み吉野の 玉松が枝ははしきかも 君が御言を持ちて通はく
額田王 巻2-113
(弓削皇子から苔むした松の枝を贈られたのに対して詠んだ歌。弓削皇子とは天武天皇の皇子。『万葉集』に天武天皇の子供としては最多の八首の歌が収録されている。歌を愛した風流人だったのでしょう。それとも政治的な動きを見せなかっただけなのか?)
妹が名は 千代に流れむ姫島の 小松がうれに蘿生すまでに 河辺宮人 巻2-228
(和銅4年(711年)、河辺宮人が淀川の河口にあった姫島に、どこからか流れ着いた乙女の屍があるのを見て悲しみ慰霊するために詠んだ歌。なぜこの乙女は亡くなったのか? 若い人生のその一瞬にいったいなにが起こったのか?)
(
この歌は挽歌です。早死、刑死、自殺といった異常死した死者を鎮魂するために歌われる歌。古代は死者の無念の思いがこの世に残り、生者に祟ると恐れられていました。死者の霊を慰めるため、悲しみを最大限に表現し、死は魂を慰撫することによってはじめて定まります。
死は穢れでした。異郷から来て行路死した人間は、村落共同体に属する人々にも、同じように旅する人々にも恐れの対象であり、畏怖すべき存在です。
魂が荒ぶることのないように、言葉を尽くし、冥福を祈り、祟り無きよう呪歌として詠みあげ、穢れを祓います。非情な姿に心を寄せ、魂の鎮魂を祈ります。永遠にその死を語り継ぐ行路死人歌を歌うことが慰霊の方法でした。)
いつの間も 神さびけるか香具山の 桙杉の本に苔生すまでに
鴨足人 巻3-259
奥山の 岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに
葛井広成 巻6-962
(「奥山の岩に苔生し」は「畏くも」の序詞。恐れ多くもこんな晴れがましい席で歌をうまく考えることもできません。
み吉野の 青根が岳の蘿むしろ 誰れか織りけむ経緯なしに
作者不詳 巻7-1120
(青根が岳とは、吉野宮滝の対岸の三船山の南にある山。「蘿むしろ」が木から垂れ下がってむしろのように見えたのですね。)
安太へ行く 小為手の山の真木の葉も 久しく見ねば蘿生しにけり
作者不詳 巻7-1214
奥山の 岩に苔生し畏けど 思ふ心をいかにかもせむ
作者不詳 7-1334
敷栲の枕は人に言とへや その枕には苔生しにたり
作者不詳 巻11-2516
結へる紐 解かむ日遠み敷栲の 我が木枕は苔生しにけり
作者不詳 巻11-2630
我妹子に 逢はず久しもうましもの 安倍橘の苔生すまでに
作者不詳 11-3227
神なびの 三諸の山に斎ふ杉 思ひ過ぎめや苔生すまでに
作者不詳 13-3228 |