『赤毛のアンから黒髪のエミリーへ』 L.M.モンゴメリの小説を読む』
読後感 2023.3.26
『赤毛のアンから黒髪のエミリーへ』拝読しました。 退官記念の御著著をいただいて一年経ちました。通読ののち、より内容を理解するには、ある時間を置いたほうが、身に迫ってくる確かな感触を得られるのではないかと考え、この冬の寒さを味方にして熟読いたしました。 改めて感じたのは、赤松先生の作者モンゴメリとその作品に対する尊敬の念でした。 行間から浮かび上がってくるのは、自らの来し方を顧み、自身のベースを深く知ることが、作品を理解する助けになるということでした。他人を観察し内省し、普遍的な真実に行きつくべく今を知り未来を思う。そしてその未来を愛することができるかを己に問う。モンゴメリに寄り添い生き方に共鳴してきた真摯なお気持ちが、この本全編に溢れていました。赤松先生が人生を積み重ね努力を続けてこられたからこそ、モンゴメリの努力、苦しみ、家族間のトラブルがより理解できるまでの精神の高みに到達なさった。こう考えました。 人の世は歳月の積み重ね。病のうちに亡くなったモンゴメリの人生を思うとき、その年齢に近づく赤松先生がどのようにモンゴメリの精神と共振なさるかを深く知りたい。その望みが満たされました。 ついで感じたのはアンシリーズ本と自分との一体化です。シリーズのなかのどの本を手に取っても、何度も読み返しているので、次の展開は当然予想がつき、読んだ当時の記憶が再現できるのです。 鑑賞者が一つの作品を一つの世界として認識するのは、作品を作り上げる人(著者)だけでなく、それを読み、心に容れる人の力も必要とするのでしょう。鑑賞者が著者とともに世界を作り上げ、新しく己を知ることが、生きていく推進力として働きます。 アンの想像力は自然=具象から見えないものを見る力を持ちます。具体から帰属する場所を見つけるアンの努力と生き方は、「家」をテーマに開けていきました。 日本の古語で、「庭」は家の前の開けた場所の意味。開けた場所とは人が生きていく場所の象徴です。その場所に名前を付ける---日本昔話に伝わるように、日本の古代では、名前には霊が宿り、名前を知られることは相手に屈し支配されることだとされています。 アンが名付けた自然はアンの身のうちに同化し、その場所で生きるアンの精神を成熟させたのでしょう。 自立とは、相互に依存しつつ自分自身を知り行動すること。これを教えられました。 マリラと二人、マシューの死を悼み、心のうちをさらけ出すマリラの姿を見て、アンは愛を確信します。愛されている安心感を持ち、相互扶助の関係を受け入れられるようになる----この自己肯定はその後の人生への起爆剤としても働くことでしょう。 アンを愛することで、受け入れがたい自分を認め許すことができたマリラ。悲しみとともに連帯が生じます。マリラの成長をしみじみ感じるこのシーンは美しく、アンが家長としての意識を持ち始めるのはこのころからでしょうか。 (最近亡くなった大江健三郎氏の言葉に「想像力とは他人の存在を想像すること」とありました。この言葉を、他人と協調するからこそ、自分自身も育てることができるのだと理解しました。後述しますが、相容れない他人を認めることも想像力の働きで、登場人物の中でも理解できない人を洞察すること、すなわち他者への理解力を養う能力を育むのもその想像力がなせるわざなのでしょう。ただし想像力を駆使することには責任が伴いますが。 孤児として引き取られたアンには、性格形成に影響を及ぼす「家庭」の中での兄弟間の葛藤がありません。マシューとマリラの二人の注目と愛を一身に受け、アンがアンらしく成長できたこと。それまで厳しい環境に育ったアンに取って幸いなことでした。兄弟間の順列は時に大きく性格に影響しますから。 限嗣相続制について。 かねてこの相続制度に強い興味を持っていました。モンゴメリは祖母が死亡したのち、住んでいた家を出なければならなかった----帰属すべき家を失う----このことがモンゴメリ自身の結婚への動機づけになったとも考えられます。父権主義のあの時代、女性が一人で生きていくのは難しく、結婚していること、子供を持っていること、これが一人前の女性としてのタグであったかと思います。 『赤毛のアン』で、マニラがグリーンゲイブルスを相続していることから、法的に相続させる方法のほかに、特定の個人に(血縁がある、ない)相続させることも可能だったか、その方法は?という疑問が湧いてきます。マリラは家屋敷と畑を相続した。これは女性としては当時稀有なことだったのではありませんか。マリラが相続できたのは、マシュウがそのように手続きをしておいたからでしょうか。浮世離れしたところのあるマシュウにとって、それを行動に移すことは難しいことだったと推測できます。 