石板ってどんなもの?                                                    2023.12.8  記

『赤毛のアン』には、はじめから印象的なシーンが出てくる。子供ごころに特に刺激的だったのは「アンがギルバートに石板を振り下ろして割ってしまった」シーンだった。

原文にはこうある。『赤毛のアン』第15章 教室異変より
“You mean, hateful boy!” she exclaimed passionately. “How dare you!”
And then—thwack! Anne had brought her slate down on Gilbert’s head and cracked it—slate not head—clear across.

(参) I've loved you ever since that day you brokeyour slate over my head in school.
(『アンの愛情』にあるように、ギルバートがアンに愛情を告白するシーンでは、on ではなくて over を使っているのに気付かされる。これはギルバートの気遣いか、遠慮か、相手を尊重している
からか。 コミュニケーション能力が高いと言うべきか)

アンの劣等感が下地にありパニックに襲われて取ったこの行動「石板振り下ろし事件」出てくる「石板」とはなにか。
現物を見たことはないものの、紙や鉛筆が簡単に手に入る現代と違い、紙が貴重品だった20世紀初めころまで世界中の学校では「石板」が使われていた。時には20世紀中ごろまで使用されていたようだ。

スレートのような硬い石を薄く切り出し、木製の枠にはめ込んで使う。蝋石(ろうせき)や白墨で出来た石筆でその上に文字や絵を書き、布などで消して再度使われていた。
日本では明治時代の初めに海外から導入されて、主に初等教育において使われていた。和紙が高価で筆記用具としての毛筆は、低学年の生徒には扱いにくいことから、石盤が用いられていた。
      『絵引き民具の事典 』河出書房新社刊 2008年8月刊 より引用

石板とはどのようなものか。思いのほか関連する記事が見つかるものだ。
たとえば、
 『インガルス一家の物語3 プラム・クリークの土手で』にはこうあった。
       ローラ・インガルス・ワイルダー著 恩地三保子訳 福音館書店刊

メアリイが9歳、ローラが8歳の年初めて学校へ通うことになった。二人とも石板を持っていない。父さんから銀貨一枚をもらい石板を買うことにする。

“ メアリイはオルソンさんにお金を渡し、オルソンさんは石板をメアリイに渡します。「石筆もいるだろうね。はい、これ。1ペニイですよ。”
“ふたりは、買いたての石板をよく見てみました。うすねずみ色のおもては、すべすべしていて、つるつるした、ひらたい木の枠は、角のところで手ぎわよくぴったり組み合わせてありました。それはとてもすてきは石板でした。でも石筆がなければ役に立ちません” (本文より引用させていただきました。)

そのあと二人はどうしたか。とうさんにこれ以上お金を使わせたくなかったので、クリスマスプレゼントとしてもらった1ペニイを石筆代にして二人で一緒に使うことにした。 
      (1870年から1880年代にかけてのアメリカ・ミネソタ州)

  日本では。
ここ何年か郷土史に興味を持っていて、調査を進めている。その中にこういう記録があった。
  『三斗小屋誌』  田代音吉著 元高林尋常小学校南校校長  黒磯郷土史研究会 H15年(2003年刊)

「明治44年(1911年)の夏休み、高林尋常小学校南校校長の田代音吉氏と、高林尋常小学校北校板室分教場の佐藤卯吉訓導を三斗小屋に派遣し、仮教場を設置して約ひと月館の授業を実施することとした。」

三斗小屋は那須岳の北西に位置し、江戸時代会津中街道の宿駅だった。会津中街道とは、下野国と会津を結ぶ道路として拓かれ、江戸時代には参勤交代に利用されたこともある。物資輸送に利用された歴史を持つ。 ところが途中に大峠が横たわり、山麓との壁になっている。この三斗小屋から3キロばかり北東の方向に登ると三斗小屋温泉がある。(標高1460m)

三斗小屋温泉には当時学校がなかった。山を下った板室分教場まで約12kmもあり、危険な山道、冬の積雪の多さなどの障害があり、子供たちが通学できる状況になかった。したがって多くの児童は無就学のままだった。
そこで那須郡役所は、仮教場を開くことにした。その間のいきさつは、臨時教場を開いた田代音吉氏がまとめた『三斗小屋誌』に詳しい。この記録の中にこうあった。
 8月3日(木)本日児童に石盤を配当す。(石板と同じ)
 8月25日(金)石盤代を徴収する。(いくらか書かれていない、残念)


