万葉の植物 かや  を詠んだ歌
                              2012.1.19 更新           

 

     
     ススキを束ねて屋根材として使う         チガヤ (イネ科)  秋には赤く色づきます。


   
かや (万葉表記  加夜 萱 草 )    屋根を葺く材料の草本 ススキ、チガヤ、カルカヤ、カサスゲなど。

屋根材として刈る草をかやと呼びました。その代表はススキです。手入れをしながら暮らすとおよそ60年は持つと言われます。
屋根葺きの材料として一番優れていることから、「み草」とも呼ばれました。

     秋の野のみ草刈り葺きやどれりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ  額田王  巻1-7

萱葺き屋根の家。これは日本の景色の原点。古代からススキで葺いた屋根は贅沢なものでした。
相棒の実家も、私の母親の実家も、萱葺き屋根の下で生活を営んでいました。夏はその強力な断熱効果から涼しく、冬は囲炉裏の火を囲む日々。--- 冬は暖かい、と言いたいところですが、寒冷地だけに実際はそれほど暖かくはありません。
屋根を葺き替える時には、部落中の人総出であっという間に仕事を終えてしまったとは相棒の話です。左写真のススキの束はおそらくそのために蓄えておくのでしょう。

チガヤ、カサスゲなどの植物もススキの代用として使われていました。
苫屋(とまや)は代用品で葺いた粗末な草葺きの家を指します。
 

  わが夫子は仮廬作らす草(かや)なくば小松が下の草を刈らさね  中皇命(なかつすめらみこと) 巻1-11

  (中皇命とは、舒明天皇の皇女、母は斉明・皇極女帝。兄は中大兄皇子(後の天智天皇)。叔父である孝徳天皇の皇后(間人皇后)。この歌は父の舒明天皇や中大兄皇子と共に、紀州の湯崎温泉(白浜温泉の近く)へ向かう途中、中大兄皇子が仮の庵を作っているのを見て詠みました。二人はとても中の良い兄妹です。この場合の「草」は、「かや」、あるいは「くさ」という意味。)

 大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや  日並皇子命(ひなめしのみこのみこと) 巻2-110

  (この大名児とは石川郎女。日並皇子命が思いを寄せる女性。日並皇子命とは天武天皇とのちの持統天皇の間に生まれた第1皇子で、両親の期待を一身に集め、周囲から皇位に付くと期待されていた草壁皇子のこと。名前に「命」が付くのは他に高市皇子命しかいません。
この石川郎女に好意を寄せるもう一人の皇子がおりました。それは大津皇子。持統天皇の姉で早逝した大田皇女と天武天皇の間の皇子です。体格に優れ博覧で文もたくみ、快活で人望を集めていた皇子。ではこの大津皇子と石川郎女との相聞歌をみてみます。)

        あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに  大津皇子 巻2-107

        我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを   石川郎女 巻2-108

(どうでしょうか。これは大津皇子に軍配があがりますね。しかし、上記の日並皇子命(草壁皇子)の歌も、素直な歌いぶりで好感が持てませんか。そして大津皇子は恋する石川郎女と共寝したことをうたい、二人の仲を公表します。)

        大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し    大津皇子 巻2-109

(運命はいたずらするもの。天武天皇の後を継ぎ即位した持統天皇は、息子の草壁皇子を皇位に付かせたいと思うが、それもかなわず草壁皇子は早逝してしまいます。持統天皇の次に取った策は、大津皇子を謀反の罪で葬り去ることでした。)

        大津皇子辞世の歌。
        百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ  巻3-416   
     
刈った萱は束ねにくく、風に飛びやすいことから「乱れ」を導く枕詞として使われます。
み吉野の秋津の小野に刈る草の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き     作者不詳 巻12-3065

 陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを        笠郎女 巻3-396

(笠郎女は、山部赤人と同時代の宮廷歌人笠金村の娘と伝わります。情熱的で大伴家持を慕う歌を力強くうたいあげます。
       我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも      笠郎女 巻4-595

       思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし  笠郎女 巻4-603