「(眠り姫〉の目覚め
    『アヴォンリーのアン』における主人公とミス・ラヴェンダーの友情 」  
                                                                       『カナダ文学研究』第25号 (20183月発行 )
                                                    ノートルダム清心女子大学 文学部 英語英文学科教授  赤松佳子著

 【 論文を読んでの読後感 】  石の家のおはなし

まず、論文のテーマとして置かれた「眠り姫」が象徴するものは何かを考えてみたい。

自覚しているかどうかは関わりなく、おのれの人生を受容せざるを得ない人間が、ある出来事をきっかけに、または他人からの働きかけによって、次の生き方に結び付くよう行動し、新しく生きる指針を手に入れることだと考えた。 

梃子(てこ)を思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。支点が確固として存在するからこそ、力点に加わった力を受け入れて働くことができる。すなわち自分の人生をその時点で悩みつつも受け入れようとしているからこそ、その後の変容を可能にするのではないだろうか。

この変容を引き起こすものはさまざまで、『赤毛のアン』においては、自然そのもの、あるいは特定の人物だと考えられる。

島の季節ごとの美しさや、人間のやさしさに触発されて自然への賛歌をうたうアン。われわれはミス・ステイィとの出会いや、19世紀の規範の中に生き、中性に近い性格を持つからこそ孤児アンを理解することのできたマシューの死をきっかけに、アンの心情がどのように変化して行ったかを見てきた。『エミリーシリーズ』にあっては、カーペンター先生の指導が、エミリーの創作態度に大きな影響を与えたことを知っている。 

このように、一人一人を言挙げせずとも、人は人との交わりで変容していく。ここでキューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)が参考になる。次の人生を選択することは、性格の変容=性格の死にも結び付くから)

1段階:否認と孤立(denial & isolation) 第2段階:怒り(anger) 第3段階:取り引き(bargaining)第4段階:抑うつ(depression) 第5段階:受容(acceptance 

上掲赤松教授の論文にあるように、『アンの青春』において、アンとミス・ラヴェンダーの間の友情が、互いの成長を促している・・・結果としてミス・ラヴェンダーは社会性のある生活へと踏み出し、アンはギルバートとの関係性を自問することになる。さらに大学生として、女性として次の年齢を生きる覚悟をアンにもたらすことになった。

結婚式の後、友情の対象であり生き方のモデルとして捉えていたミス・ラヴェンダーを見送ったアンは、静かな水面のように安定した精神を持ちえたことだろう。変容を受け入れたのだから。静かに闘志を高ぶらせ、人生に立ち向かう意思を確認することのできたアンにどのような未来が待っているか、ここは読者に想像させる余地を持たせた場面と言える。 

論文のなかで印象的だったのが、「ロマンティックと取られるもののなかの現実的要素が、作品をより重層的なものにしている」ことであり、「ミス・ラヴェンダーの結婚は、アンによって創作された田園詩=物語の中の物語」で、「枠組み通りのおとぎ話」だったという場所だ。

アンがグリーン・ゲイブルスに引き取られる以前、インナー・コンパニオンとして鏡の中に持っていたケティ・モーリスの役割を、このミス・ラヴェンダーに見ることができる。鏡から出たアン=ケティは、ミス・ラヴェンダーの旅立ちに投影されよう。イマジナリー・コンパニオン相手だけで生き続けることはできないのだから。 

ロマンティックな感じ方と、現実的な生き方は二項対立しているわけではない。しかしアンとダイアナが、まるで何らかの力に呼び寄せられたかのように、ミス・ラヴェンダーの家を訪問したにもかかわらず、この家の女主人はアンと心を深く通わせる。ここで、ダイアナが現実的要素として描かれているのが面白い。現実的だからこそ、ダイアナは排除されたと言えようか。 

このことで思い出したことがある。『虹の谷のアン』のなかに、孤児メアリ・ヴァンスがアンの子供たちと交流する場面がある。アンの生い立ちを知る読者はここで、「なぜアンは身近にいる孤児を引き取らないのか」との疑問を持つだろう。少なくとも私が不思議だと感じたように。

