万葉の植物  らに   を詠んだ歌
                                              2011.1.22 更新

 
    

   
らに (万葉表記  蘭 )      シュンラン (ラン科)   フジバカマ (キク科)
       

蘭は漢語で古代は「らに」と読みました。香りの良い植物という意味ですね。すなわち「らに」は香草、匂いの良い植物と考えられます。もともとは、1本の花茎に1花をつける東洋蘭(1茎1花)のこと。

日本には、ラン科の植物が200種以上存在します。身近なところでは、このシュンラン、エビネ、カンラン、シラン、クマガイソウなど。万葉の時代の「らに」と考えられているシュンランは
、寒さ、暑さに強い常緑の多年草。早春に黄色と褐色の交じった斑入りの花を咲かせます。
ここ那須でも、時に雪の中に咲かせている姿を見ることもあるくらいです。
花姿から「ジジババ」「ジイサンバアサン」と呼ばれているのは、ご存じの通りでしょう。
花を塩漬けにしたものは蘭茶。古くからめでたい行事に
用いられます。
 (摘花してすぐに塩水に漬け、取り出したあと水を切り、塩の中で保存します。お湯を注ぐとぱぁっと花が開き、ふくよかな香りを楽しめます。強壮作用・解毒作用・食欲増進作用があるらしいのですね)

 

集中2首。
いずれも序文や、手紙に対する返書の中に引用されています。おそらく「らに」で惹起される「高貴な香り、品格ある佇まい、優れて立派であること」といった共通のイメージを表現するためかと思われます。

  天平二年正月十三日、帥の老の宅に萃(あつ)まるは、宴会を申ぶるなり。時に初春の令き月にして、気淑く風和み、梅は披く、鏡の前の粉を、蘭は薫らす、珮(おび)の後ろの香を。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松羅(うすもの)を掛けて 蓋(きぬがさ)を傾け
----以下略。  作者不詳 巻5 815の序文

流麗な文章ですね。作者不詳となっていますが、これを書いたのは当時の大宰府長官・大伴旅人、あるいは山上憶良ではないかと考えられています。梅花の宴が開かれ官人が各1首の歌を詠む。その32首の歌に付けられた序文の前半です。
まだ珍しかった渡来植物の梅を愛でる集まりにふさわしい華麗さです。旧暦の正月に咲く花ということから、この蘭はシュンランと考えられています。
しかし、歌心、歌才の無い官人は、こういう場合いったいどう振舞ったのか。いやいや。教養を持ち合わせない官人はいないと考えるべきなのか。
 

  忽に 芳音を辱くし ----- 蘭尅pを隔て 琴雛pゐるところなし--- 以下略 
                                        大伴池主 巻17 3967の序文

上記大伴旅人の子・大伴家持が越中国守だった時代、官下の大伴池主に送った手紙の返書としての文章。
MS-IMEを一生懸命探し、ようやく見つけることのできる難解な字を、軽がると書き連ねる当時の人たちの漢字力にただただ、脱帽するのみ。
「芳音」とは相手の手紙を尊んでいう言葉。そうなのか---と。
 

さらに時代が下ると、この「らに」は「フジバカマ・藤袴」を意味するようになります。

『源氏物語』藤袴の巻に、
「蘭の花の、いとおもしろきを、持給へりけるを、御簾の前より さし入れて---」とあります。
夕霧が玉蔓に渡そうとしたのは藤袴だったのですね。藤袴の花が「いとおもしろき」な頃といえば、秋も深まった頃でしょうか。
 
 同じ野の 露にやつるる藤袴 あはれはかけよか ごとばかりかも   夕霧

太平記(14世紀。南北朝時代)まで時代がさらに下ると、このら「らに」はアララギ(イチイ・一位)の別称となり、シュンランが春蘭と詠まれるようになったのは、近代に入ってからのようです。