ライスリリー    

    ゆり  さゆり  ライス・リリー 
                                   → ライス・リリー (Rice lily) Ladies' tresses

Rice lilyと言われる植物は、北半球の温帯を中心に約百種類分布するユリ科の球根植物。
原産地はイランからヒマラヤ。学名はFritillaria。秋植えの球根で花の色は白、紫、オレンジ、黄、白、緑などさまざまですが、一番有名なのはオレンジ色のフリチラリア・インペリアルでしょうか。
ユリ科の球根(鱗茎)ですから、球根が大きくなるにしたがってぽろぽろと剥がれ落ちます。これが米粒のように見えることかRice lily。剥がれ落ちるのは繁殖作戦を実行しているからです。 

ところが、原作には次のようなシーンが見られます。 いずれも村岡花子訳

 ダイアナは森の後ろのゆり(rice lilies)の咲いているところへ連れてってくれるのよ。 
                『赤毛のアン』 第12章  おごそかな誓い

  (She's going to show me a place back in the woods where rice lilies grow.)

 
 ・・ わらびの中に腰までうまって、一人でそっと歌を歌っていた。頭には小暗い場所の妖精のようにさゆり(rice lilies)で編んだ花輪をのせていた。『赤毛のアン』 第15章   教室異変

  (---- waist deep among the bracken, singing softly to herself, with a wreath of rice lilies on her hair as if she were some wild divinity of the shadowy places,・・・・・).

  ・・・ポールはアヴォンリーの子供たちがライス・リリーと呼んでいる美しい野の蘭(a cluster of the dainty little wild orchids which Avonlea children called "rice lillies.")をアンにさし出し、はにかみながら----アンはかぐわしい花束を受け取った・ 。 『アンの青春』 第5章 新米の先生

  (At the foot of the hill she found Paul Irving by the Birch Path. He held out to her a cluster of the dainty little wild orchids which Avonlea children called "rice lillies." ・・・・"You darling," said Anne, taking the fragrant spikes. )
 


カナダ、ロッキー山脈 
草原で、 乾燥しているので、右に比べて草丈が短い
 
   同じくカナダ、ロッキー山脈
氷河から落ちる水を集めた湖畔で。湿地。


白い花を咲かせる清純な植物を、「ゆり」の名前を被せて呼ぶのはすでに見てきました。
      例:スズラン(Lily of the valley)  マイズルソウ(Wild Lily of the vally)
                          スイレン(Water Lily)

「ゆり」「さゆり」「ライス・リリー」。 訳文のこの三様の花は、すべて英語ではライス・リリー。摘み取った場所は「森の後ろ」、「小暗いわらびが生えるような場所」で、ポールは「ライトさんの牧場で見つけた」とありますね。
森の後ろってどこでしょう?
防風林としての森の後ろなら日本で言う林縁。前には畑や牧場が広がり、必ずしも暗く日当たりの悪い場所ではありません。わらびや羊歯類は基本的に適当な日の光と湿気を好む植物です。では?

これらのことから、本物のRice lilyは原作の記述にある「小さい花を咲かせる香りの良い蘭」にあてはまりませんね。リースにして頭に載せたアンが妖精のように見えた、とはとても思えません。
おそらく、大好きな場所に新しい名前を付けるアンのように、作者モンゴメリも好きな花に自分なりの名前をつけたのだと考えられます。
本当に悩ましいことです、後追いしている私にとっては。
さきほど、フィンランドの作家について書かれた本のなかに、こんなくだりがあるのを見つけました。
「文豪というのは困ったもので、自分で作った言葉を並べる癖がある。」 しかり。(笑)

「ゆり」に「さ」という接頭語を付け、その清純さを表現した村岡訳のクラシックな表現が、可憐な花姿を引き立てます。

では、モンゴメリが表現したライス・リリーとは。
『赤毛のアンの生活事典』 (テリー・神川著 講談社)のなかにこんな記述がありました。
(プリンス・エドワード島には、サギソウやネジバナの仲間の蘭が自生している。夏に小さい花を咲かせるラン科で、芳香があるものを選ぶとすれば、Ladies' tresses (Spiranthes)か。)
「Spiranthes」 スパイラル(螺旋)が出てきましたね。島にはこのSpiranthesと同じ名前で同属のものが何種類かあり、捩れながら白く小さい花をたくさんつけること、それぞれに甘い香りを持つことから原作の記述に合致します。
日本のネジバナも同属。ただし原作の記述からみるに、アンが頭に飾った花は、日本のネジバナに較べてやや日陰に自生しているようです。
 写真は、2013年夏、カナダ・ロッキー山脈の、マウント・ロブソンの麓のトレイルで。
国立公園なので、もちろん折り取ったりはできません。香りを味わってみれば良かった・・・。

      ○ 天蓋の羊歯の葉裏のふところのうすくらやみにねじばな白し    (Ka)

          (ワラビ・・・とてつもなく大きいのです。とても食べられそうにありません。)

  2024.7.1 追記 松本侑子訳では「野生の蘭」と訳出され、ライスリリーのルビが打たれている。

        

  (番外編)

