万葉の植物  やなぎ  を詠んだ歌
                         2011.5.8 更新

 
  
遊行柳 (栃木県那須町芦野)          柳と桜のコラボレーション 2011.4.24
   やなぎ (万葉表記  柳 楊 夜奈宜 楊那宜 楊奈疑 夜奈枳 )   シダレヤナギ (ヤナギ科)

ヤナギは柳、楊と書き表し、カワヤヤギ(ネコヤナギ)、バッコヤナギ、コウリヤナギ(行李ヤナギ)、シダレヤナギ類の総称。楊はヤナギの仲間で枝が垂れないヤナギ、しなやかに枝が垂れるヤナギは柳と称します。
しかし万葉集でははっきりと使い分けしていないようです。
春早くに萌えだす柳の芽は、生命力の象徴。それを頭に巻いたり、頭に挿したりして柳の持つ霊力を身に取り込もうとしました。

枝や葉にサリチル酸を含みます。漢方では解熱鎮痛薬としても用いられ、アスピリン合成のきっかけともなった植物です。日本では枝が歯痛止めや爪楊枝の材料として用いられていますね。聖なる木としての意味が 正月の「柳箸」に伺えます。
 道のべに 清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ  西行 『新古今集』 (那須、芦野にて詠む)

西行は桜の花を好みました。室町時代の初め、世阿弥は西行の庵にある老木の桜を題材に謡曲「西行桜」 を作りました。
さらに室町後期、観世信光(1435〜1516)は、西行が詠んだ歌を題材に謡曲 「遊行柳」を創作しました。

謡曲「遊行柳」では、遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の途中、老人の姿をした柳の精に出会い「朽木の柳」へ案内される。老人は、上人に念仏を授けられて成仏する 。上人に柳にまつわる故事を語り感謝の舞を舞う。

 田一枚  植て立去る 柳かな    芭蕉 『おくのほそ道』

        清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。

    
    此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、
        いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。

 柳散り 清水かれ石 ところどころ   蕪村  (柳散清水涸石処々 )

歌枕「遊行柳」には、代々植え替え続けられた柳の木と、上記の歌碑、句碑があります。


 青柳 梅との花を折りかざし 飲みての後は散りぬともよし        笠紗弥 巻5−821
(かざしとは「挿頭・かざし」。
 花や木の枝などを神に挿し飾りにすると共に、その植物の持つ霊力を身内に取り込むもの)

 梅の花 咲きたる園の青柳を かづらにしつつ遊び暮らさな      土氏百村  巻5−825
( 枝垂れた柳の枝を折り取り、頭に巻く。圭角のある心がこれで鎮まるでしょうか)

 うち靡く 春の柳と我がやどの 梅の花とをいかにか分かむ          史氏大原  巻5-826

 我が背子が 見らむ佐保道の 青柳を 手折りてだにも 見むよしもがも    坂上郎女 巻8−1432

 うち上る 佐保の川原の青柳は 今は春へとなりにけるかも          坂上郎女 巻8-1443

 春霞 流るるなへに青柳の 枝くひ持ちてうぐひす鳴くも           作者不詳  巻10-1821

 霜枯れの 冬の柳は見る人の かづらにすべく萌えにけるかも         作者不詳  巻10-1846

 青柳の 糸のくはしさ春風に 乱れぬい間に見せむ子もがも          作者不詳 巻10-1851

 梅の花 取り持ち見れば我がやどの 柳の眉し思ほゆるかも           作者不詳 巻10-1853

 柳こそ 伐れば生えすれ世の人の 恋に死なむをいかにせよとぞ        東歌 巻14-3491

 青柳の 萌らろ川門に汝を待つと 清水は汲まず ち処平すも         東歌 巻14-3546

 青楊の 枝伐り下ろしゆ種蒔き ゆゆしき君に恋ひわたるかも          作者不詳  巻15-3603

 春の日に 萌れる柳を取り持ちて 見れば都の大道し思ほゆ          大伴家持 巻19-4142

 君が行き もし久にあらば梅柳 誰れとともにか我がかづらかむ        大伴家持 巻19-4238