万葉の植物 こも   を詠んだ歌
                              2011.12.4 更新           

 

      
                                                                                                   まこもたけ  (食用)


   
こも (万葉表記  薦 許母 許毛 其母 気米)   マコモ   (イネ科)

イネ科の多年草。全国の湖や川、沼地などの水辺に群生し、高さ約2メートルくらいまで生長し、葉は長くて幅広く、初秋黄緑色の雌花が咲き、雌花の下には紫色の雄花を円錐状に咲かせます。
古代からコモを刈って陰干しにし、ござやむしろなどの敷物や容器を編んで生活の中で使われていました。有用な生活物資として「こも」に美称「み」を付け、「みこも」と呼ばれることもありました。
薦を編む --- 身近では、4斗樽の日本酒の「薦被り」にその名残が見られますね。

盆棚(精霊棚)としての用途: (聞き書きです)
お盆には精霊をお迎えする祭壇を作ります。棚には真菰を敷き、ナスやキュウリで作った牛や馬、
精進料理のお膳や、だんご、そうめん、季節の野菜や果物を供えます。

黒穂菌(くろぼきん)がついて竹の子状となった茎を菰角(こもづの・マコモダケ)と言い、日本、中国、台湾、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアなどのアジア各国で食用や薬用とされています。
食感はまるで筍かヤングコーンか。くせが無く中華料理によく合います。

2011.12.30日本経済新聞 文化欄からの抜書き:
 --- 注連縄を作る手順として、軸を作り、水に漬けた後に圧力をかけて柔らかくした稲わらとイグサを沢山かぶせ、最後にマコモというイネ科の丈夫な草で巻く --- 石垣辰見さん
 

  飼飯の海の庭好くあらし刈薦の 乱れ出づ見ゆ 海人の釣船        柿本人麻呂 巻3-256
   (刈ったコモは乱れやすいことから、枕詞として「乱れ」を導きます。 西国の旅からの帰路、淡路島付近で詠んだ歌。のびのびと帰京の喜びを謳いあげます。)

 吾が聞きに かけてな言ひそ 刈薦の 乱れて思ふ 君が直香そ       大伴像見 巻4-697

 三島江の 玉江の薦を 標めしより 己がとそ念ふ 未だ刈らねど      作者不詳 巻7-1348
  (恋しく思う心を、事物を通して表現します。)

 薦枕 相まきし児も 在らばこそ 夜の深(ふ)くらくも 吾が惜しみせめ      作者不詳  巻7-1414
  (編んだ莚を巻いて枕にするのを薦枕と言います。妻に死なれた男の歌ですね。独り身の孤独をかこちます)

 苅薦の 一重を敷きてさ寝れど も 君とし寝れば寒けくもなし         作者不詳 巻11-2520
  (苅薦は、薦そのものを表す場合と、薦を編んで作った莚を表す場合があります。)

 独り寝と薦朽ちめやも綾むしろ 緒になるまでに君をし待たむ        作者不詳 巻11-2538

 真菰刈る 大野川原の水隠りに 恋ひ来し妹が紐解く我れは        作者不詳 巻11-2703

 妹がため いのち遺せり刈薦の 念ひ乱れて 死ぬべきものを         作者不詳 巻11-2764

 三嶋江の 入江の薦を 苅りにこそ 吾をばきみは 念ひたりけれ        作者不詳 巻11-2766
  (淀川下流の地、三島は薦を刈る場所として知られています)

 畳薦 隔て編む数通はさば 道の柴草 生ひざらましを              作者不詳 巻11-2777
(薦を編んで畳にするのが、畳薦。枚数をひとへ、ふたへ、と表すことから「へ」を導く枕詞として使われます。)

 あふよしの 出で来るまでに畳薦 重ね編む数 夢にし見えむ         作者不詳 巻11-2855

 吾妹子に 恋ひつつあらずは 刈薦の 思ひ乱れて 死ぬべきものを       作者不詳 巻11-2864

 草枕 たびにし居れば苅薦の みだれて妹に 恋ひぬ日は無し         作者不詳 巻12-3176

 まを薦の 節の間近くて逢はなへば 沖つ真鴨の嘆きそ吾がする      東歌 巻14-3524

 みやこ辺に ゆかむ船もがかりこもの 乱れておもふ こと告げやらむ      羽栗 巻15-3640

 何所にそ 真朱穿る岳 薦畳 平群の朝臣が 鼻の上を穿れ            穂積朝臣 巻16-3843

 たたみけめ 牟良自が磯の はなりそのははをはなれて ゆくがかなしさ     助丁生部道麿 巻20-4338
     
 
さて、長野県の県歌:信濃の国(作詞浅井洌 作曲北村 季晴)に、「みすずかるしなの」というフレーズがあるのはよく知られていますね。
そもそも、信濃国に薦が生えている湖沼が多いことから、「水薦刈る」が「「信濃の国」の枕詞として表現されたことに始まります。

 水薦刈る 信濃の真弓吾が引かば うま人さびていなと言はむかも
 水薦刈る 信濃の真弓引かずして 弦はくる行事を知るとは言はなくに  
                      (久米禅師と石川郎女の贈答歌 巻2-96、97)

いかにも万葉の時代の修辞にふさわしい、素朴でおおらかな表現ですね。

この「水薦刈」三字を、江戸時代・享保年間の注釈書『万葉集童蒙抄』では「みすずかる」と訓み、更に賀茂真淵が「水薦刈」は「水篶刈(みすずかる)」の誤字としました。
以後、賀茂真淵の説が流布し定着し今日に至ります。どちらの言葉の響きがお好きですか? 信濃国には二つ枕詞がある、と考えましょうか。

それでは、現在この「みすず」が何を指すかについて、有力な説は三つ。
 スズタケ、 ネマガリダケ(チシマザサ) 、チマキザサ。
東北ではネマガリダケをスズタケと呼び、信州ではチマキザサをスズタケと呼ぶという。 那須では? さて古老にお尋ねしてみないといけません。
 
   信濃路 は今の墾道刈りばねに足踏ましむな沓はけ我が背      東歌 巻14-3999

(この歌は妻が夫を案じた歌とも、道路工事の宿に集まる遊女がなじみの客の身を心配している歌とも取れる、らしいのです)