カーネーション 

  カーネーション Carnation  Dianthus Caryophyllus ナデシコ科ナデシコ属

原産地は南ヨーロッパおよび地中海沿岸地方。古くから栽培も盛んで、ことにイスラム社会で愛好され、アラベスク模様にも取りいれられています。
日本には、江戸時代に伝わっていて、和名は阿蘭陀撫子(オランダナデシコ)、麝香撫子(ジャコウナデシコ)など。神の花なのです。
属名の ダイアンサス(Dianthus) はギリシャ語の「Dios(ジュピター)+anthos(花)」からきていて「ジュピターの花」の意味。古代ラテン語でdeus。
キリストの受難を具現化した花とされ、中世・ルネッサンスの絵画では、カーネーションは婚約と結婚のシンボル。
ですから、好意を持つフィリップス先生が、わざわざ町から取り寄せ、思いを込めて教え子のプリシーへ送ったのもうなずけます。

  プリシー・アンドリゥスが新調のピンクの絹のウェイストを着、なめらかな白い首には真珠の首飾りを巻き、髪には本物のカーネーションの花をつけて-----噂によれば先生がわざわざ町から彼女のためにとりよせたものだそうな----「ひと筋の光もささぬ暗いぬるぬるした梯子をのぼった」とき、アンは人ごとでなくそう思い、快い身ぶるいを覚えた。

 (・・・・the last. When Prissy Andrews, attired in a new pink-silk waist with a string of pearls about her smooth white throat and real carnations in her hair--rumor whispered that the master had sent all the way to town for them for her--"climbed the slimy ladder, dark without one ray of light,)                                      『赤毛のアン』 第19章 音楽会と災難と告白
 


  カーネーション   母の日の花


  これは日本の河原ナデシコ 乙女の花
  プログラムのなかでたった一つだけアンの興味をそそらないものがあった。ギルバート・ブライスが「ライン河畔のビンゲン」を暗誦しだすと。アンはローダ・ミュレーの持っていた貸本をとりあげて読み出し、彼が終わるとダイアナが手が痛くなるほど拍手しているのに、アンは全身をこわばらせて身動きもせずにすわっていた。

 (Only one number on the program failed to interest her. When Gilbert Blythe recited "Bingen on the Rhine" Anne picked up Rhoda Murray's library book and read it until he had finished, when she sat rigidly stiff and motionless while Diana clapped her hands until they tingled. )
                     『赤毛のアン』 第19章 音楽会と災難と告白

 あたし、かなり上手に本は読めるし、詩ならたくさん、そらで知っているの。----・・・・「ライン河畔のビンゲン」や「湖上の美人」もかなり知ってるし、・・・

  (I can read pretty well and I know ever so many pieces of poetry off by heart--`The Battle of Hohenlinden' and `Edinburgh after Flodden,' and `Bingen of the Rhine,' and lost of the `Lady of the Lake' and most of `The Seasons' by James Thompson. )
                   『赤毛のアン」 第5章 アンの身の上
 

   

音楽会の夜、ギルバートが暗唱した詩 "Bingen on the Rhine"に詠われたのが、これら2枚の画像にあるライン河西岸のビンゲンという小さな町。

アルジェリアの戦地に送られた若い兵士が、戦いに倒れ、死ぬ間際に戦友に家族への遺言として託した詩。
父へは父の剣で戦ったことを、母には感謝、妹へは励ましを。
最後には「もう一人あり、それは妹にはあらず」と。愛する女性への思いを。・・・・うら若い兵士は息絶えます。
「妹にあらず」。ギルバートに取ってのアンなのか?
   

2015年7月。北欧3か国から電車、船を乗り継いで、ヨーロッパ大陸を縦断した時のもの。ライン河を遡上し、スイスに入りました。