万葉の植物 あふち を詠んだ歌
                                                                                                                                                                 2010.12.4 更新

 
       

   
あふち (万葉表記   阿布知  安不知 安布知 相市 )  センダン栴檀 (センダン科)

写真は、奈良・東大寺戒壇院の前庭に繁るあふち(センダン)の木と黄金色の実。
「わ〜い、あれはセンダンよね」と中庭で騒いでいた大和路めぐりの我々に、東大寺の僧侶が取ってくださったのが、右の実。同行の皆さんと分け合い、種を播いてみましょうということになりました。

その折りのお坊さんの言葉は、「この木はお寺や神社に植える木ですよ。ご存じでしょうが」。
実のところ、現在では万葉時代のように愛される花木ではなくて、どちらかと言えばイメージは「シキミ」に近い木なのですね。中世以降は罪人の首をかける木であったり、江戸時代には刑場の周囲に植えられたこともあったりで、不浄な木と避けられることもあるようです。

江戸時代、小塚原などの処刑場にはセンダンが植えられていたと言いますし、『平家物語』には、源氏側に捕らえられた平宗盛が、京都三条河原でさらし首にされた、その宗盛の首がかけられたのもまた、センダンの木でした。

さらに調べていくと興味を惹かれることを発見しました。
中国戦国時代の楚国の政治家、詩人である屈原(が、秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺したと伝えられます。

憂国の詩人・屈原が入水自殺した五月五日に、屈原の霊をなぐさめるため食物を水中に投げ入れる風習があるようです。その時食物をセンダンの葉に包んで投げいれる---センダンには食物に近寄る水中の竜を追い払う霊力があると信じられていたのですね。
この行事が時を経て、後の端午の節句へと変化してきました。

センダン(栴檀)はセンダン科の植物。西日本を含むアジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生する落葉高木で、日本での別名はアミノキ、オウチ(楝)など。
5月から6月にかけて、新枝の葉の脇から淡紫色の5弁の花をふんわりと円錐状につけます。なんとも言えない表情の薄紫色の花は、かのジャカランダの優艶さにも負けません。アゲハチョウがよくやってきます。

秋に楕円形の2センチ近い実が枝一面に付き、黄褐色に熟し、その果実は秋の終わりになってもしばらく落果しません。落葉後も木に残る様子が珠がぶら下っているように見えます。
材は建築用装飾、家具、木魚、下駄などに用いられ、漢方では、実、樹皮、根皮が駆虫に用いられました。特に除虫に効果があったようです。
「栴檀は双葉より芳し」の諺で知られますが、これはこのセンダンではな「ビャクダン(白檀)」を指します。

万葉時代には、あふちは霊力が憑依する聖なる木と尊ばれました。その可憐な花や実を愛でる歌が4首残されています。
いずれも美しい花の散るのを惜しむ歌です。 今も九州にはセンダンの木が身近に見られるのでしょうか。
 

 妹が見し 楝の花は散りぬべし  我が泣く涙いまだ干なくに       山上憶良 巻5-798

  (大宰府の長官・大伴旅人の妻は、旅人が九州着任後まもなく死去しました。悲しみに暮れる旅人になりかわり、旅人の妻の死を悼み山上憶良は詠みます。他人の心の痛みを察することのできる苦労人の山上憶良ですね。)

 我妹子に 楝の花は散り過ぎず  今咲けるごとありこせぬかも      作者不詳  巻17-1973

 玉に貫く 楝を家に植ゑたらば  山霍公鳥離れず来むかも        大伴書持  巻17-3910

 霍公鳥 楝の枝に行きて居ば  花は散らむな玉と見るまで        大伴家持 巻17- 3913
  (下の2首は家持、書持兄弟の互いに相手を思いやる歌)