万葉の植物  うり  を詠んだ歌
                          2011.9.6 更新

 

  
  マクワウリ              もちろんこれは栗 (山栗 芝栗とも言います

   うり (万葉表記   宇利 )      マクワウリ (ウリ科)

マクワウリとは漢字で書けば「真桑瓜」。甘瓜とも呼ばれるように、完熟したものを生食します。
夏の終わり、ようやく産直の店に出ていたのを買い求め食してみたものの、はるか昔に食べたあの甘い味が蘇るはずもなく、ただ思い出に浸るのみでした。

マクワウリは、漬物用のシロウリと共にメロンの変種です。 メロンの原産地はアフリカ・ギニア。
  ギニア → 古代エジプト → 中央アジア → ギリシャ・ローマ → ヨーロッパにメロンとして。
  ギニア → インド → (マクワウリに分化) → 中国 → 弥生時代に日本に渡来  

シロウリはインドで分化し、日本には6〜7世紀に伝わった。 とされています。
マクスメロンとメロンの交雑によってプリンスメロンが生まれ、手軽に楽しめるようになりました。

    瓜売りが瓜売りに来て瓜売り残し売り売り帰る瓜売りの声 ・・・・・ 早口ことば 
 

集中1首のみ。 しかしこの歌が手ごわい。

山上憶良 巻5-802に序文があります。

   子等を思ふ歌一首 序を并せたり。
釋迦如來い 金口に正に説きたまはく 等しく衆生を思ふこと  羅喉羅(らごら)の如しとのたまへり。又説きたまはく 愛は子に過ぎたりといふこと無しとのたまへり。至極の大聖すらなほし子を愛(うつく)しぶる心あり。況むや世間の蒼生の  誰かは子を愛しびずあらめや。

羅喉羅(らごら)とは「束縛するもの」の意味。
子は束縛するもの、しかし愛しい存在と大悟に達した釈迦でさえ迷う---。

 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何處より 来りしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 
   安眠し寢(な)さぬ       山上憶良 巻5-802

  その反歌として
 銀も  金も玉も何せむに 勝れる寶子に及かめやも 山上憶良 巻5-803
  (しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたからこにしかめやも)

 
この2首を子供讃歌と理解すべきなのかもしれません。
しかし。年齢を重ねた今、愛することは煩悩だと知りました。己を束縛し、相手を己に縛るもの、愛。 愛に苦しむ人間の姿を実感します。 こどもはどういう因縁によって来たのか 。これからの人生、どう繋がっていくのか。
神亀5年(728年)7月21日。憶良この時に69歳。当時の上官であった大宰府帥・大伴旅人の妻の死を悼む歌(日本挽歌)を献上した、その同日に上記2首を詠んでいます。
親子のえにし、子供との縁。これはどこに由来するものか。結びつくがゆえに、苦しむことのある愛。これをテーマに悩む憶良。

反歌  
銀も  金も玉も何せむに 勝れる寶子に及かめやも 

こう自分に言い聞かせてはみるものの、
憶良の心は晴れません。 
哲学的思考を、現実の愛にすり替えて満足、あるいは満足しようとしたとも取れる歌。

   * 初真桑四つにや断らん輪に切らん   芭蕉