万葉の植物  むらさき   を詠んだ歌
                                2011.7.15 更新         

 

    
       写真は セイヨウムラサキ (西洋紫)   

   むらさき  (万葉表記  紫 紫草 牟良佐伎  武良前)        むらさき (ムラサキ科)

 ムラサキ科 の多年草。日当たりの良い草原などに生えます。古代には「群れて咲く」→「ムラサキ」と名づけられたほど繁殖していたようですが、いまや絶滅の危機に瀕しています。茎はまっすぐ立って側枝を伸ばし日当たりを求め、根は乾燥させると、濃紫色に変化します。
紫色をした紫根は太く、紫色の染料に利用されていました。紫根は殺菌作用るを持つとされ、漢方では生薬としても利用されています。
写真は栽培しやすいセイヨウムラサキ(西洋紫)。那須では6月 に小さi白い花を咲かせます。
紫色は日本の基本色のひとつ。
古代から、紫色は高貴な色、気品のある神秘的な色とされています。紫草の栽培が困難だったため珍重され、聖徳太子の定めた冠位十二階では、紫は最上位の大徳の冠の色とされ ました。

[染めかた」
紫根を乾燥させ粉末にし、湯に溶かし色素を抽出し、灰汁による媒染を何回も行って染め上げられます。ムラサキそのものの栽培が困難なこと、染色に多大な手間がかかることから、紫根染めされた染物は高価ですが、実際に目にするとその色に魅入られるような深さを感じます。

[媒染]
紫色を生地に定着させるのには椿の灰が使われます。灰の中に含まれる鉄分が仲介役を勤めるわけですね。
下の歌の
  紫は  灰さすものぞ海石榴市の 八十の街に逢へる子や誰れ 作者不詳 巻12-3101
   海石榴市(つばいち)と椿を、媒染と灰さすという言葉を重ねてあるのでしょう。

万葉集には16首に登場します。紫草そのものを詠んだ歌と、紫色のイメージを詠み込んだ歌があります。
どちらの場合も醸し出す雰囲気が神秘的です。


 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る      額田王 巻1-20
  (万葉集の中で一番好き、という女性が多いのがこの歌。いわずと知れた額田王の作。元の夫・大海人皇子への秘めた思いを歌い上げた、宴席の中での歌、などと歌意には各論あります。私は中年になった額田王の、世知長けた様子を感じるのですが---ああ夢の無いこと!)

 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも         大海人皇子 巻1-21
  (5月5日の薬狩りの日の夕刻からの宴に、かつて子までなした額田王との軽妙な言葉のやり取りから、大海人皇子の大人ぶりを見て取れます。はてこの時兄である中大兄皇子は、このいきさつをどう見ていたのか。)

 託馬野に生ふる紫草衣に染め いまだ着ずして色に出でにけり  笠女郎 巻3-395

 韓人の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも          麻田陽春 巻4-569
   (色彩としての紫の色。それが心に染みいるようにあなたを思っているのです)

 紫の名高の浦の真砂土 袖のみ触れて寝ずかなりなむ       作者不詳 巻7-1392

 紫草の 根延ふ横野の春野には君を懸けつつ鴬鳴くも       作者不詳 巻10-1825

 紫の帯の結びも解きも みずもとなや妹に恋ひわたりなむ     作者不詳 巻12-2974    

  紫草を 草と別く別く伏す鹿の野は異にして心は同じ        作者不詳 巻12-3099

  紫は 灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ    作者不詳 巻12-3101
  (万葉の時代、名前を聞くことは求婚することを意味しました。)
 
  その返事が 
   ( たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行き人を誰と知りてか    作者不詳 巻12-3102)
     
 紫草は根をかも終ふる人の子のうら愛しけを寝を終へなくに     東歌 巻14-3500

 紫の 粉潟の海に潜く鳥  玉潜き出ば我が玉にせむ            作者不詳 巻16-3870
  (この場合の紫は、「こ」(濃)を引き出す枕詞として使われていますね。濃い→粉と連想するのでしょうか。
   紫を被せることで、玉がいかに貴重か---自分の愛情を強調しているような気がします。)

手に摘みていつしかも見むむらさきの根にかよひける野辺の若草    光源氏 『源氏物語』
                           (後の紫の上を拉致する前に詠んだ歌。)