万葉の植物 さら  を詠んだ歌
                            2012.9.20 更新          

 

      
   サラソウジュの葉 (沙羅双樹)               シャラ (ナツツバキ 夏椿)

     さら  (万葉表記   沙羅 )    サラ (フタバガキ科)

インド中部からネパール、アッサム(標高1500メートル前後)地方に生育。
ヒンディー語ではサールと呼ばれ、日本語の「さら」はこの呼び方から。
乾季と雨季がある土地に育ち、乾季には落葉します。幹高は30mにも達し、春に白い花を咲かせ、その花の香りは、まるでジャスミン。

沙羅はラワンの一種レッドラワンと同属。
材は硬く、耐久性に優れ、節が少なく寺院建築に使われます。
釈迦がクシナガラで入滅したとき、臥床の四辺---東西南北に2本づつ8本植えられたていたが、時ならぬ花を咲かせたちまちに枯れた、と言われる沙羅 双樹。
その枯れた木々が白く変わり、まるで鶴の群れのように見えたと伝わります。(「鶴林」)。
仏教との関わりが知られるところです。
しかし上は、ヒンドゥ教を信じる人たちが沙羅の葉を何枚か重ねて縫い合わせ、食器にするために売られている写真。
現在ももヒンドゥ教の祭祀の時に使われています。特に葬祭などの不浄な行事では欠かすことのできないもの。
   (ネパール、カトマンズの市場で)

耐寒性が弱く、日本では温暖な地域の仏教寺院や植物園に植えられている程度で 、いまだに目にしたことはありません。
そのため、寺院では沙羅の木の代用としてナツツバキ(ツバキ科)が植えられることが多いようです。
ナツツバキは、関西以西では気候の影響で、なかなか栽培が難しく、大阪在住時代には一目見てみたいと憧れた木でした。

 シャラ (ツバキ科)
樹高10メートルまで育つ落葉高木。6月下旬から7月にツバキに似た白い花を咲かせます。
まだらに剥げるすべすべした赤褐色の樹皮を持ち幹の美しさも独特。
 

巻5の巻末近く、山上憶良の「沈痾自哀の文」が載せられています。
老病を嘆き、自らを哀れむ思いを、仏教、儒教、老荘などの知識を動員し難解な漢文調の文章でつづったもの。死の直前に書かれた文章で、時置かずして億良死す。74歳
「沈痾自哀の文」は難解な長い文なので、興味のある方は、検索を。

その「沈痾自哀の文」の最後に「道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序 」とあり、以下の文が記録されています。

  竊に以るに釋慈の示教 釋氏慈氏を謂へり先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり・・・・五戒 謂ふ所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み釋迦能仁は金容を 「
双樹」 に掩へり。・・・・ 内教に曰く「黒闇の後に来らむを欲せずは徳天の先に至るに入ること莫かれ」と徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る生必ず死有り死若し欲はざらむは生まれぬには如かず。况乎縦ひ始終の恒数を覚るとも何にぞ存亡の大期を慮(おもひはか)らむ。   
     俗道の変化は撃目の如く 人事の経紀は申臂の如し 空しく浮雲と大虚を行き 心力共に尽きて寄る所無し

老身重病年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌五首 長歌一首、反歌四首

  玉きはる 現(うち)の限りは 平らけく 安くもあらむを 事もなく喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩を 灌ぐちふごとく ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと いふことのごと 老いにてある 吾(あ)が身の上に 病をら 加へてしあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思(も)へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを 棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ  巻 6-897

  慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ       巻6-898
  すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど子等に障りぬ  巻6-899
  水沫なす脆き命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ         巻6-902
  しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも  巻6-903

 士(をとこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして   巻6-978