万葉の植物  つばき   を詠んだ歌
                           2011.4.13 更新              

 
  
   つばき (万葉表記  椿 海石榴  都婆技 都婆吉)       ツバキ ( ツバキ科)

日本原産の植物、ツバキ科の常緑高木。
花は2月から4月で漏斗状。。ヤブツバキ、ヒゴツバキ、ユキツバキなど種類が豊富で、我が家に植えたのは日陰に耐えるヤブツバキ。種子からは椿油が取られ、伊豆大島や奄美大島の名産品です。
椿は古くから聖なる樹木として信仰の対象とされていました。記紀の時代には、椿の花を天皇を褒め称える形容として使われたり、あるいはその霊力を身に付けるために、頭に挿したり身に着けたりしたようです。
材を武器として使ったのもその霊力に因るのかもしれません。
ヤブツバキを母種として多くの園芸椿が作出されています。
昭和の年代に、柏の木の少ない関西では端午の節句にサルトリイバラで「柏餅」を作りました。葉っぱの数が足りない時には、急いで椿の葉を集めてきます。
今に思えば聖なる木の葉で作る柏餅ほど、神饌にふさわしいものはありませんね。
『牛をつないだ椿の木』 (新見南吉) この本を読んだ小学生のころの、あの素直な心はどこへ消えてしまったのでしょう。

*日本原産の常緑樹ツバキが、その花の美しさ以上に有用な木材としての価値が大きかったようです。たとえば、漆塗りの櫛、石斧の柄はツバキの木からできていて、椿材を加工したもの。漆の櫛など5000年以上も歴史をさかのぼることができるようです。
あるいは武器の材料として、棺や椎の材料としても利用されていました。752年、大仏開眼供養において、孝謙天皇が使用した杖はツバキ製でした。今も正倉院にこの杖が残されています。
17世紀以降、ヨーロッパへ紹介され、特に19世紀には園芸植物として盛んに栽培されました。
 

『万葉集』には9首。

 巨勢山の つらつら椿つらつらに  見つつ偲はな巨勢の春野を    坂門人足 巻1-54
(持統上皇大宝元年(701年)の秋9月紀伊行幸の折り、、飛鳥から高取町を経由し(現)御所市戸毛・古瀬の曽我川を遡り、重坂峠を越えて吉野や和歌山県へ至る古道で、坂門人足が詠んだ歌。命の象徴であるツバキに、天皇の治世を重ね、巨勢の土地を誉めあげ旅の無事を祈ったか。つらつらつばきつらつらに、という表現が独創的ですね。
「偲ふ」には、今目の前に無いものを想像し、心の底から深く思う意味があります。)

 川上の つらつら椿つらつらに  見れども飽かず巨勢の春野は  春日蔵首老 巻1-56

 我妹子を  早見浜風大和なる 我を松椿吹かざるなゆめ     長皇子 巻1-73
  (松=待つ、椿=椿のように美しい人)

 あしひきの  山椿咲く八つ峰越え 鹿待つ君が斎ひ妻かも     作者不詳 7-1262

 三諸は 人の守る山  本辺には馬酔木花咲き 末辺は椿花咲く うらぐはし山ぞ泣く子守る山 
                                    作者不詳 巻13-3222
(4,7と続く古歌。三諸とは三輪山。椿の木が多かったのですね。その三輪山の麓、山の辺の道の起点である海石榴市(つばいち)

 奥山の 八つ峰の椿つばらかに  今日は暮らさね大夫の伴     大伴家持 巻19-4152

 わが背子と  手携はりてあけ来れば 出で立ち向ひ夕されば 振り放け見つつ思ひ延べ
                               .......(長歌) 大伴家持 巻19-4177

 我が門の 片山椿まこと汝れ  我が手触れなな土に落ちもかも   物部広足 巻20-4418
(椿の花の散るさまと、恋のはかなさ)

  あしひきの  八つ峰の椿つらつらに 見とも飽かめや植ゑてける君  大伴家持 巻20-4481