生活費すべてを小作料で賄うには、農作物の価格が安定し、一定の収入があることが求められます。同じ時代、状況の日本の農家と比較すると、アンの教師としての給料に手を付けなくてもグリーンゲイブルスでの生活は豊かです、豊かに見えるように描かれています。 作品の舞台となったのは、19世紀後半から20世紀の早い時期。当時の日本は明治20年から30年代で、列強に押されて日清戦争に走り、日露戦争に流れが加速していく時期でした。 二つの国の農家の暮らしを比較すると、日本の大地主制に苦しむ小作人の生活と、本に描かれた島の農家の豊かさと文化レベルの高さとの違いには驚くばかりです。 カナダの東の島に入植し、宗主国への恭順の意識を持ちつつ歴史を自らの手で作り上げた島の人々と、日本の大地主制=階級社会で貧困にあえぐ農民の対比に、農家出身の私は、ひたすら寄り添い思いを巡らすことしかできません。 19世紀後半の日本の農村の暮らしは、大地主と小作、都会と田舎の社会格差が大きく、子供に教育の機会が与えられず、女の子の身売りもあり時に餓死する人も出ています。現在の中国の、弾圧されている地方の状況にも似ているかもしれません。 当時の結婚の形態----そこに確固たる女性の意思があったのでしょうか。戦前の日本では、家長の命令により結婚相手(結婚する相手の属する家と血脈)を決められてしまうことが普通に行われていました。 小説を書く時、家は重要なモチーフになります。守られている、帰属する、飛び立つ場所としての家をモンゴメリは自戒の意味も込めて描いたのではないか、と思わされました。 ついで湧いてきたのは、「相続した家屋を持たないモンゴメリが、暮らしを転々としながら人生を送ったことが、後年の精神不安定に結びついた一つの遠因ではないか」という疑問です。モンゴメリには産土に根ざし、生産者・正統住民としての住まいを求める精神が長く息づいていたのではないか。家に向かう精神のくびきをどうはねのけたのか。これは深く考えてみる必要がありそうです。 エミリー三部作 この三部作はモンゴメリの自伝的作品で、主人公エミリーは作者の投影として書かれ、自身の体験も、文学に対する強い思いもエミリーに重ねたと考えます。 『赤毛のアン』シリーズに対して、エミリーシリーズの根底に流れるものは同じでも、伏流水が地上に現れる --- その現れ方がそれぞれ違うのが印象的でした。読むにつれこれら三部作は、作者が子供のころから自覚していた、文学への探求心を具現した作品だとの印象を強く持ちました。はじめからシリーズで書くと決心してことに当たったモンゴメリの決意が感じ取れます。 だが、現実は厳しかった。夫ユーアンが赴任した教区での、牧師夫人としての役割を果たし、夫の不調を対外的に隠し続け、子育ての難しさ が表面化する、と次々に問題が立ちはだかります。 自身の牧師夫人という立場と、信仰への不信感とも言える疎外感が、精神の安定を欠く遠因になったかもしれません。 そのせいでしょうか。最終作『エミリーの求めるもの』の終わり方、終わらせ方に違和感を覚えるのです。エミリーが作者自身の投影だとしたら、この不安定さは作者のその時期の精神状態から来たのもかもしれません。 三部作は、モンゴメリ自身が成熟期の50代を迎え自分の精神を培ったものを知り、昔ながらの習俗を描きつつ、周囲の人間を観察し内省し今を知る努力が実った結果、形として現れたものと思います。 自己実現へのロールモデルとしてエミリーの成長を描写することは、のちの時代の少女や若い女性たちに「希望を持て」というメッセージとなったことでしょう。 アンとエミリーの背景にあるもの----長く伝わってきたものには、理由があるようです。 作品には民族的、歴史的アプローチ、先住民との確執、入植者同士の、フランス対イギリスの対立、そして本国イギリスとの関係という視点があまり描かれていないとの印象があります。 これはもちろん『赤毛のアン』がリアリズム小説、社会派小説ではないことからの必然です。しかし社会の中で評価されるのが小説で、この二つは切り離すことができないものでしょう。 しかし、高い知性を持つモンゴメリが、その問題に気付いていないわけがありません。人間の愚かさをも余さず描く社会派小説でない。だからこそ小説として の緩さ、弱さがあり、時に少女小説、こども向けの本というとらえ方をされることもありました。 (のちに戦争の歴史を、日常の暮らしの中から掘り起こし、記録した文学との評価が定まってきたのは、まったく正しいことだったと思います。) 人は見ようとするものを見ます----アンやエミリーののなかに自分を見つけようとします。その性格、暮らしぶり、他人との関係性、受け取る側にとってそれは融通無碍に変化し、読者が社会に適応し、適応しつつおのれを肯定する助けになるのです。