ネジバナの秘密 --- まっすぐ立ちたい。
趣味は花や樹木をじっと見ること --- 植物観察です。したがって世界中どこに行っても退屈することはありません。
目の前に現れた植物がいったい何なのか。頭の中の乏しい知識を検索し、図鑑を開き、その名前や特質が判明したときの嬉しさといったら、他の何に例えることができましょう。
趣味は高じていくものですね。モンゴメリの作品のなかに出てくる植物が現在の何に当たるのか、日本にも同じ植物があるのか --- そういったことを長い間 ---長い間です、何十年間というもの考え続けてきました。
なにしろ島へ旅したのが34年前、1ドル=250円の時代。
はるけきかな我が若き日よ。いやはや。

                                 ねじばな (もじずり)    

ネジバナ(捩花 ラン科ネジバナ属) 日当たりの良い野原や林縁、人家の近くや芝生に生える多年草。花期は7月から9月。花の色は通常ピンク。地面から直接伸びる花茎に小さなラン科特有の花を多数付けます。
花は写真にあるように、花茎の周囲を螺旋状に付きながら咲き、その形状からネジバナと呼ばれます。薄いピンクの部分は額で白いのは唇弁。
草原や芝生に生える、ということは「日当たり」が必要な植物だということですね。
空が恋しい小さい蘭 ---。

実際に観察し続けると、こういうことが分かります。
「日当たりの良い野原に咲き乱れているのをよく見る。いままで林だった場所が伐採され、刈り払われた土地に、どこからとも無く種が飛んできて根を下ろし、花を咲かせること数年。その場所がススキに覆われ低木が芽生え生長していき日当たりが悪くなるに従って姿を消す。」
大げさに言えば「まるで「小さいパイオニア・プランツ」なのです。
さてモンゴメリが「ライス・リリー」と名づけたこの植物は、日本のネジバナと同属で形状がよく似ている。
ここまではたどり着きました。しかし小さいながらもラン科の植物です。あら、可愛いと手を伸ばし、ポキンと手折ることはなかなか難しく、むりやり引っ張ると根までも引き抜いてしまいます。
ポールもアンも小さなはさみを持って歩いていたのでしょうか。

   (ちょっと寄り道)

ネジバナの別名のモジズリは、古語。忍摺りから。福島県信夫郡のものが特に有名だったため「忍摺り」が「信夫摺り」へと変化しました。忍摺りはノキシノブの葉や茎を布に摺り付けて染めること。
ネジバナの花が何本か集まって立っている様子を、忍摺りにたとえました。

『万葉集』にこんな歌があります。
 ○ 芝付の御宇良崎なるねつこ草あひ見ずあらば吾恋ひめやも    東歌 巻14-3508
  (あの娘に会ったばかりに、恋しくてたまらない。寝っ娘=共寝した娘。「根っこ草」に若い娘が重ねられています。)

よくご存じなのは、百人一首の中のこの歌でしょう。

 ○ みちのくの信夫もぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに  源融 (みなもとのとおる)
 (みちのくの信夫の里の摺り衣のかすれ乱れた模様のように私の心は揺れ乱れています。いったいどなたの面影を追ってこうなってしまったのか---。ほかならぬ貴女のせいなのです。)

「信夫文知摺石」の伝説
「陸奥に按察使(あぜち)として赴任していた嵯峨天皇の皇子・中納言源融が、信夫の里の村長の娘・虎女を見初め、いつしか二人は愛し合うようになった。しかし、融のもとへ帰京の命がくだる。
悲しむ虎女に融は再会を約束し、都に旅立つ。残された虎女は、恋しさのあまり文知摺石を麦草で磨き、ついに融の面影を石に映し出すことができた。精根尽き果てた虎女は恋人との再会もかなわず亡くなってしまった。」
信夫文知摺石は今も信夫の里の文知摺観音の敷地の中に、柵に囲まれて鎮座しています。
歌枕は歌人の想像力が生んだもの。
はるかなる東の国への憧れにも似た思いからか、特に東北地方に多いようです。

