『ライン河畔のビンゲン』 を旅して

   2018.7.5 記

 2015年7月。
 フィンランドのヘルシンキを起点に鉄道で北極圏を回り、その後船と鉄道で北欧3国を経由し、デンマーク、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリアへ入る。----無謀にもこういう旅程を立てて実行に移し、旅程のちょうど半分まで来た夏の日のことだった。

 この旅の3年前には、ライン川に沿って伸びるドイツ鉄道に乗車し、辛うじて途中下車できたコブレンツの町から川辺を目指して歩いた思い出がある。ようやく水に手を浸しただけでライン川体験が終わってしまったのが、いかにも心残りだった。
 
そこでこの年はライン川を船で遡り、その後スイスへ鉄道を使って入るという珍しい行程を採ることにした。
2000年の歴史を持つ街、ケルンの大聖堂を観たあと、ユーレイル・パスを使い、ライン川とモーゼル川が出会う町サンクト・ゴアールまで鉄道で移動した。
 ケルンの街を外れるとともに野原が広がってくる。川に近づくにつれ谷が狭まり左右から次第に緑が迫ってきた。
 サンクト・ゴアールで川を遡上する遊覧船に乗ったのは、午前11時。すでに陽が高くなってきている。

      St.Goar の船着き場

 遡上しているとはいえ、船足は結構早い。落ちると助けを呼ぶいとまもないほど流されてしまいそうだ。
ドイツ語で「父なる川」を意味するライン川は、スイスの山中にみなもとを発し、ドイツを縦断したのちオランダのロッテルダムから北海へと注ぐ、交通の要衝として利用されてきた歴史を持つ。

 川の両側に次々に現れる古城や城址は、領主や騎士たちの居城でもあるが、通る船から通行税を取り立てる場所でもあった。実際この場所はロマンティック・ラインの流れではなくて、経済や政治の面でごく実質的な役割を果たしていた、ということに気付かされる。しかし、苔むして曰くありそうな古城を目にすると、抒情的な気分に覆われがちなわれわれ日本人は、美しい姫を救い出す騎士が活躍する、といった妄想?を思い浮かべることがあるようだ。

 道路と鉄道の線路が川に並んで走っている。水運だけでなく、このラインの谷は鉄道をはじめとする輸送手段の方法として利用されているらしい。次第にぶどう畑が両岸の斜面に広がってきた。ここは川からの反射光と直射する太陽光を利用し てぶどうの栽培が盛んで、爽やかな味で知られるモーゼルワインの産地なのだ。

 川が蛇行し、開けた場所には村がある。狭い川沿いの土地に立ち並ぶ家々の向うには尖塔が見えた。村々には地元民が心の支えとしている教会があるらしい。

 「ローレライはもうすぐです」。
 船内放送がなされ、乗客は一斉に左舷に移動していく。しかしそれらしいものは目に留まらない。はて、どこかなと思う間もなく通り過ぎてしまったようだ。そういえば切り立った岩に「ローレライ」と描かれた看板があったのに、振り返ってみてようやく気付いた始末だった。


        ローレライの像

     ローレライの岩

 世界三大がっかり像と言われる「ローレライの像と岩」を過ぎた船は、大きく左に 舵を取っていく。
                                  (あと二つは、人魚姫の像、小便小僧。がっかりの度合いは小便小僧が一番だった)

 川幅がせばまり、ラインの流れが上流に向かっているのが改めて実感できる。浅瀬が幾重にも重なって現れるようになった。航路を開くために河砂利を掘った跡が見える。川から少し顔を出したダム状の堰に川鵜が並び、濡れた羽を広げて乾かしているのが、なんとものどかで面白い。水鳥が船をめぐって飛び回る。

 そして船着き場・ビンゲンへ着いた。

 ビンゲン。
 この心をゆすぶられるような軽やかな響きの名前には、こんな記憶が混じっている。

 『赤毛のアン』第5章に、里親としてアンをこのまま置くかどうか決めかねているマリラに、馬車に乗りながらアンが自分の生い立ちをマリラに語る場面があった。

「学校へ行ったことがあるの?」というマニラの問いにアンは、

「あまり行っていないの・・・でも孤児院にいた間は行っていたわ。あたしかなり上手に本は読めるし、詩ならたくさん、そらで知っているの―『ホーヘンリンデンの戦場』、『フロデン後のエジンバラ』や『ライン河畔のビンゲン』や『湖上の美人』もかなり知っているし、ジェイムズ・トムソンの『四季』は大部分言えるわ。小母さん、背中がぞくっとするような詩はお好き?・・・」と答える。(新潮文庫 村岡花子訳)

