万葉の植物 やまあゐ を詠んだ歌 2016.8.20 更新 |
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やまあゐ (万葉表記 山藍 ) ヤマアイ (トウダイグサ科) 山藍(ヤマアイ)は日本自生種。山地の林内に群生する多年性草本で雌雄異株。トウダイグサ科に属しますが、特有のカップ状の花 --- 杯状花序を形づくらず、緑白色の穂状の花を咲かせます。高さは40センチくらい。染料に使われた最古の植物です。古代の染色方法や、得られた色目も記録に無いので、どのような手順を経て山藍摺りが行なわれていたかは、想像するしかありません。 飛鳥時代にはすでに中国から渡来し、万葉時代以後に広く栽培された蓼藍(たであい) 、韓国から伝わった韓藍(からあい)と呼ばれる「藍」に対し、日本に古来ある藍を山藍と呼びます。また同時期、シルクロードを経由し、中近東やインドや中国を通じて伝来した紅花染めを、呉藍(くれあい)染めとも呼びます。 万葉時代に行われた山藍を使った染色方法は、蓼藍染めが盛んになるに従い、後世に伝えられることなくその技法は消滅してしまいました。 ところが、昭和五十一年和歌山県田辺市在住の染色作家・辻村喜一氏が、山藍の青色染色法を発見しました。その方法は「山藍の茎を使い銅で媒染した青摺り」の手法で、「山藍の色素は蓼藍(たであい)とは異なる水溶性で、加水分解で赤変するもの」。「銅媒染で藍色の染液がそのまま布に染着して、水洗しても流失しない」ことを発表したのです。辻村氏は、努力を積み重ねた歳月がもたらした色を、「遠く古代の先人が発見し、その染色方法を秘して後世に伝えようとしなかった幻の色」だと謙虚に語っています。 (辻村嘉一著 『萬葉の山藍染め』 染織と生活社) 山藍を使って染められた古代の色は、辻村氏が発見した文字通りの藍色だったのか、それとも葉緑素で染められた緑色だったのか。どちらなのでしょう。この山藍は、蓼藍(たであい)や琉球藍と異なり、青い色素(インディゴ)を持ちません。まったく異なる色素を持つと考えられます。 しかも古代の「青」は「緑」をも含む色でした。したがって緑色とも思えますし、あるいは古代人が先述の辻村氏の方法を会得していたとも考えられます。この場合は青または藍色だったのでしょう。山藍の神秘的な天然色素の正体はなにか。確かめてみたいものです。 『万葉集』に一首詠まれています。
河内の大橋を独去く娘子を見る歌一首。
(読み: かわちのおおはしをひとりゆくおとめをみるうたいっしゅ (古代人は裳が揺れるさまにいたく心を動かされました。丹塗りの橋、紅の裳、山藍で染めた衣。この色の対比がなんとも美しく、言葉を連ねていくリズムが軽やかで、唐の工法で架けられた橋を、唐風の衣装をまとった乙女が胸をそらせて渡っていく様子が眼前に迫ってくるようです。 「しなてる」、「くれなゐの」、「わかくさの」、「かしのみの」といった枕詞を駆使し、イメージを具体化させ、娘子がきびきびとした歩みを進める時の流れがより抒情的に表現されていて、その感動を切り取り表出しようとしています。あるいはこの光景は高橋虫麻呂の幻想だったのかもしれません。 片足羽川とは飛鳥川を源流とする現在の大和川。この「さ丹塗りの大橋」が架かる河内の国は渡来人やその子孫が多く住み、染色の技術を持つ人々が住んでいた土地でした。 山藍染めは神話の時代にもなされていました。
其の臣紅き紐著けし青摺の衣を服たり ・・・ (『古事記』 雄略記 )
青摺の裳唐衣あゐしてゑがきて赤紐など結びかけたれば・・ 清少納言 足引の山あいにすれる衣をば神につかふるしるしぞと思ふ 紀貫之
ゆふだすき千歳をかけてあしびきの山あゐの色はかはらざりけり 紀貫之 |