 
寄り道から戻る

さて。寄り道から本道に帰って。ネジバナについて考えてみましょう。
「ネジバナはなぜ捩れるのか。」--- それは真っすぐに立つため。
本題に入る前に右回り、左回りについて確認します。
回転する物や者が周回し、円の中心が右にある場合は右回り、反対に円の中心が左にある場合を左回り、と表現するのが一般的で、どこに視点を置くかが問題になります。つまり時計の針は円の中心を右に見て動くから右回り、なのですね。
植物の場合は、地面から生長する方向にどのように回転するかで廻り方を決定します。
まれに理系の人がこれと反対の考え方をすることがあります。つまり、ドライバーで締めるネジを上から見るか下から見るか。これによって違いが出てくるのでしょう。
 ネジバナの花茎に咲き登っていくひとつひとつの花が、同じ方向に付くとどうなるか ---- 花自身の重みで倒れます。これを防ぐためにネジバナは、花軸にかかる重力を分散するため、少しずつ花を付ける位置をずらしながら咲き登るのです。
え?写真を見るとめいめいが勝手な廻り方をしているようでもありますが?
そうです。鋭い!
全体のバランスが取れればいいのであって、どちらに廻るのが正しいネジバナの姿である、などと狭量なことは考えていないようです。
途中で回転がほぐれたり向きを変えるたりする個体もあり、その動きは自在で千差万別。
右回りと左回りの数はおよそ1対1。なかには一切捩れることなく一定の方向に花を付け、かつ真っすぐ立っている猛者もいて、その後の風や雨をどう凌いだのか心配。よほど茎の力が強いのか---?
もう一つ、大事なことがありました。
自重による圧縮力(座屈 ざくつ buckling)です。
長手の軸に荷重をかけたとき、荷重と直角方向に生じる変形で、構造物に加える荷重がだんだん増えていくと、ある時急激に変形したわむことを言います。
つまり、重くてへしゃげてしまう可哀相な状態。積み木を真っすぐ積むのが難しいわけ---。
この現象を引き起こす荷重を座屈荷重といいます。 その構造物がどれだけの強度があるか、どのような形状をしているか、が問題で構造体の材料の強度以下で起こることもあるらしいのです。
さらに圧縮荷重を受けるのが長柱の場合は、柱の長さに依存するようです。
つまり。短い柱では座屈が起きにくく、長い柱に発生しやすい(らしい)。
なるほど。

短くて踏ん張る個体は重みがかかってもへしゃげにくい、ということか。座屈を防ぐためにも、ネジバナは少しずつ捩れていると考えられます。
ネジバナの花茎が空を見上げ、高く伸びたいと頑張っても、伸びれば伸びるほど、その高さと重力のバランスを取るのが難しい(ということらしい)。(我ながらだんだん怪しくなってきたぞ---。)

 
  飛躍しますが

ネジバナの捩れ方はバルセロナにあるアントニオ・ガウデイ設計のサグラダ・ファミリア教会の、あの天に伸びるかのような塔、筒状高層物における石積み方法と共通する部分があるようです。
ガウデイ石積みの秘訣 --- ガウデイが工事人に指示した方法は:
○ 石はらせん状につながるように積むこと。でした。
重力方向に対抗するため、石をクサビ状の形にし、やや捻らせながら連続して積んでいるのではないかとは現地の案内人の説明です。
この考え方は、日本の城壁の美しい曲線を描く石積み技術と関連します。
大石をクサビ型と見立て、先端側を壁の外側に配置することで倒壊を防止し、石のせりあい摩擦と重力を上手に利用しているからです。
ネジバナの写真をもう一度見てください。
一つの花の形が上記の「くさび型」のように見て取れません?
自然界にあるネジバナが、物理学でしか解明できないような考え方をしながら花茎を伸ばし、可憐な花を咲かせているのには毎夏感心するばかり。
日本のネジバナは、6から7月に花を咲かせますが、秋にも再び花を付ける個体をよく見かけます。同種の返り花なのか、あるいは変種なのか判然としません。
これからの季節、芝生に、散歩の途中の野原に、あるいはネジバナが咲いているのを見つけたら、手折って帽子に飾りますか、それとも右回り、左回りと螺旋状に付く花の軌跡を追ってみますか。

  
 最後におまけ。飯(ライス)つながりで。

写真はママコナ。ゴマノハグサ科ママコナ属 
花期は5月。花は筒型で先端は唇形。花の下唇に当たる部分に白い粒が二つ。ご飯粒のようですね。
子供がおままごとに使いそうなママコナ(飯子菜)。可愛らしい花でしょう。
しかしこれは半寄生植物。背の高さ30センチほどの個体を引き抜いてみると、根はほんの少しだけ。ほそぼそと1センチくらいしかありません。
イネ科やカヤツリグサ科の植物の根に寄生して、宿主から栄養を搾取しています。
半寄生すなわち頑張れば自立も出来るということ。自らも葉緑素を持ち光合成を行います。
可憐に咲く花と地下での営みを思うと、人間世界のあれこれを思ってしまいます。

 
 おまけまたは蛇足その2

カナダの本物のRice lilyと同属の花に、日本のバイモ(貝母 ユリ科 )があります。
中国原産の球根植物。鱗茎で増えます。那須では桜のころが花の時期。花は薄黄緑色。花の内部に紫色の網目状の紋があることが、アミガサユリという別名を持つ由縁です。
球根は二枚の貝に似た鱗片状で、その姿は子を抱く母の姿。
貝母(バイモ)と名づけられました。ははくり・母栗、母百合とも呼ばれています。

『万葉集』の中に、このバイモが「母とふ花」として二首詠まれているのでご紹介しましょう。
 ○ 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ 防人の歌 丈部真麻呂 巻20-4323
  (春夏秋冬、季節ごとに花は咲くけれど、なぜ母という花は咲かないのか。)

  ○  父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ   防人の歌 丈部黒当 巻20-4325 

(4323の歌の後にこの歌が続きます。防人の任に付きその後の運命も定かでない。母系社会の時代、母を思う気持ちは切実なものがあったのでしょう。親しく懐かしい。慕わしく思う人を「花」に喩える --- やさしい心が偲ばれます。)
    
    サグラダ・ファミリア       ママコナ              バイモ