再びの中国 --- 旧満州の玄関口大連と、旅順・金州の日露戦争跡地へ
かねて中国=日本=朝鮮半島=ロシアの関係に興味を持っていたわれわれ。秋の仕事が始まる前のこの9月、大連に連泊して日露戦争の激戦地であった旅順に出かけてきた。
喧騒の大連
空から見る大連は高層ビルが建ち並び、大都会そのものに見える。大連は遼東半島の南端に位置し、現在は外国からの企業が進出している経済・工業都市。
日清戦争(1894-1895年)ののち、遼東半島は一時日本に割譲されたが、三国干渉(フランス+ロシア帝国+ドイツ帝国)を受けてロシア帝国に返還した。ロシアは自由港ダーリニ(遠い場所の意味)を建設する----これが現在の大連。
日露戦争(1904-1905年)において日本が占領し、大連と改名している。
車窓から見る道路には、シルクロードと違って上等な車が多い、運転は乱暴というより気まま。車線変更は自在に、周囲の車は無視する。まるで動物が個体同士の距離を保ちながら群れているように思える。ガイドさんは、「勇気をもって道路を渡りましょう」と言う。むべなるかな。しかし、横断歩道でない場所で事故に遭ったときは保険で補償してもらえないけど。
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星海広場の高層ビル群
大連市街から南へ5キロ。
大連一の広場。星の形にデザインされていることから星の海と名付けられたようだ。
南は海に繋がっていて、遊園地、海水浴場、水族館などある。
若い家族でにぎわっていた。
中国では、マンションの値段のほうが一軒家よりも安い |
ここで思い出すことがある。それは八甲田雪中行軍遭難事件。日本陸軍は、1984年(明治27年)の日清戦争で、寒冷地での戦闘に苦慮した経験を踏まえ、対ロシア戦に向けて冬季訓練を行った。さまざまな原因があろうが、210名中199人が死亡するという軍事事故・山岳遭難事故を起こしている。日露戦争が勃発したのはその10年後。八甲田山のすそ野のあの白く広大な平原と、大連の冬とが重なって見える。
日露戦争の激戦地、旅順へ 203高地へ登って旅順港を見おろす
大連からバスでおよそ1時間、旅順の街へ。ロシアは日露戦争を前に旅順に要塞を築き軍艦を配備している。ここに総攻撃をかけて日本との間に激戦が行われた----- そこが「203高地」 日本軍の死者は6万人近くだったとも伝わる。
湿気の多さと相まって、海抜ゼロから203メートルへの山道は結構つらい登りだ。あいにく海からの霧がうっすらと巻いていて、旅順の港がはっきり見えない。ただ輪郭から軍艦が浮いていた風景を想像するだけだった。もやに巻かれて港は静かなようだ。音は聞こえてこない。風が周囲を取り囲み、衰えを見せ始めた広葉樹林の緑が空に溶けようとしている。
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203高地 |
記念碑(中国にとっては敗戦記念碑だろう) |
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日本式280ミニメートル榴弾砲が鎮座。射程7800m |
ロシア軍が掘った塹壕の壁に砲弾の跡が今もはっきり残っている。 |
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「「爾霊山」とある 揮毫は乃木大将 |
ロシア軍の塹壕の内部 |
日本軍は、山頂から照準を合わせ港の艦隊に砲撃を行ったようだ。山頂広場には慰霊碑が立っていた。刻まれている文字は「「爾霊山(にれいざん)」。標高203mと爾(なんじ)の霊の山を表している。自らの息子をこの戦役で亡くした乃木大将が、203高地に残されていた砲弾を集めて慰霊のため建立したと言われる。
115年前にここで戦って敗れた人がいる。戦争は死。屍は6万。この多いなる数よ。
いま(present)を私は生きている---これは大いなるプレゼント(present)だ。再認識させられる。
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ロシアが作った埠頭 ここから日本人が帰国した
左から海に突き出ているのは、ロシアが作った埠頭。第二次世界大戦に敗れた日本軍(関東軍)は旧満州に入植していた民間人たちを置き去りにして逃げ出し、この埠頭から残された日本人が故国を目指した。
ここに残留孤児の問題に代表されるさまざまな悲劇が残る。
