥した土地や寒冷地にも育ち生育期間も短いので、イネが伝わるまではアワが主食でした。
2012年は『古事記』編纂1300年。世界各地に 食物起源神話が見られますが、ここでは記紀での記述をご紹介。
『古事記』には、高天原を追放された速須佐之男命が、地上界に降りる旅の途中、食物神である大気都比売神(おほげつひめ)に食物を求めた話として出てきます。

 (大気都比売は、体の各部から食べ物を出して調理し、須佐之男命に差しあげた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚したと思い、大気都比売を殺してしまう。すると大気都比売の屍体からさまざまな食物の種が生まれてきた。
(頭からは蚕、目から稲、耳にから、鼻から小豆、陰部からは麦、尻から大豆)
神皇産霊尊(神産巣日御祖命・かみむすび)はこれらを取って五穀の種とした。

『日本書紀』においては、同じような話が月夜見尊(月読命・つくよみ)と保食神(うけもち)の話として出てきます。

同じ五穀(いつくさのたなつもの)でも『記紀』により種類に違いがあります。
  『古事記』では、稲・麦・粟・大豆・小豆 
  『日本書紀』では稲・麦・粟・稗・豆  

以後現代に至るまで五穀、あるいは十穀という表現が遣われますが、必ずしも5種に限定されず、その内容は時代や地域によって違 いがあります。
具体的に5種類を挙げるのではなく、穀物全体を総称する「五穀豊穣」という言葉を遣うのはご存じの通りです。
 

集中、粟をあふ(逢ふ)に掛けて詠んだ歌が多く見られます。

 ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを     娘子  巻3-404

 春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし    佐伯赤麻呂 巻3-405

  (この2首はセット。娘子が「神を祀った社が無かったならば、春日野に粟を蒔いたことでしょう。」---神の社すなわち赤麻呂の妻、粟を蒔く---逢はまくと掛けて詠いかける。それに対して赤麻呂は「あなたが春日野に粟を蒔いたならば、その粟をめあてにやってくる鹿を待ち伏せにして、私は毎日会いに出かけます。しかし、あなたには他にだれか好きな人がいるのでしょう。)

 足柄の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを粟無くもあやし     作者不詳 巻14-3364

 左奈都良の岡に粟蒔き愛しきが駒は食ぐとも我はそとも追じ     作者不詳 巻14-3451

 黍に粟つぎ延ふの後も逢はむと葵花咲く            作者不詳 巻16-3834

(物の名前を読み込んだ歌。宴会でさぞかし受けたことでしょう。
 こういう歌が詠めるというのはある種の才能ですね。)