読者は主人公の人生を掬い取り自分の心に蓄積します。自分が過去に体験し経験したことを作品の内容と擦り合わせることができる楽しさを味わいます---記憶や経験は個人を作りあげるものです。作品を評論するのではなくて、主観的な受け取り方をすることから読書は始まります。 カナダの歴史全般の知識があれば、よりアンシリーズへの理解が深まると考えるのは短絡に過ぎますか。作品は作品そのもので評価されるべきか、設定されている時代や背景を知るとより理解が深まると考えるかどうか。これでいつも悩みます。 世界で、特に日本でアンシリーズのファンが多いのはなぜか。これは世界で特有の出来事なのか。日本の読者がアンやエミリーをどう受け入れたかを考えてみます。 同時代の日本の農村の暮らし(小作農、極度の貧困)と比較してみると、モンゴメリ作品には先住民との対立や入植した農民の貧困を描かれていません。日本のそれに比べてはるかに豊かです。しかし日本の農村と同じく宗教間の対立、農業収入が気候に左右される、村の文化的な催しなど共通した部分が多いようです。 小説は読者を納得させるものでなければなりません。宗教的な価値観を持つことは、戦後の日本でも継承されてきたことです。父権主義社会においても、宗教行事も含め地域社会を動かす女性の力が大きかったとはいえ、アンが進学をあきらめたように、個人の犠牲によって家族運営ができるイメージは、戦後村岡訳が発表された時代においても、日本の社会で肯定されていた生き方でした。 家族のために義務を(愛を伴ったとは言え)果たし苦境を乗り越え教師としての資格を手に入れたアンの生き方が、日本の女性に魅力的に受け入れられました。家族のために犠牲になるか、それとも自分の意思を通すか。この両方の生き方を肯定してくれるのが『赤毛のアン』の生き方。日本女性がアンの中に見出したものは、自立と自己犠牲。占領国アメリカに対する「憧れと反発」もあったことでしょう。 そこに日本の伝統的価値観と儒教的保守主義が絡まります。 戦後、新しい日本は、アンのようなモデルを必要としていました。西洋文化を日本に取り込む、これは明治の文明開化にも匹敵し、精神構造の根底に通じるものがあるとの印象を持つのです。 過去のある時代を探り現在と対照することは、結果として現在の社会のあり方や問題をあぶりだしてくれる。興味深いことです。 特に村岡訳が果たした役割。 翻訳されたものを読む行動は、翻訳者の身体から泉のように湧き出る言葉を掬い取る営み。 心意伝承=何世代もの人間が、その土地に住み続けた人々の、翻訳不可能な意識の揺らぎ。これを翻訳するのは至難のわざです。翻訳は、訳者が原作をどのように解釈したかを紹介する働きで、原作から派生したものではなく、ひとつの作品です。 村岡花子はその成育歴や環境から、カナダの作者モンゴメリの作品を訳すのに適任でした。文化のはざまに生き、日本人としてのIDを持っていたものの、その立ち位置から前後左右に揺れているのを感じます。その揺れは小さいものの、読者はその揺れはばに共鳴し、溶け込みながら自分の世界を作り上げることができたのです。 民主化され、言語表現が自由になる以前、戦時中に訳されたこと、これはあの時代において奇跡に近いことでした。 母語と翻訳すべき言語を平等に扱い、両者を繋げる、あるいは対立があれば和解させる役割を果たすのが翻訳者。われわれ一般読者と異なり、作品に対峙するに、全く違った次元に立っているのかもしれません。あるいは翻訳者は英語を母語として生きてきた人々でないと分からない、微妙な差異を感じることができる特別な能力を持っているのでしょうか。その差異を感じることができたのが村岡花子さん。表現方法というより、精神にカナダが息づいていたのが村岡花子さん。自己がカナダとの関係によって支えられている----文化によって自己のあり方が異なる----これは他の翻訳者にはないことで、息を吐くように表現する----それを読者は呼吸することができる----この喜びは何物にも代えられないことでした。
ある人物の個性を描くには、個を立たせる方法と、全体の中で占める位置で表す表現方法があります。前者はごく当たり前の描き方ですが、後者は周囲の人間像をジグソーパズルの一つのピースとして表現し、その人たちに囲まれたある個人を表現する方法です。『赤毛のアン』ではまずリンド夫人が、そしてマシュウ、マリラの順で登場し、アンを取り巻いて彼女の性格を際立たせる働きをします。自分が他者を認識するのではなくて、他者が呼ぶ自己が生じる動きに結びつきます。この方法を初めての作品に取り入れたのは、モンゴメリの天与の才能がなせるものか。自己のイメージを他人の目によって作り上げる方法なのでしょう。
時代区分においての読者の特徴があるか。 |