シャーレー・ポピー      

  シャーレー・ポピー ヒナゲシ 雛芥子 雛罌粟
                            ケシ科ケシ属 Papaver rhoeas

ヨーロッパ原産のケシ科の植物で一年草。和名はひなげし。虞美人草とも呼ばれます。英名はCorn poppy。モンゴメリが、この花が咲き乱れる様子を見て、主人公を「アン・シャーリー」と名付けたのは良く知られた話です。

  そよ風がかすかな音をたててポプラの木々にささやき、桜の果樹園のかたすみには、うすぐらい若樅のしげみを背に、燃えるような赤いけしの花が首をふっていた( red poppies)。 
             『アンの青春』 第1章 怒りっぽい隣人

 (
But an August afternoon, with blue hazes scarfing the harvest slopes, little winds whispering elfishly in the poplars, and a dancing slendor of red poppies outflaming against the dark coppice of young firs in a corner of the cherry orchard, was fitter for dreams than dead languages.)
 「こんな恐ろしい時によくも春は美しく訪れたものだ。」リラは日記に書いた。「日が輝き、小川のほとりの柳にはふわふわした黄色い花が咲き、庭が美しくなり始めているとき、フランダースであのような恐ろしいことが起こっているとは思われない。----」
「戦傷死者名簿が新聞に毎日出る----ああ、なんて大勢だろう。ジェムの名前があったらと思うと、怖くて読めない----」      『炉辺荘のアン』第12章 ランゲマルクの日々

("How can spring come and be beautiful in such a horror," wrote Rilla in her diary. "When the sun shines and the fluffy yellow catkins are coming out on the willow-trees down by the brook, and the garden is beginning to be beautiful I can't realize that such dreadful things are happening in Flanders. But they are! )
The casualty lists are coming out in the papers every day—oh, there are so many of them. I can't bear to read them for fear I'd find Jem's name—)
 
 
 


 “In Flanders Fields”  
  by John McCrae
 

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.
 

We are the Dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.
 

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.

 

       

カナダの詩人ジョン・マクレーの 「 In Flanders Fields フランダースの野に」。

マクレーは第一次世界大戦に参戦し、軍医としてフランドルの地へ赴きました。
そこでマクレーが見たのは、戦死者を弔う白い十字架の群れと、周囲に咲き乱れる赤いケシ。
それはまるで兵士たちが戦場で流した血潮のようでした。
第三連の「敵との戦いを再開せよ・・・たいまつを掲げてくれ」。
これを、戦死者の遺志を継いで当時の敵「ドイツ」と戦ってほしい、と好戦的に受け取るか、あるいはこの「敵」を、「戦争そのもの、あるいは社会的不条理や圧政」と受け取るかによってこの詩の解釈が違ってきます。
当時は戦いで亡くなった兵士の死を無駄にしないでほしい、という意味に重きを置かれていたようです。
ですから戦意高揚に利用されたのでしょう。しかし、この「 In Flanders Fields フランダースの野に」は、次第に戦争の非条理と平和を希求する心を象徴するようになります。
短詩が人の心を大きく動かす・・・。
言葉の持つ力とそのあやうさを再認識させられます。
19181111日、第一次世界大戦は講和。以後この日にヨーロッパでは追悼記念式典が行われています。
イギリスでもオーストラリアでも、そして肝心のカナダでも、墓地にヒナゲシが捧げられ、戦没者追悼の象徴にされているのを見ました。
                 

ここは当然晶子の歌を。
夫・鉄幹を追い、シベリア鉄道経由でパリにたどり着いた時詠んだ歌。

   ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟    与謝野晶子

 

 

 

 

        
         

 


フランダースの野に、罌粟の花がゆれる。
弔いの十字架の列と列の間に。
それは我々の命の場所のしるし。
空には、ひばりが銃弾の音を耳に、
勇気をふりしぼり、飛び、歌っている。

私たちは死者。
ほんの数日前まで、私たちは生きていた、
夜明けの光を感じ、入り陽のきらめきを見ていた。
愛し、愛されもしていた。
それが今は、フランダースの野に、横たわっている。
 

敵との戦いを再開してくれ。
私たちはたいまつを、崩れ落ちそうな手で君に渡した。
そのたいまつを、持て、高くかかげよ。
もし君が、私たちの信念を裏切るようならば、
私たちはとうてい眠ることなどできない。
たとえ罌粟の花が、フランダースの野に咲き乱れようとも。