 
 白いのが大峠。向こうは会津の国。右は那須連山。

           右は『三斗小屋誌』の一部。
 

なかでも児籍の状況に置いて無籍者7とあること。成績は甲乙丙と分けられ、特に丙の部にはこのように記録されている。

「在学児童の4分の一は、もっとも劣等に属し、性野卑我儘にして注意忍耐等の心はもちろん、勉強する気がない。自力の意志を微塵も持たない、あたかも3.4歳の小児のようだ。したがって成績おおいに不良なり」
ところが、続いてこう書かれている。
「これは教育を受ける機会に恵まれなかったことから生じる弊害であって、決して本人が劣等であるという証左ではない。却って父兄が教育を受けさせたいという意思があることから、有為の人材を生じるであろうことを信じるものである」
「無籍者たる子供に対して、当該地域以外から入植した子供であるから、法的整備がなされることを希望するものである」 (本文より引用させていただきました)

教育者としての本懐を述べ、子どもの未来を信じる言葉に、精神を前へと押される思いがする。
初めて手にした石板を使って、慣れない手つきで石筆を動かす子供たちの姿を想像すると、愛おしく哀れささえ感じるのだった。

  そして『かたばみ』には  木内昇著 KADOKAWA 2021年東京新聞 ほか各新聞社に連載された小説より
       ----「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」

机上に帳面を広げる生徒はほんの一握りで、ほとんどの子供は石盤を用いており、カツカツと書き写す音が高く響き渡っている。このところの紙不足で、帳面も手に入りにくくなっているのだ。教科書すらも薄くなる一方なのだと、教員面接の折りに聞かされた。 (本文より引用させていただきました)
 

(戦後すぐとは言え、1945年から1946年にかけての日本で、石板が使われたという記述に驚いた。古い道具の中からでも探してきたのだろうか。ますます探索の腕が鳴る)

戦後の混乱のなか、そしてその後の高度経済成長期に、事情あって家族を持った主人公の生きてきた道に感動を覚える。                「血縁が家族を形作るのではない、善だ、人間は善なのだ(日本 1945年)

 ようやく現物にお目にかかれた。と言ってもテレビの画面だが
   NHK『百分で名著 シャーロックホームズ』 名著133 2023年9月放映
        解説者は、かの英文学者・著作家である廣野 由美子教授
 NHKの放映画面からお借りしました。

  アニメや ネットフリックスの『アンと言う名の少女』の画面で石板を目にすることはあったが、なんとか現物を見てみたい。地域の「暮らしの館」、「歴史館」、郷土史の先生、地元の古老、高齢の友人たちに聞き合わせをしてみた。どなたもご存じない。そもそも石板の存在を初めて聞いたという人ばかりなのだ。
最近ではある博物館で学芸員さんに尋ねてみた。やはりご存じなかった。
「石板です。木の枠にスレートという薄い石を張り付けて、その上に蝋石で字を書いたり計算をしたりする道具です。あの『赤毛のアン』でアンがギルバートの頭の上に振り下ろして割った、あの石板です」。
ところが驚いた。学芸員の彼女は『赤毛のアン』を読んだことがなかったのだ。若い人に読まれなくなったとは聞いていたが---ああそうなのか。

「石板」から手繰っていくと、さまざまな情報が集まり、その後にある時代と人間の営みが立ち上がってくる。
いずれどこかでひっそり眠っている石板を見つけることができるだろう。意思を持ち続けていれば願いは叶うもの。
アンの「サンザシ」を会津の山奥で見つけたのも、思い始めてから8年も後のことだった。あきらめずに現れるのを待つことにしよう。信じて待てば望みが叶う。こう考えるほど現実は単純ではない。でも、やはり待つことにしよう。

周囲の楢や橡の樹の葉がすべて落ち切り、いままで壺中天のようだった空が大きく広がってきた。冬が始まった。

     これがアンのサンザシ (会津駒止湿原にて)