ワンダリング・ジューとは? 

 ワンダリング・ジュー  ツユクサ科 Wandering Jew

図鑑にはSpiderwortとあり、ツユクサの葉が、細長くて蜘蛛・クモの脚を思わせることから付きました。
北米の温帯から南米にかけて多種が分布します。
園芸界では葉が美しくて観葉植物として扱われる種のことを、トラデスカンチアと呼びます。
略してトラカン。適地に植えると匍匐しながらよく生長しグランドカバーに最適です。

トラデスカンチアにはさまざまな種類があり、鉢植えや吊り鉢にして楽しみます。
冬の寒さには弱く、屋外での耐寒温度はマイナス5℃以上。日本の関東以西の平地なら屋外でも大丈夫でしょう。島では冬期室内で育てる必要がありました。
まめまめしいポーリンは、さぞ丹精込めて世話をしたことでしょうね。

 ポーリーンは家事をとりしきり、母親にまめまめしく仕えております。小柄で、顔色がわるく、目は淡黄褐色で、金褐色の髪はつややかで今なお美しく見えます。生活はらくなので、母親のことさえなければ、ポーリーンはしごく愉快に楽しく過ごせるのでした。教会の仕事が大好きですから・・・・・まったく幸福に暮らしていられるはずなのです。けれど、ポーリーンは家からほとんど出ることができず、日曜日に教会にさえ行かれません。   『アンの幸福』 1年目

( She keeps the house and waits on her mother hand and foot. She is a little pale, fawn-eyed thing with golden-brown hair that is still glossy and pretty. They are quite comfortably off and if it were not for her mother Pauline could have a very pleasant easy life. She just loves church work and would be perfectly happy attending Ladies' Aids and Missionary Societies, planning for church suppers and Welcome socials, not to speak of exulting proudly in being the possessor of the finest wandering-jew in town. But she can hardly ever get away from the house, even to go to church on Sundays. )

 * 「町一番のWandering Jewを育てている」 この部分が訳されていません。












Purple Tradescantia

 
     撮影したのは、2014年3月。イスラエル、ナザレ村の、受胎告知教会の前庭。
  これ以上の場所はありません。このワンダリング・ジューを撮影するのに。

母親の奴隷状態にある、かわいそうなポーリーンが、町一番の出来だと誇りにし、大事に育てている「wandering-jew 」なる植物とはなにか?どうして訳出されていないのか。 

 まずWandering Jew(さまよえるユダヤ人)はどういう意味を持つかを調べてみましょう。
ゴルゴダの丘を、十字架を背負いよろめきながら歩くキリストを辱めた靴屋を意味するとあります。
あるいはキリストを打ち据えた裁判所の門衛を勤める人物とも。
この両者、故郷と安息を失い、最後の審判の日まで地上をさまよう運命を課されたとあります。
反ユダヤ意識の象徴とも言えましょうか。

単にツユクサ科の植物が、四方八方に根を伸ばして繁殖するのを、Wandering と名付けたのかもしれません。
例えば、日本語では「ママコノシリヌグイ、キソウテンガイ、アキノウナギツカミ、ウシのシタ、ユウレイタケ、ヘクソカズラ、タコノアシ、バクチノキ、ハキダメギク、ヌスビトハギ」と言ったように、その形態から面白い名前を付けたように。

このシーンを読むたびに、いくつか感じるところがあるのです。

初めに湧いた疑問はこうでした。
教会活動に精を出し、生き甲斐にしているポーリーンの描写なので、敬虔なクリスチャンだった訳者村岡花子は、Wandering Jew を登場させたくなかったからか。
こう考えるには無理がありそうです。簡訳でないなら、翻訳家の恣意的な意向で、内容を取捨選択できるでしょうか。それとも、
Wandering Jewが何を意味するのか、分からなかったか。

二つ目は、なぜ末っ子が親の面倒を見ているのか、という疑問です。

兄姉は皆、自分の母親を家に入れない程嫌っているのに、ポーリーンは唯々諾々と母親に従っている・・・・。
末っ子が両親の面倒を見るのが不思議では無い国は、ネパール、スリランカなどいくつかあります。
いずれも平均寿命が短く、親が老齢になった時には、すでに長男長女も体力が落ちているといった理由からでしょう。
日本の古代の、長子相続ではなくて、兄弟相続だった時代を思わせます。
単にポーリーンの気が弱く、巡りあわせで母親の世話をすることになったとも考えられますね。
せめて、母親の遺言が、末娘の生活が成り立つような内容でありますように、と下世話な私は願うのでした。
 

日本でもよく見られるムラサキツユクサも、このワンダリング・ジューと同じ仲間です。
『万葉集』のなかで、ツユクサを詠みこまれた歌があるか、探してみました。
ツユクサは万葉の時代から、花汁を染色に利用されていて、着き草、搗き草の名前はこれからきています。ところが、ツユクサの花汁は、アントシアン系の色素で、すぐに脱色してしまいます。このことを利用して、友禅染めの下絵を描くのに現在も使われています。

 
月草で摺り染めにした着物は、水で色が落ち易いことから、人の心変わりにたとえたり、この世のはかない命に喩えたりされました。

    月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ      大伴坂上大嬢  巻4-583

    (作者は大伴家持の従妹。大伴坂上郎女の長女、後に家持の妻になります。この歌は母・大伴坂上郎女の代作。いずれの世も歌作の得意でない人も存在したようですね。歌で築く交友関係が大切なこの時代でした。不調法な私には、母の才能を受け継がなかった長女の哀しさがよく理解できます。)

    月草に衣色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ              作者不詳 巻7-1339

    (「草に寄す」という小題がついています。心変わりしやすい人だとのうわさを聞く女性の心の重さはいずれの時代も同じ)

         むらさきつゆくさ