 幼い時から子守りとして働き、教育を受けられなかった自分を恥じているのか、この言いよどむ言葉の連なりに アンのしみじみとした寂しさが感じ取れる。しかし子供なりの矜持を持っているのだろう。憐れまれたくない---誇りとも受け取れる感情ををほのかに滲ませて、さまざまな物語詩を暗唱できるというアン。 心に秘めた悲しみや嘆きが伝わってくる場面だ。

 居場所を求めるアンにとって、このマリラの問いには、それまでの拠りどころの無かった不安定な過去の苛烈さを胸に突き付けられるような、言いようもない不安や悲しみを覚えたことだろう。

 そしてもう一か所。第19章にはこんな場面もある。(同 新潮文庫 村岡花子訳より)

 楽しみにしていた音楽会で、ギルバート・ブライスが『ライン河畔のビンゲン』を暗唱し始めるとアンはこの朗読を無視し、必死に心を逸らそうとする。このギルバートはアンの髪の毛を「にんじん、にんじん」とからかったことでアンの逆鱗に触れ、アンは石板を打ち下ろすという行動に出てしまったのだ。
 この年齢の少年は、自分の思いを素直に表現できずに、まわりまわった言い方をするものだ。転校してきたばかりで、自分に注目が集まることを期待していたのかもしれない。もちろん他人の心を顧みるほどアンの精神は成熟していない。

 あるいはこの音楽会の時期にはすでに、アンに対するギルバートの内なる思いを感じ取っていたのか。

 アンはアンで、劣等感を、ギルバートによってえぐり取られるような立場に置かれた。----- 「にんじん、にんじん!」。
 ではなぜその怒りは表出してしまったのだろう?
 怒りという感情を一切遣わずして、相手との関係性を築くことはできなかったのか
                     ----- ああ、これは私の今の年齢になっても難しいことだ!
                         
 音楽会で他人を無視する---その精神状態を選んだのは、アン。
 過去の出来事があったから意地を張る----その無理をしている自分を直視したくない。
 自意識が強く変化を嫌い、葛藤はあっても自分の心のままでありたいと、と考えるアン。
 理性と感情を調和させる。これはとても難しい。

 もしも。
 音楽会でギルバートの朗読を賛美することができるアン。
 川に流され溺れかけたアンを助けてくれたギルバートに、素直に感謝の言葉を口にできるアン。
 そうであったならば、読者はここまでこの物語に心惹かれただろうか。みなおのおの、多少なりともアンと同じような精神構造をしているからこそ、アンの性格に共感できるのではないか。

 新しい自分の生き方、考え方を選択しなおすには勇気が必要だ。偶然に出会った幸運も含め、自分の内面と行動に気づきがあり、受け入れ自分を変える勇気を持てるか。
それにはもう少し長い時が必要なようだ。

 そのきっかけとなったのは、まずマシューの死、そしてマリラの眼疾、グリーンゲイブルスの相続問題など。
 中性的な性格を持ちアンを全面的に支持してくれるマシューとの間には、やや依存関係にも似たものが存在していたのかもしれない。マシューはアンの杖。マシューとの関係性から抜け出しアン自身が変容するには 、思い切ったマシューの死という変化が必要だったのだろうか。
 相手の性格を尊重するとき、自分自身もまた成長できる。親しい人の死を意識したことで、アンの人生はより中身が濃くなっていく。 
 
 当時のアンは11歳を少し超えていたばかりなのに、なぜこのような物語詩を知っていて、暗唱もできるのかという疑問が湧いてくる。 アンはどうやって字を覚えたのか?

 19世紀後半のプリンスエドワード島では詩の朗読や朗読劇が盛んだった。
労働の厳しさ、気候の激しさもあり楽しみも限られていて、地域民の交流は教会や公会堂などのごく狭い範囲で行われていたようだ。公会堂で開かれたコンサートなどは、今の我々では想像できないほどの社交の重みがあったことだろう。

 子供の頃のことだ。昭和30年代の日本の田舎では、子供たちの学芸会(学習発表会)や運動会が地域一丸の行事だったことを思い出す。私もアンと同じ11歳の頃には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」や「百人一首」を暗唱させられ 、理解できないままに、漢詩文の素読をさせられたこともあった。
あれは言葉の響きと意味を身体に教えこむ、という幸せな体験だったと今にして理解できる。

