万葉の植物  やまぶき   を詠んだ歌
                         2011.4.3 更新

 
  
   やまぶき (万葉表記    山振 山吹 夜麻夫技 夜摩扶枳  夜麻夫枳  夜萬夫吉 )    
                    
ヤマブキ (バラ科)

山野に普通に見られる落葉低木で、那須では扇状地を流れる小川や、やや上部の渓流沿いなどに良く見られます。
花弁は5枚。八重咲きもありますが、八重は実を付けません。花期は5月。

   七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞあやしき   兼明親王(914-987年)

晩春、萌えきった雑木林の下に咲く姿は、その花色と相まってあでやか。枝をしなやかに伸ばし、さわやかな黄色の花をたわわに付けて風に揺れる景色は、「飽かぬ眺め」です。そばには遅咲きのツボスミレが咲いて。
山振とは、枝がしなやかで、5月特有の時に強く吹く風になびく様子から。

(おまけ)
山吹の太めの茎を折り取ってみると、内部はまるでスポンジのような白い物で満たされています。
子供のころ、それを引き出して口に含み、前歯でプツプツ噛み、遠くへ飛ばす、という遊びをしていました。)
 

 山振の立ちよそひたる山清水 くみに行かめど、道の知らなく   高市皇子  巻2-158
(山清水とは、生命を蘇らせる伝説の泉。)

万葉びとは、 山吹の花を生命の泉のほとりに咲く永遠の命を象徴する花と見ていました。山吹の花の黄色は黄泉の国の色。精霊が宿る岩清水の湧く場所に、十市皇女の魂が眠っているのではないか。
皇女に会いたい、と直截に詠むので無く、「会いに行こうと思うけれど、道が分からない」と詠む
高市皇子。異母姉の十市皇女を壬申の乱 の戦火から助け出し、父大海人皇子(のちの天武天皇)の元に連れ帰りました。この歌は十市皇女の死に際して詠みかけた歌。特別な感情を 持っていたのですね。)(山たづね。招魂の行事に亡き皇女への思いを述べる皇子)

  かはづ鳴く 神奈備川に影見えて 今か咲くらむ山吹の花         厚見王  巻8-1435
(このかはづはカジカ・河鹿のことか。季節の巡りと共に、死と再生を繰り返す聖なる動物。)

 花咲きて 実はならねども長き日に  思ほゆるかも山吹の花      作者不詳 巻10-1960

 かくしあらば  何か植ゑけむ山吹の やむ時もなく恋ふらく思へば   作者不詳 巻10-1907

 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも           大伴池主 巻17-3968

 山吹の 茂み飛び潜く鴬の  声を聞くらむ君は羨しも           大伴家持 巻17-3971

咲けりとも  知らずしあらば黙もあらむ この山吹を見せつつもとな    大伴家持 巻17-3976

 山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも         家持之妹 巻19-4184

 山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ        大伴家持 巻19-4186

 妹に似る 草と見しより我が標し  野辺の山吹誰れか手折りし     大伴家持 巻19-4197

 山吹は 撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり    置始長谷 巻20-4302

 山吹の 花のさかりにかくの如  君を見まくは千年にもがも       大伴家持 巻20-4302
(家持は、山吹の花を左大臣橘諸兄にたとえ、永遠の命もがも、と歌います)