美意識が強く、美しい世界を構築しようとするアンは、メアリ・ヴァンスが持つ地べたを這いずり廻るような低俗さを許せなかったのではないか。あるいは、メアリが現在経験している苦労がアンの現在を照らす時、辛かった子供時代を思い起こすからか。家族と共にある暮らしを一点に集約できないことを恐れたのか。 メアリ・ヴァンスの劣等コンプレックスが、アンの子供たちを支配されるのを恐れたか---弱さ、不幸自慢は強さに変換するから。モンゴメリ自身も性格的にメアリ・ヴァンスを受け入れがたかったのかもしれない。(ただし、決して愚かではない。メアリ・ヴァンスの靭さを見よ!)
もちろん正解はない。
しかしさまざまに考えることが、より重層的に作品を味わう助けになったことは確かだ。
 

人間は現実的な状況のなかで生きていくしかない。人生は低俗なもの、愚かな部分をおおいに含んでいるものだ。そのなかでおのれを律して生きていくしかない。低俗さも愚かさも、すべて現在にも未来にも、あまねく存在するものだから。

おのおのが存在していることの深さは、一日一日の暮らしの中で、むき出しになり織り進んでゆくものの中に見つけられる・・・それを高く昇華させるのが、人としての賢明さ、あるいは面白さかもしれない。

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さて、上掲の論文にあった文通相手との交流に興味を持ち『モンゴメリ書簡集』、『モンゴメリ日記』、『自叙伝・険しい道』を再読してみた。およそ5年ぶりで、これが3回目になる。

モンゴメリは「自称ロマンティックな人間で、夢を見る人、想像力が潤沢な人」だと自分自身について言及している。おそらくそれは当たっているだろう。しかし人間は多面的な存在であるものだ。作者自身『モンゴメリ書簡集』で、「自分は理路整然教の信者だ」とも言っている。 

私はこう考える。モンゴメリは非常に現実的な側面を持っていると。作品の発行元のペイジ社を相手取って訴訟を起こしたこと、もう一人の文通相手のマクミラン氏に、文学小論の寄稿先やその稿料について言及し、さらに返信が遅れたことに対する申し開きにある傲慢さがほの見えること、率直に書くことを約束しながら、自分の年齢はおろか、本人に取ってこれ以上無い大切なこと・・・『赤毛のアン』の出版、結婚、そしてやがて苦しむことになった夫の病気さえも知らせていないことなどからそう思えてきた。しかも外面は穏やかで社交的、家事が巧みで牧師の妻としての働きを十二分に果たす能力がある。
現実的で、こころの揺らぎを他人には見せないというモンゴメリの姿勢が見て取れる。

子供時代の愛情不足、プライドの高さ、所属するクラン(clan)への誇りなどが下地にあって、モンゴメリは自己承認要求が非常に強い人物だとの印象が強い。日記や自叙伝、書簡集のなかに、書く自分、読む自分、分析する自分といった作者の二面性、三面性が見えてきた。

マクミラン氏への手紙が、次第に自身の日記へと形を変え、文通相手を己の心情を吐露するための象徴的な人間へと変化させていくのを感じる。手紙がモノローグになり、自分自身を受容するための語りへと変化して行ったのも感じ取ることができた。

日記の内容には本人にも不可視のものがあり、違った角度から読むとき、新しい要素や側面が見えてくる。日記を書くように手紙を書く。その自分を見ているともうひとりの自分がいる。手紙を読む文通相手のマクミラン氏を濾過装置として働かせているように感じ取れた。自分を投影するものとして相手を捉えているようだ。

精神の揺らぎを見せないモンゴメリは手紙の中で自由だ。しかしこの自由とは煩雑なものを捨て去っただけのものではないのか。ただしこの方法は、覆いかぶさる諸々の問題を抱え、気分の浮き沈みが大きく、時に押しつぶされそうになる作者の精神の健康を保つためには、まことに賢明な方法だった、と今は深く納得できる。

 亡くなる前の最後の手紙(1941.1123)には心を打たれる。
 この短い一通の手紙は、長編の抒情詩に値する。

 これらの3冊を再読していた三日間というもの、頭の中に響いて消せない音楽があった。それはショパンの「英雄ポロネーズ」。モンゴメリの生涯であるかのように、転調に次ぐ転調、激しく時に弱く奏でられるピアノが「おおポーランド」と叫び続けているように、傍らでモンゴメリが作品を通して島への賛歌を歌い続けているような感覚に浸り続けた、(幸福な)時間だった。
(しかし、モンゴメリは音楽を得意としていない。賑やかな音は嫌い、色彩の変化を好むと日記にある)
 

