『万葉集』のなかでイネは早稲、早稲田、苗、穂、田、齊種といった言葉で詠まれています。
稲の歌は、生活から出てくる歌。働き、手を汚し、汗を流すことから生まれた歌。
決して傍観者の立場で詠んでいません。そこが千三百年後の我々の心を打つ理由なのかもしれません。
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ 磐姫皇后 巻2-88
(夫・仁徳天皇を慕って詠んだ歌5首のうちの1首。夫である天皇の帰りが遅い。悩み苦しむ思いを、秋の田に霧が立ち込め、どちらに向かって晴れていくか分からない光景に託す。 --- 私の心はこの霧のように晴れない----。 嫉妬深いとされてきた皇后の、天皇を恋する愛情の深さを感じさせます。)
但馬皇女高市皇子の宮に在しし時、穂積皇子を思ほして御作せる歌一首
秋の田の穂向きの縁れる異縁りに君に縁りなな言痛くありとも
但馬皇女 巻2-114
(まず激しい恋の歌を。但馬皇女は天武天皇の皇女、穂積皇子は天武天皇の皇子。異母兄弟です。但馬皇女は高市皇子に嫁したものの、穂積皇子への思いを抑えることが出来ません。たとえどんな噂の的になろうとも、貴方にずっとずっと寄りそっていたい。歌い上げる但馬皇女。絶唱です。)
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背 但馬皇女 巻2-115
(残されて貴方をいつも思っているだけなんて、とても耐えられません。追いつきたい、貴方にすがって行きたい。道の角に印をつけて置いてください。皇子さま。)
人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る
但馬皇女 巻2-116
(皇女のほうから穂積皇子に会いに出かけます。川を渡るとは結婚すること。激しい恋です。)
二人は結ばれること無、く、但馬皇女は和銅元年(708)6月に亡くなります。
降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに
穂積皇子 巻2-203
(皇女の死を悼む穂積皇子の絶唱。万葉屈指の名歌だと思います。恋しいと歌わない、ただ吉隠の猪養の岡に眠るあの人が寒いだろうからと言葉を突き上げる皇子。)
言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中淀にして 紀郎女 巻4-776
(大伴家持に贈られた歌の返歌。苗代を作っていたのがわかりますね。いったい誰がこの恋を仕掛けたのでしょう。家持様でしょ。なのに苗代の水が淀むようにおいでになりませんね。ぷんぷん。と紀郎女。)
紀郎女に贈った家持の歌は次の通り。ちょっとずるいな。
鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき 大伴家持 巻4-775
齊種蒔く新墾くあらきの小田を求めむと足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に 作者不詳 巻7-1110
(齊種・ゆだねとは、神に豊作を祈り清めた稲の種。新墾・あらきは、荒墾田・あらきだ。新しく開墾した田。743年墾田永代私有法が施行され、新しく開墾した田は私有地となりました。)
石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ
作者不詳 巻7-1353
久方の雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね
作者不詳 巻8-1566
雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ
大伴家持 巻8-1567
我が蒔ける早稲田の穂立作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背
坂上大嬢 巻8-1624
(大伴家持へ贈った歌。稲の穂をかづらにしたのですね。我が蒔ける --- 直蒔きの田です。)
我妹子が業と作れる秋の田の早稲穂のかづら見れど飽かぬかも
大伴家持 巻8-1625
(それを生業にできるほどの立派なかづらです。素晴らしくて見ていて飽きません。上の歌の返歌。)
石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこのころ
抜氣大首 巻9-1768
(穂とは秀。目だって立派なもの。序詞に引きだされた思いのたけを訴えます。)
相見らく飽き足らねども稲のめの明けさりにけり舟出せむ妻
作者不詳 巻10-2022
娘女らに行相の早稲を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
作者不詳 巻10-2117
(ゆきあふ=行相。季節の変わり目。萩の時期と早生田の刈り入れとがゆきあふ季節。)
秋田刈る苫手動くなり白露し置く穂田なしと告げに来ぬらし
作者不詳 巻10-2176
さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺なる早稲田は刈らじ霜は降るとも
作者不詳 巻10-2220
恋ひつつも稲葉かき別け家居れば乏しくもあらず秋の夕風
作者不詳 巻10-2230
住吉の岸を田に墾り蒔きし稲かくて刈るまで逢はぬ君かも
作者不詳 巻10-2244
(開墾した田に「直播」しています。蒔いて、そして刈り取るまでの時の長さ。そんなに長く貴方にお会いしていません。)
太刀の後玉纒田居にいつまでか妹を相見ず家恋ひ居らむ
作者不詳 巻10-2245
秋の田の穂の上に置ける白露の消ぬべくも我は思ほゆるかも
作者不詳 巻10-2246
秋の田の穂向きの寄れる片寄りに我れは物思ふつれなきものを
作者不詳 巻10-2247
橘を守部の里の門田早稲刈る時過ぎぬ来じとすらしも
作者不詳 巻10-2251
秋の穂をしのに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
作者不詳 巻10-2256
玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも
作者不詳 巻10-2643
にほ鳥の葛飾早稲をにへすともその愛しきを外に立てめやも
東歌 巻14-3386
(新嘗祭の夜は未婚の女性が神を祀り、家に閉じこもって戸口を開けないのが慣わし。しかし、恋しいあの人が訪ねてきたのなら、どうして外に立たせたままにしておけるでしょうか。)
上つ毛野佐野田の苗のむら苗に事は定めつ今はいかにせも
東歌 巻14-3418
(村の合議で決まったことだ。いまさらどうにもならない---昔も今も人の感情を束ねるのは困難。)
稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ
東歌 巻14-3459
(稲を搗く --- 脱穀から精米まで。労働歌を歌いながら、今年の収穫を喜び謳いあげる歌。辛く単調な労働も、歌うことによって共同体に生きる安心感を得ることが出来たのです。)
おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て
東歌 巻14-3550
(おしていなと=押して否と。否と=稲。稲の穂が風に揺れるように私の心も不安定。あなたを嫌だといったのではないのに、昨夜も一人寝をしました。ああ。)
あらき田の鹿猪田の稲を倉に上げてあなひねひねし我が恋ふらくは
忌部黒麻呂 巻16-3848
(原文の、「干稲々々志(ひねひねし)」。面白い表現ですね。「干した稲」と「恨めしい」という意味の「ひねひねし」を掛けてあります。辛い労働をしてやっとのこと稲を倉に納めた喜びは格別だが、どんなに辛くても私の恋は報われることのない---。)
古代米 (赤米)
古代米とは、弥生時代から栽培されていた稲の特徴を今に残す稲。現在栽培されているような白米と古代米とでは、どちらが先に日本に伝播したのか判然としません。おそらく水耕耕作が始まった時代から、両方が生産されていたものの、白米に比べ食感の悪い古代米(赤米)は、後に広く作られなくなってきたと考えられます。古代米は現在の稲に比べて草丈が高く倒れやすい、収量が少ない、脱粒性があるなどの栽培上の欠点があるものの、白米に無い栄養成分を含んでいます。
アントシアニンをはじめ、リシン、トリプトファン、ビタミンB1・Bを含み、鉄、亜鉛、リン、カルシウム、マグネシウム等のミネラル成分も豊富です。
滋養強壮作用があり、腎臓病に効き、膵臓に活力を与え、生活習慣病を防ぎ、抗酸化作用を持つとされています。 (事実なら素晴らしい効能です。) |