万葉の植物  をみなえし  を詠んだ歌
                           2011.8.15 更新              

 
  
                       これは  おとこえし(男郎花)オミナエシ科

  
をみなえし   オミナエシ ( オミナエシ科)
    万葉表記  姫部四 佳人部為 姫押 美人部思 娘子部四 乎美奈敞之 姫部志 娘部志 娘部志 
            
オミナエシ科の多年草。
秋の七草のひとつ。
那須では、秋にはまだ早い7月下旬から8月の旧盆にかけて花を咲かせます。
日当たりの良い山地や草原 を好み、、背の高さは約1メートルほど。葉は対生で波状に切れ込んでいます。
全草が黄色味を帯び、初秋に黄色い小さな花を咲かせます。その様子から粟花とも言われます。原産地は日本。

今日は終戦記念日で旧盆の15日。今日の日に合わせたかのように、庭のオミナエシが満開です。黄色の花を粟や黍のご飯に見立てて「女飯・おみなめし」が語源とされます。
そもそも、粟の飯を女飯、普通の白米飯を男飯と表現するところがくやしい。しかし「女飯・おみなめし」の言葉が使われ始めたのは室町時代以降。万葉の時代にはこの言葉は 遣われていません。
ここは万葉の表記にあるように、オミナエシの美しさを詠んだと考えたいですね。

集中14首。
にほふように美しい花として、あるいは序詞として使われる、美しい女性を表す、このような歌われ方をしています。
なかでも、「佐紀」の枕詞として、あるいは「咲く」を導く序詞として使われているのが目立ちます。
佐紀とは奈良市の北西部、奈良丘陵の南西斜面で、古墳時代前期中ほどから後半にかけてのヤマト政権の王墓古墳が残る地。秋というより、夏の名残ともいえないほど夏草の茂る、日当たりの良い斜面一面にオミナエシが咲き乱れていたのでしょうか。


 
をみなへし  佐紀沢に生ふる花かつみ かつても知らぬ恋もするかも       中臣郎女 巻4-0675
(中臣郎女が大伴家持に贈った歌。をみなえしが咲く→佐紀沢→花かつみ→「かつても」にかかる家持に激しく恋をしていたのですね。しかし、家持からの返答はありません。)

 をみなへし佐紀沢の辺の真葛原いつかも繰りて我が衣に着む           作者不詳 巻7-1346

 をみなへし  秋萩交る蘆城の野 今日を始めて万世に見む             作者不詳  巻8-1530
   
 をみなへし  秋萩折れれ玉桙の 道行きづとと乞はむ子がため           石川老夫 巻8-1534

 をみなへし  佐紀野に生ふる白つつじ 知らぬこともち言はえし我が背      作者不詳 巻10-1905

  ことさらに  衣は摺らじをみなへし 咲く野の萩ににほひて居らむ        作者不詳 巻10-2107

 手に取れば 袖さへにほふをみなへし この白露に散らまく惜しも        作者不詳 巻10-2115

 我が里に  今咲く花のをみなへし 堪へぬ心に なほ恋ひにけり         作者不詳 巻10-2279
   (おみなえしとは恋しい娘の隠喩)

 秋の田の  穂向き見がてり我が背子が ふさ手折り来るをみなへしかも       大伴家持 巻17-3943

 をみなへし  咲きたる野辺を行き廻り 君を思ひ出た廻り来ぬ            大友池主 巻17-3944
(大友池主と大伴家持は一族として交友深い関係にありました。親近の情を素直に表現しています)

 ひぐらしの  鳴きぬる時はをみなへし 咲きたる野辺を行きつつ見べし        秦八千島 巻17-3951

 をみなへし  秋萩しのぎさを鹿の 露別け鳴かむ 高圓の野ぞ           大伴家持 巻20-4297
(家持色の濃い歌。旧暦8月12日、家持は友人と酒を携えて高円山へ登り、歌を作りました。萩とおみなえしが咲く初秋の野を、雄鹿が押し伏せて鳴くだろうと。定型の美しさ。)

 高圓の  宮の裾廻の野づかさに 今咲けるらむをみなへしはも              大伴家持 巻20-4316
 

 萩の花  尾花葛花なでしこの花 をみなへし また藤袴朝顔の花  山上憶良  巻8-1538
        秋の七草