では変容のもう一つの条件である自然について考えてみよう。モンゴメリが生涯を通じて抱き続けた島への帰属意識、うぶすなとしての風土への深いまなざしはどこから来たのだろう。作品にある細やかな島の生活者の暮らしの描写をあと押ししたものは何なのだろう。

それは島の持つ歴史の短さ・・・短いながらも島が持つその重要性からくるのかもしれないと思った。曾祖父の父という、指呼の距離にある歴史は、親族間で夜語りや炉辺の集まりに披講されたことだろう。島の歴史が作者の中に息づいている、それを深々と感じ取る繊細さを持つモンゴメリだった。
モンゴメリの激しく、時に精神を縛る郷土愛、先祖に対する尊崇の念は、おのれに対する自負、自己愛にもつながっていく。
言葉が風土から生まれ、作品へと表象していく。独特の感性を持つものとして住む人の精神基準を形づくって行く。二百年前の出来事は、モンゴメリに取っては緊張感をもって先祖を思い出すことができる短さなのだ。祖先が持っていた風土に対する感覚は、モンゴメリの核となる部分を満たしたことだろう。
 

ひとは、他人を愛することができてはじめて、自己の存在を認め成長できる。 愛とは、命を温めあうことであろうか。マシューとマリラ、この二人の家族に愛されて、アンは足下の地面に「自分」という杭を打ち始め、自立への道を歩むことができた。その成長を側面から支えてくれたのが、家族やアンを取り巻く人々。そして島の自然や風土。作者の隠された意識の暗みから、明るい島の自然から、そして生の内側から炙り出されたものが、『赤毛のアン』、『アンの青春』なのだろう。 

『赤毛のアン』は島の美しい自然の描写から始まる。そして最終章もまた。貧しさと孤独のなかに生きてきた小さいアンが、自分の属する場所を求め続け、心の放浪の時期を経てようやく出合えたのがグリーン・ゲイブルス。

島の春が始まる・・・・林檎の花の季節にアンが島に着いたのは必然で、アンの新しい人生が始まるのにふさわしい春の季節だった。島への愛情・・・形の無いもの、見えないものを補助線として引くと、『アンシリーズ』の内容がより深く理解できよう。 

ミス・ラヴェンダーの描写に「十月の薔薇、芯が黄金色、美しさも香りもそのまま」とある。 

 プリシラによると、アンは、

「それではあんたのは、芯に紫色の縞がはいっている白すみれよ(a white violet, with purple streaks in its heart)」とプリシラがむすんだ。『アンの青春』第13章 たのしいピクニック 村岡花子訳 )

アンの十月ははたしてどのような色の花に咲いたのか。アンの中年以後の年齢をたどってみようか。 

4月24日は、モンゴメリの命日。今年4月下旬の島の天候は、時に零下の気温に下がることもあるまだ春浅いころのようだ。          (最低気温マイナス2℃からプラス8℃、最高気温10℃から18℃)

日本のその日は、鳥が鳴き花が咲きみだれ風が揺れ、季節の歩みが確かに感じられる4月の明るい日だった。
あゆみ行くのは、人もまた。人の生は、「いま+ここ」の連続。モンゴメリの「いま+ここ」は私の、そしてみんなの「いま+ここ」につながっている。

モンゴメリの人生は、棺の蓋が閉まり島の赤い土に還った時にようやくで定まったと言えよう。
             
----- モンゴメリは、島へ帰るために島を出た-----

* 参照
『モンゴメリ書簡集1』 篠崎書林  ボルジャー/エバリー編  宮武潤三 宮武順子訳  平成4年3月20日初版発行『険しい道』  篠崎書林  山口昌子訳   昭和54年5月1日 第2版発行
 
『L..モンゴメリの日記1 (1889—1894) 篠崎書林  M・ルビオ・E/ウォータートン編集  桂宥子

 ご親切にも、レジメを送っていただいた、赤松教授に感謝申しあげます。
   深く考えるよすがになりました。ありがとうございます。 (2018.5.1)