ユーカリの実?      

  ユーカリの実を摘みに行く?→ ガムツリー → ユーカリ 
                                                                     正しくはスプルースガム  
 
 「あたいがやろうとさえ思えば何一つできないってことはなかったんだからね」とメアリは折さえあれば自慢するのだった。・・・・・虹の谷にユーカリを摘みにいけば、メアリが一番大きいのをたくさん摘んでは噛んで、それを自慢にした。 
                     『虹の谷のアン』 第6章 メアリ牧師館にとどまる

("Never struck anything yet I couldn't do if I put my mind to it," she declared. Mary seldom lost a chance of tooting her own horn. ・・・・・And when they all went picking gum in Rainbow Valley Mary always got "the biggest chew" and bragged about it. )
 

  おやすみ〜  
   オーストラリア・パース郊外にて

 ユーカリの実 とても硬い
 落ちた実を踏んで足を挫くこともある
 

孤児のメアリ・ヴァンスは、小さいころからその日を生き抜くために、周囲に注意を張り巡らせ、神経を張りつめて生きてきました。
「あたいがやろうとさえ思えば何一つできないってことはなかったんだからね」。
この自己肯定感、自尊心はいままでの寂しさ、悲しさ、孤独の裏返し。頭をめぐらし、すばしっこく立ち回るのが生きるすべだった人生の教えから獲得したもの。
ガム集めなどお手のものでしょう。

でも、このユーカリの実とは?

原文に、And when they all went picking gum in Rainbow Valley Mary always got "the biggest chew. とあるからには、訳者は口にして噛むものだとの認識があったはずです。(噛む (chew) ゴム (gum)

しかし、ここの部分を「ユーカリの実」と訳したのはなぜか?ユーカリの木とは、オーストラリア原産のフトモモ科ユーカリ属の樹木で、一部はゴムが採れることから、Gumtreeとも呼ばれます。
訳者は「
picking gum」に引かれ「ユーカリの実」と訳出したと想像しました。
そもそも耐寒性が一番ある種類でさえ、マイナス15℃までしか耐えられないことから、島にこのユーカリが生育していたとは考えにくいのです。

ではこのガムとは何か?
T巻の「トウヒ」のページを参考にしてください。

これは村岡訳のえぞ松(トウヒ)のガム。マツ科の樹木は、果物に似た香りのエステルを含む樹液を滲出させ、これが塊りになることから、中央アメリカや北米の先住民の間でこの樹液の塊りを噛む習慣がありました。
これが島の人々にも受け継がれたのでしょう。

ここでいつも思うこと・・・・・・なぜアンはこのメアリを引き取らなかったのでしょう。
孤児メアリの気持ちが一番理解できるのはアンではありませんか。
あなたはどう思いますか?


追記 2018.6.15  ある講演についての感想から、この件についての抜き書き:

このことで思い出したことがある。『虹の谷のアン』のなかに、孤児メアリ・ヴァンスがアンの子供たちと交流する場面がある。アンの生い立ちを知る読者はここで、「なぜアンは身近にいる孤児を引き取らないのか」との疑問を持つだろう。少なくとも私が不思議だと感じたように。

美意識が強く、美しい世界を構築しようとするアンは、メアリ・ヴァンスが持つ地べたを這いずり廻るような低俗さを許せなかったのではないか。
あるいは、メアリが現在経験している苦労がアンの現在を照らす時、辛かった子供時代を思い起こすからか。
メアリ・ヴァンスの不幸自慢が劣等コンプレックスとして働き、他人を、特に自分の子供たちを支配することを恐れたからか。
または家族と共にある暮らしを一点に集約できないことを恐れたのか。
モンゴメリ自身も性格的にメアリ・ヴァンスを受け入れがたかったのかもしれない。
または、ミス・コーネリアが、メアリ・ヴァンスを引き取ることで新たな人生を送ることのできるよう、深謀遠慮ののち、事態が動くのを期待していたのか。

  (ただし、決して愚かではない。メアリ・ヴァンスの靭さを見よ!)
もちろん正解はない。