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大連南部にある小高い丘にある、日本軍の残した高級住宅地が次々に取り壊されて姿を消しているらしい。中国側の歴史観もあるだろうが、いまこの時期に大連を訪問しておいて正解だったと思う。いずれ時代と共に生きた建物は消え去る運命にあるだろうから。
さて、中国の現状に戻ることにしよう。特に印象に残ったのは
・相変わらずの言論、情報統制
日本のNHKテレビを観ることができる。ある夜、日本時間午後7時(中国時間午後8時)のNHKニュースが流れていた時のことだった。
「日産自動車の西川社長が辞任する運び。ゴーン被告と同じく役員報酬がかさ上げされていた疑いがある。いま別室で取締会議が開かれていて------」
ここで画面はシャットダウン。暗転してしまった。
ちょうどその時期に、日産の副社長が北京を訪問しているから、なんらかの政治的な判断が働いたようだ。
暗い画面を観つつ待つこと5分。その後再開されたニュースは、「新しい豚コレラは中国を起源とし、日本にも影響を及ぼす危険がある」だった。中国にとって嬉しいニュースではないだろうに、削除されることはなかったようだ。
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その後放映されたのがこの画面。
習近平は第10次改革委員会を開いた。
改革をさらに進め制度を成熟させよと。 |
「知っていて知らぬふり。気が付かないふり。そうしないと現在を生きていけないから」。
と天安門事件を知るまだ若いガイドさん。「若者は、現状に適応せざるを得ないのです」とも。若者の心に揺らぎがあるようだ。 |
トイレは---。言うまでもないことだった。
でももう慣れたけど。昔はそうだったよな、人間らしくていいかと思うまでに達観できたようだ。
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ANA さまさま |
無料公衆トイレ 入りたくない |
結婚式の前撮り |
トイレつながりで。
ANAの機体で往復したが、なんと!ウオッシュレットが装備されていた!心おきなく空の上のトイレを面白がって楽しむ。こんな姿勢で落ちたらみっともないなぁ、とずっと感じていたが、このトイレならいいかな。
縁あった人たち。
・ ウェイトレスさんの笑顔
いつも旅には日本のお茶パックを持っていくことにしている。お茶のペットボトルは重いし、タイミングによっては没収されるし何よりおいしくないから。朝食の時、サービスしてくれる美人のお姉さんに、「請白天水、飲用、謝謝」と書いたメモと一緒に容器を渡したら、お姉さんはおもむろにポケットからペンを出して「天→开」と校正してくれた。「开」とは「開く」の意味が強いが「水が沸騰する」の意味もあるらしい。よし!これでお湯を調達するのに苦労しなくなった!お姉さんはすらっとした色白の美人で、さっそうと歩く姿は百合の花のようだった!
ちなみに大連の水は軟水で、日本のそれよりも柔らかい。
・ 仲良し夫婦 (我々ではないよ、もちろん)
姉さん女房とその夫(50歳と45歳くらいか)のご夫婦の仲が良いこと極まりない。いままでこんな仲良しの中年夫婦を見たことがないくらい。手をつなぎ互いに相手が何を欲しているか、全身でキャッチしようとしている。飛行機の待ち時間もゆったりおしゃべりし、無口でいる時も繋いでいる手から「一緒にいて楽しい」というオーラが漂ってくる。きっと子供がいないな、ひたすら相手を見て生きているのが喜びなのだろう。いろいろ我々の関係を考えさせられた。
・ 打ってかわって、こちらは不倫の関係らしい。
自称自営業の男性(55歳くらい)と30代の女性が、同じく手をつないで歩いている。初めからなにか違和感があった。年齢のせいではなくて、発している雰囲気がただならぬ様子だったから。
中国には、結婚式を前に「前撮り」として、教会や遺跡などで式用の衣装を身に着けて写真を撮り親戚一同に配る習慣がある。その前撮りのカップルが何組も恥ずかしそうに撮影を待っている前で、その30代の彼女が「私は独身なんです」と言い放った。くだんの男性が目をそらして微妙な顔をする。
一日、その女性が参加しなかった日があった。例の男性はバスの中で日本の家族に大きな声で電話し、家族円満を乗客にアピールしている。
「あの人は単なる仕事の関係者で、中国に用事があったので---」。ふ〜ん、仕事仲間と手をつないで歩き、同じ部屋に泊まるかしらん。などと思っている他のメンバーは知らぬ存ぜぬを決め込む。わたしもそう。知らん顔、でも興味は湧いてくる。お〜、こんなことに出会えるなんて、まるで週刊誌の中の世界だ!面白い。
・ いまどこに?