 ならば、優れた知性に恵まれたアンが、物語詩を暗唱し味わうことで勉学への憧れを代償させたのは当然のことだ。
 言葉を遣って思索する----言葉に興味を持つ11歳のアンに取って 、この物語詩の暗唱が勉学のスタートとなり、そののちの豊かな文学への道筋を照らすあかりとなったことだろう。  

 ビンゲンの、川面をすこし見下ろすように緩やかに伸びていく遊歩道を、次の駅までゆっくり歩きながら、こんなことを考えていた。


               

原作に出てくる『ライン河畔のビンゲン』は、イギリスの女性詩人キャロライン・エリザベス・ノートン(1808〜77)作の物語詩。

アルジェリアの戦場に斃れたドイツの若い兵士がその最期に故郷のビンゲンを想い、家族への別れの言葉を戦友に語るという形式を取っている。

「兄弟や友人に」
「父への思い」
「母へ」
「妹へ」

「もう一人あり、それは妹にあらずThere’s another—not a sister,—」」)と言い残し、ライン河畔を共に歩いた恋人への想いを胸に、 ラインの蒼い流れを想いながら息を引きとる。

 (画像は The Editors of Encyclopaedia Britannica からお借りしました。)


             『ライン河畔のビンゲン』の原詩:

V. Bingen on the Rhine
By Caroline Elizabeth Sarah (Sheridan) Norton (1808–1877)

A SOLDIER of the Legion lay dying in Algiers—
There was lack of woman’s nursing, there was dearth of woman’s tears;
But a comrade stood beside him, while his life-blood ebbed away,
And bent, with pitying glances, to hear what he might say.
The dying soldier faltered, as he took that comrade’s hand,
And he said: “I never more shall see my own, my native land;
Take a message and a token to some distant friends of mine,
For I was born at Bingen—at Bingen on the Rhine!

“Tell my brothers and companions, when they meet and crowd around
To hear my mournful story, in the pleasant vineyard ground,
That we fought the battle bravely—and, when the day was done,
Full many a corse lay ghastly pale, beneath the setting sun.
And ’midst the dead and dying were some grown old in wars,—
The death-wound on their gallant breasts, the last of many scars;
But some were young,—and suddenly beheld life’s morn decline,—
And one had come from Bingen—fair Bingen on the Rhine!

“Tell my mother that her other sons shall comfort her old age,
And I was aye a truant bird, that thought his home a cage;
For my father was a soldier, and, even as a child,
My heart leaped forth to hear him tell of struggles fierce and wild;
And when he died, and left us to divide his scanty hoard,
I let them take whate’er they would—but kept my father’s sword;
And with boyish love I hung it where the bright light used to shine,
On the cottage wall at Bingen—calm Bingen on the Rhine!

“Tell my sister not to weep for me, and sob with drooping head,
When the troops are marching home again, with glad and gallant tread;
But to look upon them proudly, with a calm and steadfast eye,
For her brother was a soldier, too—and not afraid to die.
And, if a comrade seek her love, I ask her, in my name,
To listen to him kindly, without regret or shame;
And to hang the old sword in its place (my father’s sword and mine),
For the honour of old Bingen—dear Bingen on the Rhine!

“There’s another—not a sister,—in the happy days gone by,
You’d have known her by the merriment that sparkled in her eye:
Too innocent for coquetry! too fond for idle scorning;—
Oh friend! I fear the lightest heart makes sometimes heaviest mourning!
Tell her, the last night of my life (for, ere this moon be risen,
My body will be out of pain—my soul be out of prison),
I dreamed I stood with her, and saw the yellow sunlight shine
On the vine-clad hills of Bingen—fair Bingen on the Rhine!

“I saw the blue Rhine sweep along—I heard, or seemed to hear,
The German songs we used to sing, in chorus sweet and clear;
And down the pleasant river, and up the slanting hill,
That echoing chorus sounded, through the evening calm and still;
And her glad blue eyes were on me, as we passed with friendly talk,
Down many a path beloved of yore, and well-remembered walk;
And her little hand lay lightly, confidingly in mine …
But we’ll meet no more at Bingen—loved Bingen on the Rhine!”

His voice grew faint and hoarser,—his grasp was childish weak,—
His eyes put on a dying look,—he sighed and ceased to speak:
His comrade bent to lift him,… but the spark of life had fled!
The soldier of the Legion, in a foreign land was dead!
And the soft moon rose up slowly, and calmly she looked down
On the red sand of the battle-field, with bloody corpses strown;
Yea, calmly on that dreadful scene her pale light seemed to shine,
As it shone on distant Bingen—fair Bingen on the Rhine!