ハンノキ     

   ハンノキ Alder  (Alnus カバノキ科ハンノキ属) カバノキ科の落葉樹 

ハンノキは、山野の低地や湿地、沼や耕作放棄地に自生します。
プリンス・エドワード島に主として繁茂するのは、「スペックド・オールダー、Speckled Alder 」と呼ばれる種類と、これによく似たやや小ぶりのMountain alder 。
スペックド・オールダーは、その名の通り、幹に斑点(speckled)があり雌雄同株。早春、葉の出る前に暗紫褐色の花をつけ、秋に球果になって冬を越し、新芽が出てきてからも付いたままの状態が続くこともあります。
アヴォンリー村の指導的立場にあったリンド夫人はどのような土地に住んでいたのでしょうか。周囲の動静に目を光らせることのできる場所、「窪地に」とあることから、小川が流れ込む、グリーンゲイブルスよりも湿気の多い土地だったことが分かります。
 

 アヴォンリー街道をだらだら下って行くと小さな窪地に出る。レイチェル・リンド夫人はここに住んでいた。まわりには、榛の木が茂り、ずっと奥のほうのクスバート家の森から流れてくる小川がよこぎっていた。                    『赤毛のアン』 第1章 レイチェル・リンド夫人驚く

 (Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place;--)
 

原文のladies' eardrops が訳されていません。
このladies' eardrops については別紙で探ってみることにしましょう。
 
 

 

写真は那須高原・深山湖畔の堆積した土壌に生える日本自生のハンノキ。

根粒菌を持ち、肥料木としても有用。

  『赤毛のアンの生活事典』に(123p)「若い芽は染色に、樹皮はなめし皮づくりに利用する」とありました。さぞかし、『炉辺荘のアン』の忠実なスーザンは、このハンノキを使い 冬の間に染色してさまざまな生活必需品を生み出したことでしょう。樹皮は相当量のタンニンを含み、これを利用したと考えられます。
染め上がりの色は黒褐色。労働着にあるいは台所などの敷物に有用でした。

古名は榛(はり)といい、榛の木から転じてハンノキと変化しています。日本でもハンノキとハンノキによく似たヤシャブシ(矢車附子)の球果や樹皮、幹材や葉が染色に利用されてきました。
 

ここでは球果で染色する方法をご紹介しましょう。( 『草木染染料植物図鑑』より)

○初秋、熟しているがまだ青い状態の球果を採集し、水に浸して火にかけ約二十分間沸騰させたのち、煎汁を取る。
これを5回から6回繰り返し染液として使う。媒染剤としてはアルミ、スズ、クロムまたは銅で黄茶色に、鉄媒染で紫黒から黒茶色に染色。

特にに「榛摺・はりずり」は、焼いた黒灰を使って摺り染めを行ったもの。
色は黒に近い茶色。労働着として有用です。クヌギ(古名はつるばみ)も同じような色に染めあがります。『万葉集』のなかには14首。色染めの材料として、あるいは染めた色を詠んでいるものが13首。榛の木と染色は強く結びついていたのです。

    ○   綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく吾が背  井戸王 巻1-19

万葉人にとっては聖なる山・三
輪山のハンノキで染めた色が衣によく染まるように、我が君(天智天皇)はとてもご立派です、と詠た井戸王。王とありますが、天智天皇あるいは額田王に仕えていた女官かもしれません。
 

  いざ児ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ      高市連黒人  巻3-280

         黒人の妻の答ふる歌一首

○白菅の眞野の榛原往(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原   高市連黒人の妻  巻3-281

 この二首は、旅にある高市連黒人とその妻の歌。さあ榛の木を手折って早く大和へ帰ろう、と詠む夫に対して、ゆっくり見物しますと言う妻。
古代の旅は苦しいものでしばしば命を掛けての旅となることもありました。和やかな雰囲気を感じるのは、高市連黒人夫婦の性格からか。