万葉の植物 かや を詠んだ歌 2012.1.19 更新 |
![]() |
|
![]() 屋根材として刈る草をかやと呼びました。その代表はススキです。手入れをしながら暮らすとおよそ60年は持つと言われます。 屋根葺きの材料として一番優れていることから、「み草」とも呼ばれました。
萱葺き屋根の家。これは日本の景色の原点。古代からススキで葺いた屋根は贅沢なものでした。
チガヤ、カサスゲなどの植物もススキの代用として使われていました。 |
![]() (中皇命とは、舒明天皇の皇女、母は斉明・皇極女帝。兄は中大兄皇子(後の天智天皇)。叔父である孝徳天皇の皇后(間人皇后)。この歌は父の舒明天皇や中大兄皇子と共に、紀州の湯崎温泉(白浜温泉の近く)へ向かう途中、中大兄皇子が仮の庵を作っているのを見て詠みました。二人はとても中の良い兄妹です。この場合の「草」は、「かや」、あるいは「くさ」という意味。)
(この大名児とは石川郎女。日並皇子命が思いを寄せる女性。日並皇子命とは天武天皇とのちの持統天皇の間に生まれた第1皇子で、両親の期待を一身に集め、周囲から皇位に付くと期待されていた草壁皇子のこと。名前に「命」が付くのは他に高市皇子命しかいません。
(どうでしょうか。これは大津皇子に軍配があがりますね。しかし、上記の日並皇子命(草壁皇子)の歌も、素直な歌いぶりで好感が持てませんか。そして大津皇子は恋する石川郎女と共寝したことをうたい、二人の仲を公表します。) (運命はいたずらするもの。天武天皇の後を継ぎ即位した持統天皇は、息子の草壁皇子を皇位に付かせたいと思うが、それもかなわず草壁皇子は早逝してしまいます。持統天皇の次に取った策は、大津皇子を謀反の罪で葬り去ることでした。) 大津皇子辞世の歌。
(笠郎女は、山部赤人と同時代の宮廷歌人笠金村の娘と伝わります。情熱的で大伴家持を慕う歌を力強くうたいあげます。 |