万葉の植物 みつながしは    を詠んだ歌
                              2012.11.18 更新           

 

     
       カクレミノ                           オオタニワタリ


   
みつながしは(万葉表記 御綱葉 ) 
                  
カクレミノ (ウコギ科)、オオタニワタリ (チャセンシダ科)

ミツナガシワは
ミツノカシハから。三角葉(ミツノカシワ)。
豊明、神供などで酒肴を盛る葉」のこと。豊明(とよのあかり)とは、宮中で催される宴会、酒宴。

ミツナガシワが現在のどの植物にあたるか、二説あります。

カクレミノ説(これが有力です)
カクレミノ;
暖地の林などに自生する常緑の樹木で、高さは2mから10m。現在は那須でも庭木として植えられているごく普通に見られる樹木。花期は夏。黄緑色の花を付け、秋には丸い実を稔らせます。葉の先端がが3つに切れ込むことが多く、このことから「ミツナ」の名が付いたか。


オオタニワタリ;
暖地性の大型シダ草本植物。写真のように艶のある大型の葉を持ち、樹に着生していることが多いそうです。 何かを包んだり載せたりするのには、このオオタニワタリの方が相応しいような?それに「取る」と言う言葉は草本を集めるのに使う表現のように思えます。さて。

カシワという表現について;
「かしは」という古語は、現在のカシワ(柏)だけを指さず、古代には「食物や酒を盛ったり、包んだりするのに使われた、広く堅い葉の総称 。聖なる木。
 

まず、巻2-85に磐姫皇后の歌として、次の歌が載せられています。磐姫は大和朝廷を支えた大豪族葛城氏の出身。
 君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

  (山上憶良の類従歌林に載せられた歌。夫である仁徳天皇を慕う心を詠みました。)

同じく巻2-90に
 
君が行 け長くなりぬ山たづの迎えに行かむ待つには待たじ    衣通王(軽太郎女) 巻2-90

  (あなたがお出かけになってから日も長く経った。山たづのように迎えに行こうか。待つにはもう待つまい。 )

題辞として
「古事記に曰はく、軽の太子、軽の太郎女にたはけぬ。故、その太子は伊予の湯に長さえき。この時衣通の王、恋慕に堪へかねて追い往しし時の歌に曰く。」

しかし、巻2-90の歌には異伝があり、後注
として、(『日本書紀』巻第十一、仁徳紀 )

「三十年の秋九月の乙卯の朔乙丑に、皇后、紀国に遊行でまして、熊野岬に到りて即ち其の処の御綱葉(みつなかしは)を取りて還ませり。
是(ここ)に天皇、皇后の不在を伺ひて八田皇女を娶して宮の中に納れたまふ。
時に皇后難波濟に到りて天皇八田皇女を合しつと聞しめして大きに恨みたまふ。
則ち其の採れる御綱葉を海に投れてとまりたまはず。・・・略・・・

湲に天皇皇后の忿りてとまりたまはぬことを知めさず。皇后の船(みふね)を待(ま)ちたまふ。・・・略・・・
宮室(おほとの)を筒城岡(つつきのをか)の南に興(つく)りて居(ま)します

柏は聖木で、葉は天皇の祭祀に使われます。磐姫皇后が柏の葉 熊野まで取りに行ったのは、天皇の祭祀を助けるためで、『礼記』では天子の祭祀に皇后が菜を取るのは、天子を助けること。夫唱婦随を人々に示す ためだと伝わります。
磐姫皇后はそのまま難波の宮には帰らず、山城の筒城岡に入り、ここで没しました。
しかしなぜ?皇后は熊野まで出かけていったのでしょうか。神武東征の神話に倣ったのか。
八田皇女は仁徳天皇の異母妹。

最後に皇后が那羅山を越えて、葛城を望んだ時、作った歌。

    つぎねふ山背河を宮泝り我が泝れば青丹よし那羅を過ぎ小盾倭を過ぎ我が見が欲し国は葛城高宮我家のあたり
                           磐姫皇后  『日本書紀』 歌謡55

ミツナガシワを詠んだ歌は、山上憶良の『類従歌林』では磐姫皇后作として、『古事記』では衣通王作と伝わります。