万葉の植物  こけ   を詠んだ歌
                                         2012.5.11 更新

 

    
      ウメノキゴケ                      スギゴケ  中心の緑はゼニゴケ


   
こけ    (万葉表記  苔 蘿 薜 )    コケ類の総称  

コケ類には、スギゴケのようなセン類(鮮類)、ゼニゴケのようなタイ類(苔類)、ツノゴケ類、ウメノキゴケやニワツノゴケのような地衣類があります。
セン類、タイ類、ツノゴケ類は日陰や林床や湿った樹皮や岩などの上にも生えます。対してウメノキゴケの仲間は乾燥した樹皮などに生えます。
サルオガセは樹皮や枝に着生。
歌に詠まれた「苔つきの枝」「苔松」などに生える苔は、地衣類のウメノキゴケやサルオガセの仲間と考えられます。
歳月を経ることを表現するのに「苔生す」、「苔生すまでに」という言葉が使われています。
苔のたもと、苔の衣、苔の庵など出家した人が着る衣や隠遁者の住まいをさす言葉としても「苔」が使われます。


忘れてはならないのは、次の歌:
   わが君は 千世に八千世にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで 詠み人しらず  古今集


   み吉野の 玉松が枝ははしきかも 君が御言を持ちて通はく      額田王  巻2-113

    (弓削皇子から苔むした松の枝を贈られたのに対して詠んだ歌。弓削皇子とは天武天皇の皇子。『万葉集』に天武天皇の子供としては最多の八首の歌が収録されている。歌を愛した風流人だったのでしょう。それとも政治的な動きを見せなかっただけなのか?)

  妹が名は 千代に流れむ姫島の 小松がうれに蘿生すまでに     河辺宮人  巻2-228

(和銅4年(711年)、河辺宮人が淀川の河口にあった姫島に、どこからか流れ着いた乙女の屍があるのを見て悲しみ慰霊するために詠んだ歌。なぜこの乙女は亡くなったのか? 若い人生のその一瞬にいったいなにが起こったのか?)

   ( この歌は挽歌です。早死、刑死、自殺といった異常死した死者を鎮魂するために歌われる歌。古代は死者の無念の思いがこの世に残り、生者に祟ると恐れられていました。死者の霊を慰めるため、悲しみを最大限に表現し、死は魂を慰撫することによってはじめて定まります。
死は穢れでした。異郷から来て行路死した人間は、村落共同体に属する人々にも、同じように旅する人々にも恐れの対象であり、畏怖すべき存在です。
魂が荒ぶることのないように、言葉を尽くし、冥福を祈り、祟り無きよう呪歌として詠みあげ、穢れを祓います。非情な姿に心を寄せ、魂の鎮魂を祈ります。永遠にその死を語り継ぐ行路死人歌を歌うことが慰霊の方法でした。)

 いつの間も 神さびけるか香具山の 桙杉の本に苔生すまでに      鴨足人 巻3-259

 奥山の 岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに         葛井広成 巻6-962

(「奥山の岩に苔生し」は「畏くも」の序詞。恐れ多くもこんな晴れがましい席で歌をうまく考えることもできません。

 み吉野の 青根が岳の蘿むしろ 誰れか織りけむ経緯なしに       作者不詳 巻7-1120

(青根が岳とは、吉野宮滝の対岸の三船山の南にある山。「蘿むしろ」が木から垂れ下がってむしろのように見えたのですね。)

 安太へ行く 小為手の山の真木の葉も 久しく見ねば蘿生しにけり     作者不詳 巻7-1214

 奥山の 岩に苔生し畏けど 思ふ心をいかにかもせむ           作者不詳 7-1334

 敷栲の枕は人に言とへや その枕には苔生しにたり            作者不詳 巻11-2516
 
 結へる紐 解かむ日遠み敷栲の 我が木枕は苔生しにけり        作者不詳 巻11-2630
 
 我妹子に 逢はず久しもうましもの 安倍橘の苔生すまでに       作者不詳 11-3227

 神なびの 三諸の山に斎ふ杉 思ひ過ぎめや苔生すまでに        作者不詳 13-3228