万葉の植物  たけ   を詠んだ歌
                             2012.2.15 更新            

 

     
      孟宗竹                        黒竹  左に見えるのは行者にんにく

     たけ    (万葉表記   竹 多毛 太気)     竹類 (イネ科)

一年中緑の竹は古代、呪力を持つとされていました。竹に神を呼び寄せる力があると信じられていたようです。

竹の種類は多く、真竹、孟宗竹、黒竹、篠竹、根曲竹、支那竹、淡竹、布袋竹、呉竹など。
真竹は材として優秀で、他方面に使われます。皮は食品の包装に使われるので、街中でも目にする機会があるでしょう。
布袋竹は根元が膨らんだ細い竹。昔は釣り竿に用いられました。
黒竹は皮の美しさから籠の材料として。根曲竹は、当地では「地竹・じたけ」と呼ばれ、小さいながら美味で知られます。
淡竹は別名唐竹、呉竹と呼ばれ、皮は赤味を帯び食すのにアク抜きが必要ありません。篠竹を切り取って笛にしませんでしたか。
孟宗竹も掘りたてはアク抜きはいりません。こちら那須では関西よりも一月遅れで孟宗竹の旬を迎えます。

真竹や淡竹(呉竹)の皮は肉屋で肉を包むのに用いられ、竹細工にも用いられますね。竹の皮を敷いて料理をすると、鍋底が焦げ付かず、ふっくらと味の沁みた煮込み料理ができるので、たまに手に入ると大事に保存しておくのでした。

中国では品格のある植物を三友(竹 松 梅)、四君子(竹 梅 菊 蘭)、五友(竹 梅 菊 蘭 蓮)と呼んでいます。
 『枕草子』 で清少納言は、殿上人が差し出した呉竹をに、「おいこの君でしたか」と呼びかけ、漢籍に通じ機智に富んだところを見せています。

では、竹と笹の違いは?
稈が太く背が高く生長するのが竹、稈が細く丈があまり伸びないものを笹と呼ぶか、というとそうでもありません。
植物学的に言うと、生長するとが脱落するものをタケ、枯れるまで付いているのをササと呼ぶようです。混乱します。
竹と笹は厳密に区別されていたわけではなく、竹の葉を笹と呼ぶ例もありますね。♪笹の葉さらさら♪傾向としては主に稈を利用するのを竹と呼んでいるようです。ネマガリタケ、シノタケなどの例もありますし。
地震や水害に強いので、屋敷の裏に植える場合が多い---そうでした。実家の裏には竹の林があり、父親が「地震の時には竹の林に逃げ込め」と言っていたのを思い出します。

集中21首。細く背丈の小さな竹は「小竹・細竹(しのたけ)」として詠まれています。

  
  秋山の したへる妹なよ竹の とをよる子らは.......(長歌)     柿本人麻呂  巻2-217
    (吉備津采女の死を悼んで人麻呂が詠む)(「なよ竹」はしなやかな竹。「とをよる」に掛かる枕詞)

なゆ竹の とをよる御子さ丹つらふ  我が大君は.......(長歌)     丹生王 巻3-420
(「よをよる」とはしなやかに撓むこと。若い女性の形容にぴったりですね。
 なゆ竹 ---- 母音転換によるもの)

梅の花  散らまく惜しみ我が園の 竹の林に鴬鳴くも            阿氏奥島 巻5-824
   (枕詞としてではなく、竹そのものの形容を詠んだ歌。鶯を配しているのが風流で、宮廷や貴族の庭には竹が植えられていました。)

さす竹の 大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君               石川足人 巻6-955
  (「さす竹」は枕詞。「さき竹の」「植竹の」もおなじ。「さす」は芽生える、生長する、と言う意味でその生長の速さから、繁栄・長寿をを表し、「大宮」「皇子」などを導く枕詞。)

我が背子を いづち行かめとさき竹の そがひに寝しく今し悔しも      作者不詳 巻7-1412

大和には 聞こえも行くか大我野の 竹葉刈り敷き廬りせりとは        作者不詳 巻9-1677

 あらたまの 寸戸が竹垣網目ゆも 妹し見えなば我れ恋ひめやも         作者不詳 巻11-2530
  (ほんの僅かでも、あなたの姿を竹垣の間から見ることが出来たら、恋しくなど思わない。垣間見ることさえできないので、恋しくてたまらない。)

さす竹の 世隠りてあれ我が背子が 我がりし来ずは我れ恋めやも  作者不詳 巻11-2773
   (「さす竹の」は「よ」に掛かる枕詞。竹の節と節の間を「よ」と言います)

 植竹の 本さへ響み出でて去なば 何方向きて妹が嘆かむ         東歌 巻14-3474

   巻16-3791のの題詞に、
  「昔老翁ありき。號を竹取の翁と曰ひき。此の翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに---」と竹取物語に繋がる内容の記述があります。

 さす竹の 大宮人は今もかもひとなぶりの み好みたるらむ       中臣宅守  巻15-3758
(さす竹は大宮人にかかります。宮廷を賛美する言葉でした。中臣朝臣宅守が越前の国へ流された時に、 狹野茅上娘子との間に詠み交わした歌。

 御苑生の 竹の林に鶯は  しば鳴きにしを雪は降りつつ         大伴家持 巻19-4286
(宮廷にある竹林なので御苑生・みそのふと呼ばれます。冬の雪と春の鶯。このふたつを結びつける竹の、ある時は白くひかり、あるときは風に揺れる、その美しさよ)

 わが屋戸の いささ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕べかも  大伴家持  巻19-4291
(絶唱三首。春の風にかすかな音を立てる竹の、そのひそやかな動きを家持はどう感じていたのでしょう。 円熟した境地、繊細な情趣を感じます。竹そのものではなく、竹がささやく音に感応する詩人家持。天平勝宝五年・753年陰暦4月1日に作った歌。)ついで下の2首を詠みました。

       春の野に 霞たなびきうら悲し この夕影に鴬鳴くも              家持 巻19-4290
       うらうらに 照れる春日にひばり上がり 心悲しも独し思へば      家持 巻19-4292

(この三首、家持の歌人として到達した境地が現れています。 藤原氏の台頭、大伴氏の氏長者としての立場が侵食される、権力闘争に巻き込まれる予感など---悩み、鬱々とした気分、春の愁い---これらが総合して家持の気持ちを晴れやらぬものにしています。『古今集』に繋がる歌風に達していると言えましょう。)