6時始まりの朝食なのになかなか入り口が開かないな、と焦れているところへ、ご老人が現れた。気温は結構高いのに、やや厚手のジャンパーを羽織っている。
「かみさんが電話で、九州は今日22℃だから、上に何か着ていきなさいと言うんだ」。
「?」
「いや、私は手術を受けて体力が弱っているので、中国へ行くと言うと反対された。だから九州へ行くと言って家を出たんだ」
「?」
嘘をついてまでお仲間との大連旅行に行きたい気持ちは理解できるけど。でもここは大連、今は大連にいるのに、なぜジャンバーなんて着ているんだろうか。九州にいると誤解している? ふふ、この人もお連れ合いにしっかりコントロールされているな。
・ ぎょうざ乾杯 !
今回の旅は、個人旅行でもツアーに参加するのでもなく、大連まで直接行って現地で何人かの参加者と合流し、ツアーガイドと運転手付きのバスに乗って観光するというはじめての体験だっだ。
初対面の人が12人。一応こちらから自己紹介するものの、積極的に名乗ってくる人は少なかった。不思議だ。
仕方ないから、勝手にあだ名をつけた。東海林太郎ばりの真面目そうなおじさんは「真面目おじさん」。その連れは「真面目おじさんの連れ」。「仲良し夫婦さん」「不倫おっちゃんとその相手」「(おじさん>おっちゃんですよ。)「けんかっ早いおじさん」「シマシマおじさん(太い縞のシャツを着ていた)→着替えた次の日には、元シマシマおじさん」とね。
ある昼食での出来事だった。くだんの真面目おじさんの隣に座って、運ばれてくる餃子10種類を次々に平らげていた時、ついその真面目ぶりをおちょくりたくなって、
「そちらのお箸で餃子をひとつ持ってくださいね。」
「私もこう、餃子を持ちますよ。そして餃子と餃子を突き合わせるのです」
「これをね、中国風の餃子乾杯と言います」と(真面目に)言ってみた。
おじさん、素直に中国箸でつるつるする餃子をつかみ、私は日本から持参したマイ割りばしですらりとつかんだ。
そして「かんぱ〜い」とやったのでした。
おじさんは今もきっと「中国では餃子で乾杯するんだ」と思い込んでいることだろうな。
おっと、ミーハーはここまでにしよう。
大連は、もともと農業と漁業を中心とした土地だった。野菜や果物の栽培面積が広く、特に漁業が盛んで韓国や日本への輸出も多い。日本統治時代から造船、鉄道車両の製造などが存在していた。第二次世界大戦後、重・軽工業や化学工業が起こり、さらに貿易港としても発展してきている。中国第3の港湾都市で石油輸入港としても機能している。大連経済技術開発区として発展し、今や鉄道網の起点大連駅、大連国際空港、高速道路網を擁し、大連は製造業とともに流通センターとしても位置しているようだ。
目につくのは高層ビルの群れ。まずインフラを整備し、その後発展を目指しているようにも思える。形から入り、内需を拡大しつつGDPに貢献し、国の力を内外に誇示しているようだ。
中国とアメリカ。この二大覇権国がどのような立場を取って関係性を築いていくのか興味深い。この5月のシルクロードへの旅と、短かったが今回の遼東半島への戦争遺跡巡りを通じて、次の世界の覇者は中国であろう、という印象をさらに強くした。
暮らし方に見られる生き方、貪欲さ、自己中心的な、時に無神経な行動は人間としてのパワーの現れ。一帯一路、中華思想を支える力となる。上昇機運に乗る国民の意思の強さを感じる。
中国はどこへ行くのだろう。ロシアのように分裂してしまうのだろうか。広い国土と多民族からなる国家、それに「都市戸籍と農村戸籍」の間にあるギャップをどう乗り越えて国を保持し発展させるのか、次の世界をぜひ知りたい、見てみたい。
2019.9.16
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