集中2首。
いずれも序文や、手紙に対する返書の中に引用されています。おそらく「らに」で惹起される「高貴な香り、品格ある佇まい、優れて立派であること」といった共通のイメージを表現するためかと思われます。
天平二年正月十三日、帥の老の宅に萃(あつ)まるは、宴会を申ぶるなり。時に初春の令き月にして、気淑く風和み、梅は披く、鏡の前の粉を、蘭は薫らす、珮(おび)の後ろの香を。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松羅(うすもの)を掛けて 蓋(きぬがさ)を傾け
----以下略。 作者不詳 巻5 815の序文
流麗な文章ですね。作者不詳となっていますが、これを書いたのは当時の大宰府長官・大伴旅人、あるいは山上憶良ではないかと考えられています。梅花の宴が開かれ官人が各1首の歌を詠む。その32首の歌に付けられた序文の前半です。
まだ珍しかった渡来植物の梅を愛でる集まりにふさわしい華麗さです。旧暦の正月に咲く花ということから、この蘭はシュンランと考えられています。
しかし、歌心、歌才の無い官人は、こういう場合いったいどう振舞ったのか。いやいや。教養を持ち合わせない官人はいないと考えるべきなのか。
忽に 芳音を辱くし ----- 蘭尅pを隔て 琴雛pゐるところなし--- 以下略
大伴池主 巻17 3967の序文
上記大伴旅人の子・大伴家持が越中国守だった時代、官下の大伴池主に送った手紙の返書としての文章。
MS-IMEを一生懸命探し、ようやく見つけることのできる難解な字を、軽がると書き連ねる当時の人たちの漢字力にただただ、脱帽するのみ。
「芳音」とは相手の手紙を尊んでいう言葉。そうなのか---と。
さらに時代が下ると、この「らに」は「フジバカマ・藤袴」を意味するようになります。
『源氏物語』藤袴の巻に、
「蘭の花の、いとおもしろきを、持給へりけるを、御簾の前より さし入れて---」とあります。
夕霧が玉蔓に渡そうとしたのは藤袴だったのですね。藤袴の花が「いとおもしろき」な頃といえば、秋も深まった頃でしょうか。
同じ野の 露にやつるる藤袴 あはれはかけよか ごとばかりかも 夕霧
太平記(14世紀。南北朝時代)まで時代がさらに下ると、このら「らに」はアララギ(イチイ・一位)の別称となり、シュンランが春蘭と詠まれるようになったのは、近代に入ってからのようです。 |