フロックス 

  フロックス 草夾竹桃  (Phlox paniculata) ハナシノブ科クサキョウチクトウ属 

フロックスは北米原産の多年草。草丈は50センチから1メートル前後で、茎は直立し、茎先に丸い円錐花序の花房ができ、そのなかの一つひとつの花は直径3センチ前後。
これが花期には旺盛に咲くので夏の庭で目立ちます。和名は花魁草。あでやかに咲く様子を花魁に見立てたのですが、今や花魁そのものを知られることも少なくなりました。
属名の Phlox はギリシャ語の「phlogos(火炎)」からきていることで分かるように、基本種は赤色。
園芸種としての改良が進み、赤だけでなく、ピンクや白など多くの品種が作出されています。
別名を草夾竹桃(クサキョウチクトウ)。花が夾竹桃に似ていることから、とありますが、どうでしょう。あまりそうは思えません。春花壇を彩る芝桜も同じ仲間で、花の形がそっくり。ひとかたまりの草夾竹桃が、その後どのような運命をたどるか・・・。繁殖力がとても強く、寒さや暑さに耐え、置かれた土地の性質に合わせて草丈を調整し、 掘り上げてもその場にほんの少し根が残っていたら、次の年には素知らぬふりで花茎を立ち上げて華やかな色をまき散らす・・・のでした。
 

 芝生の二人のそばを飛んでいったぼんやり白くうかぶ蛾は、色あせた愛の幽霊のようだと、アンは悲しく考えた。そのとき、クロッケーの弓形小門に足をとられ、アンはもう少しでひとかたまりの草夾竹桃(phlox.)の中へまっさかさまにころげこみそうになった。 
             『炉辺荘のアン』  第43章 二つの影

(Then she caught her foot in a croquet hoop and nearly fell headlong into a clump of phlox.)

 ・・・・ ディーンは行ってしまった。庭は急に寂しくなった。薄い水色の薄暮の中に白い草夾竹桃の花(white phlox)がそちらこちらに幽霊のように咲いている。
             『エミリーはのぼる』 第6章 シュールーズベリーの生活        

                                                                        
(The garden seemed very lonely in the faint blue twilight, with the ghostly blossoms of the white phlox here and there.

      庭のフロックス 

 
    珍しいバイカラー 
背景はニッコウキスゲ

結婚して15年、四十路を迎えたアンが、誕生日を忘れられたと思い込み、夫の愛が移ろったのかと、心おだやかならずパーティから帰宅した夜、子供が忘れた遊具に足をとられた。
これは精神の衰えと身体の衰え。だれしもこのシーンに重ねる思いがあることでしょう。心に秘めて誰にも語らなかった幼少時の貧しさと空腹、人生の影の部分がよみがえってくる ・・・ 楽しそうにふるまった今夜の孤独と過去の寂しさが重なり合い、眠れそうにない夜。誰かに必要とされることが、自分自身の存在理由になりかけたこの時期を「(人生の)夏の終わりに咲き、大いに繁殖し、強い」というフロックスの特質に重ねたとき、思わず頷く人も多いのではありませんか。植物の配置が、うまいな、と感じます。

「なんという大家族か」と嘲笑するクリスチン。
「なんという大家族だろう」と、夫の愛を確かめたのちに誇らしげにつぶやくアン。
   (しかし。ややいじわるな今夜のアンです。人生を何かに依存したアンは好きではありません)

『炉辺荘のアン』の完成度を高くしているのはこのシーンですが・・・。
作者がどんな状況でこの本を書き上げたのかを考えてみましょう。
 この本が書かれたのは、1939年。
ヒトラーが台頭し、新たな世界大戦が起きるのではないかとおびえ、夫ユーアンの精神状態はますます悪化し、二人の息子が起こす問題をかかえ、自身の鬱病、と将来の展望を描けないなか書かれました。
本では幸せな夫婦像をえがいていますが、実際の結婚生活はすでに破綻しています。終章近くを読んでいてなぜか胸詰まる思いをするのは、背後に作者の悲しみや絶望があるから。
せめて、せめて。
自身の生み出したアンは、幸せな結婚生活を送れますように。
髪の毛を解き、三つ編みにするアンよ、若かりし頃の愛情を持ち続けよ。